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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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361.  007/美しき獲物たち 《ネタバレ》 
ロジャームーア最後の作品ということで、どれほど末期的な状態かと思っていたら、意外と観れる作品に仕上がっている。 アクションに関しては、ムーアには端から期待しないという姿勢が現れていて、思い切りの良い作品になっている。あまりにスタントに頼りすぎていて、「オマエ誰やねん!」という場面も垣間見られ、映画としてはギリギリな仕上がりとなっているが。 冒頭のスキーアクション(何度目だ)から始まり、パリ市内でのカーアクション、競馬の障害レース(なかなか新鮮味あり)、火事からの脱出、消防車を使った警察との派手なカーアクション(死ぬのは奴らだのペッパー警官を思い出させる)、金門橋上での決闘というように、アクションに関しては見所が非常に多い作品だ。 ストーリーは「ゴールドフィンガー」をベースにしているだろう。ゾリンの計画に反対する悪党を派手な方法で殺すのも「ゴールドフィンガー」をなぞったものだ。 二人のボンドガールに関しては、なかなか新しい趣向ではないかと感じた。メイディは有能な殺し屋兼ガールというのはあまりいない(サンダーボールのフィオナくらいか)。また、ゾリンに裏切られたために、ボンドに味方するというのはジョーズの流れを汲んだものだろう(ジョーズにもこういう派手な散り方を期待したが)。 ステイシーは叫んでいるだけという批判をよく浴びるが、こういう空気に近いガールもなかなか珍しい。知識だけはあるが、世間ズレしたお嬢様という感じがよく出ていた。 ウォーケン扮するゾリンは精神的に問題ある試験管ベイビーという役柄であり、そのキレっぷりには期待をしたが、大した出番もなく、おいしいところは全部メイディに持ってかれてしまい、やや中途半端になってしまったのは残念だ。目玉は、証拠隠滅を図るための作業員大虐殺だけというのはもったいない。 個人的には、運転手役を演じたチベットとの掛け合いも面白かった。「私を愛したスパイ」でもストロンバーグの研究所をロシアのスパイのアニヤと訪ねたとき、秘書役という設定を利用して、その設定でムーアは遊ぶことがあった。こういう遊び心あるユーモアと余裕がロジャームーアボンドの魅力だった気がする。彼のボンドには賛否両論あったかもしれないけど、本当に長い間頑張ってくれたという想いが強い。ラストではロシアだけでなく、彼(とマニーペニー)に勲章をあげたいと思った人は多いのではないか。
[DVD(字幕)] 4点(2006-11-27 01:13:13)
362.  007/オクトパシー 《ネタバレ》 
前作「ユアアイズオンリー」が意外と良い出来だっただけに、今回もジョングレンに期待したが、なぜここまで落差がある作品を作ってしまうのだろうか。 前作で本格的アクションを製作したので、今度はコメディと色気で攻めようと考えたのか。それとも、前作があまりにコメディと色気が足りなかったので批判を浴びたのかどうか分からないが、あまりにもコメディと色気に寄りすぎている。あるいは、同年に製作された「ネバーセイネバーアゲイン」との差別化を図ったのかもしれない。理由はよく分からないが、アクションというよりもほぼ全編コントに近い(飛行機上の空上バトルは除く)。 いくらビジェイを演じた人が世界的なテニスプレーヤーだとしても、ラケットで戦うというのはあり得ない話だ。「ムーンレイカー」でも剣道が登場したが、あれには緊張感があった。こっちはふざけているようにしか見えない。 ロジャームーアもアクションを行うのには既に限界は過ぎている。本当の世界ならば、十回以上死んでいてもおかしくないような状態が延々と続く。勝手に銃弾やナイフの方がボンドを避けてくれるという状況下で緊迫感が生じるわけがない。 あともう少しで核爆弾が爆発するという事態で、わざわざピエロに変装するというのも痛々しくみえる。ショーンコネリーならば、こんな下品な方法で難を逃れただろうか。 また、あれほどボンドの女好きを批判していたQも女性に囲まれるとただのスケベ親父になってしまうのもいただけない。あのような場合でも、頑なまでの「堅さ」を維持して、シチュエーションのギャップやボンドとの違いで笑いを取るのが普通だろう。 しかし、ストーリーは結構しっかりしている。009が手にしていた卵の謎を追うと、宝石密輸団にたどり着き、そのまた奥には暴走したKGB(オルロフ将軍)による核爆弾による偽装事故という陰謀(宝石と引き換えにカマルに依頼)が隠されている。核事故と軍縮の時勢を利用して敵の防御ラインを一気に下げるという地味でリアリティが若干あるストーリーとなっている。しかし、全く作風とストーリーが噛み合っていないのが残念だ。 さらに、本作は旧作のオマージュが散りばめられているのも特徴だ。ワニの被り物は、「ゴールドフィンガー」のカモのアイディアだろうし、ユニオンジャックの気球も「女王陛下」のパラシュートのアイディアを拝借したものだろう。
[DVD(字幕)] 3点(2006-11-25 23:02:58)
363.  007/ユア・アイズ・オンリー 《ネタバレ》 
