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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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2301.  酔拳2
全体的にコメディ要素が先行している感じがして、アクションシーンに今ひとつ迫力を感じることができなかった。「酔拳」という技の性質上どうしてもコメディ要素が入ってしまうのは仕方ないとしても、もう少しシリアスな面を押し出しても良かったと思う。ラストの終わり方、初めて観た時は「終わり?」って感じだったけど、今はもう潔しと言うしかない。
4点(2003-09-28 01:52:48)
2302.  ジョーズ3
さすがにここまで質が落ちてくると作らないほうがマシという意見は御もっともであるが、このようなヒット作の後にとめどなく続くB級続編の連作はヒット娯楽映画の宿命であり、娯楽映画史における必然であり伝統なのだ。B級であろうがC級であろうが、楽しみ方は必ずあるのです。
4点(2003-09-27 20:13:54)(良:1票)
2303.  名探偵コナン 紺青の拳
相変わらずというかなんというか、繰り広げられる事件、アクション、サスペンス、すべてにおいて「なんだそりゃ…」の連続。娘と二人で観ながら、終始ツッコミっぱなしだった。  映画作品に限らず、原作漫画の展開ももれなくそうだが、「名探偵コナン」というコンテンツは、もはやミステリーを楽しむものではなく、半笑いのツッコミを放ち続け、観終わった後もそれを共有した人たちと「いやーひどかったなあ」と言い合うまでが“セット”の娯楽なんだろう。  本作はシンガポールが舞台だが、例によって大仰なスペクタクル展開によって観光の象徴たるマリナーベイ・サンズがほぼ「崩壊」する。 最近では、映画の舞台に選ばれた街が、その崩壊を含めて観光PRとして歓迎しているフシすらある。 映画シリーズとしての品質はまったく評価できないけれど、1997年から劇場版を公開し続け、2コロナ禍真っ只中の2020年のただ一回を除いて、27作も連ねてきたことは純粋にスゴいと思う。  なんだかんだ言って単行本は全巻揃えているくせに、今までは積極的にコナン映画を避け続けてきたけれど、改めて“ツッコミ映画”として観ていこうかなとも思ったり思わなかったり。
[地上波(邦画)] 3点(2024-04-14 15:21:10)
2304.  花と嵐とギャング
「バカヤロー」と高原の只中で叫ぶ高倉健の悲しみとも喜びとも受け取れる表情で本作は終幕する。 正直、唖然としてしまうというのが健全な印象だと思う。 おおらかというか、テキトーというか、1960年代の昭和真っ只中の国産娯楽映画のエネルギーが、良い意味では満ち溢れ、悪い意味ではダダ漏れしている。  鬼才・石井輝男監督作で、端から「喜劇」と割り切っている作品なので、破天荒なストーリーテリングに対して真剣にダメ出しをするのは野暮だろう。 登場するギャングの面々の滑稽さも含めて、ハットとスーツに身を包んだその佇まいを堪能するべき作品だと思う。  ただ、とは言っても、あまりにもキャラクター造形やストーリー展開がおざなりには見えてしまい、娯楽映画として「楽しい!」とは、中々思えなかった。 主演の高倉健、鶴田浩二の当代きっての二大俳優は、その風貌は流石に渋く、格好いいけれど、演じているキャラクターの人間性が浅く、魅力的に思えなかった。 そういう演出なのか、意図的な演技プランなのか判別がつかなかったが、彼らの演技自体もあまりにも“大根”で、終始半笑いを禁じ得なかった。  まあそれらも含めてキュートに感じたり、60年以上前の時代を感じて、カルト的な楽しみ方をする作品なのだろう。
[インターネット(邦画)] 3点(2023-01-07 23:07:51)
2305.  Adam by Eve: A Live in Animation
どういう類いの作品であるかをろくに確認せずに、Netflixのピックアップに上がっていた中から作品時間のコンパクトさに惹かれて鑑賞。 実写とアニメーションが融合した興味をそそる映像世界ではあったけれど、存在すら知らなかった気鋭アーティストの“長編MV”だった。  こういう作品もあるのかと、“おじさん”なりに興味深かったけれど、何せ楽曲をほぼ聴いたこともないアーティストだったので、短いドラマパートの間に挟み込まれるMVの連続に入り込めなかったことは否めない。  映像自体はそれなりに作り込まれていたし、Tik Tok世代に向けられた歌詞表示付きの演出は、ファンにとってはエモーショナルなものなのだろう。  ただしそれが「独創的」であるかどうかは少々疑問。 「渋谷」を舞台にした少女たちの葛藤や鬱積を主軸にして展開される世界観は、既視感があり、特にアイドルグループ「欅坂46」が表現した世界観に重なる部分が多かった。 主役の女の子は魅力的だったが、完全に平手友梨奈に寄せたキャスティングだったと思う。  ともかく、結果的に面白かったかどうかは別にして、自分の興味の範囲外の作品に触れる機会はそれほど得られるわけではないので、そういう意味では良い機会だったと思う。 最後の楽曲でようやく「ああ呪術廻戦の主題歌の人か」と気づく始末。新しいアーティストももっと積極的に知らなければと思う。
