Menu
 > レビュワー
 > ユーカラ さんの口コミ一覧
ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/24461/

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順123
投稿日付順123
変更日付順123
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  残菊物語(1939) 《ネタバレ》 
何度目かの再見で、新たに気づかされるのは音響に対する作り手の意識の高さとその達成である音の豊かさ。 長門洋平氏の著作『映画音響論』での詳細な分析とユニークで斬新な解釈に触発されて見返したわけだが、 フレーム外から聞こえる物売りや行商人の掛け声、囃子など、その対比としての沈黙の用法・タイミングまでよく考え抜かれているのがよくわかる。  まるでヒロインの表情を見せまいとするようなフレームサイズ、構図、陰影。加藤幹郎氏を始めとして散々指摘されてきたことではあるが その分、森赫子の済んだ声音はより際立って美しい。  長門氏によるラストシーンの解釈に全面的に首肯するわけではないが、冒頭シーンとの対照という意味でも、「ありうべかざるものを、 ありうべきものとして」描いたとするそのユニークな解釈はとても興味深い指摘である。  十分に分析されつくしたかに見えても、さらなる味わいと解釈を許容する傑作の奥深さを思い知らされる。
[ブルーレイ(邦画)] 10点(2016-07-06 23:59:20)
2.  斬人斬馬剣
現存するのは、本来122分だった作品を26分に短縮したダイジェスト版(1秒間18コマ)。一般に傾向映画の先駆といわれるように、前半のコメディパートにも当時の不況の模様が滲んでいたり、農民と代官側が相対する「オデッサの階段」風のモンタージュ等に階級闘争の主題が窺えたりするが、それよりなにより活劇映画として頗る面白い。群衆の中を掻き分けるような移動ショットのダイナミズム。月形龍之介の贅肉のない上半身が繰り出す剣戟の凄味。十字架に磔にされていく農民とのクロスカッティングと共に、寄り引き自在の撮影技巧で魅せる怒涛の馬術アクションは素晴らしいの一語。全速力の馬と並走しながらの、槍による豪快な一騎打ちのショットなどは一体どのように撮影したのか。舗装などされていない畦道でのチェイスアクションをカメラは微振動に押さえつつ、被写体である騎手の表情をも確りと映し出す。その無作為の微振動が生み出す迫力と疾走感の前には、間違いなく影響を受けているはずの黒澤明『隠し砦の三悪人』の騎馬シーンすら霞んで見える。カメラの揺れとはこうあって欲しい。
[映画館(邦画)] 10点(2010-07-18 13:37:04)
3.  殺人捜査線
あらゆるカットにパースペクティブが活かされており、その構図取りの卓越した感覚が素晴らしい。冒頭から数多くのエキストラや車両を画面手前と奥に行き交わせ、深い被写界深度によて臨場感と世界の重層化を演出する。また、サウナ室の蒸気や、水族館の光の揺れ、スケート場や展望室のモブ(群衆)など、遠景には動きを取り入れる工夫が様々に凝らされており、活力ある空間が連続する。カットにはまるで無駄が無く、初っ端のスピーディなカーアクションから、クライマックスのスクリーン・プロセスと実景を見事に組み合わせ奥行きを活かした逃走アクションまでタイトに纏まり全くテンションが途切れない。特に最後の追跡劇は、ハイウェイの奇抜なロケーション、水平と垂直のパースペクティブ感覚、スピード感の演出が総合し傑出した活劇となっている。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-08-02 16:55:25)
4.  サイの季節 《ネタバレ》 
