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ゆきさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 614
性別 男性
自己紹介  洋画は字幕版も吹き替え版も両方観た上で感想を書くようにしています。
 ネタバレが多い為、未見映画の情報集めには役立てないかも知れませんが……
 自分と好みが合う人がいたら、点数などを基準に映画選びの参考にしてもらえたら嬉しいです。

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361.  あしたのジョー(2010) 《ネタバレ》 
 観賞中「えっ? ウルフ金串戦もやるの?」「力石の死後まで描くの?」と二度吃驚。  おまけに映画オリジナルのエピソードとして「ドヤ街に憎しみを抱く白木葉子」なども追加しているものだから、実にボリューム満点。  それを二時間ほどに纏めてみせて、これ一本だけでもキチンと完結している品に仕上げた手腕は見事だと思うのですが、やはり駆け足な印象も受けてしまい、評価の難しいところですね。   自分としては、如何に魅力的だとしても「ダブル&トリプルクロスカウンター」の存在共々ウルフ戦はカットし、もっとジョーと力石に焦点を合わせた作りの方が良かったのでは……と考える次第。  恐らくはアニメ版のリスペクトと思しきスローモーション演出を「力石との初戦」→「ウルフ戦」→「力石との再戦」と立ち続けに見せられる形となっているので、どうしても単調な印象を受けてしまうのですよね。  後述の減量シーンに関しても、もっと尺を取って描き、普段は紳士的に振る舞っていた力石がマナーを無視して果実に齧り付く場面なども再現してくれていたら、更に感動出来たかも。   役者陣に関しては、主役二人の見事な肉体改造っぷりも併せて、ほぼ文句無し。  丹下段平のルックスだけは、あまりにも漫画チックで浮いているような印象は受けましたが、それを打ち消すほどの迫力が力石から感じられましたね。  減量中に我を失い、水を求めて彷徨うシーンなんて「台詞回しは原作漫画の方が詩的で良かったかな……」と頭の片隅では冷静に思っているはずなのに、目線は画面に釘付けという、不思議な感覚を味わう事が出来ました。  特に嬉しかったのが、力石の死因となったであろう「後頭部をロープで強打してしまう場面」が、より印象的になっていた事。  原作漫画では少しインパクトが弱かった気もしただけに(もしかして死ぬんじゃないか?)と初見でも思えるような仕上がりになっているのは衝撃でしたし、それはひとえに、力石を演じた伊勢谷友介の力が大きかったのではないでしょうか。  生きている俳優が「この人は、もうすぐ死んでしまうんだ……」と観客に思い込ませるのは、とても大変な事でしょうが、本作ではそれを見事に成し遂げてみせたように思えます。   終盤にて「ジョーが如何にして力石の死の衝撃から立ち直ったか」を描く尺が足りず、観客の想像に委ねる「空白の一年からの帰還」で済ませてしまったのは非常に残念でしたが、リングの中に力石の幻影が現れる場面は、とても良かったですね。  ここって、一歩間違えれば「ジョーもリングで死なせようとして誘っている死神」としての力石にしか見えなくなってしまうはずなのに、全くそれを感じさせない笑顔で「二人の友情の証としてのボクシング」の魅力、楽しさや面白さを伝えてくれているのです。  力石の死をクライマックスに据える以上、後味の良いハッピーエンドにするのは難しいと思っていただけに、それを裏切ってくれた事が、実に痛快。   原作の最終回におけるジョーの生死は未だに議論の的となっていますが、少なくとも本作におけるジョーはリングで死を迎える事なく、引退後もボクシングに関わりながらドヤ街で生き続けたのではないかな、と思えました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-10-16 11:58:54)
362.  お葬式 《ネタバレ》 
