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R&Aさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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1.  我が至上の愛 ~アストレとセラドン~ 《ネタバレ》 
我が至上の愛。なんとも大層なタイトルがついているが、男女の恋愛を描くときのロメールのいつもの軽やかさは時代を5世紀にしたって変わらない。軽やかさはそのままに、時代を遡ることでより原初的な恋愛劇となっている。人を好きになることの至福と人に好かれることの至福がある、ただそれだけ。呆気にとられるほどのシンプル且つストレートさ。終盤、なぜ男は女装するのか。ロメールの真骨頂ともいえる女同士の会話をさせるためだ。そしてここで無防備に見せる乳房のなんて美しいこと。今までもロメールは若い女の体をとくに部位を強調して見せてきたがここまでモロに見せたことはなかった。愛の原初的な形を見せるにあたってこのストレートな見せ方になったのだろう。またそのストレートさに負けないほどの美がそこにある。若い男女の恋愛を、そしてそれに伴う「若さ」ゆえの肉体的反応を、美しく且つ健全に描ききった傑作である。軽いタッチでありながら、なるほどこれは至上の愛であった。ロメールの遺作にして最高傑作。  
[映画館(字幕)] 9点(2010-05-14 15:16:17)(良:1票)
2.  永遠<とわ>の語らい 《ネタバレ》 
博物館での足元を映したシーンと船内で歌手が歌うシーン以外は全く動かないカメラが静かに文明の歴史を語ってゆく。前半は、船、港、遺跡、という一定のリズムの中で文明の創造と崩壊の歴史を永遠に語られるべくして生まれた伝説と共に母から娘へと語り継がれる。古代文明から人は何を学ぶのか。後半はその問いに答えるかのように国籍の異なる人物たちが語り合う。そして博物館が以前はモスクで、その前は聖堂だったという歴史が語るように、ひとつの文明を終わらせる何かが暗躍する。文明が生み出したであろうテロリズムである。暴力が文明を終わらせたようにこの映画もまた唐突に終わりを告げる。その非情さは、映画自体をも破壊してしまう驚愕のラストで表現される。 私たちは「9.11」を語るとき、その非人道性を頭ではわかっていても政治的な意見へと変貌しがちである。しかしこの映画は純粋にテロに対する怒りや悲しみや悔しさという気持ちを奮い立たせる。この映画を観た直後は呆然とするしかない。しかしその夜は怒りと悲しみと悔しさで眠れなかった。この映画は永遠に語り継がれるべき映画です。
[DVD(字幕)] 9点(2006-01-06 14:22:33)(良:3票)
3.  ボッカチオ'70
「デカメロン」で有名な14世紀の作家ジョヴァンニ・ボッカチオがもし現代を背景にしたものを描いたら・・という発想から作られた4編のオムニバス。この企画に集まった面々が凄い。観る前から7点以上は確定!(笑)    ■「レンツォとルチアーナ」 マリオ・モリチェッリという監督のことはよく知りませんが好印象を持ちました。仕事場の人、人、人。休みの日のプールも人、人、人。家に帰ってもお出かけしても二人っきりになれない若いカップルは理由あって会社に内緒の新婚さん。現代社会の縮図をカップルの働く会社に見立てて二人の奮闘を描く。ヒロイン、マリサ・ソリナスが小さくてめちゃ可愛い。 ■「アントニオ博士の誘惑」 出だしからフェリーニ色炸裂。幻想的な色使いとコミカルな音楽がフェリーニの世界に誘う。でっかいアニタ・エクバーグが『甘い生活』を道徳的に許せない描写と批判した人たちを挑発するかのように男の欲望を炙り出す。 ■「仕事中」 ヴィスコンティは『山猫』の前に没落貴族を描く。旦那の浮気に妻は怒らない。そして何もかも捨てて仕事をするとさらりと言い出す。しかし一人になったときに見せる一粒の涙が一切の説明もなしにすべてを語る。金と物に溺れる貴族社会に嫁いできた妻は自らの没落を察知している。ロミー・シュナイダーが美しい。 ■「くじ引き」 デ・シーカはイタリアの持つ陽気さの中に女の苦難をさらっと描く。ラストで見せる男たちの陽気で滑稽な様を大団円で見せる。強い女、ソフィア・ローレンが女を魅せる。  総評、女の可愛さ、女の強さ、女の妖艶さ、女の弱さ、とくとご覧あれ!
