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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2517
性別
ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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1.  ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 《ネタバレ》 
 アタシはゲーム好きではあるけれど贔屓がセガ~マイクロソフトというイバラの道を歩んでいるので京都のヒゲ親父はメガドライブ版『テトリス』発売中止事件以来の宿敵だと一方的に思っているわ。  とは言え任天堂ハードもファミコン以降全て(バーチャルボーイまで含めて)購入している程度にはハードオタクでもあるのでマリオもメインのシリーズは大体プレイしてるのね。『2』は1-1で100人マリオやったってクリア無理って状態だけど初代、『3』『ワールド』くらいはクリアしてるわ。『64』以降、途中で飽きちゃうのだけど。  ってコトで宿敵マリオの映画、わざわざ10日間限定のスーパーマリオシアターで見てきたわ(あくまでファンではないわよ、ワクワクでかけました、とかじゃないからね!)。   さっさと結論から言っちゃえばマリオでこその映画。  ハッキリ言ってアメリカ産CGアニメーション映画としてのデキは平凡。ここ数年の諸作品と比較してもクオリティはそんなに高くない方ね。毎回そんなに予算かけないイルミネーション作品としても『ミニオンズ・フィーバー』や『SING2』よりも野暮ったいデキよ。  物語やエピソード、映像に特に新鮮な、そして刺激的な要素は感じられない、保守的な作りってイメージで、それはゲームとしての『マリオ』の現在の保守的なカンジが反映されてるのかしら?って気もするわ。発売当時革新的だった初代、挑発的でマニアックに走った『2』に比べると『3』以降は広い世代にアピールして間口の広い可愛らしい(媚び媚びな)ゲームへとなっていったわ。そのニオイが映画からも感じられて、ヌルいわね、って印象。  ちょっと現代的な感覚があったのはピーチ姫が動きまくって活躍する点ね。ヘタするとマリオなんかより主役よ。助けなくっちゃならない昔のピーチ姫ポジションはルイージで、ピーチ姫は国を背負って立ち上がるわ。   『マリオカート』や『ドンキーコング』『ルイージマンション』なんかの要素を盛り込みつつ展開する世界はマリオや任天堂のゲームに触れてきていれば楽しいし(『パルテナの鏡』懐かしかったわね)、そうでなければ短尺ながらダルめ。もっともマリオ知らずにこの映画見に行く人なんていないでしょうから、これで正解なんでしょうけど。   ベタな既成曲を何曲も使ってしまったり、ブルックリンの配管工としての生身な人間としてのマリオ兄弟を長めに描いたり、ピーチ姫の出自を匂わせつつも全く何も解決させないあたりに疑問を抱きつつ、まあこんなモンでしょう、って納得しちゃったりするのはイルミネーションと任天堂の成せるワザってところかしらね。クッパの人間(?)性に特殊なアクセントがあったあたりでまあまあ、少しはアレだわね。  もう少し弾けてても良かったんじゃない?とは思うのだけど。
[映画館(吹替)] 5点(2023-04-29 15:44:02)(良:3票)
2.  THE FIRST SLAM DUNK 《ネタバレ》 
 『スラムダンク』ミリしらだったのだけど(『ジャンプ』卒業して49年経つし)とても楽しめた、面白かったわ。   何が良かったって、巧いのよ、原作の人が脚本書いて監督したこの映像作品が。映画の言語よりはマンガの言語、アニメの言語で描かれているのだけれど(多重モノローグたっぷりだし)、時系列を崩した上で再構築して、説明し過ぎずに行間を読ませ、要所要所に情景描写を挟み込んで。映画らしいかどうかなんてどうでもいいくらいには見事な映像作品になってると思うわ。ロン毛の番長風のカレが仲間になってゆく過程はさすがに行間空きすぎてて読み切れなかったけれど。   核になっているリョータのエピソード(原作は彼が主人公ではないのよね?多分あの赤い短髪のガラ悪い兄ちゃんが主人公よね?)が静かに情感豊かに描かれ、交互に進行してゆく試合シーンのダイナミックな映像との差で生まれるコントラストが上手いわ。実のところほぼリョータのお母さんの物語で、それは『スラムダンク』って大きな核からしたらかなりな脇道なのかもしれないけれど。でも多くを語らないあのお母さんの存在感がこの映画を深い、味わいのあるものにしていたわ。   原作ミリしらだったので試合の進行もワクワクと楽しめたし、相手校のあのずーっと表情に変化のないカレが最後に突然号泣するところなんかも上手いわぁ、ってカンジで、つまりこれって井上雄彦って人の才能よね。それだけの才能を持った人が、その才能を発揮した作品っていう。マンガ家さんって凄い才能の人が多いのだけれど(自らの個性と絵と物語で世界を創造するっていう)多くの人の共同作業となる映像製作にまで長けてゆくとなると、もうひれ伏すしかないわ。
