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目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2257
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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1.  ある用務員 《ネタバレ》 
これは『ベイビーわるきゅーれ』ファン必見。そう、ちさと・まひろの殺し屋JKコンビは本作の登場キャラクターだったんですね。つまり『ベイビーわるきゅーれ』はもともとスピンオフに当たる作品であったと。いや役名が違う別の世界線ならスピンオフにはならないのかな。でも殺し屋の名前なんて有って無いようなものですし。このあたりの判断は観客に委ねられている気がしますが。少なくとも本作の二人は単なる殺され役に留まらぬ見せ場が用意されていましたし、何より監督が彼女らにスターの可能性を見出しているのがよく分かります。扱いが丁寧。ボス戦よりも中ボス戦の方が見応えありという『キル・ビル』の栗山千明的スタンスの二人でありました。ちさと・まひろ(本作の役名はリカ・シホ)の登場だけで十分価値のある作品ですが、それを差し引くと今ひとつという感じがしないでもありません。全体的にもう少しアクションシーンのボリュームが欲しかった気がします。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-05-04 07:26:03)
2.  ある閉ざされた雪の山荘で 《ネタバレ》 
ネタバレしています。ミステリー作品です。未見の方はご注意ください。  「何だ雪山が舞台じゃないのか」から始まり「ビデオカメラで犯人探すミステリーとかありなの?」と終始訝しんだものの観終えてみれば納得。物語の構造も凝っていますし決して悪くありません。ただ釈然としない部分も。ネタバレ厳禁なので詳細は伏せますが、そもそも設定に無理があるような。 例えば本作では久我(重岡大毅さん)が探偵役をしています。でも初期設定上、仕込み以外の人は全員探偵役を買って出なくてはいけないのでは。そういう趣向のオーディション。でも彼以外誰も探偵らしい動きなどせずモヤモヤ。てっきり『名探偵登場』(懐かしい!)みたいな名(迷)推理合戦が見られると思ったのに。それにそもそも久我をこの場に呼ぶ必要ありましたか?一般的にミステリーで探偵が登場するパターンは「偶然」か「犯人があえて呼んだ」のいずれか。わざわざ探偵(部外者)を犯行現場に呼ぶなら当然目的があって然るべし。「目撃者、証人として」あるいは「本心では犯行を暴いて欲しかった」など。本作の久我はどれにも当てはまりま・・・と、ここまで書いて私は思い違いをしている事に気付きました。そう、久我こそがこの計画に最も必要な人物、キーパーソンではなかったのかと。もし犯人の思惑通りコトが運んだとして誰が得をするのかという話。一時的にあの人を満足させたたとしても、騙し通せるはずありません。いずれ嘘はばれるでしょう。あの人の「心」を救えなければ意味がないのです。それにはむしろ久我のような第三者の力が必要だったのではないか。水滸の中の人ではなく、外の人だから出来ること。彼に真相を解き明かしてもらい、いやあの人の心を解きほぐしてもらい、初めて目的が達成される仕掛け。そういう意味では久我にガチで推理力を発揮して貰う必要はなく、彼も仕込みの一員で良かったかもしれません。しかし、この説は否定しておきましょう。何故なら久我にはそこまでの演技力が無いから(失礼)。今まで彼は水滸のオーディションに受かっていません。彼が今回キャスティングされたのは、演技力ではなく人間性を買われたから。久我には初期設定どおり本気で探偵役(オーディション)を引き受けて貰ったのだと思います。もし期待通りに探偵役が出来なければ「アドリブ」で種明かしすれば良い訳で。みんなその辺は得意でしょう。久我とあの人を除く全員がグル(演技者)の可能性さえあると考えます。となるとやっぱり本作は「ミステリーではない」が正しいのかもしれません。 さて最後に結末について。綺麗に纏まった、そして驚きもある感動的なフィナーレで文句はありません。そうきたかという感じ。ただ私だったら全員を立たせてカーテンコールを受けさせたと思います。性格悪いですか。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-04-16 17:19:55)
3.  アイの歌声を聴かせて 《ネタバレ》 
