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パブロン中毒さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 914
性別 女性
ホームページ http://ameblo.jp/cluttered-talk/
自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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341.  ナインスゲート 《ネタバレ》 
僻地に移り住んだためスカパーを導入し、勝手に選択して提供される作品を決まった時間に見るのもなんだかなあ、の日々を送っていたところ、ある日ポランスキーについての説明を30分放送したあとコレを放送した。 なんでもポランスキーというのは、ポーランドのユダヤ人であったため、両親とも死に別れ、幼少のころから大変な苦労を重ねたうえ、衆知のとおり狂信者に妻を殺されるというひどい目にまで遭っている。これで、明るく屈託の無い性格になるとしたら、相当鈍感な人間だろう。 「ナインスゲート」については、レンタル解禁当時に見た記憶があるが、乏しい記憶をいくら辿っても、「ケッ」という感想しか出てこなかった。 今回何の気なしに見てみると、その映像の美しさに感心する。画に隙がない。ような気がする。 リアリティ、というのが若いころのポランスキーの売りだったそうだが、それを念頭に見てみれば、随所にそれが見られた。ような気がする。 本作では、ポランスキーの特徴である(とされる)「疎外感」というものも、「英語圏外」のロケーションであることで強調される。このへん「フランティック」を思い出す。 コルソ本人がはみ出し者であることや、「自分だけが蚊帳の外」で周囲の人間はそれぞれの思惑で勝手に動いていくところも、そうである。 古書を眺めつつやたらと酒を飲み、タバコを吸うコルソが、メガネが割れたりして翻弄される様子などを、ほのぼの見るのがいいのではないだろうか。(なんか古文の訳のようでヘンだなあ。) 私には駄作なのか映像美だけを追求した結果なのか、よくわからない。ポランスキーはムラのある監督なのだそうだ。確かに「ローズマリーの赤ちゃん」を超える作品は見ていない。 ただ、映像美を追求しすぎたのだとしても、「リンチよりはマシ」というのが素直な感想だ。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-08-11 16:48:08)
342.  ブロークン・フラワーズ 《ネタバレ》 
これは「男性の人生における義務との関係」について描いたものだと思うなあ。 ドンはバカではないのに無気力。朝からTVの前に座って、ジャージ姿でボー。 なぜならドンというのは「しなければいけないことがない」男なのである。 ジャームッシュの認識では、「男性は義務がないと何もしなくなってしまう動物」であるのだと思う。 そのために、「しなければいけないことだらけ」で「義務が山積み」の隣人ウィンストンを登場させるのだ。ドンと同じような隠居老人とか、親のスネをかじっている生意気ティーンエイジャーとかではなしに。 「しなければならないことがない」ので、伸びきったゴムのようになっているドン。これぞ、普通の男性の姿、とジャームッシュは思っている(らしい)。 ネタばれるけれど、最初のピンクの手紙を書いたのは、ウィンストンであり、その理由は、煮え切らないドンにプロポーズをさせたいシェリーの相談に乗って、作戦を立てたからである。 そして、ドンが旅から戻った頃に都合よく届いたシェリーの手紙は「やっぱり愛してる」だから、これも作戦どおりなのである。そこでウィンストンは、「さあ、シェリーにプロポーズしろよ」と一気に盛り上げるつもりだった。しかし…それはドンに見抜かれてしまった。 姑息な策に頼って人を騙したりしても、やはりいい結果は生まないのだ。人生ってそんなもんだ。 さて、一連の出来事を通過したドンに、「しなければいけないこと」は発生したのだろうか…と、ジャームッシュは問いかけて終わるわけだ。やはり、「男と義務」についての話だと思う。しかし、全体としてはパンチ不足でぬるい感じは否めない。 ウィンストンの奥さんがよかったですね。あれはまさしく、女の幸せを全うしている人の微笑みである。 シャロン・ストーンの魅惑の微笑は健在で安心した。とって喰われそうだ。 ティルダ・スウィントンの別人ぶりには驚いた。だって、エンドロールを見るまで、どこに彼女が出ていたか分からなかったのだもの!
