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1.  ビッグ・パレード 《ネタバレ》 
トラックに乗って前線へと進軍していく米軍兵士(ジョン・ギルバート)を必死に追うフランスの村娘(ルネ・アドレー)。 ようやくお互いを見つけ抱き合う二人の背景をせわしないスピードで行軍していく兵士の流れ。その対比が、僅かな時間の中での切羽詰った別れのエモーションを最高潮に高める。 娘はトラック上の彼の足に必死にしがみつき、トラック後部のチェーンごと引きづられつつも追いすがる。その滑稽なまでに健気な姿は、逆に見る者の胸を熱くさせずにおかない。  トラックが走り去り、一本道に一人取り残される彼女を小さく捉えたロングショットの切ないまでのリリカルさ。 ラストの再会シーンで彼に走り寄っていく、その懸命な走りのアクションの素晴らしさ。二人に差す光の美しさ。  リリアン・ギッシュ自伝によると、『ラ・ボエーム』(1926)製作にあたっては本作のラッシュの一部を見て監督と主要キャストを選んだという。 一途な思いをひたすらアクションによって表現する女性像の素晴らしさは確かに両作品に共通だ。  同時に本作は戦争映画としても一級であり、映画後半を占める各戦闘シーンはスペクタクル・サスペンス・人間ドラマ三拍子揃って圧巻である。 狙撃兵の潜む林間を戦闘隊形で進軍する様が横移動と縦移動で捉えられる中、一人また一人と無機質に倒れていく兵士たち。その冷徹な感覚が、戦争の無情を印象づける。  照明弾が飛び交う夜の塹壕戦。若い敵兵にタバコを差し出すエピソードも忘れ難い。
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-26 01:09:13)
2.  東への道
ドラマティックな展開をさらに盛り上げる幾重ものクロス・カッティングによって、あっという間の134分間。個人的には、同じリリアン・ギッシュとリチャード・バーセルメスのコンビ作『散り行く花』よりも人種や年齢的な違和感がない分、主演二人への感情移入がよりスムースであるというのもあるが、何よりもショットの一つ一つが見せ場といって良いほど魅力的であり、その画面の充実ぶりが観る者を引き込んでいく。一見、何気ない家屋や農場の情景ショットの、そのフレームの中で戯れる犬や猫、鶏、雛たち、あるいは風に揺れる枝葉、雪、ドア、揺り椅子など数々の要素が常に画面を息づかせ、活気づけている。とりわけ美しいのは、第二部で河辺に佇む二人を包む夏の夕暮れの光。そこに、終盤のクライマックスへのさりげない予告ともなる滝のワンショットが静けさ(音)の演出として挿入され、一際叙情を満たす。そして、文字通り命懸けのショットが織り成す解氷のスペクタクルと救出劇の高揚感。観る側がエモーションを共有する奇跡的なアクション。これぞ、映画。
[DVD(字幕)] 10点(2009-09-07 21:14:20)
3.  ヒート
カフェで対峙する主役二人の対話が二人の後方からそれぞれごくシンプルな切り返しによって捉えられる。その構図は二人がまるでお互いに自分自身の鏡像と対話しているかのような印象も同時に与える。立場としては対極にある相手に自分との同質性を認め合う場面とも解釈できようか。かつてのノワール映画では、低位置のキーライトで人物の相似形の影を作り出し、オルター・エゴ(もう一人の自我)を仄めかすスタイルがあるが、これに近い印象でもある。終盤の最終対決にみる光と闇のモチーフも同様、背後の誘導灯の点灯によって逆光の中に浮かび上がるロバート・デニーロの黒いシルエットは、対照的に照らし出されたアル・パチーノ自身の投影でもあろうか。対極でありながら一体でもある光と闇の領域の対立、実景主体の写実的市街犯罪と、俯瞰撮影も交えながら印象的な夜景を捉えた都会的ルックはまさに大戦直後(1945~1949)のノワール第二期作品群を髣髴とさせつつ、シネスコ画面の水平ラインをより意識した新たなノワール様式を創出している。
