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R&Aさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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61.  あるいは裏切りという名の犬
いい感じの雰囲気を出してるシーンが多々あるんだけど、ストーリーがまわりくどいというかジメジメしてるというか。もうちょっとシンプルに語れないものか。まわりくどくあれこれ語るわりに、というか語りすぎちゃって二人の男の立場と微妙な関係がわかったようなわからないような。過去のエピソードをもっと明確にしてくれれば「男のドラマ」、中でも「裏切り」がいっそう引き立って面白くなると思うのだが。題材がいかにもフランスのフィルム・ノワールなのにいまひとつソレっぽくないのは「男のドラマ」と「裏切りのドラマ」が薄いからだと思う。監督が元警官だとか。そのせいかどうかわかんないけどリアリティに拘りすぎちゃったのかも。フランス映画界屈指のスター二人が貫禄のオーラでドラマを引っぱっている。
[DVD(字幕)] 5点(2009-09-15 17:33:28)
62.  ホット・ファズ/俺たちスーパーポリスメン! 《ネタバレ》 
全くノレなかった。絶賛レビューに触れるたびに寂しくなってくる。端からコメディだと分かっていたので笑いに対して変に期待しすぎちゃったのか。というか前半はコメディ(前半は楽しめた)だけど後半はどうなのよ。えらくマジメにサスペンスしてないか?でもそのサスペンスの部分があまりにありきたりじゃないか?異物を取り除こうとする村社会という構図は『ドッグヴィル』『ヴィレッジ』を例に出すまでもなく別に新しくもなんともない(この映画のシチュエーションに最も近いのは『丑三つの村』なんだけど)。そうじゃなくアクションを楽しむものなのか?あのハリウッドを模倣した早いカット割りの。いやいや、その模倣振りも含めて様々なアクション映画のパロディを楽しむものなのか?『ハートブルー』とか『レオン』とか『バックドラフト』とか。でもソレと分かったところで別段面白くないんだけど。ばあさんに蹴り入れるシーンはスッキリしたけどさ。
[DVD(字幕)] 3点(2009-09-14 16:35:52)
63.  サン・ジャックへの道
コメディとリアルヒューマンドラマの融合具合が絶妙で、個人的にはもうちょっとコメディよりにしてもいいのにと思うところもあるんだけどおそらくはこれがちょうどいい塩梅なんだ。やり過ぎると面白くなくなる。三人兄妹のキャラクターがハッキリしすぎの面もあるけどここもあまりリアルにしすぎると退屈になっちゃうからこれでいいのだろう。体力的に過酷な長旅を共にする面々が徐々に打ち解けてゆく展開はベタベタなんだけど、こういう旅って絶対そうなるんだろうなあという説得力があるから気にはならない。女教師が「教える」という本業に目覚めるクダリは感動的ですらあった。キリスト教の聖地巡礼の旅を描いているのに、願い事を大幅に改ざんするシスターや露骨な人種差別、宗教差別をする神父とか出てくるあたりを見ると、「1500キロ(ほとんど本州縦断!)を歩く旅」がいいのであってキリスト教自体はむしろ否定的にとらえられているようだが、その描き方も深刻ぶっていないのが好感が持てる。物足りなさもあるんだけど気持ちのいい映画です。
[DVD(字幕)] 6点(2009-09-10 14:47:51)
64.  夏時間の庭
私の知るかぎりのアサイヤスはここにはおらず、日常の美しい風景が淡々と映し出されてゆく。前知識なく鑑賞しているとビノシュが出ているからというわけでもないだろうに『ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン』を思いおこしたのだが、どうやらどちらもオルセー美術館20周年企画作品なのだそうだ。美術館と美術品の露出ははるかにこの『夏時間の庭』のほうが大きく、日用品として使用されるマジョレルの机なんて見ると、本当に美しい美術品の本当に美しい姿というのは生活に溶け込んでいる状態なのかもしれないと思った。ああ、あの机、うちの書斎に欲しい・・・書斎が無いけど・・。長兄が毎年家族が集まる場所、自分たちの思い出の品々、これからも子供たちが思い出を作ってゆくだろう品々がただ鑑賞されるだけのモノになってゆくことを嘆く(美術館が全面協力してるのに・・)。でもラストシーンがいいんだ。いないと思ってたアサイヤスが顔を覗かせるシーンでもある。モノはなくてもハートは受け継がれる。少女は亡きおばあちゃんとの思い出を胸に塀を乗り越え前進する。
