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1.  モーターサイクル・ダイアリーズ
1952年、ほとんど半世紀前という時代の空気は感じられなかったが、演出のせいなのか、そういう風土なのか。旅行者・ゆきずりの「見る人」だったものから、次第に「関わっていく人」に変わっていくのがポイントだろう。それもすぐに「怒り」にはならず、社会の不平等への戸惑いが順々に蓄積して高まっていくところを描いているわけだ。銅山のあたりから、船の後ろに繋がれた舟。そして閉ざされたハンセン病の島へ泳いで渡れることを身を持って証明する「行動する人」になっていく。偉大な革命家の誕生物語という型にはまった伝記ではなく、「見る青年」が「行動する青年」に変貌していく記録として描かれている。繰り返されるダンス。南米万歳と唱えた彼が、なぜキューバへ向かうのかは、それはまた別の話と言うことで。
[DVD(字幕)] 7点(2014-02-15 09:45:25)
2.  イノセント・ボイス 12歳の戦場
エルサルバドルの内戦なんて、ほんと海の遠くの戦争で、実感として身近に想像するのが難しいんだけど、学校にどやどや踏み込んできて「徴兵」していく場の生々しさは怖かった。想像上の象徴のシーンと思いたいが、そうではなく国家の本質が記録されたシーンだと納得される、映画全体の手触りとして。徴兵逃れしようと屋根に横たわる子どもたち、青年にふさわしい「徴兵」という言葉と子どもたちのギャップが、つまり屋根で遊ぶにふさわしい子どもたちが屋根に逃げて隠れるそのギャップがこの映画のカナメ。口紅のつけっこをして遊んで銃弾の嵐をしのぐ。偽の戦死者で銭をつかもうとするおじさんもいる。そういう日常なんだということを言いたいのは分かるが、不意のドンパチで驚かすシーンが多すぎる気もした。ガールフレンドがかわいい。
[DVD(字幕)] 6点(2013-10-02 09:01:25)
3.  ナサリン
裏切られる善意、報われない慈悲。予定調和を引っくり返していく。被害者が加害者に変わっていく。それをキリストが大口開けて笑って見ている。弱者を救うことが、虐げることになってしまう。タダ働きさえ、低賃金労働者への嫌がらせになってしまう。厳しいですな(この前の日本の震災でも、援助物資がだぶついて商店の復興を妨げてしまった)。その厳しさも苦渋として描くのではなく、ほとんどギャグとして描く。そして巡礼ということ。何かに憧れて、しかしそれにたどり着けるかどうか分からず歩み続けることなのか。後半の補導されていく人々は巡礼のようでもあり、ブニュエル映画でしばしば見た光景のようでもある。引きずること。ペストの町で少女がシーツを引きずって歩いていく。牢屋でナサリンが引きずり回される。思えば『アンダルシアの犬』でもロバの死骸を乗せたピアノを坊さんが引きずってたなど、彼の作品でよく見かけるモチーフ。ラストに鳴り響くのがカランダの太鼓。異様に晴れた道でパイナップルの施しを受けるナサリンに、神はありやなしや。
[映画館(字幕)] 8点(2013-08-30 10:04:51)
4.  忘れられた人々 《ネタバレ》 
メキシコスラムのルポのように始まり、盲人から金を奪い、いざりの車を坂道から滑り落とし、ほんとどうしようもない不良連中。なんかカタワに対する微妙な不快感を目覚めさせるようなところがあって、見てて実にいやーな感じになる。不良のリーダーハイボによるフリアン殺し、真っ当に働いているところを呼び出して、後ろから殴って殺しちゃう。罪を半分着せられるペドロ、さあここらへんから残酷な歯車が回り出す。ペドロの孤独が浮き上がってくる。スローモーションの夢が素晴らしい。舞い散る鶏の羽根。肉の塊は食料だけでなく母の愛でもあろう。ペドロは母に喜んでもらいたく働き出すが、母は「どうせ」と思っている。そしてここぞと言うときにやってくるハイボ。母の手で感化院に送られてしまうペドロ。院長に信頼され、この映画で始めて明るく町を歩くペドロ、しかしまたハイボが来る。ここらへんの、救いを用意したようでいて、それを次々に取り上げていく残酷ったらない。イタリアのネオ・リアリズモのようでいて、あの「最後には心の芯が温まる視線」がない。ただ救いのない現実を記録していく。ペドロが見ただろう現実のやりきれなさを再現することに集中する。もちろんそこにはペドロだけでなく、あのどうしようもないと思われたハイボも含まれるだろう。彼の最期の、路上でゆっくり首を振る動作が忘れられない。それでも忘れられていく彼らたち。映画とはこういう仕事をしなければいけない、としみじみ思わされた作品。