[映画館(字幕)] 10点(2009-03-28 17:31:42)
4.  飛行士の妻
街頭を歩きながら口論するフィリップ・マルローとマリー・リヴィエール。 それをハンディで追うカメラ。偶々通りがかった通行人なのか、エキストラなのか、後景に映る人々が何事かとカメラのほうに眼を向けたりしている。 駅やカフェテラス、バス内や公園と、街の空気にささやかに映画を波及させ、それを何気なく取り込みながら、映画が生々しく進行している感覚それだけで十分に楽しい。  飛行士を尾行するフィリップ・マルローに、お茶目で可愛い少女(アンヌ=ロール・ムーリ)が絡んでくる。目的自体が曖昧なまま、男女が男女を尾行するサスペンスの程よい緩さ。 緑豊かな公園の遊歩道、およびカフェの窓際席での二人の他愛ない会話劇がまたすこぶる楽しい。 尾行対象を常に後景(画面奥)に意識させるレイアウトが、画面全体を包括する視線を要求してくる。よって映画の心地よい緊張がまったく途切れない。  本作では緑を基調とした配色の中、少女の羽織るレインコートの黄色のアクセントが鮮烈だ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-11-06 18:34:45)
5.  緋色の街/スカーレット・ストリート
ルノワールの『牝犬』と比較して、終盤の裁判シーンに拘りを感じさせる点が『M』や『激怒』のフリッツ・ラングらしい。  トーキー初期の『牝犬』の音響設計も傑出しているが、限定的なセットから最大限の効果を引き出していくラングの画面構成力と音響効果の見事さも決してそれに劣らない。  見晴らしの悪いジョーン・ベネットの部屋の仕切り構造によって、ドアの呼び鈴が鳴るたびに、観客は彼女と共にサスペンスを共有することとなる。  エドワード・G・ロビンソンが勤務するガラス張りの会計ブースは様々な俯瞰アングルによって視線を受け、また彼の自宅においても威圧的に配置された肖像画によって彼は常に睥睨され、心理的に抑圧される。  豊かな劇空間の達成は、手狭なセットを逆手に取り、逆に不可視の空間を活かした奥行きの創出と、豊かな音響効果の数々(レコードの音飛びやベネットの台詞のリフレインなど)、表現主義的照明術(窓辺から差し込むネオンサインの明滅が暗いアパート室内で怯えるロビンソンを照らし出す神経症的な陰影術。)、そして観客の想像力への信頼あってこそのものだ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-07-02 19:24:58)
6.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-10 22:21:43)
7.  光に叛く者
ウォルター・ヒューストン扮する刑務所長の着任する場面と、仲間を裏切った密告者をボリス・カーロフが処刑する間に囚人たちが看守らの気を引きつける場面で、囚人たちが示威の喚声を上げるその響きが強烈に禍々しい。トーキー初期の音声の用法としても、相当なインパクトを持っただろう。主人公の青年を苛む製麻工場の単調労働の様や、新所長へに向ける憎悪の表情、密告者を暗殺するための「2.15」の暗号を連鎖させていく囚人たちの場面で用いられるオーヴァー・ラップも非常に視覚効果が高く、音声効果と共に緊迫感を煽る。特に、新任の刑務所長が彼に恨みを持つ囚人たちの間を堂々と進む場面、および2時09分から発動する暗殺シーンの数分間が圧巻。両場面共に、囚人たちの威嚇的な叫び声のみが所内中に響く中、抜群のショット連鎖で緊張感を高めている。役者も好演。ウォルター・ヒューストンも、フィリップス・ホームスも適役で、所長の娘役コンスタンス・カミングスも非常に初々しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-12-26 21:36:59)