[映画館(字幕)] 7点(2009-09-07 13:50:32)(良:1票)
65.  アズールとアスマール 《ネタバレ》 
極私的2007年映画館鑑賞作品ナンバーワンです。点数はあげすぎのような気もするのですが、すでに極私的2007年映画館鑑賞作品第2位の『長江哀歌』にすでに9点をつけているのでこれに準じました。なぜ1位かって?長女(当時5歳)との映画館デビュー作品だからなのだ(ニコニコ)。というわけで個人的なメモリアル映画としての価値が評価の大半を占めるのですが、幸運なことにこの作品はその記念碑としてうってつけの良作でもありました。極彩色豊かでとにかく綺麗。切り絵とCGを巧みに合わせた映像に感じる懐かしさと新しさの同居は実に新鮮でした。人種差別という深いテーマが内包されており、物語は肌の色の違い、言葉の違い、宗教や文化、生活習慣の違いからくる偏見がいかにバカバカしいものかということに帰結するのですが、押し付けがましい説明が一切無いのがいい。だから子供も楽しめる。一方的にアラブ移民を差別してきたヨーロッパの地と、無知からくる差別を見せてもモスクと教会を受け入れるアラブの地。そして大団円で見せるカップリングの妙はあまりに明け透けで、且つ明瞭に過ぎる気もするけど、このストレートさ、シンプルさがまた良かったりする。きらびやかな大団円シーンは幸福感に溢れ、手を繋いでいた娘は今にもいっしょに踊り出さんばかりに体を音楽に合わせて動かしていました。劇中のアラビア語は訳されずに原語のまま話されていて、そこには「違う言葉」であることを明確にする意図があるらしいが、映画にとって「言葉」の存在意義がさして重要ではないことの証明にもなっている。
[映画館(吹替)] 9点(2009-08-31 18:32:38)(良:1票)
66.  エイリアンVSヴァネッサ・パラディ 《ネタバレ》 
楽しめてしまった。アメリカ南西部の片田舎っぽい場所にフランス語というギャップがまず興味をひく。主人公の男のいきなりの懲役133年というあり得ない刑罰も、コメディとして消化されない妙な信憑性を持っているから厄介だ。湖面に映る浮遊するエイリアンを一瞬だけ見せるというのがまたうまいから困っちゃう。けっこう丁寧なのだ。いや、かなり丁寧だ。なのになぜ犬はどこから見てもぬいぐるみなのだ。かと思うと田舎町のおじいちゃんがなんの脈絡もなくいきなりエイリアンがやって来るのをずっと待っていたのだと宇宙服を着込む。それでもエイリアンと共に飛んでる手裏剣みたいなのがスパンスパンと首チョンパしまくるパニックシーンは迫力ありスピード感ありと文句なし。プロデューサーがなんで真っ黒なケムール人みたいになっちゃうのかよくわからんがそろそろクライマックスだなと思ったらいきなりパラディ嬢がお空に吸い込まれちゃう。お!ここでスタントマンという設定が活きてくるのか!と主人公がバイクでジャンプ!で、その後・・・・なんですか?この妙に哲学的ともとれるわけわからん世界は。置いてきぼりのまま終わる。でもなぜか怒りはない。結局のところ、永遠のロリータ・ヴァネッサ・パラディのプロモーションだったのだろうか。たしかにジョニー・デップとの間に子供を二人もこしらえたとは思えない可愛らしい容姿にはプロモーションの価値はあるかもしれないが。
[DVD(字幕)] 5点(2009-08-26 13:49:42)
67.  DEMONLOVER デーモンラヴァー 《ネタバレ》 
アサイヤスとの出会いは『レディ・アサシン』というまるでアメリカのB級アクションのようなタイトルの映画だったのだがこれが凄かった。それよりも5年も前に製作された『DEMONLOVER デーモンラヴァー』をさらなる期待を持って見てしまったために衝撃を受けるまでには至らなかったが、それでも短いカットでも計算しつくされているのだろうと思わせるカメラの動きに見惚れ、かと思うと緊張が画面にへばりついたような長いワンシーンにぞくぞくさせられた。ソニックユースが作り出すノイズミュージックも緊張を煽る。産業スパイというどこか作り話的なものがビジネスの世界という現実的描写で描かれる前半から一気に映画が動くのが「人が死ぬ」シーンだ。その唐突さがいい。突如として転がり込む「死」のどこか虚構じみた感覚が怖い。勿体無いのがそこから先が長いこと。長いとまた形勢逆転という展開を期待してしまうのだが、それがないから後味悪し。
[DVD(字幕)] 6点(2009-08-20 18:00:58)
68.  ラルジャン
冒頭に映されるのはいかにも現代的な裕福な家庭。ごく普通の家庭の普通の会話が少しだけ映される。しかしその「普通」の中に、そしてその「少し」の中に、息子の甘え、親の無関心、責任のなすり合いといった醜悪なものを凝縮させている。この一見「普通」でありながら実は「醜悪」なものはこの後も延々と映され続ける。これが現代社会なのだ。ブレッソンは「醜悪」なものをけして大袈裟に映像化しない。「普通」の中にあるものを巧みに見せてゆく。『少女ムシェット』で少女が何かに怒っているように『ラルジャン』の青年もまた何かに怒っている。「何か」とは社会に他ならず。が「何か」はあまりに大きく、且つ漠然としているためにその怒りもまた矛先を持ち得ない。弱者は殺人者になるか死ぬか。強い者のために弱い者が虐げられ、強い者のために弱い者が作り出される社会。ブレッソン思想、ここに極まり。それでいてブレッソンが早くから確立させていたモンタージュの完璧さと「手」「足」「扉」に代表される印がこの作品を「ブレッソンの映画」たらしめている。「ブレッソンの映画」とは最高級ブランドである。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-22 16:15:07)(良:1票)
69.  少女ムシェット 《ネタバレ》 
貧しいことがまるで罪だと言わんばかりの世間の目。大人が課した少女の過酷な人生は、仮に小さな幸せが訪れたとしても不幸という大きな波にさらわれてしまう。野鳥が罠にかかってもがく。誰かが罠から外すという奇跡が訪れないかぎりこの野鳥の行く末はもう決まっている。どんなに抗おうとも無駄。弱い者の定め。どこかに少女の人生が好転する機会があっただろうかと再見してもやはり見当たらない。少女の人生は少女以外の罪深い大人たちと大人たちの作った社会によって決められているのだ。そのことを実に簡潔にして深く描いている。しかも少女の行動を通してのみで。少女は最後の最後に運命を捻じ曲げる。いや、ここでも彼女は自らの意思での行動を拒否しているのかもしれない。高いところから低いところへ転がるという現象に身を任せる。転がることにけして抵抗はしまい。これは運命なのだ。そう思って転がっているのだとしたら、キッツイなあ。映画はこの悲しい転がりを美しく映してしまう。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-21 15:41:46)
70.  バルタザールどこへ行く
ロバの憂いをおびた瞳が印象的。もちろんロバが演技をしているのではなくそう見えるようにしているのだ。これが演出というもの。ロバの歩く足元のアップが映される。道を変え、速度を変え、足が太くなり、、と次々とロバの歩く足元のアップが映される。冒頭シーンから数年後に舞台が移ったこととその数年の時間の重さを言葉以上に知らしめる。プロの俳優を嫌うブレッソンの映画をきっかけにこの世界に入った女優の一人で、後にゴダールのミューズとなるアンヌ・ヴィアゼムスキーの初々しさと初々しいからこそのエロスが淡々とした画面に潤いを与え、また全裸に剥かれた姿がいっそう痛々しく映される。と、ここまでは絶賛。例えばロバをこき使うという行動、女を手篭めにするという行動、金を盗むという行動こそを映像に置き換えるのがブレッソンの映画であって物語を映像に置き換えるものではないというのはよく解かるが、その物語がシンプルならそれでもいいのだが、これはちょっと散漫にすぎないか。よくわからない箇所がちらほらとあって困った。もちろん私の理解力にも問題があるのだろうが。父親の訴訟のいざこざも3度見てやっと(それでも漠然と)わかった。人殺し呼ばわりされてた酔っ払いのおっさんはいまだによくわからん。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-05-20 17:56:52)
71.  スリ(1959)
才能ある一部の特別な人間は罪を犯してもよいという哲学はまぎれもなくドストエフスキーの「罪と罰」だが、様々なテーマを内包するこの小説とは違いブレッソンはテーマを無視し物語すら端に追いやりひたすら「動き」を映すことに専念する。ただ泥棒が泥棒をして捕まるという筋があってそれらが映されるだけでそこに主人公の罪に対する葛藤のドラマもなければ貧困あるいは不信や不満といった社会背景が描かれるわけでもない。映画は動くものを映すものという原理のみを追求する。それだけでも楽しめるのが映画なのだ。というかこれが映画。スリの場面は手がアップで映される。その動きの美しいこと!物語は消失し画面では堂々と「手」が主役を張っている。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-05-19 14:16:52)
72.  罪の天使たち
修道院内というほぼ限定された場所を舞台としているせいか、その後のブレッソン映画には見られない「劇」的なものを感じた。もちろん「罪」をテーマとしているところやその「罪」が元来人間に備わったものであるかのような描き方はいかにもブレッソンなのだが、「劇」的であることでブレッソン独特の生々しい厳しさが緩和されているような気がする。さらにブレッソン印の無感情な人たちとは相反する主人公も「劇」的であることに貢献している。長編デビュー作ゆえというところだろうか。でもそれはけして悪いことではなく、後年確立されたブレッソンの作風とは異にするというだけのことだ。むしろブレッソンのノワール(この作品自体はノワールじゃないけど)を見られる喜びがある。室内に差し込む計算づくの光があたりまえのように映されている。「罪」よりもその「救済」のほうが色濃く描かれた作品。
[映画館(字幕)] 7点(2009-05-18 16:36:30)
73.  ハプニング 《ネタバレ》 
ヒッチコックの『鳥』を念頭に置いているとかいないとか。たしかに原因不明のままに人が攻撃されてゆく展開は『鳥』そのものだ(いや、敵の姿を全く見せずにここまで引きつける力は『鳥』をも凌駕している)。そして何よりも初めて画面に登場するズーイー・デシャネルのどこかいってる目はまぎれもなくヒッチコック映画、とくに『鳥』の女だ。ご親切にも「あの顔は妻になれる顔じゃない」とジョン・レグイザモに言われたあとにこのいっちゃってる目をしたズーイーが映される。しかも彼女はどうやら後ろめたい何かを隠している。そんな女は『サイコ』よろしく殺される運命にある。しかしである。どうも浮気だと思ったらティラミス(だったっけ?)を食べただけらしい。そうなると話は変わってくる。レグイザモに「守り抜けないなら触るな」と言い放たれた後に少女の小さな手をしっかりと握るその姿に少なくとも少女は死なないことを確信させる。そしてズーイーもまた少女に向ける優しい目を画面にさらけだすことで彼女の死もないことを確信させる。もともとシャマランがそんなことするはずもないのだがこの確信させてくれるシーンをちゃんと見せてくれるのが嬉しい。何故毒素が発生したのか?何故主人公たちは助かるのか?そんな野暮なことを聞いちゃいけない。それでも聞かれればこう答えるしかない。それが「ハプニング」であり「奇跡」であると。シャマランはこれまでも「奇跡」を描いてきた。奇跡に何故?はない。そして奇跡はハプニングなのだ。もしかしたら「奇跡」「ハプニング」は神の啓示かもしれないと他の作品では示唆していた。毒素発生も救済も、そして夫婦の危機も円満もまた「奇跡」であり「ハプニング」なのだ。シャマランにとってのみならず映画はこの「奇跡」と「ハプニング」で成り立つ。映画は何が起こっているかを描くものであってその意味を描くものではない。昨今、こんなにも映画に素直に向き合った作品もそうはない。この作品が酷評されることのほうが私には「何故?」である。
[映画館(字幕)] 7点(2009-05-01 14:13:23)(良:3票)
74.  ナインスゲート 《ネタバレ》 
世間が言うほどつまらなくはなく、むしろ面白かったのだが何か物足りない気もしてしまうのは「悪魔崇拝」が描かれたポランスキーのオカルト映画というところでどうしても『ローズマリーの赤ちゃん』を想起してしまうからだけではなさそうだ。主人公は本に携わった仕事をしているが本を愛しているわけではなさそうで(貴重な古書をタバコを吸いながら触りまくる)、金で動くいわゆる商売優先の人。こう書くと悪魔に魅入られる人間という気もしないでもないが、正義の人ではないけどどこか憎めないキャラは彼が演じた某海賊映画の船長をこじんまりとした感じに似ていなくもなく、だからこそ面白かったわけでもあるが、結末がああなるとちょっと愛嬌がありすぎるような気もしないでもない。『ローズマリーの赤ちゃん』や『テナント』や『反撥』のような妄想がなく、オカルトを現実の世界のものとして描く。だからあの女はバイクにも乗り怪我もしセックスもする。何度も言うがだから面白い。でもやっぱり何か足りない。何かはたぶん「狂気」。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-17 14:15:55)
75.  ゴッホ
伝記とはまたアルトマンらしからぬ。と思うも、『M★A★S★H/マッシュ 』がアメリカ軍というシステムを、『ザ・プレイヤー』がハリウッドのシステムを揶揄したように、芸術が商品として売買される絵画の世界のシステムを揶揄する構成はやっぱりアルトマン。生前一枚しか売れなかったというゴッホの絵がオークションでとてつもない金額にせりあがってゆく現代のシーンを冒頭に持ってくるあたりが心憎い。嫌いな絵ばかりが売れ、好きな絵は売れないと言う画商の弟テオ。彼は画商でありながら芸術を知っている。芸術を知っているからこそ苦悩する。芸術の価値とかけ離れた商品価値に苦悩し、それでも売らなければ生活できないことに苦悩する。本物の芸術家であると確信する兄を支えるために芸術に対する背信行為を続けることに苦悩する。その苦悩を見て苦悩する兄ヴィンセント。芸術を解からない大半の中で芸術を解かっってしまったがゆえの二人の孤独。単にゴッホの生前を語った物語なんかじゃない。芸術を正当に評価できない世の中に物申す。そんな映画だった。
[DVD(字幕)] 6点(2009-04-10 15:35:24)(良:1票)
76.  レンブラントの夜警
富と名声を得た巨匠レンブラントが突然破産へと追いやられる。なぜ?その原因は世界三大名画の一つ「夜警」にある。というグリーナウェイの仮説。「最後の晩餐 」に秘められたダ・ヴィンチ・コードならぬ「夜警」に秘められたレンブラント・コード。こういうの好き。グリーナウェイの映画は苦手な人もけっこう多いと思うが私もその一人で、生と死を独特のエログロで表現したその見た目がどうも受け付けがたかったのだが、これは大丈夫。体が警戒態勢を布いていたってのもあるんだろうけど。あと、グリーナウェイの映画ってシンメトリーな構図も相まってどこか絵画的な印象を受けるが、本作は描かれるものがものだけにその絵画的なるものがことさらに印象深かった。レンブラントといえば映画の世界では「レンブラント照明」というのがあって、有名なところだと『ゴッドファーザー』のビトー(マーロン・ブランド)の真っ黒な背景に浮かぶ顔、そして目を影で隠してしまうあの照明。これがこの作品でもふんだんに使われていて単に舞台劇っぽいだけに終わらないレンブラントの絵画との融合的空間を作り出しているように感じた。ただの伝記でもなく創作されたミステリー伝記ってだけでもなく、ゴダールの『パッション』の作中の監督じゃないけど、映画と絵画の間にあると勝手に思い込んでるものを取っ払ってしまったようなものを目指してるんじゃないだろうか。
[映画館(字幕)] 7点(2009-04-08 15:27:03)(良:1票)
77.  みなさん、さようなら(2003) 《ネタバレ》 
原題「蛮族の侵入」。ローマ帝国は蛮族の侵入によって滅亡し、ヨーロッパ史は古代から中世へと移ることになる。。。主人公は社会主義者を公言する。息子は仕事が証券ディーラーというあからさまな資本主義代表。息子の、金に物言わせる強引な行動は、そのことをよりわかりやすく提示する。世界は社会主義が超資本主義という蛮族の侵入後、崩壊する。資本主義の象徴とも言えるツインタワーは反対にイスラム原理主義という蛮族の侵入によって倒壊する。人類の歴史は人殺しの歴史。ホロコーストすら霞む大量殺人の歴史。世界はその痛手を乗り越え新たな歴史を刻んでゆく。しかし個人は死んだらお終い。癌という蛮族の侵入にあった父はひたすら「生」を愛して死んでゆく。父と息子は主義や宗教を超えて繋がる。大量の死を刻む歴史の中でたったひとつの命の尊さが描かれた作品。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-26 17:43:55)(良:1票)
78.  美しすぎる母
ジュリアン・ムーアは四十の半ばを過ぎた今なおきれいな女優だと思う。この作品で彼女は一人の女の20年ぐらいを演じていると思うのだけど、はじめの方、つまり若い頃はそれなりの若作りをしているんだろうけどどうもこれがうまくいってない。後半は本来のジュリアン・ムーアで当然美しい、だから歳をとっていくごとに美しくなっているようにも見える。そういう演出ならいいのだが、ストーリー上では美貌だけで貧困からセレブへとのし上がった女が歳とともにその美貌にかげりを見せ、夫は若い女に乗り換えてしまうということだから、どんどん美しくなってるように見えてはいけないということになる。細かいようだけど気になった。この作品は実話だそうで、実際にあったある事件がこの映画のラストシーンになっている。これはそのある衝撃的な事件の原因を紐解いてゆくサスペンス映画でもあるわけだ。でも何も知らされずにこの映画を見てもそこに気付けない。事件(ラストシーン)を知ったうえでもう一度見ればこの映画の本来の良さが分かるかもしれない。でも再見する気が起こらないのが難儀である。
[DVD(字幕)] 5点(2009-03-10 16:51:44)
79.  恐るべき子供たち
コクトーがナレーションをしているという概念からか、まるで詩の朗読を聴いているような心地よさと同時に目に飛び込んでくるもの全てが舞台劇っぽく映る。が、海のシーンや万引きシーンで突如「映画」が現れる。急に人物が背景に溶け込み開放感を得て、画面に動きが加わることで演劇的なものが映画的なものへと変化したように感じた。ここが唯一の健康的な場面だったかも。その後の泥沼はまた映画から舞台劇のような演出へ。さらに古典劇のような様相を増してゆきラストシーンにおいてそのピークを迎える。演劇と詩と物語を映像に乗せる。これが総合芸術。
[DVD(字幕)] 7点(2009-02-27 15:22:32)
80.  TOKYO!
■「インテリア・デザイン」 ものすごく長く感じた。いきなり飛び込んできた雨の東京はどこかウルトラQ的SF世界観をかもしていてよかったのだが、話がなかなか前に進まず、徐々にイライラしてきたのだが、唐突に穴が開き、足が棒になり、服がはがされていく展開に目が点になり、このいわゆるクライマックスのスピード感はそうとうに良かった。ただ、その後のエピローグ的なところもちょいと長ったらしい。 ■「メルド」 待ちに待ちに待ちに待ったカラックスが9年ぶりに帰ってきた。この9年間、どうやら地下にもぐっていたらしい。これまでのカラックス映画の登場人物の成れの果てのような片目をつぶした怪物となって東京に出現する。ゴジラっぽい音楽に乗って。疾走する姿を横から撮り続けたカラックスが今度は真正面から画面に向かって闊歩する姿をとらえ続ける。それだけで感動。手榴弾は紛れもない復活ののろしととっていいんじゃない?半ばギャグとして登場する通訳シーンもカラックスにやられると映画の吹き替えや字幕が真に正しいかどうかはわからないよと言われているみたいだ。 ■「シェイキング東京」 ストーリーもオチもテーマも無難。外国人監督が日本を描くうえでの魅力的なズレも無ければ、日本人キャストを使ううえでのミスキャストも無い。全てが無難。その中で人っ子一人いない東京の景観だけが今まで見たこともない景色として出色。あと、蒼井優のアップはつい見とれてしまった。 ◆<総評> はっきり言ってカラックスを見に行った。他はどうでもいいと思ってたのでかえって他の二作もわりと楽しめたかも。でもゴンドリーもジュノも「東京」を描くにあたって「孤独」「引きこもり」といった都会が抱える社会問題をテーマに持ってきているのに対して、そんなテーマ映画を笑い飛ばすかのような自由さでもって、それでいて映画と真剣に向き合ったカラックスの作品は他を圧倒している。点数は難しいけど3人の監督による3作品という濃厚なオムニバスという点がかなり好感が持てるってことで7点で。 
[映画館(字幕)] 7点(2009-01-26 14:47:20)
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