80年代に入りジョングレン監督時代の幕開けとなった。 冒頭のトレーシーの墓参り(女王陛下の007)とブロフェルドの最期を描いたということは、過去の遺物を捨て去り新しいシリーズに向けた決意と、本作を本格アクションの「女王陛下」ラインにすることを意味していると感じた。 「ムーンレイカー」で極めたともいえる荒唐無稽なファンタジー路線を捨てて、特殊アイテムが登場しない正統派アクション・サスペンスを目指したようにみえる。 ロジャームーアが真剣に走り、一人の悪役に正面きってワルサーを向けるというのはなかなか珍しいような気がする。 前作では乱発されたラブシーンもすっかりと影を潜め、上映1時間経過後にようやくコロンボの愛人リスルと一夜を共にして、ラストでメリナと一緒にいるときもあえてベッドシーンを描かず、二人で海に潜るという幻想的なシーンで締めくくっている。確かに、父母を殺され、復讐に燃える一人の女性が、復讐を果たす前に男と寝るようなことになれば、ストーリーとしてはリアリティを欠く。 スケート選手のビビに迫られたときに拒むのもボンドらしくないところだ。これも新しいボンドを創り上げようとしたことの表れだろう。 また、いつもの公式に沿っていないのが「メリナの復讐劇」ではないだろうか。普通はボンドのボンドによるボンドのための映画なのに、一人の女性の復讐劇をストーリーの中心に仕立てている点は珍しい。メリナの復讐劇とATACを巡る攻防をメインにして、コロンボやクリスタトスの確執をサブにするという面白い構成をしている。さらにその背後にはソ連のゴゴール将軍がいる(私を愛したスパイでは共に戦った仲)という仕組みだ。 ストーリーやアクション(小さな車、スキー、ボブスレー、ロッククライミング)に見応えはあったが、本作には大きな問題を抱えている。それは、本作には「笑いやコメディのセンス」が大きく欠如している点だ。三人のアイスホッケー選手をゴールに叩き込んだり、自動車が木に引っかかったり、サッチャー首相をもじったラストのやり取りなど、笑うに笑えないものばかりで、普段のシリーズよりもかなり劣るレベルである。 本格的なアクションを目指しているのに関わらず、質の低いギャグはマイナス材料にしかならない。5点か6点か悩む作品だが、シーナイーストンの伸びやかで美しい歌声と、ヒロインの個性的な美しさを加味して6点とした。
[映画館(字幕)] 6点(2006-11-25 01:13:57)
364.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 
素晴らしい傑作だ。女性はもちろん、男性にも観て欲しいと思った作品だ。ファッションに興味のない人には苦しい部分はあるが、本題は「仕事に対する姿勢」なのでその辺りは無視しても影響はない。 ミランダは一見「悪魔」のように見えるかもしれない。無理難題を課し、わがまま放題にもみえるが、自分はミランダをとても尊敬できる人と感じた。自分の仕事に対してプライドと自信を持ち、妥協を許さず全身全霊をこめて取り組む。水色のダサいセーターにしても「おばあちゃんのお古でしょ」と揶揄するのではなく、そのバックグラウンドを彼女は理解している。深い知識を得るための努力や勉強の賜物ではないか。 「娘の発表会のために飛べない飛行機を飛ばせ」「未発売のハリーポッターを手に入れろ」という難題をアンディに課したようにみえるが、果たして本当に無茶な話だろうか?これが撮影のために必要な服を翌日までに空輸しなければならないというシチュエーションだったら「無理でした」では済まされない。ハリーポッターの件はこの業界で必要な人脈を築けたのかということをテストしたに過ぎない。 アンディも彼女の仕事に対する姿勢をある意味で尊敬していたと思う。 一番の違いは、仕事にために家族や親しい友人を犠牲にできるかという点だろう。ミランダも人間である以上愛する人を失えば傷つく。だけど、何度失っても仕事と家族の二者択一を迫られれば仕事を選ぶ人間だろう。アンディも仕事を選んだために一度愛する人を失った。しかし、親しい友人の成功を犠牲にしたり、愛する人と過ごす時間を失ってまでも仕事を選ぶような人間になりたくないという想いを強くしたのではないか。家族と仕事の二者択一を迫られれば家族を選びたいというアンディの道とミランダの歩む道が分岐したときの彼女たちの姿はとても美しかった。 ファッション通の人には特に楽しめる内容になっている。ヴァレンティノガラバーニ御大の姿も見られるし、カールラガーフェルド(現シャネルデザイナー)の電話を取れなかったためアシスタントが首になったり、トムフォード(元グッチ・YSLデザイナー)のコレクションに対してミランダが唯一微笑んだというエピソードや、ドナテッラヴェルサーチの席次を悩むエピソードは面白い。マークジェイコブス(現LVデザイナー)のバッグをミランダが気に入らないといってアンディの友達に渡すところは皮肉も感じられる。
[映画館(字幕)] 9点(2006-11-20 21:01:10)(良:2票)
365.  ソウ3 《ネタバレ》 
本作の鑑賞の前に是非ⅠとⅡの予習をしてから観て欲しい。自分は予習をしたので、とても楽しく充実して本作を鑑賞することができた。 Ⅱで感じた自分の疑問点などに対してきちんと回答が用意されているのが嬉しい。Ⅱの成功を受けて、Ⅲの製作が決まったということから、Ⅲを前提にしてⅡは創られていないのである。穴というか矛盾が多かったⅡを逆に利用するところが製作者の頭がキレルところだ。演出力も前作よりも格段とパワーアップしている。 本作のゲームの構造は、①ジェフが息子の死に責任がある者を赦せるかというゲーム、②リンがジグソウをゲーム終了まで生かせるかというゲーム、③ジグソウとアマンダのジグソウとしての資格を問うゲーム、④ジグソウとジョン(ジグソウ)のゲームという4つのゲームで成り立っている。 ③のゲームはⅡの疑問点を受けている。生き残るための道は残されるべきというゲームのルールを守れるのかをアマンダに説いた。ジグソウのゲームと単なる快楽殺人とは全く違うということを明確に示している。本作の冒頭の二件のゲームも前作同様に答えも逃げ道も用意されていないのが特徴になっている。 特に、④のゲームが興味深い。ジグソウは「ゲームを通して人を変えることができるのか」、「ゲームによって人の生き方を改めることができるのか」というゲームを自分に課したのである。自分が行ってきた数々のゲームは「生」の喜びを享受しない人々に対して果たして意味があったのか、ということを自分に問うたのである。アマンダは確かに生まれ変わったようにもみえたが、本当に彼女の生き方を変えることができたのか、逆に間違った方向に導いてしまったのではないかということをジグソウは自問したのではなかったか。 この問いに対する答えは明確なものだった。「人は変わらない」ということだ。一時の感情に支配され、愚かしいまでに過ちを繰り返すことが「人間の本質」ということをしっかりと描かれている。本作を鑑賞し終わった後は、我々はジグソウに向かって心の中でつぶやくだろう。「ゲームオーバー」と。 彼もこの答えは知っていたに違いない。「保険のために用意していた」というテープが流れるが、テープを用意するということは、このゲームに自分が勝てないと知っていたからではないか。 このシリーズはこれでもう完結させた方がこのシリーズのためにも良いような気がしたが、どうだろうか。