[映画館(邦画)] 9点(2022-12-20 15:43:17)(良:2票)
3.  サバカン SABAKAN 《ネタバレ》 
  男の子2人、ブーメラン島まで当たり前のように泳いでいくのよね。えっ!?って。アタシ的にはめちゃくちゃ恐い映像。アタシ絶対すぐ溺れるわ。これだから都会モンはぁ、って感じ?  でも都会生まれから見ても地方の海辺の町を舞台にしたその世界にノスタルジーを喚起させられたわ。たっぷりと描かれる風景の美しさ、日本の良さが描かれた映画。   作家の男性が回想する少年の日のひと夏の冒険と別れを描いた映画、『スタンド・バイ・ミー』っぽいわ。冒険部分がメインのように期待しちゃうとちょっと違うのだけれど(冒険は映画の前半ね)、少年たちと世界との関わりが描かれてゆく流れが良いのよね。  2人の男の子はもちろん巧いのだけど、それ以上に彼らの生を彩る周囲の人たちが魅力的でいいの。パワフルで強い母ちゃんと母ちゃんに圧され気味だけど物分りのいい父ちゃん。多分あんまり演技してない、素が出てるカンジなのがとってもかわいい弟。莫迦っぽいけど恐い不良たちとかっこいい兄貴分。異様な雰囲気の駄菓子屋の夫婦。ちょっとセクシーな年上のおねえさん。執拗に追っかけてくるミカン畑のおやじ。大人の社会、若者の社会の中に触れて成長してゆく姿がユーモラスで楽しく見られたわ。   その分、友達の家庭に訪れる不幸が取って付けたような、いかにもこれこそ不幸な展開って状態で創作であっても嫌な感じがしちゃうのよね。お母さん一人で沢山の子供を育てていて、だけど事故でこの世を去って子供たちはそれぞれ親戚の元に引き取られてゆく、って邦画で昔から何度も何度も繰り返されてきた定番中の定番な悲劇ってカンジで。映画としてあのコたちにもっと愛を注いであげて欲しかったわ。エピローグ部分で一応救いが描かれてはいるのだけど。   同時期に『凪の島』という、やっぱり個性的な大人たちに囲まれた海辺の町に住む子供2人が冒険の旅に出ますって映画を見たのでのちのち印象ごっちゃになりそうな感が無きにしもあらずなのだけど、日本の風景、日本の人の暮らしを描いた映画をしみじみ味わうのって心が落ち着いていいわね。
[映画館(邦画)] 7点(2022-09-15 15:50:01)(良:1票)
4.  サマーフィルムにのって 《ネタバレ》 
 ひと夏の青春物語、いいわよね。映画製作に賭ける高校生たちの姿は楽しくって愛らしくて。夜の体育館のシーンなんかあまりに楽しそうに青春していてこちらは逆に泣けてきたわ。出演しているコたちみんな活き活きとスクリーンの中に生きていて。   だけどラストシーンは監督とアタシとの間に「映画」に対する視点の大きな違いがある感じがして。  映画は撮影した瞬間から過去のものになってゆくわよね。永遠に閉じ込められてゆく過去。となるとそれまで映画=過去に固執していた主人公も未来から来たカレに対しても否定とまではいかないけれど、それじゃダメって言ってる気がするの。今を生き、そして未来を生きろ、ってコトで最終的に映画を棄ててる、映画を棄てたところから始まるような感じ。実際アレは映画から完全に離れてとても演劇的な世界なワケだし。それまで映画によって紡がれてゆく生のカタチを描いていながら最後は演劇としてオチる、その思考はなんていうか、現場主義的みたいな?  メインのコたちはともかく、あの場に「映画」を見に来ていた生徒達はアレで納得した、良かったのかしら? 本来は過去のモノとして完結しているハズの映画が止められて突如「今」がリアルに動き出す、それに置いてきぼりな感覚を受けなかったのかしら? アタシはモロに受けたのね。現場を生きてる、映画を生のモノとして感じてる人間からすればその感覚も理解可能なのかもしれないけれど、映画は出来上がったものが全てです、っていうアタシの視点からするとこれって激しい自己完結の物語に感じられちゃうのよね。そこに至って受け手はともかく送り手の自分は満足です、っていう。   やり直しの効く若さ、それはいいのだけど、映画はそのための踏み台? ならばそれはもはや映画じゃない他の何か、って気がするのね。まあ現実の世の中にも特別編とかディレクターズカットとかあるけどね。  コレって映画についての映画のように思えながら、映画を作る人についての映画なのね。その違いは大きいわ。そこに大いに引っかかって色々と考え悩んでしまったのだけど、でもそれはそれとしていい映画だと思ったのでこの点数。
[映画館(邦画)] 7点(2021-09-07 22:03:14)
5.  さよならテレビ 《ネタバレ》 