常に暗雲が垂れ込め、晴れ間の覗くことの全くない風景。 光は、主人公(ベヘルーズ・ヴォスギー)の運転する車の車窓を流れる雨滴やヘッドライトの 小さな乱反射や、モニカ・ベルッチがタトゥーを施すシーンの蝋燭の灯りくらいだ。  その度々登場する(キアロスタミ風)車窓への映り込みと彼の寡黙な表情との夢幻的な重なり合いが、 亀やサイや馬などの明らかなイメージショットと現実のショットとを橋渡しするような形で美しくももの悲しい。 (主人公に嫉妬する運転手(ユルマズ・エルドガン)に重なり合うのは、からみつくような木々の黒い枝の影だ。)  独特の形状の幹を持つ木々の奇観。雪の吹きすさぶ墓地の荒涼とした風情、寒々とした湾を望む岸壁など、 ロケーションも独特だが、黒味を活かした陰影豊かな画面の感触の何と重厚で深みのあることか。  主人公らの30年間を刻印する顔の皺や白髪を克明に映し出すフォーカスは、モニカ・ベルッチに対しても容赦ない。 逆に敢えて他者をぼかした後景や革命騒乱シーンの群衆の不明瞭な画面も意図的な設計だろう。  国境を越えた彼らは多くを語らない。寡黙な顔だけがある。
[映画館(字幕)] 9点(2015-07-12 23:08:14)
5.  さまよう心臓
シンプルにしてスリリングな力に満ちた労作である。  パペットの衣類の質感やアニメーション技術の細やかさもさることながら、 仰角と俯瞰のキャメラアングル・照明効果による陰影のつけ方の見事さが光る。  壁や階段やドアなど、何気なくありふれた空間をいかに禍々しく演出するか。 そうした異世界の画面づくりに払われた真摯な努力こそが胸を打つ。  炎のスペクタクルの中、『ターミネーター』のワンシーンのように 人形の首がポロッともげるカットの不気味な生々しさ・凶々しさ。  本作を第三回下北沢映画祭グランプリに推した黒沢清監督もまたやはり このカットに「やられた。」と語っている。  全てが作り手によって制御されているかに見えるパペットアニメーションの中で、 炎や煙といった制御不能な運動がクライマックスの画面を覆うと共に、 その首が転がる運動が、監督すら予期しなかっただろう独特で生々しい一瞬間を 捉えているからに相違ない。 作り手にとっても不測の事象が生起する瞬間の、映画の美である。  秦俊子監督は、本作品の中で説明や根拠付け・動機付けを一切排除し、 無意味・無心理に徹すること、そして純粋に恐怖のエモーションを 創出することのみに賭けている。  「映画が単純に映画であること」その潔さと倫理性。  かつて黒沢監督の『地獄の警備員』を評した上野昂志氏の賛辞を思い起こす。     
[映画館(邦画)] 9点(2013-04-29 06:53:41)
6.  殺人者(1946)
車のフロントガラス越しに照らし出される夜の街道。同乗している男二人のシルエットが浮かび上がるファーストショットから、ノワールムード全開である。  その直後のシーンに登場するダイナーの長いカウンターや、広い鏡を配したバーの内装の立体的造型が画面を引き締めている。  侵入から逃走まで、クレーンをダイナミックに使った長廻しによる強盗シーンもまた、奥行き豊かな空間とアクションの流れを作り出している充実したワンショットだ。  同伴のヴァージニア・クリスティーンそっちのけで妖艶なエヴァ・ガードナーに目を奪われるバート・ランカスター。その三人の配置と、スリリングな視線劇の妙味。 そしてファム・ファタルを妖しく照らし出す照明術の冴え。  あるいは、対峙した保険調査員エドマンド・オブライエンの一瞬の隙を衝いて拳銃を蹴り払い、一気に形勢逆転するジャック・ランバートの敏捷な動き。その緩から急への反射的アクションを捉えたワンショットの充実度。  さらには、クライマックスの感情を形づくるアルバート・デッカー邸内部の光と闇の拮抗。  スティーブ・マーティンの『四つ数えろ』でも多くのシーンが引用されているように、全編が見所といっていい。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-11-22 22:33:44)
7.  ザッツ・ダンシング!
