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コメント数 823
性別 男性

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121.  CASSHERN 《ネタバレ》 
元ネタについては一切知らず。 どうせクダらない作品だろうとタカを括っていたが、意外にというか相当に楽しめた。 もし、自分が映画を作ることができる立場にいれば、恐らく本作のような「訳の分からない作品」を作っていたのではないかと思えるほどのシンパシーを覚えた。 こういう批判覚悟のメチャクチャな映画を作れるというキリヤに対して羨ましく感じる。 原作ファンやアクション作品を楽しみにしていた観客から批判されるのを覚悟の上で、自分の描きたい世界観をデビュー作から見事に表現できたのではないかと思う。 邦画でもなく、もちろん洋画でもなく、自分独自のオリジナルな作品であり、誰かの人真似ではない作品だ。 そういう意味においても評価したいところだ。 何らかのメッセージを込めようと試行錯誤して辿り着いたものが、レベルが低くて単なる理想論だとしても、何も込めないよりはマシだ。 子どもレベルのメッセージであるが、自分自身それほど難しいことは分からないので、この位の低いレベルだとありがたい。 本作が言いたいことは面倒くさかったので、あまり深く考えないようにして鑑賞してみたが、それでも「憎しみの連鎖」というテーマを上手く表現できていると感じられた。 その辺にある“反戦映画”よりも、本作の方がまだ“反戦”というメッセージがストレートに伝わってくる。 「戦争がどんなものか知らない」「死んではいけない」という分かりやすいセリフの趣旨が上手く映像化されていると思う。 「青臭い理想論」かもしれないが、何を考えて作成されているのか分からない作品が多い中において、本作が目指した“志”は評価できる。 “映像”と“メッセージ”の両立に成功しており、本作の価値は高い。 多くの人に共感を得られるレベルではなかったかもしれないが、自分の理念にチャレンジした男の生き様を感じられる作品だ。
[DVD(邦画)] 8点(2009-06-06 12:55:29)(良:2票)
122.  ダークシティ
ストーリーや設定、世界観も独創的で素晴らしいが、こちらに分かるようにやってもらわないとちょっときついね。 なんとなく監督の一人よがりになってないかなという気がする。 色々なことがやりたくて、全てが置き去りになってしまっていると思われる。 冒頭の連続殺人から始まり、記憶を失った者の「自分は何者なのか?」という自分探しや人間の個性とは、思い出とは何か?という人間性を描きたいのかと思いきや超能力対決になってしまうし、最後も太陽とか海とかなあ、しまいにはラヴストーリーだし。 舞台は面白いからもっと絞って描けば、なかなかの傑作になり得た可能性もあったんだが。
6点(2004-09-06 00:30:41)(良:1票)
123.  ノウイング 《ネタバレ》 
終始、乗れない映画に仕上がっている。 結末が明らかになるにしたがって、乗れない理由がだんたんと分かってくる。 監督自身、脚本に関わっているかもしれないが、この脚本の監督を任されたら、どのようなアプローチを試みればよいか、途方に暮れるほどの難しさを持った作品だと思う。 “父と子の別れ”のようなものがテーマにもなっているので、もうちょっと父子の絆を重めに描いた方がまだ良かったのではないか。 ニコラスが子どもを無視したり、放ったらかしにして、終始一人で暴走しているようにしか思えないので、父子の絆が描かれているようには思えない。 母の死で心を閉ざした子と父が協力しながら、タイムカプセル内の紙の謎の暗号を解き明かそうとして、父子関係が回復していけば、まだ面白くなったのではないか。 そもそも紙に書かれた暗号や事件など、本作の結末とはほとんど関係ないのだから、あの暗号に意味を持たせるとすれば、こういう使い方をするしかない。 派手なアクションがあるSF作品であるが、ヒューマンドラマの要素をもっと増やせば、もうちょっと見られた作品になったかもしれない。 “手話”という手法を利用しているが、必ずしも効果的ではないのは、劇中で彼らの絆の深さが足りないからだろう。 しかし、地球が消滅しそうになる映画の大半で、訳の分からない方法で何度も地球が救われてきたが、何の手も打たずに地球が消滅するというのはなかなか思い切った手法だ。ただ、二人の子どもがアダムとイヴとして新たな人類を再生していくという解釈は面白い宗教観になっている。冒頭の父と子の会話がヒントになっているものの、風呂敷が広すぎてピンとは来ないが。 本作を見て、分かることはニコラス・ケイジの偉大さだけだ。 宇宙船が登場した瞬間に、ヒザから崩れ落ちるニコラス・ケイジを見て、「スゲえわ。カッコ良すぎる」と思ったほどだ。彼が出演しているから、ギリギリ映画として成り立っている。普通の役者ならば、見ていられないほどのレベルの作品だと思う。 どんなに荒唐無稽な作品でも、彼が持つ“何らかのチカラ”が働いて、荒唐無稽と思わせないようになっている。逆に、どんなにリアルな作品でも、“絶対に冗談だよな”と感じさせてしまうかもしれないが。 大げさな音響や音楽も本作をより低い作品にしてしまっている。あまりにもセンスがなさすぎやしないか。途中からうんざりしてしまった。
[映画館(字幕)] 4点(2009-07-13 00:14:47)(良:1票)
124.  ランボー/最後の戦場 《ネタバレ》 