 東海テレビ局内の人々の姿を追った、ドキュメンタリー・・・?   あの「セシウムさん騒動」を起こした局が、視聴率とスポンサーに縛られる中でジャーナリズムの在り方を問い、理想と現実の狭間で苦悶し・・・という世界かと思いきや、ああ、こいつらちっとも懲りてないわ、テレビ屋って本当にダメな連中のカタマリね、でもそんな中にも希望が持てる存在がいたりするのね、と思ってるそばから更にひっくり返されて、もう本当に絶望的な気分にしてくれる映画ね。  でもそれを当の東海テレビ自体が作っているのだから、それは露悪的で、そして偽悪的で。   わりと最初に提示される「カメラが介在した状態でのドキュメンタリーは本当に現実と言えるの?」ってところから、映画はドキュメンタリーとヤラセの間を漂いながらテレビ局の「リアルな虚像」を見せてゆくのね。そこにはテレビ屋の取材対象に対する思いなんてのはスッポリと欠落しちゃってるし、仕方なさに支配された状態を披露してゆくのはひたすら言い訳がましいわ。そしてテレビなんてそんなモンだと披露するところまでがセットになっていて。   映画は最後にこれがそこまで描かれた以上にヤラセでした、と告白してみせるのね。なによ結局は全てが虚飾なの?って思うのだけど、そんな虚飾だらけのテレビって世界の中にチラリチラリと垣間見える真実と本音、それをどう拾って受け止めて、そしてテレビジャーナリズムってものに何を問えるのか、問うべきなのかを考えることになる、そう、これはあえて悪役を買って出たようなモノ。自分達も出来てない、そして他も出来てない、それが浮き彫りになる現実。テレビジャーナリズムはそのままどんどん駄目になって終わるのか。   この映画の他に、ここのところハマってた『チャンネルはそのまま!』のドラマ版や、テレビ朝日の『報道ステーション』大量派遣切りのニュースなど、自分の中でネタが重なってるのだけれど、中でも最も大きなイガイガになっているのが映画にも描かれた「権力の監視」についてね。現在もうテレビジャーナリズムがその点においてほぼ機能していない状態で、既にテレビジャーナリズムは死を迎えているんじゃないか、っていう状態で。それでいいの? あんたたちはそんなクズとして生きていたいの? ってそれは結局市民の側が黙っていちゃダメなのよね。ダメな連中が自分達から良くなる事はないのでしょうから。
[映画館(邦画)] 8点(2020-01-19 11:18:34)
6.  さよならくちびる 《ネタバレ》 
 門脇麦と小松菜奈の百合映画なんて、それだけで満点じゃなくて?  なんていう汚れた心にパンチ食らわせながらじんわり癒してくれるような映画だったわ。   険悪なムードで解散へと至るインディーズデュオのハルレオと付き人シマ。ロードムービーのカタチを取りつつ、過去に戻ったり、ファンの姿、ローカルテレビのインタビュー、書きかけの詞なんかをコラージュして、出会いからそこに至るまでのハルレオの姿を浮かび上がらせてゆくのだけれど、この映画、幾つもの矛盾をぶつけてくるの。  全く違うようでよく似ているハルとレオ。儚げだけど強くて、だけどやっぱり弱い二人。頼りないけど頼れるシマ。それぞれがそれぞれを大好きなのに、だからって上手くはいかない、好きなのにどんどん壊れていっちゃう。キビシいようでいて優しい映画。切なくつらいのに、何故か幸せな気持ちになれる映画。   この映画、色々と物語るワリに物語になろうとしないのよね。ハルとレオが出会って間もない頃にハルの家でカレーを食べるシーンでの長回し、その1カットで色んな事が語られるのね。カレーを食べながら泣き出すレオ、頭をハルの肩にもたげ、そのレオの頭にそっと口付けるハル。そこにはふたりのいろんな背景が描かれているわ。でも、それを物語として結実させようとはしないの。3人の最後の晩餐もカレー、そして出発点に戻る、行きて帰りし展開が、だけどそれがきっちり物語として閉じているとは言えないのよね。  ※ここからラストについてのネタバレ※   その、閉じなかったラストシーンについては結構否定的な評価を見かけるのね。台無しって。でも、アタシ的にはアレ、つまり物語としての区切りを付けてないだけだと思うわけ。見た人それぞれに想像するでしょうけれど、アタシはあの後やっぱり解散すると思うのね。でも、少しだけ先送り、もう少しだけ3人の時間があってもいいかな?みたいなキモチ、って。まだ3人にはそうしてもいいだけの時間があるんだもの。何かをハッキリ決めなくちゃならないようなトシになるには、まだもう少し時間がある、そういうコトよね。それが青春、青春映画。
[映画館(邦画)] 9点(2019-06-03 22:17:28)(良:1票)
7.  SUNNY 強い気持ち・強い愛 《ネタバレ》 
 オリジナル版が大好きで、だからよりによってあのペラッペラに薄っぺらな大根監督の手によってリメイクされると聞いて、マジやめて・・・とか思ったんだけどね。でも、口惜しいけど大根監督で正解だったわ。   民主化運動で時代が大きく動いてゆく韓国を背景にした青春物語だったオリジナル版に対して、この日本版はバブル崩壊後の、元気なのは女子高生くらいのモンだった90年代半ば。長らく平和っちゃ平和で、ただただ流行に、時代に、流れ流されてゆく青春があって。  そのペラペラと軽薄な世界に大根監督の薄べったさがピッタリフィットだわさ。そんな軽薄さが日本のリアル、みんなが生きてきたこの国の1つの時代なんだから。   大根監督のインチキ臭さ、胡散臭さも、あの狂騒の時代にならアリ、だものね。『ラ・ラ・ランド』の出来損ない、なんて形容すらおこがましいくらいの冒頭の長回しにしても、ばあちゃんのわざとらし過ぎ吉本ネタにしても、ステレオタイプなエヴァ好きひきこもり兄にしても、なんとなく許容しちゃえるくらいの感じがしちゃうもんね。   背景に流れる数々の歌もまた、確かにしっかと聴いておりましたともさ!って状態で、いいも悪いもない、その時代を生きた血ってのが今この体ん中流れてるのは事実なんだから仕方ないっての。   日本版は基本的な物語は韓国版をきっちりなぞっていながら、国と時代が違うだけでまるで別物になった感じがあって。エンドロールの違いによって方向性そのものが違ってたりするしね。未来に向かって閉じてゆく韓国版と、過去に向って開いてゆく日本版、どちらが正しいとかも無いしねぇ。   このペラッペラさこそが日本の『サニー』だわ。   広瀬すずが可愛らしい田舎の高校生を演じて、だけどあのイタコはさすがに無理だろー、と思ってたら、イタコとは違うけど、かなり頑張ってたわ。この夏の美少女変顔コレクションとして浜辺美波、橋本環奈と共に脳裏に刻んでおくわね。