8.  ピカソ-天才の秘密
ピカソの絵画制作過程が、特殊キャンパスの裏面を通して直に画面上に描写される。  モノクロの簡素な描画(スタンダード画面)から始まり、 最後には大掛かりな油彩(シネスコサイズ)にスケールアップして 変幻自在に絵筆が展開される様が非常に圧巻であり、劇的な構成も工夫されている。  中盤では、色鮮やかなキャンパスと対比して色を落とした硬質な画面で 撮影風景が挿入されその手法の種明かしをしてくれると共に、 フィルム残量を示しながらの時間制限のサスペンス要素を取り入れたりと、 『恐怖の報酬』の監督らしい趣向が凝らされている。  最後の油彩制作過程は裏面からのリアルタイムの撮影は当然出来ない為、 表面側からコマを割っての撮影となり必然的に画家の試行錯誤の「間」は 省略されてしまっているのが残念だが、 このクライマックスの画面変化は凄まじい。  完成品の内側に込められた膨大な下書きと手直しの過程。 絵がまさに躍動する。 モーション・ピクチュア=映画である。 
[DVD(字幕)] 9点(2005-03-05 17:52:51)
9.  ひゃくはち 《ネタバレ》 
原作は高校卒業八年後からスタートし、現在と過去を交互に語っていく形式である。 映画版はこれを高校時代の現在進行形で進めていく形に改変したのが良かった。 それに伴って、相馬佐知子のキャラクターも新人記者に変更され、映画後半のストーリーも 斎藤嘉樹と中村蒼の間でのベンチ入り争いへと大きく変えられることになったが、こちらも 一〇八の煩悩という題材を発展させた脚色として、尚且つ 躍動的な練習シーンと二人の感情のぶつかり合いが相俟った見事な映画的アレンジである。  序盤で携帯電話を壊される1シーンを加えることで、クライマックスの雨の公衆電話シーンが 音響と縦構図が印象的な名場面となった。  打撃や守備の練習をする部員らの身のこなしも本格的で実にさまになっており、 強豪校のレギュラーメンバーという設定を説得力をもって提示している。  ラストの斎藤のずっこけをスローで処理してしまっているのがちょっと勿体ないが、その直後の笑顔はピカ一だ。
[DVD(邦画)] 8点(2017-10-12 00:41:45)
10.  昼顔(2017) 《ネタバレ》 
ヒロインにとって暮らし場所は「どこでも良かった」訳だが、映画の作り手にとっては海辺の街でなければならないのである。 花火の類との対比において、斎藤工と密会する小川に対する平山浩行の領域として、あるいはサーフボードから突き落とされ(落下)、 髪を濡らし、水圧にもがき喘ぐように歩むため、という運動的論拠もあるだろう。  躓き、よろめく上戸彩。普通の歩行のショットは稀だ。自転車を息せき切って漕ぐか、ふらつくか、足を取られてつんのめるか。 見よう見真似のぎこちない盆踊りも然り。 手で云えば、ハンバーグを捏ねる、藪蚊を払うなどのちょっとした生活動作から、マンション七階の呼び出しボタンを順に押していくなどの 心理表現まで、非意思的で不器用気味の身体性を強調することで、キャラクターの生の感触を伝えている。  上戸と伊藤歩の、視線交錯のサスペンス。クライマックスとなる踏切での光のドラマもいい。  クラクションや調理音などSEの演出も充実しているのだが、BGMが無駄に被る箇所があるのが残念。
[映画館(邦画)] 8点(2017-06-16 21:52:01)
11.  光にふれる 《ネタバレ》 
