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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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341.  ポロック 2人だけのアトリエ 《ネタバレ》 
今や1枚164億円という世界最高額で取引されるほどになったジャクソンポロックの作品を一度だけ実物を観たことがあったが、あまりの迫力と情熱に度肝を抜かれた記憶がある。自分が画から印象を受けたのと同様に、本作ではポロックの情熱的で壮絶な人生を描き切られている。 自分の作品に「青が強い」といったケチを付けられ、酔った勢いで自分の作品を変えようとするものの、その動きをフリーズする姿がとても印象的だ。それだけ自分の作品に魂を込め、完璧さを求め、自分の作品に自信をもっていたのだろう。 また、彼の弱さも実に印象的だ。画が売れずに母や兄の嫁に馬鹿にされるのを我慢できず食卓をメチャクチャにしてしまう姿や、大成功を収めたものの映画監督にいいように弄ばれ、自分の思い通りにならない憤りから、自分は「エセ」ではないと食卓をひっくりしてしまう姿には自己顕示欲の強さも窺える。雑誌などの記事に一喜一憂する姿もその表れだろう。自分の欲を満たせず、結局は酒に逃げ込んでしまうのも、彼の弱さでしかなかった。 そんな弱いポロックを支え続けたリー・クラズナーの人生もとても印象的だった。彼女が支えなければ、ポロックは恐らくニューヨークで酒に溺れて行き倒れていただろう。大成功を収めた後、ポロックとリーの二人の見つめ合う姿には、なんとも表現しようのない「重み」が感じられ、二人で手にした「成功」を噛み締めて、お互いを称え合っているように感じられる。 リーには、妻という生き方、母という生き方、画家という生き方という三択の生き方を選ぶことができたはずだけれども、画家ポロックを背後から支え続ける妻という生き方を選んだ。それだけ、ポロックの才能を信じきっていたのだろう。しかし、共倒れを避けるために、自分という生き方を殺して、ポロックの影になるという生き方を選ばざるを得なかったのも悲劇的だった。恐らくポロック以上に子どもを欲しかったのはリーだったのかもしれない。 ポロックの死後は、ポロックから開放されて、画家という生き方を選び、再びリー・クラズナーという人生を正面から歩み始めることができたのではないか。 ポロックの事故死には、飲酒の事故というだけでなく、酒に溺れて画を描くことができなくなってしまったことに対して自己を破滅させたい衝動に駆られたようにも感じられた。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-05 00:28:46)
342.  女王陛下の007 《ネタバレ》 
前5作と比較すると本作が映画としてのレベルが一番高かったように感じた。 リアリティを無視し、荒唐無稽さが目立ち始め、やや道を外しかけたこのシリーズを俳優交代を機に原点回帰させようとした関係者の熱意が伝わってくる。映画としては素晴らしい作品に仕上がったが、当時の観客には受けなかったのが残念で仕方がない。リアリティをとことん重視した本作(カジノロワイヤルへの対抗か)の興行的な失敗により、本シリーズの方向性は、最新テクノロジーをふんだんに盛り込んだ非現実的な路線へと進むことになったといえよう。 とにかく、本作のリアリティ度は目を見張る。ボンドが一発軽くぶん殴ったら、普通ならば、その名前のない者は即座に退場させられるのがシリーズの流れである。しかし、本作では5、6発ぶん殴っても倒れない。しばらく倒れたとしても、すぐに起き上がって、またボンドに向かってくる(ボンドは顔に傷を負う)。敵から銃弾を浴びせられれば、頬をかすめるほどのギリギリを通過する。スキー板は外れ、敵からは血も噴出す(血は意外と珍しくないか)。油を触れば、当然油まみれにもなり、役に立つのは特殊機械ではなく、ポケットの生地というこだわりだ。金庫を開けるために特殊機械を使用したとしても、数秒で開くことはなく、長時間を要する(これにより緊張感も生じる)。敵から全力で逃亡すれば、疲労までもする(スケートリンクで呆然としている)。仲間は役に立たず、拷問にあえばあっけなく白状するのもリアリティのこだわりだろう。 エンディングもシリーズを無視した挑戦ともいえるが、このエンディングはアメリカンニューシネマの影響を受けているのかもしれないとも感じた。 このエンディングを踏まえると、若さゆえの熱さ、青臭さ、脆さを感じられるレーゼンビーでよかったのではないか。コネリーやムーアでは本作の良さは半減しただろう。 ただ、もろ手を挙げて賞賛するわけにもいかない。①レーゼンビーのボンドは、ボンドとして何かが足りない。ボンドとしての魅力を出し切れていない(ただの若いスパイ)。②女王陛下の諜報部員としての自分と、一人の感情のある人間としての自分との葛藤がそれほど感じられない。③ラストの涙には愛する者を失った哀しみは十分感じられるが、「諜報部員っていったい何だ」という嘆き・重みに欠ける。逆にボンドからハットを受け取るマニーペニーの涙には重みがあった。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-03 01:10:14)(良:3票)