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-20 20:43:20)(良:4票)
366.  ネバーセイ・ネバーアゲイン 《ネタバレ》 
本作の公開時にはコネリーはすでに53歳。もう孫がいてもおかしくない歳ではないだろうか。あんな政治家風のおじさんが、女性にモテモテだったり、屈強の男性と激しいバトルを繰り広げるのをみると、ちょっと痛々しいというか、やはり無理を感じさせる。 医療施設で到底敵わないような男と戦わせたのは、歳を取っていても、昔と変わっていない、いや昔以上にパワーアップしているということを描きたかったかもしれないがやはり無理がありすぎた。 映画の質としては「サンダーボール作戦」よりは良かったと思う。「サンダーボール」のときには脚本に相当無理があると感じたが、比較的分かりやすくあまり無理がない仕上がりとなっている(ドミノに与えた宝石にアジトの地図が記してあったり、ラストにドミノがあんなところに居るわけないなどの無理は当然あるが、これくらいはギリギリ許容範囲だろう)。 特に、ドミノを寝返らせるためのタンゴはひとつの見所になっており、このシーンのおかげで(時代の影響もあったのか)くだらないゲームにもやや意味を生じている。しかし、いい歳をしてあの二人のおっさんはいったい何をしてるのかね。 配役も「サンダーボール」よりも魅力的だ。ファティマ(フィオナ)は、蛇を用いたりと妖しい殺人鬼として描かれており強い存在感を感じる。サンダーボールのルチアナパルッツィも同様に大量殺人鬼であるが、存在感をあまり感じなかった。バイクでのカーチェイスは評価できるし、ボンドとファティマの直接対決も見所十分となっている。 ラルゴも、表向きは慈善事業家という雰囲気は出ているし、嫉妬心が強い内面も十分感じられる演技をしている。オリジナルのラルゴよりも全然よい。 舞台としても、海底(沈没船とサメ)、城跡や遺跡といった面白い工夫もされており、万年筆爆弾や時計のレーザーなどの特殊兵器に関しても、控えめかつ効果的に用いられているのも好印象だ。 以上のように、製作陣のなかなか熱心な姿勢が窺われ、それなりに楽しめる作品にはなっていると思う。 ラストのコネリーの捨て台詞の「ネバーアゲイン」にも歴史的な重みが感じられて良い締め括りとなっている。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-20 00:34:06)
367.  007/ムーンレイカー 《ネタバレ》 
前作「私を愛したスパイ(77)」の予告では、次作は「ユアアイズオンリー」になっていたが、様々な事情から「ムーンレイカー(79)」が製作されたようだ。 大きな理由としては「スターウォーズ(77)」や「未知との遭遇(77)(本作でもパロっている)」のヒットに便乗してSF大作を作ろうとしたのだろう。また、大詰めを迎えていたスペースシャトル計画(81年に初めて打ち上げ)という時勢も影響したようだ。時事問題を取り入れるというのは、ボンド映画の慣例にもなっていて、本作は制作するのに時期的にはまさにぴったりの作品となっている。 要所要所のコメディ的な空気が作品の質を下げてはいるものの、全体としてみると質は高い作品に仕上がっている印象を受ける。特に、冒頭のダイビングシーン(撮影したヤツが凄い)はいまの基準で考えても、素晴らしい出来となっている。サメに飽きたのか、犬や大蛇といった工夫を取り入れており、宇宙にまで舞台を広げるという挑戦は敢行したものの、やはりどことなく既視感を感じられる。いわゆるマンネリ化しているといわざるを得ない。 しかし、一点だけ他のボンド作品に符号しない展開は用意されていた。 それはジョーズの存在である。敵側の女性がボンドの魅力によって寝返るというパターンは過去にも多くみられるが、男性の殺し屋であるジョーズがボンドに寝返るというのは面白い展開であった。しかし、寝返る際の理由があまり明瞭でないことや、最後はボンドを助けてメガネっ娘と宇宙船とともに爆発するという展開を個人的に望んだものの、ご都合主義で結局彼らを殺さないという展開にしてしまうのは、がっかりしてしまう。ジョーズを殺さないメリットがどこにあるというのか。彼は前作で何人もの人間を殺している犯罪者であり(本作では寝返ることが前提のため殺しが成功していないものの)将来的に利用価値の存在である。エモーショナルな展開を描けるはずなのに、ジョーズというせっかくの素材を上手く調理できなかったのはマイナスだ。 その他にも、シークエンスの繋がりが悪い点が目立ったり、不必要に多いボンドガール(リオの局員マニュエラなど)と不必要に多いベッドシーンなどの欠点もある。 肝心のCIAのグッドヘッドはやや魅力や存在感を欠いているのも高得点をつけることに躊躇してしまう点だ。チャーの剣道には別に呆れることはなかった。あれはあれで面白い嗜好ではないか。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-20 00:30:12)
368.  007/私を愛したスパイ 《ネタバレ》 