[映画館(字幕)] 9点(2013-08-25 09:26:21)
5.  エレンディラ
ヒロインは海に憧れ続け、ラストでやっと海のそばにテントを立てるが、また砂漠のほうに逃げていく。この青空が印象的で、海の青より空の青を選んだ、という感じ(青と言えば、初めて体売られたときカーテンを青い魚が過ぎていく。「百年の孤独」に、ずっと雨が降り続いて湿度が上がった室内を、魚が泳ぎ過ぎていくってイメージがあって、好きだった)。マルケスの小説って凄く映像的だと思ってたんだけど、やはりあれ文学なんだな。この映画で一番美しいイメージは祖母の夢語りなんだ。エイが空を飛んでいくような。その瑞々しさに比べると、ガラスの変色など、実際の映像で示されるとかえってイメージがしぼんでしまう。そこだけが特異点として浮き上がってしまう、日常の中の非日常として。全体が溶け合ったものになってくれない。さらに言えば、あの仕掛けはどうなってんのか、などとあらぬことを考えてしまう。これ映像の不利な点ですね。修道院から帰ってくるところがミソか。幸福と懐かしさで、彼女は懐かしさのほうを選んだってこと。
[映画館(字幕)] 7点(2013-01-30 09:57:34)
6.  PNDC-エル・パトレイロ
理想に燃えた警官が社会に出て汚れていく。ついに矛盾に耐え切れず職を辞し、妻にこきつかわれ、愛人には「養ってくれるわね」と釘を刺され、ああ、これが人生か(ちょっと「砂の女」を思い出した。男を待ち構えている女という落とし穴)。愛の理想も現実に汚染されていく。仕事の嫌な感じを丹念に積み重ねていくあたりに、手ごたえ。怪我をしたとこに父の幻影が現われるのなんか、中南米の匂い。そしてドン・キホーテのように最後の一花を咲かせようとするわけだ。やはり中南米って、どこかスペインの影を引きずっている。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-27 09:56:07)
7.  赤い薔薇ソースの伝説 《ネタバレ》 
家庭料理は怖い、いう話。家に縛られた女の情念が凝り固まって料理となっていく。食べることのおぞましさの映画としては『最後の晩餐』などがあるが、これは調理のおぞましさ。大量の涙(塩)を流しつつ生まれた娘、ティタ。彼女の涙が一滴料理に入ると、食べたものがみな泣き出してしまうんだな。娘は、家の料理人であり子守であり家事一般を生涯にわたって受け持つよう母親によって運命づけられているの、それと交換されるのが彼女の料理なんだ。彼女が唯一キッチンにいながら社会に作用できるもの。ソースで興奮させて上の姉は革命党へ走っていく。そういった現実と伝説が混交しているような設定自体は、いかにも中南米的で面白い。憧れる男がそれほどのものに見えないとか、画調が暗すぎるとか、音楽がうるさいとか、後半ヒロインが狂って焦点が揺らぐとか、不満はあるけど。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-01 09:42:40)
8.  エル・トポ 《ネタバレ》 
前半はほとんど武者修行の道場破りといったオモムキ。ここらへん60年代が匂い立つ。精神性への憧れがあって、それがファッション的というか皮相的な感じが実にもって60年代末。物質主義に対する反発、というより、物質主義に対する反発を表現したかった時代・反発するとカッコよかった時代。このあと地下のフリークスと組むわけ、というか神になるのかな。ま、この話全体がある種の創世記神話で、ここから歴史を始めたい、なんて意志が感じられる。小人女と組んで大道芸。ここらへんはちょっと哀切。成人した息子が殺しに現われる(だと思うんだけど違うのかな)。解放のための穴をあけ、しかし彼らは街の人々に殺され、男は復讐して焼身自殺を遂げる、ここらへんの展開にはノセられました。いかにも頽廃を演じようとしてるんだけど、なにせ画面が乾いてるもんだから陰湿感がない。でもだからかえっていいのかな。
[映画館(字幕)] 6点(2010-06-10 11:59:27)(良:1票)
9.  嵐が丘(1953) 《ネタバレ》 
この映画、個々の文章は文法間違っていないのだが、全体を読み通すと異様な文体、って感じ。エキセントリックな登場人物たちが、なんのフィルターも掛けられずに、そのまま動き回る。普通だったら、もうちょっとドラマとして整えようと、理解しやすい面も取り入れるのに、愛と憎しみの感情以外はすべてシャットアウトし、煮詰めてしまう。ラテンの血か。だから登場人物たちは、ボヤーッとしている時間は許されず、いつもパンパンに感情が詰まっている。そういう人物が存在することを観客に説得させようなんて気はなく、もう既定の事実として画面にある。こんな夫婦ありえないだろ、なんて疑問をはさむ余地を与えない。ここにあるんだ、と突きつけてくる。そうして観客はブンブン振り回されて、ラスト、ワーグナーが渦巻く中、銃を持った憎しみの男と、愛する女性の花嫁姿が重なる瞬間、なるほど、感情というものの原質はこれか、とそれに立ち会った気にさせられるのだ。ここの高揚感はすごい。数ある『嵐が丘』のなかでも私が知る限り一番不親切な映画化であるが、作品の核心だけを描いているからだろう。冒頭が『スサーナ』とまったく同じで(魔は窓からやってくる)、中盤の結婚が『エル』と同じ(式を挙げたら変な男)。ブニュエルの世界はつながりあっている。怯える子どもってのも、ブニュエルの好むモチーフか。怯えながらも、豚を屠殺する木の串を一心に削っているのが不気味。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-08 12:00:18)
10.  雲の中で散歩 《ネタバレ》 
労働シーンが生き生きと描かれる映画は、このころではもうかなり珍しくなっていた。もっともこれはどこかノスタルジー的であって、理想化された労働の姿。現代の諸問題の解決にはならないが、一つの基準を提示してはくれる。かつて家庭と労働と社会とが、過不足なく絡まりあっていた時代があった、と。『赤い薔薇ソースの伝説』のときと同じ、黄濁した画面。室内もいいが、海沿いの道路の場など大変美しい。この愛の解決の仕方はアステアの『有頂天時代』をちょいと思い出させた。こういう解決に至るドラマって、好きなんです。好きな男優二人が出てて、ジャンカルロ・ジャンニーニが怖いお父さん、アンソニー・クインはカドが取れたいいおじいさん。まだ遺作じゃなかったのか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-02 11:59:40)
11.  スサーナ 《ネタバレ》 
至って分かり易い展開なんだけど、どこか常軌を逸している。家族の男たちが、みな自分から悪女にのめり込んでいく凄みのようなもの、雨のなか三人の男たちがそれぞれスサーナの戸口を眺めているあたりの、庭に欲望が渦巻いている感じ。すごく濃い。悪女よりも、男が焦らされたり翻弄されたりすることのほうを描きたい監督なんだ。フェルナンド・レイそっくりのお父さんがこっそりスサーナのスカーフの匂いかいだりするの、もうそれだけでブニュエル映画とわかってしまう。皮肉なのは、この悪女が冒頭で神に脱獄させてください、って祈ると奇跡が起きてあっさり鉄格子窓がはずれちゃうってとこ。そもそも彼女が過去にどういう悪事をしてたのか触れてないので、純粋な悪として存在し(そしてブニュエル映画ではいつも女性は昂然としている)、もうそれは超絶者としての神とさして違わない。これ、パゾリーニの『テオレマ』と好一対になるような話、キリストのような美青年と、神によって野放しにされた悪女が、家庭をかき回す展開。どちらも濃厚なカトリック国の出身で、比べるのも面白いが、あちらがムッツリ陰気に展開していくのに対して、こちらは裏で監督が大笑いしている感じがある。とりわけ、取って付けたようなハッピーエンディングに。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-30 12:04:38)
12.  昇天峠 《ネタバレ》 
行きたいところになかなか行けないバスの旅、っていうブニュエルの基本モチーフが全編展開。じらされ続ける主人公。バスの中では家畜がうろつき回り、お産もあれば棺も担ぎ込まれ、当然主人公は夢も見る。バスの中に樹木が繁り、果実の皮が誘惑する女とつないだかと思うと、その皮は母親が銅像のような台の上で剥き続けている、ってな夢、運転手やほかの乗客たちがバンドを組んでBGMを流しているのがおかしい。でも一番ブニュエル感じたのは、バスの運転手が、ちょっと寄っていってくれと、自分の母親の誕生パーティに乗客を招待する展開。主人公をじらす段取りを次々に仕組んでいった果てにこれがくる。この発想はなかなか出来ないよ。乗客の一人がスピーチして、トリオ・ロス・パンチョスって感じのが歌い出し、みなが踊る。ひとり主人公だけがヤキモキする(主人公が急いでいるのは、母親の危篤に関してで)。ブニュエル映画において宴のモチーフってのは繰り返されるが、これなんか忘れ難いシークエンス。でドラマとして見ると、新婚の主人公は女の誘惑に負けちゃうし、そのために大事な時に間に合わないし、悪辣な兄弟に対抗するためとは言えこっちもちょいと汚い手を使うし、と普通に予想される展開から微妙に踏み外している。この微妙に引っかかるストーリーとは別に、全体のトーンから踏み外したような死児の顔の厳粛なアップの映像も引っかかった。単に母の状態の予告ってこと以上に、この作品全体を包み込む重要なカットだった気がする。あの映像で、『昇天峠』という題名も膨らんでくる。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-29 12:03:55)
13.  愛なき女 《ネタバレ》 
よくまとまった小品というところ。特別ブニュエルならではってとこは感じられなかったけど、憎悪を描くと微妙に過剰になる感じはある。けっこうブニュエルってうじうじした男を描くのが好きで、これもそう。弟や母へのうじうじした不完全燃焼の思いが、これでもかこれでもかと続く。だからラストの和解がちょいとアッケなさすぎる気もしたが、とってつけたような八ッピーエンドはこの監督でよく見かけ(『スサーナ』とか)、なんか陰でブニュエルが大笑いしているような感じもあって安心できない。窓越しにうじうじ見るって場面がブニュエルはことのほか好きらしく、『嵐が丘』や『エル』にもあった、ここでも弟と婚約者を窓越しにうじうじ。あと老人と若い妻って組み合わせもよくこの人の映画で見かける、しかしブニュエルだけのモチーフと決めつけるのは早計かも知れない。映画とは関係ないけど、モーパッサン嫌いだった夏目漱石がこの「ピエールとジャン」だけは気に入っていた、ってのは、なんか「行人」につながるものがあるからだろうか。
[映画館(字幕)] 6点(2010-03-26 12:00:09)
14.  乱暴者【ルイス・ブニュエル監督作品】
社会派的メロドラマ、あるいはその逆。立退き反対の人たちを英雄的に撮る、ってことは絶対にしない監督で、裏から攻める。裏切り者の視点。当人に裏切ってるなんて意識はない。なんかBC級戦犯に通じる話だ。肉はあるけど頭はない、これこそ庶民、ボスの言いなりにハイハイと実行していくあたりはいじらしくさえある。「親方のご恩を忘れるな」というのが彼に植えつけられたイデオロギーなの。娘への恋で自分の行為を発見していくってのは、安易といえば安易だけど、話はスッキリした。肉屋で働いていて肉がいっぱいあるのは監督の好みか。親方のとこのキャンディーじいさんが面白味を出す。ブニュエルが老人に対して、こういう愛嬌を感じさせる演出をするのは珍しい。ラストで鶏がパロマをにらみつけるのは、『忘れられた人々』との関係よりも、ブルートがかわりに持ってきた鶏だってことで見たほうがいいと思う。これは『エル』との二本立てで観たので、こっちはちょっと印象が薄くなった。三百人劇場という新劇用のホールで、ときどき映画もやってて、こういう「メキシコ時代のブニュエル」なんて嬉しい企画が不意にあったりし、要チェックのとこだった。しかしここもなくなったと聞く。
[映画館(字幕)] 7点(2010-03-22 11:59:20)
15.  エル(1952) 《ネタバレ》 
普通こういう話だったら、妻を主人公にするよね、スリラーとして。たしかに語りはおもに妻だけど、主人公としての焦点は狂ってく夫に絞られている。スリラーとしての楽しみもあるけど、それが精神病の症例記録ってリアリティも持ってて、なんとも得体の知れない手触りの映画になった。主人公は正義の人なんです、不正が許せない。祖父の代の土地問題を裁判していて、どうもかなり無理な訴訟らしいんだけど、自分が正しいという信念があって、正しいことが負けるはずがないと思い込んでいる(こういう訴訟を抱えている人は『昇天峠』にも登場した。ブニュエルの近辺に実在したのかな)。いいかげんに生きてる奴らへの軽蔑と憎悪が煮えたぎっている。ここに愛する人が登場し(というか愛する脚を所持する女性)、嫉妬の苦しみが生じる。自分の厳格で高貴な世界に彼女を囲い込みたい。嫉妬で荒れては、許しを求めてひざまずく、その繰り返し(落とした食器を拾おうとして妻の脚を見ると、許しを乞い出すの)。自信過剰と自己卑下の壮大な空中ブランコを眺めているような躍動感がある。教会の鐘楼に上って、いいかげんに生きている他人どもの世界を見下ろす、彼らに対する軽蔑だけならいいけれども、そういう他人どもとも生活していく上で接触しなければならない、そこで自分と妻の高潔が汚されるのが我慢ならないわけ、そりゃ追いつめられていきますわな。その果てに、階段で手すりの間を叩くシーンが来る。あそこは妻の立場に立って怖いのではなく、あくまで主人公が追い込まれている状況が怖い。そして街に飛び出すと、軽蔑して止まない他人たちが嘲笑を浴びせてくる…。狂おしいまでの愛の物語ってのは映画史上たくさんあるが、ここまで狂ってて、しかもそれを冷酷に観察してる作品ってのはあんまりないぞ。
[映画館(字幕)] 8点(2010-03-18 12:09:25)
16.  バスを待ちながら 《ネタバレ》 
ボリス・ヴィアンの小説「北京の秋」のアタマを思わせる出だし、またブニュエルの『皆殺しの天使』もヒントになってるようで、あちらはシュールレアリズムがごく自然に日常につながっている。通過地点であるバス停が、巣となって住処に変わっていくファンタジー。前半は、アメリカにもロシアにも頼らずに自力でバスを動かそうっていう政治的メッセージが感じられるが、しだいに純粋なファンタジー性が濃くなる。いちおう夢落ちなのだが、その夢を皆が共通に見てるってとこが大事で、生理現象としての夢と希望としての夢とが重なっている。強欲な缶詰男は夢に参加できなかったし。どうでもいいことだけど、あちら方面の映画の主人公って日本人から見るとすごくニヤケて見えるんだよな(子どもの時「怪傑ゾロ」のガイ・ウィリアムスを見てそう感じたのが最初)。文化によっていい男の基準が違うよい例だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-07-02 12:16:26)
17.  パンズ・ラビリンス 《ネタバレ》 