[DVD(字幕)] 5点(2007-06-29 15:34:27)
343.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
…ひとことでいうなら、「ハリウッド映画ですね」だ。 だってさ、作り手に日本人が一人も入っていないじゃないの。脚本は2世だか3世だか、どうせ味噌汁の味も知らないようなアメリカ人でしょ。で、ハギスだスピルバーグだ。 やはり、よその国の兵隊のことを勝手に描く、ということで、かなり遠慮しいな内容となっているのは仕方ない。「ラストサムライ」よりはなんぼかマシという程度であって、これはれっきとしたメイドインアメリカ。なじみの日本人俳優が出ているからといって、ごまかされてはいけない。 まずもって、二宮演じる西郷の、その振る舞いおよびメンタリティーの有り得なさ。下っ端の日本兵が、こんな生意気なワケがない。これは、まんまアメリカの兄ちゃんの感覚を「若いやつはどこでもだいたいこんなもんやろ」と持って来ただけ。 ケン・ワタナベ。これはもう、見事なまでにハリウッド受けすることだけを考えたそのまんま。大正もしくは明治生まれの日本人将校が、こんなハタから見てわかりやすいかっこよさを発散するワケないじゃないか。ダメ。映画「東京裁判」でも見て、「本物」の振る舞いをちょっとでも勉強してみたのか、ケン・ワタナベよ。それとも国内受けなんてことは、もはや関係なしか。 本物に見えたのは最後まで付き従った「藤田」のみだった。 で、ひとつだけ、イーストウッドが「勝負」に出たな、と驚いたシーンは捕虜虐殺。これを入れるというのは、アメリカ国内の逆風を計算に入れているということだから。 さて、太平洋戦争末期、北方領土のどこかの島で、似たような実話があったという。それは、陸軍中野学校(スパイ養成所として有名)卒業生の士官が指揮をとった最後の戦いで、弾薬も兵力も乏しい中、中野学校得意のゲリラ戦法を駆使して、ソ連軍に対し驚異の粘りを見せた。そして、無駄死にを防ぎ、決して玉砕を許さなかった、という。 私は、「硫黄島」を見ながら、その実話を思い出さずにいられなかった。その防衛戦のことを思うと、栗林の指導者としての優秀さが全く伝わってこないような、盛り上がらない脚本にはがっかりだ。(かといって、〝有終の美〟を追求する所までいってるワケでもなし) …クリントはさあ、「硫黄島」は日本の製作サイドで作ってもらって、対抗作で「星条旗」を当てる、というふうに、なんでできなかったのだろ。クロサワが死んでいるせい?  ↓花守湖さん、同感です。
[DVD(字幕)] 4点(2007-06-29 01:00:11)(良:3票)
344.  サイレントノイズ 《ネタバレ》 
中盤までは、そんなに悪くはなかったと思う。 映像も綺麗だし、役者さんも悪くない。キートンのシワの微妙さは味わい深いし、お疲れ顔のデボラ・カーラ・アンガーもキャストとしては合っている。演出も編集も、それなりに洗練されている感じがして、そんなに悪くない。 …が、ちょっと脚本がイケてないんでは。ジョナサンがビルに単身乗り込んだ後の展開が決定的にイカんかった。悪霊をビジュアルで見せたうえ、直接襲ってきたりしたら、なんのために今まで小出し小出しにしていたんだか、まるで意味がないじゃないかー。 なんか、非常に惜しい一品だ。
[DVD(字幕)] 6点(2007-06-27 22:34:18)
345.  殺人の追憶 《ネタバレ》 
見る順番が間違っているが、「グエムル」に比べたらものすごく完成度の高い作品だ。 「殺人の追憶」という金字塔を打ちたてながら、「グエムル」になってしまうのか(ポン・ジュノは)…というちょっと悲しい気持ちすらしてくる。というほど、「追憶」はすばらしかった。 なんといってもソン・ガンホである。 この映画は、脚本の巧みさもさることながら、ソン・ガンホの魅力を満喫するに最適だ。 ソン・ガンホ。別に美男ではなく、スタイルとてずんぐりむっくりだ。いったいどこがどうなのかと言われても困る俳優さんだ。 「グエムル」でも感じたが、ポン・ジュノは作品づくりにあたって、徹底して「世界を美化する」ことを拒む作り手だ。そういう意味では彼の作品は、日本でも大流行の韓国ドラマから最も遠い位置にある。そして「美化」を拒むボン・ジュノの映像に、ソン・ガンホの煎餅顔ほどぴったりなものはない。その煎餅顔が強力に主張してくるものは、「庶民」とか「雑草」とか「ある種の諦観」のようなものだ。 私は、ソン・ガンホを見ていてこんなに役柄にしっくりきたのは「追憶」が始めてだ。 脚本、これがまたすばらしい。1986年のプロローグの同じ場所に2003年に終わる、という循環性を持たせたことも、犯人不明のままエンディングを迎えたことも、作品の質を損なわない絶妙の構成である。パクの恋人の存在や、女性刑事が一役買うところ、同僚刑事の足切断、DNA鑑定の不一致など、ドラマ性も充分だ。 なおかつ、ポン・ジュノは笑いのセンスもある。土手から次々転げ落ちるのをパクが突っ込むとかいう、何気ないシーンにも…。こういうのをセンスというのだ。 そして、ラストの少女の言葉がこれまたすばらしい。「普通の顔だった」…。 少女の言葉を聞いたパクの慄然とした表情が何を物語るのか。これも観客に任されているのだが、おそらく犯人は、パクたちが取り調べた人間の中に居た、のであろう。しかし、その手がかりは「柔らかい手を持ち、普通の顔をしている男性」しかないなんて。パクの頭には、あのとき千切って捨てた容疑者ファイルの中の一人一人の顔が浮かんだのであろう。 日本人による音楽も、ピアノを中心としたクラシカルな感じがよい。 洋の東西問わず私が見た刑事物サスペンスの中では、いまのところ第1位に挙げたいと思う。「羊たちの沈黙」以上の出来と思う。これは文句なしにすばらしい。
