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すかあふえいすさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1047
性別 男性
年齢 30歳
自己紹介 とにかくアクションものが一番

感想はその時の気分で一行~何十行もダラダラと書いてしまいます

備忘録としての利用なのでどんなに嫌いな作品でも8点以下にはしません
10点…大傑作・特に好き
9点…好き・傑作
8点…あまり好きじゃないものの言いたいことがあるので書く

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1.  グラン・トリノ 《ネタバレ》 
再見。やはり何度見てもこの映画は圧倒的に面白い。  死に始まり死に終わる、葬式に始まり葬式で終わる。 今までそういう傑作は幾らでも存在したが、イーストウッドのこの作品は一味も二味も違う。淡々としているようで、あちこちに火種が転がってやがる。  物語は単純明快、「グラン・トリノ」という鉄の馬をめぐりコワルスキーの家族、タオたち、タオに因縁を付ける不良たちが絡み合うスリル。 先に手を出した奴が、負ける。  今まで散々人を撃ってきたイーストウッドが、この作品では最後まで引き金を引くか引かないか悩み続ける。  拳で殴りつけるのも銃を抜くのももっぱら威嚇であり、警告であり、盾としてだ。 往年の銃が出てくる作品でもその“警告”によって駆け引きや緊張が簡単に生まれていた。それは銃じゃなくとも刀でも、とにかく殺傷能力があれば何でも良いのだ。  ハワード・ホークス「ハタリ!」ですら威嚇とはいえ2発撃っていたが、この作品はそれをさらに進化させた側面も持つ現代の“西部劇”。様々な西部劇やギャング映画の記憶がこの作品にも息づく。  亡き妻の葬式で始まる場面。 コワルスキーは失った妻に対する思い、一方で葬式に集まるコワルスキーの家族はそんな事知ったこっちゃない、コワルスキーにもさっさと死んで貰って遺産を残しなといった態度。 子供達もラフな格好で携帯までイジりだす始末。マナーもへったくれもない、ワザとやっているかでなければ常識が無さ過ぎる。その遠因がコワルスキーの頑固さにもあるのだが。この場面だけでも、コワルスキーとその息子達との冷え切った関係を物語る。  コワルスキーとその家族の関係を掘り下げるのかと思いきや、イーストウッドはそこをバッサリと切り捨てコワルスキーとタオたちの交流と別れに物語を移していく。もうこの時点でコワルスキーの家族達は見捨てられてしまうのである。  残った愛犬と共に静かに過ごす一時。大切に愛車のグラン・トリノを磨きながら、妻も失い家族関係もあんなだ。コワルスキーは己の死期を見出し始める。 のうのうと生きて死ぬか、それとも誰かのためにすっぱり死ぬか。その選択をタオたちと出会った瞬間から彼は決め始めていたのではないだろうか。  一瞬映る勲章や写真、セリフで語られるコワルスキーの過去。散々戦場で人を殺してきた罪悪が、彼の心を閉ざしてきた。  イーストウッドはかつてドン・シーゲル「ダーティハリー」で、犯人を撃ち殺さなくて良かったという“笑顔”を見せていた。それは「本当はおまえなんざ撃ち殺しても良かったが、ちょうど弾が無くてラッキーだったな」という意味もあったのかも知れないが、どちらにせよ無益な殺生を避けられて嬉しかったのは確かだと思う。 劇中のコワルスキーも、「頼むから俺に二度と人を撃たせないでくれ」と何処か祈っているようにも見える。  「許されざる者」の元ガンマンは目的のために生きて帰る事を選ぶが、「グラン・トリノ」の元軍人は目的のために死へと向う。  コワルスキーは上記の警告によってタオたちを救い、同時に不良たちへの宣戦布告。 「アウトロー」でも異文明との交流が描かれ、この作品も彼等を助けたカウボーイが歓迎されるような平和な時間。 が、同時にいつ不良たちが襲撃にくるかという緊張も続く。その緊張は銃撃された隣家にコワルスキーが愛銃を取り出し、駆け付けるシーンから始まるのである。  タオたちは彼を“ヒーロー”だと慕うが、コワルスキーは戦後50年間“修理工”として生きてきたんだとタオに話し、タオの家族から送られる花を困り顔で断る。彼は過去の人間として、未来を見つめる新しい人間であるタオたちと距離を置き、教示し、軽口を聞く中である床屋といった知り合いたちにタオを託し、彼らとアメリカの関係を“修復”して去っていく。  アメリカは、懐に手を入れるだけで殺されてしまう社会だ。「殺られてからでは、遅い」。 コワルスキーは軍人としてその事を知り尽くし、彼らはその挑発に耐え切れず敗れ去る。自分の“命”と引き換えに。 だが、彼の意思はグラン・トリノと共に新しい世代へと受け継がれていくのだろう。