[インターネット(邦画)] 3点(2022-06-26 23:16:09)
2306.  メン・イン・ブラック:インターナショナル
「メン・イン・ブラック」を初めて映画館で観た1997年から24年も経ったかと、勝手に感慨深い。 同シリーズは、トミー・リー・ジョーンズ演じる“K”と、ウィル・スミス演じる“J”によるバディ感のバランスが抜群で、そのキャスティングが成功要因の大部分を占めていると言って過言ではなかろう。 そして、肩の力を抜いたアクションコメディを大映しにしつつも、きちんとSF的なアイデアも盛り込み、「映画」としてしっかりと仕上がっていることを観るたびに噛みしめることができる。 流石は、スティーヴン・スピルバーグを筆頭にした当時のハリウッドのトップランナーたちが集結してクリエイトされた大エンターテイメントだと思う。  パート2もパート3もそれぞれ面白く、クオリティーの高い人気シリーズだったが、パート3にて“K&J”のストーリーは綺麗に収束していたので、この新作においてキャストが一新されたこと自体に否定的な気持ちは無かった。 むしろ、クリス・ヘムズワース&テッサ・トンプソンという、“アスガルドの神々”コンビのキャスティングに対して、MCUファンとしてニヤリとせずにはいられなかった。 “K&J”が、人種と年の差を超えたバディムービーを構築していたことに対して、今作の“H&M”は、人種と男女差を超えたバディムービーを構築するという趣向も、新世代の「MIB」として相応しかったと思える。  オープニングクレジットのフォントスタイルをはじめ、久方ぶりの「MIB」の世界観は懐かしさもあり、楽しかったとは思う。 ただし、映画全体としての完成度を俯瞰すると、あらゆる面における“中途半端感”が否めない。  新しい主人公コンビは、前述の通りフレッシュで魅力的だったけれど、それぞれのキャラクター性があまりにも弱い。 比較するのはお門違いだろうが、エージェントHは“ソー”と比べると「脳筋バカ」な愛らしさに欠けているし、エージェントMも“ヴァルキリー”と比べると王子を凌駕するほどの颯爽さに欠けているなど、キャラ的な物足りなさが際立ってしまっている。 その点においては、旧シリーズの“K&J”がいかにバランス良くふざけきった名コンビであったかを思い知った。  脇を固める配役も中々豪華なのだが、リーアム・ニーソンにしても、レベッカ・ファーガソンについても、おざなりなキャラクター造形を否めず、両俳優のファンとしては残念だった。  ストーリー展開においても、「インターナショナル」というタイトルが示すように、スパイ映画よろしく世界中を駆け巡りはするが、そこにストーリーテリング上の必要性を感じず、無駄な場面展開で製作費と尺を浪費しているように感じてしまった。  どうやら、製作過程において、監督とプロデューサー間で揉めに揉めた現場だったようで、当初の脚本から大幅に様変わりしてしまっているらしい。 当初の脚本では、昨今の「移民問題」に対する提起も含まれていたというから、そういうテーマがしっかり描ききれていたならば、世界を股にかける話運びも効果的に機能したのであろうし、“アスガルドからの移民”である主演コンビによるメタ的な面白味も増幅されていたに違いない。  巨額の製作費を扱う大バジェット映画になればなるほど、それに携わる人間同士の問題が、作品の出来栄えにむしろ顕著に表れるのかもしれないなと、一組織人としては身につまされたり。 さて、気を取り直して、1997年の第一作でも見直そうかなと。
[インターネット(字幕)] 3点(2021-04-25 00:03:47)
2307.  映画ドラえもん のび太の人魚大海戦
祝日の午後、息子と二人の留守番中にダラダラと鑑賞。 自らの鑑賞スタイル以上に、ダラダラとした作品だったことは否めない。  声優陣が刷新された“第2期”の映画シリーズは、完全なる“第1期”世代のドラえもんファンとして長らく敬遠していたが、近年子どもたちと鑑賞するようになったことをきっかけに改めて観ていくと、意外にも“高評価”な作品が多い。 特に、「のび太の恐竜2006」をはじめ、「のび太の新魔界大冒険」、「新・のび太と鉄人兵団」などのリメイク作においては「傑作」と断言できる作品もあり、嬉しい発見となっている。  が、しかし、今作においてはきっぱりと「駄作」と言えよう。  コミックスの一つのエピソードに過ぎない「深夜の町は海の底」を、強引に話のすそのを広げて映画化したような印象で、あまりにもストーリーがおざなりすぎた。 脚本は人気作家の真保裕一が担当しているようだが、やっつけ仕事なのは明らかで、特にこの人の作品を読んだこともないが、作家としての程度が知れているなと思ってしまう。  “海底”が舞台ということもあり、随所に第1期の名作「のび太の海底鬼岩城」を連想させる描写やひみつ道具が登場する。 同作の大ファンとしては、そんなシーンを観るとついつい小さな期待感を膨らませてしまうが、どれも部分的なトレースにとどまっており意気消沈してしまう。  もし、この中途半端なトレースが影響して、「海底鬼岩城」のリメイクが回避されているとしたら、それは今作自体のつまらなさ以上に、あまりにも残念なことだ。  作品中で唯一感慨深かったことは、挿入歌を武田鉄矢が歌っていたこと。 ドラえもん映画の中で、武田鉄矢の歌声が広がるだけで、つい琴線が揺さぶられてしまうのは、オールドファンの性だろうか。
