1. 近松物語
今作に触れて、【 「肉欲」 という、即物的で衝動的な側面 】 と 【 「支配体制」 に統制される 「個」 】 という 近松門左衛門作品を鑑賞してゆく上での、2つの新たな鑑賞側面を発見することができた、極上の映画体験となりました。 制限文字数で語りきれず、完成版はこちらまで ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-51.html [DVD(邦画)] 10点(2009-08-03 21:57:27) |
2. 怪談(1964)
《ネタバレ》 昨今の、安っぽい ハッタリを利かせたホラー物とは、明らかに一線を画す怪作です。 恐怖を暴力的に振り回すのではなく、小泉八雲の「怪談」の世界を「超アナログなSF」として捉え、非現実世界を舞台に、真剣に「耽美・妖美」に向き合った映画なのです。 水の中に落とされる黒、赤のインクの不穏で不吉な美しいオープニングから圧倒されました。 特にオムニバス形式の1話と2話は仰天モノです。 第1話の「黒髪」は非物理的なものと肉体的なものの対比がおもしろかった。 心や精神(この場合は執着、怨念)という非物理的なものは残存し、時間の経過の前には肉体(そして家屋)という物理的なものは脆くも朽ち果ててしまった というお話。 ラストは妻の肉体の崩壊が発覚するとともに家屋の老朽も露呈。 その家屋を次なる崩壊へと促進するのが、とりもなおさず妻を死に追いやった主人公なのだ。 恐怖から逃れるためにバリバリと家屋を壊しながら自らも老朽していく恐怖は 凄まじい。 妻の肉体崩壊の発覚を期に家屋崩壊と自らの肉体崩壊がリンクしていくのです。 「執着の残存」と「家屋や肉体の老朽と崩壊」この図式を際立たせる為に、あの不必要なほどでかいセットが必要だったのですね。 しかもメロディを廃した、精神的キシミ、肉体的・物的キシミをデフォルメしたあの音楽!(60年代の大島渚のあの凄まじい作品群は 美術・音楽ともにこの映画の存在が大きいことを今さらながら発見しました。) 第2話の「雪女」は悲しい母性の物語であり、悲しい恋の物語と感じました。 目的は監視だったのでしょう。ホリゾントに浮かぶ眼がそれを示していると思います。 それが男と姑の人間性に触れて結婚。子供まで設けてしまう。 ささやかな幸せの毎日。しかしそれも永遠ではなかったわけです。 とうてい男を殺せるわけもなく、子供を案じながら家を出ていく彼女の姿が、哀れで、いとおしく感じてしまいました。 男がソッと置いたわらじも雪の中、フッと消えていきました。 きっと、ささやかながら、穏やかだった幸せの証として、感謝しながら持って行った。と私は思いたい。 10点(2003-11-12 23:20:44)(良:5票) |
3. ハート・ロッカー
《ネタバレ》 今作は、冒頭に掲げた言葉、 「戦争は麻薬である」 を セミマクロな “ヴィジュアル・インパクト” や おぞましい “ストーリー・インパクト” を駆使して 多重的に訴えてきました。 そして、苛立ちを覚えた 「 “無駄な時間” を 時間を掛けて描く 」 ことや ヌルイ と感じてしまった展開 こそが 【 ( 「戦争は麻薬である」 ことを訴求する ) 今作自体が、 観る者のモラルを壊していく 劇薬 】 であったことを、 深く、 にぶく、 訴えてきたのです。 このように、戦争の異常さを 「体感的」 に鑑賞者の精神に植込むという側面においては、 比類のない映像作品だった。 と、評価を致します。 制限文字数では語り切れず。完成版はこちら http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-104.html [DVD(字幕)] 9点(2013-04-03 21:46:42) |
4. ゴッドファーザー PART Ⅱ
《ネタバレ》 2代目・マイケル の “その後” と、 父親・ヴィトー の “若かりし日” が 交錯し、 この二つの時代を横断する 「感情の相似 ― 似ている点」 と 「環境の相違 ― 違う点」 が絡み合いながら、“成長と成功” を堪能できるもの、 と期待していました。 しかし、 「感情の相似 ― 似ている点」 は跡形も無く消え去り、 「環境の相違 ― 違う点」 のみが強調され、 “憐れなほどの格差” に苛まされることになります。 第一作目からの感情を断ち切るような 「2代目・マイケルを襲う過酷さ」 と、 2つの世代を縦横無尽に行き来する見事な 「2つの時制のラビリンス」 が、 今作が第一作目とともにアカデミー作品賞に輝いた要因だ、と断言します。 実に、残酷で芳醇な逸品だったのです。 制限文字数では語り切れず。完成版はこちら ↓ http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-94.html [DVD(字幕)] 9点(2013-04-03 21:44:29) |
