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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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341.  冬の小鳥
『警察日記』の二木てるみ、『ポネット』のヴィクトワール・ティヴィソルにも比肩する子役キム・セロンの圧倒的存在感。 賢しらな芝居を越えた眼差し、表情、佇まいそのものから目が離せない。食器を手で払いのける瞬発的アクションの見事さ。医師との対話シーンでは繊細な長台詞をこなし、情感に富み透き通った歌声を聞かせ、絶妙な表情で喜び・悲しみ・孤独・絶望の諸々を振り幅広く演じきる。 ラストで空港のゲート出口へ向う彼女の、言葉では形容不可能な表情と歩みはとりわけ絶品といえる。  監督をはじめとするスタッフはどのようなアプローチでこれらを引き出すのか、非常に興味深い。優れた助演者たちの功労も大きいだろう。  劇中は子供たちの歌唱以外、音楽を廃した抑制的な語り。エンディングにのみ流れる静かな旋律がまた余韻を残す。  ただ、埋葬シーンの観念性などにはどこかキム・ギドク的な危うさも感じさせる。 
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-19 20:56:59)
342.  君に届け
「窃視」の映画といっても良いくらい、画面の中をすれ違う視線の数々。入学後、お互いを意識しはじめている二人は、お互いに見守られている事を知らぬまま見つめ、また見つめられる。『映画研究塾』の成瀬論が言うところの「見られていることを知らない無防備な身体」のショットの丁寧な積み重ねが、二人が惹かれあっていく裏付けとして強い説得力を獲得していく。  その身体性を保障するため、作者たちは映画の特権としてパソコン・固定電話・携帯電話といった簡易なコミュニケーションツールを主人公から周到に排除する。多部未華子は、手を取り合い、ノートを手書きし、肩を抱き合い、懸命に走って会いにいき、相手の目を見つめながら、直の言葉を相手に届け、思いを伝える。「走る」ショット自体の運動感にやや不満はあっても、支持されるべき映画的な美点だ。  初めて友人達とラーメンを食べた帰り道、自転車を押しながら先を歩く三浦春馬と、その後を遅れながらついていく多部の二人を捉える横移動のショット。その二人の歩調と微妙な距離感が素晴らしい。  「内気」な少女が「家を出」る成瀬的「親離れ」の物語は、エンディング後のラストに、上の移動ショットに対応する意味からしても必須となる成瀬的ショットを以って的確に締めくくられる。
[映画館(邦画)] 8点(2010-10-13 00:42:20)
343.  ブロンド少女は過激に美しく
上映時間64分の濃密さ。  列車の座席で隣り合ったマカリオ(リカルド・トレパ)と婦人(レオノール・シルヴェイラ)が語り合うシーンの一定した構図によって、語りが進むにつれ婦人が送る視線の動きが微妙に変化していく様がうかがえるなど、芸が細かい。同じく定点から捉えられたリスボンの丘の美しい遠景ショットの反復が、鐘の音が、不可逆的な時間の推移を印象づける。  そして、通りを挟んで向き合う窓と窓の縦構図の中にルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)を妖しく浮かびあがらせていくフレーム造形の妙。 顔の右半分を隠すブロンド、正面を遮る扇、紗のカーテン。そしてカメラは彼女を主に右横からのショットあるいはロングショットで捉えるため、彼女の相貌はなかなか全体像を表さない。 玄関階段での振り返り、右足を浮かせた抱擁のショット、足を開いてソファに座り込む彼女のラストのショットまで、少ない出番でありながら醸しだされる謎めいた雰囲気は絶品である。  公証人の豪邸内の重厚な美術と照明設計。対する、洋服ダンスとベッドのみが置かれた安アパートの深い陰影など、スタッフワークも当然のごとく充実している。 
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-11 21:11:12)