 病院の定期検診にて健康のお墨付きを貰い、その祝いとばかりに贅沢をして「ロースハム」「アボカド」「鰻」を食す。  主人公の父親は、そんな幸せな瞬間を味わった後に最期を迎えた訳で、この導入部からして、何だか本作の内容が窺えるような気がしましたね。  確かに怖いものやら悲しいものやら色々と含まれているのだけど、根本的には「楽しい」「面白い」「幸せ」といった、前向きな要素の数々で構成されている感じ。   それにしてもまぁ、主人公が不倫相手の女性と、互いに喪服のまま性行為に耽るシーンには、度胆を抜かれました。  妻役が宮本信子である点も含めて、この主人公は明らかに監督の伊丹十三そのものだろうに「えっ? そんな事しちゃって大丈夫なの?」と、観ているコチラがドキドキしてしまったくらい。  勿論、やっている事は単なる不貞行為なのだから、嫌悪感を抱いていてもおかしくないシーンだったのですが、衝撃が大きかったゆえか、余り拒否反応は出て来なくて、不思議な感覚でしたね。  下品かつ失礼な表現で申し訳ないのですが「女優さんのお尻、あんまり綺麗じゃないなぁ……」という考えが、薄ぼんやりと浮かんできて、その後は気が付けば画面に釘付けになっていました。   夫の不倫なんて全部承知の上よと言わんばかりの表情で、妻が丸太式のブランコを漕いでいる姿なんかも、実に印象深い。  何やら恐ろしげな演出だったのですが、何となく自分には「夫の情けない行いを止める事が出来ない女の弱さ、滑稽さ」のようなものを感じてしまい、怖い顔をしているはずの彼女が、哀れに思えたりもしましたね。   そんな場面を経ているにも拘らず、終盤にて「大丈夫よ、貴方」「貴方、何時だって上手くいくんだから」と夫を励ましてくれたりもするのだから(良い嫁さんだなぁ)と、しみじみ感心。  ここの台詞は「初監督作品」への不安を抱えた伊丹監督自身に対しての言葉でもあるのでしょうね。  不倫問題が悲劇的な結末に繋がらなかった事にはホッとする一方で、放ったらかしな扱いには、居心地の悪さも覚えたのですが、きっとこのシーンにおける妻の優しい態度こそが「それでも貴方を愛して、夫婦として支え続けてあげる」というメッセージ、彼女なりの「許し」の証なのでは……と、推測する次第。  ちょっと男にとって都合が良過ぎる考えですが、どうも伊丹映画におけるヒロイン=宮本信子って、こういう「アンタにとって都合の良い女でいてあげるよ」的な優しさを漂わせているもんだから、ついつい、それに甘えたくなってしまいます。   火葬場にて、職員の人から「死体が生き返ったりしないか心配になる」「赤ちゃんの死体は骨まで燃やし尽くさないよう、弱めの火で、静かに焼いてやらないといけない」という話を聞かされる件なんて、さながら社会科見学のよう。  作法なども含め、恐らくは監督としても意図的に「お葬式の教材ビデオ」めいた側面を持たせているとは思うのですが、自分としては少し苦手に感じたというか(そういうのは、ちゃんと他で勉強するよ)なんて気持ちに襲われたりもして、残念でしたね。  同監督の作品なら「ミンボーの女」における「ヤクザのあしらい方講座」などは、同じ教材ビデオのようでも、ちゃんと観ている限りでも痛快で面白かったのですが、デビュー作である本作に関しては、そういった娯楽的観点のようなものが、まだ充分に育まれていないように思えました。   そんな中でも、香典が風に舞って、人々が慌てて拾い集める事になるシーンのユーモラスさ。  最後の最後に、故人の妻が感動的な挨拶をして、綺麗に締める辺りの手腕などは、流石といった感じ。   自分の場合は、事前に伊丹監督の後年の作を観賞済みであった為、どうしてもそれらと比較し「未熟さ」「稚拙さ」の方を感じ取ってしまったみたいですが、もしも、この映画が「伊丹映画初体験」であったなら (デビュー作で、これだけのモノを撮るだなんて、凄い!)  と、もっと興奮し、感動出来たかも知れませんね。  非常に惜しまれる映画でありました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-10-07 05:34:42)
363.  耳をすませば(1995) 《ネタバレ》 
