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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 823
性別 男性

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1.  戦場にかける橋 《ネタバレ》 
正直言って、初見では本作の良さがよく分からなかった。 この映画が言わんとしていることを上手く感じ取ることができずに混乱したが、そのような“難しさ”が本作の良さかもしれない。 戦争というものは、単純に割り切ることができず、不条理なものということか。 捕虜であっても、軍人としての“誇り”を失わずに規律に則って自己の職務を全うするということは感動的でもある。 捕虜であっても奴隷ではない、我々は規則を守る文明人である、人間として何かを成し遂げたい、という主張が大佐からなされており、その主張は立派であり、心を打った。 『敗北しても勝つことは出来る』というイギリス人の“誇り”が、日本軍の斎藤をも変えたと捉えることができる展開だ。 欧米風の騎士道と東洋風の武士道の“融和”のような感触も得られる。 綿密な計画を立てて能率的なイギリス人と、「お茶!」の伝言を繰り返す非効率の日本人、失敗したら切腹しようとする精神論的な日本人の対比も見事である。 しかし、最後の展開によって何もかもが崩壊してしまったような気がする。 誰と戦っているのか、何のために戦っているのか、そもそも戦いとは何か、戦争とは何か、その様なことが何もかも分からなくなるようなラストだった。 もし、大佐がイギリス軍の作戦の意図を感じ取り、自らが精魂込めて築いた橋を自らの意志で大義のために破壊したのならば、最高の軍人として理想化されるような映画的な展開になるのだが、そのような展開にしなかったことが本作の良さかもしれない。 本作は映画らしくなく、観客に“混乱”を巻き起こすラストではないか。 自らが築いた橋を壊そうとするイギリス人に反抗するイギリス人大佐の姿、誰もが死に何もかもが破壊された姿をみて、医師同様に「狂っている」とつぶやきたくなるようなラストだった。 確かに、戦争というものは、美しい友情が築かれるものでもなく、感動的な秘話や美談が語られるものでもなく、そういう狂ったものなのかもしれない。 自分にはそこまで深いものを感じ取ることができなかったが、この不条理感は心に残り続けるだろう。
[DVD(字幕)] 6点(2011-04-23 21:48:11)
2.  ゼロの焦点(2009) 《ネタバレ》 
原作やオリジナルを知らずに、本作を単独で評価すれば、5点か6点かという評価になるだろうか。松本清張原作作品なので、ストーリー自体の面白さは保証されている。 しかし、オリジナルを見てしまうと、本作は“酷い”としか形容のしようがない。途中退席をしようかと考えるほど、“憤り”を覚えたので、正確にジャッジできているとは思えないが、カラクリを全て知ってみると、ネタの出し方、編集や構成、脚色全てにおいてバランスが悪く、ことごとく裏目に出ていると感じられる。観客に“驚き”を与える気持ちが感じられず、ストーリーを単に流しているだけ。自分の頭に血がのぼっていたので、女優陣のせっかくの熱演も『茶番だ』としか感じられなかった。 現代において、当時の北陸を再現することは難しいが、冬の北陸を上手く表現して活かしているとも思えない。 こういうことになるのは分かっていたので、オリジナルを見るのは本作鑑賞後にする予定だったが、偶然オリジナルを見る機会が先に来てしまったのが問題だった。 松本清張の原作を読んでいないので、自分の批判が適切なものかは分からない。 ひょっとするとオリジナルが原作とかけ離れており、本作が原作に沿っているのかもしれないが、オリジナルの良さをことごとく消し去ってくれている。 オリジナルはただの殺人事件を描いたわけではないのに対して、本作はただの殺人事件を描いたに過ぎない。 