344.  ノン、あるいは支配の空しい栄光
開巻のショットから目を引く熱帯性の大樹を仰ぎながらの緩やかな移動の感覚と、打楽器の音響がもたらす静かな緊張感。 中盤のヴァスコ・ダ・ガマからするとモザンビークあたりになるのか。その密林沿いを走行する輸送トラック上で会話する兵士たちの顔をカメラは正面から捉える。ルイス・ミゲル・シントラを始めとする、その無表情の異様な強度。  サラザール独裁体制時代の植民地戦争を主舞台として、小隊の議論の中から主要ポルトガル戦史が回顧されていく。  暗殺されたルシタニア族族長ヴィリアトゥスを荼毘に付す炎と灰木の質感の生々しさ。アルカサル・キビルの騎馬戦における、横の広がりを意識した巧妙な空間設計。残照の中、死骸の散乱する戦場の荒涼感などがそれぞれ強烈な印象を残す。  そしてラストの野戦病院のベッドで、顔に巻かれた包帯の中からカメラを正視する、物言わぬ見開かれた眼がまた強烈無比。
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-10 20:07:43)
345.  アニキ・ボボ
重い主題も含みながら、後には気持ちよい清涼感を残す一篇。  第一作の『ドウロ河』を舞台としており、その陽光に映える川岸の情景がとびきり美しい。石畳、階段通り、向い岸の街並みののどかな叙情。画面の中を渡る車、船、列車も充実している。 序盤で、主人公の少年が車の往来を間一髪ですり抜けていくシーンのどことない危うさは、密航未遂、崖から線路への転落事件へと繋がっていく。  罪悪感に囚われた少年が自分の影に追われる夜の遊戯シーン、夜中に少年が屋根伝いに少女の部屋の窓辺へと向かう一連のシーンと、夜のシーンの照明も素晴らしい。  そして、素直さから強かさまで、まるで芝居臭さを感じさせない子供たちの個性的な表情と動きが断然良い。照れ、気取り、愛嬌等々の極めて自然な表現。少年少女三人がショーウィンドー内の人形を一心に覗き込むショットなど、とても微笑ましい。  粋な雑貨屋店主もいい味を出している。
[映画館(字幕)] 8点(2010-10-03 21:50:01)
346.  トイ・ストーリー3
序盤の列車アクション、2度のゴミ回収、飛翔による脱出、夜間の「脱獄」のシークエンス、そして溶鉱炉へ向かうコンベアーラインの活劇。いずれも縦の構図による遠近法に立体効果を活かした極上のサスペンス演出。同時に、水平軸から垂直軸へのアクションを複合させることで共通しており、空間表現としても大変充実している。(第一作でみせた、カーアクションから一転、ロケット上昇という見事な軸転換から全くぶれていない。)  それら空間造形術といい、暗いナイトシーンが支配する「サニーサイド」保育園の構造的隠喩といい、ポール・グリモーから宮崎駿経由の継承が窺える。(冒頭の同時上映『デイ&ナイト』の主題とも通じ合う)  絶妙にデフォルメされた全身表現によって付与される人形たちの喜怒哀楽の感情と生命感。内気な少女の細やかな仕草・表情変化の豊かさ。脱出シーンの切れ味の良いパンショットやダンスシーンの見事なカッティング。溶鉱炉の赤から、夜明けの美しい光への推移。全編見所に溢れている。  そして、文字に拠らずに行為の画面で語ったラストは大したもの。
[映画館(字幕)] 8点(2010-09-25 23:15:07)
347.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
さらにシンプルさの美徳を極める宮崎脚本。百戦錬磨のストーリーテラーにとって、一般受けしそうな物語的起伏や善意の公式テーマ的なものをそれらしく放り込んで安い感動を作リ出すことなど容易いはずだろうが、それらは結果として作り手の最も見せたいものを見えなくするだろう。  例えば、テントウムシやアリ達の足の動きが表現する生命感であり、蔦の葉の揺れ具合が表す大気の感覚である。針子仕事や洗濯物干しといった労働の所作の体感。上下軸を活かしたアクションの爽快感。少年からもらった大事な角砂糖を両手で受け取り右足でバランスを取りながら大切にバッグにしまう細やかな動作が伝える少女の感情。  それらの瞠目すべき動画再現力、つまりはアニメーションの本質的な醍醐味が、作劇の賢明なシンプルさによって引き立っている。 