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1.  ポップコーン
ホラー映画を楽しむノリを、もう一つ外側から楽しむという映画。三つのホラー短編の上映会でホンモノの出来事が起こり、映画にはしゃぐ観客と実際の殺人とが重なっていく。スクリーンの裏側での画面と、ホントとの交錯などに工夫。あちらでは火傷した人を悪鬼になぞらえるのが平気で、お面が外れかけ耳がぷらぷらする描写などがある。ヒロインのジル・ショーレンて女優さんはB級テイスト版『オペラ座の怪人』にも出てた人で、普通の顔の人とは共演できないらしい。まあその大枠の話はどうでもよろしい。短編がいかにもそれらしくて楽しい。一つ目が「蚊」、巨大な蚊が襲うの。上映する学生仲間は劇場内に巨大な蚊の模型を飛ばす。二つ目は「驚異の??男」(ノートの私の字が略し過ぎててよく読めない、「電気男」? エセ科学がいかにもエセっぽくてよい、とある)。三つ目が「悪臭」、香港映画ということなのか、日本映画なのか、とにかく東洋ホラーがあちらでは一角を占める地位を築いているらしい。まだ『リング』以前だ。学生らは実際に劇場内に悪臭を立ち込めさせようとする。こうやってあちらのホラー自主上映大会は楽しんでいるんだなあ、というのが一番楽しめた。
[映画館(字幕)] 6点(2013-03-26 10:20:46)
2.  ミステリー・デイト 《ネタバレ》 
もしかして拾いものか、という匂いを入り口でかいだような気がしたのだったが、やっぱどーでもいい映画でした。ミソとしては「一晩もの」ってとこか。だらだら日にちが延びるのより、ピッと一晩の物語になっている。怪しい雰囲気作りは東洋人におまかせ、ってとこは気になります。悪者の部下たちがちょっとトンマすぎるのは、東洋人差別でしょ。トランクのなかからの発砲、すでに排ガスで死んでいて、死後硬直でたまたま引き金が絞られた、だと思わなかった? 追われているときにあんな目立つ車で走り回るかよ。
[映画館(字幕)] 5点(2012-08-16 09:45:13)
3.  裸のランチ
殺虫剤ドラッグってイメージは面白いのよ。ジュディ・デイヴィスがハーッと息を吹きかけるとゴキブリがポロッと死んで落ちてくなんてユーモアもいいし。タイプライターとゴキブリの合体、きっと文章なら面白かったんだろうと思うんだけど、映像という具体物でいくとシラケちゃうんだなあ。イメージの広がりが止められちゃうというか。昔読んだアイルランドの小説『ドーキー古文書』ってのに、自転車人間てのが出てきて面白かった、あれなんかも実際目で見ちゃうとさほどのことなかったのかも知れない。ユーモアが乾燥しちゃう感じ。難しいんだよね、イメージが具体化されるのが映画の一番の強みのはずなのに、それが弱点にもなっちゃう。本来小説は、映像化され得るものを超えたイメージを文章で組み立てようと試みているんだろうな。で、本作のモチーフ、書くということへの嫌悪感。書くから孤独になるのか、孤独になるから書くのか、っていうようなこと。でもそういう方面に頭を働かすまでに映画に世界の広がりが感じられなかった。映っているとこの外側も、そういう世界が広がってるんだろうな、という確からしさがなかった。主人公の妄想の世界だからそれでいいんだ、っていうのかも知れないけど、妄想ってものこそ際限なく広がっていっちゃうもんなんじゃないのか。
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-01 10:06:22)
4.  彼方へ 《ネタバレ》 
ライバル同士が女を取り合うなんて陳腐、と思ってたが、ラストで納得。マチルダ・メイ/現実の女は、メイ・ウェスト/夢の女の対比物だったのね。観終わってから構図の広がりを感じ出す作品。見てる間はちょい図式が割り切れ過ぎてる感じがあった。一方はアクロバット的マスコミの寵児、一方は神秘的な精神主義者で、精神主義の訓話っぽい映画じゃやだな、とちょっと引き気味だった。絶壁をただの征服の対象としていた者と、その絶壁の向こうに何かを見て畏れを抱いてしまった者との対比。ここにさらに「指のない男」/絶壁の向こう側に行ってしまった者を置いて、世界がグッと広がった。室内の偽の岩肌のテレビ中継から始まって、本物の山の頂の映画女優で終わる。監督にとってテレビと映画は対極なのだろう。映画の中で写真を燃やすときって、必ず表を上にするな、と思ったが、普通そうするか。