オリジナルは“時代”や“過去”に翻弄された同情すべき悲しい事件なのに対して、本作は同情の余地が一切ない、自分勝手な人たちが巻き起こした事件となっている。 監督・脚本を兼ねている犬童監督はオリジナル作品をきちんと見たのだろうか。 もしオリジナルを見ているとすれば、彼の才能を高くは評価できない。 しかし、逆に穴が空くほどにオリジナルを見たのかもしれないとも感じられた。 オリジナルとは180度と言っていいほど、完全に真逆の作品に仕上がっているからだ。 単にコピーして劣化版を作成するのではなくて、自分の“オリジナル”作品を仕上げるという壮大な狙いを込めたのだろうか。その壮大な狙いが失敗しただけなのかもしれない。リメイク自体は否定するつもりはなく、自分としては歓迎をしているが、比べられる対象があるだけに、製作するサイドとしても、鑑賞するサイドとしてもリメイクというものは本当に難しいものだと感じさせた。
[映画館(邦画)] 2点(2009-11-16 23:05:00)
3.  ゼロの焦点(1961) 《ネタバレ》 
“北陸”という場所が非常にマッチした映画に仕上がっている。 冬の北陸へは数度しか行った事はないので、個人イメージというところもあるが、鉛色の空が似合うちょっと寂しい感じの街だった気がする。 本作において、新婚旅行のときだろうか電車に乗っている際に、金沢への憧れを表す妻と金沢に対する嫌気を表す夫のやり取りが印象的に残っている。 夫にとっては、金沢という場所は想像以上に孤独で寂しい場所だったのではないか(鵜原だけではなくて、社長夫人や久子も含めて)。 ハイヒールを履いて雪の上を歩く妻の姿を見れば、その憧れは単なる憧れであり、現実が分かっていなかったこともよく分かる。 そのため、“北陸”という過酷な地において、それほど好きではない久子とその孤独のスキマを埋めざるを得なかったのかなと感じられた。 それがこの“悲劇”の始まりだろうか。 本社復帰を何度か断ったというセリフはあったが、いったん泥沼にはまると抜け出したくてもなかなか抜け出せないというのはよくあることだ。 パンパンという言葉を初めて聞いたが、当時としては相当な差別対象だったと想像される。 どんなに偽っても、どんなに誤魔化してもそういった“過去”というものは消えず、“過去”は付きまとい、“過去”という亡霊に怯え続けるざるを得ないのだと思い知らされる。 また、人を愛するということは、その人の全てを知りたいと願うことなのかもしれない。 妻はたった7日間の結婚生活だったけれども夫を愛していた。 社長は妻のことを愛していた。 人から愛される度に“過去”というものが浮かび上がってきてしまうもののようだ。 人を愛さなければ、人から愛されなければ“過去”というものは問題ならないのかもしれない。 “過去”というものが非常に厄介なものだということも思い知らされる。 “謎”自体はそれほど複雑で面白みのあるものではないが、それがまた何かを感じさせるものとなっている。 一瞬の感情や偶然によって、事件が複雑に絡まってしまっているだけであり、真実はそれほどドロドロしいものでもなければ、計画的な残酷性があるわけではない。 それが悲しみを引き立てる効果となっていると感じられた。
[DVD(邦画)] 8点(2009-11-16 23:02:57)
4.  センター・オブ・ジ・アース(ブレンダン・フレイザー主演) 《ネタバレ》 
TOHOシネマズ六本木で鑑賞。 3Dメガネ初体験だったので、予想外にゴツいメガメを渡されて、まずビックリさせられた。 肝心の3Dに関しては、ちょうど真ん中の席に座ったので、飛び出し具合は悪くない程度。 期待を裏切るほどではなかったが、体が自然と反応するような迫力ある仕上りというほどではなかった。 3Dの場合には、もうちょっと前方の席に座った方がいいのかもしれない。 こんなストーリーもない映画でもそれなりに楽しむことができるのが、3D映画の特徴だろうか。 技術の進歩には驚かされる。子どもが見れば、相当に楽しめる映画ではないか。 