[DVD(字幕)] 10点(2007-06-27 12:43:15)(良:6票)
346.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
(プルートで朝食を+親切なクムジャさん)×ミュージカル=映画「嫌われ松子の一生」、と思う。 映像的には、「クムジャさん」に似たものを強く感じたし、「殺人→刑務所→出所」とか「美容師」、ってのもそのまんまだし(ただしテーマは全然違う)、「哲学的思考への恐るべき無関心」(ニール・ジョーダンがパトリックを評して)により、「悩むことなく幾多の困難をかいくぐる」ってとこは、松子という人は「プルート」のパトリックに酷似している。 よって、ミュージカルが苦手で「プルート」のパトリックに辛抱ならぬものを感じる私などは、全く楽しめない。どころか、ものすごい我慢を重ねてラストを迎えなければならなかったのだった(長い)。 エンディングの階段のとこはあれでいいと思うけどさ。でも遅れてると言われようが、基本的に私はこういうの受け付けられない。心の底から面白いという人だけが楽しんで見たらいい。 
[DVD(邦画)] 2点(2007-06-26 21:25:59)(良:1票)
347.  インビジブル2 《ネタバレ》 
これはバーホーベンの名前だけ飾って、つられた客を騙して見せようとしただけの低予算の駄作映画なのだった。監督も脚本も凡才以下である。 スレーターはここのとこ本当にB級のチョイ役ばかりやっているがどうしたのか。カレの今後の俳優人生がちょっと心配。
[DVD(字幕)] 2点(2007-06-24 13:25:41)
348.  ヨコハマメリー 《ネタバレ》 
ドキュメンタリー映画というものは、途中でボツになり日の目を見ないことが多いらしいですね。だいたい理由は内輪モメであるが(森達也の下山事件とか)。この作品中にもボツ作品のことが出てくる。しかも、往時のメリーさんを撮った貴重なフィルムが行方不明とはどういうことやねん(怒)。 そういう意味で、これがきちんと映画に仕上がって、観客の目に触れたというのは奇跡である。 もちろん、戦後60年にわたる横浜の歴史を、証言者が生存しているうちに記録したという意味でも、非常に価値がある。作り手の執念を讃えたい。 永登元次郎をはじめとして、ここに出てくる伊勢崎町周辺の人々の「濃さ」といったら。全員ものすごく濃いのさ。 この「濃さ」というのは、「戦争に負けた」を肌身で経験し、成長してきた横浜の「アク」のようなものなのであろう。だいたい、肩書きが「元愚連隊」ってどうなのよ。思わず突っ込みを入れずにいられないじゃん。 それでまあ、私は小学校5年生からずっと横浜に住んでいる。(両親は流れ者ゆえ、横浜の戦後史を子供たちに教えることはなかった。) で、メリーさんを目撃したことも、当然ある。職場が関内だった時期もある。この映画に出てくる場所も、ほとんど自分の足で歩いた馴染みのとこばっかりだ(伊勢崎町通りから南側を除いて。そこはあんまり行ってはいけないとこなのだ)。 「メリーさん遭遇」というのは、職場の世間話のあいまに語られる、ほとんど「風景」のようなものだった。「男」説も、もちろんあった。高島屋のエレベーターのドアが開いたら、いきなりメリーさんが居た、という先輩もいた。 アート宝飾の前のベンチ、今はもうないけど、メリーさんはよくそこに居た。ディスクユニオンに中古品を漁りに行くとき、あっ今日は見ちゃった。って思った。 私は、今回コレを見て、仮説を立てた。メリーさんは肉体的にはやっぱり男性だろう。だって、生理用品と常時使用可のトイレを確保しないで、あんな着飾ったホームレスができますか? なぜ故郷を捨てて、女の成りをするようになったのか。それはつまり兵役逃れか、逃亡兵だったとしか考えられない。…単なる仮説だけど。 いろいろ言いたいことはあるが…とにかく、これは非常に貴重な記録である。老人ホームにおさまったメリーさんの姿を公表することの意味については、個人的には疑問が残る。と言っておく。
[DVD(邦画)] 10点(2007-06-22 20:40:18)
349.  輪廻(2005) 《ネタバレ》 