エジソンの時代から80年代までのダンス映像がモンタージュによって紡がれ、一つのリズムにシンクロしながらオープニングナンバーを形づくる感動。  そして『ザッツ・エンタテインメント』シリーズと同様、名ショットがリプレイされる最中にストップモーションによってダンサーたちの素敵な表情と身振りの一瞬間が躍動の中から的確に切り取られ、その一瞬が永遠化するようなエンディングの映画的感動。  全身で表現される伸びやかなダンスがスクリーンを越えて観る側の何かを開放し、幸福感で満たしてくれる。  69年の不動産企業によるMGM買収とその「資産破壊」、そしてメジャー再編を経たMGM/UAによる本作に登場する作品は(皮肉にも)時代範囲からしてもMGM中心の上記シリーズ以上に多彩だ。  映画は「ダンス」を描いた古代の壁、絵画、彫刻、舞台、そして映画最初期から80年代のMTV時代までを網羅する。 様式的には、民族舞踊、チャールストンからモダンダンス、ブレイクダンスまで。 映画表現的には、サイレントからトーキー、モノクロームからカラー、スタンダードからシネスコへ。30年代のバスビー・バークレーの前衛的な視覚効果からアステア+ロジャースらの個人技・フルショットの時代への変遷も判りやすい。  なかでも、巨大セットとスターが象徴する絢爛豪華の50年代と、『フェーム』等のストリートロケが象徴する80年代とのルックの隔たりは、撮影所の崩壊を強烈に印象付ける。その一方で、ダンスは継承と同時にエレガンス志向からエネルギッシュなものへとスタイルの革新を示し、映画は黄金時代への郷愁に湿るばかりではない。 映画は健康なオプティミズムで締めくくられている。  そして何より「映画キャメラの発明以前にダンスの道を歩んだ人々に捧げる」とする映画冒頭の献辞が感動的だ。 
[ビデオ(字幕)] 9点(2011-09-07 22:57:22)
8.  殺人容疑者
街頭ロケーションを活かしながら、縦構図、横移動、俯瞰と豊かなバリエーションを駆使して描写される、捜査員と容疑者の尾行シーンの緊迫感が素晴らしい。東宝俳優陣を配した『彼奴を逃すな』の住宅街における尾行シーンのサスペンスも見事だったが、それに4年先立つこの新東宝作品は無名俳優及びゲリラ撮影的効果と相俟って一段勝る迫真性を獲得している。大勢の通行人たちが逃走する容疑者を取り押さえる中盤の群衆シーンのスペクタクルは圧巻だ。街路を俯瞰するロングショットに同時録音と思しき現場の生々しい喚声がかぶり異様な高揚感を生む。さらには、列車での尾行シーン。横浜駅ホームに到着する列車から飛び降り、そのまま階段を駆け上がる丹波哲郎のアクションを捉えたショットなどは非常に充実している。あるいは逃走車両が農道から落下横転する危険なスタントシーンをワンショットで捉えたカーチェイスの迫力。そしてクライマックスの下水溝では水面の照り返しを活かした揺れる光と闇、アフレコによる水音の効果が最高の緊張感を醸成する。これら無音と環境音の組み合わせによる音響効果の妙もやはり後年の『彼奴を逃すな』で結実することになるだろう。
[映画館(邦画)] 9点(2010-05-08 22:32:26)
9.  最前線物語
約2時間の劇場公開版も十分素晴らしいのだが、S・フラー監督の本来意図したと思われる約3時間のバージョン(スタジオによる再構築版)はカットされたショット・エピソードの大幅な復活と再編集によってさらに充実し、作品の深みを増している。元々が大戦中の断片的な挿話を積み重ねていくスタイルのドラマ構成にさらに複数のエピソードが追加された形だが、散漫になるどころか、逆に旧版では解りづらかった部分もより明瞭になり、「生き残る」という主題がより強烈に印象付けられるものとなっている。木陰で休憩する四銃士たちの会話。ドイツ側スパイとの攻防。『フルメタル・ジャケット』(1987)の先駆けともいえる古城での戦闘。リー・マーヴィンに花で飾ったヘルメットを少女が手渡す美しい場面の後に綴られていた残酷な顛末、、。埋もれていた印象深い断片の数々が加わることによって、戦闘/休息、大人/子供、悲惨/ユーモア、正常/異常、敵/味方、生/死といった諸相はさらに渾然とし、クライマックスである収容所の場面の静かな感動は間違いなく「短縮版」以上だ。  
[DVD(字幕)] 9点(2009-11-02 21:18:31)
10.  最後の切り札(1942)