背景をぼかし気味にした深度浅めのカメラは、主人公ホアン・ユィシアンの不自由な視力と同調させたのだと考えよう。 感知できるものと出来ないものが、カメラのフォーカスで仕分けされているように見える。 列車がトンネルを抜けていホウ・シャオシェン的ショットも光の主題を担いながら台湾映画の薫りを濃厚に伝えてくる。  耳を澄まし、事物に触れて大学の新生活になれていく彼の姿が丹念に追われるが、とりわけダンスと音楽を通して 外界と触れ合っていく描写が映画と相性よく馴染んでいる。  そして、激情を秘めつつ穏やかな表情を絶やさないホアン・ユィシアンの佇まいが素晴らしい。 ダンサーを志すサンドリーナ・ピンナが仏頂面と泣き顔から次第に笑顔の似合うヒロインへと変わっていくのも、彼の言葉と表情を通じてだ。 彼女が月光の差し込む夜の教室内でユィシアンの弾くピアノに合わせて踊るシーン、 彼の故郷の海辺で楽しげに戯れるシーンが美しい。  クライマックスは、それぞれが挑むコンクールとオーディションのクロスカッティングであり演奏とダンスが劇的にシンクロして盛り上げる。 寮の悪友たちもここでいいところを見せて、青春ものとしても爽やかに決めている。 映画のサントラが未だに絶版で手に入らないのが残念だ。
[DVD(字幕)] 8点(2016-10-24 23:29:39)
12.  火まつり
キャストをみて初めて職業俳優が多数出演していたとわかる。 そのくらい、キャストの佇まいや方言が現地に溶け込んでいる。 それは引きのカメラによる達成でもあるだろう。  街の一角を、後方に山を望む駅を、引いたカメラで出来る限り広域に取り入れ その中で複数の人物を近景と遠景の間で動かし、絡ませるなど 非常に手間と労力のかかる贅沢な演出をしている。 人間と自然を一体のものとして画面に載せた、意欲的なロケ撮影だ。  オートバイに乗った男女が勢い余って生垣に投げ出される、 滑走する漁船から安岡力也が海に放り出される、といった危険なスタントも 引きのワンカットで収めるといった具合に、アクションも気合が入っている。  静かな森の中で次第に風が立ち上がり、ざわざわと枝葉が揺れ出す。 激しく降り出す森の中の雨は人工の雨か、それとも本物か。 これらの撮影はまさに神憑りと云うべきだろう。  太地喜和子の乗る小舟が、埠頭を歩く北大路欣也と並走しながら入港してくる、 その船側から陸側を望む横移動の緩やかな運動感。 柳町光男も、これをやっている。        
[ビデオ(邦画)] 8点(2014-01-11 23:29:42)
13.  ひろしま(1953)
敗戦から7年。 GHQによる映画検閲の廃止に伴い、原爆被害の言説に関する厳しい規制がようやく解かれ、新藤兼人監督の『原爆の子』と、本作『ひろしま』が製作公開される。  アピールの形式はそれぞれ異なるが、どちらの作品の画面にも表現の自由を束縛されてきた鬱憤を晴らさんとする作家の情熱と、「記録すること」への意思、そして犠牲者への想いとが尋常でない強度で充溢している。  それを支えたのが、当時第二の黄金期を迎えていた日本映画産業の充実したスタッフワークだ。  3分弱のシンボリックなカットで被爆の状況を表現した『原爆の子』に対し、本作で表象された被爆の図は、美術セットも衣装もメイクも、そして芝居も現在に至るまでに作られた原爆映画の中でも最も凄惨で、迫真的で、生々しいものだろう。 それだけに、戦争犯罪者に対する怒りと糾弾は直截的だ。  が、本作が指弾するのは、原爆投下者だけではない。 「何故か」当日空襲警報を出さず、新型爆弾の情報隠蔽を画策した軍上層部の棄民体質。 過去の痛みを忘れ、次なる朝鮮戦争特需へ向かおうとする世。 原爆症に対する無知。  現在からすれば、「8年しか経っていない」1953年だが、当時からすれば記憶の風化に対する危機感、切迫感が相当にあった事が映画の語りからは伺える。  硬直した作劇と台詞が貶しどころではあるが、その愚直さゆえに止むにやまれぬ思いが 伝わるのも確かだ。 原発事故一年後の現代日本とを重ねずにはおれない。  
[ビデオ(邦画)] 8点(2012-05-29 21:31:54)
14.  秘められた過去 《ネタバレ》 