近い将来、アクション・ホラー・アニメ映画は3D映画が主流になるかもしれないと予感させられる。 しかし、もうちょっとストーリーを面白くする工夫はなかったものか(面白くさせるために、苦し紛れに携帯を鳴らすのは・・・)。 基本的には、「○○が出てきました」「××に襲われました」「△△に乗りました」「□□という状態になりました」という現象やイベントを単に映像化したにすぎない。 映画としては、非常にレベルが低い内容にはなっている。 アトラクションとして評価したものの、映画として評価した場合はもっと点数は低くてもよさそうだ。 子役と父親との関係や、それぞれが離れ離れになったりというイベントも単なる状態にすぎず、感情に訴えるような努力をほとんどしていないのはマイナスだった。 また、3Dの弊害は、字幕ではなくて吹き替えに見ざるを得ないという点になる。 ブレンダン・フレイザーを吹き替えた沢村自身は嫌いではない。 沢村だと知らずに見たが、吹き替えは抑揚がなくイマイチな印象。 子役の吹き替えはあまり印象には残っていないが、合格点とはいえず普通以下か。 ヒロインを吹き替えた矢口は、矢口だと知らずに見たが、それほど違和感はなかったという印象だった。 矢口自体は悪くはなかったが、実際のヒロインが個人的には好きではないタイプだったので、少々ガッカリした。 3人の登場人物と一緒に旅をするというシステムなので、肝心のヒロインにハマれないと少々ノメり込み具合が浅くなる。 ブレンダンと子役自体は特に問題はなかったように思われる。 この手のストーリーのない映画には、ブレンダンのような大味な役者は似合う。 彼の起用は正解だろう。
[映画館(吹替)] 6点(2008-11-01 23:33:42)
5.  ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 《ネタバレ》 
ダニエル・デイ=ルイスの演技は完璧だ(完璧すぎて一緒に仕事をするのは大変そうだ)。彼の演技を見るだけでも、本作を見る価値はあるだろう。 ただ、“映画”としてはそれほど面白いものではなかった。 正直いって、個人的には作品には全く入り込めなかった。 これは作品の出来が悪いということはなくて、常人には入り込めるような余地がない、常人を拒絶するような作品なのかもしれない(音楽も拒絶する要因になっている)。 アンダーソン監督は、あえて挑戦的な映画を製作したように思われる。 「金よりも大切なものがある」「金中心の自分の人生を最後に後悔する」というような、ありきたりな甘い作品になっていないのもポイントだ。 「金のためならば自分の魂までをも売る」というのは、ある意味で人間の真理の一面でもある。 人間には善の部分も確かにあるが、悪の部分もあるのは間違いないだろう。 こういった人間の本質的な部分を描き切った点は非常に評価できる。 通常のハリウッド映画には到達できない境地といっていいだろう。 ダニエルは、冒頭の青年時代の金採掘時から、ラストの老年時代に至るまで、全くブレていないのかもしれない。 他人の成功を妬み、自分が成功することのみを追求し続ける。 それがある意味で人間らしく素晴らしい。 ただ、ブレる要素はあった。 思いもよらぬ息子や弟の登場により、彼にも変わるチャンスはあった。 ただ、実際に血の繋がりがない肉親ではないために、関係が脆いものだったのが不幸だったのかもしれない。 ダニエルなりに葛藤はあったが、他人に対して自分本位の物の見方でしか、接することができなかったのだろう。 息子が独立したいといえば彼の見方では商売敵になる、赤の他人が近づいてくれば彼の見方では自分の金を狙っている、神がいるという者は嘘つきだという考え方しか彼はできなかった。 ただ、この世の中においては、彼の見方も一つの真実であるので、タチが悪い。 他人の生き血を吸い続けるという彼の生き方が何もかも間違っていると断言できる自信は自分にはない。 彼を「勝利者」とはいえないが、「敗者」でも「可哀相な人」でも「破滅した人」でもない。 何ともいえない深さが本作にはあり、初見では全体が見えてこないかもしれない。 何度も見るべき作品だろう。 「ノーカントリー」よりも、将来的に語られる映画は、恐らく本作の方だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2008-05-19 22:39:16)(良:1票)