[映画館(邦画)] 8点(2018-09-06 22:02:52)
8.  坂道のアポロン 《ネタバレ》 
 三木孝浩監督の映画って好きなんですけど、これは最良とはいきませんでしたね。  やっぱり現代を舞台にしていないって点で得意ワザの1つを封じられた感がありますか。  映画に今の日本の風景、空気を織り込む事がこの監督の魅力だと思うのですが、1966年が舞台だと、かなり作り込まなくてはならなくて、でも、そのこれ見よがしになってしまった作り物感がキビしくて。『陽だまりの彼女』とか『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』みたいなファンタジーならば作り物感が武器になったりするものの、時代設定がポイントになる(筈の)作品ではマイナス要素。10年後のメイン3人の姿なんかはもはや困っちゃうレベル。   そもそも1966年って設定が、あまり作品に大きな意味を与えていない気がするんですよね。レコード盤とかジャズとか佐世保の米兵とか、その時代であったからこその優位性や必然性、それが見えてきません。ディーン・フジオカと真野恵里菜の二人なんか取って付けたような時代の象徴みたいな存在で。『オトナ帝国』のケンちゃんチャコちゃんの亜流かい、みたいな。   でも、恋する気持ちとか、傷つきながら育ってゆく友情とか、内に秘めた悩みとかいった、普遍的な青春映画の要素を真っ直ぐにぶつけてくる感じが良かったです。三木孝浩監督らしい、これぞ青春映画!みたいな。  主演3人の中では特に中川大志が大変に魅力的な存在感を示していました。小松菜奈は当たり前に魅力的なんですけどね。   そして当然のように音楽が素晴らしかったですね。セッションが友情を育んでゆく、なんてベタだけど気持ちイイじゃないですか。
[映画館(邦画)] 7点(2018-03-12 19:57:38)
9.  斉木楠雄のΨ難 《ネタバレ》 
 私がこれまでに見た福田雄一監督作品の中では最もつまらない映画でした。   「何も無い映画」なんですよね。話としては何も起こらない。キャラクターが成長したり学習したりは一切しませんし、物語の始まりと終わりとで何かが変わる事はありませんし、何も生まれず何も失われません。  そして、そんな映画ならばそんな映画なりのあり様がある筈、そういう映画としての美学があっていい筈ですが、そんな事には一切頓着していなくて、単なるネタ集であり、そして殆どのネタがハズしてるという状態。原作マンガに準じているのでしょうが、マンガをそのまま映像にすればそれで面白いのか?という基本的な部分で間違っているのではないかと。   全てのキャラに一切のリアリティなどなく、この世界の中だけで閉じているキャラで、ならばこの世界なりのルール、面白さを示すべきだと思うのですが、そこを創造する気はさらさら無いようですし、単なる面白キャラなりの面白さすらも示せておらず、演じてる役者さん達はそこに存在し、その世界の登場人物となり、ギャグを演じてはいるけれど、みんな目が死んでる、って状態。  福田監督の悪いクセである投げっぱなしで回収しない、オチを付けないエピソードが大量に散らかっていて、でも、そんな事もどうでもいいくらいにそもそもの芯となる基本的な物語がつまらないという。   今年の橋本環奈出演作3本の中で、最も彼女を魅力的に撮れていない映画でもありました。3本中これとあともう1本も福田監督なんですけど、そっちに比べても全然。別にヘン顔してるからとか、そういう意味でなくて(アッチでもヘン顔してるけど、アッチはそれでも魅力的でしたし)。   お金を払って見るレベルではなくて、この映画にかける時間すらも勿体なくて、「何も無い芸」ってのは、だけどそういうモンじゃないんだって学んで頂きたいところです。喜んでお金と時間を提供できる「何も無さ」ってのがあるとして、少なくともコレは全く違います。
[映画館(邦画)] 3点(2017-11-05 19:03:01)
10.  三度目の殺人 《ネタバレ》 