 何といっても印象深いのは、図書カードの件。  自分と全く同じ好みをした異性がいるだなんて、正に運命。  天沢くんに惹かれる主人公の気持ちも分かるなぁ……と思っていたら、それは運命でも偶然でも何でもなく、単に「好きになった女の子が読みそうな本を、男が片っ端から借りていただけ」だったと判明して、もう吃驚です。  主人公もコレには引いちゃうんじゃないかなと思っていたら、頬を染めて、ときめいている様子だった事には、更に驚かされましたね。  昔の恋愛映画って、現代の観点からすると「これってストーカーでは?」とツッコミたくなる展開が多いんですが、本作もその一例として挙げる事が出来そう。   監督は近藤喜文ですが、脚本や絵コンテなどは宮崎駿が担当している為か(相変わらずのロリコン映画だなぁ……)と思わせてくれる事にも、何だかほのぼの。  本当に、拘りを持って「如何に主人公の少女を可愛く描くか」を突き詰めたのが伝わってきて、恐らくは性癖的に近しい要素を持っている自分としても「あざとい」「不道徳」と思いつつも、惹かれるものがありました。   そして、これが大事なポイントなのだと思うのですが、本作って少女だけでなく、相手役となる少年も、凄く魅力的に描かれているんですよね。  美男子で、優等生で、特別な才能を持っていて、夢に向かって一直線でと、同性の自分からすると嘘臭く感じるくらいなのですが、そもそも劇中の主人公カップルって「女性から見ると嘘みたいな少女」と「男性から見ると嘘みたいな少年」という組み合わせで成立しているのであり、そこが男女問わず観客の心を掴む要因になっている気がします。   男友達に対し「本当に鈍いわね」と怒っていた主人公が、実は自分の方がずっと鈍感だったと分かる流れも面白かったし「人と違う生き方は、それなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにも出来ないからね」という父親の台詞も、胸に沁みるものがありました。   もう一つ印象深いのは「自分よりずっと頑張っている奴に、頑張れなんて言えないもん」という台詞。  主人公が天沢君に対して引け目を感じていた理由が、この一言に集約されている感じがして、とても秀逸だと思いましたね。   そもそも本作って、天沢君は典型的な「王子様」キャラだし、そんな彼と、ごく普通の女の子が結ばれるという、極めて少女漫画的なストーリーなんです。  にも拘らず、男である自分が観ても共感を持てるのは、具体的に「彼に見合うような人間になる為に、主人公も頑張る」という姿が描かれてるからなんですね。  だからこそ応援したくなるし、そんな「頑張り」が暴走して、勉強の方が疎かになってしまい、しっかり者な姉との口喧嘩にて、つい強がって「高校なんて行かないから」と言っちゃう辺りも、痛々しいくらいにリアルに感じました。  この辺り(ちゃんと彼の事を家族にも話した方が良いのでは?)と、大人になった今では思ってしまうのですが、子供の頃って、こういう不思議な意固地さがありましたからね。  何だか懐かしい気持ちと、恥ずかしい気持ちを、同時に味わう事が出来ました。   クライマックスの、まだ薄暗い夜明け前。  自転車に二人乗りして「オレだけの秘密の場所」に向かうシークエンスなんか、本当に素晴らしく、それと同時に面映ゆくて、観ていられないくらい。  「それじゃ寒いぞ」と彼女に上着を渡す仕草。  「私も会いたかった」と彼の背中に頭を添えて呟く主人公の姿など、青少年が憧れてしまうシチュエーションが「これでもか!」と詰め込まれているのだから、もう圧倒されちゃいます。  上述の「彼に一方的に幸せにしてもらうだけの女の子ではありたくない」という想いが、坂道での「共同作業」にも表れており、これには(良いカップルだなぁ……)と、素直に祝福したい気持ちになれましたね。  最後には、結婚の約束までしちゃう事すらも、この二人ならば、自然に思えます。  万が一結ばれなかったとしても、一連の出来事の数々は、素敵な初恋の思い出として、いつまでも心の中に残りそう。   脇役であった杉村君と夕子ちゃんの恋の顛末を、エンドロールの中でサラリと描いてみせるのも、御洒落でしたね。  天邪鬼な自分からすると、主人公カップルが眩し過ぎて、まるで幻みたいで、どうにも感情移入しきれない部分もあったりしたのですが……  それを差し引いても、良い映画だったと思います。
[DVD(邦画)] 6点(2016-10-06 04:50:57)(良:1票)
364.  プリシラ(1994) 《ネタバレ》 
 冒頭のシーンにて、主人公の衣装や化粧よりも「えっ、口パクなの!?」と、その事に吃驚。   男性が女性の扮装をしている事も併せ「本当は女性の歌声を出したいけれど、出せない切なさ」を表現しているのかも知れませんが、自分としては (たとえ下手でも良いから、自分の声で唄って欲しいな……)  と思ってしまい、作中の口パク歌唱ショーに対して「凄い!」と感じる事が出来ず、残念でしたね。  せっかくクライマックスのショーは盛り上がっていたのに、何だか映画を鑑賞している自分だけが、置いてけぼりを食らったような気分。   脚本に関しては、非常に凝っており、観客を油断させない作りになっていたと思います。  例えば……  1:酒場で主人公達が白眼視される。 2:飲み比べに勝利したりして、何とか友好的なムードになる。 3:ところが翌朝になると、主人公達の車には「エイズ野郎」との落書きが……   という三段仕掛けになっている場面なんて、意地悪だけど上手い。  その他、移動中の車内にて生い立ちについて話す際にも「幼児期に性的悪戯を受けていた過去がある」と思わせておいて、実は「悪戯しようとした不埒な大人をこらしめてやった」痛快譚だったと種明かしする流れにも、大いに感心させられました。   また、同性愛者を過度に美化しておらず、等身大の「ズルい」人間として描いている辺りも好印象。  母親に対し「旅に出たら異性愛者になれるかも」と騙す形で、一万ドルの車を買ってもらった件は流石にどうかと思いましたが、仲間が過去に女性と結婚していたと知って「気味悪い」と言い出す辺りなんかは、非常にリアルであるように思えましたね。  アジア人女性の「ピンポン玉」の芸を下品と思って嫌がる描写があったのも「主人公達は迫害される側の人間ではあるが、そんな彼女達だって下品なものを嫌う感覚は、当然持ち合わせている」と悟らせる効果があり、非常に人間らしい存在である事が伝わってきました。   終盤「キングスキャニオンにハイヒール姿で立つ」という長年の夢を叶えた後に、真っ先に思う事が「うちへ帰りたい」というのも、何だか切なくて良かったですね。  あそこの件は「夢を叶えてみせた達成感」と同時に「夢を叶えてしまった喪失感」とも言うべきものが感じられて、実に味わい深いものがありました。   ガイ・ピアース演じるフェリシアが、幼い少年に懐かれて兄貴分(姉貴分?)のようになっている姿も、とても微笑ましくて好み。  この組み合わせが終盤にしか登場しない事が、寂しく思えたくらいです。   最初の内は、登場人物達への戸惑いが大きく、距離を感じていたはずなのに、エンドロールが流れる頃には愛着が湧いてしまって、彼らと離れ難い気持ちになる。  そんな切なさを秘めた、不思議な映画でありました。
[DVD(字幕)] 6点(2016-10-02 10:49:05)
365.  トレジャー・プラネット 《ネタバレ》 
 基本的な設定を拝借しただけの別物かと思いきや、予想以上に「宝島」のストーリーを忠実になぞっていた事に驚かされました。   主人公のジムが青年に近い外見となっており、感情移入しやすくなっている事。  そしてシルバーがサイボーグという設定の為、武器をアタッチメントする描写が楽しかったり「目に油を差し過ぎたようだ」という台詞にホロリとさせられたりした辺りは、良かったですね。  その一方で、船長を女性に変えた事に関しては「女っ気の無さを改善する」という以上の意義は窺えず、最後に天文学者と結ばれる顛末に関しても予定調和で驚きも無かった為、ちょっぴり残念。   原作小説を既読の為、仕方無い事ではあるのですが、ストーリーとしては王道そのもの、全て決められたレールの上を走っているかのような印象を受けてしまい、少々退屈さを覚えたりもしましたね。  失望したり、落胆したりする事は無い代わりに、大きな興奮も味わえない感じ。   そんな中でも、欲深なシルバーが宝物を諦めて、息子のように可愛がっていたジムを助ける事を選ぶ場面に関しては、とても良かったと思います。  両者が絆を育む描写が丁寧であっただけに「そう来なくっちゃ!」と、声を出して歓迎したくなるような展開。  別れのシーンにて、ジムとシルバーが抱擁を交わす姿にも、涙腺を刺激されるものがありました。   「宝島」最大の魅力といえば、やはりシルバーの存在に尽きると思っているので、本作の扱いに関しては、大いに満足。  ジムとの交流を経て、段々と父性が芽生えていき、悪党から足を洗いそうになるも、最後の最後で善人にはなりきれないまま退場するという、その独特のキャラクター性が、しっかりと表現されていたと思います。   そういった具合に、原作と同じような魅力を秘めているからこそ (もし「宝島」のストーリーを全く知らない状態で、この作品を観ていたら、もっと感動出来ていたかも知れないな……)  と思うと、何とも勿体無い気持ちになる。  そんな一品でありました。
[DVD(吹替)] 6点(2016-09-29 23:15:43)
366.  半分の月がのぼる空 《ネタバレ》 
 作中にて「こういうの言うのって、疲れるね」との台詞がありましたが、観ているこちらまで疲れてしまうような内容。   まず、大泉洋が主人公の未来の姿であったという叙述トリックについては、見事に騙されました。  その驚きと感動が同時に味わえる演出は確かに凄いと思うのですが、ただ一点。  主人公には娘の未来がいるにも拘らず「里香がおらん俺の人生、空っぽや」なんて、それだけは父親として絶対に言っちゃいかんだろうという台詞を口にしたのが、受け入れ難いものがあったのですよね。  過度な自己憐憫で泣かせようという、作り手の意図が透けて見えたように思えて、折角の感動的な場面なのに、白けた気持ちになってしまいました。  せめて、その後にもっと明確に「自分には娘がいた」と気付いて反省したり、この子の為に頑張って生きようと決意するシーンがあったりすれば良かったのですが、それも無し。  また、最後に勇気を出して手術を行うと決意する理由も「里香の命令やもんで」って、照れ隠しではなく単なるヒロイン依存症に思えてしまい、残念でした。   基本的にはベタな「難病もの」であり、王道の魅力を備えているのだから、ツボにハマれば、素直に感動出来たのだと思います。  けれど、本作は自分の好みとは違っていたみたいで、何だか凄く勿体無い気持ちになりましたね。   一緒に病院を抜け出して、ヒロインの思い出の場所に連れて行ってあげる件。  そして学校の劇に、急遽代役として二人が出演する件などは、ご都合主義ではあるけれど「青少年がやってみたいと願う事を、映画の中で疑似体験させてくれる」という意味では、とても良かったですし、好印象。  特に後者の最中にて「私は、一瞬でも長く貴方の御傍にいたいんです」という台詞を、ヒロインが迷った末に口にする流れなんかは、本作の白眉であるように感じられました。  その劇の後、お姫様の恰好のまま倒れたヒロインを、王子様の恰好をした主人公が病院へと運ぶシーンにて、おんぶ等ではなく、ちゃんとお姫様抱っこで運んでいる辺りにも感心。  こういった細かい部分にて、観客の喜ばせ方を心得ているかどうかって、とても大切な事だと思います。   宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が作中で効果的に扱われている辺りなども、ファンとしては嬉しい限り。  ラストにて、二人のキスと同時に、エンディング曲が流れ出す演出も秀逸でしたね。  性行為などの演出は徹底的に省いているのも「純愛」「真摯な物語」といった感じがして、作り手の誠実さが伝わってきます。   細かい部分での違和感、好みの違いはありましたが……  決して嫌いにはなれない、とても真面目な映画でありました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-09-28 22:03:22)(良:1票)
367.  二代目はクリスチャン 《ネタバレ》 
 主人公であるシスターの「相手役」となる男性が三人もいる為、やや忙しない印象を受ける本作。  そんな中、最もコミカルで情けない印象のあった神代が最後まで生き残り、オイシイところを持って行く辺りは、如何にもつかこうへいらしい作風だなと思えて、嬉しかったですね。  また、自分としては最初に画面に登場した晴彦が主役格になるだろうと予想していただけに、かなり早い段階(映画が始まって一時間ほど)で彼が死亡する展開にも吃驚でした。   ちょっと気になったのは、作中でシスターが賽の目を当てる才能を発揮する場面。  てっきり何かの伏線かなと思っていたのですが、終盤には全く出て来なかった為、何だか置いてけぼりな感じを受けたのですよね。  最初は「信仰心によって齎された超常的な力がある」と解釈していたのですが、今になって考えてみるに「父親も伝説的な侠客だった彼女には、極道の素質がある」という描写だったのでしょうか?  それならば、クライマックスにて敵対組織を壊滅させた強さにも一応納得なのですが、もう少し分かり易い形にしても良かったんじゃないかな、と。   終盤、教会を襲撃されて仲間達が次々に殺されていく展開は、迫力があり、ユーモアもあり、良かったですね。  敵がバズーカまで持ち出して、教会の中に撃ち込んだ際には、不謹慎ながらも「そこまでやるか!」と笑ってしまったくらい。  その一方で、復讐を訴える信徒が「父親殺し」の過去を告白するシーンは、非常にシリアスで、真に迫っていてと、演出の緩急が見事だったと思います。   とうとう刀を手にした主人公と、北大路欣也演じる英二との、雨の中での対話。  そして殴り込みをかけたシスターが 「悔い改めたい奴は、十字を切りやがれ!」  と啖呵を切る場面なんかも、忘れ難い味がありました。   神代が全ての罪を背負うという決着の付け方には (本当に、それで良いの?)  とも思ってしまうのですが、この辺りは「男が好きな女の為に、恰好を付けてみせる」という、つかこうへいイズム、独特の美学ゆえの結末だから、文句を付ける方が野暮なのでしょうね。   そういった諸々の価値観も含め、主人公が女性であるにも関わらず、非常に男性的な映画であったように思えました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-09-22 16:30:30)
368.  中学生円山 《ネタバレ》 
 これはつまり、正義の変身ヒーロー「中学生円山」が誕生するまでを描いた映画であった訳ですね。   彼はマスクを装着すると身体が柔らかくなり、さながら体操選手のような動きが出来るようになるという、何とも地味な能力の持ち主なのですが 「自らの性器を口に含んで自慰をしたい一心で、柔軟運動を続けてきた」  という背景を背負っていたりもして、一応は努力型のヒーローと呼ぶ事が出来そう。  その他「妄想を現実に変えてしまう」という便利な能力も備わっているみたいですが、こちらに関しては効力が曖昧で、何もかも自分の思い描いた通りに叶えてみせる事は出来ないみたいです。   構成としては「主人公円山の妄想」と「現実」が入り乱れる形となっており、観客によって「ここまでが現実」「ここからは妄想」といった具合に、解釈が分かれそうな感じ。  作中で起きる最も非現実的な出来事が「主人公が超人的な動きで弾丸を避けた事」ではなく「体育館で皆が主人公の自慰行為を応援してくれた事」だったりする辺りがユーモラスですが、恐らくは後者の体育館の件から、主人公の理解者である下井が撃たれて死ぬ件までが「妄想である」と解釈する人が、一番多いのではないでしょうか。  ご丁寧に「現実に負けるな」「妄想と向き合え」という台詞を重ね合わせる演出であった為、作り手側としても、それを想定していたのではないかな、と思えます。   ただ「下井が武器としている、ベビーカーを変形させた銃」が異様にスタイリッシュで、円山が妄想してきたレトロで分かり易いヒーローや悪役達と比べ、明らかに異質感があった辺りは気になりますね。  そもそも映画前半における、妄想の中で襲って来た「殺し屋下井」は、使用する銃のデザインもコロコロ変わるような適当さだったし、あの銃だけが浮いているというか「円山が妄想した代物にしては不自然」という意味で、妙に現実感がありました。  あれは円山ではなく下井の妄想の産物か、あるいは現実に作った代物なのか? と思えたりもして「もしかしたら終盤の戦いは、全て現実だったのかも知れない」という可能性を与えてくれる、良いアクセントになっていました。   個人的に残念だったのは、上述の体育館の件が非現実的過ぎて冷めてしまった事と「中学生円山」に初めて変身した時のデザインが、どう見ても単なる覆面レスラーみたいで、今一つ好みではなかった事。  下井の死後に届いたプレゼントのマスクは、ちゃんと恰好良かったので、意図的に「プロトタイプのマスク」として見劣りするデザインにしたのかも知れませんが、出来ればラストの「青い服に、赤いマスクとマフラー」という恰好で戦って欲しかったなぁ……と思わされましたね。   落ちぶれた韓国人俳優と、韓国ドラマに夢中になる人妻との不倫関係。  そして、老人の男性と小学生の女性との恋模様など、主人公の家族にまつわるエピソードも、しっかり面白かった辺りは、流石という感じ。  同じ宮藤官九郎脚本の「ゼブラーマン」と比べても、何処となくオシャレな感じが漂っていたのは、この二本のエピソードにて、色恋沙汰を扱っている事が大きかったように思えますね。  下井と円山の最後のやり取り「おめでとう」「ありがとう」には、感動を誘うものがありましたし 「正義っていうのは、人を殺しちゃいけない理由を、ちゃんと知ってる人の事だ」  という台詞も良かったです。  そして極め付けは「まだ早いって言われた」「もう遅いって言われた」「最初のキス」「最後のキス」の対比であり、年齢差のあり過ぎるカップルの悲恋が、何とも切ない余韻を与えてくれました。   主人公の円山だけでなく、その母親と、妹も 「韓国ドラマに夢中になっている」→「そのドラマに出演している俳優と出会う」 「同い年の男の子には興味ないけど彼氏が欲しい」→「素敵な老人の彼氏が出来る」  といった具合に、都合の良過ぎる出来事が起こっている為 (もしかしたら、この一家全員に妄想を現実に変える力があるの?)  とも思えるのですが、そんな中で、唯一妄想をしない父親の存在が、何とも良い味を出していましたね。  家族の中で、彼だけは現実に満足して、幸福を感じている為、妄想する必要が無いという形。  実に羨ましくなるし、それって、とても素晴らしい事なんじゃないかと思えます。 「何があっても、お父さんお前の味方だからな」  と言って、悩み多き息子を抱き締めてみせる姿なんかも、コミカルな演出なのに、妙に恰好良い。   妄想に耽る事の魅力だけでなく、きちんと現実と向き合って生きる事の魅力も感じられた、バランスの良い一品でした。
[DVD(邦画)] 6点(2016-09-20 22:57:14)(良:1票)
369.  静かなる決闘 《ネタバレ》 
 三船敏郎って人は、こういった物静かで知的な男性を演じても上手いんだなぁ……と、再確認。  ただ、野性味の強い人物を演じた際に受ける「凄い」という印象に比べると、やや薄味な「上手い」という印象になってしまったのが、寂しいところでしょうか。   本作の白眉としては、やはり「主人公の恭二が看護婦を相手に、心情を吐露する場面」が挙げられますね。  それまで溜めに溜め込んだ想いを、一気に爆発させた感があり、圧倒されました。  徹底的に善人であり続けた彼が「破廉恥な男の、穢れた血液」と言い捨てて、椅子を蹴り付ける様も、衝撃的。  そんな人間らしい感情の発露も、すぐに収まって、再び元の「献身的な医者」に戻る姿には、感服の念を抱くと同時に、何処か物悲しさすらも感じられて、非常に味わい深い名場面となっていました。   その後、梅毒の恐ろしさを更に思い知らせるように、あるいは観客の溜飲を下げるかのように「主人公に病原体を感染させた元凶」に罰が当たる展開になったりもする訳ですが、これに関しては、正直蛇足にも思えましたね。  