6.  潜水服は蝶の夢を見る 《ネタバレ》 
本作がアカデミー賞監督賞にノミネートされ、作品賞にノミネートされなかったのは何となく分かった気がする。 単純な感動作でもなければ、単純な伝記映画でもない、本作を観てストレートに感動する人はそれほど多くないのではないか。 しかし、魅力のある作品とも感じられるのも間違いない。 この題材を扱って、こういったアプローチや映像的なテクニックを駆使できる監督は少ないと思う。 本作が「普通の感動作」ではないという点は、逆に評価ができるポイントだ。 また、ジャン=ドミニク・ボビーという人物がどのような人物かも余すところなく描かれているのも評価できる。 彼の視線、彼の想像、彼の記憶、瞬きで綴られていく彼の文章を通して、彼が何を考え、何を感じ、何を想ったかが伝わってくる。 単純な伝記映画とは異なる手法だが、彼の人生を深く感じられたと思う。 多少の物足りなさは覚えるが、押さえるべき点はきちんと押さえられている。 「父親との関係」「妻との関係」「子どもたちとの関係」「愛人との関係」「支えてくれた医療関係者等の関係」「黒人親友との関係」が深くはないが、浅くもない程度に描かれている。 そして、「妻と愛人とジャンとの関係」も見事としか言いようがない。 妻の言葉を借りて、愛人への愛を語るというシーンが特に印象的だ。 妻がどのように感じるかをジャンは分かったとしても、あのセリフを愛人にどうしても伝えたかったのだろう。 愛のために生き、自分に正直だったのが彼らしいところではないか。 「妻ではない。子どもたちの母親だ」というセリフがあり、妻への愛は失っているものの、妻以上に痛みを伴っての発言だと思いたいものだ。 シュナーベル監督は「バスキア」「夜になるまえに」に引き続き、実在の人間を扱った映画を撮った。 思い通りにいかないもどかしさを抱える主人公が困難に立ち向かいながら、才能を開花させていくという構成やアプローチ自体はどれも似ている。 どの作品も素晴らしい作品であるが、どの作品も視覚的な描写が重視され過ぎている気がする。 文章や詩のように脳で楽しむ映画というよりも、眼で楽しむ映画になっている。 画家である彼らしさを感じられるようにはなっているものの、他の映画とは異なる作風なので、多少の違和感を覚えるのではないか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-16 02:19:13)
7.  戦艦ポチョムキン 《ネタバレ》 
革命を正当化するためのプロパガンダ映画であることは間違いないと思うけれども、映画史や演出の基本理論の勉強などに非常に役に立つ作品だ。 特に、本作における人々の感情の揺さぶり方などは本当に上手いと思う。 第1章「人々とうじ虫」では、水兵たちの胸に秘めた静かな怒りを表わしている。「食」という身近なテーマを描くことにより、「革命」という難しいテーマに対する分かりやすさ、親近感を抱かせ、スムーズな導入という役割を果たしている。 第2章「甲板上のドラマ」では、上官の横暴さを描くことにより、静かな怒りは大きな怒りへと変わり、本来許されるはずがない「反乱」の正当化を図っている。「兄弟!誰を撃つつもりか!」というセリフには、今後の革命などを抑止する働きも生じると思われる。 第3章「死者の呼びかけ」では、「ひとさじのスープのために(一人は皆のために(one for all))」死んだワクリンチュクを失った深い悲しみを、延々と続く人々の長蛇の列を描くことにより体験させようとしている。悲しみの疑似体験は、「皆は一人のために(all for one)」の精神を観ている者に宿らすことになるはずだ。 