記念すべき第十作品目ということで、本作は過去の作品の集大成となっている。 過去の作品のよい部分をとりあえず詰め込めるだけ詰め込んだという印象だ。ボンドとロシアのスパイと敵という三つ巴は新しいパターンではあるが、ボンドと同等のライバルの登場という構造は「黄金銃」と基本的に似ている。 冒頭のスキーシーンは「女王陛下」でさんざん描いたもの。二国の潜水艦が行方不明となり二国に緊張が走るというのは「二度死ぬ」と似たパターン(今回は互いに協力する)であり、潜水艦をそのまま大きな船が飲み込むというものは「二度死ぬ」の宇宙船と全く同じアイディアだ。二基の核兵器を盗まれて悪用されるというのは「サンダーボール」と同様だろう。 特殊機能が付属されたクルマ(ゴールドフィンガー)でのカーチェイスには、オートバイ、クルマ、ヘリコプターと怒涛の攻撃をみせるもののいつものパターンを連続して行ったものにすぎない。潜水艇に変形するクルマは「黄金銃」で変形して飛行機になるクルマのアイディアを海版に変更したものである。海中戦は「サンダーボール」のアイディアの借用だろう。 悪役ジョーズは歴代の悪役でも人気がありそうな「ロシア」のグラントと「ゴールドフィンガー」のオッドジョブを足して割ったような存在だ。「黄金銃」のニックナックが小男ならば、今度は大男と考えたかもしれない。グラントや「死ぬのは」のティーヒーと同様に定番の列車内での戦いも盛り込まれている。サメは「サンダーボール」にも登場する(ピラニアは「二度死ぬ」で登場)。 リバラス号での敵味方ごちゃごちゃになった死闘は「二度死ぬ」の火山での死闘を思い起こされる。ストロンバーグの風貌は、ブロフェルドを思い起こさせるし、彼の海洋基地は「ダイヤモンド」の油田基地にも似ている。あまり工夫もなく堂々と単身で乗り込むところも「ダイヤモンド」をなぞったものだろう。 過去の作品のいいとこどりをするのは悪くないアイディアだと思う。おかげで本作はかなりスリリングな展開となっているが、肝心のボンドとアマソワの愛憎をもっとじっくりと描いてほしかったところだ。アマソワは恋人が英国の諜報部員に殺されたと聞かされているのであるから、ボンドを含めた英国に恨みを抱いているはずである。ラストも緊迫した場面だが、笑いで逃げてしまった感は残念だ。ムーアに愛の深みを求めるのは無理の話かもしれないが。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-20 00:13:42)
369.  007/黄金銃を持つ男 《ネタバレ》 
評判悪いようだが、ロジャームーアのボンドならばこの程度がスタンダートではないか。スカラマンガとの対決後にソレックスアジエイターの取り外しの苦労だけで終われば5点にしてもよかったかなと思っていたが、その後にニックナックと緊張感のない茶番が繰り広げられるのでうんざりする。あれは減点以外の何物でもない。 前作に引き続き、ロジャームーアは女性に厳しく、容赦しない点も描かれている。スカラマンガの愛人アンドレアがボンドに助けを求めてきた際には、危険等を承知でアンドレアを利用し、スカラマンガの元からソレックスアジエイターを奪還しようと企てる。彼女が死んだとしても、あまり感情もないようである。 同僚のグッドナイトを一人の女性や人間と見ていないような対応をしているのも特徴だ。ソレックスアジエイターの取り外し中に太陽光線に遮られてしまい。すぐにグッドナイトが止められないときに見せるイラッとした感じが意外とよい。紳士の中に時折みせる彼の冷酷さは前作に引き続きやはり健在だ。 グッドナイトは使い方としては、「ダイヤモンドは永遠に」のティファニーケースと似た感じを受けた。ボンドのための行動がすべて裏目にでたりとストーリーをかき乱す役割を担わされる。ラストにボスのアジトになぜか薄着で幽閉されているのも同様だろう。シリーズ公式に従ったのかもしれないが、どう考えても効果的ではない使い方だ。 それにしても、相変わらず、ムーアのアクションはお粗末だ。二人の女子高生やペッパー保安官といったギャグに走らなければ、収まらないと考えるのも致し方ないところだろう。 正直、ムーアは演技やアクションなど上手いとは思えない。せっかくのスカラマンガとの対決もあそこまでプルプルと動かれてしまっては、驚くというよりも失笑せざるを得ない。ボンド人形のトリックや三つの乳首による成りすまし、組み立て式の黄金銃といった工夫やアイディアは認めるが、効果的な演出ができていないし、脚本も上手く活かされていないように感じた。スカラマンガに成り済ますのであれば多少は引っ張り、ハイファットを騙した方がストーリーは締まる。ラストの対決もボンド人形と本物の二体だして、本物ではない方をスカラマンガに撃たせた方が面白かっただろう。 唯一の見所はクルマの一回転ジャンプとなっているが、これが見たいのならば映画ではなく、サーカスでも見にいけばよいと思われる。
[DVD(字幕)] 4点(2006-11-19 23:53:14)
370.  007/死ぬのは奴らだ 《ネタバレ》 
初登場となったロジャームーアボンドの印象は、非常に余裕たっぷりという感じだ。 ちょっと困難にぶちあたったとしても、やや怪訝そうな表情を浮かべるものの、なんなく困難を回避してしまう。その辺りが彼の魅力にも感じ、コメディタッチの仕上がりにもなっている。また、裏切り者と分かったロージーが「(ヤッタ後に)自分を殺せるわけない」とボンドに言ったことに対して、「ヤッタ後だから(殺すのに)未練がないんだ」と言い放つところには彼の冷酷さも窺える。ソリテールに対しても愛情というよりも、自分の行動を読まれてはたまらないという考えから自分の魅力を使って寝返らせようとしているようにも感じられる。 一方、ソリテールに危機が迫った際には、何度か躊躇した後、せっかくの計画を無視しても助け出そうとする熱い部分もみせている。余裕たっぷりの紳士の中に垣間見える冷酷さと優しさと熱さが彼の魅力のようだ。 また、本作は、初期の代表作(特に「ロシアから愛をこめて」)の影響が強いようにも感じられる。敵側からは「ロシア」のように複数のユニークな個性的キャラクターが登場し、ボンドガールのソリテールはどことなく「ロシア」のタチアナに雰囲気が似ている。 モーターボートを使った逃走劇に加えて、ラストの列車内のティーヒーとのバトルは、グラントとのバトルを思い出させる。 往年の国際色豊かな雰囲気を醸し出しているのも歓迎すべき点だ。今回のメインの舞台は、アメリカのニューオリンズとカリブ海となっており、カリブ海を舞台とした「ドクターノウ」にも近い雰囲気となっている。ボンドの上陸を手伝ったクオレルジュニアは、「ドクターノウ」で火炎放射龍に焼き殺されたクオレルの子どもだろうか。 さらに、モーターボートを使った派手な逃走劇や、本物のワニを使うといった工夫が随所にされており評価したいところだ。その上にユーモアたっぷりのコメディ要素をふんだんに盛り込んでいるのも特徴だろう。ペッパー保安官や、ジャズ葬、回転したり降下したりする座席、圧縮ガスの弾薬を使ったカナンガのラストといったように、ややユーモアに比重を置きすぎてしまったようにも感じるが、観客を楽しませる工夫が様々に施されている。 この頃になると、セックスとバイオレンスを描く男の世界という尖がった部分よりも、家族で楽しめるファミリー向けの映画へとシフトしていっているのかもしれない。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-19 23:49:49)
