681. グロリア(1980)
空撮で街を撮りそこから移動するカメラが走るバスを捉える。そしてバスの中。オープニングからワクワクさせてくれる。しかしカサヴェテスがこれまで撮って来た映画と比べるとなんてハリウッド的なんだろう、というのが正直な感想。題材からしてハリウッドが好みそうなもの。ハリウッド的大衆娯楽映画を芸術作品へと昇華させようとしたのか、はたまた女優ジーナ・ローランズの芸術的な演技を世に知らしめたかったのか、、。どちらにしても(どちらでもなくても)商業主義に走った陳腐な作品とはあきらかに一線を引いている。その最大の功労者は圧倒的な存在感を見せるジーナ・ローランズであり、その存在感を余すところなくカメラに収めたジョン・カサヴェテスであることは言うまでもない。役者に自由に演技をさせるカサヴェテスであるが、子役の演技指導はしたほうがよかったかな。 7点(2005-03-18 17:23:45) |
682. オープニング・ナイト
脚本にあるセリフをどういう口調でしゃべるのが適当か、またその役の人間はどんな感情を持つべきか、そしてその感情をどこまで表に出すべきか、、そんな役者の質問にカサヴェテスはこう答える。「あなたに任せる」と。役者を信頼しているのです。裏を返せば信頼できる役者でないと使えない。この作品で主人公の舞台女優が女優としての葛藤と戦う様が描かれる一方で、葛藤に負けたかもしれない女優に全てを託す演出家が描かれます。心中覚悟で初演に望みアドリブ演技に一度は見切りをつけて劇場を出ますが「女優への信頼」に腹をくくり戻ります。そして映し出される女優と相手役の男優の自由で自然で生々しくて活き活きとした演技合戦。信頼を得た俳優たちは単なる俳優の枠に納まらずアーチストへと昇華する。監督(演出家)はアーチスト(芸術家)と呼ばれることがある。しかしカサヴェテスにとっては俳優もまたアーチストであるべき存在なのです。そしてカサヴェテスの映画の俳優たちはまぎれもないアーチストたちである。 8点(2005-03-17 12:27:36) |
683. こわれゆく女
こわれゆく女とあるが、映画で描かれた部分よりずっと以前からこわれています。夫が徹夜残業で家に帰ってこないことも今までに頻繁にあったのだろう。そんなことは描かれていないが見ればわかる。妻が夫の仕事仲間にスパゲッティを振舞うシーン、妻のことを前から知っている人と初めて会う人のそれぞれの表情が全てを語る。とっても怖いシーンでした。 夫は夫でこちらもかなりきている。楽しく遊ばなくちゃいけないんだ!楽しい会話をしよう!と大声で怒鳴る。彼もある意味こわれています。しかしこわれている、というのは第三者の目に映る、いわゆる傍(はた)から見て、というやつで本人達は愛ゆえのいたって真面目な行動。家族を愛することと家族以外のもの(社会)と付き合ってゆくことの葛藤に疲れているだけ。どんなにおかしな方向へと向かおうと愛ゆえの感情の歪みであることを子供を使ってうまく見せている。子供が父親に向かって拳をあげるシーンに泣きました。何もなかったかのようにふるまうエンディングの夫婦に泣きました。めちゃくちゃ怖くてめちゃくちゃドキドキしてめちゃくちゃ感動しました。大傑作! 10点(2005-03-16 10:49:56)(良:3票) |
684. フェイシズ(1968)
カサヴェテスが俳優業で稼いだ金を全部注ぎ込み自宅で作り上げたこの作品は、まちがいなくハリウッド受けしない作品である。カサヴェテスなら当然と言えば当然なのかもしれない。 まず劇中劇として始まる斬新なオープニングに引きつけられ、初老の主人公を含めた男二人と女一人の一見楽しい、しかしどこか空虚なパーティのシーンが生々しく飛び込んでくる。家に帰れば妻の顔のアップが乾いた夫婦関係を物語る。口論がおこるが、このままなんの問題もなく夫婦関係を続けてゆくことも十分可能だし、お互いが何がしかの不満を抱えながらも続けてゆくことはいたって普通のことであるし今までそうやって続けてきたことも映像から伝わる。しかしこの二人の関係は崩壊へとなだれこむ。登場人物たちの顔のアップはそれぞれのバックボーンを語り、場面ごとに変貌する心情を映す。表情だけで心の揺れや他愛も無い企みを丁寧に描いてゆく。ラストは言葉の無い画で終わる。そして私も何も言わずにただそのエンディングを見つめるのみ。えらいもんを見せられた。 8点(2005-03-15 12:22:14)(良:1票) |
685. アメリカの影