[映画館(字幕)] 7点(2012-01-31 10:14:46)
5.  森の中の淑女たち
ネオレアレズモではシロウトを使うのはリアリティを出すためだったわけだが、このケース、シロウトを使ったことでかえって「おとぎ話」めいた味わいが出た。老人というものがそもそもおとぎ話的なのか。バスの故障のため不意に生じた「林間学校」。老人でなかったら人々がそれぞれ役割りを分担して小社会を築いていくストーリーになるところ、老人はもうそれぞれの生き方を固定させていて、ただアワアワと大自然の森の中に溶け込んでいく。風格と言ってもいい。時たま彼女らの過去の写真が入る効果で、奥行きが出る。ただ人物の揃え方が、尼さんがいたりレズビアンがいたりと「女の生き方」を集めたっていう手つきがちょっと鼻につくところ。ただただ静かな湖面。ストッキングでの魚とり。蛙の料理。作られたのは社会ではなく、仲良しグループ。不意に訪れた休暇にふさわしい。シューベルトの五重奏が似合う。
[映画館(字幕)] 6点(2011-10-14 09:48:30)
6.  特別な一日
変にひとけがない感じがいい。『黒いオルフェ』では、カーニバルの賑わいの裏道の静けさってのが生かされてたけど、あれを思い出した。ファシストの集会にみなが出払った後のアパートの静まり。この設定がファシストおばさんとホモおじさんの出会いに必要だった。自分で女は劣っていると思い込んでいるほど素直にファシストの言葉を信じているヒロイン。公園でムッソリーニを見かけて気絶しちゃったってんだもの。あの当時のこういう素朴な一般庶民てのはなかなか映画で主役をやらせてもらったことなかったんだよな。ムッソリーニは貧困をもたらす敵だったのではなく、彼らにとって希望の象徴だった。小道具、九官鳥からルンバの足形、砂のオモリつけた電球、などなどが生きている。管理人のおばさんも重要。世間そのものといったような無垢な残酷さ。ラジオによる沿道の賑わいの中継が生きる。管理人のおばさんが大きな音で聞いているの。
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-20 09:46:40)(良:1票)
7.  第9地区
エイリアンの存在が日常と化している、その設定のみ評価。今まで宇宙人は『宇宙戦争』みたいに対立するものにしろ、『未知との遭遇』みたいに友好的なものにしろ、なんというか、敵とか神とか非日常的な「目覚ましい」存在だった。ここでは被保護者として日常的に存在している。『E.T.』も被保護者ではあったが、ああいう特定の狭い環境下ではなく社会そのものでそうなっている。もっぱら宇宙人もので国家が介在してくると、「国防」問題としてだったのが、ここでは「治政」問題として登場する。そういう状況をスケッチしていった冒頭が楽しかった。まあ結局、世界にあふれている異民族間の軋轢を(あるいは狭く南アの問題を)、難民としての宇宙人に置き換えて描いただけじゃないか、ということだが、でもそうやって置き換えることで新鮮に見えてくるものもある。苛酷な植民地支配を徹底的に受けた大陸を舞台にして生まれた発想だろう(でも後から入ってきた白人がエイリアンになぞらえられてるわけではなく、意図的なのか無邪気ゆえなのかは分からないけど、微妙なネジレがある)。今まで宇宙船がもっぱら北半球に訪れたこと自体に、宇宙の偏見(!)があったのかも知れない。ただドラマとして展開していくには、既製の北半球的物語を利用するしかなかったのが弱点で、冒頭でワクワクした分、物足りなかった。でも晴れ渡った・影のくっきりしたゴマカシのない世界像はいい。
[DVD(吹替)] 6点(2010-12-07 09:56:49)
8.  2012(2009) 《ネタバレ》 