371.  007/ダイヤモンドは永遠に 《ネタバレ》 
前六作に比べて、本作はダントツにレベルが低いと感じられた。 レーゼンビーの降板やコネリーの復活といった迷走振りがそのまま作品に投影され、あらゆる点において中途半端になってしまっている。 我々は、ボンドが様々な困難から奇想天外な方法で乗り切ったり、危機一髪のところで脱したり、ときにはユーモラスにかわしていく姿を見たいのである。 敵も同様に我々の想像を超える奇想天外な方法や派手な方法でボンドを殺そうとするのを我々は楽しみにしているはずである。しかし、本作では、葬儀場で棺に閉じ込められるものの、自力では脱出できず、敵に助けられる始末(ダイヤをすり替えたので殺されないという読みがあったのだろうが、漫談のおっさんは殺されている)。 中盤でのブロフェルドの替え玉を交えたやり取りには多少面白みはあったが(猫までも替え玉を用意している)、その後が正直いただけない内容となっている。エレベーター内でクスリで眠らされた後に地下に埋める予定のパイプの中に放置されるという効果が薄い意味不明な殺し方を企てるのは正直、理解に苦しむ。 ラストにおいても、あのような洋上要塞に潜入するのは困難(普通ならば海から潜るが…)と考えたのか、堂々と乗り込む姿はなかなか頼もしい。しかし、カセットテープのトリックもイマイチ腑に落ちず、その後もある部屋に閉じ込められるが、なんと偶然みつけた出口からそのまま何の工夫もなく出て行ってしまうという流れには呆れるほかない。ガイハミルトン監督の前作「ゴールドフィンガー」でのボンドは何もできなかったことが面白い効果を生んだと感じたが、本作では悪い効果しか生まなかった。 また、最大の問題は、ラストのブロフェルドの扱いだろう。ブロフェルドと本格的に争うのは本作で最後(ユアアイズオンリーの冒頭にも登場するようだが)となるはずだが、この決着では納得がいくはずがない。はっきりとブロフェルドの死を描くことは避け、またどこかで利用しようと考えたのかもしれないが、ボンドの最大のライバルのラストとしては物足りなさすぎる。冒頭では執拗にブロフェルドを追い求めるボンドのテンションの高い姿が描き出されるが、ラストに至っては信じられない急降下をみせている。ゲイ二人やレズ?二人といった悪役は出ていたり、ハワードヒューズのモデルも登場するものの、尖った感じや挑戦的な部分が少なすぎると感じた。
[DVD(字幕)] 3点(2006-11-19 23:41:12)
372.  ソウ2 《ネタバレ》 
「あなた(エリック)はわたし(アマンダ)の最初の被験者なのよ」という言葉で締めくくられていたと思うが、この言葉が意味するところは、本作は「アマンダとエリック」のゲームでしかなかったのだということである。つまり、ジグソウも含めて、息子や閉じ込められた者たちはすべてアマンダのゲームの駒にすぎなかったのである。息子を含めた7人(アマンダを除く)は実はゲームのプレイヤーではなかった。アマンダの役割は息子を暴漢やトラップ(針山のトラップにアマンダが落とされたのは、息子の身代わりに落とされたとした方がよかったと思う)から保護するための守護者の役割である(ゲームの賞品に傷がついたらエリックとのゲームが成り立たなくなってしまう)。だから、彼らにはほとんど生き残る手段が与えられていないのである。誰よりも「生」への執着を示し自らの身体を犠牲にした者(本来のジグソウのゲームでは勝利者になれる)ですら、殺してしまっているのはこれがジグソウのゲームではないからだ。 確かに、前作のジグソウにしても、ゲームのためにプレイヤー以外の者が犠牲になることはあった(前作でアマンダが生き残れたのは、麻酔で身動きが取れなくなった生きた人間の胃の中から鍵を取り出せたというもの、そしてゴードン医師の家族など)が、本作に至っては、「生」の喜びを享受しない者への戒めという趣旨よりも、単なる「復讐」という趣旨に変わってしまっていることが分かる。「復讐」のためならば、他の人間の命を犠牲にしてもよいという考えは、初代ジグソウの理念とはだいぶかけ離れたものだ。「命」を粗末に扱っているのは、誰であろうアマンダということにはならないか。 このように、ややアマンダの哲学には賛同しにくい部分がある。「永遠に生きるためには人々の記憶に残ること」といったよく分からない理屈を持ち出しているのもあまりいただけない。 また、前作に引き続き、ゲームのプレイヤーが適していたかどうかが不明瞭だ。ゴードン医師やエリック刑事といった、人々を守るべき立場の者をハメル必要性があまり感じられない。確かにでっち上げや暴力によって逮捕していたかもしれないが、アマンダのような小娘ひとりをでっち上げで逮捕するメリットは正直あるとは思えず、普通に考えれば何らかの理由があったからではないか。「悪いことはなんでもやったがクスリはやっていない」というのは説明不足すぎる。
[映画館(字幕)] 6点(2006-11-19 00:24:07)(良:1票)
373.  ナチョ・リブレ/覆面の神様 《ネタバレ》 