ジャン・ルノワールとの深い親交で有名なジャック・ベッケル。そのジャンルにとらわれない多彩さ、熱烈なアメリカ映画志向といった二人の共通項を改めて再確認させる傑出した処女作。南米が舞台のためか日中の場面は明るい日差しの印象が強烈で、同じ犯罪ものながら後の同監督作『現金に手を出すな』(1954)とは趣きが大きく異なっている。それでも、一般にフランス製フィルム・ノワールとして有名な『現金に~』の10年以上前にその萌芽とも取れる夜間ロケによるカーチェイスやトンネルの暗闇での銃撃戦を登場させているのが興味深い。小道具(ライター)を二度三度と活用する手腕。それを外線へ細工する場面の的確な描写。交換手のネタをきっちり三段で落とす秀逸なギャグ。何よりもその疾走感に満ちたきびきびした映画感覚が心地よく、ひたすらに痛快である。
[映画館(字幕)] 9点(2009-01-06 22:44:03)
11.  散歩する侵略者 《ネタバレ》 
如何にも胡散臭そうな東出昌大の牧師や、得体の知れない笹野高史が現れたりしただけで笑いがこみあげてくる、絶妙なキャスティングが多数。 恒松祐里のアクションが素晴らしく、登場人物の歪な歩行は不謹慎な笑いを誘い、終盤の海辺と空の独特な終末感が心をゾクゾクさせる。 ちょっとしたジャンプカットの数々も何となくSF的なアクセントに感じられて心地いい。 これらの見どころだけで映画として十分と思う。  などと言いつつ、やはり何よりも長澤まさみが絶品。あの駐車場での感動的な一言こそ映画の最高潮である。
[映画館(邦画)] 8点(2017-09-15 00:04:30)
12.  ざ・鬼太鼓座 《ネタバレ》 
巻頭の荒々しい波濤のショットを始め、佐渡の日本的な自然が実に美的に活写されていて海外マーケットを多分に意識している風にもとれるが、 その風景はあくまで躍動する若者らと一体化する形で構図化されていて単なる絵葉書的美観には陥らない。  神社や商店街などのロケーションにおける端正な構図と人物配置、屋内セットにおける透明板の床から仰ぐ大胆なアングルなどが尚のこと 演者のパフォーマンスを引き立てる。  バチを叩く青年たちの精悍な肉体がハイライトによって美しく立体的に浮かび上がり、その律動する肢体は強烈な色気を発散して素晴らしい。  披露される演目の合間に、海辺や街中をひたすら走って鍛錬するメンバーの姿が幾度も反復される。 それらのショットは、芸能の土着性と共に若々しい躍動感をもって迫ってくる。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2017-02-25 22:28:05)
13.  ザ・コンサルタント 《ネタバレ》 
ガレージのシャッターが上がるタイミングに合わせて、芸術的な呼吸で車を入庫させるベン・アフレック。 二度目のショットでは、シャッターに接触させてしまうことで、業務が不完全なまま解雇された動揺を仄めかす。 これがシャッターを利用したキャラクター描写の例。  デスクに伏して眠っているアナ・ケンドリックをわざと起こすためにガラスドアを少し乱暴に開ける、二人の初対面のシーン。 対するはソファに眠る彼女を起こさないように気遣いながら、彼女を見納めながらやさしく静かにホテルのドアを閉じる、情感豊かな二人の別れのシーン。 こちらはドアを反復活用した感情変化の描写の例だ。  冒頭の逆光のドアをはじめとして、車のドアやエレベータの扉や抽斗など、サスペンスにロマンスに、とにかくドアを駆使した映画ともいえる。  謎解きパートは少々長いし、ジョン・リスゴーも少々小者ではあるが、各キャラクターの設定を巧みに活かしたドラマはなかなか面白い。 会計監査業務をガラス壁やボードを使ったアクションとしてみせる、童謡などの伏線のあれこれも漏れなく活用するなど、巧妙だ。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2017-01-25 14:26:29)
14.  ザ・ウォーク 《ネタバレ》 