[DVD(字幕)] 10点(2014-04-05 09:53:55)
2.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 《ネタバレ》 
クレしんらしいナンセンスな世界観に「哲学」をぶち込んだ作品。 子供向けの作品で哲学は通じるのか? いや、本作は「親子」に向けた強烈なメッセージの詰まった映画であろう。 子供でも解る「疑問」を大人にも向けて投げつけた。 懐古主義でも何でもない、「懐かしむ」ことの大切さと「今の時代を否定」することの誤りも思い出させてくれる。 オトナ帝国の人々は、昔には当たり前のように溢れていた「夢と希望」が今の時代には無いと嘆く。 だがそれは彼らの主観でしかない。 現代を生きる「しんのすけ」たちは自分たちなりの「夢と希望」を持って必死に生きている。  世代で違う流行や主義主張の形。 共有できるものと出来ないもの。 それの衝突と対立・理解、そして世代間を超えた親子の絆が本作のテーマだ。 「オトナ帝国」のマインドコントロールで「昔」にとり憑かれる大人たち。 今までの映画シリーズで、頼りになった大人たちが敵となる。 子供たちにとっては恐怖でしかない。 その恐怖に子供たちは立ち向かい、大人たちの心を呼び戻す。 大人たちも、子供だった頃を思い返して、「自分たちの子供も同じように生きた。それを経験した大人がなにやってだ」と家族の大切さを思いしていく。  ノスタルジックな風景。 それは今の世の中には無い「幻想」でもあるし、もう一度作れるかもしれない「夢」に生まれ変わったのかも知れない。
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-19 19:28:42)
3.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 《ネタバレ》 
ストーリーはクレしんらしい単純さ。 戦国時代が舞台というと「雲黒斎の野望」を思い出す。あの映画も戦闘描写が凝ってて面白かったぜ。 本作も「クレしん」らしからぬリアリティ、「クレしん」らしい散々笑ってアホみたいに泣かされる。  タイムスリップした先が戦国時代で、そこに居合わせた武将と姫を野原一家が助けるというシンプルなもの。 だが今回のクレしんは馬鹿馬鹿しいドタバタや「陳腐」を「爆笑」に変える破壊力は控えめ。 論点になって来るのが、クレしんの単純な娯楽性に「戦国時代の「リアリズム」をねじ込んだ点。  確かに合戦の様子はリアル。 当時の合戦のルールを娯楽映画の「お約束」として利用する方法は素晴らしい。  とまあ、合戦に関するリアリティは良いが、肝心の姫様側はリアルとは言えない。  何故なら姫君がそのまま後を継げばそれで良いのだから。 実際の戦国武将は、後継に男がいなければ女でも城主になれた。 巴御前や甲斐姫といった女武将がまかり通っていたなら、女城主が認められないわけがない。 鶴姫という実例もあるし。 本多忠勝の姪だか妹も城を任されていたっけな。 あと秀吉の嫁の茶々とか淀殿とか。 あの上杉謙信だって「実は女だったじゃないか」と疑惑が向けられるほどだ。  まあ余りにリアルにしすぎたらそれこそ「つまらない」。 「七人の侍」のようにリアリティとありえない描写をマッチングさせた「娯楽活劇」とするか、 「乱」みたいな城下町すら無い「悲劇」を描くか。 その点で言えば本作は「親子に見てもらいたい」からこそリアリティをねじ込んだ。  でも、それよりも大きな論点はラストの「唐突な最期」だろう。 戦場のリアリティにこだわった結果、いつものクレしんには無い哀しみが訪れた。 いままでの「クレしん」からは予想も出来ない事さ。 俺だってガキの頃は又兵衛があんな事になって泣いたよ。 ちくしょうちくしょうって悲しくなった。 死ぬ間際に大切な刀をしんのすけにあずけてさ・・・。  戦国武将のクセに女に弱かったりさ、人間臭い又兵衛。 静かな静かな幕引きはちょっと切ない。  クソ・・・もう100回見ても又兵衛のシーンで泣く自信があるぞコンチクショウ。
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-19 19:20:13)(良:1票)
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