役者に全てを委ねる(任せる)ジョン・カサヴェテスの原点となる作品はやはりというべきか即興映画だった。タイトルが示すとおり、根底には人種問題というアメリカの影があります。しかし描かれるのは兄の夢、弟の青春、妹の恋。けして人種問題を前面に出さない。迫害の場面があるわけでもなく、黒人蔑視の言葉があるわけでもない。三人の物語の背景として当たり前のように影が存在するだけ。その当たり前に存在するものを空気で見せる。三人の葛藤は特別なものではなく、誰もが持ち得る葛藤として描く。しかしやっぱり背景には影がしっかりと存在する。即興とは裏腹の綿密な計算がなされたであろう演出と即興ならではの生々しさが同居した素晴らしい作品です。 7点(2005-03-14 12:01:52)(良:2票) |
686. 愛のイエントル
《ネタバレ》 全然ミュージカルしてないところにバーブラが自らの心情を語るときだけミュージカルになるという、良く言えば斬新、悪く言えばバーブラのための映画。学問が男だけのものだった時代にひとりの女性が敢然と立ち向かった、というたいそうなものではありません。ただ学びたいがために男に化けるが結局その地ではなく女性でも学んで良いという開かれた地へと旅だってゆくという結末からもわかるように。そういった特殊な環境の中で繰り広げられるコメディと言ったほうがぴったりくるような。霞みがかったような画に柔らかい光を採り入れ、時代と設定をうまく表現していた。 6点(2005-02-04 13:21:15) |
687. チャンス!(1996)
あれだけ露骨に偏見に満ちた男社会を見せておいてあの爽快なエンディングはチト強引に感じますが、展開としてはまぁうまくまとめたなと。全てを大袈裟に描いてコメディたる展開としてテンポよく進んでいくので少々の強引さはOKですけど、それならそれでもうちょっと笑いが欲しかった。 5点(2005-02-03 12:36:02) |
688. ビクター/ビクトリア
劇中のショーでたっぷりとジュリー・アンドリュースの歌を聞かされるわけですが、私には助長に感じられた。ドタバタに撤してもよかったんじゃなかろうか。ところどころで笑わせてもらったが、ドカーンと爆笑まではいかない。コメディだから冒頭のジュリー・アンドリュースが飯も食えないほどの貧乏に見えないとか、男のどこに魅力を感じて好きになっていくのかがわからないとかは目を瞑るとしても、結局この手の作品は主演女優に魅力を感じるか感じないかで評価が左右されてしまうところがある。魅力を感じられたら最高なんでしょうが。 5点(2005-02-02 10:44:39) |
689. ペーパー・ムーン
私がよく映画を見るようになった頃、某映画雑誌での人気投票女優の部ではテイタム・オニールとブルック・シールズがトップ2。二人に共通するのは子役で華々しくデビューし、その後パッとしないってこと。(あと二人ともテニスプレイヤーと結婚して離婚している。)子役の場合、演技らしい演技をしなくてもそこにいるだけでその愛らしさをじゅうぶん見せることができるから得、であると同時に、かわいいだけじゃ務まらなくなる年齢に達したときにその真価を問われる。でもこの作品のテータムはかわいいだけじゃなくてやっぱりうまいんですよねえ。けっこう長回しも多用されてて、その中でちゃんと演技してるもんなあ。思うにこの人は女優業にあんまり魅力を感じなかったんじゃなかろうか。この作品も二人暮しで留守がちな父親とたくさんいっしょにいられるから、という理由で出演を承諾したとか。そう考えると、才能あるのにもったいないなあと思う。で、そんな天才子役の活躍が目玉な映画なんですが、黒が濃いモノクロ画がきれいで、特に空の色の濃さがロードムービーであることを際立たせています。 7点(2005-01-27 15:22:32) |
690. マン・オン・ザ・ムーン
《ネタバレ》 ラストがすごく良かった。人生そのものを脚色して生きてきたカウフマンの病気を家族さえも信じない、その時点ではかなりブラックだなぁと思いましたが、死んでも実はあれは演出でちゃんと別の名前で生きている、そうあったらいいのに、という映画スタッフの気持ちを映像にのせたラストが心憎い。アンディ・カウフマンというコメディアンは人を笑わせる、楽しませる、というより人がなんらかのリアクションをすることに喜びを感じる、延いてはそこに自身の存在意義を感じる人。本人は知りませんがこの映画を見るかぎりそんな印象を持ちました。そんな捉えどころの無い行動をするカウフマンを映画の主人公とするには、ある程度は感情移入のできる人物に描く必要もあるわけで、その辺りをカウフマンのまわりの人物を使ってうまく描けていたと思います。ジム・キャリーはこの時期あたりから演技の幅の広さを見せてくれますが、この作品の彼はホントにいい。 6点(2005-01-26 11:31:57)(良:1票) |