第4章「オデッサの階段」では、まさに「混乱」を描くことにより、市民が味わった「悲惨さ」を体験させている。また、政府軍の狙撃部隊の表情を映さずに、一糸乱れぬ直線的な行進を描くことによって、機械的な動作として感じさせ、彼らを非人間的な姿に捉えさせるようにしている。有名な乳母車のシーンでは、他のシーンとは異なりできるだけスローに描いている。「動きのあるシーン」の中で一旦動きを緩めて、観客に考えさせる余裕を与えて、感情だけでなく、理性までにも訴えさせようとしているのではないか。 第5章「艦隊との遭遇」では、緊迫感や緊張感を一気に高めて、高めるだけ高めたのちに、今度は一気に緩めて、「兄弟!」「革命万歳」という感情をストレートに観客に植え付けることに成功している。 実に計算され尽くされた奥の深い映画に仕上がっている。これほどまでの映画が、1925年に製作されたことは驚き以外の何物でもない。本作を通じて、「モンタージュ理論」を改めて考えさせられた。シーンに付加された意味を感じ取ることの重要性を考えるだけでも、鑑賞眼はさらに深まるのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 5点(2006-09-11 23:59:32)(良:2票)
8.  セプテンバー 《ネタバレ》 
雰囲気やセリフなど、かなり質の高い優れた映画だと思う。 男女6人のそれぞれの満たされない想いが実に切なくて哀しい。そして、分かっていてもどうしても愛を求める姿や、代替的な愛に逃げてしまう姿に、人間はなんて弱々しくてもろい存在なのかと感じる。まさにfragileという言葉がぴったりの映画だ。 愛したくても愛せない、愛されたくても愛されない、そんな想いに対する答えはみつからないのかもしれない。ただ、人は出会い、そして別れていく。時が流れて、季節も変わる。夏が終わり、そして秋が訪れる。満たされない想いが癒される一つの答えは、時間だけなのかもしれないという情感あふれたラストになっている。 本作では、男女の愛だけでなく、母娘の愛についても描かれている点も面白い。やはりお互いの気持ちが向き合うことはないのだが。 レイン(ミアファロー)の母親も自己中心的でありながらも、レインに対しては強い愛情をもっている。一人でコックリさんをやっている時の表情や、ピーターとレインの仲を取り持とうとダンスを勧める様子などをみても分かる。ただ、愛情は持っていても、その愛情の示し方や、レインに対する接し方が分からないだけなのだろう。レインの母は、過去のことは過去のことと割り切るタイプなので、過去に囚われて前に進めなくなっているレインとどのように接していいのかが分からないのは無理がない。 一方、レインは事件のことも、家のこともすべてを自分に押し付けて、勝手気ままに生きる母親に対しては我慢できないでいるが、自分の満たされない想いを自分のせいではなく、母親へ責任転嫁しているだけではないか。たとえ、ニューヨークに行ったとしても、幸せになれるだろうか。本当の幸せは、目の前(ハワード)にあるのに、周囲が見えなくなっている状態を、ミアファローが素晴らしく演じている。 ステファニー(ダイアンウィースト)も夫婦間の満たされない想いをピーターへぶつけてみたり、ピーターは作家になりたいという満たされない想いを、レインやステファニーにぶつけている。 しかし、好きでもないレインに手を出すピーターや自分を試すためにピーターを誘ったステファニー、娘を理解できないダイアンなどに特別な悪意があるわけではない。ただ単に、人はみな弱々しくて、その弱さを何かで埋めるしか術を知らないだけなのだから。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-08-07 23:07:03)
9.  セルラー 《ネタバレ》 
テンポは良く、確かに良作だとは思うけど、それほどはハマれなかったかなというのが正直な感想。(テンポがよく見えるのは、ただ単に主人公の要領が悪いだけなのかもしれない…。) この映画はDVDでチマチマ見るよりも大画面の劇場で見た方がいいかもしれない。 一点、個人的にもったいないかなと思うのが、ラストのオチ。 犯人が捕まった後に「(ビデオを壊しているために)証拠がないだろ」と主張しているのに対して、主人公が「携帯で既に録画済みだ」という反論をしていたと思うが、キムベイシンガー家族三人が生き証人としていたり、メイシー刑事もいるわけだし、動脈を切られて死んだり、メイシー刑事に捕まった悪徳警官がいる中では、携帯録画はあまり有効なオチとしては機能していない気がする。 むしろ、このネタは、ラスト間際で主人公が悪徳警官にギリギリまで追いつめられたときに用いると効果的なネタであって、全て事件が落着してから明かすネタではないと思う。 ビデオを壊され証拠もなくなり、あとは邪魔で目障りな主人公を殺すだけというときになり、無防備の主人公に銃口を向けた際に、実はもう一つ奥の手があったという流れの方がより効果的だろう。 なおかつ、データを既に複数の者に送信済みで、実は世間にはもう知れ渡っているという方がネット社会の便利さ・怖さに対してもさらりと触れることもできるのではないか。 後は逆上した犯人と乱入してきたメイシー刑事とが撃ち合いに入ってもらえればよい。 最後の着信音で相手の居場所を特定させるのはベタだけど、この題材を扱っていることを考えればよい結末だろう。あれには素直に好感を得た。
[DVD(字幕)] 7点(2006-04-09 19:45:44)
10.  戦場のピアニスト
映画を超越している作品を観た気がする。ほとんどドキュメントに近い完成度の高さだと感じた。こんな映画は今までに見たことないという衝撃を受けた。 「悲惨さ」や「酷さ」が伝わると同時に、やはり一人のピアニストの生き様が激しく描かれていたと思う。何もないときでも常に指を動かしている様子、弾けるはずもないのに隠れ家のピアノを前にしたときの喜び、そして久しぶりにピアノを弾く際のなんとも言いようもない激しさ。 あの時のピアノの音に何を思うのかは観た人によって異なるだろう。 殺されるかもしれないという恐怖(もはやそんなことも感じられなくなっていたかもしれないが)を感じつつも、まず何かを噛み締めるように音を確かめていき、自分がピアニストだったことを徐々に思い出していく。そして、苦しみ、悲しみを音に乗せていき、内に秘めた怒りを徐々にあらわしていき、それがどんどんと大きくなっていく。また、怒りを爆発させると同時に、ピアノを存分に弾ける喜び、かつ、これが最後になるかもしれないから悔いの残らないようにという思いや名残惜しさも感じられる。そんな演奏だったように思われた。 ある意味、監督自身もシュピルマン同様に逃亡者であり、シュピルマンが満足にピアノを弾けないのと同じく、ポランスキー監督も満足に映画作成はできなかったのではないか。しかし、この映画で存分に満足のいくまでの映画作りができたポランスキー監督の姿とぼろぼろになりながらも満足のいく演奏をしたシュピルマン(ブロディ)の姿がだぶって見える気がした。
[DVD(字幕)] 9点(2006-01-03 06:54:31)
11.  セント・エルモス・ファイアー
青春時代の幻想が詰まった作品。 それが幻想だとしても、忘れ得ぬ魅力があり、人々を感動させるチカラもあることを思い出した。 映画自体は青春時代のもどかしいじれったさをまさに感じさせるじれったい映画になっているが、その点もなかなか良かったと感じられた。 青春時代には、苦悩もあり、喜びもあり、哀しみもあり、そして別れもある。 そして確かにこの映画のようにそういった様々な感情をともに分かち合える仲間がいたなとふと感じてしまった。 映画に登場する7人にはそれぞれ個性もしっかりと描かれており、そして個別に苦悩があり、最後には成長も感じられた。 特に女性陣はかなり成長しているような気がした。 ウェンディーは親が決めた恋人と別れ、家族と離れ独立したし、レズリーもうっとしいオトコ達と離れしばらく一人で生きることを決めたし、ジュールズは先が見えない人生に疲れを感じ、死を意識していたが、前向きに仕事を見つける決意を決めた。 