5. 洲崎パラダイス 赤信号
《ネタバレ》 今作は【 「 予見 の 提示 」→「 予見 の 裏切り (トラップ) 」→ 「 トラップ の 途中放棄 」 → 「 予見 の 具現化 」 】 というプロセスを推移していく、2つの事例を織り交ぜながら表面的なストーリー展開と並行する 【「制作者の文脈」 を推理する楽しさ】 に満ちた鑑賞となりました。 ■そして、川島雄三 という天才が、日陰者の視線から、日本の近代化と経済成長の 「予見」 を 語っていたことに対して 、【社会学的な価値を見い出せた作品。】 と、評価します。 制限文字数では語り切れず、完成版はこちら、ネタバレ注意 ↓ http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-98.html [DVD(邦画)] 9点(2010-08-08 11:33:48) |
6. 緋牡丹博徒 花札勝負
《ネタバレ》 今作の鑑賞は ■ 映像演出的には 【 ローアングルの深遠なる世界 】 に 狂喜し、■ 人物描写的には 【 奥床しさが漂う任侠映画であること 】 に 驚嘆し、■ 個人的には 【 加藤泰監督作品の共通項探し 】 に 興じた、素晴らしい映画体験となりました。 制限文字数では語り切れず、完成版はこちらまで ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-93.html [DVD(邦画)] 9点(2009-07-06 22:41:51) |
7. アラビアのロレンス
今作が放つ、 【 開始30分における、空前絶後のパワー 】 と、【 ヒーローが狂い腐っていく、負のパワー 】 この相反する2つの力に、ボクは完璧に捻じ伏せられていきました。 そしてこの強固な 「二面性」 こそが、制作後40年を経た現在においても、名作として鑑賞され続ける今作の 「レゾンディーテル (存在理由)」 であったと悟りました。 完成版はこちらまで ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-72.html [DVD(字幕)] 9点(2009-01-17 20:47:20)(良:2票) |
8. フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ
《ネタバレ》 デカダンスの香り高き、実に上質なSF映画でした!。■最も興味深かかったのは“悪”のありかたで、従来は建造物の“破壊”とそれによる人的被害が怪獣による“悪”の表現でしたが、今作に持たされるものは“食べられる”という“破壊”の恐怖を超えた、生物であるが為の否定し難い、根源的な恐怖なのです。“異形”ゆえに持つ人類との“差別と疎外感”どころではない、捕食者と被捕食者という、両者の間には共存の妥協点などありようもない、揺るがし難い関係が構築されるのです。生きるために他者を殺し“食べる”という、自己存続のための“悪”に対し、人類(自衛隊)は異形の者(ガイラ)へ“メーサー殺獣光線車!”を駆使し、存続をかけた戦闘を仕掛けます。しかしその“悪”は生物の端くれである人類自体も背負っている宿命、どうしょうもない行為ではあるのです....。ガイラが殲滅される直前に、突如として善玉サンダが助けに入ります。今作は「“サンダ”善玉 ⇔ “ガイラ”悪玉」という対比の2体を 用意し、人類 対 異形の者 という単調な図式からの脱却を図っています。善玉のサンダは山岳地に息を潜め、「もののけ姫」「平成狸合戦ぽんぽこ」等のジブリ映画に見られる、人間社会に追いやられる“封印された生命体”という役回りを演じています。 人類に対する同化願望・従順性・ヒロイズム。それと並行する人類に対する疎外感・哀しみ。サンダとガイラの細胞レベルの結びつき等、様々な関係・感情がサンダの登場で生まれ、それらが絡み合いながらあの不条理なラストに突入していくのです。結局のところサンダは、ガイラによる根源的な“悪”と“異形である自分達”の存在を完全に封印するために、(彼らには予知できていた)海底火山での2体同時消滅という決着を望んだのかもしれません(涙...)。そしてガイラが、サンダや人類によって命を奪われたのではなく、海底火山という寓話性によったところに、ある法話を思い出しました。ガイラが“捕食”という、生を持つ者全てに備わっている醜悪さを一身に背負っているとすれば、そんな彼を無為に消滅させられるのは(裁くのは)同じ宿命を持つ“生物”であってはならないのです。何故なら、【他の生物に対して行われる行為の中で、唯一許されるのは“食べる”ことしかない。】からなのです。 [映画館(字幕)] 9点(2005-01-16 00:20:51) |