これがあの「呪怨」と同じ監督さんの作品? 個人的には期待はずれと言っていい出来だった。私は「呪怨」には感心していたんだ…。 何が決定的に違うかといったら、強いていえば「語りすぎ」であろうか。 「サービス過剰」が顔を出して来た。 この映画の中で、観客の想像力で「その先」「その裏」を読ませる場面がどれだけあっただろうか。 「見せすぎ」である。 パン兄弟といい、ホラーでメジャーになった後の作品というのは、「見せすぎ」に流れがちなのか。 ともかく、「呪怨」の監督さんの作品としては、がっかりする作品であった。 キャストでは、意外にも出番もセリフも少ない椎名が存在感あり。この人はセリフが少ないほうが目立つようだ。あんまりしゃべらせないで、置いておくだけで「目力」を発揮するという、おもしろい俳優さんだ。 さて、問題の優香であるが、清水監督が本作に優香を使ったというその意味を考えてみたい。 事務所力とか業界政治とかいうものがもし無かったとしたなら、優香を主役に据える意味はひとつしかない。「鈍重」である。「鈍重」の効果は、「主人公の感情が観客に容易に伝わらない」である。私はずばり監督はこれを狙って優香を配したと思う。 演技巧者でない、という特色はもちろんであるが、優香という人の「鈍重」さは、なにより皮膚の厚みにある。 どんなに撮影用の特殊なメークをしていても、主役を張るような女優さんの肌というのは、普通はもっと薄く、興奮すれば容易に顔が赤くなるのが普通だ。優香はそうではない。 優香の皮膚は、厚い。興奮しても、決して顔や首に血管が浮き出たり透けて見えたりしないくらいに厚い。よって普通は主役を張る女優さんではない。 が、本作で優香を使ったことにより、清水監督は、一個しかないオチへ観客をミスリードするためのある程度の効果は上げた。あくまでも「ある程度」。次作に期待。
[DVD(邦画)] 5点(2007-06-22 12:42:18)(良:2票)
350.  やわらかい生活 《ネタバレ》 
なぜ2名の方のレビューしかないのであろう。 さて、この映画の最も有益な鑑賞法を説明します。それは、ブスではなくても美人とはいえない女が、ウルトラかっこいい男に散々に奉仕させる様子を、自分に置き換えて満足感を味わうのです。(でもこれは、Mの方には向かないかも。) そういう意味で、優子役が寺島というのは、必然であった(決して美人であってはならない)。祥一役がトヨエツというのも、絶対条件であった。(見てるうちに、及川光博でもいいような気もしてきた。彼も40に近いし。でも演技力が足りないか。) 私は別にトヨエツのファンではないがー、本作では本当に彼を褒め称えるしかない。トヨエツってきっと役者バカなんだろう。 顔面が端正で、身長も高くスタイルも良い場合、暗めの2の線を演じるというのは、なんの驚きも与えない。流れる方に流れた、というだけだ。「LOFT」でもトヨエツの使い方はまさしくそれだった。なんの面白みもない。 本作では、トヨエツの魅力が余すところなく大爆発だ。 頭カラッポな地方のボンボンで九州弁をしゃべるトヨエツ。寺島の頭を洗ってやるトヨエツ。濡れた床を掃除するトヨエツ。寺島におかゆをよそってやるトヨエツ。腰に手を当ててトマトジュースを飲むトヨエツ。…こんなものが見られるとは思わなかった。非常に眼福な気がする。 これだこれだったんだよなー、「かっこよすぎる」男性の魅力の引き出し方って。 原作者が女性というだけで、監督も脚本も男性であるのに、トヨエツのかっこよさがあまりにもうまく引き出されているところを見ると、監督にはそっちの気もあるのでは、という気もする。べつにいいけど。 「お姫様抱っこ」といえばトヨエツ、ということになってしまったなあ。身長180cm以上の男優さんでないと、キマらないし。「LOFT」では中谷美紀を、安達祐実を、本作では寺島を。 私が今までトヨエツを無視してきたのは、「面白くない」「つまらない」が原因だったことに気付いた。考えてみれば、「面白い顔で面白いことを言う」よりも「端正な顔で面白いことを言う」方がいいに決まっているではないか。…とにかくこの映画はトヨエツ。しかし、純日本人であろうに、なんであんな日本人離れした体型なのかなあ。(内容のことが全然書けなくなっちゃった。)
[DVD(邦画)] 9点(2007-06-17 20:05:24)(良:2票)
351.  ゆれる 《ネタバレ》 
あまり期待せず見たのだが、なかなかどうして、見ごたえがあった。 この脚本・監督の西川さんという女性は、とても才能ある方だと思う。 この映画に説得力を持たせているのは、何よりも、稔と猛兄弟のそれぞれのキャラの描き方である。…非常にリアリティがある。「いるいる、こういう人」である。私はそこに、はっきりと「女性の視点」を感じた。 稔については、「キモい」を念頭に、女性から見て「どういう人がキモいか」を余すところ無く表現。そうそう、この髪型、その白い靴下、正座して洗濯物を畳む丸い背中、ぺこぺこ謝るその角度、どことなく女っぽいしゃべり方…キモい。 そして女たらしの猛。そうそう、この危ない感じ、ハンサムがわざと汚なづくりしている感じ、土足で女性の心にズカズカ入りこむこのずうずうしい感じ…いるよねー、こういう遊び人。女性の目から見て、「つい寝てしまう」ような男である。 しかし、これはオダギリジョーだからそう見えるのであって、そこらの男性が真似をすると容易に化けの皮がはがれて笑われる対象になるだけです。だから、真似してはいけない。 真木よう子とのラブシーンにも、すごくリアリティがありましたね。本当はそのつもりだったくせに、「私はそんなつもりじゃ…」とかいう顔をずっとしているところね。そのくせしっかり料理を食べさせてこっちのものにしようなんて、そうそう、こういう女っているよね。当然遊び人の猛はそんなこと読めてるから、食わずにヤリ逃げするわけだが。こういう女は女受けしないんだよな。 そしてまた、監督は智恵子を使って、非情なまでの女性の残酷さを描く。つまり、「好きな男」と「嫌いな男」に対するこの態度の違い、です。男性の皆さんは、身に詰まされて辛いかもしれない。 しかし、これが真実なんです。好きな男なら、避妊もしないで突然のHもOK、ヤリ逃げされても恨むどころか追いすがる、片や、嫌いな男には、指一本触られたくない。…本当に勝手なもんです、女って。 という、女性ならではの視点が、余すところ無く人物描写に生かされている。ある意味、男性にも女性にも勉強になる映画だ。 キモさを演じきった香川照之は、「地」という言葉すら浮かぶ。もし香川がどっちかというと「猛」的な男性だったとしたら、その演技力は大したものだ。 ラストの場面は、この兄弟の邂逅と見るべきと思う。希望を示して終わるラストは良い。