パリの町中、歌を披露するヒロインとの出会いは視線劇から始まる。主人公の作った輪の内と外で今度は彼女とのパントマイムが始まる。 突然に雨が降り出し、彼は彼女を大きなパラソルの輪の内側へと招き入れる。2人が心を通わしていく流れがテンポよく進んで心地いい。  軽快な大道芸の動きの楽しさ。米語と仏語が交じり合う、言葉の響きの楽しさ。ふと挿入されるサイレントの趣向。 こうなると、ルネ・クレールを連想せずにはいられない。  高層階を一気に上っていき街を一望するカメラも、「自由の女神像」の上での語りも、 緊張のクライマックスに静かに『エリーゼのために』を奏でるセンスも、そこに通じるような感覚がある。  夜明けに向かい、うっすらと明るくなっていく地平線。 ジョセフ・ゴードン=レヴィットが歩みだす直前、雲が切れて景観が広がる瞬間には、張られたワイヤーの直線が生む 造形美とともに、映画の美がある。  エレベーターの運転員をはじめ、ビルを建造した作業者たちが連行される彼を拍手で讃える。 このようなシーンがあるゆえに、ラストに映し出される二棟のビルのロングショットの感動が増す。
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2016-01-27 16:41:44)
15.  猿の惑星:新世紀(ライジング) 《ネタバレ》 
傷ついたシーザーは街中に運び込まれるが、特徴的な窓を持った家の前で 車を止めさせる。 手術後、ソファを抜け出した彼は屋根裏部屋で通電しているホームヴィデオを見つけ その再生画面に見入る。 それまでの展開にしても、前作を踏まえずとも物語の流れを理解できるような 最小限の補足がされているが、ここで映し出される小さな一つの画面は、それだけで 彼の生い立ちと思想形成の背景の雄弁な描写となる。  この小さな画面が感動的なのは、無論そこに彼のノスタルジアに対する共感があり、 エイプたちが不要としていた電気の生み出す肯定的な光の感動があり、 かつ幾度も繰り返されてきた「HOME」の語の響きがあり、 『そして父になる』のデジタルカメラのような「他者が撮ってくれた自分」が 映し出されるエモーションがあるからなのだが、 加えて、ここではそれが再生装置たるムーヴィー(映画)に対する ささやかな讃歌ともなっているからだ。  『カイロの紫のバラ』のような、『ニューシネマパラダイス』のような、 映画の映写光の反射を受けながら画面を見つめる者の表情が生み出す情感という 美しい細部がそこにある。  そして、映画はその画面をラストに反復する。モニターが映し出していた ジェームズ・フランコとシーザーの抱擁は、その位置を置き換えて ジェイソン・クラークとの間に交わされる。 この小道具の活用法は見事だ。  そして人間は暗闇の中に消え、エイプたちは陽光の中に出て行く。 このシーンも光と闇の画面によって物語を語っている。  前半の露出アンダー気味の曇天や薄闇が、怒りの炎や爆発、夜明けの光を活かす 後半のためにあったことがわかる。     
[映画館(字幕なし「原語」)] 8点(2014-09-21 21:17:17)
16.  桜並木の満開の下に
パンフレットの佐々木敦氏の批評を読むまでもなく、成瀬の『乱れ雲』とすぐ気づく。  三浦貴大の差し出す現金入りの封筒を幾度も幾度も叩き続けた臼田あさ美の手。 その彼女の手が、ラストの駅のホームで横に並んだ三浦の手をしっかりと握る。  そこには病床の加山雄三の手を握りしめる司葉子の手の記憶があると共に、 『百年恋歌』(恋愛の夢篇)での結ばれる手のイメージも重なって感動を増す。  地元PRありきの企画ながら、ドラマティックな物語とロケーションが見事に 融合しており、観光スポットを変に浮き上がらせるような愚も回避している。  焚火の灯りが映える夜の浜辺。 縦の構図を活かした、年季の入った工場内の風情。 艶やかな夜の駅のホーム。 それぞれの画面が低予算などまるで感じさせない出来だ。  その情景の中で震災後を生きる臼田あさ美、三浦貴大の佇まいもまた素晴らしい。 
[映画館(邦画)] 8点(2013-06-26 22:47:24)
17.  猿の惑星:創世記(ジェネシス) 《ネタバレ》 
ホークスの『モンキー・ビジネス』(1952)で、チンパンジーが錠を外して檻を抜け出し、若返りの新薬を調合、味見し、それを人間の給水機に混入させてしまうまでを驚異の2ショットで本物に実演させてしまっていることを思えば、CGIの時代に人間の演技を模写・変換した合成キャラクター自体は、予想を超えた動揺や驚きといったものをもたらすべくもない。(本物のチンパンジーの、時に意表を衝く豊かな表情変化は「非心理的」で実に見事だ。) 人間の演技と表情を模した生物の人間的倫理に共感性がもたらされるのはある意味当然のことであり、眼による感情表情を中心としたそれも人間の理解と納得の範囲に納まるものでしかない。  ゆえに、ドラマとして彼我の優劣を決定づけ、かつ映画としての驚きとスペクタクルを呼び込むのはその身体能力の圧倒的差異である。  映画の後半部、金門橋の上部・下部構造を駆使した登攀、懸垂、跳躍、疾駆の「超人的」アクションと、それを捉える縦横無尽の流動的カメラワーク(横移動、縦移動、空撮俯瞰)が断然素晴らしい。  同時に、仲間の殺傷行為の暴走を制止しようする「手」による反アクションのアクションが情感と同時に批評性を伴って迫る。