“戦う”ことの意義を問うた作品に仕上がった。“戦う”ことに対して悩み続け、そして逃げ続けても決して“答え”は出ない。“戦う”ことに真正面から向かい合ってこそ、何かしらの“答え”が出るのではないか。故郷の地に戻ることができたのも、彼なりの“答え”が出たことの証だろう。 武装船を燃やすことによって“戦い”から逃げたいというランボーの心境を表すとともに、過去のシリーズをフラッシュバックさせることでランボーの傷が癒えていない事をアピールしている。そして、最後まで戦い続けた結果、人々に笑顔が戻ったことで、ランボーなりの“答え”が出たことを観客に伝えている。何も考えていない銃乱射のグロアクション映画ではなく、押さえるべき点をきちんと押さえているので好感が持てる仕上がりとなっている。 「ロッキー」シリーズもそうだが、「ランボー」シリーズも等身大のスタローンが反映されている。“戦う”ことから逃げてきたランボーは、「ロッキー」や「ランボー」の栄光から逃げてきたスタローンに似ている。演技派と認めてもらおうとイメージをいくら変えようとしても、結局は自分を偽ることにしかならない。 徹底的にハードなアクションにこだわった理由としては、「自分にはこれしか出来ない」という潔さを感じ取って欲しかったからではないか。この映画からは、“偽り”は感じられなかった。 スタローンという役者は実は凄い役者ではないかと感じた。 スタローンは決してジョニー・デップやトム・クルーズのようにはなれない。 しかし、ジョニー・デップらの名優が伝えることができないことをスタローンは我々に伝えてくれるのではないか。不器用(本来は監督・脚本・演技ができるので不器用ということはないが)で、才能がなくても、自分が出来ることを愚直なほどに真っ直ぐに貫けば、きっといつか輝けることができるはずだと教えてくれている気がする。誰かの真似をする必要もなく、自分自身を偽って背伸びをする必要はない。たとえ、誰もが認めてくれなくても、自分自身が最後には納得できるはずだと教えてくれている。これらのことが「ムダに死ぬか、何かのために生きるか」というセリフに凝縮されている。 スタローンの生き様には一目置きたい。本作はただのハードでグロいアクションばかりではなく、生き様、哲学、人生を語っている作品でもある。
[映画館(字幕)] 7点(2008-06-03 23:44:55)(良:3票)
125.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
宮崎駿という監督をそれほど高くは評価していなかったが、鳥肌が立つほど宮崎駿の恐ろしさを味わった。 本作を作ることができるのは、恐らく世界を探しても宮崎駿一人しかいないだろう。 ひょっとしたら子どもには作れるかもしれないが、大人には作れない映画だ。 何かを悟ってしまったかのような境地だ。 CGアニメが精緻にリアルに描かれた西洋の油絵ならば、手書きのアニメは日本の水墨画のような仕上がりだ。 CGアニメは画面から得られる情報しか与えてくれないが、手書きのアニメはシンプルではあるが、見たものの想像を駆り立てるチカラを持っている。 西洋の美術は全てを描こうとするが、日本の美術は全てを描くことをあえて止めて、「余白」を上手く利用して、見たものに奥行きを与えている。 どちらが優れており、どちらが劣っているという問題ではないが、本作は非常に日本的な味わいが感じられる作品に仕上がっている。 手書きスタイルだけではなく、ストーリーにおいてもこの「余白」的な仕上がりを感じられる。余計なストーリーを一切廃しており、恐ろしいほどのシンプルさが逆に凄みを感じる。余計なストーリーがないというよりも、ストーリーらしきストーリーも存在しないが、それでも全く飽きることがない。 そういう映画を作ることははっきり言って難しいと思う。 映画に毒されている人ならば、ソウスケとポニョを引き離そうとする父フジモトの悪だくみを描いたり、ポニョを人間にするためにソウスケに試練を与えようとするだろう。 そういったことをあえて描こうとしていないのが恐ろしい。 この描き方は、観た者の想像力を喚起させるのではないか。 本作に描かれているのは、ソウスケがポニョを想う気持ち一つだけだ。 宮崎駿は鑑賞してくれた子ども達に特別なことは必要ない、気持ち一つで十分とでも言っているのだろうか。 また、誰も死なない、誰も傷つかない(ソウスケがガラスで指を切ったのは除外)、人間の悪意がほとんど描かれていない(ゴミで汚れた海は描かれているが)、優しさに満ち溢れた映画である。 これほど澄んだ映画が、他にはあっただろうか。心が洗われる想いがした。 子どものために、子ども目線で作られている映画であり、宮崎駿はストーリーよりも何か別のものを重視したのかもしれない。
[映画館(邦画)] 9点(2008-07-21 00:49:52)(良:3票)
126.  アマルフィ 女神の報酬 《ネタバレ》 