監督・脚本はナポレオンダイナマイト(邦題バス男)のジャレッドヘス、もう一人の脚本はスクールオブロックのマイクホワイト、そして主演はジャックブラックである。この三人が組んだら、どんなに面白い映画が生まれるかと期待してみたところ、正直いってまったく面白くない映画ができてしまった。 それぞれの個性のよさがぶつかりあって、彼らのよさが中和されてしまっている。危険な「毒」を三種類混ぜたら、無味無臭で無害の液体になったようなものだ。 構造は、「ナポレオンダイナマイト」と変わらない。二人のさえない男と一人の女性が中心となり、細切れのエピソードを繋いでいき、ラストは主人公があっと驚くようなことを成し遂げるという展開は同じだ。にもかかわらず、これほど面白さに違いを生じてしまった理由は何かというと、本作で核となる三人がまったくそれぞれの良さを引き立てていないからだ(子ども達、修道士、レスラーも含め)。ヒロインは可愛いがただの飾りにすぎず、ヤセは「パートナー」というよりもただの人形的な役割しか果たしていない。ヒロインはナチョを奮起させたり、見守っている存在ではなく、ヤセは友情を感じさせる存在でもない。それならば、ナチョの人物像をしっかり描いているかというとそうでもない。子ども達のために戦っているのか、それとも自分が強くなりたいから戦うのか、はっきりとした意志や哲学があるわけではない。ただ、「なんとなく」のエピソードが羅列されるばかりである(ナポレオンも構造は同じだが有機的な結合はみせていた)。それが笑えればなんとかコメディとしては合格となったが、まったく笑えないのでタチが悪すぎる。ワシの卵でどうやって笑えといういうのか。 ラストのバトルとしても全く工夫がなさ過ぎる。普通に戦っていったいどうするんだと言いたい。奇想天外な方法で相手を撹乱させたり、修道士なのだからラッキー的な方法(神の思し召し)で不利な展開が一転して有利になるようもっていくべきだろう。例えば、バトル中にスイカを登場させていたと思うが、(デブの女を絡めて)ヤセがスイカの種を投げたらラムセスの眼に突き当たったり(そうすればバイク強盗のエピソードも少しは活きる)といったネタが必要だろう。これではスイカを出した意味もまったくない。二人の小男との試合に切れがあったことと、ラムセスとの戦いの前の歌を評価して、この点数としたい。
[映画館(字幕)] 2点(2006-11-17 00:14:47)(良:1票)
374.  ソウ 《ネタバレ》 
本作の凄さはゴードンが脚を切ることではなく、ゴードンに脚を切らせたことではないか。ジグソウは、ここに至るまでにほぼ完全にゴードンの思考能力を奪い、精神を錯乱するまでに追い込んでいる。ラストの混乱で携帯は手の届かないところに放り出されてしまうが、携帯は鳴り続けている。この時点で、この着信音はゴードンにとってはただの着信音ではなく、家族の「悲鳴」や助けを求める「声」にしか聞こえなかったはずだ。本来の精神状態ならば自分のシャツやノコギリを使えば余裕で携帯を手にすることができたはずである(序盤にアダムにシャツを使えとアドバイスを送れたのは精神状態がまだノーマルだったため)が、ノコギリを手渡され、家族を助かるためには自分の脚を切らなければいけないという「刷り込み」をされ、精神的に追い込めば、周囲の状況を冷静に分析することができず、そういう行動を取ってしまうという心理をジグソウは利用したのではないか。ジグソウのゲームには一応助かるための「鍵」のようなものが用意されている。冷静でいられないから、この「鍵」を失ってしまうのだろう(アダムにもちゃんと鍵を渡している)。あのとき、携帯が取れそうで取れない位置(何かを使えば取れる位置)に製作者が置いたのは演出家のミスではなく、「作為」だったと思う。 ただ、どうしても引っかかってしなうのは、何故ゴードンとアダム(ゼップも含む)がこのゲームに参加しなくてはならなかったかが不明瞭だ。彼らの罪は、不倫や覗き等であって、「命」を粗末に扱ったり、「生」の喜びを享受していないわけでない。娘を心から愛し、不倫にも躊躇してしまうゴードン医師がなぜジグソウのゲームの対象となり得るのか。ジグソウの動機や理屈とは合わないような気がする。ゴードンの無実の家族をゼップに殺させようとしたが、あの家族にも「命」を粗末にするという「非」はないはずである。例えば、医者の場合には不倫をしたために緊急の患者の命を救えなかったとか、覗きによる強迫で誰かを自殺に追い込んだというようなエピソードがあってもよかったのではないか。ただ、製作者サイドとしては、ジグソウという人物を本当のヒューマニストではなくて、末期状態のために善悪の見境がなくなった狂信者として描きたかったかもしれない(観客がジグソウに過度に同情させないために、論理的に矛盾した行動をとらせたとも考えられる)。
[映画館(字幕)] 7点(2006-11-15 22:54:15)(良:1票)
375.  新学期 操行ゼロ 《ネタバレ》 
平均点を下げてしまってまことに申し訳がない。 本作が多数の映画監督に影響を与えた映画史に刻まれるべき作品というのは分かるけれども、一本の映画として評価した場合、自分としては点数を低くつけざるを得ない。 ただ、面白かったのは、この作品はすべて子ども目線で描かれているのではないかと感じたこと。実際は、校長先生はあのようなロートレック風の小男ではないのではないか。子どもの目線から見れば、あまり子どもと直接関わらなく、お偉いさんにはえらい腰の低い校長先生はただの小さなおっさんに見えたのかもしれない。逆に、あれこれと規則にうるさい教頭先生は、看守のような冷酷な姿に映ったのだろう。ラストにおいてもその方向性は顕著に描かれている。屋上から様々なものを投げつけて、彼らの革命は成功する。彼らにとって、物をぶつける対象は、実際は生身の人間であっても、ただの的(まと)に過ぎないと感じたのだろう。本作では、その気持ちをそのまま人形を使って描いているのには、驚きとともに斬新さが窺える。 これらを踏まえると、本作で描かれていることは全て現実と空想が入り混じった世界なのではないかとも感じた。子ども達は、電車の中やトイレの中でタバコを吸っているが、あれもただの願望や空想、「やってられないよ」という気分を表したのではないかとも思う。 髪の長いタバールも校長先生に対して、「クソ野郎」と罵りたかった気持ちが強く感じたが、実際にあのように叫ぶことができたのかどうかはよく分からない。 スローモーションで描かれる枕の羽が舞い散る革命の序章も、彼らにとっては、あの場面ではあのような美しい姿に記憶されたのだろう(実際はあのような立派なものではなかったのではないか)。子どもの目線からは、圧制に苦しみ、自由を求めて蜂起する民衆の革命の姿に重ねあわすことができたのだろう。 また、自分の母親が豆オバサンと馬鹿にされることに対して落ち込む少年を観て、「オマエラもうやめろよ」と周りに注意する姿が描かれたり、悪戯をして三人が立たされているときに、腹痛を発症させて我慢できなくなっているときに、「オマエ行ってこいよ」と背中を押してやる姿も描かれており、仲間としての絆もしっかりと感じられるようになっている。