 色々とひっかかってしまう部分の多い映画で。   まず、司法に対する疑問、個人の主観や感情によって人を裁く事に対する疑問を投げかけている訳ですが、じゃあ極端に言うと法の裁きなんて要らない、無法地帯にでもしろと? いや、そういう事が言いたい映画じゃないのは判ってますけど、ここにはだからどうしろって提示は全く無い訳ですよ。「無責任なお前ら」って映画も無責任に喚いてる状態。しかも被害者側の「生」をあえて排除する事でそれはどんどんと偏向してゆきます。これって人間そのものに対する絶望の映画なの?   次に、役者の力を信じ過ぎ。カメラは演技をじっくり捉えて醸されてくるものを待ち続けますが、クライマックスではそこまでどアップにしなくちゃならないの?みたいな状態にまでになって、いや、他にも方法はあるでしょうよ、と。結果的には役所広司と福山雅治のどアップばかりが印象に残る映画。  あと、市川実日子嬢を昔から見てきてる目からしたら、『シン・ゴジラ』の尾頭さんをそのまま持ってきただけみたいな安易なキャラ造形にも抵抗を感じます。アレが彼女の総てではないでしょうに。   画的には逆光&銀残し的なトーンで市川崑ですかいな、みたいな。   この監督、どうなんだろ? 本当に上手いのかなぁ? 毎回、もっと上手く撮れる人がいるような気がしてならないんですよね。じゃあ誰?っていうとシーンごと、素材ごとに違ってくるんですけど。
[映画館(邦画)] 5点(2017-10-16 22:43:54)
11.  3月のライオン 後編 《ネタバレ》 
 前作と並べて考えると大変にバランスの悪い映画だなぁ、と。単純に前作で川本三姉妹描かなさ過ぎ、今回は描き過ぎ。   今回、川本三姉妹の2つの大きな問題(いじめと、突如帰ってくる父親)が話の軸になっていて、将棋のプロの方々、前作に比べて存在が薄くなっています。桐山の成長を促す存在としての川本三姉妹のドラマなのですが、前作のただ将棋に賭ける桐山の姿から考えると、雑音に思えてしまう感もあって。そういう将棋から離れた日常の部分も含めたところに、棋士としての成長があるのですよ、ってな話なんでしょうけれど、だったらもっとバランス良く川本三姉妹と将棋のエピソードを配しましょうよ。  成長っていう意味からすると、香子も結局はずっと変化はせずに最後に至って唐突に悟る、みたいな感じ。全体的に変化はしても流れは無い、みたいな印象。事件を配する事で状況と心境の変化を与えるけれど、それが成長です、っていうのは安直に思えます。   ラストは引っ張るけれどもそこで終わりかい、って状態で、でもそもそも原作が未完な訳だし、だからせいぜい「俺たちの戦いはこれからだ」を華々しい画で盛り上げてみました、みたいな。   結局、マンガの映画化だから、マンガの構成がこうなっているから、マンガが未完だから、ってところに逃げ道を求めているような気がするんですよね。でも、だったらもっとマンガのタッチを大切にできませんかねぇ。原作の独特なタッチは一切失われて、ただ設定や物語が切り取られている状態に、マンガの実写映画化としての価値が果たしてあるのやら。そうでなく、一本の映画として勝負するのならば、原作を理由に逃げちゃダメですよね。   「幸せな映画化」とは思えない作品でした。
[映画館(邦画)] 5点(2017-05-03 22:08:02)
12.  サクラダリセット 前篇 《ネタバレ》 
 色々なタイプの超能力者が登場するのですが、それらの能力と、制限された部分とが全て「物語を構成するための能力と制限」でしかなくて、物語の都合によって設定されています、というのが丸出しなので冷めます。つまりそれは原作時点でダメって事なのでしょうけれども。  そんな作品のための都合によって生かされているキャラクターに血の通った魅力がある筈も無くて、その能力を持っている事、その能力が示す個性がキャラクター造形に直結しているようには思えず、駒を動かしているような展開に見ていてぐんなり。   最初に謎(というより隠してある部分)がいっぱいあって、設定世界の説明にやたら時間を費やして、疑問だらけの設定を投げつけつつ「さあ、ついて来い」と観客にかなりの努力を強いる作り。一応、冒頭に事件を起こす事で掴みを配置しているものの、その掴みのエピソードが主役2人とリセットの事しか語っていないので、実際の強引な飛躍のグチャグチャなパズルで構成された中身を語るにはあまりに薄いのですよね。最初から能力に縛られた描写のみですから、本来のパーソナリティも全く見えてきませんし、それは結局全編に及びます。   で、セリフによる大量の説明がある一方で、思わせぶりな、間延びした映像が続くので、映画への興味を持続させるのが大変。施設内の移動描写にたっぷり時間を取りますが、それが後の展開の大きなキーになっているのかというと、別にそんな事は無くて。全くとは言いませんけれど、だったらもう少し位置関係を印象づけて後の侵入シーンでのサスペンス描写に利用できたんじゃないかと思いますが。   写真の理屈がどうにもアレなので、どんどんと疑問が重なっていった上でのクライマックスに、いや、すいません、納得できませんが、って状態になって、その上で次回作に繋がる衝撃の真実に、だからなんだというのだろう?と思ってしまって。次回作見てえ!とか全く思えませんでした。見ちゃった以上、義務的に後編も見る事になるんでしょうけれど、ネットであらすじ調べて読めば十分かな、くらいな気持ち。   次回作が実は3時間、とかいうモノでもない限り、前後編に分ける必然性はまるでなくて、一本で描けたよね?って感じで、密度の薄い時間を過ごすハメになったのでした。  ここ最近の前後編商法邦画を見てると、そろそろリスクの方が大きくなってきてる気がして仕方ないのですが、どうでしょ?