[DVD(邦画)] 8点(2007-06-17 19:58:41)(良:5票)
352.  美しい人(2005) 《ネタバレ》 
常連の俳優を多く使った、いつものガルシア節である。 本作では、それぞれ「何か」に囚われている女性、「何か」を飼い馴らすことに手を焼いている女性ばかりが登場する。私の解釈では、それは登場順に「怒り」「過去」「父親(幼児の性的虐待)」「ダメな男」「未来(ありあまる可能性)」「己の性的魅力(名器)」「老い」「病気」「愛する人との死別」となる。 それぞれの話には、ガルシア節特有の語られない行間があり、観客は登場人物の会話を注意深く聞くことによって、それを感じ取っていく。そういった見せ方には相変わらずのうまさは感じる。 特に、性的なセリフが一切無いにもかかわらず、「性的虐待を受けた過去」を演じきったホリー役の女優さんの熱演が光る。 個人的には、全体として、「彼女を見ればわかること」ほどのインパクトが感じられなかった。 何が違うのかといったら、「彼女」でのメッセージとして存在していた「明日を信じること」「人間性への信頼」あとは、「芸術性」において、本作は「手詰まり感」を示すのみで、「みんなそれぞれ苦戦しているんだね」以上のものを観客に示していないということだ。「彼女」を見終わった時、知らずに胸に湧いてきた、「もしかして、この先何かいいことがあるかもしれない。」「もう少し、前向きに生きてみてもいいかもしれない」という気持ちが、全く浮かんでこない。 「彼女」を改めて評価したい気持ちと同時に、やはり本作への失望を感じた。 何がいけないのだろうか。イニャリトウは排除したほうがいいのではないか?優秀な女性スタッフが足りないのではないか? あと、サマンサの項は完全に趣味に走っていて、男性の作り手の勝手さに腹が立つ。あのブリブリした胸の谷間をこれでもかとアップで撮り続ける品の無さはどうしたものか。やっぱり女性スタッフの力が生かされていないと感じる。同じ豊満ボディを撮るにしたって、女性スタッフに発言権があるならば、こんなことにはならないはず。あれは女性の観客には不快感しか与えない。 ガルシアよ、「オレは女性を描かせたら世界一」などと慢心して男ばっかでつるむのはやめよ。ロクなものはできんぞ。 なんたってあんた自身は〝男〟でしかないんだから。女の目はごまかせないぞ。
[DVD(字幕)] 6点(2007-06-14 14:57:14)(良:2票)
353.  ソウ3 《ネタバレ》 
「2」鑑賞後にバウズマンはセンスが足らんと書いたのだったが、「3」鑑賞後、それをさらに確信した。 「3」は非常に残念な仕上がりだったと思う。なぜなら、「1」のワンが脚本に参加しており、脚本そのものは悪くなかったからだ。やはりワンの才能はあなどれないと思う。 冒頭に、デンロン医師と「男性」の不仲シーンを見せることによって、あたかも夫であるかのように思わせる手法などは、あざといが、きちっと常道をおさえている。また、ジョンがことあるごとに「ルールを守れ」とアマンダに諭すことも、後になって効いてくる。繰り返されるアマンダの暴走ぶりも、ラストになって、ジョンがゲームを仕掛けた動機となってちゃんと効いてくる。 また、ジョンとアマンダの異常な師弟関係についても、二人の間には切っても切れない葛藤を含む結びつきがあったことを、脚本はちゃんとセリフを通して伝えようとしている。 そうなのだ、もしもこれをバウズマン以外のセンスある監督が撮って編集したなら、高校生を興奮させるだけでなく、大人の鑑賞にも耐えうる格調高いサスペンスになったかもしれない。 バウズマンのセンスの無さがいったいなんなのか、それは「3」によりはっきりした。 それは「観客の想像力に対する想像力の不足」だと思う。よって、その作品は「すべてをはっきり見せきる」というサービス過剰な状態となる。 「観客の想像力」だけで充分おなかいっぱいになる場面までも、ちゃんと見せないと気がすまないのだなあ。サービス過剰なのか、律儀というのか。どっちにしたって、センスはない。 だいたい、緊迫の場面がずーっと続いている話だというのに、「さあ、ここはもっと緊迫だよ!」とばかりに激しい音楽、手ブレ映像、フラッシュバックをお約束のように毎度毎度出してくる。だから、緊迫してるのはもう分かったって。 こういうのを「芸がない」というのだ。 バウズマンの作品というのは、高校生レベルの観客を興奮させるのがせいいっぱいである。 「1」のことを思うととても残念だが、バウズマンのおかげで「SAW」というのは「グロい」の代名詞になってしまうだろう。「SAWすごかったよなー」という会話が交わされるのは、男子高校生かオタク青年の間だけで、その意は「グロいという意味において」の「すごい」、でしかない。 私は「グロ」においても「格」や「品」は存在する、と思っている。