事件の成り行きを見守ることができるので極端につまらない映画ではない。しかし、面白いとは思えないというのが率直な感想。風呂敷を大きく広げた割には、全体的にこじんまりとしてしまったか。 織田裕二は嫌いな役者ではなくて、むしろ応援している方だ。しかし、好意的に見ても、完全に“黒田”というキャラクターをモノにしているようには思えず、やや中途半端な印象を受けた。彼からは“個性”が見えてこず、“魅力”を感じられなかった。天海に対するいたわりのようなものは、テレビを付けない、間仕切りをする等の行為から読み取ることはできるが、苦悩も悲しみも焦りも苛立ちもなく、感情が伝わってこない。オーバーアクトをしたくないのは分かるが、もうちょっとキャラクターを作った方がよかったのではないか。似たようなキャラクターになるのを避けても、結局つまらない男を演じては仕方がない。本作では、もっと冷酷で“嫌な男”を演じてもよかったか。“任務”を遂行するためには、手段を問わず、汚い手を使ってでもこなすダークヒーロー的なキャラクターでも面白かったと思う。イタリア警察に反旗を翻すようなシーンがあったが、あの程度では弱い。 西谷監督については「容疑者Xの献身」しか知らない。「容疑者Xの献身」では監督としての“個性”がないと評価したが、本作は個性を出しているものの、悪い部分しか顔を出さなかった。全体的にメリハリがなく、のっぺりとしており、やはり好きにはなれない監督だ。本人は“面白い”と思って色々とやっているつもりだろうが、“計算”や“効果”を考えているとは思えないものばかりだ。“誘拐事件”という緊張感のある事件を扱っている割には、肝心の緊迫感も何もない。 “真相”についてもそれほど驚くべきオチというわけでもなく、どこかで見たようなことのあるネタだなと思う程度。当然、テロリストにならざるを得なかった“悲哀”というものも感じられなかった。そもそも、犯人が日本人、対象者が日本人、追い詰めるのも日本人というものを何故イタリアで撮る必要があったのかもよく分からなくなってしまった。予算の無駄遣いをできるのは外交官だけではなかったようだ。テレビ局というところも、どうやら無尽蔵に予算があるようだ。
[映画館(邦画)] 5点(2009-08-09 22:49:00)(良:2票)
127.  3時10分、決断のとき 《ネタバレ》 
個人的には狙ったわけではないが、「3時10分」から始まる回を鑑賞。 劇場の方は完全に狙っているだろう。 世間一般でも絶賛されている本作だが、なぜか上手くハマれなかった。 オリジナルを見ていなければ、もうちょっと高い評価をしたかもしれない。 予習用にオリジナルを見た直後に鑑賞したのが完全に裏目に出たようだ。 人間ドラマに焦点をあてて、西部劇らしからぬ西部劇だったオリジナルの良さに惚れこんだが、派手でありがちな西部劇に変化させてしまったことが引っ掛かってしまった。 オリジナルでは、冒頭の強奪の際に双方に多くの死傷者が出るほど派手な銃撃戦はない。 アパッチ族も出てこなければ、トンネル爆破もない。 護送中にベンが護送をしている者を殺すこともなければ、金目当ての住民から撃たれることもない。 派手さを“時代”が要求しているのかもしれないが、そういったことをしなくても良作ならば、観客は付いてくるのではないか。 派手な撃ち合いがあること自体に対して非難するつもりはないが、ベンという男に対して“感情移入”を妨げるような結果に繋がっているような気がする。 オリジナルでは意外と紳士だったベンは、このために極悪非道ぶりを露呈せざるを得なかった。 油断したといって仲間を殺したり、ブチ切れて次々に殺したり、訳の分からない奴に恨みを買われたり、助けに来た仲間を殺したりと、彼には“良心”がなく、はっきりいって好きにはなれないキャラクターだ。 ダンの“名誉”のために最後の列車には乗ったものの、馬を呼んで脱獄する気が満々というのもいかがなものか(これでは皆が無駄死になる)。 このような無法者の犯罪者と貧乏な牧場主では“友情”や“絆”は築かれないのではないかと思う。 オリジナルではベンはダンの姿に、成れなかった自分を投影していたが、ダンの“名誉”を守るほどの関係性がオリジナルほど深まっていないような気がした。 オリジナルではそれほど出番のない息子をクローズアップして、「自分に対する誇り」というテーマを重要視している。 そのテーマには惹かれるが、名誉ある“死”が心の中で上手く整理することができず、“感動”に繋げることができなかった。 自分自身に対する“満足”、自分に対して軽蔑の念を抱いていた息子や妻へ“自分の生き様を刻み付けた”という意味のある“死”ではあるが、ちょっとすっきりしないオチでもある。
[映画館(字幕)] 6点(2009-08-16 01:50:22)(良:2票)
128.  X-ファイル:真実を求めて 《ネタバレ》 
「こんな映画作って誰が得するんだ」と1%の期待もしていなかったが、テレビシリーズを比較的見ていたので、最後の締めくくりとして、やむを得なく鑑賞することとした。 まったく期待していなかったためか、予想外の展開・いい意味での裏切りが個人的にヒットした。 本作には、政府の特殊機関も特殊な極秘プロジェクトも、宇宙人も、UFOも登場しない。派手さが微塵もない、捜査官が巻き添えを食らっただけの誘拐事件に過ぎない。 予算の制約もあったと思われるが、このような小さな事件を取り扱った点が意外な潔さを感じる。大国を脅かすテロリスト事件、地球規模の災害、宇宙人とのバトルといったものが最近の映画の流れではあるが、この流れに乗らず、むしろ逆行したことに本作の意義があったのではないか。時代はかなり進んだが、時代に合わせるのではなくて、製作者は原点に回帰しようとしたと思われる。 モルダーとスカリーの関係が実に上手く描かれている。 久々の事件にのめり込むモルダーと、以前のように事件にのめり込まず、自分の新たな使命を見つけたスカリーとの対比が実に素晴らしい。心と体では二人は結ばれていても、もはや昔のような二人には戻ることができない。彼らの関係をみていると、“時の流れ”や“時の無常”を感じられる。“時間”というものが何かを変えてしまったようだ。 しかし、変わってないものもある。それが“超常現象の神秘性”のようなものか。 超常現象を信じないスカリーの胸に引っかかる“言葉”、引っかかる“何か”を見せることで、それが我々の心の中にも何かが引っかかるのではないか。 