切り上げどきの判断が出来ない映画。前半はいいのよ。見世物に徹していて、映画が誕生した当時のDNAを受け継いでいるなあ、とワクワクしながら観てた。小説でも芝居でも絵画でも出来ない映画ならではの興奮。重大な災厄へ導いていく些細な兆候のあれこれ。危機一髪の脱出も似たパターンの繰り返しながら、やはり嬉しく眺めた。でもそれも中国到着まで。あそこで切り上げる話に設定してくれてれば、ヨシッ、と膝をたたいたんだけど、ズルズルあと退屈な1時間が続く。「日本沈没」の拡大版か、と思ってたら、あちらはどうしても、ノアの箱舟と大洪水を出さないとならないらしい。いらない教訓シーンまで付けてガックリきた。こういう映画は2時間半を越さないといけない、という決まりでもあるのか。コンパクトにまとめて上映の回転数増やしたほうが、映画館だって嬉しいだろうに。見応えの前半、崩壊していく世界をうっとり眺めながら、しかし人々の間にこういうリセット願望が深まってるってのは、あんまりいい傾向じゃないな、と思わされた。日々のゴチャゴチャしたあれこれに埋め尽くされている日常からの解放への誘惑。渋滞した道路や街が海に飲み込まれていく晴れ晴れしさ。複雑になりすぎていた社会が、単純な重力の法則にのみ従ってものみな沈降していく。我々はこういった光景にスッキリするまでに、身辺が窮屈になっているわけだ。そして自分=主人公は生き残る側にいて当然と思っている。これが深まると変な宗教にハマったりするまであと一歩。
[DVD(吹替)] 7点(2010-06-05 12:04:30)(良:2票)
9.  JM
アクション映画はどんどん加速して盛り上げてほしいのに、これは単純な直線的進行。アクションが連続していれば退屈しないでしょ、と考えたらしいが、そうじゃないの、だめなの、加速が必要。そうしないとこちらは空回りしている徒労感に襲われる。想像力のなさが致命的。なにか一つ得るものがあるとすれば、政治的な東西対立が終わった後に、文化的東西対立が大きくなってくるかもしれないなあ、という予感。とりわけ西の「被害妄想」としての。どうして映画の悪者は、すぐに相手を殺さないでゴタクを並べて逆転されるという、あまりにもストーリーに奉仕した失敗を繰り返すのだろう。もう型になってしまっていて、誰も心配しなくなっている。たまにはそういった失敗から学んで進化した悪者を創造してもいいのに(といって善玉をあっさり殺させないしなあ)。無神経な暴力描写も不愉快。圧倒的優位に立つ側が、弱いもんをネチネチ痛めていくシーンは、もちろん悪を描くわけなんだろうけど、でもなんでこんなもんを見せられなきゃならないんだ、って気が先に来てしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2010-04-14 12:01:11)
10.  若草物語(1994)
黒人も東洋人も登場しない「よき時代」のアメリカ。体罰する学校は「外部」であり、この女たちの城は、ただただ清らかである。悲しみは病気と死であって、これもインセンスを守るため、姉妹の一人がイケニエにされたようなものだろう。前半はいささか退屈だったので、『細雪』や『叫びとささやき』などを考え合わせていたら、看病の床で読む本に「ピクイック氏」が出てきたのには驚いた。『叫びとささやき』でも同じように病人に読んでいた本。つまりいかにもそういう小説なんだろうな。それとも原作にあるのなら、ベルイマンが「若草物語」を引用したということも考えられる。姉妹群像ものが「若草物語」を重ねるってのは、これよりずっと後になるが、NHK朝の連続ドラマ「てるてる家族」ってので、石原さとみ・上野樹里らが四姉妹になったので、近所の金持ちの孫が浪利(なみとし)君といって、ローリーと呼ばれていた。けっこう原型としての「若草物語」は根深く世間に流布しているようなのだ。でこれ、平均的アメリカ白人の心の原風景を知るにはいい作品、カナダの「赤毛のアン」と比べるとプロテスタント臭が若干感じられる。
[映画館(字幕)] 6点(2010-04-09 12:06:36)
11.  レッド・ブロンクス 《ネタバレ》 
ホバークラフトとバスの間に挟まれそうになって、すべってもぐって、乗用車の寸前に落ちる。いつのころからか車がぶつかるのが「アクション映画」になってしまったが、その車と車の間を生ま身の人間がピョンピョンするってのが本当の「アクション映画」だ。キートンにしろロイドにしろ、昔っから画面の中央には人間が動いていなけりゃならなかった。ジャッキー・チェンが正しい。前半は町のチンピラのレベル、後半になってより大きな犯罪組織が相手になっていく、っていうレベルの上昇も正しい。映画の中で缶詰が積んであると、それは必ず崩されなければならないってことも正しい。
[映画館(字幕)] 6点(2010-03-19 11:53:30)(良:1票)
12.  アポロ13