343.  父親たちの星条旗 《ネタバレ》 
この映画に「答え」はないのかもしれないが、「真実を知ること」の重要性を問いかけている作品だと思う。 ドクはイギーの死の真実をイギーの母親に伝え、アイラはハーロンの父親に星条旗の写真に映っているのがハーロンであるという事実を告げる。 そして、ドクの息子ジェームズは硫黄島で起こったことの真実、父がアメリカで行ったことの真実を知るのである。 この真実をどのように受けとめるかは、この映画を観た我々にイーストウッドから託されたことだ。 「反戦」でも「アメリカの欺瞞」でも良い。この真実から何かを受けとって欲しいというメッセージはしっかりと感じられた。 演出や脚本においても以下のような見事な工夫がされている。 【三つの舞台】①硫黄島の戦い、②英雄に祭り上げられ、戦争国債の宣伝に駆り出される日々と真実に目をつむり、偽りの勝利に歓喜する国民の姿、③現代(父ジョンの生き様を探る息子)という三つの舞台が目まぐるしく描かれていく。 しかも、それぞれの時間軸がずれているから、初見ではなかなか分かりづらいかもしれないが、それぞれ舞台から小出しにされた情報が見事に底辺を形作り、それが山となって、頂上(真実)を炙り出しているのが見事である。 【三人の英雄】二本目の星条旗を掲げた六人のうちドク、ギャグノン、アイラの三人の帰国時の対応は見事に異なる。 ギャクノンは英雄の名声を利用し、将来に対するコネクションと地位を恋人とともに築こうとする。 アイラは英雄と扱われることに激しい拒否反応を示す(上官に飲んだくれと罵られ、戦場に戻されるのはまさに欺瞞であり、戻される前に母親に会いたいと頼んでも、「英雄」であるはずの彼の頼みは受け入られない)。 一方、ドクは「英雄」と扱われることに対して、態度を明らかにせず、口を閉ざしたままだ。彼の寡黙さは見事にイーストウッドの問いかけになっている。 彼はギャグノンとは対照的に、恋人を近くに置くことはしない。戦争国債を宣伝することは必要悪と捉え、任務はきちんとこなすが、自分を決して「英雄」とは思っておらず、利用することも当然考えていない。その苦痛は彼を戦争後も寡黙にさせている。 三人の母親(マイク、ハンク、フランクリン)に会ったときの三者の異なる態様も実に見事な問いかけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-31 00:32:55)
344.  サンキュー・スモーキング
本作は「インサイダー」のようなタバコ業界の内幕を暴露するような映画でもなければ、マイケルムーア作品のようにタバコ業界を糾弾するような映画でもなく、「スーパーサイズミー」のようなタバコの害を体験しながら明らかにしていくドキュメンタリーでもない。 本作はタバコ業界を舞台にした人間ドラマである。しかも、タバコ業界に関与している者同士の利権や思惑が交錯する複雑なものではなく、根っこは「親子」の在り方を描いた作品である。なぜ、タバコ業界を描きながら、親子の話がでてくるのかと感じた人もいたのではないだろうか。<以下ネタバレ>タバコに害があるというのは、大人であれば誰でも分かることだ。害があると知りつつ、タバコを吸うのには誰に責任があるのだろうか。 本作では「本当にタバコ会社に責任があるのだろうか?」という問い掛けをしている。話を変えれば、「肥満の責任はマクドナルドにあるのか?」「クルマの事故は自動車会社にあるのか?」「殺人の責任は銃器メーカーや刃物製造会社に責任があるのか?」「飲酒運転はビール会社や自動車会社に責任があるのか?」という問題と同視できるのではないか。責任の一旦はあるのかもしれないが、(タバコには中毒性という問題があるかもしれない)これらに起因する責任は「自己責任」ではないかという問題提起をしているのが新しい。各人が自分の行動に責任をもてるようにするためには何が必要なのか?という答えに対して、本作では「教育」という問題を取り上げている。学校での教育ではなく、家庭での教育である。本作では、父と子どもが向き合って話し合い、ありのままの父親の姿を見せ、子どもに考えさせ、子どもを成長させ、時には、子どもに励ましてもらい、子どもに対して恥ずかしくない生き方を示していく。お互いがお互いを成長させるという理想的な姿をユーモラスに描き出している。訴訟大国アメリカにおいて、タバコにドクロマークをつけるかどうかというように問題をすり替えることで決着させるのではなく、本質的で当たり前の部分を突いているという点に対して、とても新鮮で驚かされることとなった。 本作の上映前に同監督の短編「In God We Trust」という作品も特別に併映された回を鑑賞することができた。結構、他の観客には大いに受けていたが、それほど笑いのレベルは高くはないと感じた。本作がDVD化された暁には、この短編も付録につくのかな。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-24 00:03:24)(良:1票)
345.  007/ゴールドフィンガー 《ネタバレ》 
演技・演出・特撮、現代の映画に比較するとすべて稚拙に感じるが、60年代という時代を考えれば、仕方ないかもしれない。やや稚拙さは残るが、初期のボンド作品の中では一番よかったかもしれない。脚本はかなり練られており、約2時間ダレルこともなく、高いテンションを維持し続けているのは評価できる。 今回のボンドは他のレビュワーが指摘されているとおり、何も役に立っていないように感じる。だが、そこが逆によいのではないか。ボンドといっても不死身の人間でもなく、生身のただの諜報部員である姿が描かれている。「グランドスラム計画を知っているぞ」「俺を殺しても008が派遣されるぞ」といった苦し紛れの脅しをかけ、起死回生の発信機付きのメモも結局役に立たない。おまけに、捜査が上手くいっているかのように、逆にゴールドフィンガーに利用される始末である。 ボンドが超人的な大活躍をして孤軍奮闘して組織と対決し破滅に追い込むという非現実的なストーリーではなく、寝返ったプッシーの通報により、軍が制圧し、核爆弾もボンドではなく別の者が止めるという「人間ボンド」が描かれている点が面白いのではないか。 ボンドが役に立ったことは、プッシーを寝返らせることである。レズビアンであるプッシーを寝返らせることができる者といえば、ボンドにしかできないことだ。スーパーマンではないボンドが、ボンドの唯一の魅力を使って、自己の役割を担い、他者が事件を鎮圧するという流れは、非現実的な世界において、とても現実的なストーリーである。 また、姉を殺され復讐に燃える善良な女性を登場させてすぐに退場させるというのも、シリーズでは珍しいが、現実的な話と思われる。 そして、作成上の工夫もされていると思う。冒頭のメキシコでの感電は、ラストのオッドジョブ戦に繋げられており、飛行機内でのプッシーとの会話は、ラストでゴールドフィンガーのオチに利用されている。 やや残念だったのが、前二作に比べて国際色が薄まったところだ。メキシコ→マイアミ→イギリス→ゴルフ場→スイス→ケンタッキーという行程を進んだが、メインの舞台がアメリカのため視覚的な印象は薄かった。スイスでの見せ場をもう少し工夫すべきだったかもしれない。人種としては、ゲルトフレーべはドイツ人、ハロルド坂田は日系、アジア系の職員、中国の核研究家という相変わらずの布陣を敷いており、努力はしていると感じられる。
[DVD(字幕)] 7点(2006-10-22 22:08:32)
346.  ミッドナイト・エクスプレス(1978) 《ネタバレ》 
映画のタイトルが、なんといってもしびれる。「ミッドナイトエクスプレス」とは、受刑者たちで使われる隠語で「脱獄」を意味する言葉。この幻の列車に乗るのか、乗れるのか、それとも待ち続けるしかないのか…。そもそもこんな列車は幻想に過ぎず…、受刑者が、監獄という「絶望」の中で生き続けるためにすがりつく、単なる希望に過ぎないのだろうか。本作のタイトルの意味を知っただけで、かなりの儚さを感じさせる。 本作のような作品というのは、関係者に対して影響力が大きく、力をもった映画である。 アメリカ・トルコ間での受刑者の在り方を変えたというだけではなく、本作を観れば、誰しもヤクを密輸入しようとは思わないはずだろう。ヤクの密輸入がもはや軽い行為でないと分かるはずだ。政治だけでなく、海外へ渡航する一般市民までをも変えるだけの力を持つ映画という点で評価は高くなる。 また、犯罪が自分自身だけでなく、自分の周囲の関係者をも不幸に貶めることであることがきちんと描かれている点において、本作が他の犯罪を含めた犯罪への抑止力にもなるだろう。 本作のストーリーに関して、自業自得という意見をもつのも分からないではないが、本作の問題はその一言で済まされるものではない。犯罪者(加害者)の人権を過度に必死になって護ろうという動きには個人的には否定的であるが、本作では人間が人間として生きる権利さえ奪われていることが一番の問題であり、さらに、犯した犯罪に比して、下された不当な判決、不当な手続きによって拘禁され続けたという点にも問題がある。 スーザンとの再会シーンは、まさに衝撃である。人間としての本能を抑えきれないほどギリギリの精神状態になるまで、追い詰められているということがよく分かるシーン。やはり、人間を発狂させ、廃人に追い込む非人道的なやり方は認められるものではなく、自業自得を超えた世界である。 DVDの特典には、ビリー本人もちらっと出ていた。映画の監獄セットに対して、当時を思い出し、あのときの恐怖を思い出すといったナレーションがあったが、本作のどこまでが真実なのだろうか。しかし、日本でも近年(2002年ごろ)、中国でビラを配っただけで不当に1年半ほど拘禁された事件があったところだ。本作に描かれたことは、まだまだ過去の事件とは済まされないようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-10-08 02:16:00)(良:1票)
347.  レディ・イン・ザ・ウォーター 《ネタバレ》 
アメリカではシャマラン作品としてはかなり苦戦した興行収入となり、ブエナビスタ(ディズニー系)が製作に二の足を踏んだため、ワーナーと手を組んだという、あまりいい評判も聞くことはなかった本作であるために、まったく期待していなかったが、正直いってそれほど悪くはないと思う。 シャマラン監督というのは、意外と不幸な監督であり、シックスセンスの大成功により、「どんでん返し」や何か絶対に「裏」があるのではないかと、絶えず観客から変な期待されてしまう。本作には、そういった「裏」はまったくないし、自分もシャマランにはそういうものを期待しなかったから、本作を純粋に楽しめたのかもしれない。思い切って、冒頭にテロップで「本作は最後まで特別なことは起きませんので、期待しないでください」とでも流せばよかったのかもしれない。 酷評したくなる気持ちは分からないでもない。ストーリーは単純で「水の精をみんなで協力して、元の世界に帰してやる」というだけのものである。裏も何もない、本当に純粋な「おとぎ話」にすぎない。いい大人が見れば「クダラネェ」と思っても仕方がない。 しかし、自分は子どもに返ったようにワクワクしながら「マンションの住民」を応援できた気がした。「水の精」に疑いすら持たない住人たち、誰も彼も協力を惜しまない住人たちに普通ならば違和感を抱くかもしれないが、別にそれでもいいじゃないだろうか。このマンションは、シャマランの描く「理想郷」なのだから。人間はみな善良で、それぞれ役割を持ち、生きている意味や目的があるという、シャマランの理想がここには描かれている。シャマランが込めた願いとしては、子ども達にはこういう大人になって欲しい、大人には、子どものような気持ちに戻って、純粋で清らかな心を思い起こしてほしいということだろう。 個人的には、あんな狼みたいな生き物で、音や衝撃だけのコケオドシは止めて欲しかったが、人間の理想郷を描いた本作では人間の形をした生き物に「悪」を担わせることをしたくなかったのだろう。自分には、そういう理想はないので、あの狼を操る「悪者」がマンションの住人の中にいるという設定にした方が、より万人に好まれる作品になったのではないかと思う。 大人向けでもなく、だからといって子供向けの作品でもなくなってしまい、ターゲットを失ってしまったのが、本作の興行面の失敗の理由のひとつだろう。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-02 21:19:39)(良:3票)
348.  殺しのドレス 《ネタバレ》 
「殺人」+「目撃」+「追いかけっこ」+「エロ」+「二重人格」+「夢オチ」=「ブライアンデパルマの極上のサスペンス」の出来上がり。 まさにブライアンデパルマのフルコースをお腹いっぱいに食したという印象。デパルマが好きな人ならば、絶対に満足ができるだろう。 なんていっても「カメラワーク」の素晴らしさには、惚れ惚れとする。 クネクネと動いたり、寄ったり引いたりと「どうやったらこんな動きを思いつけるのか」と感心せざるを得ない。独特のカメラワークの動きを存分に楽しんでいただきたい。 「犯人は誰か?」とか「これパクリじゃねぇ?」とかつまらないことは気にせずに、オープニングクレジット明けの30秒ほどでいきなり女性の裸が登場する「デパルマワールド」を存分に堪能するのが、本作に適した鑑賞方法でしょう。 デパルマには、「アンタッチャブル」や「ミッションインポッシブル」といったヒット作があり、本作よりも質の高い作品(ミッドナイトクロス、カジュアリティーズ)も多数あるけれども、「彼の代表作とは何か?」を問われれば、自分は間違いなく本作を挙げるだろう。 バレバレの犯人、あっけない幕切れ、メチャクチャなストーリー、力の入れ方が間違っているだろうと突っ込みたいほど熱を入れた美術館のシーン(音を一切使っていないシーンもあり)、自分の嫁の使い方など、あらゆる点において、ブライアンデパルマが極めた己の頂点の作品といってよいだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-29 00:03:03)(良:1票)
349.  サルバドル/遥かなる日々 《ネタバレ》 
本作を観て、大きく二点について考えさせられた。「エルサルバドルの当時の現状」、「ジャーナリズムの在り方」である。 エルサルバドルという国自体は知っているものの、自分は国際情勢には疎いため、政府によって国民が殺されていたという映画において描かれている「事実」を全く知らなかった。 このような事実を世に知らしめる手段の一つに映画がある。ドキュメンタリーとは違い、フィクションが多少含められているとは思うが、映画の果たすべき役割の大きさを感じる。 また、本作では、共産主義を撲滅するという名目のために、アメリカがエルサルバドル政府を軍事支援し、軍事支援されたエルサルバドル政府は、共産主義だけではなく、無実・無害のただの国民までも皆殺しにしているという現実を告発するものだ。ベトナム戦争での反省が全く活かされておらず、歴史が繰り返されている悲劇には怒りを覚える。 さらに、アメリカが軍事支援することによって生じた多くの移民を強制送還してしまうという一種の「矛盾」が痛々しい。 そして、本作では「ジャーナリズム」とは何かを感じさせる。ボイルは、スクープ狙いで金儲けが目的だったのかもしれない。ジョンに比べて軽薄であり、思想や信念も強いものではなく、体制側にも依存するように、「ジャーナリスト精神」は薄弱かもしれない。 しかし、悲惨な光景を目の当たりにして、徐々に怒りに火がつき、「真実を伝えなくてはいけない」という精神が彼の中で膨らんでいった気がする。ジョンのような初めから真面目な男ではなく、ボイルのようなどうしようもない男だからこそ、何かを共感できた気がする。 国境付近での一悶着後の談笑には、自分を殺そうとした男たちと、談笑できるくらいの度胸と、後腐れのなさがないと、この仕事は勤まらないのだよというメッセージにも受け止められた。 ジェームズウッズがかなりの好演をみせていたが、危険な撮影方法などを巡り、現場ではかなり監督と揉めたようだ。完成後に、彼が映画館で鑑賞した際に、エルサルバドルの人から握手を求められたことで、少しでも自分の演技が何らかの役に立ったのならばよかった。そういう意味では本作に出たことを誇りに思うし、監督と仕事をできたことを感謝していると述べていたのが印象的だった。
[DVD(字幕)] 7点(2006-09-07 00:39:01)(良:1票)
350.  ヴィデオドローム 《ネタバレ》 
グロテスクで意味不明な映画というわけではなく、完全には理解できないけど「メディアの危険性」に警鐘を鳴らしている作品。かなり時代を先取りした良作ではないだろうか。おそらく当時の人は、突飛すぎていてあまり理解はできなかったと思うけど、今観れば少しは理解できると思う。 現代社会を踏まえれば、本作に描かれていることは大部分が現実化していると思う。 本作でジェームズウッズが体験したことを現代に置き換えると、「インターネットやDVDを通じて反社会的かつ、より刺激的な画像や動画に多くの人が群がる(劇中では「ビデオドロームへの関心」)」→「現実(リアル)と擬似(ヴァーチャル)の区別がつかなくなる者の増加(劇中では「ジェームズウッズの妄想」)」→「リアルとヴァーチャルの区別がつかなくなることによる犯罪の増加(劇中では「ジェームズウッズのテレビ局襲撃」)」→「現実からの逃避(メディアの世界にのみに生きるひきこもり)(劇中ではラストで「ジェームズウッズが自己の肉体を殺して、テレビ(ビデオ)の中で生きようとしたことの現われ」」という流れになると思う。 また、何年もの前に亡くなった俳優やミュージシャンが、亡くなった数年後でさえもCMに出演したり、CDを続々とリリースし、亡くなっているにも関わらず、まるで生きているかのような活動をする現象も、オブリヴィアン教授で見事に表現していると思う。 25年もの前に、このようなメディア社会の未来をずばり描いている点は凄いとしかいいようがない。 しかしながら、そうは言っても、刺激的な画像や映像によって、人々を反社会的な行為に走らせないようにしているのも事実だろう。人々はメディアを通じて疑似体験することにより、暴力的な衝動や性的な欲求を緩和することができ、犯罪が抑止されている。 本作は、その両面をカバーしているのではないか。メッセージ的には刺激的なメディアによる暴力行為増加への警鐘を鳴らすとともに、視覚的にはより暴力的な映像を駆使することにより、人々の暴力的な欲求を抑える働きをみせていると思う。 だから、クローネンバーグの映画はいつもグロテスクで暴力的なのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2006-08-29 00:27:02)(良:3票)
351.  ギター弾きの恋 《ネタバレ》 
ジャンゴと「愛」に対して病的にまで怯える男エメットをショーンペンが実に繊細な演技で演じている。 自分の気持ちをストレートに表現することができずに、ネズミの射撃行為や汽車を眺めることに逃げてしまうのも、彼の不器用さや孤独感を印象付けている。 感情を表に出すことを嫌がっているエメットだけれども、彼の奏でる音楽にはどことなく孤独感や寂しさが伝わってくる感じがした。 そして、彼の音楽を聞いているときのハッティの表情が素晴らしい。言葉を発することはできなくても、彼女の表情が様々なことを物語っている。彼の演奏に心酔していることが、サマンサモートンの表情によって見事に演じられていた。 また、アレンの演出も冴えていた。途中途中で入るアレン本人やジャズ関係者のセリフがいいアクセントになっている。 架空の人物であるエメットレイという人物をリアルに描けるという効果が生じるだけではなくて、こういうシーンを挿入せずに、もし、ただただエメットの人生だけを描いたのとするならば、話が散漫になり観客が飽きてしまうのではないか。 この手法は観客を飽きさせるのを防止するとともに、一本の映画としてストーリーを引き締める効果もあると思う。エメットの生涯を無理なく描こうとしようとすれば、エピソードが飛び飛びになってしまう。ハッティとの出会いやブランチとの結婚を無理なく一本のストーリーに収めるために、アレンや関係者に概要を語らせた後に、当該エピソードに繋げていっているのでとても分かりやすくなっており、映画がとてもスムーズになっている。 「このエピソードには諸説あって…」というような発展型にも応用されていて、アレンのユーモアも感じられる。 そして、なんといってもラストのエメットの「I mistake」が実に胸に突き刺さる。見栄っ張りで不器用な男が犯した間違い。後悔したとしてももう戻れない彼の過ちが重さが、自分の命であるギターの破壊に見事に投影されている。
[DVD(字幕)] 7点(2006-08-22 00:31:29)(良:1票)
352.  マッチポイント 《ネタバレ》 
少し期待しすぎたのかもしれない。ぎりぎりで7点を付けたいと思うが、手放しで絶賛できる映画ではなかった。 ロンドンで新境地をみせたと言われており、確かに今までのアレン作品とは一風趣きが異なるような気もしたが、このストーリーならばどうしても「重罪と軽罪」を思い出してしまうだろう。しかも、苦悩する主人公が、そこにはいないはずの者と会話する手法も「重罪と軽罪」で使われている手法でもあり、なんら驚きもない。アレン映画が好きな人ならば、むしろ失望に繋がるシーン。「重罪と軽罪」という本作よりも素晴らしい作品を知っている者には、本作はあまり高い評価は期待できないと思う。 「重罪と軽罪」になかった要素としては、「運」というものがあったと思うが、あまり「運」が効果的なポイントになっていたとは思えない。 「オチ」には一役買ったとは思うが、「運」に翻弄される人々という感じには受けなかった。様々な偶然や運があったから、確かにこのような展開になったのかもしれないが、もっと「運」が効果的な使われ方をした方が良かったのではないか。「浮気」がばれそうになったときに「運」によって救われるとか、または「運」によって浮気がばれそうになり、窮地に追い込まれてるとか。「結婚」や「仕事」にも「運」がもっと関わってきてもよいだろう。 鑑賞前には、強い野心を抱く主人公が、「運」によって救われたり、「運」に見放されたりして、「人生」がどんどん転がっていく、そんな男の人生をみれるのかなと思っていたのだが、どうも本作の主人公のクリスという男の考えていることがよく分からなかった。確たるビジョンもなく、言われるがままに結婚し、言われるがままに仕事に就き、なんとなくノラに惹かれ、ただひたすらに身体を求める。「運」に賭けるというよりも、ただひたすらに流れに身を任せる平凡の男にしか映らなかった。もっと、クリスの人物像に深みがあれば、面白くなったかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2006-08-20 01:55:12)
353.  セプテンバー 《ネタバレ》 
雰囲気やセリフなど、かなり質の高い優れた映画だと思う。 男女6人のそれぞれの満たされない想いが実に切なくて哀しい。そして、分かっていてもどうしても愛を求める姿や、代替的な愛に逃げてしまう姿に、人間はなんて弱々しくてもろい存在なのかと感じる。まさにfragileという言葉がぴったりの映画だ。 愛したくても愛せない、愛されたくても愛されない、そんな想いに対する答えはみつからないのかもしれない。ただ、人は出会い、そして別れていく。時が流れて、季節も変わる。夏が終わり、そして秋が訪れる。満たされない想いが癒される一つの答えは、時間だけなのかもしれないという情感あふれたラストになっている。 本作では、男女の愛だけでなく、母娘の愛についても描かれている点も面白い。やはりお互いの気持ちが向き合うことはないのだが。 レイン(ミアファロー)の母親も自己中心的でありながらも、レインに対しては強い愛情をもっている。一人でコックリさんをやっている時の表情や、ピーターとレインの仲を取り持とうとダンスを勧める様子などをみても分かる。ただ、愛情は持っていても、その愛情の示し方や、レインに対する接し方が分からないだけなのだろう。レインの母は、過去のことは過去のことと割り切るタイプなので、過去に囚われて前に進めなくなっているレインとどのように接していいのかが分からないのは無理がない。 一方、レインは事件のことも、家のこともすべてを自分に押し付けて、勝手気ままに生きる母親に対しては我慢できないでいるが、自分の満たされない想いを自分のせいではなく、母親へ責任転嫁しているだけではないか。たとえ、ニューヨークに行ったとしても、幸せになれるだろうか。本当の幸せは、目の前(ハワード)にあるのに、周囲が見えなくなっている状態を、ミアファローが素晴らしく演じている。 ステファニー(ダイアンウィースト)も夫婦間の満たされない想いをピーターへぶつけてみたり、ピーターは作家になりたいという満たされない想いを、レインやステファニーにぶつけている。 しかし、好きでもないレインに手を出すピーターや自分を試すためにピーターを誘ったステファニー、娘を理解できないダイアンなどに特別な悪意があるわけではない。ただ単に、人はみな弱々しくて、その弱さを何かで埋めるしか術を知らないだけなのだから。
[ビデオ(字幕)] 7点(2006-08-07 23:07:03)
354.  ラジオ・デイズ 《ネタバレ》 
古きよき時代の古きよき思い出が、「ラジオ」にまつわるエピソードと「美しい音楽」を通して語られていく。 時代とともに忘れ去れてしまう過ぎ去りし日の美しい思い出というのは、「具体的」でありながらも、意外とぼんやりとした「抽象的」な要素も含まれていると思う。このような形があるようで、ないような難しいテーマを「映像化」するということはなかなか難しいと思うが、ウディアレンは核となるストーリーを置かずに、「家族の愛」を中心にエピソードを積み重ねることで描いた。 このたわいもないエピソードかもしれないが、誰しも必ず一つ二つ思い当たるフシがあるのではないか。「俺にもそんなことをしたり、そんなことを考えたことがあったなあ」と観客に感じさせることにより、観た人により共感しやすくさせることを狙ったのかと思われる。 さらに、アレン監督の繊細さが、よりノスタルジックに、より感傷的にさせている。まさにウディアレンだからこそ創り上げることができた良作と思う(フェリーニ監督作品は未見)。 そして、ラストもかなり良い。「年が明ける」ことを描くことにより、「古きよき時代」も過ぎ去ったように感じさせている。「古きよき時代」が過ぎ去った「もの悲しさ」を描くとともに、「新しい時代」の幕開けを祝う陽気さも同時に描いている。確かに「古きよき時代」は去っていったのかもしれないが、これからの「新しい時代」も「古きよき時代」と同じように、よい時代にしていこうという希望的な明るさも感じさせているような気がした。
[DVD(字幕)] 7点(2006-08-05 00:16:14)
355.  スーパーマン リターンズ
約20年ぶりに復活したシリーズ最新作は、続編でありながら、原点回帰のリメイク的な内容にもなっている面白い造りだ。今まで観た事がない人でも十分楽しめる内容にはなっているが、「Ⅰ」とリンク(マーロンブランドの重要なセリフ等)する部分もあるので、事前に「Ⅰ」だけでも観ておくとより一層楽しめるだろう。 【評価とテーマ】なかなか評価は難しい。「なぜスーパーマンが必要なのか」というテーマを相当ねちっこく、かつ丁寧に創りこんだため、完成度は高く、スーパーマンに対する深い愛情も感じられる良作というジャッジもできるが、2時間30分という長尺と派手なバトルがあるわけでもないストーリーとのバランスを踏まえると「長い・飽きる・くどい」といった評価も聞こえてきそうだ。「初代」に思い入れのある人には高評価で迎えられると思うが、最終的にはあまり高い平均点は期待できないかもしれない。 【ブランドンラウスが演じるスーパーマンについて】見た目や雰囲気はクリストファーリーブを彷彿とさせる見事なチョイスかもしれない。しかし、肝心の演技ができるかどうかは別だ。彼のスーパーマンは「表情」が語っていない。鉄火面のような無表情、CGのような無機質さを感じる。「人類に対する慈悲深い無償の愛」が根底にあるのは分かるが、「表情が豊かではない」→「感情が伝わらない」→「行動に対して共感できない」→「さっきから同じことの繰り返しじゃないか」という思考が延々とループしてしまった。もっと人間くささを出してもよかったように思える。 【ケヴィンスペイシーが演じるレックスルーサーについて】「セブン」のようなゾクゾクするような悪役を期待していたが、やや魅力を欠いている。好意的な評価をしても初代のジーンハックマンと同レベルかなという印象。もっとはじけてもいいと感じたが、本作のテーマを踏まえて、キャラクターとしての存在感を抑えたようにもみえる。本シリーズは、悪役が目玉となる「バットマン」とは根本的に異なり、あくまでも主役はスーパーマンという方針なのかもしれない。 【その他】幼年期のジャンプシーンは「スパイダーマン」や「ハルク」、着地時には「ミッションインポッシブルⅠ」を思い出した。ルーサーの出獄理由は「ダーティハリーⅠ」と似ているし、「タイタニック」のようなシーンもある。パクリではなくサービス的な意味合いでなかなかユニークと感じた。
[試写会(字幕)] 7点(2006-08-02 21:01:38)(良:2票)
356.  スタンドアップ 《ネタバレ》 
「女性」として、そして「母親」として、あるいは「娘」としてのジョージー・エイムズという人間をシャーリーズセロンが見事に演じきった。自分の力だけで子供たちを育てていきたいという芯の強さ。弁護士、父、母、同僚、友人多くの人々に支えられながら、決して泣き寝入りすることなく常に戦い続けたいという激しさ。不当に罵られた際に親友や子ども、周囲にあたってしまう弱さ。父や周囲に蔑まれても「過去」を一人で抱えてしまう「苦しみ」。セクハラや恐怖に対する怯え、苦しみ、怒り、やるせなさ。これらの複雑な感情が観客にもダイレクトに伝わる迫真の演技だったと思う。 しかし、全般的に優れた作品で穴がなく、かなり「リアル」なストーリーなのだけれども、どこか「押し」の強さや盛り上がりが足りない感じもした。最初8点くらいの作品かなと感じていたけど、そこまで高得点を与えてよいのかと悩んでしまう映画だった。 そして、個人的に残念だったのは法廷シーンが少なかったこと。本作で日本にはないクラスアクション制度(集団訴訟)について少し勉強できるかなと思っていただけに残念。不勉強ながらちょっとかじったことがあるのでクラスアクションについて知っていることを書くと、普通の一般の訴訟では、被害を受けた被告と原告が、自分の権利を巡って争うものであるが、クラスアクションは、クラス(本作ではセクハラで被害を受けた女性のすべて)を代表して、クラス全体の権利を個人が争うものである。勝手に他人の権利を処分することになるので、クラスにいる者には通知する必要があるが、クラスにいる者は積極的に「除外(オプトアウト)」の手続きを取らなければ、判決の効力はクラス全体に及ぶという制度である。いろいろと弊害も多い制度(自己の権利が勝手に他人に処分されるおそれ、高額な賠償額による企業経営の切迫、弁護士の金儲けの手段)であるので、EU諸国でも導入されておらず、おそらくアメリカ特有の制度である。アメリカでも、今ではクラスアクションをなんとか押さえ込もうとしている始末であるため、日本で導入されることはまずないでしょう。日本にも選定当事者制度(あまり利用されていない)という類似の制度があるけど、こちらは被害を受けた複数の者が、自己の権利を被害を受けた者に委任して、一人ないし複数が代表して訴訟を争うものである。似ているけど、本質は大きく異なる。
[DVD(字幕)] 7点(2006-07-21 23:33:20)(良:1票)
357.  マシニスト 《ネタバレ》 
役者と監督のやる気が伝わる、いい映画だったと思う。 ただ、妄想ならばなんでもありというわけにはいかないのではないか。 デイビッドリンチの世界とかなり近い感じがするけど、リンチの描く世界は、混乱しているようにみえて実はきちんと調和が取れているのに対して、本作は辻褄を合わせるために綺麗にまとまりすぎている感じがする。 だからオチが分かるとちょっとガッカリという気がする。 でも、消したい記憶と消えない記憶という都合のいい人間の記憶のプラグラムに対して、「良心」という計り知れないものを掛け合せた世界を描いたという点は評価できる。この監督には注目したい。