もはや、誰もオカルトチックな超常現象なんて信じていないだろう。 だから、100%胡散臭い・リアリティゼロのストーリーで構成するのではなくて、比較的現実的なストーリーの中に少しの超常現象で構成したという点が意外な上手さを感じられる。また、荒唐無稽な超常現象というよりも、誰にでも共感できる「あきらめないこと」、「人間の業」の深さや「神の赦し」という普遍的なテーマに落とした点はそれほど悪い落としどころではないと思う。 興行収入的に失敗しており、このシリーズは恐らく完結ということになると思われる。興行収入に失敗し、往年の作品を期待していた我々を裏切る形となったが、製作者の想いや彼らが辿り着いたアンサーが伝わってくる作品となり、いい形で幕を閉じたような気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-17 01:06:12)(良:1票)
129.  デュプリシティ ~スパイは、スパイに嘘をつく~ 《ネタバレ》 
全貌が終盤まで明らかにならないため、先が読めなく、ストーリーに集中せざるを得ない。中盤まではテンポよく、軽妙な作品に仕上がっており、ストーリーのスジだけ追っていれば、しっかりしたオチもあるので、それなりに楽しめるサスペンスになっている。しかし、脚本家として有名なトニー・ギルロイは、監督としては、やや才能のなさを露呈したところがある。既存の映画のアイディアを借用しながら、健闘しているようにはみえるが、ラストでのすっきりしない種明かしは、観客にモヤモヤ感を与える。肝心のジュリアとクライヴの関係ばかりではなく、黒幕の仕掛けた罠の描き方が物足りない。「空になった工場」「偽の天才科学者」などの描き方が上手くないので、ダマされたというよりも、拍子抜けに近い気持ちになる。 時間軸のズラし方も、「ドバイ→NY→ローマ→NY→あと1回どこか→NY」程度に留めておけばよいものの、調子に乗って、何度も何度も繰り返せば、観客はイライラしてくると思わないのだろうか。 回数を減らせばプラス効果があったのに、かえってマイナス効果が大きくなった。 また、肝心のジュリアとクライヴのエモーショナルな関係が描ききれていないことが最大の欠点になっている。このミッションに必要なのは、“信頼”と“愛”ということをもっとアピールした方がよいのではないか。どちらかが裏切れば、簡単に大金を独り占めできるようなシチュエーションにしないとこの手の作品は盛り上がらない。 “信頼”と“猜疑心”の狭間で二人がもっと揺れないと観客はノレない。 脚本家としては、それらをしっかりと描いていたように思えるが、監督としては、抽象的な部分を画面に描けなかったように思える。 ラストでは「女が男を待っているシーン」があったが、これも違うような気がした。 あのシーンは「女が男を待っている」のではなくて、「男が女を待たない」と意味がない。裏切ったと見せかけたのは女であり、一見裏切られたと思われるのは男である。「男が誰かを待っており、諦めて帰ろうかという瞬間に女が現れる」ようなシーンを描いて欲しかったところである。そのときになって、女が裏切ったのはフェイクだと観客は気付くだろう。女が待っているシーンを描いた瞬間に、あれはフェイクだと分かってしまう。こういうシーン一つだけでも、トニー・ギルロイとはやや相性が悪いと感じてしまうところだ。
[映画館(字幕)] 6点(2009-05-16 11:31:59)(良:1票)
130.  カムイ外伝 《ネタバレ》 
原作未読。一度も見たことがない。 邦画作品らしく、マイルドな作品に仕上がっており、極端につまらない作品ではない。 CG丸出しの作品ではあるが、細部には多少こだわっているようにも思われた。 しかし、毒にも薬にもならない普通のアクション作品でしかなかった。 何を描きたかったのか、“本質的”な部分が見えてこない。本作の冒頭及びラストに明確なテーマが示されていたはずだ。確か「抜け忍であるカムイの夢」や「猜疑心・己との戦い」といったことが語られていたと思う。しかし、本作をいくら見ても、これらのことが上手く描かれているとは思えない。 原作を見たことがないので分からないが、カムイの夢とは追われることがなく、争いのない世界で幸せな家庭を築くことではないだろうか。本作の流れを踏まえると、猟師となることもできたはずであり、自分を好いてくれる娘と家庭を築くこともできたはずだ。そういったカムイの夢や希望のようなものが見えてこない。ノドから手を出るほど欲していた夢が目の前にあるのに、カムイからは苦悩や葛藤も何も伝わってこない。 そういったものを欲しないのならば、いったい何のために抜け忍になったのかが分からない。 そして、最も大事なことは「猜疑心・己との戦い」ではないか。サヤカが見た恐ろしい夢のようなものは、本来ならばカムイが見るべきではないだろうか。忍者に追われるということだけではなくて、半兵衛を売った男のように、いつ村人に囲まれてもおかしくないという“恐れ”のようなものが常に付きまとっているはずではないか。そういった“恐れ”や、自分が売られるというような“猜疑心”のようなものをフドウに利用されて、村人全員をカムイが殺してしまうというような展開になってもよかったと思う。 愛した女でさえ、猜疑心ゆえに殺してしまう。どんなに強い者でも、自分にはなかなか勝つことはできないということをクドカン辺りならば、描くことはできたのではないか。 そして最後には、誤りを犯して傷ついても、苦しんでも、どんなことがあっても、人は何かを求めて彷徨い、生き続けなくてはいけないということを描いて欲しかったところだ。“忍者モノ”という現代とは何ら関係のない作品でも、現代に通じるようなものを描いてこそ、優れた作品といえるだろう。