面白い題材をいかにもハリウッドらしくソツなく料理したという一編。難関に次ぐ難関を一つ一つ乗り越え、家族の反応なんかも折り込み飽きさせずに楽しめるが、結局それがそうであっただろう生々しさから遠ざかってしまった気もする。3回目だというのにもう飽きている大衆が背景にあって、家族よりもこっちをもっと突っ込んだほうが面白かっただろう。事故になった途端飛びついてくるテレビ。なるほどと思ったのは、もうコロンブスなどの個人の英雄の時代ではない、ってこと。どこまでも可能性を求めていくスタッフの冷静な姿勢が現代の英雄的行為なのだ。四角と丸の空気清浄器をあれこれ繋ごうとする。ライカ犬とは違うんだ、と生理データ器具を取り捨てる、なんて意地も見せ、困難を前にチームの和は固まり、無関心だった娘が家族の愛に戻ってくる、といったアメリカ人好みの「教訓」もいろいろ揃えてあります。
[映画館(字幕)] 7点(2010-02-26 11:08:06)
13.  人類創世
ネアンデルタール時代と原始文明時代の間のどこか、その猿と人との間での信仰・家屋・道具・化粧などを描いていく。芯に火を求めての冒険の旅を置いてあるのもストーリーとしての安定感、ユーモアも適度に散らばっている。しかし言葉がないことが、映画として枠に感じられてしまうんだなあ。言葉のない自由さよりも、不自由さを感じてしまう場面のほうが多い。せっかくのユニークな目の付けどころがあんまり生きてこない。つまり隠された言葉の台本がまずあって、それにジェスチャーを振り付けていったというような。まあこれは難しいことかも知れないけど、もっとまったく新しいものを期待してしまっていたので、ちょっとがっかりした。悪役が悪役らしい表情をしていることなんかにも、言葉の下地が透けて見えている気がする。音楽がやたら荘重な後に滑稽シーンが続いたりして、映画としてのリズムへの気配りも足りない。進化の進んでいる村は、どことなくパゾリーニの世界を思い出させて懐かしかった。
[映画館(字幕)] 6点(2010-01-03 11:54:04)
14.  ストレンジャー(1996)
今ではちょっと下火なのかな、20世紀末からしばらくサイコホラーってのが流行って、でも考えてみれば映画ってものがそもそも精神分析と同じころに誕生した兄弟だったわけで、『カリガリ博士』の時代にすでに心理学ブームはあり、このころは二度目の流行りと言えようか。表面だけを記録していくフィルムの機能が、かえって幻想を描くと生きてくる。これなんか一つのアイデアだけが命のホラーで、弦楽器のネットリした音楽が雰囲気をつないで、とりあえず一本の時間を退屈させずに見せてくれている。もっとじらしてほしいところもアッサリしてたりして、演出にコクがないけど、基本的にサイコホラーってのは凡作でも何か映画のポイントをつかんでるみたいなんだ。フィルムにおける内面の不可視ってことと関係があるんだろう。原題は「知らない人と口きいてはいけません」って。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-03 11:56:41)
15.  レンブラントの夜警 《ネタバレ》 
何かを読み取りたくなる演劇的な絵画、それを演劇的な映画を撮る監督が題材にしたとなると興味を引くが、なんか相殺し合ってしまったという印象。ベッド・テーブル・棺などの水平線が強調される画面で、その無機質な構造を破るように、馬や牛や鶏やらが闖入してくる。しかしそれらもあくまでも舞台の上を賑やかにするという雰囲気で、映画そのものをスリリングにはしてくれてない。安定した舞台で、小さなまとまりのある陰謀劇を鑑賞した気分。「夜警」についてどんな研究がされているのか知らないが、あの絵の面白さは読み取りきれない物語をいくらでも紡ぎ出してくるところで、市民の裏面話(事故に見せかけた殺人、孤児院を装った売春宿と、演じることの二重性はあるけど)で閉じてしまうだけでは勿体ない気がした。ましてレンブラントが推理劇の主人公のように告発したりするのは興を削ぐ。俗な欲求から生まれた集団肖像画が、後世まで興味を引き続ける偉大な絵画となる、という芸術の不思議さに大きく展開していく前に、この推理ドラマは小さく閉じてしまったように見えた。
[DVD(吹替)] 6点(2009-03-26 12:00:27)(良:1票)
16.  イースタン・プロミス 《ネタバレ》 