令和の『鉄腕アトム』くらいのつもりで観たら、新訳『僕らの7日間戦争』いやいや別解『ターミネーター3』でしたか。嘘うそ。冗談です。とはいえ想像以上に考えさせられる物語で、本作をどのように捉えたらよいのか非常に迷うのは事実です。右脳(感情)で捉えるなら、シオンちゃんはウザくもありましたが親子愛の結晶として感じ入る点がありました。でも左脳(理性)を優先させると正直いって恐ろしい。取り返しのつかない事態に思えてなりません。そう「クマさん可愛いから森へ逃がしてあげようよ」案件と変わらない気がします。いや脅威レベルで言えばアンゴルモアの大王を天空に放ったようなものでは。下手すりゃ人類終わります。もっとも、現実世界でも何時だって終わりにする用意は出来ている訳で。そうか、もっと大局的にみる必要があるのかもしれません。世界大戦かウイルスか、はたまた巨大隕石か分かりませんが、いつか人類が滅びたときの後継者が誕生したハッピーバースデーと考えれば良いのかも。人類の意志を継いでいくのがシオンちゃんなら、それはそれで悪くない気がします。 以下余談。地元がロケ地になったとの噂を耳にし見覚えのある景色を探しましたが全く分からず。結局ネットで答え合わせをしましたが、流石にこれは分かる訳ありません。というか本当に其処で合ってますか?というレベル。島国日本ですから、海辺のロケーションは何処にだってありそう。もちろん聖地巡礼で来て頂くのは有り難い限り。地元唯一の映画館も盛況だったようで何よりです。ありがとうございます。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-31 23:00:00)
4.  愛ちゃん物語 《ネタバレ》 
成長に必要なこと。良質な栄養を適切なタイミングで摂取すること。多過ぎても少な過ぎてもいけませんし、タイミングを逸してもいけません。また有害物・阻害物を取り除くことも重要です。農作物の場合は主に「水」「肥料」「農薬」を用いて品質管理をしますが、人間の場合も変わりません。ほったらかしでは育たない。しかも「心」と「からだ」両方の面倒を見なくてはいけません。考えれば考えるほど子育ては「無理ゲー」だなと思うわけです。ですから愛ちゃんを「箱入り娘」にした父親の気持ちは理解できます。とりあえず悪い虫が付かなければ安心ですから。でもこれで万全でないのは言わずもがな。もし愛ちゃんが父の課したルールを従順に守り高校生活を終えていたらと考えると・・・。女子高生の成長に必要なのは「おしゃれ」「お化粧」「門限破り」「友達とカラオケに行くこと」で合っています。たぶん。とりわけ心の栄養は「経験を積むこと」「様々な価値観に触れること」で供給されます。もちろん「良いもの」だけを選べればベストですがそれは無理。そもそも何が「良い」かも分かりませんし。ですから「一般的なこと」を「しかるべきタイミングで」「きちんと経験しておくこと」が心の栄養のリスク管理的に適切と考えます。そういう意味で聖子さんとの出会いは僥倖でした。愛ちゃんは良きタイミングで箱から出られたと思います。亡きお母さんの愛情が、聖子さんを通じて愛ちゃんに届いたのかもしれません。 主演は坂ノ上茜さん。BS-TBS『町中華で飲ろうぜ』の『伝道師』としてお馴染みの元気娘。もちろん成人しており実年齢と役柄との年齢差は10歳程度かと。よく見れば成熟していますがこの程度なら許容範囲でしょう。顔立ちも可愛らしい童顔なので全く問題ありません。一方女装家の聖子さんを演じたのは黒住尚生さん。劇中の設定だと愛ちゃんの母親と同級生ですが全然そうは見えません。愛ちゃんより少し年上くらいでしょうか。実年齢は2歳差だそう。つまり坂ノ上さんは10歳若くサバを読み、黒住さんは20歳ほど老けサバを読んでいる計算になります。同年代の2人が同一方向へサバ読んでいるならいざ知らず、反対方向にサバを読んでいるため違和感が半端ありません。この年齢差は女装メイクで誤魔化せる範囲を超えていました。だから「キャスティングに難あり」と言うつもりはなく、聖子さんから「母親の同級生」という設定を無くせばいいだけだと思います。それで物語から深みが消えるわけでもありません。2人以外の役者さんについては「難あり」かな。あるいは「味」かな。演技がちょっと気になる人もいるかと思います。 ポジティブ且つライトな少女の成長物語。不穏な展開になる要素を孕みつつも、コメディテイストが強めに効いており終始心穏やかに観ることができました。最近ストレスフルな事ばかりだったので、今の私にとっては「丁度良い塩梅」の楽しい愛のお話でした。6点と7点の中間くらいですが、伝道師加点で繰り上げとします。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-09 18:59:17)
5.  茜色に焼かれる 《ネタバレ》 