691. 月の輝く夜に
その辺にうじゃうじゃ転がってるラブコメより内容は薄いかもしれない。ただ、イタリアのエッセンスをまぶしただけで独特な作風に仕上がっている。男が複数の女を追うのは死への恐怖から、という哲学的な会話があるが、男と女の考え方が一致し女の自分の気持ちに対する確信を得る材料だけに終わってしまっているようで残念。じいさんの一言は笑いました。 5点(2005-01-24 10:16:36) |
692. コンドル(1939)
鉱山の上空を飛ぶ映像が素晴らしい。シリアスな男のドラマにナイスタイミングでなごましてくれるエピソードや楽しい会話も良い。そしてなんといっても男たちがかっこいい!中でもやっぱりグラント演じるジェフ!かっこいい!かっこいい!かっこいー!!私がめざしているキャラはこういうのです。「女には頼まない」、、、とかなんとか言っちゃって最後には「ここにいてくれ」って頼むんでしょ!と思ったら最後まで言わない。クールだぁ!男の美学だぁ!そして言わないかわりにコインで、、、クゥ~!!シブイ!シブすぎる!、、、、ん?↓現実にはうざったい?どうやら私はまだまだ現実の世界と虚構の世界をごっちゃにしているお子様のようです。 7点(2005-01-14 12:47:41)(笑:1票) |
693. カッコーの巣の上で
《ネタバレ》 精神病院の実態を告発した原作を、自身もナチスによって人権を著しく侵された経験をもつミロシュ・フォアマン監督が人間の尊厳を大いに謳いあげることで名作へと昇華させた作品。主人公マクマーフィが正しいか正しくないかは関係ない。体制が人間の尊厳を奪うことに対する切実なる問題提起をマクマーフィを通して描き出したにすぎない。今、正しいと思っているさまざまな体制もまた本当に正しいのかと考えさせられるほどに、この作品は色褪せない現実感を持っている。あの忌わしきロボトミーですら正しいとされた時代があったことを考えると、人間のつくりだすものに真に正しいものはあるのだろうかという陰気な気持ちにもさせられる。ラスト、マクマーフィは潰されるが彼の意思を一人のインディアンが継承することで多からず爽快感を味わうことができる展開としているが、人間の人間としての権利を奪われたらソレはすでに人間ではなくモノである、とでも言いたげな殺人のシーンが痛々しく突き刺さる。 7点(2005-01-13 13:45:45)(良:2票) |
694. 白いカラス
口紅だけが目立つへたくそな素人メイクを装うがちゃんと綺麗に見えるようになされたであろうプロのメイク、そしてカメラを常に意識したキッドマンの顔の角度がいかにもハリウッドメジャーな映画。演技がちゃんとできるのに勿体無い。重い題材をハリウッド流に軽く扱うならかまわない。しかし重い題材を重く描いているのにフォーニア・ファーリーという人物が時々ニコール・キッドマンになっているのはどうしても気になる。監督も監督だ。カラスに語るふりをして観客に説明するなんてもってのほか。ベントン監督が製作側に屈したのか、それともハリウッドメジャー色に染まってしまったのか、、、。書籍で読むと非常に面白そうな内容なだけに本当に勿体無い。 4点(2005-01-12 11:50:56) |
695. キル・ビル Vol.2
Vol1があれほどのインパクトのある作品になったのはこのVol2があればこそ。Vol1をただ戦うだけのトンデモ映画にするには前後のストーリーを省かなきゃならない。その省かれたものがVol2。Voi1を作りたいがゆえのVol2という印象。それでもひとつの作品として成立させるために引用先を変え作風を変えることでVol1とは違う個性を持たせている。連作なので前作同様に漫画チックな展開を見せるものの起承転結のあるこちらが本来、主となる映画なのでしょう。二作を合わせて時系列をバラバラにして{戦い}だけを前に持ってきたという仰天連作を評価したい。 6点(2004-12-28 16:53:54) |
696. キル・ビル Vol.1(日本版)