[インターネット(邦画)] 3点(2021-02-25 12:30:37)
2308.  イコライザー2
冒頭、トルコの国鉄まで“出張”した主人公が、早速狂気的な正義感と親切さで悪党を撃滅する。 “正義の味方”とはいえ、相変わらずメチャクチャな暴挙に対して、カタルシスなどすっ飛ばして唖然としてしまう。 が、まあ「続編」ということも踏まえ、オープニングのそのぶっ飛んだ展開自体はアリかなと思えた。  しかし、目を引いたのはむしろそのアバンタイトルだけだったかもしれない。  前作から引き続き、“殺人マシーン”と化したデンゼル・ワシントンが狂気を解放させていく様が醍醐味の映画ではあるが、前述の冒頭シーン以降では目新しい展開が見られない。 前作では、タクシー運転手として平穏に暮らしつつも、身の回りの悪事に対して「正義感」というフラストレーションが膨らみ爆発するくだりに娯楽性が溢れていたけれど、今作では主人公は端から街の悪党退治に勤しんでいるので、前作で見られた緊張感や高揚感が得られなかった。  かつての同僚が裏切り者というありきたりな展開を経て、クライマックスを迎えるが、悪党側のキャラクターがそもそも小者で脅威がまったくないので、最強殺人マシーンの主人公の前ではことさらに弱々しく見え、盛り上がりもまるで無い。  デンゼル・ワシントンのでっぷりとした恰幅が、前作では逆に良い意味で不気味で魅力的だったが、今作ではストーリーテリングの愚鈍さと合わさって、ただただ鈍重に見えた。
[インターネット(字幕)] 3点(2020-09-13 01:56:18)
2309.  シャークネード<TVM>
いやはや……。ウワサには聞いていたが、もはやどう形容すべきか分からん。 “Z級映画”とはうまく言ったもので、確かにAとかBとかCとかいうレベルでは測りきれない。 圧倒的なチープさと一抹の魅力が癖になるというムーブメントも分からなくはない。  もはや映像的なチープさや、ストーリー展開の幼稚さを突っ込むべきものではない。 相応の「覚悟」を持って観始めたつもりだったが、それでも特に序盤の低レベル加減には、なかなか耐えきれぬものがあった。 低予算のテレビ映画だとはいえ、よくもまあこの程度の映像作品を大の大人が作り出すものだ。  ただ、逆に言うと、その限られた予算の中でも、何かしら面白味のあるモンスター映画を作ろうという、作り手たちの気概というか、“真剣な馬鹿さ”みたいなものは伝わってくる。  そして、この手の最低レベルのテレビ映画が、アメリカではずうっと昔から量産し続けられているわけで、そこには製作者側にも、視聴者側にも、芳醇で寛容な文化の幅のようなものを感じる。  こういう低予算映画の文化と需要が存在し、売れていない俳優やスタッフらを含めた“映画人”たちに、可能な限り「仕事」が分配され、下支えされているからこそ、彼の国の映画産業は強大なのだとも思う。  全編通してあんぐりと口を開けっ放しにせざるを得ない“サメ映画”だったが、流石Z級映画としては異例のシリーズ化もされ、一つのムーブメントを生み出した作品だけあって、べっとりと拭い去れない娯楽性は感じられた。 特にクライマックスの怒涛のトンデモ展開は、この作品のシリーズ化を確定させた要素なのだろう。  無論、そういうトンデモ映画は嫌いじゃないわけで。 シリーズ最新作のトレーラーを観てみると、更に更に常軌を逸した世界観が広がっていることは明らかだった。 「沼」にハマるのは怖いが、恐る恐る踏み入ってみようか。  こういう低予算映画の文化と需要が存在し、売れていない俳優やスタッフらを含めた“映画人”たちに、可能な限り「仕事」が分配され、下支えされているからこそ、彼の国の映画産業は強大なのだとも思う。   全編通してあんぐりと口を開けっ放しにせざるを得ない“サメ映画”だったが、流石Z級映画としては異例のシリーズ化もされ、一つのムーブメントを生み出した作品だけあって、べっとりと拭い去れない娯楽性は感じられた。 特にクライマックスの怒涛のトンデモ展開は、この作品のシリーズ化を確定させた要素なのだろう。  無論、そういうトンデモ映画は嫌いじゃないわけで。 シリーズ最新作のトレーラーを観てみると、更に更に常軌を逸した世界観が広がっていることは明らかだった。 「沼」にハマるのは怖いが、恐る恐る踏み入ってみようか。
[インターネット(字幕)] 3点(2020-02-24 01:25:35)
2310.  マスカレード・ホテル