「まあ、頑張りましょ」の「まあ」の部分が気になります。どうにも抗えない社会の仕組み(ルール)に対する「諦め」が含まれているような。理不尽ばかり。敵だらけ。それでも主人公は戦いを、生きること自体を放棄していません。この世界を生き抜くために彼女が必要としたのは「意地」であったと考えます。これは単に意固地な心持ちを指している訳ではなく、「誇り」や「正義」「愛」を含む広義な概念。田中良子をかたち作る「芯」であります。客観的に見れば賢明な生き方とは言えません。あまりに不器用。世渡りが下手過ぎて、やきもきするというか、いたたまれないというか。正直観ていて辛かったです。しかし、そんな彼女の生き様を否定する気はありません。それは彼女の存在を否定することだから。ひたすら真っすぐに。時に狂おしく。暴走ヤッパモードは、まさに田中良子がどんな人間かを如実に現したエピソード。弱者であろうとも、食い物にされていい訳がありません。やるときはやる。舐められたらオトシマエをつける。夫交通事故死の教訓が活かされたものと推測します。もちろん褒められた行動ではありませんが、そんな気概なくして人生は戦えません。ただしチャリパクだけはちゃんと反省してください。きっと「田中良子」というありふれた名前に意味があります。そこのあなたも、あちらのあなたも。あなたなりの戦い方で、この世界を生きて抜いてください。そんなメッセージが隠されていると思います。漆黒の暗闇が迫る夕暮れ時。まるで茜の空にジリジリと焼かれ続けるような人生だとしても、闇を受け入れたらお仕舞いです。時間切れになるその時まで、お天道様の下で精一杯足掻いてやりましょう。 今回の収穫は片山友希さんです。鑑賞済みの作品にも多数出演されていたようですが、今まで意識せずスルーしてきたみたいです。裏を返せば、主張が強すぎないということ。物語に調和できるのは俳優として優秀な証でもあります。本作では主要キャラとして存在感を発揮しました。彼女の魅力を知ることが出来て随分得した気分です。スッキリ系の美人さんで、ルックス的には古川琴音さんと姉妹役なんかピッタリかと。これから爆売れすること間違いなしでしょう。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2022-08-23 00:02:59)
6.  哀愁しんでれら 《ネタバレ》 
ネタバレしています。ご注意ください。  「母親になることと母親であることは違う」子育て失敗を自認する義母らしい、子連れ再婚の難しさと覚悟を再婚新妻に問い質す厳しい言葉です。始めは嫁いびりの一環かと思いましたが、どうやら本気で心配していたよう。それほど母親、とくに「良い母親」になるのは難しいこと。「無理なら逃げてもいいのよ」の意味だった気がします。しかし主人公にその選択肢はありませんでした。母親に捨てられた彼女は自分自身に呪いをかけていたから。「親は子どもを守らなければならない」。この強迫観念は彼女を狂わし「証拠隠滅」という究極の手段で子を守ることを選びました。証拠が消えれば事実も消える。既に筆箱や弁当事件で学習済みの解決法です。勿論そんな都合の良い魔法あるはずないのに。しかし、両親にとってあの結末はハッピーエンドに違いありません。 さて、娘は殺人を犯していたのでしょうか。全体印象や状況証拠はクロ。映画の方程式上は、最後に提供される情報が優位のためシロと判断しても良さそうですが、真相は藪の中です。おそらく父の方は盲目的にシロ、主人公は経験則からクロと認識していたのではないかと思われます。いずれにしても子はサイコパスの可能性大なので、主人公の立場であれば逃げるのが正解でしたが判断を誤りました。真実から目を背け、見たいものだけを観る。黒目のない肖像画は、あの家族の有様そのものを表しています。 多分「誰かを幸せにする」「誰かに幸せにしてもらいない」という考えが傲慢なのだと思います。ちっぽけな私たちにできるのは、自分が幸せになるために全力を尽くす事のみ。たとえ親子でもその法則は変わりません。人生は甘くない。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2022-01-17 20:28:46)(良:1票)
7.  アストラル・アブノーマル鈴木さん 《ネタバレ》 
肩書ユーチューバー、過激な言動やお花の眼帯からは地雷臭が漂います。番組制作会社からは『テレビに出しちゃいけない人』認定される主人公ですが、果たして本当にヤバイ人でしょうか。ユーチューバーは芸能界への憧れが投影された活動ですし、眼帯はタモリさんをリスペクトしたもの(嘘)。TPOで眼帯を使い分ける良識も持っています。きちんとバイトし、健康的にジョギングまでしちゃってます。確かに彼女は『拗らせ』てはいますが、常識的な方向への捻じ曲がり。そりゃ大して努力もしていない(と感じる)双子の妹(ポテンシャルは同じはず)だけが評価されたら、腐りたくもなりますよ。それに拗らせているのは何も主人公だけではありません。引き籠りの弟、将来を棒に振った妹も似たようなものでしょう。『アストラルアブノーマル』なるパワーワードはいわば誇大広告で、後に続く『鈴木さん』は主人公だけを差したものでなく、『よくある苗字』=『あなた』を意味していると考えます。誰だって、多かれ少なかれ拗らせながら生きています(と思いたい)。 『拗らせ』に特効薬はありませんが、環境変化や体験が治療効果を発揮する場合があります。