[映画館(邦画)] 5点(2009-09-20 23:57:57)(良:1票)
131.  ゴーストワールド
高校を卒業し社会に出て行かなればならないまさに子どもと大人の境目を生きている。嫌悪するような世界で、自分自身を貫こうとするも、分かり合っていたはずの親友も徐々に変わっていく。 自分自身を失いかけ、自分も変わらないといけないのかと悩んでいるときに、自分を貫いている男を発見する。 二人の奇妙な交流によって、失いかけていた自分を取り戻して、自分自身の道を生きる一歩を歩みだす。 これは誰もが経験し悩むながらも通る道で誰もが共感できるテーマではないだろうか。 ラストは「死んだんじゃないか?」ていう人もいるが自分はイーニドが途中で語った夢のように誰も自分のことを知らない街に旅立ったんではないかという気がする。あの目的地も分からないバスに乗って。
8点(2004-04-20 20:56:44)(良:1票)
132.  東京物語 《ネタバレ》 
世間的に評価されている名作という理由だけで高得点はつけたくないが、本作はお世辞抜きにして、素晴らしい作品であると感じた。 この歳になるまで、小津作品は一度も観たことなく、ようやく本作を鑑賞したのだが、鑑賞中、なぜか終始鳥肌が立つような感じで、悲しくはないけど涙が出そうになることが何度もあった。とても不思議な作品である。 第一印象として、非常に「緊張感」のある映画だと感じた。美しい「日本の心」と、失われていく「日本の心」が終始静かにぶつかり合い、せめぎ合い、衝突しながら、それが一本の筋となって、映画の根底を流れていく。だから、特殊な緊張感が生じるのだろう。 子ども達に会えることを楽しみにわざわざ尾道から出てきたものの、子どもたちから邪魔にされながら、決して直接文句も言わずに、逆に「幸せな方かもしれんなあ」と語り合う老夫婦。 子どもたちは、絶対いいはずだと熱海へ送り出し、厄介払いをして、母親が亡くなったら、「(死ぬ順番が父と母が)逆だったらよかったのに」と語り合う。 まさに「親の心子知らず」という言葉がぴったりだ。「あんな立派に育てられたのは誰のおかげだ」と問い詰めたくもなるが、自分には幸一もしげも否定できないと思う。 父母と子どもというのは、ある意味においては、一番近いようにみえて、一番遠い関係でもある。血が繋がっていれば、紀子のように自分の真の気持ちを素直に吐露できないものである。 そして、幸一もしげも最初はああではなかっただろう。しかし、父や母がいる故郷を離れ、東京へ出て、結婚し、子どもを持ち自分の生活というものが次第に形作られていくと、徐々に人間はみな変わっていってしまうのだろう。紀子や京子ですら、再婚や結婚をしたら恐らく変わっていってしまうのではないか。これはもう良い、悪いというよりも、人間としてやむを得ないことなのだろう。 大きな家に一人取り残された周吉の後ろ姿がとても小さく感じられる。彼の後ろ姿によって、人間が変わっていってしまうことのもの悲しさと、郷愁の余韻が残る。 本作を観て、親子の関係を少し改めてみないといけないなと感じられた。小津監督も失われつつある「日本の心」を描きつつ、そうした現状に対して少し考えさせて、いくらかの歯止めをしたいという趣旨を込めたのではないだろうか。
[DVD(邦画)] 8点(2006-12-31 00:22:01)(良:2票)
133.  ブロークバック・マウンテン 《ネタバレ》 
正直言って面白い映画ではない。また、テーマがテーマなだけに自分の心にぴたっとくるまでには相当時間がかかる気がした。 しかし、なんというか無形のものを類まれな演出力(セリフや演技でカバーできない空気や雰囲気)によって映像化された凄さに驚かされたという気がする。そういう意味において、この映画に作品賞ではなく監督賞が与えられたことは正当なジャッジなのかもしれない。 思ったことは、この映画はゲイの映画というよりも、障害ゆえに愛を成就できない狂おしい気持ち、行き場のない想いといった普遍的な感情が痛々しいほどに描かれていると思う。 少ないセリフ、うつろな表情、耳に残る音楽、全体的な雰囲気で二人の長年に及ぶ関係や気持ちを伺い知ることができる。 そして、唯一、お互いの気持ちを確認でき、何の障害もない場があの澄み切ったブロークバックマウンテンとあのシャツだけだったのではないか。 気に入ったシーンの一つに、イニスが釣具入れを忘れそうになり奥さんが忘れ物をしているよと言うシーンがある。なんてこともないやり取りなんだけど、イニスは釣りに対しては全く興味のないことを表していると同時に、奥さんにとっては、これが釣りであって欲しいという想いと釣具入れに込めた奥さんの大切な気持ちが感じられる。お互いの気持ちのズレが感じれる短いながらもいいシーンだと思う。イニスの奥さんはイニスを愛しているがゆえにイニスと別れるしかなく、ジャックの奥さんはジャックを心から愛していない(父親への反抗ゆえに結婚したような)から、別れることもなく、彼の死の原因や理由も分からなかったのかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2006-03-14 01:15:13)(良:2票)
134.  機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者 《ネタバレ》 