9点(2005-03-11 12:44:32)
4.  8 1/2
私の中でオープニングの衝撃度NO.1の座は今後も譲ることなくこの作品が君臨することでしょう。時を置いて何度か観てますが、今だNO.1ですから。 もちろんオープニングだけではなく他にも印象に残るシーンがいっぱいありますが、ホテルでたくさんの人が次々と監督(マストロヤンニ)に語りかけてくるシーンが圧巻です。監督の目となったカメラが被写体とご対面、するとすぐ後ろから次の被写体が、被写体といっしょに歩きだすとまた別の被写体が画面に入ってくる、すると画面の外からまた声がかかりカメラが振り返る...。凄い臨場感溢れるシーンで個人的にはフィナーレよりも好きなシーンです。あと、知ってる女性みんながいっしょに暮らしているというなんとも都合の良い夢も好きです。(私もこれに近いものを見た事ある、笑。)  タイトルがこれまでのフェリーニ自身の作品の数(すでに何人かの方が説明されてます)ということからも自身の自伝的要素が濃い作品であろうと思いますが、子供時代の描写もフェリーニの実体験が元にあるのだとしたら、他のフェリーニ作品で宗教を否定的にとらえた描写が多いのもなんとなく解かる気がします。この作品を観ることで彼の他の作品を違った観方で観ることができるし、他の作品を観ることでこの作品もさらに楽しく観れます。あ、いや、楽しいという表現が適当かどうかわかりませんが...とにかく好きです。
9点(2004-06-10 18:15:43)(良:2票)
5.  女は女である
ゴダールの映画は、時々登場人物たちが観客に向けて語りかけるというシーンがあるが、その度にドキッとさせられる。この作品も実に良いタイミングでソレがある。踊らないミュージカルという発想も面白い。ブチッと切れる音楽も心地悪いということはない。かえってそそられます。そしてなんといってもアンナ・カリ-ナ。女は女を武器にするずるい生き物である。でもずるいところも含めて可愛いのが女。男は当然許してしまう。ラストのアンナ・カリ-ナの観客に向けたウィンクで、我々も許さずにはいられない。本当に女はずるい(笑)。可愛いアンナ・カリ-ナと撮影終了直後に結婚したゴダールはもっとずるい(笑)。それから、【野性のおっさん】さんのご指摘のジョークも楽しいです。ゴダールの作品にはこういうジョークやオマージュ、古典文学の引用などもたくさんあり、これもひとつの楽しみではありますが、この作品についてはそういったものを知らなくても十分に楽しめる映画だと思います。”ゴダールは難しい”という理由でこの作品を見ていないのであれば、もったいない気がします。
9点(2004-03-29 12:58:20)(良:1票)
6.  孤独な天使たち 《ネタバレ》 
冒頭の母に対する息子のいかがわしい言動に、おいおい『ルナ』の焼き直しかよと。母が運転する車に息子が乗ってる図やその背景からも『ルナ』をなぞってる。が、腹違いのお姉ちゃん登場で、ありゃ?今度は『ドリーマーズ』ですかと。といった具合にベルトルッチは過去の自身の作品を想起させる人物設定でもって観客を戸惑わせる。まだそこにいるのかと。久しぶりの再会だというのに何も変わらんのかと。しかしこの映画、センセーショナルな性描写もなければどこかの国の革命やら戦争やらが背景に潜むこともない。むしろ何も起こらない物語なのだ。ベルトルッチなのに。なのに面白いこれ如何に。他者との接触を拒み続ける少年の内側に姉という遺物が混入する。強い姉ゆえに拒めず、そして弱い姉ゆえに守ってゆく。その心理の移ろいの妙。地下室から度々出ざるを得ないときの冒険譚。デビッド・ボウイをバックに歌い踊るシーンの「映画的」としかいえないような現実離れした感動のシーン。物語的には何も起こらない数日ではあるが少年の人生にとっては決定的な数日となる。それを証明するのが今まで見せたことがない表情を切り取るラストカット。『大人は判ってくれない』(トリュフォー)と同じ手法だ。たぶんこれ以上に雄弁なラストシーンはない。