主人公は『見下し対象』の才能に触れ己が無力さを思い知りましたし、弟くんは細ネクタイとの“映画史に残る”泥試合を経て外の世界へ踏み出せました。人生、何が契機になるか分かりません。芸能界という特殊空間から解放された妹が、早々に目を覚ましたのも道理でしょう。もっとも、拗らせが解消されたところで、現状は改善しません。今までより“公平に”状況を把握できるだけ。そこにある希望は『最悪に比べればマシ』程度のもの。意識高い系の人なら鼻で笑うでしょう。しかし小さくとも自身を肯定するのは大切な作業です。そこを土台として、自分なりの『正解探し』が始まります。主人公が拗らせて苦しんだのは、全てを否定したからに他なりません。 当初は『拗らせ系女子』の生態を生暖かく観察しよう位の意識でしたが、次第に物語へ引き込まれました。恥ずかしながら、主人公の気持ちは大変よく理解できるもので、私も彼女と同じように拗らせる素養を持ち合わせていることになります。双子の妹との差しの勝負(withピストルライター)、鈴木家全員集合(with逆ギレ男)の空気感は絶品で、修羅場コメディとしても秀逸でした。主にララ氏のワードセンスにやられました。エンドクレジットで彼女が踊る『コンテンポラリー風出鱈目ダンス』は、本作で提示された人生観を体現したものであり、清く正しく美しい『推奨されるき生き方』とは真逆に位置するものです。だからこそ鋭く突き刺さったのでしょうが、私の心が弱っていたことも否定できません。私にとって、大いに愛せる映画。人生に行き詰まっている人には『観ると楽になるかもよ』と無責任に勧めてみたくなる映画でもあります。
[インターネット(邦画)] 9点(2020-10-25 08:31:09)(良:1票)
8.  アルカナ 《ネタバレ》 
ネタバレあります。未見の方はご注意ください。なお以下に記述したのは私なりの解釈。原作未読ですので誤読ご容赦を。  本作を理解する上で最も重要な概念は『分身』です。劇中の説明は以下のとおり。①分身とは、本体となる人間の生き写し。もう一人の自分。②本体とは完全に別人格であり、その多くは対照的な性格である。③怪我や病気など本体に生命の危機が迫ったとき、分身は生成される。④半透明など不安定な状態の者もいる。⑤人間の心臓を食すことで安定して存在できるようになる。ただし、一度心臓を口にするとその後も心臓を欲する化け物に変わる。⑥分身は徒党を組む。⑦分身は本体に敵意を抱く者が多い。⑧電気御守りは、幽霊にも分身にも同じように効く。⑨分身への物理攻撃は無効。 散らばっていた情報を纏めると、『分身』の正体が見えてきます。おそらく『分身』は実体化した『幽霊』。死んで霊魂に変わることを拒んだ人間が、分身を生み出したと考えられます。分身が本体を抹消しようとするのは、死は本来逃れられないものだから。心臓を食うという分身の習性は、肉体への執着の表れであり、アイデンティティ移行の意味もあるかもしれません。さて、『分身』という人類の『進化』は、この先どこへ向かうのでしょうか。分身を自らの意思で産んだ村上、本体を愛おしみ心臓を食おうとせぬ分身・マイコ。2人のパイオニアの表情からは、明るい未来が読み取れます。しかし『分身』が『自然の摂理』に沿わぬ存在であることは変わりません。運転中のトラックドライバーが突如消えたように、分身も、分身を生んだ本体も、消え去るのが運命。村上とマイコに与えられた現世でのアディショナルタイムはいかほどなのでしょう。聞けば山口義高氏の初監督作品とのこと。短いイメージカットのモザイクを使って、作中でプチ予告編を敢行するなど意気込みが感じられます。また土屋太凰や岸谷五郎など、キャスティングにメジャー感はあるものの、作品の色合いは基本的にB級です(悪口ではありません)。おそらくアクションが売りの監督さんなのでしょう。三池監督のお弟子さんといわれて納得です。
[インターネット(邦画)] 5点(2020-07-25 17:27:27)
9.  アウターマン 《ネタバレ》 
私は監督名を確認せずに映画を観ることがよくあります。本作もそうです。もちろん予想は付きました。どこをどう切っても河崎実印ですから。氏の作品を一度でも観た事がある方なら、その意味がお分かりいただけるでしょう。しかし、それでもなお、エンドクレジットを確認するまで、別監督の可能性を捨てきれずにいました。というのも、“実によく出来ていた”からです。いや失礼。でもこれが本心。チープな映像、不出来な脚本、役者の熱演、そして特撮愛が謎の化学反応を起こしたとしか言いようがない出来栄え。中でも「アウターマン」と「シルビー星人」の造形が絶妙でした。立場が変われば見方が変わる。知識と経験で人は変わる。どちらの異星人も、ちゃんと「いいもの」にも「わるもの」にも見えました(技術論的にはカラーリングの上手さ。そして原則は“能面”と同じ理屈と思われます)。いつもは決して上手とは言えない(実は監督お得意の)社会風刺も、驚くほど鋭く(あらぬ方向に)突き刺さります。群衆の手のひら返しを、あなたは笑えますかと。基本的にパロディ。紛うことないバカ映画。しかし真摯なヒューマンドラマでありました。もしかしたら本作は河崎監督にとって会心の一作では?あるいは私は、監督を見くびっていたのかもしれません。ちゃんと河崎監督作品を観直してみようと思います(暇が出来たら)。なお、公開当時に鑑賞していたら、職人が一個一個丹念に製作するという変身アイテム(25,000円(税別)也!)に手を出していた可能性すらあるのが恐ろしいです。