オープニング、チープなCGによるホテルの外観から、狭いエントランスを通り抜け、やけに古くさくゴージャスなロビーを映しこみつつ、フロントに辿り着く。 その一連の描写を見て、“「有頂天ホテル」みたいだな”と半笑いで思った観客は少なくないだろう。  由緒正しいクラシックホテルのビジュアルを表現したかったのだろうけれど、メインステージとして描き出されるエントランス、フロントを含めたホテルのロビーの空間設計とセットが酷い。映画のセットとしての作りこみ自体は精魂こめて仕事がなされているのだろう。だからこそ、酷いのだ。 首都圏の一流ホテルという舞台設定に対して、空間のサイズ感から、距離感、インテリアの美術センスに至るまで、あまりにもリアリティが無かった。 物語の特性上、様々な人間が行き交うホテルのロビーこそが、この映画の「主人公」だとも言え、その空間の奥行きや距離感が、本来映し出すべきビジュアルとあれほど乖離していては話にならない。   “フジテレビ映画”というクレジットが無くとも、冒頭の印象通り、三谷幸喜の「THE 有頂天ホテル」の使いまわしなんじゃないかと揶揄してしまうことは必至で、実際、空間プランとしてはその通りなんだと思わざるを得ない。(よくよく見れば、キャスト的にも“三谷組”の要素は強い) そのまさしくシチュエーションコメディのような空間の中で、登場人物たちがあくまでも大真面目に、格好をつけて、奇妙な連続殺人事件の犯人を追う様が、アンバランスで、ダサくて、センスが無いなと思った。  全編通して前述の喜劇作家がちらついたからではないが、それこそコメディやパロディに振り切るのであれば、それも“全然アリ”だったのではないかと思う。  そもそも、東野圭吾の原作自体、決してミステリとして完成度の高いストーリー構成だったとは言い難く、随所に使い古された手法や、ベタなストーリー展開が目に付いた。計画的な連続殺人を描いたミステリだとはいえ、メインストーリーのテイストとしては異業種間(+男女間)のユニークな「バディもの」の要素が強く、随所にコメディ要素も散りばめられている。 著者自身、自らの過去作も踏まえて、ミステリに対するある種“メタ視点”を含めた娯楽としてストーリーやキャラクターを構築した部分も多分にあったのではないかと思える。  三谷幸喜が手掛けたら良かったとまでは言わないけれど、いっそのこと大幅に脚色して、コメディ映画として仕上げた方が、原作の本質を捉えた上で、映画作品としても完成度は高まったのではないか。  そして、その“コメディ映画”に、主演俳優として木村拓哉が挑めたならば、映画にとっても、彼自身にとっても、新しい可能性を創出する作品になったのではないか、と思えてならない。  もしかしたら、そういう目論見は存在したのかもしれない。だからこそのあのリアリティの無いセットであり、喜劇俳優の多用であり、大仰でベタな演出プランだったのかもしれない。 ただ、残念ながらそういうユニークでチャレンジングな変化を成しえた映画には当然仕上がっておらず、ただただ中途半端で盛り上がりに欠ける残念なサスペンス映画に終始している。   あと、作品の低い仕上がり的にはもはやどうでもいいことだが、某有名女優の出演情報は、予告編、宣伝ポスター、あらゆる事前情報から除外し、隠し通すべきだったことは、言うまでもない。
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2019-10-27 00:47:30)(良:1票)
2311.  きみと、波にのれたら
「あらら」と、ちょっと呆気にとられるくらいにチープな映画だった。 1990年前後の“ホイチョイ・プロダクション”の映画を観ているような「軽薄感」が結局最後まで拭えなかった。  その前時代的な作品の空気感自体は、製作陣の狙い通りだったのだろうと思う。 若い男女が“都合よく”運命的な出会いをして、都合よく恋に落ちて、都合よく死別して、都合よく摩訶不思議な邂逅を果たすという浅はかな展開そのものを否定したいわけではない。  そのようにストーリーテリング的は稚拙だとしても、多くの人に愛されてやまない名作はたくさんある。 ただし、そういう映画に必要不可欠な要素は、ストーリーなんてどうでもよくなるくらいに魅力的な“キャラクター”だと思う。そして、彼らが織りなす刹那的で眩い悲喜劇に人は魅了されるものだろう。  だが、残念がら、この映画に登場するキャラクターたちには、そういった魅力が備わっていない。 人間的に嫌悪する余地すらなく、只々、“フツー”で“浅い”のだ。 都合のよいストーリー展開の中で、浅はかな若者たちが、特にエモーショナルなわでもなく感動めいたものを押し付けてくる印象を受け、終始“気持ち悪かった”。  その“気持ち悪さ”が極めて残念だった。 なぜなら、理屈ではなく、摩訶不思議で、自由闊達な、“気持ちよさ”こそが、湯浅政明というアニメーション監督の真骨頂だと思っているからだ。 「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」そして「DEVILMAN crybaby」と、立て続けに自由闊達なアニメーション表現で独自の世界観を構築し、圧倒的な立ち位置を確立した湯浅政明監督の最新作として大変期待したのだが、冗長なプロモーションムービーかのごとき稚拙な映画世界から最後まで脱却できなかったことは至極残念だ。
[映画館(邦画)] 3点(2019-06-27 22:22:32)
2312.  ガーディアンズ 《ネタバレ》 