一方、男性陣はビリーこそニューヨークに行き、サックスで勝負する決意を固め、行き場を失いつつあったどうしようもない人生から脱却しようとしているが、揃って女性に振られた残りの3人はイマイチだね。 確かに女性関係が多くて結婚を逃げ場と考えていたり、友人の彼女に一方的に幻想を抱き続け他の女性と付き合わなかったり、昔憧れていてただ一回デートをした相手(相手は映画のタイトルでさえ混同している)を忘れられず、枕の匂いをかいだり、ストーカーっぽいことをしていたり、とそろいも揃ったどうしようもないオトコ達だからしょうがないかな。 まあ、そういうオトコが抱く女性に対するどうしようもない情けない点も描いているのもなかなか面白いと思う。
7点(2005-01-08 23:16:49)(良:1票)
12.  セックスと嘘とビデオテープ
嘘で塗り固められた実際の人間関係を描いた現実と真実はビデオというフィルターを通すことでしか得られない虚しい現実との対比は見事だ。 確かに特にセックスに関しては嘘だらけなのかもしれない。 ジョンは、妻には妹との不倫を隠すために嘘を付き通し、友人のグレアムの彼女を寝てしまえば今度は友人に嘘を付きとおす。 そして顧客(社会)にも嘘を付き通す。 もっとやるのなら妹に「妻と別れる」と告げるくらいの嘘があればもっと良かったのだが。 そうこうしているうちに嘘だらけの人間関係が出来上がる。 しかし嘘が嫌いだからといってグレアムのようにビデオという一方通行の人間関係に逃げて、現実の人間関係に向き合わなくても良いのだろうか。 それをシンシアによって解決している気がする。 質問する側とされる側の逆転現象。 ビデオを確かに真実を映しているが、ビデオに撮られる側=自分をさらすこと、ビデオに撮る側=自分を決してさらさないこととも考えられる。 さらされることがなかった本当の自分をさらけ出すグレアムの恐れをシンシアが見事に引き出している。 やはり必要なのは人から逃げることではなく、相手と話しそして相手を理解することなのだろう。 それによって人と向き合うことだけでなく、自分と向き合うことも出来ると感じられた。 他人の人生に影響を与えたくないと人との接触を拒むことは決して出来ない、人間が生きている限りは。 お互いに向き合い、嘘がなくなったグレアムとシンシアには壁がなくなった近さを感じる。 そして嘘がなくなったシンシアと妹にももはや距離はなかった。
7点(2005-01-02 04:27:56)
13.  セントラル・ステーション
ブラジルの苦しい現実は随所に垣間見れたが、何かに感動するような部分はなかったというのが感想。 でも、好きな人には好きな映画なんでしょうね。 あのおばちゃんと少年の心の変化というか成長が上手く伝われば良かったんですが。 二人にとってお互いがかけがえのない存在になっていくようなシーンがもっとあれば良かったんだけど。 お金もなくなりどうしようもない時にジョズエが代書を提案して、儲けたお金で写真を取り、ホテルのベッドでたわいもない会話をするような所は二人の関係がぐっと近づいた気はした。 おばちゃんもかつては捨て去っていた手紙を道中ではちゃんと出していたような気持ちの変化は感じ取れた。 果たしておやっさんの手紙には本当にジョズエのことが書かれていたんだろうかとか、おやっさんはどこに行ったのか(いつからいなくなったのか忘れたけどジョズエ母の訃報を聞いていなくなったのかと思ったが)とか、そういうあやふやにしている部分は逆に良く思われた。
5点(2004-10-17 02:05:29)
030.36%
140.49%
2121.46%
3394.74%
4789.48%
59111.06%
615618.96%
719523.69%
816319.81%
9607.29%
10222.67%

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