[インターネット(邦画)] 7点(2020-07-15 18:54:52)(良:1票)
10.  アドレナリンドライブ 《ネタバレ》 
“大金を奪って逃げる”という犯罪行為の後ろめたさを打ち消す仕掛けは抜かりなく、主役から脇役までキャスティングも含めてキャラクター造形はお見事です。特にジョビジョバの起用が功を奏しており、シリアスに寄り過ぎることを防ぎコメディのスタンスを堅持しています。その結果、スリリングであっても不快な気持ちになる心配を払拭しました。娯楽作品としてなかなかの完成度です。安心して感情移入して問題ありません。あえて注文をつけるなら、本題(逃避行)に入るまでが長かったり、逃げ切ったあと油断して下手を打ったりと、サスペンスに必要な緊迫感やリズム感に欠けること(これは最近の展開が早いドラマに慣れてしまっているせいもあるかも)。タイトルに違わず、もう少し疾走感を感じられれば文句無しでした。ところで運命の2人は幸せになれたのでしょうか。浮かれっぷりを見る限り、典型的な破滅型に見えますけれども。購入してきた車が、国産車だっただけマシということにしておきましょう。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-11-20 22:23:31)
11.  阿修羅少女(アシュラガール) BLOOD-C 異聞 《ネタバレ》 
ビジュアルイメージ(ポスターやDVDパッケージ)の感じでは、てっきり『食べ放題焼き肉』だと思ったんです。90分2,980円也の庶民派グルメ。勿論求めるのは質より量であります。和牛なんて贅沢は言いませんから、兎に角お腹いっぱい頂きたいのです。セーラー服美少女によるソードアクションを。ところがお通しが止まりません。筑前煮、山菜のごま和え、ほうれん草のおひたし。渋い和食が次々と提供されます。もはやお通しで満腹状態。時間制限間際でやっとお肉にありつけると思ったら、成型肉ばかり。何なのでしょう、この不完全燃焼感は。キャストは無駄に豪華でした。古田新太に、坂井真紀、水野美紀、田中要次ら、名実兼ね揃えた役者を脇に備えています。芸達者を使って物語の外堀を埋めたり、ほじくったり、よく分からない、そしてそもそもあまり興味がない(失礼)ドラマを延々と見せらます。やっとお目当てのチャンバラが始まったと思ったら、お約束感あふれる一昔前のTVドラマのような殺陣ときました。しかも夜なので視認性がすこぶる悪いワケです。明らかに安普請でフラストレーションが溜まります。要するに、お金と労力をかける部分が違うぞと。そもそも、焼き肉じゃなくて、和食小料理屋じゃないかと。もっとも勝手に勘違いしたお前が悪いと言われれば、返す言葉もありません。確かにDVDパッケージでは、女の子が日本刀を持ってなかったんですよねえ。blood-cシリーズなのに。そこで気付くべきだったのでしょう。自分まだまだB級映画道の修行が足りないようです。
[DVD(邦画)] 5点(2019-09-10 18:23:28)
12.  アキハバラ@DEEP 《ネタバレ》 
DVDパッケージのコピーは、『秋葉原版IWGP(池袋ウエストゲートパーク)』。でも自分の先入観は『7人のおたく』のほう。お手軽に笑えて楽しめるライトな作品を予想していました。しかし意外やシリアス。アキバ系カルチャーの世界で生きる5人の若者が主人公です。彼らの住みかはネットの海。その願いは、自由に海を泳がせて欲しいということ。海は誰のものでもありません。だからみんなでこの恩恵を享受しましょう。設定される敵は、海の覇者。力で海を占有し、さらには主人公たちの夢を強奪します。強大な敵に対して、彼ら“アキハバラ@DEEP”の面々は、どう立ち向かうのか。構成はシンプルで分かり易いです。でも、腑に落ちません。彼らは皆アウトサイダーです。既存のルールに捕らわれない世界で生きることを選んだ者たち。いや選ばざるを得なかったのかもしれません。それが、アキバ文化の世界であり、@DEEPという場所だったはず。だから其処を愛してやまないのです。大切な場所を守るために戦わねばならなかったと。ここまでは理解できます。彼らを応援したいとも思います。しかし暴力に対抗する手段が同じ暴力とはこれ如何に。“目には目を”である必要性を感じません。そこに、製作者の安易さを感じとってしまいます。何故、クライマックスをありふれたアクションにしてしまったのでしょうか?アキハバラである必然性も、アウトサイダーである必要性もありません。アキバカルチャーというキャッチーな素材を、客寄せに利用したかっただけのように見えてしまいます。