おとぎ話と現実とがぶつかりあうのかと思っていたら、歴史をおとぎ話に呑み込ませてしまったような映画だった。悪役の大尉が歴史上のファシストを再現するというより、童話の憎々しい継父の造形で、幻想と現実とが対立するというより並行している感じ。別にそれでもいいんだけど、フランコがまだ生存中に作られた『ミツバチのささやき』より緊張に欠けるのは仕方なく、こうして内戦の歴史の記憶が過去の物語になっていくのだろう。興味深かったのは、生まれてくる息子への大尉の思い込みの強さ。もう妊娠中から男の子と決めている。男から男へという父権の強さが、カトリックの国ではいまでも重苦しいということか。そう思うとアルモドバルの女性映画の見方にも、また新たな視点が加わってくる。話の終わらせかたも、同じスペイン映画の『汚れなき悪戯』をちょっと思い出させ、やはりカトリック的なものを感じた。実はこの映画で一番感動したのは、手のひらに目玉のある化け物の登場で、江戸時代の百鬼夜行図にも、両方の手のひらに目があるのっぺらぼうがいる。そっくり。バケモンの想像力において世界は一つだなあ、と感動した。
[DVD(字幕)] 7点(2008-06-17 12:18:36)(良:3票)
18.  フリーダ
亭主が桂春団治的で、芸のためなら浮気もコヤシって感じの人。でもメキシコの女はただでは忍従しない。忍従を美徳としない。忍従するくらいなら男になってしまう。受難を解放に変えていく。自分の体を締め付けているギプスに絵を描く、自分を拘束するものによって解放されていく。それはラストの寝台ごとの個展出席にまで続いていくわけだ。メキシコ文化という拘束から、インターナショナルなものを生み出していく。地球の反対側の中南米文化って、中身も日本と正反対みたいで、元気いっぱい。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-08 12:13:49)
19.  バベル
バベルの塔の話は、砕いて言えば「兄弟は他人の始まり」ってことでしょ。悲観的な世界観だなあ、と思ってたが、でも逆に考えれば「すべての他人は元兄弟」ってすごく楽観的な世界観でもあったんだ。たしかに一本のライフルから広がる波紋は暗い事態を引き起こしていく。3つの国の警察が動き、3つの国の子どもたちが救助を求める悲鳴をあげる、声にならないものも含めて。でもこの悲鳴は、もしかするとそれぞれが孤立しないでこだまし合っているのかもしれない。だとしたら、かつて兄弟だった先祖たちのつながりを回復する手立てが、まだあるってことでもあるんじゃないか。日本のディスコのざわめきをどうかしてメキシコの結婚式のざわめきにつなげられないか、ヘリコプターが行くモロッコの夜を(崩壊する前のバベルの塔を思わせる)日本の高層マンションの夜につなげられないか。楽観的すぎるだろうか。でもいま世界は、無理にでも楽観的にならなければならないところまで、追い詰められているような気がするんだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-22 12:19:32)
20.  苺とチョコレート
男二人、反発から友情へという定型の話だけど、二人だけの話で閉じず、だんだん社会に開いていくところがいい。「ぼくがいなければ、この国は何かを失う」という主人公の言葉に、すべてが凝縮している。見ようによってはずいぶん割り切りすぎてもいる。共産主義者のダビドに対してディエゴは性的異端、宗教や芸術サイドの証言者にもなっている。もっと討論でダビドに主張してほしいところもあるが、大事なのはいろいろな立場や考え方が複数存在することを認めあうことであって、そこへ話が絞り込まれていくので後味はいい。どんな社会体制であろうと、女の仕種をする男というものは笑いの種になり、これを単に偏見として切り捨てるのではなく、なぜ男の仕種をする女は笑いの対象にならないのかを含め、仕種の社会学として研究する価値があるのではないか。冷蔵庫にロッコという名前をつけてペットがわりにしている。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-10 12:23:04)
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