ウェルズが監督を始め、製作、脚本、衣装、美術、編集と多才ぶりを発揮。 ロケーションもスペイン、フランス、ドイツ、メキシコと幅広い。  港湾シーンの影の乱舞や、天井を取り込みながらウェルズの威容を強調する不安定な斜め仰角ショットに凄味がある。 とりわけ、船のローリングに合わせて背景セットと手前の人物の揺れをずらす効果は絶大で眩暈すら誘う。  中盤までは回想形式の叙述でありながらも、ジャン・ブールゴワンから引き出されたそのノワールスタイルの暗黒画面によって醸しだされる切迫感がただならない。  『市民ケーン』的な謎解きのドラマに、古城での仮装パーティの喧騒では怪奇映画ムードすら加わって映画的スリルは多彩だ。  クライマックスは天井のスピーカーを通した娘と父との、視線の交わらない対話。俯瞰と仰角の切返し編集、そしてノイズが悲劇性を強調する。
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-05-21 21:01:13)
15.  羊の木 《ネタバレ》 
バンドの練習場を覗いていたり、暗闇の中から現れたり、松田龍平はことごとく唐突に登場する。 飛び蹴りや車での轢殺もフレーム外からの突然の闖入であり、そうした神出鬼没ぶりも 彼のキャラクターの特異ぶりを際立たせる。  突然降り出すにわか雨、病院での雨垂れの陰影はいかにも芦澤明子らしい造形だ。
[映画館(邦画)] 7点(2018-02-18 15:40:28)
16.  否定と肯定   《ネタバレ》 
序盤から慌ただしい編集で畳みかける語り口をスピーディととるか、目まぐるしいととるか。 朝靄のかかるアウシュビッツの厳粛なシーンに至って、緩急のバランスが釣り合ってくる。 法廷を中心とする弁論シーンを主体としつつ、ロケーション自体の沈黙の力にも信頼を置いている。 レイチェル・ワイズがトム・ウィルキンソンに詫びるシーンや、生存者である女性と手を重ね合わせるシーンなどの静かな余情もいい。  弁護士らとのチームワークのドラマ、法廷戦術のドラマとのバランス取りも巧く、視線劇もドラマの中にしっかり活かされている。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2017-12-14 23:43:52)
17.  PとJK 《ネタバレ》 
上り坂気味の歩道を駆け上がってくるヒロインをカメラが追っていくと、小高い斜面を背景にした路面電車の乗降口があり、ドンピシャのタイミングで 電車がやってくる。 ラストで『Marry You』が流れるなかミニパトが走り去っていくクレーンショットも同様で、 路面電車の発車に合わせたタイミングから逆算して俳優らがディレクティングされているのは間違いない。 特にそのラストは学園廊下から校門前までの長回しミュージカルシーンを通じての逆算と車止めだから相当入念な準備とリハーサルがされたはずであり、 現在の映画はこうした部分に対してもっと評価を得るべきだろう。  バットやナイフを振り回す危険なアクションシーンも含めてだが、極力引きのショットで撮られていることで、街の景観、特に坂道などもよく活きている。 下校する土屋太鳳と高杉真宙が握手する下校道の、並木がざわざわとなるロングショットの風情。 学園祭の体育館にカメラが入ると一気にクレーンアップしてブラスバンド部の見事な演奏と立体的なパフォーマンスの壮観を映し出す外連。 (学園祭の風景は『ストロボエッジ』ともかぶる。) 函館の夜空に舞い上がるスカイランタンの灯りの美しさ。  そして窓ガラスの用法が実に的確だ。それが原作由来なのかどうかは知らないが、その用法は正しく映画的である。 特に二人が微妙にすれ違うシーンに効果的に現れる。窓外からのショットで、画面中央は縦の窓枠で分割されている。 その右手に土屋。左手側に亀梨和也がフレームインしてくる。土屋側には割れた窓ガラスを土屋が補修した跡。 二人が仲直りするとともにカメラが緩やかに右手に移動して二人を一つの窓枠内に収めていくという趣向だ。 あるいは、校庭外に止められた亀梨の白い車の前席部。わがかまりを抱えて気まずい二人はドアウィンドウの仕切りの前後に分断されている、という具合。 そして土屋一家のダイニングの広い見晴らし窓は、彼らの度量の広さと開放的な人柄を象徴するだろう。 ラストの礼拝堂は俯瞰ショットの時点でその黄金色のステンドグラスが後により印象的に使われるだろうことが簡単に予想できるが、 果たしてその美しいグラデーションは大団円のツーショットの背景として見事に決まる。 それはもうダグラス・サークばりと云ってもよい。  二人の家族、友人らまでを過不足なく含めてドラマを作っているところも、この手の作品の中では好感が持てる所以だ。