でも、それでは底が浅いのでは。彼らには、既存の枠に捕らわれない、自由な発想で立ち向かって欲しかったと思います。ゲームでもいいし、アニメでもいいです。アイデンティティを誇示しなかったら意味が無いと思うのです。結果的にトンデモコメディになる可能性は高いですし、収拾がつかなくなるかもしれません。でもその深みに踏み込まなければ、アキバ文化を扱う価値はないと思いました。彼らの自我は、そんなDEEPな場所にあるのですから。ところで話題は冒頭に戻ります。JR秋葉原駅近くの公園といえば、ある公園が思い出されます。昭和通り口。某タワー型書店と道を挟んだ場所にある小さな公園。横はラーメン屋でした。もう10年以上行っていませんが、今もあるのでしょうか。あのパーク(公園)なら“DEEP”だと思います。
[DVD(邦画)] 5点(2019-02-13 23:11:52)
13.  IAM A HERO アイアムアヒーロー 《ネタバレ》 
はじまりは、平凡な日常に入り込む些細な違和感。種火はボヤを吹っ飛ばして瞬く間に大火へ。同棲彼女のアクロバティックな急襲に端を発した地獄絵巻は、半径3メートルのアパート室内から、煙幕上る阿鼻叫喚の市街地編まで、ドミノ倒しの如く、いやタクシー大爆走で、悪化拡大していきます。そうかと思えば、一転、主人公とJK2人の静かなひと時。心の交流を手際よく挟み込み、緩急をつけるニクイ展開。その後は当該ジャンル“らしさ全開”のショッピングモールを舞台に、ゾンビより恐ろしいヒトの集団が登場と。およそ定番と思しきプロットを漏れなく押さえた正統派ゾンビ映画の趣で、ゾンビ映画好きとしては、非情に好感度が高いです。JKを“半人半ゾンビ”に位置づけた点は、クロかシロかを問うゾンビ映画には通常存在しない特異点で、ホラー・スプラッター祭りの中の“良心”を担う“核”でもありました。極限下においても、弱者(あるいは障碍者)を切り捨てることを正義としないヒューマンドラマは、弱肉強食を旨とする無法世界に対するアンチテーゼ。胸に響きました。上戸『あずみ』の百人斬りを彷彿とさせる英雄渾身の銃撃戦は、ZQNについて絶妙なパワーバランスの調整が効いていてこそ。アクティブに動くゾンビ(いわゆる走るゾンビ)だらけでは到底耐え切れませんし、オールドタイプ(スローモースタイル)ばかりでは戦う必然性が担保されません。ZQNに個性を認めたことで成立した壮絶なクライマックスは見応え十分。徹底したゴア描写も正統派ゾンビ映画としての自己主張であり、それでいて汚らしい印象がない点も評価したいです。物語としては尻切れトンボな印象ですが、そもそもゾンビ映画とはそんなものでしょう。これ、続編を期待しない方が野暮というもの。私の中では「快作」認定です。有村架純も可愛かったし、言うことナシであります!
[CS・衛星(邦画)] 9点(2018-07-23 13:39:53)(良:1票)
14.  遊びの時間は終らない 《ネタバレ》 
地震や火事を想定した予行演習。小中学生の頃はよくありました。先生は必ず言います。「真剣にやれ!」と。でも子供たちの耳には届きません。だって先生たちから真剣さが伝わってこないから。申し訳程度のスモーク。都合のいい時間帯、場所からの出火。どこにリアリティがあるのでしょう。「お約束」という大きな看板がどーんと掲げられています。小学の高学年くらいになれば、それくらい分かります。だから白けてしまうのです。最初はそういう大人世界の矛盾を、子供心に“変だな”と思ったもの。でも次第に慣れてくるのです。イチイチ突っかかるのが面倒になってきます。いつの間にか、物分かりのいい大人が出来上がっているという仕組み。本作の主人公は、そんな大人にならなかった男。真っ直ぐで、正直で、正義感が強い。彼はひたすらリアルに銀行強盗を演じました。当然いろいろな不都合が出てくるのが道理。困るのは大人たち。これがシニカルな笑いに繋がりました。子供心に抱いたモヤモヤがスッキリする不思議。だから、大人社会に疑問を感じている人ほど観ていて爽快なのだと思います。主人公に共感できるか、はたまた眉をひそめてしまうか。観客の“大人度”が量れそうです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2018-05-17 00:59:44)(良:3票)
15.  暗黒女子 《ネタバレ》 