50話からなるストーリーを3部作6時間程度に収めようというのだから、元から無理があるとは思っていたが、相当無理のある話だった。 どういうつもりであのような旧画と新画を混ぜて一本の映画にしようと思ったのかは分からないが、新画に統一してストーリーも一本筋のあるものにして欲しかった。これでは映画とは言えないのではないか。 旧画部分でもセリフはだいぶいじられている印象を受けた、またストーリーもだいぶ改悪されている気がする。 特にライラとジェリドの関係は後々にとっても非常に重要であり、あの描き方は酷いの一言。ジェリドにとってはマウアーよりもライラとの関係の方が影響は大きいと思う。 ライラはジェリドに戦い方を教え込ませ、あの二人はある意味、師弟の関係にあり、お互いに認め合っている部分がある。 ライラはジェリドを「ただのお坊ちゃん」とは思っていないはずで、「いい男になる可能性がある」と誉めていたはずだ。 ライラとカミーユの戦いもこれがまた大事な戦いの一つであり、オールドタイプとニュータイプの違いを感じさせる部分がある。 このライラの死を船上で見ていたのがジェリドであり、助けられなかった歯がゆさや悔しさがカミーユを最後の最後まで追い詰める原動力になっていると思う。それを地球に落ちてまで、ライラがいないとかほざかせるとは…驚かされる。 マラサイに乗ったカクリコンの死も確かにジェリドにとって大きいかもしれないが、こちらはどうでも良くカットしても良い。 カミーユの両親の死も実際にはかなりのタイムラグがあるのに、一回の戦闘で済まそうというのは無理を感じる筋書きだろう。あれではエマシーンがなんでティターンズを裏切ったのかが不明瞭すぎるのではないか。実際はエマは、カミーユを連れて、一旦ティターンズに戻り、悩んだ揚句に、カミーユと父親と三人で三機のMk-Ⅱで脱走してエゥーゴに向かっているはず。あれでは父親は人質になっていない。 そもそも、カミーユ両親の話はあまりその後のストーリーに影を落していないと思われるので、上手くカットしても良かった気がする。 また、カミーユがクワトロのことをシャアと気付いていないように描くのも好ましくはない。テレビ版では、頭では理解できていなくても、心では感じていたはずだ。 このようなミニダイジェスト版にするよりも、人間関係を絞ってじっくりと描けるところは描いた方が良い。
[映画館(字幕)] 4点(2005-06-05 01:34:49)(良:2票)
135.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 
前作「恋人までの距離(ビフォアサンライズ)」と対になっているのが面白い。 本作は冒頭から「ビフォアサンライズ」を意識している。前作のラストでは、彼らが過ごした場所が静かに次々と映し出されるが、本作は冒頭から彼らが過ごすであろう場所が次々と映し出されていく。 彼らの出会いが偶然によるものならば、彼らの再会は偶然によるものではなく、意図されたものだ。ジェシーがフランスでサイン会を開くという意思と、セリーヌがそこに顔を出すという意思がなければ、この再会はあり得ない。 9年ぶりにみせる彼らの性格も前作とは対比的である。 前作ではロマンティストであったセリーヌは、本作では現実主義者になり、前作で現実主義者であったジェシーは、本作ではややロマンティストになった気がする。セリーヌ自身も、ジェシーの本を読んで、自分の今のドライさを嘆いているのが印象的だ。人間は時間とともに変化するのが見て取れる。 しかし、根っこの部分は変わらないのも人間だ。 自分のドライさを嘆くセリーヌだったが、彼女らしいロマンティックさは残っている。自分のやりたいことをやり、自立した強い女性を装っているが、愛されたいけど愛せない、愛を渇望しながら愛に怯える姿がセリーヌらしい。 ロマンティックに本を描いたジェシーもやはり現実主義者であった。彼が本を描いたのには、セリーヌと再会して、12月に来なかった理由を問うものであったのは彼らしい。セリーヌの歌を聴いて、人名は聴く人によって変わるのだろうと本心ではない冗談を言うのは、前作の詩のシーンをなぞったものだ。 前作が「別れる二人」を描いたものならば、本作は「別れない二人」を描くものだ。9年前に再会を果たせなかった二人のその後の人生は決して恵まれたものではなかった。人生を変えた「出会い」によって、彼らの人生には微妙に狂いが生じてしまったかもしれないが、彼らの「再会」によって、再び彼らの人生も大きく変わるだろう。個人的には、ジェシーはこの飛行機には乗らず、セリーヌとともに人生を歩んでいくのではないか。 ジェシーはジェシーの妻に幸せを願っているからこそ、別れようとするだろう。 再会はしたものの彼らは上手くいくのか、たとえ上手くいかなくて美しい思い出が壊れたとしてもチャレンジすることが大切なのだろうかと、色々と観終わった後に考えられるのが、本シリーズの良さだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2005-02-21 01:36:56)(良:1票)
136.  ブレードランナー/ディレクターズカット<最終版> 《ネタバレ》 
