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すかあふえいすさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1047
性別 男性
年齢 30歳
自己紹介 とにかくアクションものが一番

感想はその時の気分で一行~何十行もダラダラと書いてしまいます

備忘録としての利用なのでどんなに嫌いな作品でも8点以下にはしません
10点…大傑作・特に好き
9点…好き・傑作
8点…あまり好きじゃないものの言いたいことがあるので書く

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1.  ゾディアック(2007) 《ネタバレ》 
デヴィッド・フィンチャーで何が一番好きかといえば、この「ゾディアック」。  60年代・70年代テイストのこの映画は、車上のカップルがいきなり射殺されてしまうファースト・シーンにはじまり、ゾディアックは次々に人を殺していく。 目撃はされても大きな証拠を得られない、何故連続殺人を続けるのか、総てが謎のまま終わってしまうのか。 劇場型犯罪によって警察、マスコミといったあらゆる人間が巻き込まれ、疑われる。  プロセスとしては「セブン」に何処か似ている。 説教めいた事を言うのも共通している。 ただ、決定的に違うのは犯人が解らないまま終わってしまうということであり、むしろゾディアックが自首する話が「セブン」なのである。  「殺人鬼は誰か?」ではなく「殺人鬼を付き止めるようとする人々」を焦点にしている点も注目だ。 得たいの知れない恐怖に挑み続け、事件を風化させないために戦い続けた人々の物語。何故彼等は同僚や家族を失ってまで事件を追い続けたのか。  まるで歴史の真相を暴こうとする歴史学者やマスコミのように諦めようとせず、どんどん狂っていく。 それは「何故俺はこんな事をしているんだ」という己の存在意義を見出すための孤独な闘いでもある。 時が流れ人々が忘れ去ろうとも、彼等は忘れる事を止めなかった。 彼らを突き動かすのは、ゾディアックの残した膨大な手がかりと情報だ。 「もしかしたら事件を解決できるかも知れない」という淡い希望。  ただ、「セブン」の「安心して子供を産める社会」のためにとか、他人のための意思とは少し違う。 謎を追うのはマスコミや漫画家といった人間がゲーム感覚で参加しているようにも思える。 マスコミは特ダネを掴んで出世するためだったし、漫画家は本を執筆するために。 警察が協力してくれたのも、真相を解明する手掛かりになるのではと利害が一致したに過ぎない。   それにしたって、あのハンバーガーの美味そうな食い方は何なのだろうか。
[DVD(字幕)] 9点(2014-12-20 20:15:52)(良:1票)
2.  ソウ 《ネタバレ》 
最初この映画を見た時に感じた嫌悪感は何だったのか。 餓鬼(中坊)だった俺はジグソウのクソ野郎に殺意を覚えたこと、 低予算とか触れ回る割には編集技術の高さとか演出に「低予算」という説得力を感じられなかったこと、 BGMがうるさすぎて俺の中でしばらくギャグ映画という位置ずけになってしまった事。 というか、映画は本来低予算が当たり前だ。 ハリウッドも低予算だからこそディティールとかシナリオ、演出、俳優で勝負していた。 それがいつの間にか金を無駄にかけ時間も無駄に長くなり、低予算のB級的感覚を持った映画を白眼視する馬鹿が増えて“珍しく”なっただけに過ぎない。 クリント・イーストウッドとかスピルバーグとか、今でも想像より遥かに安く早く面白く作っている。それが当たり前の事だったからだ。 だから、ワンによるこの映画もその辺のA級を自認する退屈な文芸映画よりも遥かに面白い。 それは再見してその面白さに気付く事が出来た俺が保障しよう。 この映画を見直そうと思ったのも「死霊館」の面白さに感動したからだし(「死霊館」の方が俺は好き)、短編の「ソウ」に心を打たれたからだ。 ただ、短編の得体の知れないクソ野郎に振り回されるというのが最大の魅力だった筈なのに、この映画はクライマックスであっさり謎解きをしてしまう。 短編のエピソードは“影”だけで表現されていたのに対し、この映画ではガッチリ描写される。この場面だけでも短編より金かけているよね(面白いから別に良いんだけどさ)。 ほっぺがクルクルパーの人形とか、長編で思う存分殺りたい放題。白人も黒人も黄色人種も一人ずつ確実にブッ殺されていきます。 闇、水の中の男の顔、ハッキリしない暗い部屋、突然電気がついて明るくなり、この部屋が密室だという事が分かる。互いに素性をよく知らない、鎖に繋がれた二人の男、それぞれに与えられたヒントと“鍵”、中央に転がる“痛々しい”男、握りしめられた拳銃、画面の向こうでふんぞり返るクソ野郎の存在。 しばらく闇の中にいて突然明るくなるのだ。眩しさでしばらく眼を開けられない。 ポケットの中のヒント、レコーダー。 最初のうちは二人とも鍵を共有する精神的な“余裕”があった。試行錯誤を繰り返して先に進もうとするが、謎のメッセージに踊らされる二人。 トイレに手を突っ込むとか色々キツすぎる。画面の向こうのクソ野郎に弄ばれ、徐々に恐怖が苛立ちに変わっていく二人。そこに与えられる“鋸”。最初の15分は前に見た時より楽しめた。 そこに回想だけならともかくジグソーを追う外の人間やら凶悪犯との追走劇やら、別の映画で見たかったアクションばかり入ってくる。 それで外の人が頑張って犯人を…と思ったら実は!というのが狙いなのは解るけどさ…なんかねえ。 回想の処刑ショー、早回しで恐怖を強調するのはヒッチコックの「裏窓」を思い出す。 写真でゾッとする瞬間、ビデオのヒント、複数の赤い布、カメラのフラッシュで照らす、明かされる真実。二重三重の罠。 そしてああやっぱり音楽のせいでギャグ映画に。そもそもシリーズ化されている時点でギャグ映画確定じゃありませんか。 頑張れオッチャン!頑張れママ!父さんも脚をオープン・ゲットして今逝くぞー!顔面蒼白すぎて泣いた。 ジグソウ「地獄でまた会おうぜっ!」ガッシャーン 何でこんな奴に説教されなきゃならないのだろうか。まったく頭にくるほど面白い映画だ。  ・ソウ(短編) 俺は長編よりも、長編の元になった短編の得体が知れない恐怖の方が好きなんだ。 様々な不協和音が響くオープニング。 机で向き合う男が二人。警官と憔悴した謎の男、警官が男から事情を聴く。 捕えられるまでの記憶、捕らわれた後の記憶の中の恐怖。弄ばれる苛立ち、生きるために一線を越えなければならない葛藤。 鍵を得るための作業が“影”で演出される巧さ。この時点でジェームズ・ワンはズバ抜けた何かを持っていた。 帽子を被る人形のウザさといった。 この短編の内容は長編版「ソウ」において、別の人間によって繰り返される。こんな面白いもの、反復したくもなるぜ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-27 02:32:30)
3.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 
「シコふんじゃった。」や「Shall we ダンス?」みたいな痛快な映画と比べると、この映画はそういった楽しさが徹底的に削がれてしまった印象を受ける。  ビルを走る一本の電車。その密室では、突然尻をなでてくる者の手が“恐怖”へと変わるし、手を掴んだり密告される瞬間も恐怖と化す。  その恐怖を知る者は、その領域に入った瞬間に両手をあげて命乞いをする。まるで拳銃や刃でも突きつけられている様に。それを知らない者は、出会ったばかりの赤の他人に殺されてしまうのだ。社会的に。  この物語は、そんな社会的に殺されかけた男の孤独な闘いを描いていく。途中挿入されるわずらわしい音楽(最初から無音なんだから最後まで音楽の挿入はして欲しくなかった)も、監督がこの男に同情するが故だろうか。 絶望を語る筈の独房も妙に白いし、照明まで彼を暖かく照らすように明るすぎるのではないだろうか? 「どうしてこうなった」と無言で泣く男の姿だけで充分です。  動く密室の次は、取調室という密室で数人の男に尋問されるという恐怖。常に同じような事件に振り回される男たちの苛立ちは、捕まってしまった人間にブチまけられる。 捕まった人間にとっては「知ったことか」である。誘導尋問、脅し、レッテル貼り、疑心暗鬼、偽善、指紋。 そこに人権とか、偽善がどうとかといった感情は消えていく。あるのはブタ箱にブチこむという“作業”の繰り返し。 何度も何度も何度も「アナタハ痴漢ト疑ワレマシタ。ナノデ逮捕シマス」という具合に延々と同じ言葉を繰り返す。そのしんどさ。二度と見たいと思わない退屈さ。音楽まで似たようなBGMを繰り返しやがる。 あの気の遠くなるような説明は本当に早送りしたくなった。 主人公も感情が消えかけ嫌気が差しているのだから。この辺は社会派映画の悪いクセです。  独房の中で出会う常習犯たちの奇妙さ。それは事件の捜査に疲れて荒んだ警察も、態度をコロッと変える管理人にも、興味本位だけで犯罪を追っかけまわす男たちにも共通する。  痴漢被害に遭ってきた筈の少女の姿にも奇妙さが目立つ。彼女の親は何故裁判所に来ないのだろう。親は既に亡くなってしまったのだろうか。 だとしても、代わりに先生がくるとか、友達が来るとか。そういうのが描かれていないのが不思議だ。 壁に覆われて、主人公やその支持者たちも背中すら見る事が出来ない。主人公も、自分を警察に突き出した女性と一度キリしか会っていない。 そんな奴らに「貴様は犯罪者だ!悪魔だ!」と言われてみなさいよ。誰だって怒りますよ。憎みますよ。ガラスを叩いたり鉛筆を砕きたくもなりますよ。ピーポ君を傘でしばきたくもなりますよ(あのやり取りだけ唯一といってもいいギャグシーン)。 女子高生の視点を知るのは観客だけだ。観客だけがその映像に誘導され、揺さぶられるのである。  それとは対照的に、家族や友人たちはその奇妙さが消え去っていく。真実を知れば知るほど彼らは主人公を支え、一緒に闘うようになっていく。元カノも“信じている”からこそ体を張る。 最初は疑っていたからこそ、それに対する贖罪と共感・共に戦うからこそ得られる頼もしさ。 事件の再現から突破口を開こうとする瞬間、ここで初めて違う音楽が観客の心を洗い流す。様々な人間の視点や感情が真実を探り希望を見出し始めるのである。  それを嘲笑う社会の闇。 小日向文世を殴りたくなったのは初めてだ!素晴らしい演技!予告の躍りかかる主人公のように、あのにやついた顔面をブチのめしてえええっ  裁判のクライマックス。 そこには「それでもボクはやってない」と頑強に戦う覚悟を決めた男の表情だけがある。 主人公が一度挫折し、そこから立ち上がり成長していく姿は「シコふんじゃった。」や「Shall we ダンス?」にも共通している。  怒り裁判所を出て行った友人も、また彼のために戻ってくるのだろう。それでもカレはやっていないと信じているのだから。
[DVD(邦画)] 8点(2015-06-02 20:01:18)
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