見ながらしばしば日本の仁侠映画の世界と比較していた。似たような設定がよくあった。愚かな二代目をため息まじりに見守る親分がいて、「おめえが俺の実のせがれならなあ」と渡世人のモーテンセン(たとえば健さん)に愚痴ると、「いえ、あっしはただの運転手で」と無表情のまま答えている、そんな場面。しかし任侠ものの艶っぽさはこちらにはなく、ただただ陰惨な光景が広がっている。親分は少女をレイプする人間だし、主人公のほうも渡世人のふりをしているもっと大きな組織の人間だったりする。もちろん単独で潜入してるってとこに一匹狼の味はあるんだけど、かなりガックリした。親分アーミン・ミューラー・スタールの演技の問題じゃないのよ。あの人はいいの。久しぶりに会ったけど、ああいう顔していて、複雑な内面の人やらせると凄味が出る。コスタ・ガブラスの『ミュージック・ボックス』なんか良かった。この人、若いときはヴァイオリン弾いてたそうで、今回その技能が生かせたわけだ。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-19 12:12:53)
17.  シン・レッド・ライン
この監督はやっぱり草の映画を撮る。緑あふれる戦場。兵士がふとオジギソウに触れ、葉が閉じる、草にとっては相手が殺気にはやった兵士だろうと遊んでいる子どもだろうと同じ反応をするわけだ。細い葉に一瞬散る赤い血の線。風のように・なめるように移動するカメラ。草の視点から見た戦争映画ということか。この地に殺し合うために呼び寄せられた兵士たち、それをこの地にもともと生えている草たちが観察している。この草の迷宮感が素晴らしく、兵士たちを雑草になぞらえるという単純な比喩を越えて、もっと多義的な思いが次々と湧き上がり、「人と自然」といった軸の周りをめぐり出す。ストーリーはそれほど珍しいものではない(無茶を言う上官と下卒思いの司令官との対比とか)、この映画の眼目は、ガダルカナルを日本軍と米軍が向かい合っている島としてでなく、兵士たちと草が向かい合っている島として描いたことだ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-01-12 12:19:17)
18.  レッド・バイオリン 《ネタバレ》 
古い器物が化け物になるという発想はもう今昔物語の昔からあり、いにしえの人が身近に置き愛玩していた道具に、なにやら執着が付き添い怪しい奥行きが出てくる、って感覚はよく分かる。まして楽器という精神性の高い道具ならなおさら。それぞれの時代で持ち主の不幸を奏でながら流浪するバイオリン、ってな話。怖いのは何話目だったか、パガニーニを思わせるような音楽家、その浮気がバイオリンの音色の変化で分かってしまうってやつ。で妻はピストル撃つのだが、それは女でも男でもなくバイオリンに向けられる。恋敵はバイオリンなんだな。我々が支配し切ったつもりになっている道具というものも、そっちの側からこっちを見る視線を感じれば、けっこう怖い材料になる。
[映画館(字幕)] 7点(2008-12-04 12:13:54)
19.  チョコレート(2001)
男三代のカチカチの家の息苦しさ。とりわけ祖父の重さ。伝統。しょうがない女だったと言われているが、母の不在が大きい。子を愛していたことに遅れて気づき、父を愛していなかったことに遅れて気づく不幸。椅子の血の汚れと、車の座席の血の汚れ。これはすでに崩壊した家のホームドラマでもある。しかし差別の意識はこんなにも簡単に拭われるものだろうか。すべて祖父一人に、伝統に、過去に責任を押しやって、主人公をきれいにしすぎた気もする。南部ジョージアの匂いをさらりと出しているのはいい。
[映画館(字幕)] 6点(2008-06-23 12:12:23)(良:1票)
20.  フリーダ
亭主が桂春団治的で、芸のためなら浮気もコヤシって感じの人。でもメキシコの女はただでは忍従しない。忍従を美徳としない。忍従するくらいなら男になってしまう。受難を解放に変えていく。自分の体を締め付けているギプスに絵を描く、自分を拘束するものによって解放されていく。それはラストの寝台ごとの個展出席にまで続いていくわけだ。メキシコ文化という拘束から、インターナショナルなものを生み出していく。地球の反対側の中南米文化って、中身も日本と正反対みたいで、元気いっぱい。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-08 12:13:49)
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