1. ヨーロッパ
実験的要素が強い印象があるが、構図を意識したカメラワークが素晴らしい映画。二人の男が歩きながら会話をする。カメラは二人の正面を見上げる位置から移動撮影。すると別の声が入る。二人の姿を支点にカメラは上昇し部屋の奥にいる声の主を二人の男の真ん中に収める。その次は娘の部屋での会話をカメラが捉え、ゆっくりと寄ってゆく。寄り切ったとき、会話する二人の男女は画面の左側に配置され、、たと思ったら右側にある鏡に給仕係が登場し、去ったあとに二人を真ん中に収める。という具合に他にも多々見受けられる長回しの中で的確な構図を作り出すカメラワークが実に面白い。この作品は『エレメント・オブ・クライム』『エピデミック』に続くヨーロッパ三部作の1本ということらしい。内容はともかく、どうもトリアーは観客がドラマにのめり込まないようにしたいらしく、後の作品もなんらかの方法を用いて冷めた視点を強要していますが、この作品ではオープニングとエンディングの催眠術がその役割を担っているのだと思う。それでものめり込みそうになると、常に先回りするナレーションが邪魔をするという二重構造。この監督の映画は彼の思想的なものに目がいきがちだが、ユニークで大胆な仕掛けにこそ興味をそそられる。 [ビデオ(字幕)] 7点(2006-12-22 16:06:25) |
2. 夜と霧
ナレーションは戦争のこともナチスのことも語らない。レネの短編映画『ヴァン・ゴッホ』や『ゴーギャン』がナレーションではゴッホとゴーギャンの表面的な事象しか語らずに彼らの内面に迫ったように。そしてゴッホの絵画、ゴーギャンの絵画のモンタージュでゴッホ、ゴーギャンその人物を浮かび上がらせたように、ひたすらアウシュビッツの残酷な記録の断片を紡ぐ。そのモンタージュ効果によっておぞましきイメージを浮き上がらせ、さらに現在のアウシュビッツを映すことで風化させてはいけないという明確なメッセージを発している。ただのドキュメンタリーではない。映される映像とそこに被される言葉の巧みなコラボレーションのほうにもぜひ目を向けていただきたい。 [DVD(字幕)] 7点(2006-09-25 13:43:44)(良:1票) |
3. 汚れた血
アメリカ女が出てきた時点で、これはフランス映画とその中で誕生するヌーベル・ヌーベル・ヴァーグの物語と解釈してしまった。以下、私の妄想的解釈。アメリカ女=アメリカの映画会社のプロデューサー。謎の病気の蔓延とハレー彗星接近による世紀末的状況=フランス映画の低迷。ワクチンがあり、彗星もいずれ通りすぎるので低迷は一過性のもの。殺された男は偉大なるヌーベル・ヴァーグ?息子は父と同じく手が器用=ヌーベル・ヴァーグを引き継いでいる。息子の名前はカラックスの分身・アレックス。新たな世界へはばたきたいアレックスは資金調達のために父の仲間と共にある計画を実行する。盗み=引用?仲間はアメリカ女を恐れる男とスタイルに拘る男と謎の女。やっぱり出てきたガラス張りのアジトは映画そのもの。今度の“新しい波”はとてつもないスピードを見せつける。腹話術=直接言葉で伝えない?アレックスは死ぬが映画は死なない。疾走する映画は女に受け継がれた。頻繁に出てくる髭剃りのシーンは?パラシュート降下は?さぁ、みんなで考えよう!って適当なことを長々とスイマセン。でも、透き通るような美しさとはまさにこのこと!と思わせる二人の女優を見るだけでも価値があると思います。女優を美しく撮るって重要なことです。 [DVD(字幕)] 8点(2005-07-12 16:12:25)(良:2票) |
4. 夜
あるとき突然、女は愛の喪失に気付く。男は納得のいかないままこの告白を受け入れざるおえないのが常なのだが、この作品では、納得がいかないまでも、一応の理由が語られる。女がその心情を言葉で説明するラストシーン、、これさえなければと思った。同じ目にあっているが故に、ちゃんと納得したいというアントニオーニの願望がついつい出てしまったのだろうと思った。それでも男と女のすれ違う想いが痛々しくもリアルだと思った。、、、と、以上がずっと昔に見たころの感想。点数にすると5~6点てとこかな。でも他のアントニオーニの作品を何本か見た今はこの作品の見方も変わっている。いくらマストロヤンニやジャンヌ・モローといったビッグネームが出ていようとも、人物を追ってばかりじゃこの作品の旨みはわからない。女が自らの愛の喪失に気付く前に、背景は彼女の心情を映し出していた。ラストの説明は観客に向けたものではなく、あくまで夫に向けたものであって、観客に見せたのはその後の悲しすぎる言葉のすれ違いにすぎない。あぁ、やっぱり痛々しくてせつない。 [ビデオ(字幕)] 7点(2005-07-04 17:56:30)(良:1票) |
5. 夜霧の恋人たち
アントワーヌ・ドワネルはトリュフォーの分身から完全に独立し、男の情けない部分を全て兼ね備えた青年に成長しました(笑)。やること成すことどんくさいのに、当の本人はいつものほほんとしている。トリュフォーといえば、男と女の恋愛ドラマをサスペンスフルに仕上げるのがうまい。そしてこの作品も、ストーリー自体はけっこうサスペンスフルなのだ。しかし、お気楽人間ドワネルがそれら全てを消し去る。まるで往年の喜劇役者のような振る舞いを素でやってしまうドワネル君の前では、サスペンスな展開も彼を素通りしていく。きっと『柔らかい肌』の主人公がドワネル君なら殺されることはなかったでしょう(笑)。『黒衣の花嫁』の5人の中にドワネル君がいてもやっぱり殺されなかったに違いない。彼だけまんまと助かっているはず(笑)。トリュフォーも楽しんでつくったに違いない。悲劇を喜劇に変えられる男、苦を知らない男、他人の家族に愛される男、..トリュフォーの理想とする人間なのかもしれない。 7点(2004-04-21 13:54:52)(良:1票) |