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1.  ジプシーのとき
シュールリアリズムって、欧米の「正統」文化史観からだと「こういうのもありました」と傍系的に見られるけど、もっと広く捉えるとスペインあり南米ありこの東欧ありと、もしかしてそっちのほうが主流なんじゃないか。ごく自然に超能力が描かれる。空缶移動、壁を這い回るスプーン、七面鳥。あの七面鳥が死んでこの一家に不幸がやってくる。主人公も悪の道に入って行っちゃう。盗みに入った家で思わずピアノを弾いてしまうエピソード。空中浮遊もよく出てきたが、あれいい。雨の野を駆け出していくお父さん、合唱が入るところで“まいった”と思いました。民族の力、いうか。ジプシーってなんか遠く離れた東洋の我々にはロマンチックな雰囲気があるが、ヨーロッパ人にとっては、魔法を使う犯罪者のイメージがあるよう。古い推理小説ではよくそんな扱われ方をしてたし、だいたい差別用語になっちゃって、今はロマって言わないといけないんでしょ。ジプシーの扱われた歴史は、たぶんユダヤ人とともにヨーロッパを考えるとき大事なんだろう。主人公の顔が良く、ちょっと頼りなげで、組織の中にいればひょうきんな人気者だけど、外に出るとグレちゃいそうな弱さがある。そこらへんに実感があった。/このころユーゴの映画がよく公開されてて『アーティフィシャル・パラダイス/カルポ・ゴディナ監督』ってのもあった。フリッツ・ラングの東欧での青春時代を描くの。20世紀初頭の演劇や詩やカメラに漬かっていたある階級の雰囲気と、その崩壊の予感が味わい。ラング作品のネタ探し的楽しみもあった。
[映画館(字幕)] 8点(2013-09-17 10:06:19)
2.  歌っているのはだれ? 《ネタバレ》 
いろいろな人が乗り合わせてバスは行く、いうよくある設定だけど、よくある映画にはなってない。非凡。このバス、親父が絶対権力者として君臨し(他の乗客は諦めている)、軍隊やらテロリストやらが絡んできたり、ジプシーや喀血男が心理的に排斥されていったり、政治風刺的にも見えるが(1941年セルビアからベオグラードにバスは向かっている、ってのはドイツ侵攻とかち合うとピンと来るらしいんだけど)、そう見ちゃうよりブニュエル的コメディと思いたい。回り道をすると、なぜか道を耕している、とか、紳士が落下して泳いで帰ってくる、とか自由奔放(追放された猟男も再登場するんだったっけ? 常に乗客を回収するバスだ)。こういう自由さがドイツの侵攻という歴史と吊り合っていたのかもしれん。川辺での宴はラストを知ってから思い返すと哀切。運転手青年の笑顔が忘れられませんなあ。
[映画館(字幕)] 8点(2013-05-27 09:56:54)
3.  ブリキの太鼓
オスカル君の気味悪さは映画ならではのストレートで迫ってきます。ずっと生き続ける祖母をポーランドに残したまま、成長を再開するオスカルは西へ行ってしまう。これはどう考えればいいのか。ポーランドに残って成長していくってのなら分かりやすいが。彼の太鼓は、軍楽隊のリズムをワルツに変えもするが軍隊の慰問にも使われる。不快に思っても政権から離れられない「芸術」と見てそう間違いではないと思うが、母の死以後の部分がよく分からない。でもそういう“分からなさ”が寓意の豊かさで「きっと深いんだ」と思わせられるのが、芸術映画の得なところ。
[映画館(字幕)] 7点(2013-03-14 10:00:50)
4.  遺言
主人公が純粋な芸術家なのではなく、役人でもあるところがヒネてる。芸術家の受難物語だけで閉じてしまわない。個人と風土がとうとう触れ合えなかった哀しみなどにテーマは広がり、故郷を失った現代人の普遍性のある物語にまでなった。鳥が鳴き牛がいななく美しい風土、絵画の素材としてそれを愛することは出来るんだけど、受け入れてはもらえない。彼が芸術家だけでなく、森林監督官という役人でもあったからか。そこらへんの曖昧な膨らみが寓話の味。ましてここはマカヴィエフを生んだユーゴスラヴィアだ。交流はあっても本当に触れ合えないのは、なにかユーゴならではの政治的な寓意があるのかも知れない。ドアの周りを原色で囲っているのは、普通の家作に見られるリアリズムなのか、それとも監督の作為なのか。そういったことから悩まされる。室内の天井の低さも気になったが、これもリアリズムなのか作為なのか。ロングショットが生きてる映画ってのはまず失敗がない。原野の中央に立つ牛。野に出ていく絵画。
[映画館(字幕)] 7点(2012-10-30 09:25:44)
5.  パパは、出張中! 《ネタバレ》 
そのパパは決して前向きの反体制闘士ではなく、ちょっとダラシのない普通のパパ、隣人としての庶民の代表。そこに夢遊病を絡めたことで味わいが深まっている。隣りの女の子が死んじゃう場面なんか、「ちくしょう、こんな仕掛けで泣いてたまるか」とは思っても泣けてしまった、これには「夢遊病」も効いてるんじゃないか。吐く息も白い道を犬と歩いて、女の子の家に行っちゃうとこ。そのまま女の子のベッドの脇に入っちゃう。それを見守るドクター(女の子の父)の気持ちがしみじみと伝わってくる。この子が年ごろになるまでに死んでしまうのかあ、といった感慨。そういう庶民のドラマがあるのでテーマが生きてくる。政治向きの題材扱うと、日本では目を吊り上げて取り組むけど、外国ではこうユトリをもって扱ったりする。なんか日本では「取り組んでる」ってことを主張したいみたいのが多く、かえってあちらの映画のほうが、より題材を咀嚼していた忍耐の長い時間の経過が感じられて、厳しい印象。
[映画館(字幕)] 7点(2010-05-14 12:00:40)
6.  ユリシーズの瞳
前作のラストでは黄色い服を着た作業員たちが、絶望の中の希望を示唆していたけど、今回は黄色の補色の青に浸されていて、ラストは希望の中の絶望に見える。でもそれが希望であったのか絶望であったのかは、どこかに到着して初めてわかるので、いつもアンゲロプロスが描いているのは、途上で途方に暮れて立ちすくんでいる人々なんだ。路上で、あるいは岸辺で、帰還の途上ということだけがわかっていて、それがどこへの帰路なのかは分からない。20世紀史と映画史が重ねられた旅の途上、第一次世界大戦のサラエボから世紀末のサラエボ紛争への百年の旅の途上。映像としての緊張度は前半のほうが高かったけど、後半に込められた気迫のようなものの感動も、映画の感動として除外したくはない。歴史が凝縮されるお得意の手で、1944年の大晦日から1950年の新年までをワンカットで見せる踊りのシーンなど、やはりたまらない。
[映画館(字幕)] 8点(2009-09-27 12:06:11)
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