[DVD(字幕)] 4点(2007-06-14 11:04:36)(良:2票)
354.  春の雪 《ネタバレ》 
映画としては、充分及第点をつけられる作品だったと思う。監督の力量に安定感を感じる。 決定的な不満は残ったが…橋本治の三島由紀夫論によると、この話の白眉は第四部のラストにあるという。 数十年後、出家して門跡となった聡子を訪ねる本多が、「松枝など知らぬ」と言われることで、無常感極まるのだという。「豊饒の海」である。月のクレーター。不毛の地。 「春の雪」だけを映画にされてしまうと、一見「純愛」のように幕を閉じてしまう。やっぱり不満だ。 で、なにはともかく大正ロマンを満喫できる。大正ロマンとは何か。私は「富の錯覚」と評したい。 もともと日本は貧乏な国なのであり、今もそうで、日本史を振り返って見たところで、天皇になったって、将軍になったって、大した贅沢ができたわけでもなく、日本人は贅沢に慣れてないどころか本当の贅沢の意味も知らぬ。大正元年当時の日本人だってそうで、おそらく松枝侯爵のやっていることなど西洋の貴族から見たら「貧乏人のままごと」でしかないに違いない。プチ松枝侯爵がうようよ発生した時代、それが大正ロマンの時代と思う。 「春の雪」それは、男対女の純愛…などではない。なんたってあの三島由紀夫が考えた話だもの。 S男とM子が見事にめぐりあい、これ以上ないという絶好のシチュエーションで、〝プレー〟を楽しんでいる…そして、S男の脇には「友達」ではなく〝ホ〟で始まる美男子もセットされている…なんと三島好みの構成。それが「春の雪」だ。 映画「春の雪」を見ながら、行定監督の手腕よりも、原作者三島の意地悪さのほうに、「うーん、やるな」と唸ってしまう。 キャストについては、まず竹内結子に「首の短さ」という救いがたい難がある(そして意外に太い)。 なおかつ、聡子を演じるにあたって、おそらくは美智子皇后や紀子妃の立ち振る舞いを真似たと思われるのだが、これがいけなかった。常に前傾姿勢でいることによって、首の短さが強調され、着物も洋服も似合わない。…竹内には可哀想だが、私としては若い頃の鷲尾いさ子にやらせたかった(でも鷲尾はSの系統だ…)。 妻夫木はなかなか驚かせてくれた。人をアゴでこき使う性格の悪いお坊ちゃんを、よくここまで再現できたと思う。今は亡き岸田今日子はやはりすばらしい。宇多田のエンディング曲も良い。 最後に…及川光博はやはり決定的に軍服が似合わない。お願いだからもうやめて。
[DVD(邦画)] 8点(2007-06-12 18:09:59)
355.  LOFT ロフト(2005) 《ネタバレ》 
黒いワンピースを着て、ダラリと腕をたらした髪の長い女。怖い…と思う前に、「あっ安達祐実じゃん」。 台無し。 や、台無しの理由はそれだけでもないのだが、やっぱりこれに尽きるなあ。 なぜここに安達を使うかなあ。ダメじゃん。まあ、あんまり怖がらせよう、と思ってないってことだな。 全編通じて、セリフが聞き取りづらく、トヨエツなどは何を言っているかわからない。ヘッドフォンを装着して、聞きなおしてみる。重要なセリフを、小さな声でつぶやいていた。こんなことでいいのか。 邦画の苦手なところは、字幕がないので聴覚に集中しなければならないところ。舞台じゃないんだから、全部の日本語が聞き取れるとは限らん。字幕つけてくれないかなあ(私は聴覚より視覚が優性なので)。 中谷美紀。ほとんど浅野温子のコピーと化してきた。花柄のノースリーブを着て、髪の毛ワンレン(死語か)でさあ。しかし、私は浅野に比べたら彼女が結構好き。 中谷は、なんていうか、男に媚びないことを全身で表現している。まあそれが、突如発生させられたトヨエツとの純愛にそぐわないわけでもあるが。 いつもながら西島のセリフまわしの異様さには驚く。「大奥」でもヘンだったが、最初っから「怪しいものです」と主張しているかのようだ。西島一人が、何を言っているかはっきりききとれるという、ヘンさだ。しかも、セリフが全部キザである。脚本も書いたのだから、黒沢というのは、自分でもこういう会話をするのだろうか。だとしたら、かなりブキミな男性だ。会話はしたくないなあ。 この映画はさ、話がどうとかもうくだらないので、「都会の喧騒を離れてひなびた洋館で孤独を楽しむ妙齢のインテリ美女と、その周辺のヘンな男たち」を鑑賞するつもりになったほうが、楽しめる。あなたが女性なら、「長い休み」をとって、田舎にこもったつもりにでもなってみる。 実際、洋館のインテリアとか今風のユーズド感がとても味あるし、中谷はキレイだし、自然は美しいし、余計な人間があんまり出てこないし。たぶん、田舎に住んでる人が見たら、あんまり面白くないだろう。人はいつも、無いものを求める。 あと、トヨエツの足の長さを再確認できる。 それにしても、鈴木砂羽はいつでもどこでも「お友達キャラ」が定着。役には困らなくても、この先どうするのか。これでいいのか。
[DVD(邦画)] 5点(2007-06-12 12:46:03)(良:1票)
356.  ブラック・ダリア 《ネタバレ》 