[映画館(邦画)] 3点(2017-03-28 20:49:48)
13.  3月のライオン 前編 《ネタバレ》 
 棋士の静かな戦いが良かったです。始めから将棋のルール説明など諦めているのですが(だから戦局が動く部分もセリフや演技や解説で判らせないとなりません)、大きなアクションが無い分、表情や仕草でその戦いっぷりを表現する、それはやはりベテラン俳優陣の演技力の賜物で。   ただ、やっぱり前後編モノの前編、色々と勿体付けて描いたモノがまるでキチンと収まってゆかないもどかしさ。前半特に著しく意味あり気に勿体付けて描くので、その歯切れの悪さにイライラ。そのワリにエピソード自体は飛び飛びであっちゅー間に時間が飛ぶのですが(冒頭に梅雨前だと語っていたと思ったら、ちょっとの間にお盆の送り火焚いてたり、冬着になったり)、刈り込み過ぎてほったらかしになっちゃった部分が散見されました。  更に、今回の映画の中では川本三姉妹に殆ど存在意義が無かったりして、むしろもっと見たかったのはソコだったのになぁ、と。っていうか、美咲と三姉妹との関係(繋がりと仕事と)も映画だけじゃハッキリ判らないわ。  あと、マンガ原作の映画に顕著に見られる傾向、複数の人間のモノローグが入る、これ、よろしくないなぁ、と。ずっと零のモノローグだけで来てたので、ちゃんとしてると思ってたら、後半になって他キャラもいきなりペラペラとお喋りになっちゃって。ああ、マンガなんだなぁ、って。  ついでに音楽もお喋り。説明的音楽ワールド。   凄い事になっちゃってる染谷将太とか、性悪な有村架純とか、ガラの悪い伊藤英明とか、ジミな豊川悦司とか、薄い役な感じの佐々木蔵之介とかの面白味がありましたが、それは映画が進むと共に変化していって、そして後編に続く、って事で。   とにかくエピソードを追うのに精いっぱいで、そのクセ、タメる描写があり過ぎな感じが映画を間延びさせていて、1本の映画としてはまとまりを欠いた感の強い映画。続編に繋がる盛り上がりという点でも不満が残って「早く続編が見たい!」と思わせるような映画ではありませんでした。   ちなみに原作は数年前にその時に出ていた8巻まで大人買いしたのですが、1巻途中まで読んで積読状態で映画に臨む事になっちゃいました。今から読もうかなぁ、後編見てからかなぁ。
[映画館(邦画)] 6点(2017-03-19 21:23:45)
14.  サバイバルファミリー(2017) 《ネタバレ》 
 東京大停電とか東日本大震災の時の物不足とかを経験しているので、この映画に描かれた事がリアリティを持って伝わってきて、これ、私にとってはコメディなんかじゃなくって、パニックホラーの世界でした。映画を見ながら実際にこのような状況に陥ったらどうなっちゃうんだろう?とあれこれ考えて恐怖に震え上がってしまう状態。   映画にはツッコミどころがいっぱいです。乾電池、充電池まで全て無効化してしまうとかいう本来あり得ない事はそういう状況を作るためのファンタジーとして、事態を認識するまでが遅い、自動車がダメなのに飛行機は飛ぶと信じてしまう根拠が判らない、それなりの日数が経過しているのに主人公一家が到達したタイミングで閉鎖になる羽田空港、全く機能していないように見える警察や自衛隊や地方自治(マンション一棟での自治しか機能していないっていうのは幾ら連絡方法が無いとはいえ狭すぎやしませんかねぇ?)、その一方で妙に連帯している田舎(そうやって都会と差別化してイメージ作ってる訳ですが)、これ見よがしに要所要所で登場するゲスト出演者でシラケる(フジテレビらしいと言えますが)等々。   でも、やがてその旅から根源的な「食べるため、生きるために行動する」姿が浮かび上がってきて、それはやっぱり感動的なのでした。後半の農家でのご飯は『この世界の片隅に』以上に泣ける食事シーンでした。   教訓染みた自然回帰志向とか、依存型の文明に対する批判とか、そういう部分を強調し過ぎていて白ける感もありましたし(都市型の一般大衆を意識の低い存在と見てるフシがありますな)、エピローグ部分のダメ押しみたいな展開にゲンナリしたりもしましたが(目覚ましのところあたりで終わらせちゃった方が良かったんじゃ?)、この世界の中で「人間」という生物が「食べる」事の重要さ、大切さを描いた点を高く評価したいと思います。
[映画館(邦画)] 8点(2017-02-14 22:32:40)
15.  百日紅 ~Miss HOKUSAI~ 《ネタバレ》 
 「アニメで江戸の空気をどこまで感じ取れるのか」というのがこの作品の要だったのではないかと思います。いかに観客の感覚を刺激し、そこに江戸を感じさせられるか。五感のうち、映画ですから視覚と聴覚にはダイレクトに訴えかける事ができますが、触覚や嗅覚、味覚をも映像と音で刺激できないか、みたいな、そんな挑戦的な表現。今や誰も直接知る事のできない江戸の空気、その再現。   お栄の目の見えない妹は、そのための重要な存在。彼女が「見えない事によって観客が見る」数々の事柄は五感を刺激するような作りになっています。おこしの味、トンボの羽音、橋を行き交う人々の足音、川の水の感触、雪の冷たさ。彼女が得た感覚がいかに観客の記憶を引き出し、そこに江戸という感覚世界を構築できるか、という。   物語はエピソードがお団子状態で繋がっていて、ハッキリと区切られている訳ではありませんがオムニバス状態。ゆえに映画としてのまとまりには欠けますが、数々の人と風景に彩られた、北斎とお栄が過ごした江戸の時間はとても魅力的に映りました。もっとずっとそこで過ごしていたいような、そんな世界。   