[ビデオ(字幕)] 4点(2006-11-14 23:38:02)
376.  ナポレオン・ダイナマイト 《ネタバレ》 
観た後は誰でもハッピーになれる映画ではないだろうか。こういう映画はセンスが違うとまったく理解ができないからあまり期待はしなかったけど、見事にハマれて良かった。 低予算であっても、キャラクターやセリフ、構成、アイディアで勝負した、かなり切れ味がある新しいタイプの映画と感じた。序盤はエピソードのぶつ切りではっきりしたストーリーはないけど、各エピソードはそれなりに他のエピソードにも繋がるし、映画としても意外とちゃんとした構成となっている。 なんと言っても、ナポレオンとペドロの「友情」がよい味を醸し出しているのが本作の魅力のひとつだ。彼らの友情は普通の映画で描かれる「熱い」友情ではなく、表面的には「こいつら本当に友達か?」っていう感じの繋がりしか感じられないのが逆によい。しかし、二人は心の底から信頼しきっている感じが随所に現れている。ペドロが休んだときに電話を掛けるのもナポレオン流に心配している証であり、ナポレオンのダンスパートナーが消えたときにデビーと踊れと言ってくれるペドロはナポレオンを気遣っていることが窺われる(おそらくナポレオンが潜在的にデビーが好きだと気付いているのだろう)。 自分には取り柄がないと嘆くナポレオンに対して「画が上手い」と誉めるペドロの姿もさりげない会話だが彼らの関係をよく表している。 また、「最後は「夢は叶う」で締めろ」とナポレオンに言われればペドロはそのように従うし、ペドロのピンチの時には恥もかなぐり捨てて、捨て身のダンスを披露する。 逆に、デビーに嫌われたとペドロに相談したときには、「贈り物をしろ」という短いペドロのアドバイスに従い、デビーに唯一の所持品の魚をプレゼントする(DVDの未公開編に釣りのシーンがあったがその流れか)。おかげでナポレオンとデビーは再び仲直りできたようだ。このように、感情的ではないけれども、二人の友情は堅く結ばれているのが分かる仕組みとなっているのは面白い。 デビーとナポレオンの最後の遊戯シーンも素晴らしかった。もし、この二人のキスシーンで終わるとすればやや興ざめするだろう。ナポレオンの第一歩としては、二人だけで戯れるくらいがちょうどよい。最後には、ナポレオン一人でボールを叩き始めるのも、なんとなくナポレオンらしさや照れみたいなものも感じられる。 ところで、ナポレオンってオタクというより邪気眼系だよね。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-13 23:48:10)(良:2票)
377.  クリムト
観る人を選ぶ映画とはまさに本作のような映画なのかもしれない。当然、自分は選ばれなかったようだ。本作を初見で完全に理解できる人は恐らく100人中10人くらいではないだろうか。いや、完璧に理解できるのは監督くらいかもしれない。 過去に創られた画家の映画とは異なり、画家の人生や苦悩を描くようなものでもなければ、「真珠の耳飾りの少女」のような一枚の画に込められた想いや秘話的なものを想像して描くというような単純に割り切れる作品ではないので、鑑賞時には注意が必要だ。 監督が本作でクリムトの何を描きたかったかというと、正直あまりよく分からない。クリムトの死の間際に、クリムトの過去の記憶が走馬灯のように駆け巡ったような作品になっている。しかも、その記憶は現実の記憶ばかりではなく、虚構の記憶とが入り混じり、幻の理想のモデル「レア」を探す幻想的な旅をさまようという内容になっている。 <以下ややネタバレ>理想のモデル「レア」は実在するのか、それとも存在しないのか。そもそも自分(クリムト)とは何だったのか、自分も存在するのかどうかという、アイデンティティさえも疑わしくなっていく姿までも描かれている。アプローチ自体はとても面白いとは思うが、果たしてクリムトを描く際に、このような描き方が適していたかどうかは判断がつかない。シュールレアリズムの画家であれば、このような手法でも良かったかもしれないが、クリムトの画からは自分は本作のようなインスピレーションは受けなかった。それほどクリムトの画に精通しているわけではないが、個人的には弟子のエゴンシーレやモデルとなった女性との関係をじっくりと観たかったというのが正直なところ。 本作でもクリムトとシーレが交互に線を描いてデッサンを完成させる様子を描き、クリムトの最期を看取るのはシーレという描き方はしており、彼には重要な役割を担わせているが、天才シーレとクリムトの師弟関係、弟子が師匠を超えていく様や弟子への嫉妬などを描いて欲しかった。個人的に上手く理解はできなかったけれども、クリムトの展覧会でもあったら、またその機会にでももう一度見直してはみたい作品だ。
[映画館(字幕)] 1点(2006-11-12 21:22:42)
378.  ポロック 2人だけのアトリエ 《ネタバレ》 
今や1枚164億円という世界最高額で取引されるほどになったジャクソンポロックの作品を一度だけ実物を観たことがあったが、あまりの迫力と情熱に度肝を抜かれた記憶がある。自分が画から印象を受けたのと同様に、本作ではポロックの情熱的で壮絶な人生を描き切られている。 自分の作品に「青が強い」といったケチを付けられ、酔った勢いで自分の作品を変えようとするものの、その動きをフリーズする姿がとても印象的だ。それだけ自分の作品に魂を込め、完璧さを求め、自分の作品に自信をもっていたのだろう。 また、彼の弱さも実に印象的だ。画が売れずに母や兄の嫁に馬鹿にされるのを我慢できず食卓をメチャクチャにしてしまう姿や、大成功を収めたものの映画監督にいいように弄ばれ、自分の思い通りにならない憤りから、自分は「エセ」ではないと食卓をひっくりしてしまう姿には自己顕示欲の強さも窺える。雑誌などの記事に一喜一憂する姿もその表れだろう。自分の欲を満たせず、結局は酒に逃げ込んでしまうのも、彼の弱さでしかなかった。 そんな弱いポロックを支え続けたリー・クラズナーの人生もとても印象的だった。彼女が支えなければ、ポロックは恐らくニューヨークで酒に溺れて行き倒れていただろう。大成功を収めた後、ポロックとリーの二人の見つめ合う姿には、なんとも表現しようのない「重み」が感じられ、二人で手にした「成功」を噛み締めて、お互いを称え合っているように感じられる。 