9. ディア・ドクター
《ネタバレ》 失踪した 医者・鶴瓶を巡って、 【 現在という時制 】 においては、第3者による評価を元にして 【 間接的人物像 】 を。 【 少し前の時制 】 では、医療に従事する姿を直接目撃することで 【 主観的人物像 】 を。 それぞれ、2つの時制 によって提示される、この 2つの人物像 を 足掛かりにして、今作に発生していく 【 失踪の謎 】 と 【 診断の謎 】 。 この 2つの 「謎」 を 推理する楽しさに満ちた鑑賞となりました。 また、 「問題提起」 は、する。 ↓ でも、「暗い」 まま終わらせない。 ↓ しかし、「問題解決」 は、しない。 というユルイ立ち居地が、何故かしら心地良く感じた。 そんな不思議な映画でした。 制限文字数では語り切れず、完成版はこちら ↓ http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-96.html [DVD(邦画)] 8点(2013-07-27 07:58:39) |
10. ベンジャミン・バトン/数奇な人生
序盤で察知した3っつのマイナス要件、【1.ブラッド・ピットが 「ブラピ」 でなかった/ 2.監督の不可解な自制/ 3.非連続的なキャラクター付けの予感 】 を今作が改善していくのか否かが、ボクの鑑賞テーマとなりました。 ■そして、序盤早々に激しく心を動かされた 【「逆行する大時計」 による 芳醇なる映像世界】が、 ラストの8分において、怒涛のように押し寄せてくる快感に身をまかせる鑑賞となったのです。 完成版はこちらまで、ネタバレ注意。 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-95.html [DVD(字幕)] 8点(2010-02-13 21:37:51) |
11. おくりびと
《ネタバレ》 今作を 「フラガール」 や 「スウィングガール」 、そして 「ウォーターボーイズ」 のように 「納棺師」 という未知なる種目にチャレンジしていく 「パフォーマンス系映画」 の一種 のようなものだと早合点していました。 実際は、 「納棺師」 となったことによって大きなトラウマを克服していく、 「魂を救済する」 物語 であったのです。 ↓文字数オーバーのため 日記のリンクを貼っておきます。 ネタバレ注意! http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-97.html [DVD(邦画)] 8点(2009-10-20 22:55:45) |
12. フラガール
今作を鑑賞して 【 「内」 ⇔ 「外」 の対比と、 「第1次産業」 ⇔ 「第3次産業」 という生き方の相違 】 そして 【 ダンスの振り付けが雄弁に語る、物語進行上における法則性 】 という2つの側面がボクの興味を刺激していきました。 「表層的なエンタメ映画」 でありながら、その行間にある制作者の コダワリ や エゴ を秘めた 「裏ルール」 を紐解く楽しさをも感じ、この錯綜していく2つのベクトルの行方を楽しめた、言うなれば パラレルな動きを堪能した 鑑賞となりました。 完成版はこちらまで、ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-65.html [DVD(字幕)] 8点(2009-01-20 23:16:40) |
13. 妖星ゴラス
《ネタバレ》 「恐怖の大王」が降ってきた!!。■ そんな時、ハリウッドでは「大王」をコッパ微塵とすることに終始し、 我が東宝映画陣は巨大な噴射口をおったてて、地球を避難させてしまった!。 なんて東洋的な発想と西洋的な発想の衝突なんだろうか。 このギャップを東洋医学と西洋医学の違いに投影して考察するとおもしろいと思った。 「恐怖の大王」という病巣が体内に巣食った時、西洋医学は摘出手術や薬物療法という 形で治癒を目指す。その行為は病巣への攻撃となる。 一方、東宝陣が施こした東洋医学的処置は鍼灸や漢方など患者の自己免疫力を高めて 病巣というマイナス要素からの悪影響を減少することにある。それは自己変革による解決を意味する。 「自己」と「敵」という存在がある場合、西洋は「敵への一方的な攻撃」をしかけ、東洋は「自己変革による敵との共存」をめざしているように思える。この問題解決コンセプトの違いこそが「アルマゲドン」「ディープインパクト」のハリウッド的思考と我が「妖星ゴラス」による東宝・東洋的思考の違いであるのだ。 そこには敗戦を経験し、東京裁判を経験し、アメリカからの日本国憲法を遵守し、民主 主義、資本主義の洗礼の中、自己変革をなしてナンバー2までのし上がった日本の歴史 があり、一方、目の上のたんこぶをことごとく攻撃し、自国の権力を増大させていった 国の歴史感がでーんと横たわっているのです。