[映画館(字幕)] 8点(2011-10-16 22:14:15)
18.  さんかく 《ネタバレ》 
常にトイレを視野の奥に入れた特徴的な2DKの構図の中、高岡蒼甫と田畑智子が何度もキスをし直すシーンや、マニキュアをめぐっての痴話喧嘩が別れ話に発展してしまうシーンなど、二人の関係性の変化を捉える持続的なワンシーン・ワンカットが真に迫る。  この長回しは、二人の達者な芝居を途切れさせないことで生々しいテンションの維持を達成しているだけでなく、男女間の視線の交換とそれに伴う感情の交流という古典ハリウッド的な切り返し編集を一切封印することで、二人の恋愛の不可能性を暗示する。  実際に、小野恵令奈と高岡蒼甫の「擬似恋愛」は幾度も偽の切り返しによって表現される一方、高岡・田畑の対話からは意識的に徹底排除されている。 監視カメラ映像を通して交わされた偽のそれと、ラストの美しいそれ以外は。   同時に、頻出する携帯電話での対話も常に一方の発話者側だけを捉え、関係の一方向性と非対称性を強調しているのも確信的に施された演出だ。  ラストのクロースアップによる男女の切り返しに至り始めて双方向的な結びつきが成立し、見つめること(視覚)と受け容れること(心理)の一致という原サイレント的美しさを見せ付ける。 
[DVD(邦画)] 8点(2011-07-28 20:53:22)
19.  サーカス五人組
PCLに移籍してのトーキー第三作。成瀬作品には風物詩的に度々登場するチンドン屋(ジンタ)五人組が主役となる。  序盤中盤の楽隊行列やクライマックスのサーカス興業と、演奏も盛り沢山。 加えてアブラゼミ・ヒグラシ・鈴虫の音色など、夏の風情を醸す音も豊かに取り入れられていて、ロケーションの魅力と共に味わい深い。  そして素晴らしいのは、堤真佐子と梅園龍子が語り合う岸辺のシークエンス、同じく堤真佐子と大川平八郎が語りあう海辺のシーン。  それぞれ僅か数分にすぎない一対一の対話シーンなのだが、振り向く・腰を下ろす・横に並ぶ・顔を逸らすといった繊細なアクションが多彩な角度と位置から組み立てられ、的確かつ入念なカッティングで連繋されている。  梅園龍子が水辺に静かに腰を下ろす所作の美しさ。寄り添う姉妹の画面手前で静かに揺れている青草の情感。いずれも絶品のショットだ。  ラストの海岸沿いの一本道。見送り、見送られる二人の切ない切返しも陽光の明るさが二人を救っている。 
[CS・衛星(邦画)] 8点(2011-04-03 19:02:47)
20.  座頭市 THE LAST
緊迫した長回しの中、縦構図で捉えられた長屋のオープンセットの奥側右手から、あるいは賭場の衝立の裏から、不意に出現する市の瞬発性。そのまま持続するショットの中で雪崩れ込む殺陣の速度感が見事。雪山の急峻な崖から、屋敷内の小さな段差まで、殺陣には緩急だけでなく高低差のサスペンスも活かされ、多人数掛けから一騎打ちまで、アクションに関しては全く申し分なし。  序盤の山林から、廃村、水田、浜の小屋など、庄内映画村のセットを活かした個々の美術も多彩で、時代劇映画の地勢的制約や窮屈さを感じさせない。(ただ些細ながら、砂浜と農村のロケーションがちぐはぐで位置関係的に無用な混乱を招く。)  また、再会した香取慎吾と工藤夕貴が海を背に語り合うショットや、香取と倍賞千恵子が夜の雪原を背に語り合うミドルショットの対話の間にはいかにも阪本監督独特の味わいがあり、『王手』の日本海のシーンなどを思わせる何ともいえない情感を湛えている。  概して主演アイドルは顔面に心理を大仰に貼り付けすぎるだけに、こうしたシルエットのシーンや、包帯等で顔を隠したショット、引いたショットでのアクション等のほうが逆に強度を以って迫ってくるのだ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-19 16:35:29)
010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS