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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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301.  バンテージ・ポイント 《ネタバレ》 
このシナリオを普通に映画化した場合、巷に溢れるただのテロリスト映画になってしまうので、このスタイルを取ることで他の映画と差別化を図ることができたことは評価できる。また“オチ”を最後まで引っ張ることができ、観客にいい緊張感やヒントを与えることができるので、映画における“仕掛け”としては面白いものとなっている。 ただ、バカ正直過ぎるというか、ご丁寧過ぎるというか、あまりにもクド過ぎるのが難点だ。大統領暗殺事件を多角的な面から捉えるのは結構だが、あそこまで繰り返し描かれると「いい加減にしろ!」と思う人もいるだろう。 そもそも「羅生門スタイル」とは、同じ事件の受け取り方がそれぞれの主観等によって婉曲されるという点に面白さがある。同一事件が受け取り側によって同一ではなくなるので、事件の真相を炙り出すために繰り返し描く必要がある。いつまでも事実が変わらない同じ事件をここまで繰り返し描く必要があっただろうか。 また、豪華キャストを用いているが、キャラクター造型に関しては、ほとんど工夫がなく、個性が全く感じられないのも問題だ。 激しいアクションでも髪型や服装もあまり乱れていないデニス・クエイドが超人的なタフガイ過ぎることも問題だが、彼の内面が全く描かれていない方が問題だ。 過去に大統領暗殺を食い止めたもののシークレットサービスの仕事に“恐怖感”を覚えているという設定があまり活かされていない。 さらに、彼の存在を敵側が利用するという設定がややボンヤリとしている。 その他にも、何がしたかったのか分からないマシュー・フォックスや「弟!」を連呼する登場人物など、単純化されすぎたキャラクターばかりが登場する。 そして、自分の記憶が確かならば、最後の救急車を運転していたのは男性だったはずだが、最後にああいうオチを持ってくるのならば、運転手は女性という設定にした方がよかったのではないか。 あの女性はハビエルの弟を殺すのを躊躇していたので、あれがいい前フリにもなっただろう。「誇りに思う」と自爆テロを行う連中が一人の少女のために重大なミッションを諦めるとは思えない。 ラストはツメの甘さが目立ち、やや拍子抜けの幕切れとなった印象を受ける。 仕掛けやカーアクションなど、なんとなく面白かったと感じさせるが、あまり印象には残らない映画になってしまったのではないだろうか。 どこかもったいない映画となっている。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-13 00:33:10)(良:4票)
302.  ジャンパー 《ネタバレ》 
“テレポーテーション”という面白い素材を扱って、どうすればここまでつまらなくできるのかというほど、ヌルい。 脚本に中身が全くないだけでなく、肝心のバトルシーンにも見所はない。 どうしようもない理由で始まったジャンパー同士のバトルもあっけなく終わり、“パラディン”という組織のサミュエルとの最終バトルも拍子抜けだ。 サミュエルとのバトルには心理戦もないので、面白みに欠ける。 「ジャンパーには、以前こんなバカがいた」というネタを前フリにしているだけで、ヒネリがまったくなく、無策で特攻するヘイデンがあまりにもバカバカしい。 また、サミュエルは高圧電流の鉄線と謎のナイフを使うだけで、特殊な才能を有しない、ただのザコであり、あれでは盛り上がりようがない。 “テレポーテーション”能力を使って、サミュエルの裏をかいたつもりが、「実は俺もジャンパーなんだよ」とサミュエルにひっくり返されるいうサプライズで観客を驚かすような発想はないものか。 サミュエル以外にも“パラディン”の強力な刺客がいてもよかった。 「ボーン・アイデンティティ」と同じになるが、あの形式は悪くはない。 ヘイデンを追い詰めるジャンパーハンターとしては、魅力に欠けたのではないか。 ヘイデンへの追い込みの足りなさが目立つ。「ボーン・アイデンティティ」と同じ監督とは思えない。敵の組織が強ければ強いほど盛り上がるものだ。 ダイアン・レインというサプライズはあったが、はっきり言って“効果的”とは思えない使い方だ。ヘイデンが絶体絶命な場面でないとあまり意味がないのではないか。母親とハンターとの葛藤がまるで感じられないものとなっている。 レインだけではなく、劇中のキャラクターに喜怒哀楽が全くないので、キャラクターに一切の魅力を感じないものとなっている。 大金と労力を懸けて作り出した特殊効果を漫然と眺めるだけであり、非常に“長く”感じる90分程度の短い映画だ。 さらに、好きな人には申し訳ないが、ヒロインの女性に華がなさすぎるのもマイナスか。はっきりいって、主役の器とは思えない。 好きだった幼なじみをバーに見に行ったら、夢を壊されて愕然として、ヘイデンは立ち去ろうとしたのかと思った。 一番驚かされたのは、会話の途中で渋谷と銀座の間を超瞬間移動していたことだろうか。
[映画館(字幕)] 4点(2008-03-03 01:01:42)(良:1票)
303.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
子どもというのは、弱くて、勇気がなくて、ずる賢くて、残酷なものだ。アミールの姿をみて、自分の昔の姿を思い出した。トラブルからは逃げ出し、嫌なことは見ないフリをして、自己の責任を何かのせいにして回避するような子どもだった気がする。 アミール同様に、自分も普通のつまらない大人になってしまった。今でも自分には何か大切なものが欠けていると感じるときはある。本作を見ることで何か少しは変われるような気になれる。 どんなに遅いと感じても、確かに「やり直せる道はある」のかもしれない。 「友情の大切さ」「勇気を持つことの素晴らしさ」「自己に誇りを持つこと」「恥を知ること」という大切なことを考えるきっかけになるのではないか。 映画を見たくらいで、簡単に影響を受けるほど自分は単純ではないが、そんな自分でも何かを感じさせる「じんわりとした暖かさ」を持った映画だ。 また、人間としての“弱さ”は、逆に言えば“強く”なれる可能性があるとも感じられた。アミールもアミールの父も自分の“弱さ”を認めることができたから、あれほど強くなれたのではないか。親友の妻を寝取ったアミールの父親もアミール同様に“弱い”人間であるのは間違いない。パキスタンに向かうバスの中で彼があれほど強くなれたのは、自分の過ちを知って、自分の恥や弱さを痛感しているからなのではないか。 後編のカブール侵入は大変な決意や苦悩が必要だと思うので、もう少し葛藤を描きこめたらよかった。 人間は強くなれる生き物かもしれないが、それほど“強い”生き物ではない。死ぬ危険性を冒すのだから、彼の“弱さ”を今一度感じさせてもよかった。“弱さ”を描くことによって、彼の“強さ”がさらに際立つはずだ。 残酷なシーンは少々あるが(リアルさがないように配慮していると思う)、子どもにも見てもらえるように非常に分かりやすい映画になっているのが好感触だ。 時代背景やタリバン、アフガニスタンの知識を問われるようにはなっていない。 もちろん子どもだけではなく、大人にも見てもらいたい良作だ。 「友情」の象徴でもある凧揚げが見事に印象深く描かれている美しい映画である。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-24 02:56:47)(良:4票)
304.  ライラの冒険/黄金の羅針盤 《ネタバレ》 
原作未読、前知識は「ダイモン」だけという状態で鑑賞したが、だいたいのストーリーは理解できるようにはなっている。 しかし、三部作の第一作ということもあり、謎だらけで終わっている。 「ダスト」を含めてストーリーは謎だらけだが、面白みはまったくなく、「この続きを早く観たい」という内容にはなっていない。 単にストーリーを流すことだけにチカラを入れており、ドラマや盛り上がりに欠ける内容となっている。この監督(脚本も兼)には、ファンタジーを撮る才能はあまりなかったのではないか。 ロールプレイングゲームや「七人の侍」で面白いのは、仲間がパーティーにどんどん加わるところだ。本作も「気球使い」「よろいグマ」などが加わるが、そのリクルートにまったく面白みがない。 「魔女」が仲間になるのは恐らく今後明かされると思うが、「気球使い」を仲間にするためのエピソードがないと「なんでこの人たち一緒に必死で戦っているの?」と思ってしまうだろう。 「よろいグマ」エピソードもかなり馬鹿馬鹿しいものとなっており、彼らの絆の深さを感じるものにはなっていないのは致命的だ。 ライラとよろいグマの絆は本作のかなり重要なものとなるはずなのに、浅く終わっているのが本作の大きな問題だ。「よろいグマの王様」エピソード以外には、ライラの勇敢さ、強さ、弱さといった魅力を感じられない。 また、ファンタジー作品で重要なのは、敵がいかに強いかという点にある。 ラスボスが強ければ強いほど盛り上がるものだ。ラストの合戦を見て、興奮したという人はあまりいないのではないか。その理由は、敵が大したことないからだ。 クマが暴れ、魔女が弓矢を放ち、気球から銃を乱射する、そんな一方的なバトルを見ていてもまるで意味はない。 肝心なのはいかに不利な状況から逆転するかという点である。味方が追い詰められれば、それだけ面白みが高まる。 「よろい熊」の不利な状況もあまり大きな不利にはなっておらず地味すぎる。 本作の盛り上がりどころというのは、最後の合戦ではなく、よろいグマ同士のバトルと考えることも出来るが、あのバトルもクマ同士が殴り合っているだけで面白くはないだろう。 大金が投じられているため、リスクを犯さず、冒険していない映画となっている。 本作を見ても、ドキドキしたり、興奮したりはできないだろう。
[映画館(字幕)] 4点(2008-02-24 01:49:57)(良:1票)
305.  ブラック・レイン 《ネタバレ》 
雰囲気はとても好きな映画である。 昭和の影が残る大阪の街(「ブレードランナー」風にだいぶアレンジされているが)が貴重であり、高倉健が英語を喋ったり、彼が歌うのも新鮮だ。松田優作や若山富三郎の迫力ある演技にも驚かされる。 しかし、本質的な部分は同意できないところがある。 「ラストサムライ」には日本の“根”を感じることができるため同意できるが、「ブラック・レイン」の本質はやはりハリウッド風な誤解が溶け込まれている。 アメリカ人が異国の日本の文化に戸惑いながら、“日本流”に慣れていく構図はとても似ている。マイケル・ダグラスと高倉健の関係は、トム・クルーズと渡辺謙の関係に置き換えることもできそうだ。 しかし、変わってしまったのは、マイケル・ダグラスではなくて、高倉健の方だというのは、いかにもアメリカ的である。 “個人”を重んじるアメリカと、“組織”を重んじる日本の差が上手く活かされておらず、“個人”を重んじるアメリカ流の暴走に高倉健が付き合うというオチは必ずしも好ましいものではない。 そもそも「ブラック・レイン」とは、第二次世界大戦時の日本への爆撃の影響によって、雨が黒くなることだというセリフがあった。 敗戦によって、日本的な仁義が失われて、佐藤のような仁義も忠義もないマネー第一のアメリカ的な男が生まれてしまったことを嘆く代名詞が「ブラック・レイン」ではないか。アメリカ的なものを否定しておきながら、アメリカ的なオチの付け方では本末転倒だ。 もちろん、マイケル・ダグラスが何も変わらなかったわけではない。 殺された相棒チャーリーの復讐のために佐藤を殺すこともできたはずだ。 100ドルの原版をアメリカに持ち帰り、大金持ちになることもできたはずだ。 それを放棄したのは、もちろん“日本流”や“恥”や“自己や仲間を汚す”という概念をマイケル・ダグラスが感じ取ることができたからだろう。 このマイケル・ダグラスの変化がいいオチとして活きてはおらず、むしろ後付け的な感覚を覚える。ダグラスが高倉健に空港で原版を返すというのは、そもそも持ち帰る気満々だったということではないか。 “日本流”に相容れないアメリカ人が相棒を失い、本当の意味で孤独となり、“日本流”に迎合していく。異種の文化と交わることで“日本流”の悪しき部分も少々影響を受けるという流れが理想的といえる流れだ。