[DVD(字幕)] 7点(2006-07-09 17:18:52)
358.  M:I-2 《ネタバレ》 
ハトが出てきたあたりから、唖然としながら画面を見つめていた。 そのあとも嘘みたいな展開が快調に繰り広げられていく。 「ミッションインポッシブルってこんな映画だったっけ??」という疑問符が脳裏をかすめながら、戸惑いながら映像を凝視し続けると、次第に嘘みたいな展開が心地よい爽快感に変わっていった。そして観終わった感想は「トムクルーズにハト意外に合うなあ。」というものだった。 この映画をみて感じたことは、トムクルーズのプロデューサー能力は相当に高いなと思われる。 ブライアンデパルマ監督のサスペンスタッチの前作が成功を収めたにも関わらず、前作の「型」にハメることなく、前作とは全く異なるテイストで攻めるというのは、なかなか出来ることではない。コケたら当然ボロクソに言われるということが目に見えているはずであり、大金が動くこの世界では比較的冒険はしないのがセオリーである。それにも関わらず、あえて新たな一面に挑戦し、その可能性に賭けた結果、大成功を収めたわけである。プロデューサーとしては一流と言わざるを得ない。 そしてジョンウー監督の起用も流石と唸らざるを得ない。その分野に秀でた監督をきちんと起用し、監督の好き勝手にやらせたであろう結果が画面からにじみ出ている。予算の関係から監督に好きにやらせない風潮が多い中で、監督の悪ノリに近いノリをそのまま映像化し、監督の長所を引き出している点からもプロデューサーとしては優秀と言わざるを得ない。 ただ、脚本は意外と筋がいいのに、その良さを上手く演出することなく放棄してしまっている点がもったいない。二人の変装の名人がいて、本物なのか、偽物なのかというスリルが残念ながら味わえない。当然ラストのトリックもあれが本物のイーサンハントだと思う人はまず、いないであろう。最初から最後まで全ての変装が完全に「ああ、変装しているな」というのが分かってしまってはもったいないところだ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-06-21 23:55:07)(良:1票)
359.  ミッション:インポッシブル 《ネタバレ》 
まさに王道をいく映画。テンポがよく、見せ場もあり、深く考えなければ誰もが楽しめる文句なしの娯楽映画だと思う。 ただ、個人的にちょっと考えさせられたシーンがある。 ①イーサンの母親とおじさんが虚偽の理由で拘束されたためにキトリッジに直接電話を掛けて交渉した後に、ジョンボイトと再会するシーンがある。ジョンボイトがヨブと確信するが、クレアの関与をイーサンは否定しようとする。 ②その後、雨に濡れて呆然としながら戻るイーサンだったが、イーサンのことをクレアは心配してドア付近で毛布に包まりながら待っており、イーサンの無事の帰宅を喜び、安堵してイーサンの手に頬ずりしてキスするシーンへと続く。口ではなく手にキスするところが、信頼感を表している感じがする。 ③そして最後には高速列車TGVの中でジョンボイトに成りすまして、クレアの本性を知る。という流れであった。 ③へと繋げるためには、クレアがクロかもしれないという前振りが必要だと思うが、その前振りが②では全く真逆の前振りではないだろうか。 なぜ自分のことを心配してくれる自分が惚れた女を③でハメようとするのか。もし、クレアがクロかどうか全く分からないから、その真相を知るためにジョンボイトの変装をしたのであれば、普通の女性なら自分のことを疑い試そうとする人間とどうやって信頼関係を結べるだろうか。まったく確証がなく変装したのならばイーサンは人間としてちょっとまずい人間ということになる。 さらに多少クレアはイーサンのことをかばうものの、ジョンボイト(あのタイミングで登場するのもちょっとおかしいが)がいきなりクレアを射殺する流れも悪すぎる。 適切な流れとしては(1)ノックファイル強奪の流れと(2)誰がヨブなのか(クレアがひょっとするとヨブなのか)という二つの流れが必要だったと思う。 クレアの素性を知ろうとするためにクレアに近づき、やがて二人は恋に落ちるが、クレアにもボイト同様に「聖書」みたいな落ち度があって、クレアがクロだと知る。 しかし、最後はイーサンのことを好きになったクレアが逆にジョンボイトを裏切ってボイトに殺されるという流れが通常の流れではないか。 
[DVD(字幕)] 7点(2006-06-21 23:45:24)
360.  パーフェクト ストーム 《ネタバレ》 
こんなろくに筋もストーリーもない映画をよくここまで演出できるものかと監督の手腕を誉めたい。本当に大海原にいるかのごとく迫力あるシーンと俳優陣の迫真の演技も素晴らしいと思う。 また、前半に繊細に、漁からの無事の帰還を描いている点が後半へと上手く繋がっていく。これがかなりボディーブローのようにじんわりと効いてくる。 そのために、海にいる者、陸にいる者、彼らが何を考えているのか手に取るように痛いほど感じられるようになっている。
[DVD(字幕)] 7点(2006-06-14 00:58:00)
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