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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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21.  ビッグ・アイズ 《ネタバレ》 
ゴースト・ペインターが晴れて陽の目を見るという物語ならば、 もう少し画面の明暗、あるいは光と影を以て語って欲しいところである。  法廷内の入射光、判決後の正面玄関シーンなどは特にそうだ。  逃亡先のハワイの明るさなどにしても、雑多なエピソードにしても 実話をなぞることに拘りすぎている感がある。  絵画の映画は、出来るだけ静止した完成品ではなく 画家が絵筆を動かす様や、変化していく筆跡でもって 見せて欲しいところでもある。
[映画館(字幕なし「原語」)] 4点(2015-04-18 00:08:20)
22.  ピカソ-天才の秘密
ピカソの絵画制作過程が、特殊キャンパスの裏面を通して直に画面上に描写される。  モノクロの簡素な描画(スタンダード画面)から始まり、 最後には大掛かりな油彩(シネスコサイズ)にスケールアップして 変幻自在に絵筆が展開される様が非常に圧巻であり、劇的な構成も工夫されている。  中盤では、色鮮やかなキャンパスと対比して色を落とした硬質な画面で 撮影風景が挿入されその手法の種明かしをしてくれると共に、 フィルム残量を示しながらの時間制限のサスペンス要素を取り入れたりと、 『恐怖の報酬』の監督らしい趣向が凝らされている。  最後の油彩制作過程は裏面からのリアルタイムの撮影は当然出来ない為、 表面側からコマを割っての撮影となり必然的に画家の試行錯誤の「間」は 省略されてしまっているのが残念だが、 このクライマックスの画面変化は凄まじい。  完成品の内側に込められた膨大な下書きと手直しの過程。 絵がまさに躍動する。 モーション・ピクチュア=映画である。 
[DVD(字幕)] 9点(2014-02-13 22:48:09)
23.  火まつり
キャストをみて初めて職業俳優が多数出演していたとわかる。 そのくらい、キャストの佇まいや方言が現地に溶け込んでいる。 それは引きのカメラによる達成でもあるだろう。  街の一角を、後方に山を望む駅を、引いたカメラで出来る限り広域に取り入れ その中で複数の人物を近景と遠景の間で動かし、絡ませるなど 非常に手間と労力のかかる贅沢な演出をしている。 人間と自然を一体のものとして画面に載せた、意欲的なロケ撮影だ。  オートバイに乗った男女が勢い余って生垣に投げ出される、 滑走する漁船から安岡力也が海に放り出される、といった危険なスタントも 引きのワンカットで収めるといった具合に、アクションも気合が入っている。  静かな森の中で次第に風が立ち上がり、ざわざわと枝葉が揺れ出す。 激しく降り出す森の中の雨は人工の雨か、それとも本物か。 これらの撮影はまさに神憑りと云うべきだろう。  太地喜和子の乗る小舟が、埠頭を歩く北大路欣也と並走しながら入港してくる、 その船側から陸側を望む横移動の緩やかな運動感。 柳町光男も、これをやっている。        
[ビデオ(邦画)] 8点(2014-01-11 23:41:04)
24.  ヒッチコック
劇場内の観客の反応をロビーでリズムを取りながら聴くアンソニー・ホプキンスの 満足げな姿は、『フレンチ・カンカン』のジャン・ギャバンのようでもある。  『映画術』での、「大衆のエモーションを生み出すために映画技術を 駆使することこそが歓び」であり、「観客を本当に感動させるのは、 メッセージでも名演技でも原作小説の面白さでもなく純粋に映画そのものなのだ。」 との監督の台詞がこのシーンに体現されている。  その意味では、ヘレン・ミレンのいかにもな「名演技」臭に少々くどさも感じるが、 いずれの役者もモデルに似せる以上のアプローチを目指していて、 演劇的な楽しさに満ちている。  セロリを齧る咀嚼音や、ソファの軋む音など、 さりげなく不穏を掻き立てる音使いとその積み重ね。 装置としてのプール、水着などのドラマへの活かし方もいい。 
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2013-04-14 22:04:42)
25.  左側に気をつけろ
スラップスティックとしてのスピード感と破天荒ぶりでは 『チャップリンの拳闘』に敵わないが、 その軽快で飄々とした緩いペースこそジャック・タチらしさだろう。  郵便配達の自転車の軽快な疾走に始まり、走り去る自転車に終わる、 全編通してののどかな屋外のロケが瑞々しく、 陽の降り注ぐ野外のリングで行われるボクシングや、 いたるところで登場する沢山の動物たちのランダムな動きと共演が大らかでいい。 ヌーヴェルヴァーグの先駆けともいえる。  軽いフットワークでボクサーの動きを模写をする ジャック・タチのコミカルなパントマイム。 後に『右側に気をつけろ』を撮るゴダールが 自作中でよく取り入れるシャドーボクシングの身振りの原型がここにある。  トーキーだが台詞は相当に省略され、 手引書の図解を利用したギャグを始め、 サイレント的な身振りによる語りが冴えている。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2012-06-28 00:00:06)
26.  ひろしま(1953)
敗戦から7年。 GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。  アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。  それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。  3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。 それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。  が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。 「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。 過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。 原爆症に対する無知。  現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。  硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが 伝わるのも確かだ。 原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。  
[ビデオ(邦画)] 8点(2012-05-29 21:53:28)
27.  ヒューゴの不思議な発明
フランスで生まれ、イタリアのスペクタクル史劇映画を経由したトリック映画の造形性・見世物性を継承・発展させているのがアメリカ映画であることをスコセッシ監督が如実に示す。  この作品でのストーリーテリングも、メリエス作品のようにそのスペクタクルを目的とするためにあると云って良い。だから作劇はもっとシンプルでも良いくらいだ。  解説的で、直截的で、打算と下心まる出しにも見えてしまうオマージュの作法には辟易するのだが、それはほとんど変節ともみえる作風の違いを受けての不純な読みでもあってどうも居心地が悪い。  列車や時計盤といった一目瞭然の声高オマージュよりも、『ダイヤルMを廻せ!』の鍵穴、『めまい』の階段、『ハリーの災難』の足、『下宿人』のガラス張りの床などを意識した立体効果のように、暗に提示されているそれらのほうにこそ心は動く。 
[映画館(字幕)] 5点(2012-04-01 14:08:02)
28.  飛行士の妻
街頭を歩きながら口論するフィリップ・マルローとマリー・リヴィエール。 それをハンディで追うカメラ。偶々通りがかった通行人なのか、エキストラなのか、後景に映る人々が何事かとカメラのほうに眼を向けたりしている。 駅やカフェテラス、バス内や公園と、街の空気にささやかに映画を波及させ、それを何気なく取り込みながら、映画が生々しく進行している感覚それだけで十分に楽しい。  飛行士を尾行するフィリップ・マルローに、お茶目で可愛い少女(アンヌ=ロール・ムーリ)が絡んでくる。目的自体が曖昧なまま、男女が男女を尾行するサスペンスの程よい緩さ。 緑豊かな公園の遊歩道、およびカフェの窓際席での二人の他愛ない会話劇がまたすこぶる楽しい。 尾行対象を常に後景(画面奥)に意識させるレイアウトが、画面全体を包括する視線を要求してくる。よって映画の心地よい緊張がまったく途切れない。  本作では緑を基調とした配色の中、少女の羽織るレインコートの黄色のアクセントが鮮烈だ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-11-06 18:34:45)
29.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:26:24)
30.  秘められた過去 《ネタバレ》 
ウェルズが監督を始め、製作、脚本、衣装、美術、編集と多才ぶりを発揮。 ロケーションもスペイン、フランス、ドイツ、メキシコと幅広い。  港湾シーンの影の乱舞や、天井を取り込みながらウェルズの威容を強調する不安定な斜め仰角ショットに凄味がある。 とりわけ、船のローリングに合わせて背景セットと手前の人物の揺れをずらす効果は絶大で眩暈すら誘う。  中盤までは回想形式の叙述でありながらも、ジャン・ブールゴワンから引き出されたそのノワールスタイルの暗黒画面によって醸しだされる切迫感がただならない。  『市民ケーン』的な謎解きのドラマに、古城での仮装パーティの喧騒では怪奇映画ムードすら加わって映画的スリルは多彩だ。  クライマックスは天井のスピーカーを通した娘と父との、視線の交わらない対話。俯瞰と仰角の切返し編集、そしてノイズが悲劇性を強調する。
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-05-21 21:01:13)
31.  白夫人の妖恋
製作舞台裏の事情は、廣澤榮(助監督)の「日本映画の時代」に詳しい。  次第に産業的な翳りを迎え予算を抑えにかかる上層部と現場の軋轢や、スタジオシステムが培った大道具・小道具スタッフの臨機応変な知恵と技術が注ぎ込まれた特撮シーンの苦心談など、映画以上に感動的で興味深い逸話が多々あり、面白い。  中国民話の世界を全編セットによって創りあげた美術の豪勢さ。 西湖の水面に咲く色とりどりの睡蓮や牡丹、華やかな中国伝統衣装などがイーストマン・カラーに映える。 トリック撮影を使った山口淑子と東野英治郎の妖術合戦なども楽しいが、最大の見所は金山寺水攻めシーンに展開される怒涛の水のスペクタクルだ。その水量と迫力が凄まじい。 さらには、衣装を風になびかせながら山口淑子と池部良が昇天するイメージが(舞台裏の苦労談とは裏腹に)壮麗で素晴らしい。  いずれのシーンにも、海外との合作に向けた豊田四郎監督及び、新技術の導入と共にカラー特撮時代へと向かう円谷特技監督以下のスタッフの威信が漲っている。  それから忘れてならないのは、小悪魔的な八千草薫の可愛らしさ。まさにはまり役。  
[映画館(邦画)] 7点(2011-05-04 22:55:55)
32.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-11 20:21:38)
33.  白夜行 《ネタバレ》 
導入部の土砂降りの雨、索漠とした葦原など、銀残しによる寒色系で統一された硬質な画調に味がある。うらぶれ感の良く出た住宅街の美術もいい。  掘北真希の纏う冷たい純白の陽と、通風ダクトの闇に魘される高良健吾の陰。 手にこびり付いた父親の血、現像用暗室の赤、ワインの赤は、流血の運命を予告する。  警察車両3台が、農道を延々と横移動するロングテイクなどには気合が感じられるし、刑事(船越英一郎)が電話しているテレフォンブースの後景や聞き込み中の託児所の窓ガラスにさりげなく人影を映りこませたり、掘北の足音をオフで響かせる演出なども工夫されているのだが。  終盤の謎解きシーンで語り口が一気に陳腐化してしまうのが勿体無い。『砂の器』的に感傷を煽る音楽と補足説明が安易で興ざめさせられる。  折角、実子とのシーンを台詞無しで積み重ねてきたはずが、船越の屋上での台詞過多もこれを台無しにする。残念。 
[映画館(邦画)] 5点(2011-02-12 20:22:06)
34.  ビッグ・パレード 《ネタバレ》 
トラックに乗って前線へと進軍していく米軍兵士(ジョン・ギルバート)を必死に追うフランスの村娘(ルネ・アドレー)。 ようやくお互いを見つけ抱き合う二人の背景をせわしないスピードで行軍していく兵士の流れ。その対比が、僅かな時間の中での切羽詰った別れのエモーションを最高潮に高める。 娘はトラック上の彼の足に必死にしがみつき、トラック後部のチェーンごと引きづられつつも追いすがる。その滑稽なまでに健気な姿は、逆に見る者の胸を熱くさせずにおかない。  トラックが走り去り、一本道に一人取り残される彼女を小さく捉えたロングショットの切ないまでのリリカルさ。 ラストの再会シーンで彼に走り寄っていく、その懸命な走りのアクションの素晴らしさ。二人に差す光の美しさ。  リリアン・ギッシュ自伝によると、『ラ・ボエーム』(1926)製作にあたっては本作のラッシュの一部を見て監督と主要キャストを選んだという。 一途な思いをひたすらアクションによって表現する女性像の素晴らしさは確かに両作品に共通だ。  同時に本作は戦争映画としても一級であり、映画後半を占める各戦闘シーンはスペクタクル・サスペンス・人間ドラマ三拍子揃って圧巻である。 狙撃兵の潜む林間を戦闘隊形で進軍する様が横移動と縦移動で捉えられる中、一人また一人と無機質に倒れていく兵士たち。その冷徹な感覚が、戦争の無情を印象づける。  照明弾が飛び交う夜の塹壕戦。若い敵兵にタバコを差し出すエピソードも忘れ難い。
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-26 21:39:02)
35.  瞳の奥の秘密
欠陥タイプライターとベッドで書き付けた紙片を結びつけていく件りは、ただただ非映画的「語呂合わせ」の為だけに要請された設定と行動に過ぎず、唐突で取ってつけたようなエピソードという印象しかない。 作者の意図が露わになりすぎている。本来、走り書きの行為に何らかの必然性(この場合なら、例えば「習慣性」)を付与することでそうした意図を巧妙に隠すのが演出者の手腕のはず。  また、時の流れの刻印を強調しつつ過度に用いられる対話シーンの単調な顔面アップは、ここぞというショットであるべき目のクロースアップの強度を薄めてはいないか。  といったいくつかの貶しどころはありながらも、ハリウッド映画的な娯楽性は豊かで面白い。  エレベーター内の静かな緊迫感。明度を落とした屋内照明の渋さや、窓外の木々のざわめきがかき立てる不穏感。妻を殺された夫の転居先を訪問する際の、家側からのカメラ移動といったホラー的感覚などはとても巧い。ドアの開閉を、サスペンスとロマンスのドラマ双方と絡ませた多様な用方も良し。 空撮から繋いでスタジアム内をアクロバティックに動き回る荒々しい手持ち撮影はルックの変貌が突出しすぎの感もあるが、やはり楽しい。 