観終えた瞬間の印象は『リアリティゼロのなんちゃってミステリー』。しかし、その後小一時間ほどのボランティア清掃中に物語を反芻した結果「悪くないかも」に感想は変化しました。以下私なりの解釈。そもそもオチがセールスポイントの映画ですので、鑑賞後にお読みいただければ幸いです………。 リアリティが感じられない要因は大きく2つ。①狂言自殺で屋上から飛び降り?マジで?しかも後遺症ナシなの?②自身が犯した殺人を、自ら皆にバラすって、むしろ弱み握られてない?清水の言い分を“真実”と捉えるから“嘘くさい”と感じられるのです。そこには“ミステリーのお約束”が存在していました。最後に披露される“事件の真相”を無条件に受け入れてしまう心理。果たして信用するに足る裏付けや証拠の類は提示されていたでしょうか。そう、脇役たちが告発した“小説”と、清水の“種明かし”に本質的な違いはありません。彼女の解説もまた“ある意図をもって創作された”と考えらます。しかも、清水は飯豊の参謀。事の全容を掌握できる立場。月は太陽に成り代わる為に、一計を案じたと推測します。子供たちはまんまと清水に騙されたのではないでしょうか。もちろん飯豊は自殺済み。脇役たちは人肉など口にしていません。金持ちのお嬢様なら、パニックに陥った子供たちを一瞬信じ込ませる程度の「模造腕」の入手など訳も無いでしょう。策士、清水の作戦勝ちと。さて、子供たちがこの“作り話”に気付く日は来るでしょうか。少なくとも“女子高”という閉ざされた世界に囚われているうちは、無理な気がしますが…。ここまで想像して、初めて価値が出る映画と思われます。これが正しい見方とは思いませんが、こう解釈しても面白いということで。たしか本作公開時に清水さんが事務所を辞めて出家されたと記憶しております。騒動が故に公開が危ぶまれた一方、結果的に清水の“サイコキャラ”イメージを補完しており、作品としての完成度が増しているのは皮肉なものです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2018-05-15 00:13:16)
16.  アウトレイジ 最終章 《ネタバレ》 
前作が『ビヨンド』なら、常識的にいって本作は『ファイナル』か『フォーエバー』ですよね。何故に『最終章』だったのか。見終えてその謎が解けた気がします。それは監督からのメッセージ。“お前らの想像どおりには行かないよ”ということ。テンション高い「バカヤロー、コノヤロー祭り」を期待していた私としては完全に一本取られた心境です。でもちょっと嬉しいような。多分、正しい商業監督、あるいは職人監督なら、ちゃんと観客のニーズ通りの映画を撮ったでしょう。でも北野監督は、芸人であり、芸術家。同じコトの繰り返しでは満足しなかったものと推測します。前2作を前フリに使っての見事なスカシ。裏切りこそ笑いの神髄。痺れました。雰囲気激変の静かな『アウトレイジ』ではありますが、基本エッセンスは健在でした。会長、花田のエグ過ぎる殺され方。大友&市川のマシンガン襲撃。カタルシスは十分です。シリーズ映画完結作として、ケツの拭き方も見事なもの。ただ、大友が「なんだよ、お前ら信じちゃったのかよ。コレだよコレ」なんて台詞を吐きながら、トマトケチャップを差し出してきたら、拍手喝采したい気分ではありますが(笑)。(以下余談)それにしても役者「北野武」は全くもって大根だと再確認しました。いや正しくは味わい深いので“いぶりがっこ”でしょうか。好きな演技は塩見さん。印象に残ったのは原田泰造さん。あの小物感、テンパリ感はいいなと。大御所・名優・クセモノ揃いの俳優陣の中で、チョイ役ながらちゃんと輝いていたと思います。
[映画館(邦画)] 7点(2017-10-13 23:59:12)
17.  愛を語れば変態ですか 《ネタバレ》 
『グミ・チョコレート・パイン』(2007)~『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(2009)あたりの黒川芽以の“ぽっちゃり”可愛さは神懸かり的でしたが、アラサーとなってかなりシュッとした印象。少し戸田恵梨香が入っていますかね。相席スタートのメガネが自称“丁度いいブス”だそうですが、いうなれば本作の黒川は“丁度いい美人”。ちょっと粉をかけてみたい人妻感を見事に醸し出していました。彼女の超理論が炸裂する終盤は、もはや理解不能な展開ですが、これを喩えるなら“みんな野球をしているつもりだったのに、彼女一人だけサッカーの話を始めたよ”ってなところかと。まあ、勝手にやってくださいとしか言いようがありませんが、あのバスの乗客は羨ましいです。
[DVD(邦画)] 5点(2017-03-30 19:19:53)
18.  アズミ・ハルコは行方不明 《ネタバレ》 
展開目まぐるしいノンストップアクションでもなければ、生死が懸かるサスペンススリラーでもない本作は、無気力な女、寂しい女にクズ男、刹那の快楽と暴力で画面が支配されており、決して「愉快」でも「楽しい」映画でもありません。しかし、視終えて頭の中で反芻するうちに、染々と心に響くものがありました。本作のテーマは「女の復讐」。確かに劇中登場する男どもは、みな見事にグズばかりでした。ボコボコにされるのも当然の報いでしょう(※ここで注釈。女子高生による男性襲撃事件の全てを、現実と捉える必要は無さそうです。襲撃の大部分は「復讐のメタファー」で宜しいかと。ジャッキー・チェンも真っ青のアクロバティックな格闘術は、劇中アニメと同じデフォルメと考えます)。しかも、春子が推奨する男への復讐法は、「幸せになって見返してやれ」という極めて前向きで健全なもの。