デパルマというのは、ムラのある監督さんだ。 「カリートの道」の完成度を思うと、同じ監督さんの作品とは、にわかに信じ難いものがある。 しかし、「カリート」という金字塔(あくまで私の中での)があるデパルマだが、多くの失敗作も同時に有する。…ファジー(これ死語かな)な人だデパルマって。 で、「ブラックダリア」を見ていると、次のような言葉がずっと頭にこびりついて離れない。「…何か、だまされてる?何か、ごまかしてる?」 なんだかわからないが、「何かを意図的に省略してる」の感じがつきまとった。何だかわからないが。 でまあ、簡単にいうと「みんなウソをついてる」映画で、「特に女のウソは二重三重ですごいよね」であり、しかし、正義漢ぶっているブライカートだって、八百長試合をしているのだから、同じ穴のむじななのであった。 リンスコット家の異常さが印象に残る。一歩踏み込むと、そこは遊園地の「びっくりハウス」状態であり、完全に「常識が通用しない」その空気、相当に息苦しい。それをデパルマは速いテンポでサラッと見せる。うまい。 ヒラリー・スワンクがエロく見えないのは当然だが、不思議なことに、ウッディ・アレンの「マッチポイント」では、あれほどエロかったスカーレット・ヨハンセンが、全くエロく見えなかった。…やっぱり、料理して家で待ってたりすると、エロさが失われるのではないだろうか。ヨハンセンに料理。有り得ない。 ヒラリー・スワンクのマデリンというのが、登場した瞬間から「年増のスキモノ女」としか思われないのであるが、なんだなんだ、お嬢なうえ美女だったのか?言われないとわからないが、そんなでいいのかな。相当無理している感じはあるが、妙な妖気は感じた。 どうにかしてほしいのは、アーロン・エッカートだ。…なんか、本人はデニーロさんが入ってると勘違いしているのじゃないか?確かに遠目に見れば、見えないこともないが…私はこの俳優さんはダメだ。これぽっちも興味を持てない。なんか、「薄い」んだよなあ。 最後に、ジョシュ・ハートネットだ。「尻」だ。いやー、よく披露したよなあ、後姿の思いっきり無防備な尻を。ジョシュ・ハートネットの尻解禁が、最も収穫だったかもしれぬ。
[DVD(字幕)] 6点(2007-06-08 22:42:40)(笑:1票)
357.  記憶の棘 《ネタバレ》 
これはおもしろい。 スタッフプロフィールを見ると、驚くべき錚々たる顔ぶれである。どうりで、電気音を排したクラシカルな音楽もすばらしいし、脚本も垢抜けているわけだ。 キャストもすばらしい。ローレン・バコールを引っ張り出したのもすごいし、問題のキャメロン〝出すぎ〟ブライトはともかく、キッドマンを主役に据え、アン・ヘッシュやピーター・ストーメア(この人はコンスタンティンの悪魔!)デブラ・ウィンガーの夫など脇も重量感のある俳優が揃っている。 未知数の新人グレイザーのために、よくもこれだけのお膳立てができたものだと思う。 キッドマンは完全にアン・ヘッシュに食われている。出番の少なさとは反対に、クララのヤバさは最も印象に残る(眉毛無いし)…アン・ヘッシュって、こんなすごい女優だったか? 種類としては、骨太の脚本を軸に、あくまでも脚本を引き立て、その雰囲気を壊さぬように作っていく作品だ。脚本が立っている映画である。 で、その脚本には仕掛けがあり、これが分からないとその後の展開に「?」がつきっぱなしになってしまう。 ジョセフの大暴れの前に、アナの入浴中にショーンが乱入(?)するシーンがある。アナが「出て行って」というところで、カットが変わってしまうのだが…ここを、姉ローラのセリフ「それは違法行為よ(イッツ イリーガル)」につなげてみると、どうなるか?なぜアナはうなだれたまま顔も上げられない? そして、ここからアナは〝ショーン〟を確信し、一気にアブない方向へ進む。これは何か。 映像として表現することはできないが、例の入浴中に、性交渉があったと見るべきなのだ。死んだ夫しか知らない性愛表現があったから、アナは確信したということだ。そうとしか考えられない。 脚本では、入浴シーン以前のパフェを食べながらの会話や、入浴シーン後のアナの態度の変化を描くことによって、観客に「想像してください」と言っている。…ここらへん、フランス人らしいいやらしさを感じる。 謎を残したままのラスト。クララを思い出せなかったから、ショーンでなかったと言えるのか?…人間は、生まれ変わっても都合のいいことしか覚えていないのではないか、そしてショーンというのはもともと二面性のある男だったのでは、というのが私の意見だ。ショーンの死から〝誕生〟シーンへ繋がる冒頭のシーンで、答えはすでに示されていると思う。
[DVD(字幕)] 8点(2007-06-02 18:16:08)
358.  ナイト・ウォッチ(2004) 《ネタバレ》 
最初のうちは、「おお、これはなんかすごいかも」と思って見ていたのだが…終盤になると、正直「寒い」という気持ちが芽生えてしまった。 ストップモーションとか、スロー再生とか、CGとか、一点から始まってクギが落ちる瞬間まで撮るとかいう驚愕映像とか、そういうのは、映画が「おもしろい」と思えるかどうか、とは直接結びつかないのだなあ。 んで、何が「寒い」かというと、脚本と演技だ。 アントンが実の子の存在を確信して急に父性愛に目覚めてしまう、とかいう安い展開、その子が人質に取られてアントンが身を投げ出す、とかいうさらに安い展開。…これが、ロシア語じゃなくて英語だったら、どんだけチャチに見えるだろうか。何割増しか、言語に救われている面がある。 また、息をつかせぬ展開と説明の無さで、中盤までわざと分かりにくくしているのはいいのだが、後から説明めいたセリフや場面がドンドン出てくるのがなんだかなあ。とことん脚本が安いのである。 演技、これはもう、あなたがアントン役の俳優に耐えられるかどうかで、映画の評価を左右してしまう。私はダメだ!キモい、暗い、下手だ! 「実写にする必要がどこにある」と言いたくなるような作品だ。