[映画館(字幕)] 8点(2013-06-06 17:39:22)
7.  ファザー、サン
『マザー、サン』と同じ監督が作ったものとは思えない。父と息子のドラマ。しっかりとした物語映画。だけど見終えてみると本当に物語があったのかどうか疑わしく思えたり。けっきょく全体の流れより場面場面が印象に残るというところでは『マザー、サン』と同じなんだ。息子の元カノが綺麗で、ソクーロフは女優も綺麗に撮れる人なんだと確信する。ガラスを隔てることで世界が歪む。そのソクーロフ的な世界からなんとか逃れようとするかのように窓の隙間に顔を寄せる女と男がこれまたソクーロフらしからぬ短いカットで映し出される。舞台はいったいいつのどこなのか。こんなにも映画らしい街並みがあるなんて。屋根からの景色は延々と海。路面電車が走る風景の美しさはムルナウの『サンライズ』をも超えている。もうそれだけでじゅうぶんだ。
[映画館(字幕)] 8点(2010-11-10 13:39:30)
8.  夜よ、こんにちは
外の光を入れた奥の部屋には不動産屋さんと不動産屋さんの説明を聞く女。手前の真っ暗な部屋には説明を全く聞こうとしない男。冒頭のこの一場面だけで「企み」を匂わせているのも凄いんだけど、なにより明るい部屋と暗い部屋を同じ画面に映そうとするその発想に唸らされる。その後も映画の大半を占めるその住居内映像は奥に映される隣室や窓の外の景色によってスリルを獲得し、様々な角度から様々な部屋が映されることで混乱を生みながら、一つの「世界」を構築してゆく。その世界で生まれる幻想はやがて外の世界から切り離され、その世界の現実となる。その世界とはまさに「映画」であり、ラスト、我々は映画が現実を凌駕する瞬間を目にすることになる。それは実に幸福な映画体験であった。劇中で女が「想像で人は救えない」と言う。対して男が「想像は現実的だよ」と。想像はいつでも現実になりうるのだ。
[DVD(字幕)] 8点(2010-10-22 14:22:04)
9.  影の軍隊(1969)
私の大好きな映画のひとつに『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』というギャング映画があるのだが、この『影の軍隊』の至る所にその原型を見ることができます。いや、そんな気がするのです。内容は全然違うんだけど。でもこれはどう見てもギャング映画でしょ。トレンチコートに帽子、クラシックカーとその背景となる町並み。映像だけを眺めると、画面に映し出されているのはギャング映画でありアメリカ映画なのだ。そこにモリコーネ風音楽が挿入される。車が街から離れ、海の見えるところ(波音が聞こえるところ)で止まる。ここもまた『ワンス~』を思い出さずにおれない。そこからてくてくと寂れた雰囲気の場所へ。そして建物の中へ。中へ入ると外で遊ぶ子供の声が目立つ。窓を閉めカーテンを閉めると靴音だけが響き渡る。あることを悟るのにじゅうぶんな空気が満たされ、あとはさるぐつわから漏れる嗚咽と男のむせび泣きが聞こえるのみ。このセリフ無きシーンの素晴らしいこと。ラストシーンだって一言もしゃべらせない。トレビアン! (本作のレビューとは関係ないのだけど)思えばイタリア人レオーネ(『ワンス~』の監督ね)は西部劇を真似たマカロニウェスタンで新境地を開き、フランス人メルヴィルは犯罪映画の本家を凌駕する作風を確立している。アメリカ映画を愛し、そしてそこから新しいものを生み出した先人なのであった。とムリヤリに共通項を探したくなるくらいに同じ(好みの)匂いを両者に感じるのでした。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-12-16 16:33:19)
10.  無防備都市 《ネタバレ》 