[映画館(字幕)] 7点(2010-10-17 21:45:15)
36.  ヒーローショー 《ネタバレ》 
ラジオから流れ出した軽快なエンディング曲『SOS』がドラマの哀切と一種の対位となり、効果を挙げる。その70年代の曲調が映画に陽性の余韻をもたらすかと思いきや、最後に再びラジオ音源へと戻ることでシビアな現実への回帰をダメ押しする。空疎感と厳しさと温かみが綯い交ぜとなった絶妙なバランス加減。または夜のアパート、後藤淳平とちすんが語り合う静かなシーンで、突然後藤の腹が鳴って二人は笑う。その悲喜の組み合わせが何とも言えぬ切ない情感と人間味をさらに引き立てる。『のど自慢』の秀逸なバリカンのシーンを思い起こさせるような、泣き笑いの結合の演出はいまだ健在だ。それは、各々の役者が独特な個性を体現し、ぶっきらぼうであったり所在なさげであったりという佇まい自体がこの作品によく嵌っている事にもよる。特に夜のシーンが多いが、その暗がりの中に浮かび上がる眼の光、顔の艶光、硬く強張る表情だけで以って画面に強度を与えている。
[映画館(邦画)] 7点(2010-06-26 18:25:53)
37.  光に叛く者
ウォルター・ヒューストン扮する刑務所長の着任する場面と、仲間を裏切った密告者をボリス・カーロフが処刑する間に囚人たちが看守らの気を引きつける場面で、囚人たちが示威の喚声を上げるその響きが強烈に禍々しい。トーキー初期の音声の用法としても、相当なインパクトを持っただろう。主人公の青年を苛む製麻工場の単調労働の様や、新所長へに向ける憎悪の表情、密告者を暗殺するための「2.15」の暗号を連鎖させていく囚人たちの場面で用いられるオーヴァー・ラップも非常に視覚効果が高く、音声効果と共に緊迫感を煽る。特に、新任の刑務所長が彼に恨みを持つ囚人たちの間を堂々と進む場面、および2時09分から発動する暗殺シーンの数分間が圧巻。両場面共に、囚人たちの威嚇的な叫び声のみが所内中に響く中、抜群のショット連鎖で緊張感を高めている。役者も好演。ウォルター・ヒューストンも、フィリップス・ホームスも適役で、所長の娘役コンスタンス・カミングスも非常に初々しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-12-26 21:39:06)
38.  ヒート
カフェで対峙する主役二人の対話が二人の後方からそれぞれごくシンプルな切り返しによって捉えられる。その構図は二人がまるでお互いに自分自身の鏡像と対話しているかのような印象も同時に与える。立場としては対極にある相手に自分との同質性を認め合う場面とも解釈できようか。かつてのノワール映画では、低位置のキーライトで人物の相似形の影を作り出し、オルター・エゴ(もう一人の自我)を仄めかすスタイルがあるが、これに近い印象でもある。終盤の最終対決にみる光と闇のモチーフも同様、背後の誘導灯の点灯によって逆光の中に浮かび上がるロバート・デニーロの黒いシルエットは、対照的に照らし出されたアル・パチーノ自身の投影でもあろうか。対極でありながら一体でもある光と闇の領域の対立、実景主体の写実的市街犯罪と、俯瞰撮影も交えながら印象的な夜景を捉えた都会的ルックはまさに大戦直後(1945~1949)のノワール第二期作品群を髣髴とさせつつ、シネスコ画面の水平ラインをより意識した新たなノワール様式を創出している。
[映画館(字幕)] 10点(2009-09-27 20:47:57)
39.  東への道
ドラマティックな展開をさらに盛り上げる幾重ものクロス・カッティングによって、あっという間の134分間。個人的には、同じリリアン・ギッシュとリチャード・バーセルメスのコンビ作『散り行く花』よりも人種や年齢的な違和感がない分、主演二人への感情移入がよりスムースであるというのもあるが、何よりもショットの一つ一つが見せ場といって良いほど魅力的であり、その画面の充実ぶりが観る者を引き込んでいく。一見、何気ない家屋や農場の情景ショットの、そのフレームの中で戯れる犬や猫、鶏、雛たち、あるいは風に揺れる枝葉、雪、ドア、揺り椅子など数々の要素が常に画面を息づかせ、活気づけている。とりわけ美しいのは、第二部で河辺に佇む二人を包む夏の夕暮れの光。そこに、終盤のクライマックスへのさりげない予告ともなる滝のワンショットが静けさ(音)の演出として挿入され、一際叙情を満たす。そして、文字通り命懸けのショットが織り成す解氷のスペクタクルと救出劇の高揚感。観る側がエモーションを共有する奇跡的なアクション。これぞ、映画。
[DVD(字幕)] 10点(2009-09-07 21:29:38)
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