[DVD(字幕)] 6点(2008-02-11 02:04:44)
306.  恋人たちの食卓 《ネタバレ》 
メロドラマ風な安っぽさも感じるが、それぞれのエピソードが意外ときちんと有機的に機能しており、優れた映画として評価できる。 「親の気持ち子知らず」、「子の気持ち親知らず」というテーマがきちんと描かれていたのではないか。 父親としては、それぞれの娘に早く自立してもらいたかったのかもしれない。そうでなければ、三人の娘全員を大学に通わせたりはしないだろう。 二人が結婚し、もう一人も自立の目途が立ったので、ようやく行動に出たのではないか。 娘たちに自立してもらいたいが、娘たちに対する「愛情」も持ち合わせている。 日曜日の晩餐はその不器用な「愛情」の表れだろう。 しかし、父親のそんな気持ちを知らずに、長女と次女は父親の世話を重荷に感じながら、気まずい関係に陥っているのが、映画にとっていい味にもなっている。 長女の大学時代の失恋話も、次女(と自分自身)を納得させるだけの口実に過ぎなかったのかもしれない。 一番早くに実家を出たかった次女が、結果的に三女、長女、さらに父親よりも遅くまで実家に残るという構造が見事だ。 ラストも実に秀逸だ。「親の気持ち子知らず」、「子の気持ち親知らず」というテーマが見事に昇華されている。味覚を取り戻し、次女のスープの味が分かることで、「子が父を思う気持ちに、父が気付いたのではないか」と感じさせるものとなっている。 本当に美しいラストである。 やはり、アン・リー監督はアカデミー賞を受賞できるほどの才能を持ち合わせていると感じることができる。 撮影方法に関してもセンスの良さが随所に感じられる。 よくありがちな手法だが、レストラン内の撮影も見応えがあり、料理も非常に美味しそうに撮れている。
[DVD(字幕)] 7点(2008-02-11 01:59:43)(良:1票)
307.  ラスト、コーション 《ネタバレ》 
「ブロークバック」と骨格は似ているのかもしれない。「禁断の愛」「許されざる愛」「叶わぬ愛」を今回も描いている。日本人にとってはゲイの二人より、女スパイと狙われる男のシチュエーションの方がより共感できるような気がする。 男(イー)と女(ワン)の見事な「愛・欲情」が描かれている。二人が「欲情」に嵌まり込んで、溺れていく様が実に見事である。 男の視線から語らせてもらうが、ラストでは、イーの「純粋な愛」にワンが屈服してしまったのではないかと思う。宝石は、肉体的な愛ではない「純粋な愛」の象徴だろう。 何もかも信じられないと呟いたイーが、唯一信じることができた女性へ贈った「愛の象徴」に、ワンが最後に負けてしまったのではないか。 唯一信じることができた女が、スパイだったというのは皮肉的であり、悲劇だ。 ワンがイーの「純粋な愛」の魅力に徐々に惹かれていく様も上手く描かれている。「純粋な愛」の象徴である宝石を目にしたときに、「スパイ」としての自分よりも、「女」としての自分でいたかったのかもしれない。好きだったスパイ仲間の男性にキスをされた後に「もう遅い・・・」と呟くワンの姿が印象的だ。 自分自身すでにイーの愛情・欲情に溺れていることを自覚していることがよく分かるシーンだ。スパイの仲間の男が、もしワンに「愛」を与えていれば、間違いなく滞りなく任務を遂行しただろう。仲間を失い、自分自身が死ぬとしても、「純粋な愛」を優先させた女の生き様が見事だ。彼女は愛に生き、愛に死んだのかもしれない。 ワンが自殺をためらった理由としては、イーにけじめをつけさせるためだったのかもしれない。ワンは最後の最後の瞬間までスパイとして活動していた。やはり、イーを裏切っていたことには変わりはない。ワンが自分の信念に従って、仕事をしていたのだから、イーにも自分の信念に従い、自分の仕事を全うさせようとしたのではないか。「裏切り」に対する代償をワンの手によって、払わせたかったのかもしれない。他のスパイとは異なり、拷問をせず、綺麗な形で終わらせたのが、ワンなりの「愛」の証だったようだ。 アン・リー監督はさすがに凄いと感じさせた。この微妙な空気感を演出することができる監督はなかなかいない。激しいベッドシーンも見事である。上手く表現はできないが、男と女の聞こえない会話が聞こえてくるようだ。二人の感情がぶつかり合っている。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-11 01:53:08)
308.  アメリカン・ギャングスター 《ネタバレ》 
157分という上映時間にも関わらず、まったく飽きることがなかった。1970年前後という時代には生まれていないが、その時代を実にリアルに感じることができる完成度の高さには驚かされる。そればかりではなく、アタマが混乱するような分かりにくさがまったくなかった。この手の映画は、登場人物が多く、人間関係など初見では混乱するようなものが多いが、実に丁寧に練りに練られている。スコット監督とザイリアンの脚本の上手さには脱帽だ。 ストーリー的には派手さはない。実話がベースのため、驚くような展開はないのは当然だ。フランクとリッチーの二大スターによる壮絶なバトルがあるわけではない。追いつ、追われつの駆け引きがあるわけでもない。二人が直接対面するのは終盤の終盤だ(このシーンも実に印象的に撮られている)。 しかし、二人の直接対面に至るまでのそれぞれの紆余曲折が、最後に大きな波を作ったのがよく分かる仕組みとなっている。 真の「ギャングスター」とは、汚職警官のことを指すのかもしれない。 子ども時代のフランクが経験したように、警官が自分の家をメチャクチャにし、家族を平気で殺すようなところで育っては、ろくな大人にはなりようもない。 警官よりも、ギャングのバンピーの方が何よりも信頼できる街だったのだろう。 フランクの母親も語っていたが、本来ならばフランクは道を示すべきだったのかもしれないが、その道が腐っていてはどうしようもない。 犯罪がはびこる街を変えるためには、その街を仕切る人々がまず変わらなくてはいけない。警官が変われば、ギャングも変わり、犯罪やドラッグもなくなるのかもしれない。 フランクに対する感じ方は非常に難しい。 残虐性やドラッグ密輸に対して嫌悪感を持つことも出来るが、紳士的な振る舞い・家族を愛する姿勢に共感を持つことも出来る。 善や悪、白や黒に割り切れない微妙なグレイさをフランクに感じることができる。 上手く彼の感情を理解することは出来にくいが、ハリウッド映画にありがちな単純な内面とは異なる内面を感じることができるのも本作の面白さの一つだ。 野球選手に憧れていた甥が、フランクを憧れると言い出したのも面白いエピソードだ。 チンピラとは異なる、カリスマ性のあるカッコ良さを醸し出していた。 しかし、彼は犯罪者であることには間違いない。 出所した際のラストのシーンが何よりも多くのことを語っている。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-03 00:08:50)
309.  28週後... 《ネタバレ》 
ハリウッド大作にありがちな妥協がみられず、製作者の思い通りに映像化できたのではないか。ある意味では“本物志向”のゾンビ映画に仕上がっており、映像的には、かなり見応えがあるものとなっている。 毒ガスの扱い・ヘリコプターのプロペラや、神出鬼没のカーライルなどは必ずしもリアルとは言いがたいが、映画である以上目をつぶれるレベルだ。 映像面では見応えはあったが、ドラマに関しては、少々弱いとは思う。 キーワードとしては、「見放す」ということが全編を通して描かれていたのではないか。「夫は妻を見放す」(冒頭のキスと中盤のキスがリンクしているが、中盤のキスが悲惨な結果を招くのが面白い仕掛け)「アメリカ軍は民衆を見放す」。 どちらもやむを得ないケースであり、自己や他の民衆を守るための措置だ。 しかし、本作は「果たしてそれでいいのか」という問いかけをしているとも思う。 「兵士や科学者は姉弟を見放したか」「姉は弟を見放したか」「弟は姉を見放したか」を描くことによって、答えをきちんと描いているが、この答えに対するドラマに盛り上がりがやや感じられない。 特に、姉と弟の関係は、工夫次第では何らかの感動を与える仕掛けともなったはずだ。 「どんなことがあっても離れたりしない」と誓いあった割には、あっさり過ぎないだろうか。大きなクライマックスの引き金になるものだと期待していた。 父は母を見捨てたから悲惨な結果を招いたのだから、姉が弟を見捨てなかったことで何らかの“希望”が生まれてもよかった。 あまりリアリティのない“ミラクル”を描くと、全体の世界観を損なうかもしれないが、姉と弟の関係に対しては何かしらの工夫をしてもらいたかったところだ。 ラストの意味は、初見でははっきりとは分からなかった。 キャリアがヨーロッパ本土に辿り着いたことで、被害が本土に拡大したという見方が素直な見方だと思うが、ひょっとしたら、弟の血液からワクチンを作り出し、予防接種しておけば、噛まれたり、血液や唾液を飲み込んだりしてもゾンビ化しないで済むようになったのかもしれないという見方はできないだろうか。 前作同様に“絶望”というよりも、“希望”と考えたいものだ。 そうでなければ、姉と弟の絆や、姉弟を守ろうとした兵士や科学者の役割・行動が逆に悲惨な結果を生んだということになってしまう。さすがにそこまで悲惨ではないだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-02-03 00:03:32)(良:4票)
310.  プロヴァンスの贈りもの 《ネタバレ》 
アメリカでは、製作費35百万ドルに対して、7.6百万ドルの興行収入しか上げられなかった大コケ作品。本作は興行的には失敗作といっていいだろう。 特に、ストーリーらしきストーリーはなく、ラッセル・クロウがただ単にはしゃいだり、遊んだりしている映画なのかもしれない。 見る人によっては確かに飽きるだろう。 しかし、個人的にはこれは結構好きな作品だ。 夏休みにプロヴァンス、又は自分の故郷にでも帰ったかのような錯覚に陥るほどの心地よさを感じる。 日々の忙しさを忘れて、自分の少年時代を思い出しながら、ゆったりと時間が流れていく。 徐々に自分までもが癒されていくかのような感覚すら感じさせる映画だ。 美しい風景、美味しそうな食事、美しい女性たちにも酔いしれる。 「ブラックホークダウン」もそうであったが、脚本に書けないような微妙な空気感を描くことをリドリー・スコットは得意としているようだ。 このような演出が可能なのは、数少ないベテラン監督だけだろう。 まさに熟練した味わいを堪能できる。 仕事だけに生きる都会生活を捨て去って、田舎で静かに自分の人生を楽しむというのは、本当に憧れる生き方だ。 こういった逃避的な生き方は、アメリカ人には理解できないのだろうか(それとも十分に余裕があるのか)。 幸いなことに、今の自分はそれほど仕事が忙しくもなく(以前は月に200時間残業して何のために生きているのか分からないときもあった)、映画を楽しむ余裕があるのが救いとなっているので、完全に逃避する必要はないのだが、仕事や都会の生き方に疲れた大人に見てもらいたい息抜き映画だ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-02-02 23:51:06)(良:1票)
311.  ティム・バートンのコープスブライド 《ネタバレ》 
ティム・バートン監督の映画を評するには、月並みの表現であるが、本作の独特の世界観は素晴らしすぎると言わざるを得ない。 どの映画も素晴らしいが、本作が一番ティム・バートンの好みが色濃く出たような気がする。 「ひ弱な男」「横暴な男」「女性」「死体」「目が飛び出る」、ティム・バートン作品に欠かせないキーワードだ。 彼の頭の中で作られた世界を実写で描くのは相当難しく、本作のようなアニメだからこそ可能な世界が繰り広げられている。 また、死んだように暗く、陰湿な「生者の世界」(雨も効果的)と、明るく活気に溢れて賑やかな「死者の世界」の対比が実に見事だ。 ひどいセキをしていたメイヒューが死んでしまったとたん、若干性格が明るくなっているのが面白い。 この二つの「生者の世界」と「死者の世界」が融合して、最後には「生者の世界」にも活気が戻るという構図になっている。 短い上映時間ながらも、「ラブストーリー」「4角関係」「男の決意・成長」「男を巡るヒロインたちのやり取り」「花嫁を巡る感動」「美しいエンディング」と様々な要素が描き込まれている良作だ。 金銭目当ての男の描き方には、ラストだけではなく途中にも強引な展開があるが、目をつぶれる範囲だろう。 それにしても、ティム・バートン監督は骸骨のイヌが実に上手く表現できている。 「フランケンウィニー」でも描かれていたが、ティム・バートン監督は相当のイヌ好きではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2008-01-21 21:35:56)
312.  28日後... 《ネタバレ》 
普通の「ゾンビ映画」とは一線を画する映画だ。ゾンビからの襲撃から生き残って、危機的な状況から脱することをメインに描くのではなく、危機的な状況下における人と人との繋がりをテーマにしているように感じた。「希望」がないと諦めたり、自暴自棄になるの簡単なことではあるが、主人公とヒロインの関係性が深まることにより、何かしらの「希望」が生まれることを描いているように感じられた。人と人との繋がりには、「絶望」ではなく「希望」が生まれるといいたいではないか。 また、「殺し合うこと」が人間の本能だとしても、危機的な状況下だからこそ、その本能を捨て去ることが大事なのではないか。自暴自棄になって短絡的な本能に従うよりも、どんなに危機的な状況でも「希望」を捨てないことを訴えている。 現実の社会では、ゾンビに遭遇することなどないが、災害等いつ危機的な状況になるかは分からないものだ。 さらに、旅の道中で、主人公が意味もなくチーズバーガー屋に入り、ゾンビ化した少年を殴り殺すというシークエンスが実は結構重要なのではないかという気がした。主人公は、ちょっと暇だったから、ゾンビでも殺そうかと思い、チーズバーガー屋に入ったのではないか。この行動は、遊び半分で楽しみながら銃を乱射する軍のソルジャーとさほど変わらない行為だ。「殺し合うこと」の本能に従った行為であり、ソルジャー達と何も変わらないことを知り、主人公の中で何かが変わるきっかけとなっている。 「HELLO」で始まり、「HELLO」で終わるという構成も見事だ。確かに、挨拶こそ、人と人との繋がりの一歩なのかもしれない。「HELLO」と返してくれる人のいる喜びも感じられる。 DVDにはもう一つのエンディングが収められている。もう一つのエンディングは、銃弾を浴びた主人公がヒロイン達の手当の甲斐なく、あっさりと死ぬものであり、まったく意味のなさないエンディングだ。幸いにも、日本の初版の劇場公開版は、「DVD版」がエンディングだったと記憶している(もう一つのエンディング版も後発で劇場公開されたかもしれない)。 主人公が死ぬという絶望的なものを描くことは、本作のテーマとはそぐわないだろう。 危機的な状況でも「希望」を捨てないことがテーマであるから、「HELLO」で終わる、最後に「希望」をもたらすエンディングこそ、適切なエンディングだったのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2008-01-20 21:26:56)(良:1票)
313.  スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師 《ネタバレ》 
面白いとは思うが、期待感があまりにも高すぎたためか、やや不満なところもあった。強引なストーリー展開はミュージカルなので許されるが、ストーリーの膨らみがやや物足りず、さらに感情面に訴えてくる点が少ないような気がした。バートンが意識したのは、ストーリー展開ではなく、ミュージカルそのものだったからだろう。ストーリーを楽しむというよりも、ミュージカルとして視覚的・聴覚的に楽しませることを念頭において製作したものと思われる。 それにしても、バートンの世界観はさすがだ。どっぷりと彼の世界観に浸ることができた。陰湿極まりないが、どこかユーモアがある見事な世界だ。グロいけれども、これは品のあるグロさだ。グロさを極めたものだけが、到達できるグロさだろう。 デュエット構成のミュージカルは見応え・聞き応え十分だ。 メチャクチャ上手いというわけではないが、編集の上手さで盛り上がりのあるデュエットを堪能することができるのは、映画ならではのものか。 ストーリーとして面白いのは、トッドが妻の顔も娘の顔も分からなかったことだろう。 15年間の牢獄の中で、記憶から消えつつあったのは妻や娘の顔であり、克明に記憶に刻まれたのは、判事の顔や役人の顔だったのではないか。 彼は“復讐”に溺れていただけということがよく分かる。 「恋に恋する」という状況があるが、あれに近いものがあったのではないか。 なんのために復讐するのかが、トッドには分からなくなっていたのかもしれない。 復讐することでしか、自分自身をサルベージ(救う)できなかったようだ。 ラベットが「顔を覚えているのか?」と聞いたときに、トッドがつまりながら「髪は黄金色で・・・」と答えていたのが印象的だ。 欲を言えば、もっとトッドの悲哀を感じさせて欲しかったところだ。 “復讐”いう名の魔物に取り憑かれた男の哀しさを十二分には感じることはできなかった。そういった感情をミュージカルで表現せざるを得ないため、通常の映画のようには上手くはいかなかったのかもしれない。 ラストのクダリも少々物足りないのではないか。観客には妻の正体が分かっているために“復讐”に囚われた男の末路の悲劇に深みや衝撃があまりない。 ラストのオチはあれでやむを得ないだろう。贖罪を求めて、自分の死を受け入れるかのように自分の首を少々上げるトッドの姿には、さすがに悲哀は感じられるものとなっている。
[映画館(字幕)] 7点(2008-01-19 23:37:35)
314.  アース 《ネタバレ》 
渡辺謙版を見たかったのが、時間の都合上パトリック・スチュアート版を鑑賞することにした。ナレーションの意味は分からないが、落ち着いた語りに多少の抑揚をつけており、全体のイメージに即した好感触のものであった。 しかし、内容的には満足のいくものではない。圧倒される映像や驚かされる映像も期待よりも少ないと感じた。46億年の歳月を刻み込んだ“地球”の美しい造形などはほんの少ししかなかったのではないか。可愛らしい動物の姿を追うのが、まさか“地球”というテーマを描いた映画ではあるまい。ユーモラスな動きで観客の笑いを誘うのも大事なことだが、“地球”というテーマの本質部分とズレているのではないか。「ホッキョクグマのナヌーとゆかいな仲間たち」という映画ならば別によいが。 「ライオンVSゾウ」等の衝撃的な映像も確かに見られるが、もっと残酷的なところまで映してもよかったのではないか。そうしないと“自然の過酷さ”“何億年と繰り返されている自然の摂理”といった本質的なものが伝わらない。子どもも鑑賞するので、配慮したようだが、自然はそれほどヌルいものではないと気付くきっかけとなるはずだ。直接的に残酷なシーンは描けないにしろ、残骸程度は描いて、間接的に自然の残酷さを醸し出してもよかった。 「ディープ・ブルー」でも同様の手法を取っていたが、ラストでとって付けたようなナレーションは止めていただきたいものだ。内容が伴っていればよいが、あのナレーションを聞いても「地球のことをもっと考えよう」「地球の温暖化を止めよう」とは思えない。絶滅寸前のホッキョクグマを人間に見立てたところまではよかったが、地球の危機的な状況や、地球の悲鳴が聞こえるような映像を付け加えて欲しかったところだ。 「誰もが魅了される美しい地球」をきちんと描いた後に、「美しい自然が汚されて、自然が失われていく地球」を描けば、いい対比となり、いいメッセージとなったのではないか。「ディープブルー」でも述べたが、根気よく映像を撮り続ける職人ではあるが、クリエイターというわけではないようだ。悪く言えば、北極から南極へ南下しながら、映像を単に切り張っただけともいえる。しかも、あまり意味のない映像が切り張られているところがあるのが残念だ。 美しい圧倒的な映像で観客を魅了できれば、それだけでも十分メッセージになったはずだが、そこまでのレベルではないと思う。
[映画館(字幕)] 4点(2008-01-17 23:30:35)
315.  ジェシー・ジェームズの暗殺 《ネタバレ》 
誰かがいつ撃たれてもおかしくない、そんな凄まじいまでの緊張感が保たれている。この緊張感を保ち続けた技量には感服する。視覚的な構図など、非常にセンスを感じさせるので、そういった視点からも相当楽しめた。工夫されて撮影されており、撮影者はただものではない。 本作に描かれているジェシー・ジェームズ自体は意外と大した男ではないのかもしれない。常に疑心暗鬼に襲われ、仲間を疑い、仲間を背後から撃ち殺す。そんなどうしようもない男だ。決して「伝説」になるような立派な男ではない。 「現実」とは異なり、「伝説」は一人歩きして大きく膨らんでいくものだ。ボブは、その「伝説」に魅了されていた一人の男だ。しかし、アイドルはしょせん偶像である。 憧れていた男が実は全然大したことがないと分かったら、どうするだろうかという点が劇的ではないが、きちんと描かれていたと思う。 尊敬に値しなければ、自らがその「伝説」に終止符を打ち、自らが「伝説」を継承しようと考えたのではないか。または、愛情が深い余りに、「伝説」が虚構だとバレる前に「伝説」のままで幕を閉じさせたかったのかもしれない。 影が光を憧れるという構図としては、少々「リプリー」にも通じるところがある。 しかし、「現実」というものは冷たいものだ。 自らもその虚構の「伝説」に憧れたように、人々もその「伝説」に憧れている。 ボブは賞賛されるべき立派な“英雄”ではなく、「伝説の英雄」を殺した“裏切り者”“卑怯者”扱いされるのが、実にアイロニカルで面白いと感じさせた。 ジェシー・ジェームズも仲間を背後から撃ち殺していたが、彼は英雄であり、同じようなことをしたボブは裏切り者と蔑まされるのである。 面白いと感じたのは、ジェシー・ジェームズの最後の行動だ。 疑心暗鬼の塊だった彼が最後にソファーに銃を置いたのは、最後に仲間を信じてみたくなったからではないか。裏切られると思う自分の心が嫌になり、仲間を信じる気持ちに賭けてみたくなったように感じられた。 ジェシー・ジェームズがこのように「裏切り」に絶えず怯えていたとするのならば、ボブもまた「裏切り者」というレッテルを貼られるのを恐れていたのではないか。 だからこそ、観客のヤジに過敏に反応したのだろう。 「伝説」と「現実」、「理想」と「現実」、このギャップの溝にジェシー・ジェームズもボブも嵌まりこんだような気がする。
[映画館(字幕)] 8点(2008-01-15 00:34:45)
316.  コックと泥棒、その妻と愛人
ピーター・グリーナウェイ監督作品は初見。恥ずかしながら、今まで名前すら聞いたことがなかった。この度「レンブラント」の生涯を描いた新作が公開されると聞いて、監督のことを知り、監督の代表作である本作を見ることにした。本作については何の情報も持ち得てなく、タイトルからコメディ的な軽いものを想像していたが、見事に裏切られることとなった。 確かに、この才能は凄いと思う。 同じようなものを作れと言われても誰も真似できないだろうし、独特の世界観を構築できる能力は賞賛されるべきだ。 リアルの世界でもなければ、虚構の作り物のような世界でもない、白でも黒でもないグレイともいえる別次元の世界が存在している。 また、部屋のイメージの印象を濃くする「黒に近い青」「赤」「白」の色彩感覚に優れており、横に流れていく撮影方法も特殊であり、その撮影方法を取ることで色彩効果をより高めている。 現在「エルメス」のデザイナーでもあるジャン=ポール・ゴルチエが手掛ける衣装も素晴らしく、本作の世界観を深めている。 彼が手掛けた「フィフス・エレメント」よりもゴルチエらしさが発揮されているのではないか。 しかし、「面白いか」と問われた場合、「イエス」とは言いがたい作品だ。 エロ・グロには自分には一応耐性があるので、まったく苦には感じなかったが、“何か”を感じ取ることができなかった。 監督が想いを込めたと思われる人間の本能である“食”に対する美醜を上手く感じ取れなかった。醜さの中に潜む“美しさ”、美しさの中に潜む“醜さ”が自分にはピンとこない。 映画の“良し悪し”という判断というよりも、監督の感性に共感できるか、できないかの差なのではないか。 ピカソの絵を見て、素晴らしいと評価できる者がいる一方、子どもが描いたような絵だと酷評する者がいるようなものだ。 面白さは理解できず、この世界にどっぷりとハマり込むことができなかったものの、監督の才能を理解し、美しくも醜い世界観を構築したことを評価して、5点としたい。 本来ならば、0点か、10点かという作品なのかもしれないが。 マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレンの演技に圧倒されたことも低評価できない理由だ。この二人の役柄を彼らほど上手く演じられる者はそうそうおるまい。 特にガンボンが凄い。彼のイヤラシイ演技がなければ、本作の評価は高まることはなかっただろう。
[DVD(字幕)] 5点(2008-01-12 00:51:33)
317.  クライング・ゲーム 《ネタバレ》 
事前情報を全く知らずに鑑賞したため、かなり驚かされることとなった。 ファーガスがジョディ(ウィテカー)に「(ディルと)結婚しているのか?」と問い掛けたときのジョディの返答から、確かに違和感を覚えたが…。 鑑賞中は「写真よりも実物は意外と大したことないなぁ」と思っていたが、その直感は間違いではなかったようだ。 だが、単なる驚きを与えるばかりではなく、「性を越えた恋愛」、「人間の性(さが)」などをきちんと描いた傑作だ。 ジョディはファーガスが「カエル」だと分かっていたのだろう。 だからこそ、ファーガスにディルを託したのではないか。 ディルはまさに「サソリ」だ。 「カエル」がいなければ、人生という名の川を渡れない。 もし、ディルの秘密が分かったとしても、ファーガスは自分の背中からディルを振り落とすような真似はしないと、ジョディは分かっていたのではないか。 ファーガスは「カエル」だが、ただの「カエル」ではない。 「サソリ」に刺されても、「サソリ」とともに川の底に沈むのではなく、「サソリ」も生かして、自分も生きようとする「カエル」だ。 この「サソリ」と「カエル」のカップルは、肉体的には結び合えないかもしれないが、感情面においては、強く結び合っているのが、よく分かるラストだ。 誘拐した側と誘拐された側ですら、分かり合えたのであるから、ファーガスにとってはディルと分かり合うことなど難しいことではない。 それこそがファーガスの性(さが)だろう。 一番分かり合えなかったのが、自分の同志というのが、皮肉な結果となっている。 それにしても、フォレスト・ウィテカーが凄い。 「ラストキングオブスコットランド」でアカデミー賞主演男優賞を獲得できたのは伊達ではないようだ。 「ラストキングオブスコットランド」の演技よりも、本作の方がインパクトがあり、非常に印象に残る素晴らしい演技だった。
[DVD(字幕)] 8点(2008-01-10 21:35:27)
318.  ディープ・ブルー(2003) 《ネタバレ》 
「弱肉強食」「食物連鎖」を中心に圧倒的な映像によって綴られている。後半部分のような海洋での神秘的な映像を前面に押し出すとよりも、前半部分の「食うか、食われるか」という“過酷な世界”を中心に描いているのが特徴だ。たとえ、小魚であっても生き残るために、仲間とともに必死に防御している姿が印象的だ。「生きる」ことに対して必死の生物たちの活動をみれば、我々人類が欠けている何かを感じることができるのではないか。 ただ、「シャチ」だけはどこか異質のような気がした。海上における食物連鎖の長ともいえる存在のためだろうか。食うか、食われるかという世界において、“狩り”を純粋に楽しんでいるように思われる。子クジラを数時間も掛かって襲っておきながら、舌と下顎しか食べないというのはこの世界のルールにどこか反しているのではないか。そのため、シャチにはどこか“人間”的な部分を感じられる。シャチを上手く利用して、生態系を無視している“人類”への警告のようなものをチラつかせれば、ただのドキュメンタリーとは異なる奥深い映画に仕上がったのではないか。 そう考えれば、本作は単なる記録映画に留まっているように思われる。 単なる記録映画を作りたいのならばよいが、奥の深い映画を目指すのならば、ドキュメント映画であってもストーリーをきちんと構成するなり、強いメッセージなりを映像に込めるべきである。 「人は今日も海を傷つけている」と単に最後でナレーションするのはあまり好ましくない手法だ。映像でその想いを伝えないと映画としてのレベルの高さを感じさせない。 最高の映像を撮ることに関しての技術や情熱は素晴らしいと驚嘆させられが、クリエイターとしては評価しにくい。メッセージなどなく、貴重な映像だけを繋げたフィルムを作ろうとするのならば、最後の締めのセリフはややズレているのではないか。本編と関係ないセリフで締められてはせっかくの映像も台無しになってしまう。 そのような趣旨を込めたいのならば、人間の海に与えている影響や悪行をラストに少しは映してもよかったのではないか。彼らも取材中に目の当たりにしているだろう。 油まみれになった海鳥、海に大量放棄された排水・ゴミなど、ラストに1分ほどでもまとめれば、少々受け取り方が異なったものになるのではないか。 美しい海と、汚れた海を対比的に描けば、人類へのメッセージに繋がったと思われる。
[映画館(字幕)] 7点(2008-01-10 21:29:26)
319.  ブレイブ ワン 《ネタバレ》 
問題はやはりラストだろう。賛否両論というが、果たして「賛」という人はいるのだろうか。あまりのメチャクチャぶりに一気に熱が冷めるのを感じたほどだ。 しかし、「愛する者を殺されたから辛い」→「救いにはならないけど、悪い奴殺したり、復讐すればいい」というのが、脚本の趣旨ではまさかないだろう。 冷静に振り返ると、意図しているラストはまさにその逆ではないかとも思われた。 キレイ事を語り復讐を諦めさせるよりも、あえて復讐することを描くことにより、「復讐なんてしても、何もならない」と訴えているのではないか。あえて間違った行動を主人公に取らせて、反面教師としての役割を担わしているのではないかと思った。 しかし、タイトルを「ブレイブワン」と銘打っている。復讐することが「勇敢」だと言いたいのだろうか。本当の「勇敢な人」とは真逆のような気がするが…。 脚本の趣旨がどうであれ、演出上にも問題があると思われる。 「愛する者を殺された場合どうすればいいのか」「親しい者が犯罪を犯した場合どうすればいいのか」という問いかけのレベルにも達していない。 問いかけの前提として、フォスターとハワードが親密な関係にならなくてはいけないが、十分とは言いがたい。恋愛関係というわけではない人間同士の深い関係を描くのは難しいが、ジョーダン監督ならば可能ではないか。「法律を犯し、自分が傷ついてまで、相手を庇う」ほど強固な関係が築かれていない。さらに「動画という証拠」を持っているにもかかわらず、「法の裁き」を受けさせないことが理解できない。法の裁きを受けさせることができない冒頭の妻の自殺偽装事件とは意味が異なってくる。 また、ラストの余韻がまるでないのも問題だ。「復讐を終えたときに、いったい何が残るのか」を観客に何らかの方法で伝えないと、映画としての意味をなさない。本作は「昔の自分とは違う自分を生きなくてはならない」という締めくくりだったように思えるが、ナレーションで逃げるのはあまり好ましくない手法だ。言葉による説明も重要だが、それだけではなく表情や動作、雰囲気だけで伝えられなくては、映画の質が高いとはいえない。 「恋人を失ったことの心の空洞が、復讐を果たしたことにより、より大きく、より深くなった」ということをもっと伝えるべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 4点(2008-01-09 22:10:51)(良:1票)
320.  ペルセポリス 《ネタバレ》 
イラン革命、イラン・イラク戦争など時代の波に翻弄される監督マルジャン・サトラピの波瀾万丈の半生が綴られている。確かに凄い人生だとは思うが、心に訴えてくるものがあまりない。展開やテンポが早すぎて、単なるシークエンスの羅列でしかなくなっている気がする。そのためか、本作を見ても「自分も頑張ろう」「公明正大に生きよう」「○○人であることに誇りを持とう」といった感情面において上手く感じ取ることができなかった。自分が男性だからか、それとも日本人だからなのか、又はイランのことを何も分かっていないからなのか、何が原因なのかは分からないが、「本作のよさが分からない」というのが正直な感想だ。彼女の生き方に共感を覚えることができる人も多数いると思われるので、少数派の意見として述べておく。 逆に、共感を覚えることができなかった点が評価できるのかもしれない。赤裸々に語られており、自分の半生を美化しようとはしていないからだ。よくありがちな無理やり感動ストーリーに仕立てようとはしていない。自分を美化したくないという想いはよく分かるので、美化する対象を自分ではなく、父母や祖母にもっと上手くシフトさせればよかった。自分の娘が自国イランで収まり切らないことを知り、可愛い娘をヨーロッパに留学させた父母の決意は並大抵のものではない。一度目の留学で傷ついた際、結婚に失敗した際、自分が助かるために無実の者をハメた際など、祖母が時には優しく、時には厳しく接してくれたシークエンスなどは処理の仕方でもっと感動を呼び込めたはずだ。 また、一番のコア(核)は“イラン人であることをマルジャンがどう思っているのか”という点ではないかと思う。 ウィーンでの留学中に「自分をフランス人だと偽った」シークエンスが紹介され、ホームレス時代に気管支炎で倒れた際に「自分の住所をイランだ」と訳が分からず回答し、最後のタクシーで「どこから来たのか」と問われた際に「イランだ」と答えている。 こういった彼女の変化がどこか上手く処理し切れていない気がする。自己の出自、自己のルーツに誇りがもてるのかという点をもっと訴えてもよかったのではないか。 ただ、アニメのセンスはなかなかだ。 随所でアニメであることの利点を上手く引き出していたと思われる。 特に、王子様のような恋人が一転してダサいオトコに様変わりするところはなかなか素晴らしいセンスだ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-07 23:26:12)(良:1票)
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