アンナ・マニャーニという強烈な存在感を持つ女優が特別なオーラを持たない市井の人として登場する。そして唐突に殺される。かなりドラマチックなシーンでもあるが、ドラマチックさよりもこの唐突さに呆然とさせられる。ただの人がただの死骸となる瞬間がここにある。映画はいくらでもこの死を長引かせることができるのだが、唐突に訪れた死は唐突に訪れた死以上の意味を持たず、死は「終わり」であってそれ以上のなにものにもなろうとしない。これがネオレアリズモだ。そしてこのシーンは、まるで映画の中に現実が飛び込んできたような、あるいは現実の中に映画が飛び込んできたような、つまり、今までの世界の流れを断ち切るようなインパクトを持っている。この映画と撮影時の現実が極めて同じ時間の流れにあるレジスタンス映画において、一人の女の死はそうあるべきなのだ。
[ビデオ(字幕)] 8点(2008-10-06 16:36:06)
11.  暗殺の森
ぞくぞくするカメラの動き、美しい構図、翌々年の『ラストタンゴ・イン・パリ』に引けをとらない巧みな照明にため息が出っぱなし。とくに光の使い方は、ただ美しいだけではなく実に刺激的。主人公の婚約者を演じるステファニア・サンドレッリがまたものすごくいい。全てのシーンにこだわりを感じる。こだわりが出過ぎるとあざとくなったりするもんだが、この作品はぎりぎりのところで耐えてる。ベルトルッチの最高傑作と言ってしまおう。
[ビデオ(字幕)] 8点(2007-10-12 14:21:33)(良:1票)
12.  麦の穂をゆらす風
カンヌ・パルムドール獲得の際のインタビューでケン・ローチは「英国が帝国主義的な過去から歩みだす小さな一歩になれば、、」と言っている。あきらかに現英国のイラク派兵に対し、いまだ同じ過ちを繰り返す母国への批判を含んでいると思われる。作品自体も英国に対する擁護など一切無い。今尚続く北アイルランド問題という英国にとって最も重い題材を実に辛辣に描き出す。しかしこの作品の凄さは、ケン・ローチの作品がいつもそうであるように、重々しい題材が描かれる、その背景の美しさにこそある。けして戦争を、また戦闘を美化しているのではなく、『シン・レッド・ライン』のように対比の対象としての美でもなく、ただただそこに美しさがある。もう一つ、複雑な問題をすべて見せようとはせずにピンポイントで描いているので、劇中混乱することもなく鑑賞できるのも好印象。映画で語られる物語は全くといって救いがありません。あるとすればこの映画で語られない部分を想像するしかない。そしてその想像の余地だけを残している。
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-29 11:53:51)(良:1票)
13.  ブルジョワジーの秘かな愉しみ
食欲、性欲、睡眠欲が人間の三大欲と言われます。登場人物を全てに満たされた上流階級の人間とすることでより明瞭に人間の欲深さが描かれる。同時に睡眠中の夢を通して人間誰しもが持つ無(死)への不安を描く。この作品もまたどこからが夢なのか、はたまた全てが夢なのか、、。贅沢な文句を言いながらいつまでたっても食にありつけない様で、一度手に入れたものは離したくないという人間の欲深さをあざ笑う。地位欲とでも言おうか、それこそ上流階級の人間らしいと言える欲も描きながら、人間を面白可笑しく描いてゆく。果てしない欲に向かって真直ぐに歩いてゆく人間たち。まるで人間ではない人が人間を観察して作ったような作品。我々もここに描かれる人々を高見の見物的に見ると、人間って愚かで滑稽だなぁと思うと同時になんとも可愛らしい生き物だなぁと思ってしまう。流麗なカメラワークと極端なアップからのズームアウト、この小ばかにしたようなギャップも面白い。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-04-28 15:00:14)
14.  哀しみのトリスターナ