ロシア版「アベンジャーズ」というよりは、「ファンタスティック・フォー」に近いだろうか。 所変われば、ヒーロー像も変わる。映画としての善し悪しはまず置いておいて、興味深い映画であったことは認める。 はっきりとチープな部分も多々あるが、ビジュアル的に美しい描写もあり、映画としてのルックは思っていたよりもちゃんとしていたという印象。  だがしかし、そういったフォローポイントを圧倒的に凌駕する稚拙なストーリー展開が、ストーリーが進むにつれ加速するように酷い。 まず、人体改造されたヒーローたちの出自と現在の立ち位置、宿敵との関係性が絶望的に分かりづらい。 そこから描き出されるストーリーも、思わず「下手くそか!」と声を上げたくなるくらいに話運びがぐだぐだで、合うべき焦点がまったくもって合っていない。 最初のうちは、お国柄ゆえの“ハズし”なのかと好意的に見ていたが、段々とすべての登場人物たちが「バカ」にしか見えなくなってくる。  ヒーローたちのキャラクター性自体がMARVELやDCをはじめとする数多の有名ヒーローたちのパクリであることは別にいい。 ただロシアで生まれたヒーローである以上、かの国だからこそ生じる葛藤や苦悩をキャラクターたちに反映して欲しかった。  MCUを表面的になぞって、ユニバースの拡大を狙ったラストのシークエンスをドヤ顔で見せられても、食指はピクリとも動かない。
[CS・衛星(字幕)] 3点(2019-05-20 00:09:06)(良:1票)
2313.  メカニック:ワールドミッション
「お粗末」という言葉がこれほどしっくりくる映画も久しぶりである。 個人的に前作は想定以上の満足度を得られた快作だっただけに、極めて残念だ。  往年のスター俳優チャールズ・ブロンソン主演による1972年の同名作のリメイクだった前作は、現役アクションスター界のトップランナーであるジェイソン・ステイサムの抜群のアクション性と独特の男臭さが、孤高の暗殺者という役柄にマッチした意外なほどに上質なアクション映画だった。 ステイサム版鑑賞後にブロンソン版を鑑賞したが、リメイク版の方がアクション映画としてのクオリティは高かったと思う。  前作の最大の面白味は、なんと言っても超一流の暗殺者である主人公が貫く“殺し方の美学”だ。 出来る限り「暗殺」であることを周囲は勿論、殺される当人にすら気づかせないように、「仕事」を遂行する。 マシーンの綿密な設計図のような計画表を打ち立てつつ、それを淡々と速やかに実行する様は、まさに“メカニック”。 己の生活空間を含め、あらゆる物事の細部に至るまで徹底した拘りを見せる主人公の佇まいは、一見無骨なように見えるけれど、どこか気高さと気品を併せ持つこの英国俳優だからこそ表現し得た存在感だった。  しかし、残念なことに今作では、その最も重要視すべき主人公のキャラクター性が、尽くないがしろにされている。 計画性が全く無いとは言わないが、前作で堪能できた殺しの美学は早々に影を潜め、行き当たりばったりの雑なアクションが繰り返される。 そもそもストーリーテリング自体が極めて陳腐。序盤に展開される“バケーションシーン”は全くもって無意味であり、前作の成功により得られたであろうバジェットを垂れ流していると言わざるを得ない。  やはり、先ず何よりも初めに、前作同様に主人公の完璧な“仕事ぶり”を見せて、暗殺業を引退した筈の彼が一体なぜそんな仕事をさせられているかを遡って見せれば、この主人公のキャラクター性を再確認させられたし、ストーリー展開としてもスマートだったと思う。 これもバジェットの増大によりキャスティングできたのであろうが、ジェシカ・アルバも、ミシェル・ヨーも、トミー・リー・ジョーンズも、使われ方が尽く雑であり、勿体ないの一言に尽きる。  ジェイソン・ステイサムは、アクションスター苦難の時代にあって存在感を放っている数少ないスター俳優の一人だと思うが、必然的に低予算の出演映画が多いため、決して良作揃いの俳優というわけではない。 そんな中で、前作の成功ポイントを全く理解していない愚かなスタッフにより、期待の続編が低レベルのお粗末映画に終始してしまったことはあまりに残念だ。  散々な映画だが、ジェシカ・アルバ嬢のカワイイお尻に免じて+1点。この女優も相変わらず作品に恵まれないな。
[インターネット(字幕)] 3点(2018-10-07 19:11:51)
2314.  大恐竜時代 タルボサウルス vs ティラノサウルス
休日に家族で訪れた科学博物館のプラネタリウムで鑑賞。 当然ながら、まわりも幼子連れのファミリーで溢れていた。 プラネタリウムで上映されている番組なので、恐竜の生態についての教材要素をベースにベタな“恐竜家族”の感動物語が展開されるのだろうと高を括っていた。  だが、冒頭からストーリーテリングの塩梅が何だかおかしい。 幼いタルボサウルスが主人公なのだが、彼が意気揚々と紹介した家族たちがその直後にあっけなく命を落としていく。 自然の摂理とは言え、いきなりシビアな展開を見せるなあ、と先ず面食らう。 そして月日は流れ、孤独に生き抜いた主人公も立派な成獣となり、自分の家族を持つ。 が、そこからも「まさか」と思わず眉をひそめてしまう想像以上に残酷な展開が繰り広げられる。  勿論、「普通」の映画として、いつものように自分一人で鑑賞していたならば、少々残酷な描写が展開されようが、ただのチープなCGアニメーションとして一笑に付するところだ。 しかし、こちとら幼児連れである。ふいに訪れた科学博物館の一プラネタリウム番組で、問答無用に家族が命を落とす様を立て続けに見せられては、さすがに引く。 内緒だが、2歳の息子は上映中におもらしをしてしまう始末……。色々な意味で惨憺たるひと時を過ごしてしまった。  エンドクレジットで今作の製作国が韓国であることを知って、色々と納得。 以前に韓国産の怪獣映画を観た時も感じたことだが、文化が違うと、同じ題材を描いても種類自体が全く別物の映画になるものだ。 当たり前と言えばそれまでだが、文化が変われば、「教育」のアプローチも大いに変わるものだ。 これはこれで、いい教訓なのかもしれない。