日頃、アニメーションの可能性について考えるのですが、日本のアニメには、お約束や記号的表現、自ら制限を課したような表現の縛りが世界を狭くしてしまっている作品が多々見られます。  最初から限られた表現の中で何ができるのかではなく、目的の世界をいかに表現するか、その表現法を柔軟に模索している作品、そういう作品が評価されてゆく状況になれば良いのですが。この作品は、そんな摸索が感じられる一編でした。   日本橋のシネコンという、作品にぴったりと合った恵まれたロケーションで見たので、ついでにお江戸散策と洒落込みましょうと、映画が終わった後に日本橋を眺めて、それから銀座線に乗って浅草に出て、雷門から仲見世を通って浅草寺にお参りし、吾妻橋を渡って隅田川を眺めて。映画の中に漂っていた匂いを感じ取る事は難しかったのですが、江戸という街はこの世界から消えたのではなく、形を変えながら今に続いている、その時間の流れをしっかと感じ取る事ができた、有意義なひとときでした。
[映画館(邦画)] 9点(2015-05-13 23:05:21)
16.  THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦 《ネタバレ》 
 前のアニメシリーズとかマンガとか映画とか、昔のヤツは大体見てるハズですが、何しろ昔なもので。最近の実写のヤツはスターチャンネルでやってるのをチラチラと見た程度。これは、その続きなのでしょうけれど、むしろ映画の『2』の実写リメイクみたいな感じ。   良くも悪くも、まごう事なき押井守作品で(バセットハウンドもちゃんと出てきますし)、あのごちゃごちゃ長々とゴタクを並べるあたりは健在です。だけどまあ、実写でやるとダサいつーか、たちまちハリボテ感が出るというか。  今にして思えばアニメ版『2』は、製作された1993年より後に起こった地下鉄サリン事件や9.11、一連のテロを予期し警鐘を鳴らすような鋭い作品であったと思いますが、今作はいまだにそれと同じところをグルグルしている感じで、ある意味、悪い形で時代にシンクロしたのかな?って。口だけ、頭だけで実際の行動には反映されないネット民と同水準まで降りてきましたよ、みたいな。  筧さんと高島さんに色々と負わせ過ぎている気がします。生身の人間にあの押井節を長々と演じさせるのは見てる方がシンドいです。無機的アニメキャラに無機的に語らせるのならいいのですが。   で、そういうゴタクを並べてるシーン以外(いや、ゴタクを並べてるシーンが半分超くらいあるのですが)は面白かったです。実物大イングラムがラウレンティス版『キングコング』を思い出したりしたのはご愛嬌、ハンパなバジェットゆえに、CG丸出しなのも、舞台が限定されるために映画全体の動きが鈍くリズムが悪い感じなのも仕方ないとして(いや、モンクばっかりですが)、特車二課が頑張ってます、って画はやっぱりアガります。   ただ、やっぱり一見さんお断りなんですよね。『パトレイバー』知らない人がこれいきなり見て楽しめるか?って言ったら無理。私だって色々登場するキーワードを、必死に「なんだっけ~なんだっけ~」って思い出しながら見てましたし。ゴタク並べシーン長いんで楽しいロボットアクション映画を期待しちゃうと肩透かしもいいところですし(せっかくのイングラムが動くクライマックスだって、1つのアクションを引っ張り過ぎ)。   押井ブランドの知名度と興行予測、そこから得られるバジェットを考えると、ここら辺が限界なんだろうねぇ、って感じですね。
[映画館(邦画)] 5点(2015-05-04 21:24:32)
17.  サカサマのパテマ 《ネタバレ》 
 思いきりの『アップサイド・ダウン』とのネタカブリで(いや、ここまで発想が似ちゃうっていうのはなかなか無いっすよ?)、でも私としてはアチラの方がずっと面白かった、って感じで。   最先端なVFXを使った圧倒的ビジュアルで魅せるアチラに対してこちらは手描きアニメゆえに視覚的にはどうしても制限がある訳ですが、この作品はこの作品なりの魅力がもっと出せたと思うんですよ。  手を放すと落ちていってしまうっていう恐怖感、この映画はそこばっかり。二人が繋がってる状態(暗喩的にはモロなんですが)、その気持ち良さっていうか、繋がっているがゆえのステキな時間の共有、それが全くちっとも表現できてないの。そここそが大切なんじゃないの?  その二人の大切な時間の描写はあまりに淡白で、話の大半は二人で逃げた、彼女が連れ去られた、囚われた、彼女を助けに行かなくちゃ、っていうありふれたソレ。あとはこのテの作品にありがちな世界の設定のクドクドとした説明と。   で、後半になると「上下のイマジナリーライン」がメタクタになってしまって、もうどっちがどっちで結局その世界の土台はどういう状態なのよ?とワケ判らなくなってしまって。  一応、イマジナリーライン越えのために世界をぐるりと180度回転させる描写が出てくるわけですが、それが更にややこしい状態を生み出しているばかりで。  設定上、当然2つの重力世界をハッキリ描き分ける事が必要なのですが、それがもう全く無自覚なレベルで欠落しちゃってて、大変に残念な事になっちゃってると思いました。   『ラピュタ』からの引用もワリと露骨で、意欲だけはあるのだけれども未熟で安直で空回りし続ける作品としての印象が残りました。  っていうかこの映画はキャラクターが設定や物語に縛られまくっている感じですが、アニメって、もっと気持ちのイイものなんじゃないかなぁ・・・
[映画館(邦画)] 4点(2014-05-08 19:45:52)(良:1票)
18.  さや侍 《ネタバレ》 