清純を絵に描いたような可憐な少女トリスターナと冷酷な悪女と化したトリスターナ。ふたつの顔を見事に画面に残したブニュエル+ドヌ-ブが素晴らしい。ひとつひとつの画にいろいろなことを暗示させるブニュエルの傑作。二つに分かれた道でどちらに進むかをトリスターナが自信たっぷりに選ぶシーンは、道の先での狂犬病の犬騒動でその後の彼女の悲しい運命を予感させるとともに、後半、個人主義を貫くドン・ロぺを夫としては認めなくても父としては認めるというセリフに繋がり、養父ドン・ロぺの思想を受け継いでいることを象徴している。だから結婚制度を嫌い教会を下げずんでいたロぺの、結婚を望み教会へ足を運ぶという行為はロぺ自信が自己を否定するにとどまらずトリスターナをも否定する行為となってしまう。後戻りのできないトリスターナにとっては許されない行動となる。後半の赤子を見るシーンは前半の赤子を見るシーン(家族を否定するロぺに口答えする)に観客の頭の中でフラッシュバックさせ、「こんなはずではなかった」と哀しみに暮れるとも開き直りともとれるトリスターナを映し出す。しかし自分で決めて自分で行動する個人主義に生きながら、不幸の責任は自分には無く諸悪の根源をドン・ロぺと考えるトリスターナの存在そのものがこの作品の中で一番哀しいものとして描かれている。 自分に都合の良い信仰心、自分に都合の良い無神論、自分に都合の良い家族主義、自分に都合の良い個人主義、、、人間の哀しい性で溢れている。
[ビデオ(字幕)] 8点(2005-04-27 17:39:23)
15.  山猫
3時間6分の完全復元版を見ました。前半はシチリアの美しい情景を、後半は社交界の豪華絢爛な美をバックに、貴族出身のヴィスコンティ自身が投影されているだろうサリーナ公爵を通して、貴族の衰退と自らの老いをリンクさせながら描いてゆく。繁栄すればその後には衰退がある、生きていれば老いてゆく、というヴィスコンティの哲学とも言えるテーマの中で、平民の血をいれるという変革を決断し自由奔放な若きタンクレディに跡を任せるという潔さがまさに滅びの美学。しかしそこには葛藤がある。葛藤を隠して踊る堂々としたワルツの美しいこと。葛藤とは無縁のような性格のタンクレディが新しい時代に相応しいというのもどこか皮肉であるが、情勢によって立場をころっと変えてしまうタンクレディは誰からも好かれる好青年であり、その印象の良さはことさら強調される。若さと老いの対比である。 後半の舞踏会では、本物の貴族の家を使い、食器から装飾品までもがシチリア貴族のものを提供されたものらしい。そこまで拘ってはたして映像で伝わるのかどうかはわかりませんが、風前の灯火のごとく光輝く美がたしかにありました。この「美」の部分だけでも見る価値あり。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-08 19:39:42)(良:1票)
16.  太陽はひとりぼっち
自身も10年連れ添った妻に突然別れを告げられたという過去を持つアントニオーニの「愛の不毛三部作」の三作目。前作『夜』では愛の喪失の理由が語られるが、この作品では「わからない..」を繰り返す。こちらのほうがより現代的で「愛の不毛」の名に相応しい。 株価暴落で損をした顧客たちが怒る。損をするというリスクは最初からあったのに損をしてはじめて現実を見る。突然やってくるこの現象は冒頭の突然の別れと似ているように感じた。愛したいが愛に意味を求める、あるいは本当に愛したいのかさえ分からない、そんな女が作りだす乾いた関係が建設途中の高層住宅の殺伐とした風景にオーバーラップして描かれる。背景のひとつひとつが心情をあらわしており、どうしようもない不条理感で溢れている。私見ですが、背景になんらかの意味を持たせる作家は数多くいれど、アントニオーニほど徹底している人もアントニオーニほど的確な人もおそらくいない。
8点(2005-01-19 12:25:50)(良:1票)
17.  黄金の馬車