[映画館(吹替)] 3点(2017-10-07 07:24:16)
2315.  ワイルドカード(2014)
この映画のストーリーラインが描き出したかったことは、うらぶれた人生からの脱却を実は夢見ている裏稼業の男が、不意に現れた“若者”との一夜の交流を通じて、決意と活路を見出していく物語だったのだと推察する。 なにせ、脚本は二度のアカデミー賞にも輝くウィリアム・ゴールドマンである。 きっと本来イメージしていたストーリーラインは、ラスベガスの欺瞞に満ちた輝きの中で、己の腕っ節のみで生きてきた不器用な男の哀愁と、その先に見えた真実の光だったのだろう。 そういうストーリーラインを示す描写や設定は確かに点在している。  しかし、残念ながら結果としては、この映画においてそういった芳醇なドラマ性は生まれておらず、全編通してチグハグでバランスの悪いアクション映画に終始してしまっている。  その原因が、イメージはあるものの緻密な人間描写の構築まで至ることが出来なかった老脚本家にあるのか、ドラマシーンの演出力に欠いたB級アクション映画監督にあるのか、はたまた良い意味でも悪い意味でも“筋肉バカ”である主演俳優にあるのかは定かではないが、まあ何とも残念な映画に仕上がってしまっていることは間違いない。  監督はサイモン・ウェスト。世間的にはB級アクション映画専門監督というレッテルを貼られており、その認識に間違いはないと思うけれど、個人的には1997年の「コン・エアー」以来、決して嫌いにはなれないアクション映画監督の一人である。 主演のジェイソン・ステイサムとも、「メカニック」「エクスペンタブルズ2」と、相性の良い仕事ぶりを見せてくれていただけに、今作に対してもB級アクションならではの良い意味で“雑多な娯楽性”を期待していた。 実際、アクションシーンの見応えは確かにあったと思う。 “銃”を絶対に使わないというキャラ設定を活かした主人公のアクションシーンにはキレがあり、銃を使わないからこそ生じる残虐性とそれに伴う“痛々しさ”が特徴的だったと思う。  ただし、アクションシーンに限らず総てのシーンが短絡的かつ散文的で主人公の行動原理に説得力がまるでなかった。 「主人公がどういう人間なのか」という肝心な部分が、極めて曖昧で掴みきれない。 勿論、敢えてそういう主人公造形をする作品もあるけれど、結果として本質的な魅力を欠いてしまっていることは、脚本、演出、演技の総てにおいて力量が足りていないということだろう。  詰まるところ、今作においては脚本、監督、主演俳優の“食い合わせ”が悪かったということだと思う。 全く別の座組が実現していたならば、もっと良い映画になり得た可能性はあった……かもしれない。
[インターネット(字幕)] 3点(2017-04-18 12:43:50)(良:1票)
2316.  セトウツミ
今年になって原作漫画をLINEマンガで読んで、二人の高校生が醸し出す独特な空気感が癖になった。 絶妙な間と台詞回しによって織りなされる「会話」は、関西弁であることも手伝って「漫才」そのものの可笑しさと巧さに溢れている。  とはいえ、「映画化」というトピックスを見たときには目を疑った。この「会話」のみの漫画をどう映画として成立させるというのか。 予告編を観た段階では、キャスティングされた池松壮亮と菅田将暉はハマっているように見えたし、面白く仕上がっているようには感じた。  だがしかし、結論からすると、やはり「なぜ映画にしたのか」という出来栄えだった。 結局、この題材を長尺の映像作品にするには無理がある。 “帰宅部の男子高校生の暇つぶしの会話”という極めてミニマムな題材を各話20ページ程度の“小話”として連載しているからこそ、この原作漫画は面白いのだ。 映画にするには、その小話を連ねて尺を補うしか無く、必然的に冗長に感じてしまい、可笑しさが持続しなかった。  予告編の段階では、各話のシークエンスが断片的に公開されていて、それを観る限りでは笑えたし、映像化による臨場感も加わっていた。 詰まるところ、映画ではなく、もっと短いコンテンツとして製作されるべきだったのだと思う。 深夜ドラマ枠なんかで5分きっかりの尺で連続ドラマ化したならば、原作の空気感がもっと忠実に醸し出されたんじゃないかと思える。  75分という映画としては短いと言える尺を、非常に長く感じながら、“神妙な面持ち”にならざるを得なかった。
[DVD(邦画)] 3点(2016-12-04 01:13:51)
2317.  劇場版 PSYCHO-PASS/サイコパス