今日、渋谷に見に行ったら、たまたま主演のおっちゃんの挨拶&お見送りなんてのをやっておりまして、映画が終わった後、握手して一緒に写真撮って貰いました。だけど、このおっちゃん、何者やの? さて、映画のナカミですが、万人に判って貰う映画を作ろうとする意識と、松ちゃんの笑いのオリジナリティとは何ぞや?って追及とが具体的なカタチになって表れて、そしてその葛藤のままに作品になったような感じがしました。これまでの作品よりも、マトモな映画に見えて、それは逆にちょっと居心地の悪い感じ。意識が映画から離れてゆかない分だけ、これまでよりも格段に見易くなっているんですよね。ある意味、快適。だけど、これまでの松ちゃんの映画から考えたら、その快適さってのは、なんだか気味が悪いぞ、って感じで。30日の期限の間に繰り広げられるネタの数々はコント集風で、それが映画的な物語の流れになっていて、徐々に盛り上がって行って、ってここら辺で妙に媚びている感じに思えて、だからラストのあの選択で黙らせちゃう、あそこでそれまでのノリをガクッと落としてしまう、そこに松ちゃんの、ちょっと意地の悪い意図が隠されているような気がしなくもなく。そういう、通俗的な表現を一貫させながら、最後に冷や水を浴びせる作りは多分、計算されたものなんでしょう。だけど、じゃあ、それが望まれたカタチなのかなぁ?と。映画だの映画じゃないだのって煩い連中の言葉なんぞ聞く事なんてなくて、ただ裸の松本人志ってのを突き進んでいいんじゃね?みたいに思うんですよ。イソップの『ろばをかついだ親子』である必要はないでしょ。今回は「映画」を意識し過ぎた感じかな。
[映画館(邦画)] 6点(2011-06-17 20:37:17)(良:1票)
19.  THE LAST MESSAGE 海猿 《ネタバレ》 
サイテーな3D。立体の効果がちっともなくて、ただ見辛いだけ。振り回しまくりなカメラ、低コントラスト、暗い画面って3Dに不向きなんですが、ほぼ全編ソレですからねぇ。六本木ヒルズのスクリーン7にフルサイズで上映できないというマヌケな状態。最初から3Dで撮るつもりだったのならば仕事があまりに雑だし、後で3D化を目論んだのならば金儲けに走ったとしか言い様がなく。3D映画は入場料二割増しになりますからね。さて、これまで『海猿』なるものを全く見た事がないのですが、そんな人間はある程度無視して突き進みます。人間関係の説明なんかは無し。意味不明ハイテンション肉体誇示プロローグの後、唐突に物語は事故現場へ向かう状態から始まるので『海猿』って世界に入り込む糸口もなく、海洋パニック映画としての世界のみを楽しみましょう、って状態。で、パニックものとしてはワリと早い時点で「その程度か」って事になってしまうのがツラいんですよね。プラントに取り残された5人の人間の脱出の物語です、って相当限定されたモンだなぁ、と。パニック映像は頑張っておりますが、日本映画独特のクドいスローモーションと大変な状況でモタモタとクサいドラマ語り出すあたりに辟易。それでも回想映像入れて感動の押し付けしないだけマシか、と思ってたらクライマックスでこってり回想。最大の障害だったハズの台風はいつの間にか消えちゃうし。登場する人々のハイテンションっぷりも、この世界に慣れてないからか、奇異に映るばかり。更にはクドく何度も大写しになる「海上保安庁」の文字。なんだか、いろんなものを誇示したい広告みたいな映画でした。なんていうか、もう、さすがフジテレビ、としか・・・
[映画館(邦画)] 4点(2010-10-05 21:28:41)(良:2票)
20.  サマーウォーズ 《ネタバレ》 
信州の武田勢の旧家って言ったらウチの母方のご先祖の天敵ですなぁ。それはともかく。楽しめはしたのですが、なんだこのマンネリ感、ってところで。細田監督の引き出しはこんなにも少ないの? 毎度のリング状電脳空間、夏、入道雲、画面に平行な構図。やってることずーっと同じ。いい加減飽きますって。『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』と本家『ウォー・ゲーム』(83年のジョン・バダム監督のヤツね)をベースに、あと『どれみ』やら『時かけ』やらでお馴染みな細田エッセンスを振りかけたら出来上がり、みたいな。もっと新鮮な驚きを見せてよ、お願いしますよ。キャラが意外なまでに面白味に欠けるのもどうなんだろうなぁ、と。主役かと思われたヒロインなんて延々と役立たずだし、おばあちゃんが頑張るのかと思えばあれだし。大家族という一集合体が1つのキャラとして成立してる、って点では面白いのですが、個々ではそんなにはねぇ。家族ってシステムと仮想システムとの対比から「こころ」に触れてゆこうとするテーマはいいと思います。だけど、この作品には広くアピールするだけの一般性も普遍性も足りてない感じがしました(もっとハッキリ言うとオタクくせー)。大体、OZのシステム自体が疑問だらけなのですが、抵抗なくみんながみんなあのシステムを受け入れているという設定があり得なさ過ぎて、テーマを語るためのハッタリだとしてもアナログな人々の頑固さを実感しまくりながら生きてきた身としては説得力がまるで感じられません。あと、『時かけ』に続き「泣く」シーンを特異点として入れてるのは宮崎アニメを意識し過ぎかな。元々「泣く」シーンは宮崎アニメのポイントなのですし。宮崎アニメの呪縛から逃れられない限り、宮崎駿は越えられないですわな。次はもっと全然違った色を期待します。
[映画館(邦画)] 6点(2009-08-02 16:30:04)(良:2票)
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