リドリースコット監督は、ディカードを「レプリカント」として描きたかったのかもしれない。しかし、個人的にはディカードを「人間」と捉えた方が面白い解釈ができるのではないかと思う。というのも、本作では「人間」と「レプリカント」とが実に『対比』的に描かれていると思う。 「自己及び愛する者の命」のともし火がまさに消えようとしているレプリカントは必死になって、「命」を延長しようとする方法を探っている。この世界では、「命の重さ」を知っているのは、人間ではなくレプリカントではないか。「人間」は与えられた命の重さも考えずに、「目的」もなくただただ漠然と生きているだけである(ディカードのような)。そんな「人間」であるディカードに対して、「命の重さ」を教えてくれたのがレプリカントのロイではないだろうか。ディカードとロイの最後の追いかけっこは、「死にたくない」とディカードに必死にさせることにより、「命の重さ」をディカードに知らしめようとしている。まさにレプリカントが体験している「寿命(時間)」との追いかけっこを、「人間」であるディカードに体験させているのではないか。ディカードを「レプリカント」と捉えるとこのような見方ができなくなるので勿体無いと思う。 そして、「人間」であるディカードはレプリカントから教わるだけではない。レプリカントのレイチェルに対して、「感情の表わし方」を教えている。感情を上手くコントロールできず、表現できないレイチェルに対して、「愛情の示し方」を教えたのはディカードだろう。やがて「愛情」は「生きる希望」に繋がり、レイチェルもまた「命の重さ」を実感できるはずだ。 「人間」が「レプリカント」に教えられることがあるのと共に、「レプリカント」に対して教えることもある。これこそ人間とレプリカントの「共生」(最後のディカードとレイチェルの逃避行)に繋がるのではないか。「レプリカント」は、過酷な労働を強制するために創られた道具でも、狩られる対象でもなく、近未来では「人間」と共に生きる「パートナー」となるというメッセージが込められているのではないか。また、ディカードがレプリカントだとすると、最後のロイの独白が意味をなさなくなってしまう。過酷な生き方をしたロイがレプリカントにそんな話をしても、ただの内輪話であるだけで意味をなさない。あれは「人間」に対して語られなくてはいけない内容である。
[DVD(字幕)] 8点(2006-08-30 23:07:18)(良:2票)
137.  ターミネーター2/特別編 《ネタバレ》 
多少は気になる点があるが、満点を付けざるを得ない素晴らしい傑作だと思う。 気になった点としては、前作では「なぜ複数体ではなくT-800型とカイルの二体のみが過去に送られたのか」がきちんと説明されていたが、本作ではそういった説明がないのが残念。そして「スカイネットはなぜ過去にT-800型を送ったのか」が前作できちんと説明されていたが、本作ではそういった説明がなかった気がした。そもそもT-1000型という無敵のマシーンが未来で開発できたのならば、スカイネットが未来において人類に窮地に追い込まれるはずはないわけであり、T-1000型が量産された暁には、人類と機械との果てしない戦争は幕を閉じるだろう。ここでは逆転の発想をして、本作では「人類が未来で窮地に追い込まれたために、スカイネットが開発されることを防ぐためにT-800型を過去に送った。それを阻止するためにスカイネットがT-1000型を過去に送った」というシナリオにすれば良かったのではないか。 このような気になった点があったにしても、それらが無視されるほど素晴らしい作品であることは間違いない。 前作のテーマが「運命を受け入れろ」であるならば、本作は「運命は変えられる」だろう。テーマがしっかりと描ききれている。 また、アクションとして優秀だけでなく、「人命の尊さ」「心の痛み」「友情」といったことをジョンコナーがT-800型に学ばせようとしている点が素晴らしいストーリーだ。彼のリーダーとしての資質を垣間見せるとともに、機械でさえ学べるのだから、人類が学べないはずがないという結論を導いているのが面白い。 そして、緊張感あるテンパったサラコナーと、母親の愛情や友情を欲する「孤独感を内に秘めた」陽気なジョンコナーと、無表情・無感情のT-800型の全く異なるタイプ三人のロードムービー的な要素が盛り込まれているのも見逃せず、この三人の変化も実に面白い。特にT-800型の変化をユーモラスに描いている点は映画に明るさをもたしている。 さらに、個人的に一番気に入ったシーンは、サラコナーがマイルズを殺そうとするシークエンス。これは前作の全くの裏返しだろう。未来において起きる出来事のために、現代では何も悪いことをしていないのに命を狙われるというマイルズは、まさに前作の彼女と同じ立場にある。あの不条理感を知っているサラコナーがこのカラクリに気づいたときの表情が実に見事だ。
[DVD(字幕)] 10点(2006-08-30 23:39:54)(良:3票)
138.  告白(2010) 《ネタバレ》 
本屋大賞を受賞した原作は未読。本作について“語る”のは非常に難しい作品である。「とりあえず観てみろ」という言葉しか出てこない作品だ。 観る者によって感想はマチマチだろう。「人間の命の重さを説いたヒューマンドラマ」と捉えることもできる、「ガキたちに復讐する爽快なエンターテイメント作品」と捉えることもできる。解釈度が“自由”であり、観る人それぞれの心に何かを刻み付けた中島哲也監督の自在な手腕が発揮された傑作といえる。 「人間の命は脆くて軽いが非常に重いもの」「人を殺す際には、その人を愛する誰かがいることを考えてみろ」ということを教えるための森口先生による授業だったのではないかと感じたが、『なんてね』という言葉一つで引っくり返している。 結局「ガキたちと同類ではないか」とも感じてしまう一言だ。 確かに大人だろうが、子どもだろうが、人間である以上、変わりはないのかもしれない。クラスメートでも恋人でも母親でも誰かに自分を認めて欲しいという衝動、暇つぶしに誰かを傷つけたくなる衝動、復讐なんてしたくないけど復讐せざるを得ないという衝動、そういう短絡的で自己中心的な感情に支配され、人間は愚かな行動を走ってしまうものかもしれない。