テレビアニメシリーズをまったく観ずに、この「劇場版」を鑑賞してしまったことは、やはり少々無謀だった。 鑑賞途中、流石に物語設定自体の意味が分からなかったので、慌ててウィキペディアを開いて、ここに至るまでの大まかな粗筋を確かめた。 設定そのものはハリウッド映画にありがちなディストピアものであり、有り触れてはいる。それこそ、映画化権が買われて、スカーレット・ヨハンソンなんかが主演しそうである。 “黒幕”が、犯罪抑止を司るシステムそのものであったという顛末も、厨二病的ではあるけれど、個人的に決して嫌いじゃないなと思う。きっとTVアニメシリーズ自体を観始めたならば、それなりにハマるのだろうとは思う。 それ故に、この劇場版は、門外漢にとってはあまりに間口の狭い仕上がりになっている。まあ当然といえば当然なのだが。  ストーリー的な入り込みにくさは、テレビシリーズを観ていない自分の責任なので言及しまい。 ただし、映画世界にイマイチ没頭できなかった理由はそれだけには留まらない。 そもそも、アニメーションの「精度」として“一流”には達していない。キャラクターの歩き方一つ、喋り方一つに対して「違和感」を感じてしまい、安っぽさを禁じ得なかった。 ストーリーテリングにおいても、全編通して冗長な説明セリフが羅列されそれに頼るばかり。いかにも深夜アニメっぽいクドクドと“酔った”言い回しが癪に障る。  まあ、そういった諸々の居心地の悪さも、“一見さんお断り”のこの作品のスタンス故の在り方なのかもしれないけれど、今作単体に限って言えば、わざわざ「劇場版」などと銘打って公開するレベルのものではないように思う。  “ピーポくん”のこれ見よがしな使い方や、「踊る大捜査線」を彷彿とさせるオープニングなど、“本広克行”印な演出が随所に見られるが、今となってはもはや古臭い。
[CS・衛星(邦画)] 3点(2016-10-08 14:47:46)
2318.  ソロモンの偽証 後篇・裁判 《ネタバレ》 
「前編・事件」は、少年少女たちの成長譚的側面が、ミステリー要素以上に色濃く展開され、歪な仕上がりではあったけれどエモーショナルな映画として見応えがあった。 この「後編・裁判」には、そういった少年少女たちの成長の行く末と、それの根幹に関わる事件の真相が詳らかになる展開に期待したのだが、大いに肩透かしを食らってしまった。 結論としては、前編の佳作ぶりを一蹴してしまう程の「駄作」だったと思う。  何と言っても最大の問題点は、真相の核心として存在する“柏木少年”の浅はかさだ。 当然ながら、前後編通じてこの物語の最たるキーパーソンである彼の存在性自体が、あれ程までに脆く軽薄であることは、ストーリーテリング上致命的な欠陥であり、文字通り“救えない”。  柏木少年を演じた望月歩くん自体は、今作が俳優デビューであるにもかかわらず、ある種の悪魔的存在感を醸し出そうと一生懸命役づくりをしていたと思うけれど、キャラクターとして最終的にあのような描かれ方をされてしまっては、ただの愚か過ぎる馬鹿者にしか見えず、正直同情の余地が全く生まれなかった。 逆に、こんな者のために、子どもも大人も含めたすべての登場人物たちが振り回され、何の罪もない少女が巻き添え死に至ってしまったことに対して、憤りしか感じない。  そして、この「裁判」で、一方的に真実を突きつけられ、最も己の罪に苛まれながら「生き地獄」に突き落とされたのは、藤野涼子でも、神原和彦でも、大出俊次でもなく、柏木少年の両親に他ならない。 少なくともこの映画の中においては、この両親の問題性を表す描写は無かった筈なので、ただただ気の毒でならず、不快感極まりなかった。  舞台が「中学校」である以上、どんなに複雑な人間関係を用意したとしても、導き出される「事実」は限定的にならずを得ない。 それに、原作者自身も、現代社会に蔓延する後を絶たない「問題」こそを描きたかったのであろうから、この「事実」ありきだったとは思う。 ならばもっと、その「事実」に至らざるを得なかったもっと根本的な「理由」こそを「真相」として描かなければならなかったと思う。 それが、柏木少年の深層心理なのか、過去のトラウマなのか、はたまた全く別の学校環境なのかは分からないけれど、それを描き出そうとする姿勢が無ければ、この物語自体が、現実社会の「問題」を類型的に、記号的に捉えているように思え、また不快感が募る。  その他の人物の描写においても、この「裁判」を経て、すべてが“良きこと”に繋がったように見せる顛末が、どうにも気持ち悪かった。 それはやはり、結局のところ、本当の真相に誰もたどり着いていないからだと思う。
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2016-09-13 18:06:40)
2319.  ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