リーには、妻という生き方、母という生き方、画家という生き方という三択の生き方を選ぶことができたはずだけれども、画家ポロックを背後から支え続ける妻という生き方を選んだ。それだけ、ポロックの才能を信じきっていたのだろう。しかし、共倒れを避けるために、自分という生き方を殺して、ポロックの影になるという生き方を選ばざるを得なかったのも悲劇的だった。恐らくポロック以上に子どもを欲しかったのはリーだったのかもしれない。 ポロックの死後は、ポロックから開放されて、画家という生き方を選び、再びリー・クラズナーという人生を正面から歩み始めることができたのではないか。 ポロックの事故死には、飲酒の事故というだけでなく、酒に溺れて画を描くことができなくなってしまったことに対して自己を破滅させたい衝動に駆られたようにも感じられた。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-05 00:28:46)
379.  女王陛下の007 《ネタバレ》 
前5作と比較すると本作が映画としてのレベルが一番高かったように感じた。 リアリティを無視し、荒唐無稽さが目立ち始め、やや道を外しかけたこのシリーズを俳優交代を機に原点回帰させようとした関係者の熱意が伝わってくる。映画としては素晴らしい作品に仕上がったが、当時の観客には受けなかったのが残念で仕方がない。リアリティをとことん重視した本作(カジノロワイヤルへの対抗か)の興行的な失敗により、本シリーズの方向性は、最新テクノロジーをふんだんに盛り込んだ非現実的な路線へと進むことになったといえよう。 とにかく、本作のリアリティ度は目を見張る。ボンドが一発軽くぶん殴ったら、普通ならば、その名前のない者は即座に退場させられるのがシリーズの流れである。しかし、本作では5、6発ぶん殴っても倒れない。しばらく倒れたとしても、すぐに起き上がって、またボンドに向かってくる(ボンドは顔に傷を負う)。敵から銃弾を浴びせられれば、頬をかすめるほどのギリギリを通過する。スキー板は外れ、敵からは血も噴出す(血は意外と珍しくないか)。油を触れば、当然油まみれにもなり、役に立つのは特殊機械ではなく、ポケットの生地というこだわりだ。金庫を開けるために特殊機械を使用したとしても、数秒で開くことはなく、長時間を要する(これにより緊張感も生じる)。敵から全力で逃亡すれば、疲労までもする(スケートリンクで呆然としている)。仲間は役に立たず、拷問にあえばあっけなく白状するのもリアリティのこだわりだろう。 エンディングもシリーズを無視した挑戦ともいえるが、このエンディングはアメリカンニューシネマの影響を受けているのかもしれないとも感じた。 このエンディングを踏まえると、若さゆえの熱さ、青臭さ、脆さを感じられるレーゼンビーでよかったのではないか。コネリーやムーアでは本作の良さは半減しただろう。 ただ、もろ手を挙げて賞賛するわけにもいかない。①レーゼンビーのボンドは、ボンドとして何かが足りない。ボンドとしての魅力を出し切れていない(ただの若いスパイ)。②女王陛下の諜報部員としての自分と、一人の感情のある人間としての自分との葛藤がそれほど感じられない。③ラストの涙には愛する者を失った哀しみは十分感じられるが、「諜報部員っていったい何だ」という嘆き・重みに欠ける。逆にボンドからハットを受け取るマニーペニーの涙には重みがあった。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-03 01:10:14)(良:3票)
380.  007は二度死ぬ 《ネタバレ》 
現代の日本人が観れば、逆に結構楽しめるのではないかと思われる謎に満ちた「怪作」。メチャクチャなストーリーだが、ナンセンスさ故に意外とハマれる人はハマれそう。でもどうしようもない謎も残る。 【ボンドの結婚】島に怪しまれずに入るために、日本人に成り済まして島の海女さんと結婚しなくてはいけないという理由からだ。変装後の彼はどう考えても日本人に見えないというツッコミはさておき、最大の謎は変装したにも関わらず忍者養成所の姫路城にて次から次へと刺客に襲われるところだろう。一人目の刺客(糸から毒を這わせる)からはただのラッキーで難を逃れる(浜を登場させるためアキを退場させる)。果たして二人目(竹ざおに鏃)は必要だったのか。あれでは変装も忍者学校も敵にはバレバレということだけど、島への上陸時には、敵側は見事にスルー。外人だから特に目立つのかもしれないが、タイガーや忍者部隊は難なく上陸しているわけで、いったい何をしたかったのか分からない。恐らく、外人から見れば奇異に映る日本の結婚式(お見合い)や文金高島田のようなものを紹介したかったのだろう。ストーリーと関係なく相撲を紹介するのと同じ流れ。あとは腹切りでも描けば完璧か。 【ボンドの死】怪しまれず楽に行動できるからという理由らしいが、この時点でもうスパイとしては相当ヤバイ気がする。途中まで正体こそバレないが、銃を持っているという理由だけで東京で殺されそうになる。神戸の埠頭で大虐殺(俯瞰撮影は意外と好き)を繰り広げている時点で只者ではないと分かるだろう(スパイはボンド一人ではない)。飛行機事故に見せかけるためか、手の込んだ殺され方をされそうになるメリットはあったが、日本通をアピールしたヘンダーソンがあっさりと殺されることからも、やはり効果が分からん。 【プロフェルドの行動】ボンドを見抜けなかったブラントをピラニアの餌にして、混乱を招いた大里も銃殺する。しかし、肝心の自分はボンドを殺すタイミングを誤り、タイガーの手裏剣によってしくじる。しくじるのはストーリー上やむを得ないが、なぜあんな敵味方入り混じった場所でボンドを殺そうとするのか理解に苦しむ。プロフェルドはミスに対して厳格な姿勢を貫く男として常に描かれており、この描き方ではいままでの彼の存在自体を否定するものだ。ボンドを盾にするとか、脱出用の人質にするといった演出が必要だろう。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-03 00:48:53)
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