ハリウッドは敵から逃げることをけっし て良しとしない。共産主義からも、テロ国家からも、勿論、異星人からの攻撃にも、大 統領が戦闘機に乗って攻撃を仕掛けるぐらいなのですから。 自分らが内的変貌を遂げて局面をヤリ過ごすという屈辱的な危機管理は到底受け入れられないのです。でも僕ら日本人という歴史を持った者(少なくともワタクシ)は、南極に巨大な噴火口を作って「大王」をヤリ過ごす地道で途方もない努力に、どうしょうもなくロマンを感じてしまうのです。神道を基本とし、大陸からの仏教を受け入れ、キリスト的文化も受け入れ、民主主義・資本主義を取り入れ、その折々での自己の最適化を柔軟になしえてきた血がどうしようもなく騒ぐのです。 ストレートな差障り要因への攻撃という陽なエネルギーよりも、南極に大規模土木工事をやり遂げる忍耐力をワタクシは断固支持致します! [DVD(字幕)] 8点(2005-06-09 22:38:35)(笑:1票) (良:3票) |
14. シカゴ(2002)
《ネタバレ》 これって、もしかして「映画的キュビズム!?」と思ってしまいました。■ピカソによって提唱された「キュビズム」は“複数の視点による対象の把握と画面上の再構成”を意図する芸術活動のことで、隠れて見えない立体物の裏側や、もともと見えない人間の内面を、サイコロの展開図のように2次元絵画へ定着させていく手法であると理解しています。そもそも従来のミュージカル映画のミュージカルシーンというものは「映画の構造」を語る上では重要な要素になり得ないと認識をしていましたが、この映画のミュージカルシーンこそは、対象物の裏側や内面を訴求しうるものとなっており、光の当たらない・目に見えない・隠された側面を浮き立たせ、物語の真正面を語るストーリーシーンとともに、対象物を多面的に複合的にそして立体的に訴えかけてくるのです。この映画は“複数の視点による対象の把握”という作業を経て、ミュージカルシーンという異なるアプローチを内包することによって“映画を(多面的に複合的に立体的に)再構成”しているのです。そんな「映画の構造」を考え巡って、前述の「キュビズム」という言葉に行き着いたわけです。今作品が他の凡庸なミュージカル映画と一線を画す要因となるのが、演出味たっぷりなナイトクラブのショーという別次元で、全てのミュージカルシーンが実施されているところにあります。出演者がショーのパフォーマーとなり、観客に向けてストーリーシーンとは違う手法のプレゼンテーションを繰り広げていくのです。その内容は「嘘まるだしの逆説的自己プレゼン」や「可笑しいほど自虐的な自己プレゼン」であったり「ある状況下における人間関係、力関係の変化、役割説明」までもが、照明・衣装・大道具を利かした劇的空間で展開されるのです。このようにストーリーシーンとミュージカルシーンとの明快で大胆な分離を計ることによって、「違う視点」がクローズアップされ、この映画は厚みのある立体感のある作品へと昇華し、稀有なミュージカル映画と醸成していったのです。■ラスト2人組による機関銃ショーは 「誇大妄想としての叶わなかった夢物語」であったと主張しておきたい。結局、共演が成功しなかった末の妄想だったのだ。嘘・自惚れなど虚実入り乱れたこの映画のラストとしては悪くない解釈だと思いますが、いかがでしょうか? 8点(2005-01-01 00:54:03)(良:1票) |
15. 2001年宇宙の旅
《ネタバレ》 「人類」と「道具」の進化。そして両者の支配関係を巡る映画でした。始まりは「人類」が“サル”で、「道具」が“骨”の頃。今や2001年。道具を使って効率良く動物を殺し、食うことにより、“種”の競争を生き延びてきた類人猿はホモサピエンスへと進化。「道具」は、蒸汽動力を得て「機械」へ、電子工学の活用で「コンピュータ」へと進化。そんな進化を遂げた時、両者の支配関係に見直しの儀式が実施されたのです。場所は宇宙空間ディスカバリー号。人類代表ボーマン船長、一方はHAL。感情や自尊心を持つことでHALは「有機体的な無機物」という「有機」と「無機」の中間的存在へと究極の進化を果たす。ボーマンは酸素・重力が存在しない激変の環境で、自己制御が効かない「無機物的な有機体」となる脆弱な瞬間にいます。両者は「有機(能動)」と「無機(受動)」の境界線上にいる点で並列であり、“人類がHALを創造したが、HALが乗組員を管理し、支配もしている”という「支配・被支配」の混迷下にある非常にボーダーレスな関係にあったのです。 “種”の闘争に勝利し、次のステージ(宇宙空間)で対峙したのが、己の武器である「コンピュータ」の「狂暴な正体」だったのです。そもそも“骨”は他の部族や動物を支配するための「残虐な武器」として描かれており、「機械」や「コンピュータ」になってからも、「防衛・兵器」の側面から進化を加速させてきた経緯があります。