舞台の幕が上がりこの映画は始まる。主人公は旅芸人一座の女優。ルノワールの映画に主役はいないと言われるが、この作品の場合はまぎれもなく主役がいる。アンナ・マニャーニの強烈な存在感がそう感じさせているのかもしれない。上流階級の世界に、その世界の枠にはまらない異国の女がひとり入ることで無様な醜態を見せる貴族たち。国民のためと称した欲のために築かれてきたルールの崩壊。まるで『ゲームの規則』を別の視点からとらえた映画だ。女の元を去り軍隊に入り帰ってきた男が、敵は悪い奴等じゃなかったと言う。むしろその思想に同調しそこで暮らすと言う。『ゲームの規則』の「人にはそれぞれ言い分がある」という救いの無いセリフの答えのひとつを提示しているように感じる。劇中劇という手法とマニャーニの最期の独白に「映画」と「役者」に対しオマージュをささげた作品とも感じた。全く存在意義のなかった欲の象徴の「黄金の馬車」が最期には価値を見出すというくだりといい、この映画は非情に多面的な側面を持っている。これもまた傑作。
8点(2004-10-08 17:20:40)(良:1票)
18.  サテリコン
文明の先にある退廃、それも恐ろしいまでにとめどない退廃ぶりを、時代を古代ローマにさかのぼり描く。現代に置き換えてもじゅうぶん当てはまるからこれまた恐ろしい。時代は繰り返すということか。しかしながら、現代の設定にしなかったことでやりたい放題の摩訶不思議な世界が違和感なく目に飛び込んでくる。いや、違和感なんて感じる間なんてもともと無いかもしれない。最初から最後までその世界観に圧倒されっぱなしです。フェリーニのイマジネーションも凄いが、それを映像にしてしまうのがもっと凄い。相当、制作費もかかっているんじゃないだろうか。またいつかこの作品を観るだろうけどやっぱり今度も、この世界観に浸るのではなく圧倒されっぱなしだと思う。
8点(2004-06-11 16:32:48)(良:1票)
19.  甘い生活 《ネタバレ》 
セレブたちの退廃とした生活を、フェリーニの分身・マストロヤンニが扮する記者の目を通して描いていく。記者自身も、退廃の象徴たる富豪の娘や欲望の象徴たるハリウッド女優らと夜毎のパーティを過ごすうちに”甘い生活”に溺れていく。憧れの生活を送る友人の自殺に絶望を感じても時すでに遅し。映画中盤では、純真の象徴たる出稼ぎ少女に一度は癒される(救われる)。しかしラストではその救いの声が波音にかき消される。”甘い生活”=「限りない欲望と退廃が渦巻く世界」にどっぷりとつかってしまい、もう後戻りは出来ないことを暗示しているような、なんともせつないエンディングでした。前3作『道』『崖』『カビリアの夜』では魂の救済が描かれたが、この作品では、行きつくところまで行った文明がもたらした退廃は救いがたいと言ってるように感じた。
8点(2004-06-09 12:25:33)(良:1票)
20.  地獄に堕ちた勇者ども 《ネタバレ》 
一度観ればおなかいっぱいという満腹感を感じるとともに、強烈な印象を残す映画。ヘルムート・バーガー演じるマルチンの異様な存在感が出色。登場からして女装である。幼児偏愛はたまた近親相姦。母の愛に恵まれなかったマルチンがどんどんと悪魔的なオーラを増していく様が恐ろしくもあり美しくもある。国の崩壊、社会の崩壊、家族の崩壊、そして人間の崩壊。「滅びの美学」の真骨頂。容赦なし!そこに「救い」は無い。このドラマでは善き人は死んでいく。突撃隊の男爵の息子も善のままとは言いがたい。父親を殺された怒りにナチスが手招きしている。こんなおぞましい時代があったという事実を描きながら、(母が息子の人格形成をする、アッシェンバッハが人々をナチスの色に変えていく)ように人間が「悪」をつくるという事実、そして「悪」に簡単にとりこまれる人間の弱さを壮大に描いている。こわい映画です。
8点(2004-05-21 15:38:49)
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