[映画館(邦画)] 7点(2017-03-26 21:09:40)
18.  ピートと秘密の友達 《ネタバレ》 
両親との死別をシンプルな画面処理で静謐に描写した出だしから、林間の木漏れ日をほどよく採り入れたドラゴンとの出会いがいい。 彫刻刀の滑るショットと一本道を走る車のショットのオーヴァーラップなど、スムーズな画面繋ぎによる前半の語りも快調だ。  俳優側の都合ではあろうが、ロバート・レッドフォードの回想談に無駄なフラッシュバックを用いず、彼の語りで見せてくれているのだから、 出来れば原語で聴きたかった。  前作に続いての「家へ帰る」映画であり、絵本の挿絵を使った寡黙な語りに打たれる。  ただデヴィッド・ロウリー、飛翔のアクションは不得手なのかも知れない。 夕焼けの鰯雲などのパノラマショットは素晴らしいが、クライマックスのアクションにはもう一つアイデアが欲しい。 橋が登場すると、水平ー垂直の展開が見えてしまう。
[映画館(吹替)] 7点(2017-01-03 23:58:26)
19.  ヒメアノ~ル 《ネタバレ》 
直近の作品はともかく、監督デビュー作の『なま夏』のじんわりホラーテイストを思い起こすと、この類の作品こそ本領かな、とも思える。  通り魔的にアパートの女性を襲うエピソードをまず事前に配置し、今度は佐津川の帰宅シーンをもってきて緊張を高めていく。 何事もなく玄関口を上がるが、彼女が台所で微かな風音に気付き、見上げると窓が割られているというシーンなど、実にサスペンスフルであり、 ギリギリまでカットを割らずに打擲や刺殺や銃撃をされる側を捉えるカメラもなかなかに非情である。  濱田岳らの性交と森田剛らの殺傷をアクションで繋いだクロスカットなどはあまり類例を見ない、と思う。  森田のささくれだった佇まいと所作も絶品であり、その分ラストの回想の中でみせる半逆光の彼の横顔がなんとも切ない。 『さんかく』でのコンビネーションに続き、ラストはやはり印象的な光で決めている。
[映画館(邦画)] 7点(2016-06-01 23:08:19)
20.  ピース オブ ケイク 《ネタバレ》 
飲みの席で陽気になったりカラんだり愚痴ったり、多部未華子の飾らないキャラクターが魅力的でいい。 借金で雲隠れしていた部下に、咄嗟にレジから札束を取り出し退職金だと渡してテレ笑いする綾野剛の、人の良い表情がいい。  そんな愛すべき二人が熱海のホテルで大喧嘩する。多部が男湯に乗り込んでの修羅場なのだが、 綾野の憎めないキャラクターもあって何故か微笑ましい。  必ずあるはずの二人の再会シーンでは、そこにどのような風を吹かせるのか。 終盤はその興味だけで画面を見守る感じだが、そこではしっかりと歌が流れ、疾走する二人が風になっている。  クワズイモは青々と揺れ、今度はカメラが風になって二人の周りを流れる。  そしてキスする二人のストップモーションが爽やかに映画を〆た。  前半のヒロインのモノローグはもっと削って欲しい。
[映画館(邦画)] 7点(2015-09-08 22:10:13)
010.11%
150.53%
2202.14%
3384.06%
4717.59%
510311.00%
610811.54%
721522.97%
821823.29%
911412.18%
10434.59%

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