大変結構な考え方ですが、グズ男たちに正論や常識が通じるはずもなく、現実にはノーダメージと思われます。また、オジサン的には「本当にそれでいいの?」と説教したくなる気持ちもあります。お前らの行動も軽率だぞと。一人親の苦労を知っているのかと。ただ、その一方、お父さん的には娘が幸せになってくれれば、もうそれでOKなワケで、ラストカット“春子の笑み”で全てのモヤモヤが帳消しになったのでした。行方不明は、いわば自我の喪失。『MISSING』アートが広く拡散されたのは、世の多くの女性たちが、同じ境遇にあるという証。悪い男たちに、身も心も傷つけられているのでしょう(もちろん男と女が入れ替わるケースも同じくらい在るはずですが)。でも囚われると苦しくなります。執着すると死にたくなります。だから“一度消えて無くなれ”は、生き抜く為の知恵として有効だと思います。どんなに冴えなくても、私の人生の主役は私。自分が笑顔でいられる選択なら、それがベストチョイスに違いありません。(新宿武蔵野館にて鑑賞)
[映画館(邦画)] 8点(2016-12-20 19:59:06)
19.  青鬼 ver.2.0 《ネタバレ》 
感覚的には2.0と言うより1.1。前作から何ら代わり映えしない安価な画作りと脚本です。とはいえ、ホラーシリーズとはすべからくそんなもの。『13日の金曜日』然り『リング』『呪怨』然り。マンネリが当たり前。そういう意味では、フォーマットの有用性がシリーズ化の生命線と考えます。状況設定はまずまず。ゲーム世界が舞台なら、如何様にもバリエーションを増やせます。例えばシューティングやシミュレーション風ホラーだってOKでしょう。問題はメインキャラ『青鬼』が魅力に欠けること。ここに前述の人気ホラーシリーズ作品との違いがあります。『13日の金曜日』はホッケーマスクが値千金。ホラー映画業界のビジュアルクイーンまたはグッドデザイン賞もの。貞子や伽椰子も、もはやネタ要員として愛されるほど、キャラが際立っているのが強みです。青鬼クンでは、残念ながら力不足かと。新キャラのフワッティも何だかなあという感じ。シリーズ化に耐えられるフォーマットではなかったというのが私の見解です。点数はタイトルそのままでお願いします。
[DVD(邦画)] 2点(2016-11-05 00:27:09)
20.  アカルイミライ 《ネタバレ》 
未来に“明るい”という修飾語が付く場合、その多くは子供に対して使われます。“未来は明るいものだ”と言い聞かせるために。しかしこの言葉にリアリティはありません。あまりに漠然とした遠い先の話だから。そんな曖昧な希望の中を子供たちは成長していきます。そしてある日、手が届くところまで来ていることに気付くのです。でも気付かないふりをします。なぜなら怖いから。明るいと言われ続けた未来の形が、見えないから。恐怖は人を動けなくします。主人公もそんな子供のひとりです。子供が生きるために見本とするのは親。一番身近な大人です。しかし主人公の背景に両親の姿は見えません。彼が頼りにしていた守は自殺。彼は恐怖と不安に押しつぶされそうになります。心の平静を保つための、無意味で無謀な行動。そんな彼を受けとめてくれた大人が、守の父でした。親から受けるはずの愛情がそこにはありました。自分を受け入れてくれる、すべてを許してくれるという安心感が、恐怖に立ち向かう力になります。彼はやっと気付きます。守のGOサイン、大人になるGOサインは、とっくに出ていたことに。“明るい”はずの未来は、すでに手の中にありました。彼は屋上に登ってみます。もしかしたら未来が見えるかもしれないから。でもやっぱり見えません。未来は彼方に広がるものではなく、彼自身そのものだからです。もう“未来が明るい”などという無責任なアナウンスは必要ありません。だからアンテナも必要ありません。この現実が未来であると受け入れること。それが大人になるということ。本作は主人公の成長物語でした。と同時にもっと普遍的なテーマも孕んでいました。それは“生死について”。守の凶行とその末路、それに“クラゲ騒動”は、この問題を私たちに問いかけます。クラゲ=人間。人を殺すほどの毒を持ち、本来の生活圏以外にも適応する生き物。まさに人間そのもの。その姿は魂を思わせます。大挙して”母なる”海へ向かう様はまるで精子。「いつか(クラゲたちは)帰ってくる」という主人公の言葉。生と死を繰り返し、脈々と未来へ続いていく“人間の在り方”を表現していると感じました。誰にでも訪れる“アカルイミライ”は“死”でもあります。エンディングで群れをなして歩く若者たち。あてもなく、でも皆同じ方向に歩く彼ら。さながら“おたまじゃくし”。そのバックに『アカルイミライ』。彼らがたどり着く先にあるものは何でしょうか。そしてそれをどう捉えるのでしょうか。全ては彼ら次第です。
[DVD(邦画)] 9点(2016-01-07 00:45:00)
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