これは漫画。漫画の実写版という意味じゃなく、日本の漫画的プロットを映画的ではなく漫画的に見せる映画。このように”あえて”映画的表現を排除した映画に『マトリックス』があります。こちらはアニメ的プロットをアニメ的に表現した映画。どちらの監督も他作品では映画的表現を既に見せているので”あえて”としておきます。この作品と同時期の北野武の『座頭市』も漫画チックと感じましたが『キル・ビル』は設定、構成、キャラ、カット割、あからさまな引用等、全てにおいて漫画チック。あきれるくらい漫画チック。つじつま合わせまで無視した徹底ぶりが気持ちいい。このVol1はほとんど戦ってるだけというのも天晴れです。しかし殺るか殺られるかの緊迫したシーンでも頬を緩ませるあの日本語は狙ってるのか?たしかに漫画でも外国人のセリフはカタカナ表記の日本語だもんなぁ.. 7点(2004-12-27 16:56:11) |
697. 怒りの葡萄
夜のシーンが真っ暗です(笑)。この徹底的なリアルな描写が貧しさからくる悲壮感をより一層悲観的に映し出す。その中で途中に寄った店で子供に菓子を買ってやるときの店員の応対がひとときのの清涼水のごとく心を和ませる。こういう一種の救いの描写を入れて怒り一辺倒にしないところがなんともフォードらしい。 アメリカ資本主義がもたらす弊害をもろに受けた人々の悲劇でありますが、家族愛と改革精神にあふれるエンディングがこれぞ”アメリカ映画”と思わせてくれる。もちろん良い意味で。 7点(2004-12-20 11:27:24)(良:1票) |
698. 海底20000マイル<TVM>
54年にディズニーが送り出した『海底二万哩』のリメイクテレビ映画。斬新なデザインだったノーチラス号がより現実味をおびたデザインになりオリジナルよりもシリアスな展開で綴られる(と言っていいのだろうか)。安易に女性を登場させて恋愛を絡めたのはまあ許そう。しかしオリジナルでは戦争を憎んでいたネモ船長が今作では社会主義国を連想させる軍服を身にまとい西側諸国に病的なまでの憎悪を抱いているという設定はどうにも頂けない。オリジナル版を絶賛するわけではないがこの作品はあまりにも全てにおいて浅はか。メッセージも無ければ演出のメリハリも無い。迫力も無ければ笑いも無い。子供向けでもなく大人向けでもない。しょせんテレビ映画ということか。残念! 1点(2004-12-09 11:17:49) |
699. 2010年
もともと『2001年宇宙の旅』もこの作品と同じようにナレーションがあったのをキューブリックが公開直前に全カットしたのだそうです。それでは意味が全く解からなくなる、というアーサー・C・クラークの言葉に対しモナリザがなぜ微笑んでいるかが解かっていたら今日のように人々を魅了しただろうか、というようなことを言って意見を通したとなにかで読んだことがある。そして、観た人の数だけ答えがある、とも。観客たちがそれぞれ思い、考え、そして漠然とだけど導き出した答えがすべて正解ということ。なのにこの『2010年』は私が無い頭を振り絞って出した答えにあっさりとダメダシをくらわせやがった。だから私はこの作品を『2001年宇宙の旅』のある人が導き出した答えのもとに作られた続編、と位置付けている。そうみると、「あぁ、この人、なかなかするどい見解だなぁ」と思うわけです。..と文章にしてみて今気付いたのですが、これっておもいっきり負惜しみじゃないですか! 6点(2004-12-08 12:36:46) |
700. THX-1138
《ネタバレ》 ルーカスが学生時に考えた未来映像は恐ろしいまでに全てが簡素化され、人間はその完全な管理システムの中で1個の固体としてただ生かされているだけ、というもの。この未来世界の説明を排除し真っ白な映像と電子音で表現しきったルーカスはこの時から既に一流の映像作家であることを証明している。予算がオーバーした時点で追跡をあっさりやめてしまうのは商業映画の製作と似ているような気がするが、ソコに関連付けるのは考えすぎかな? 外界は危険という言葉と頻繁に出てくる放射能という言葉に、きっとシェルターの外は核で汚染されているのだろうと想像できる。そのうえでラストで初めて見せる外の世界の映像。ただ夕陽が大きく映されるだけの画なのになんて美しいんだろう。管理システムとの対比、生きることと生かされることの対比をあの夕陽だけで表してしまった。凄いです。その夕陽をバックに鳥が横切る画にしっかりと希望を感じさせてくれる。 7点(2004-12-06 12:46:13) |