音の感覚についても同様だ。  スタジオロゴに風鈴の音が重なり、「あの夏の一週間」を回顧する少年のモノローグで映画はスタートする。風と音の記憶に導かれた少年の回想としての物語であり、それは二人が出会う時、風と音を介していたことに拠っている。  孤独な者同士が始めて見詰め合う官能的な場面の息詰まる感覚の素晴らしさ。頬を赤らめる少女と、穏やかな息づかいの少年。それぞれが纏うシーツとティッシュペーパーの衣擦れの音。「見られてはならない」禁忌ゆえに、少女の内奥に芽生えたかもしれない裏返しの願望。彼女はラスト、自分を見てくれた相手に真っ直ぐに視線を返してあげる。  宮崎脚本が本作でも一貫したモチーフとして描くのは、存在そのものの孤独であり、関係性への憧憬であり、そしてそれへの共鳴と開放である。(少年がベッドで読むバーネットの童話もそれを示唆する。) 
[映画館(邦画)] 8点(2010-09-13 23:11:29)
348.  ベスト・キッド(2010)
北米の意識はもはや日本ではなく中国にあり、という感じでパワーバランスの時代推移を厳然と反映している点、リメイクだけに興味深い。  寄り気味のカメラは、多用されるフォロー移動とともに、観客が見るべき対象をひたすら限定して先導してくれる。ここだけ見なさい、というサービス過剰な介護式。加えて、饒舌なBGMがここぞという場面を盛大に誘導・援護してくれる。だからとにかくわかりやすい。 そして、アクションシーンの編集は少々リズム偏重気味で「ワンショット性」に欠け、剛柔の表現としては不満を残すのだが、序盤中盤で何度も反復された円や弧のモチーフは武術の基本として止めの回転技として活きてくる点は見事。  また、光を意識した印象的な画面も豊富でいい。ガールフレンドと戯れる公園の噴水に反射する光、影絵劇場の幻燈、J・チェンがJ・スミスを諭す中庭の場面での眩しい入射光、そしてヘッドライトの光の中に浮かび上がる二人の教育と伝授のシルエットが感動的だ。(それを影から見守るT・ヘンソンの姿も)  そして、キャラクター達も主演二人を始めとしていずれも魅力がある。いずれの登場人物も何らかの弱さを持ち、それを克服させ成長させるという作劇の丁寧さゆえでもある。 特に、作り手の少年少女に対する目線の温かさは心地よい。  トーナメントの前、贈られた道着に対してJ・スミスが漏らす『ブルース・リー』の一言に初めて顔をほころばせるJ・チェン。その笑顔が泣かせる。 
[映画館(字幕)] 8点(2010-09-04 20:57:59)
349.  ソルト 《ネタバレ》 
一般的に「演技派俳優」は心の内面を表情・身振りの付加によって過剰なまでに主張しがちだが、余計な演技がない場合こそ、人物の心理・感情が生々しく伝わるのが映画の面白さ。 危険なアクションが全編にわたって連続するこの映画で、アンジェリーナ・ジョリーは走る・飛ぶ・格闘する身体運動に集中するとき、演技どころではなくなる。 一方で、心理のガードを高度に教育されたスパイの役柄を演じる彼女は、その表情を大きく変えることもない。  その演技・非演技ない交ぜの相貌が、画面に緊張とエモーションを呼び込む。特に復讐物語となる後半、その抑制的な表情と殺戮アクション自体の過激さと強度が、彼女の怒りと悲しみを強く画面に漲らせる。とりわけ中盤のアジトのシーンで、唐突にある場面に遭遇する彼女の無表情が示唆する内面の葛藤と、それに続く無表情の虐殺シーンのケレン味が感動的だ。  終盤の暗いヘリコプター内、交感する二者を結ぶ夜明けの薄明かりの水平ラインも美しい。  劇の二段構成、金髪と黒髪、高所感覚等〃の要素は『めまい』にも通ずる。
[映画館(字幕)] 8点(2010-08-14 22:59:49)
350.  何も変えてはならない
スタンダード・モノクロームの画面を包む深い黒、その中に天井からのライトで浮かび上がる女性歌手と伴奏者が遠目に捉えられる。何とも端麗で繊細なファーストショット。カメラはそれ以降も、ストローブ=ユイレ以上とも思える厳格なフィックスの長廻しで歌手ジャンヌ・バリバールのリハーサル、ライブ演奏を収録していく。あるシーンでは距離を置いた客席後方から。またあるシーンでは、フレーズごとに何度もやり直しを繰り返す彼女の表情のみを側面からの光によって部分的に浮かび上がらせ、その様を正面近い位置からのカメラがじっと見守る。その距離感が醸す緊張感と、表情変化に滲み出る豊かな人間性。彼女らと協働しながらも、撮影はあくまで慎ましい。ペドロ・コスタ特有の黒の領域が、限定的な容貌と所作、歌声と器楽をよりシンプルに際立たせる。極めて純粋な音楽映画といえば良いか。
[映画館(字幕)] 8点(2010-08-07 22:14:49)
351.  私の優しくない先輩
序盤から延々と続くモノローグに、役者の漫画的身振りと表情演技とテンションに、過剰な画面加工と効果音に、この先どうなることやらと白け気味になりかけるのだが、中盤の恋の駆引き劇あたりから不穏感と気まずさを湛え始め、徐々に引きこまれる。  雨の中、山の手にある友人宅から坂を下り夜の川原へと、劇は浮遊感から下落のイメージに包まれ、後半の生々しい撮影スタイルと川島海荷のオルターエゴであるモノローグは凄味を増し、画面との齟齬は対位的に増幅されていく。  シンクロか否かよくわからないが、後半の体育館内および火まつりシーンでの二人の生々しい台詞の応酬ともつれ合うアクションが、炎と闇のスペクタル性と共に素晴らしい。  そして出演者全員によるエンディングも、スタイルは全く違うが大林版『時をかける少女』のラストを思わせる至福の時間。  キャストの振り付けの統率とロケーションに合わせた配置。時々刻々の入射光の加減を配慮し、手持ちからクレーンへの自然な繋ぎまでこなしたキャメラワーク。このロングテイクにはスタッフ・キャスト共々、相当な準備が費やされた筈。熱情の賜物といえる。
[映画館(邦画)] 8点(2010-07-25 23:56:54)
352.  アウトレイジ(2010)
横長を活かし居並ぶ組員の顔を次々映し出す水平移動のファーストショットは、真正面からの唐突なバストショットで開始された従来作品のような不可解性がなく、状況説明としても格段に解り易い。並んだ彼らのお辞儀のロングショットのみで組織内の序列も簡潔明瞭に示される。  主眼のヴァイオレンス描写の一方で、何気ない所作やありふれた小道具一つを以って人物の性質を語ってしまう演出力は依然として冴える。旧作において、組長を前に畏まる幹部の中で北野一人が平然と煙草をふかしていることでアウトローぶりを際立たせた人物描写(『ソナチネ』)や、喫茶店のウエイトレスがいつしか煙草を吸うようになっていることで示された経年描写(『キッズ・リターン』)等、さりげない煙草の演出は本作品でも巧妙に変奏される。警察署前での吸殻をめぐるエピソードの反復によって、椎名桔平の人物像とパワーバランスを明瞭に浮かび上がらせてしまうのがそれだ。あるいは、國村準の台詞「コレ(高級洋酒)、飲んじゃおう。」なども彼の人間性を雄弁に語らせており、小道具活用は自家薬籠中のものといった感がある。  黒の車体、革靴の表面を彩る黒光りの艶かしい様や、鈍いブルーの印象的な配置も堂に入っている。  新味としては、殺戮後のサウナ内や路上の惨殺死体の横を車が通過する緩い水平移動の不気味な感覚など、死体と車両のショットにおいて最もシネスコが意識されているように感じられる。あえて静の間を延ばすような、中盤でのフェードアウトの繰り返しも新しい趣向だがあまり効果を感じない。  
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-27 20:20:42)
353.  座頭市 THE LAST
緊迫した長回しの中、縦構図で捉えられた長屋のオープンセットの奥側右手から、あるいは賭場の衝立の裏から、不意に出現する市の瞬発性。そのまま持続するショットの中で雪崩れ込む殺陣の速度感が見事。雪山の急峻な崖から、屋敷内の小さな段差まで、殺陣には緩急だけでなく高低差のサスペンスも活かされ、多人数掛けから一騎打ちまで、アクションに関しては全く申し分なし。  序盤の山林から、廃村、水田、浜の小屋など、庄内映画村のセットを活かした個々の美術も多彩で、時代劇映画の地勢的制約や窮屈さを感じさせない。(ただ些細ながら、砂浜と農村のロケーションがちぐはぐで位置関係的に無用な混乱を招く。)  また、再会した香取慎吾と工藤夕貴が海を背に語り合うショットや、香取と倍賞千恵子が夜の雪原を背に語り合うミドルショットの対話の間にはいかにも阪本監督独特の味わいがあり、『王手』の日本海のシーンなどを思わせる何ともいえない情感を湛えている。  概して主演アイドルは顔面に心理を大仰に貼り付けすぎるだけに、こうしたシルエットのシーンや、包帯等で顔を隠したショット、引いたショットでのアクション等のほうが逆に強度を以って迫ってくるのだ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-19 16:35:29)
354.  ボックス!(2010)
寄り・引き、スローを巧みに織り混ぜたケレン味に溢れるファイトシーンの編集リズムからは、作り手の気合が充分に伝わる。  とりわけ決勝戦2ラウンド目の攻防を延々と捉える、クレーンを使った迫真の長廻しは圧巻だ。  市原隼人と諏訪雅志の優れた運動神経とアクションはもちろん、両者の動きのスピード感と重量感を余さず伝える撮影と、荒い呼吸音と呻きを交えた録音も効果抜群である。  高良・市原のトレーニングのモンタージュや上達過程の描写も、基本的なコンビネーションやディフェンスまで丁寧すぎるほど丁寧に描写を重ねており、説得力がある。 それを体現する二人の頑張りも良い。  また、街の情景を取り入れたロードワーク風景では道行くエキストラや犬とも何らかの形で主人公と絡ませるなど細かな拘りがみられ、『どついたるねん』のようにローカルの匂いをしっかり感じさせ素晴らしい。  なるほど、監督は大阪府出身だった。  ただ部内関係の半端なエピソードや子供時代の回想もくどく、この内容で2時間6分は少々長いが、ラストは爽快だ。
[映画館(邦画)] 8点(2010-06-06 14:17:30)
355.  オーケストラ!
国情の対比を反映させたものと了解はしつつ、前半(ロシア篇)の特に屋内シーンの薄暗くくすんだ画面群はもう少しどうにかならなかったのだろうか。せっかくのヒロインの初登場シーンも明度が低く、顔に影が落ちすぎて印象が弱い。それでも前半はギャグシーンの場面転換のテンポが小気味よいのが救い。役者も皆良い味を出している(特に親友役:D・ナザロフ、妻役:A・K・パヴロヴァら)そして、クライマックスとなるコンサート場面で俄然引き立つ、メラニー・ロランの麗しさ。ヴァイオリンを演奏する身体の的確な動き、意思的な表情は完璧。そして奏者たち、とりわけアレクセイ・グシュコブと交わす視線の交響性。予定調和のドラマに則り、画面と音楽の一体感による帳尻あわせで結果OKといったところ。作品には拙いフランス語を活かしたギャグも盛り込まれているが、この辺りが理解できればもっと楽しめるはず。
[映画館(字幕)] 8点(2010-05-11 21:06:36)
356.  ストリート・オブ・ノー・リターン
開巻の人種暴動の混沌から一気に作品世界に引き込む豪腕。その群衆とゴミ屑の派手な散乱状況の強烈なインパクトは、『裸のキッス』冒頭のバイオレンス以上の過激さでS・フラーの軒昂ぶりを表すと共に、後のロサンゼルス暴動をも的確に予見してみせる。陽光なのか、ヘッドライトなのか、雨に濡れた街路を浮かび上がらせる強い逆光の幻想的な美しさ。港、そして屋敷内の攻防のなかに充満する、むせるようなスモーク。放水のしぶき。いずれの造型もその過剰さ・大胆さが際立つ。ラストのロマンチシズムといい、活力が全編に漲っている。
[DVD(字幕)] 8点(2010-03-30 21:45:36)
357.  インビクタス/負けざる者たち
フランソワ(マット・デイモン)との初対面の場面で、マンデラ(モーガン・フリーマン)が「逆光は苦手だ」と白い窓外を背にするが、作品自体もバックライトは控えめで、全般的に柔らかい順光主体の照明設計が窺える。スプリングボクス否定派が占めるスポーツ評議会の会場玄関に大統領が登場するショットも、一瞬『ダーティ・ハリー4』でのシルエットのような外連味を期待してしまうのだが、そこでもマンデラには順光を当てる配慮が為され、その姿に暗い陰影が落とされることはない。従来の、特徴的な光と闇のきついコントラストはスタジアム会場通路や夜明け前の散歩場面で印象的に用いられる以外、できる限り抑制されている風に見えるのは、モデルへの賞賛と作品がもつ「融和」というポジティブな主題から来るものと理解した。陽性のカメラは、チームが黒人地区で子供たちにPR活動を行う場面では彼らと共に楽しげに動き回りもする。その連帯感に満ちた軽快なカメラワークも素敵だ。視覚効果の技術・用法も相変わらず素晴らしい。エンドロールに載る多数のCGスタッフが最も注力しただろうクライマックスのスタジアムの大群衆などは実景そのもので、まるで違和感がない。適材適所の効果的なCGあってこそ伸びやかなカメラワークが活き、極上のスペクタクルになっている。  