支配関係逆転のための、偶然を装った必然の攻撃だったわけです。■結局。HALは電子動力を断たれ機能停止。勝者であるボーマンは次のステージへの新規DNA配列をダウンロードする為、再起動・強制終了を受けます。いくら文明が洗練されようとも、地球では「繁殖し、他者を殺し、食う。」「繁殖し、他者を殺し、食う。」という原始的で残虐な“種の保存”行為が繰り返されていくのです。宇宙空間に浮かぶ胎児は、この“種の保存”を実行する為に発生し、今後も発生するであろう夥しい数の胎児(=繁殖)を表現していると感じました。膨大な数の胎児を用意し、切り捨てを前提とした様々なロールプレイングを経て、DNAは生き残る術を学習していきます。地質学的な時間の中で最適なDNA配列に行き着いて、“種”は「進化」を続けていくのです。■■確実に、強固に、そして徹底的に他者を支配するために.......。 8点(2004-01-04 21:53:19)(良:1票) |
16. サマーウォーズ
今作は 「重力から解放された、静謐なる横移動」 と 「1カット内で共鳴する、2つの時空間」 のように アニメならではの表現手法を駆使した“神がかり” 的な映像世界を提示してきました。 しかし、 「山奥」 での 「血族による 【情】的コミュニケーション」 と 「ハイパー世界」 での 「匿名性による無関心・無責任コミュニケーション」 の対位律をしっかりと強調することができず、 登場人物の 【情】 的 なメロディ をも歌い上げることができなかった 結果、 構造的に、そして感【情】的にも、マスターピースに成り得なかった 残念な作品。 と結論付けさせていただきます。 完成版はこちら、ネタバレ注意 ↓ http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-102.html [DVD(邦画)] 7点(2011-05-14 23:29:06) |
17. スラムドッグ$ミリオネア
■ 「生命力に満ちたインドの民衆」VS「前近代的で陰鬱なインドの現実 」という 凄まじいほどの陰影の差に瞠目し、 ■ 「取り調べ室(現在)」⇔「クイズ$ミリオネア(ちょっと前の現実)」⇔「ジャマールの半生(過去)」 という 3つの時空間を縦横無尽に行き来していく構造に狂喜しながらも、 ■ 「ジャマール」 →→ 「クイズ$ミリオネア」 ←← 「ラティカ」 という終盤の盛り上がりを捻出できた構図までもを 活かすことができなかった、残念な映画。 と、勇気を振り絞って発言させて頂きます。 完成版はこちらまで、ネタバレ注意。 →http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-99.html [DVD(字幕)] 7点(2010-04-30 19:58:38) |
18. 見知らぬ乗客
《ネタバレ》 オープニングの車内シーンが非常に素晴らしく、これから始まる 「交換殺人」 というトリッキーなサスペンスに嫌がおう上にも期待が高まりました。 しかし、中盤は肩すかしを喰らい、諦めかけたところに突如として 「メリーゴーランド」 が恐怖の拷問器具に変貌!! こんなところに、ヒッチ作品の奥深さを感じたのでした。 完成版はこちら ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-4.html [DVD(字幕)] 7点(2009-12-27 00:06:18) |
19. ウォーターボーイズ
「行動」 を起こす為の “キッカケ" 訴求が希薄であったため、 「男のシンクロ?」 の必然性を感じることができずに、 彼らの活動の薄っぺらさばかりが気になってしまいました。 とは言え、 パフォーマンス系映画の王道である、 「クライマックスにおけるパフォーマンス大成功!」 のカタルシスに身を委ねた映画体験となりました。 分割感想文はこちら → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-3.html [DVD(邦画)] 7点(2009-08-19 21:49:52) |
20. 殺しの烙印
《ネタバレ》 「ATG映画前夜」 の1967年に、こんなにも観念的な要素を取り入れて映画を作り上げてしまった鈴木清順監督の先進性に瞠目致しました。 埠頭での決闘シーン。自動車下の匍匐前進の映画的興奮に酔いしれながらも、この楽しさを理解できなかった日活上層部の不調法を悔やんでも、悔やみきれない気持ちに襲われたのでした。 完成版はこちらまで、ネタバレ注意 → http://ouiaojg8.blog56.fc2.com/blog-entry-2.html [DVD(邦画)] 7点(2009-04-28 00:49:23) |