人間はバカで単純で弱くて脆いもの、悲しいけどそれが人間ということをも感じさせてくれる。人間というものの本質を感じさせてくれる点を評価したい。しかし、松たか子が泣くシーンを描くことで、罪の意識を感じ、人の心の痛みを知らないガキとは根本的に違うということだけは分かるようになっている。それでも溢れる感情を止めることはできないのだろう。 「パコと~」の際には、各キャラクターに感情移入できない点が気に入らなかった。本作も同様に感情移入することはできないが、感情移入できないことにより、本作には面白い効果を生んでいると思う。得たいの知れないという不気味な恐怖を感じるとともに、客観的な傍観者としてこの復讐劇をエンターテイメント感覚で楽しむことができる。中島監督が計算したかどうかは分からないが、非常に巧妙な仕掛けとなっている。 本作は問題作ではあるが、“人間の命の重さ”を真正面から捉えるよりも、本作のような切り口で語った方が反面教師的な役割を担えると思われる。R15指定作品だが、逆に子どもたちに見せてもよいのではないか。“何か”を感じ取ってくれることへの期待や希望はあるはずだ。
[映画館(邦画)] 9点(2010-06-07 22:52:29)(良:1票)
139.  モナリザ・スマイル 《ネタバレ》 
伝統や慣習や世間体にとらわれ、世界観が狭まり広い視野で物事を見れなくなっていた学生たちに新しい世界、モノの見方、考え方を教えてくれるというストーリーと女性の自立というテーマを期待していたんだが、浮ついた全くキレのない脚本と演出のおかげでせっかくのいいテーマが台無しになってしまってる。 一番の失敗はジュリアロバーツの演じたキャサリンに全く魅力がないこと。 ジュリアロバーツ自体は嫌いではないので何の偏見ももっていないつもりだが彼女や彼女の生き方から学生たちが何かを学んだような気が全くしない。 キルスティン(ベティ)だって家庭不和が原因であって離婚という当時は珍しかった選択肢を選んだのにはジュリアが少しは影響があったかもしれないが、映画からは何も影響は感じられなかった、見せかけの幸せではなく本当の幸せを見つける決心をしたのは彼女自身の選択だったし。 ジュリアスタイルズ(ジョーン)に至っては、何も変えられないばかりか、逆にこれが自分の道を貫いた結果だと教わる始末。 イタリア語教師の言うように、自分の価値観の押しつけているだけで結局、学校も学生も自分自身も何も変えていないように思われた。 ラストに至っては急に皆から好かれまくって感動の別れって…一体何がしたかったんやと訳分からん強引なラストには興ざめします。 目的をもった迷える人という締めくくりは多少良かったけど。 人物の描き方もイマイチだった。 古い考えをもった同居人と新しい革新的な考えをもった同居人がいるんだから彼女らをうまく使って欲しかったし、元彼やイタリア語の彼とかの存在意義がイマイチ感じられなかった。 コニーとチャーリーの話なんてこの映画に何か必要あったか? 彼女の美術講義はなかなか面白かったが、脚本が間違っているのか、なっちの翻訳が間違っているか知らんがゴッホが生前一枚も絵が売れなかったというのもデタラメで、一枚しか売れなかったというのが正しいはずです。
3点(2004-08-22 23:32:48)(良:2票)
140.  ザ・ロイヤル・テネンバウムズ
多数のキャラクターが登場するが、各々のキャラクターに人間味や深みがある点が素晴らしいと感じる。 特に3人の息子と娘とイーライはそれぞれ悩みや弱さを抱えている。 チャスは、味方だと思っていた父親に子ども時代に撃たれたことを根に持ち、横領で父親を訴えたりと父親ロイヤルに対して相当怒りの感情を抱いている。 また、妻の死により、安全に対して敏感になっており、息子達を自由に育てることができていない。 マーゴは、養女ということを強調され続けられていることから、一人疎外感を抱いており、愛を知らない屈折した生き方をしている。 タバコを12歳のときから吸っているのも、誰かに構ってもらいたかった、誰かにとめて欲しかったことの現れのような気もする(禁煙を試みるも10年前のタバコをリッチーと吸うのはちょっと意味が分からないが)。 リッチーはマーゴのことを愛しているが感情を伝える術を知らずに苦悩している。マーゴの結婚を知ってテニスで大荒れの試合をしたり、マーゴの過去を知り自殺未遂をしたりと感情面の弱さを感じる。 イーライには両親がおらず、テネンバウムズ家族に常に憧れを抱いている。本は売れたが、続けては売れずに、結局はクスリに逃げて事故を起こす。 父親ロイヤルはどうしようもなく父親で、破産したあげく妻の再婚を食い止めるために一芝居打つ。ただ、その一芝居によって、家族と再び暮らすことが彼を変えていく。 大人になっても悩みや弱さを抱えるテネンバウムズの子ども達等だが、父親のロイヤルの変化によって、子ども達もそれぞれが微妙に少しづつ前向きに変わっていく姿が感動的だ。 しかし、孫達に無謀さを教えてやりたいと色々と連れまわすところはロイヤルという人間がよく分かるシーンだ。 また、妻のエセルと川沿いのようなところを二人で歩くシーンもロイヤルの人間像が分かり、結構良いシーンだと思う。 特にストーリーらしいストーリーはないけど、淡々とした流れの中に登場人物の様々な感情やその変化を感じることができる素晴らしい作品に仕上がっていると感じる。
[DVD(字幕)] 8点(2005-05-08 03:52:49)(良:1票)

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