待望の最新作「シン・ゴジラ」の鑑賞を控えて、過去のゴジラ映画シリーズの中で唯一観れていなかった今作をついに観ることが出来た。 正直なところ、過去のゴジラ映画全28作(ハリウッド版を含めれば全30作)の鑑賞実績をコンプリートして、満を持して最新作に臨めることの“ゴジラ映画ファン的”な満足感が先行し、今作自体に対する満足度など二の次になってしまったことは否めない。  東宝映画自体の斜陽期に製作された作品だけあって、ゴジラ映画としてのルック的にも、ストーリーテリング的にも、尺的にも、極めて低予算で、つくり手(本多猪四郎大先生)が力を入れようにもどうしようもなかった作品であることは一目瞭然であった。 ストーリー上のメイン舞台は、“ゴジラが存在しない現実世界”となっており、怪獣たちの登場シーンは、あくまで主人公である鍵っ子少年の「空想世界」に過ぎない。映し出される特撮シーンもその大半が、過去作映像の使い回しだった……。  この時代のゴジラ映画が「駄作」であること自体は何も珍しくないことなので、今作もきっぱりと「駄作」と言い切ってしまうことは簡単なことである。 しかしながら、今作の場合は、ゴジラ映画として「駄作」だとは言い切れない部分がある。 そもそものコンセプト自体がゴジラ映画としては「異質」である。 今作は、ゴジラ映画の要素を借りただけの全く別物の作品だと思う。 だから、ゴジラ映画として「珍妙」ではあるが、「駄作」ではないと思うのだ。  鍵っ子少年の悲哀と健気さ、児童誘拐などの治安問題、当時の世情を反映した社会的な問題意識こそが、この子供向け映画に込められた製作者たちの思いだったに違いない。  まあ、だからと言って、ちっとも面白くはないのだけれどね……。ガバラは糞ださいし、ミニラは喋って興ざめだし……。   P.S. 今作鑑賞の数時間後に「シン・ゴジラ」を観た。イロイロな意味で“振れ幅”が半端無かった。それはそれで、ゴジラ映画ファンとして貴重な映画体験だったと思う。
[CS・衛星(邦画)] 3点(2016-07-31 23:22:25)
2320.  グラスホッパー
伊坂幸太郎の原作は、この人気作家らしい切り口が特徴のユニークな「殺し屋小説」だったハズだが、これまた随分と凡庸でダサい映画に仕上がってしまっていると思った。 原作小説を初めて読んだのはちょうど5年前で、既にストーリーをうろ覚えだったので、映画を観た翌日、書棚から文庫本を引っ張り出してきて、一気に再読してみた。 なるほど。映画化における改変が、殆どすべてにおいて「改悪」となっている。原作ファンとしては、むしろ、“別のお話”に作り変えられていると思ってしまうくらいに、原作が持つストーリーテリングの“妙”が破壊されてしまっている。  個人的に伊坂幸太郎の小説が好きだ。流行作家らしい軽妙な語り口と、ポップカルチャーの多様は、熱心な文学ファンにとっては敬遠される要素なのかもしれないけれど、映画ファンとしては、この作家が持つ独特の視点と、娯楽性の高いストーリーテリングには、常に映像的感覚が付随されていて、引き込まれる。  そもそもが映像的な感覚に富んだ文体であり、映画的なアクセントをつけやすいキャラクターが多く登場するので、これまで観てきた映画化作品は、どれも一定の面白さを備えた作品に仕上がっていた。映画化作品のすべてを観たわけではないけれど、少なくとも「駄作」と切り捨てるものはなかったように思う。  が、しかし、残念ながら今作は、「駄作」と言わざるをえない。 映画化における「改変」は、ある程度仕方がないことだとは思う。過去の伊坂幸太郎原作の映画化作品においても、すべて何らかの改変はされている。 今作において問題なのは、原作の持つテーマ性をまるっきり履き違えてることだ。  主人公は拭い去れない復讐心を抱えているが、この物語のテーマは「復讐」などではない。 それは、原作において、「復讐」の最大の対象が冒頭でいともあっさりと死んでしまうことからも明らかなはずだ。 映画では、冒頭から陰惨な殺戮シーンを映し出し、いかにも凶悪な「悪党」の存在を際立たせ、安直に描き出される復讐心を煽っている。それが実に陳腐でダサい。  原作小説では、悪党の親玉たちの描写は必要最低限に抑えられている。直接的な描写は殆ど無く、ほぼその配下の部下や取引先の人間たちによる伝聞で留められている。 なぜか?巨悪の根源の正体なんて、そんなありふれたものどうでもいいからだ。 原作でメインに描き出されているのは、主人公の平凡な男と、二人の殺し屋の、抱え込んだトラウマからの脱却の様である。 そしてそれを主軸にして、誰も知らない「業界」の常識とルール、そこで生きる者たちの心象風景が、特異なエンターテイメントとして繰り広げられている。  そういったテーマ性や娯楽性が、全くと言っていいほど再現されていない。 同監督作では、同じく生田斗真が主演した「脳男」が、粗はありつつも想定外に面白い娯楽映画に仕上がっていたので期待感はあった。 しかし、今作においては、豪華なキャスティングをまったく生かしきれていない演出力のマズさが終始際立つ映画になってしまっている。 アクションシーンがチープだったことも大きなマイナス要因だったと思う。 「アジョシ」や「ジョン・ウィック」レベルのアクション描写を用意しろなどとないものねだりをするつもりはないが、多種多様な細かい殺人描写がキモであるストーリーでもあるだけに、映像的な説得力の無さは致命的だった。  更には、エンディングに大ファンであるYUKIの楽曲が意味不明にタイアップされていたことが、やり場のない虚しさに拍車をかけた。
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2016-07-04 18:50:45)
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