[映画館(字幕)] 8点(2010-03-07 17:34:13)
358.  綴方教室
『馬』同様の、一年間を追う構成(学期ごとの章立て)とセミ・ドキュメンタリー風の手法が特長的。セットなのか、ロケーションなのか、高峰秀子らが暮らす長屋の生活実感と風情が素晴らしい。雨のぬかるみ、大雨で川のようになった路地、馬車の嵌った水たまりなど、変化に富んだ表情を見せる路地の情景にも親近感をもつ。高峰秀子が窓外に目をやると、柔らかな光に雨滴が輝いているソフトフォーカスのショットの叙情性、近所付き合いや姉弟喧嘩のやり取りのほのぼの感なども忘れがたい。教室の終礼の場面で、後席の子が立った瞬間に鞄の重みで椅子が倒れてしまうショットがあるが、これは思わぬNGをそのまま活かしたものではないだろうか。全体の写実的手法の中から自ずと醸しだされた巧まざるユーモアといえるだろう。卒業式を終え、学友たちと一本道を歩いていく後ろ姿で終わるかと思いきや、続いて就職した彼女が画面に向かい笑顔で前向きに歩いてくるショットに繋がるという、幸福感に満ちた粋なエンディングが素敵だ。
[映画館(邦画)] 8点(2009-12-24 20:46:43)
359.  パブリック・エネミーズ
捜査本部内を歩くジョニー・デップの表情とその主観を捉えたスローモーションの何ともいえない浮遊感覚、彼の顔を白く照らし出す日差しの感覚が、どことなく『ヒート』でトンネルに入った車中のロバート・デ・ニーロを包みこんだ悲劇的な光を思い起こさせる。(無論、映画館内で彼を照らすスクリーンからの照り返しも。)ロッジでの銃撃戦や、マリオン・コティヤールと向かい合う砂丘の場面などで強烈な印象を放つ夜間の特異なライティングも、光源が不明ゆえにどこか超現実的な感覚を画面にもたらす。そのコントラストによってさらに深さが引き立つ漆黒の闇。銃撃戦の中、冷え込んだ林の中にたち登る夜霧の峻厳かつ夢幻的なショットはとりわけ素晴らしい。一方で、日中場面はネイサン・クロウリーによるセット・デザインと実景の迫真性が活きる。20年代を扱った『チェンジリング』にもCG処理による街並みのショットがさりげなく用いられたようだが、この作品はほとんど二次加工なしではないだろうか。脱獄時の暗く狭い通路、銀行前の通り、ところどころ残雪のある隠れ家、映画館前などの臨場感が見事である。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-23 18:08:52)
360.  倫敦から来た男
映画冒頭の、雨に濡れて反射する波止場の路地の美しさが印象深い。『ヴェルクマイスターハーモニー』でも俯瞰位置から下降して奥への縦移動であったり、長い横移動から被写体への回り込みであったりと、そのショットの長さ以上に複数の移動を組み合わせた時空間提示の冷徹かつ複雑精妙な様が映画に不穏で不気味な印象を与えていたが、そのテクニックは本作のノワール・スタイルにも見事に合致している。ここでは強風の叩きつける岸壁の道を歩く三人を前進移動で追い復路を後退移動で捉えるという、前作での凸凹石畳以上に難易度の高いロケーションでの移動撮影も展開され圧巻である。また制御室の窓の内外を縦横無尽に行き来するトリッキーなカメラ転換や、BGMと思われた音楽が画面内での演奏であることを判明させるカメラ移動などは、観客の意表を衝く演出でもあり全く飽きさせない。船の両岸を交互に移動し人物を正確無比な構図とタイミングで捉える長廻しなどは、前作同様に予定調和の印象を持たせなくもないが、女優の涙までコントロールしてしまう技量はやはり驚異だ。
[映画館(字幕)] 8点(2009-12-14 21:37:41)
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