[DVD(吹替)] 3点(2007-06-02 18:10:46)
359.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 
夢を壊すようで悪いけどコレについては、「男であることの限界」と言い切ってしまうぞ。 「個を捨てよ。種に生きよ。」なのだ。映画が進むにつれ、この言葉が画面いっぱいに書いてあるような気すらしてくる。 たった一人の赤ん坊のために、関わり合った人々が進んで命を投げ出す。 「新しい命」のために、「比較的新しくない命」が捨て石になるのが当然、というのがヒューマニズムなのか。そう言い切っていいのか。それとも「死んだら天国」の宗教的背景か。 これが「個を捨てよ。種に生きよ。」でないなら、いったいなんだというのか。 そして、キーは「誰だか覚えていない」ような相手の子供を喜んで産むことになっている、というこの無理。 産んだ瞬間から母性愛に目覚め、母親然としているという、この無理。 はっきり言うがこういうところが男であることの限界なんだわさ。 女に生まれた人にとって、産む性であるということは、そーんなおとぎ話のようなものではないのさ。 じゃなんなのかというと、それは、ローティーンからはじまり50歳代までえんえん続くうっとうしい月経であり、妊娠の恐怖であり、子宮筋腫をはじめとする婦人病の恐怖との闘い、出産のプレッシャーとの闘い…の連続である。 今回のクライブ・オーウェンには別に文句はないし、臨場感あふれる戦場シーンや、狭いところをぐるぐる撮ってる映像テクなどもきっと素晴らしいのであろう。 しかし「難民排除」の問題を持ってくるとか、キーが黒人でありその子供も当然黒人、という設定に「しょせん僕らは同じ〝種〟ではないか」「肌の色とか関係ないよね」(題名もまさにそんなことだし)という作り手の声があまりにもはっきりと聞こえてきて、かえってあざとく感じる。 それに、赤ん坊を抱えた母親の前では、どんな兵士も銃を背ける、なんて、あまりにもイージーなヒューマニズムじゃないか?旧日本軍が大陸でそんなことをしたか?ナチスはどうだったか?もっともっと人類の歴史をさかのぼればどうなのか?人間って、そんなものだったか? もうひとつ、「せっかく機能があるなら、使えよ」という声も聞こえてきて、うんざり。負け犬などは、「捨て石」程度にしか利用価値が無いということだな。 もしかすると、この映画はすごく危険な思想を孕んでいるかもしれないと思う。「産む機械」とか言っているどっかの大臣と、あまり変わらない考え方じゃあないのか。
[DVD(字幕)] 5点(2007-05-27 00:41:42)(笑:1票) (良:4票)
360.  変態男 《ネタバレ》 
これは、入っていないだろうとタカをくくって検索したら…すばらしい。さすがにここのレビューです。 この作品を登録されたレビュワーさんもおっしゃるとおり、邦題のセンスには、おどろきを通り越して、「マニアしか借りないように仕向けているつもり?」との作為すら感じます。まあ、フツーの客は、見ないよねえ。特に、女性の視聴率は果てしなく低そうだ。私のような、物好きぐらいに違いない。 しかし、これは、エグさを売りにしたスプラッター映画ではなかった。 フランスの若手新鋭アーティストが集まって、仲良く作った低予算映画、である。どうやら、主演のカルロなど、ノーギャラらしい。 ジョルジュという、むなしい中年男の崩壊した行動を追った作品。フランス映画らしくラストは辛口。(もうひとつのエンディングのほうが、納得がいくけどもなあ) 私としては、クリスティーヌがいつ反撃に出るのかと期待していたのだが…そういうことだったのね。 日頃から虐待慣れしていたM女であったため、トランクに飼われるという有り得ない生活に。 おまけに、ジョルジュは娘だけは可愛がっているのかと思いきや、ここでも予想に反し…。 予想を裏切り続ける、という点では、これは秀逸な脚本といっていいのでは。 ジョルジュが冒頭で突如として他車を襲撃した動機づけをはっきりさせないことといい、クリスティーヌがシモンを退治したことといい、不条理にしたいのだ。強引にすぎるが。「なぜ」でなくて「どうなるのか」を見る作品だ。 妻がすごいですね。倦怠期の妻というのは、ここまで夫を罵るものでしょうか。特に問題があるようにも見えないのに。フランスの女の人って、こわいですね。 あと、クリスティーヌ役の女優さんが、フランス人なのにあまりにも胸が無いことに驚く(テデスキさんとかを見慣れてしまったので)。 低予算のわりには、まともな作品です。あまりにもひどい邦題のせいで、見てくれる人が少なそうなのが、残念なくらいだ。次作にも期待したいですね。
[DVD(字幕)] 7点(2007-05-12 21:07:03)
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