勿論、こういったシーンがあるからこそ、エンタメとして成立するのだという事は理解出来るし「観客の望むものを提供する」という目線を持ち合わせている辺りが黒澤監督の凄さだとは思うのですが、いくら何でも「主人公の目の前で、彼を不幸にした元凶が更に不幸になる」というのは、都合が良過ぎるんじゃないかなと。  そもそも、彼と再会したのも、彼の妻を担当する事になったのも偶然な訳だから「破滅するのを見せ付ける為に、わざわざ再登場させたのだ」という強すぎる作為を感じてしまい、今一つノリ切れませんでした。   観客としては、最後まで婚約者の女性に真実を明かさなかったという主人公の選択に対しても、疑問符を抱かずにはいられない訳ですが、これに関してはラストシーンにて 「アイツはね、ただ自分より不幸な人間の傍で、希望を取り戻そうとしているだけですよ」  と主人公の父に語らせる形で、彼を全肯定せずに終わってみせた為、さほど気にならず。   推測になるのですが、彼の選択は「彼女を思いやっての事」という理由だけでなく「愛する人に、自分が梅毒であると知られたくない」という自尊心も大きく作用していたように感じられるのですよね。  本当に彼女の幸せだけを考えるなら、やはり告白すべきだったと思いますし、それが出来なかったのは何故かと考えると、どうしてもそんな結論になってしまいます。  つまり、彼女に告白しなかった事を自らの「罪」として考えているからこそ、罪滅ぼしの為に「聖者」と呼ばれるような、献身的な医者になれたのじゃないかな、と思う次第です。  「人間って、俯いて歩いたらダメですよ。ちゃんと胸を張って、上を向いて」  という励ましの言葉は、看護婦さんに対する優しさだけでなく、主人公が自らに言い聞かせる気持ちもあったがゆえに、生まれた代物なのでしょうね。  全体的に暗い雰囲気の映画であった中で、最後は前向きな、希望を感じさせるメッセージと共に完結してくれた辺りは、何やら救われる思いがしました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-09-15 21:18:30)
370.  赤毛のアン/アンの青春 完全版〈TVM〉 《ネタバレ》 
 内容としては「教師モノ」に分類されそうな本作。   舞台も田舎から都会へと移り変わり(これは前作とは異なる面白さを与えてくれそうだ……)と期待が膨らんだのですが、終わってみれば、良くも悪くも前作と殆ど変らない品という印象を受けましたね。  主人公のアンが、気難しい老婦人の心を解きほぐして仲良くなる件なんて、特に既視感を覚えます。   新しい要素としては、生徒達との心の触れ合い。  生真面目なオールド・ミスであるブルック先生との友情。  そして「地元の幼馴染」と「都会で出会った紳士」に挟まれたアンの三角関係が挙げられるのですが、こちらは前作で自分が苦手としていた「女性向けの恋愛ドラマ」成分が、より濃くなったように感じられて、少し残念でしたね。  ちょっと意地悪な見方かも知れませんが、作風やら何やらを考えればアンが後者と結ばれる事など有り得ない訳で「どうせ幼馴染のギルバートと結ばれるんでしょう?」と、達観した気持ちになってしまいました。   前作に比べれば出番は短いけれど、マリラおばさんが相変わらず素敵なキャラクターであった事は、嬉しい限り。  終盤、地元に戻ってきたアンを出迎えて、嬉しそうに抱き締める姿を目にすると、何やらこちらの心まで温かになってくるのだから、不思議なものです。   紆余曲折はあったけれど、やっぱり最後にはアンとギルバートが結ばれて、二人が幸せになるという、予定調和な結末。  でも、この作品に関しては「それで良い」「それが良いんだ」と思えましたね。   全編に亘って落ち着いた空気が漂っており、安心して観賞しているこちらの期待を裏切らない、平和な映画でありました。
[DVD(吹替)] 6点(2016-09-02 10:29:26)(良:1票)
371.  清須会議 《ネタバレ》 
 冒頭、本能寺における信長の描き方によって「あっ、これコメディだ……」と気付かせてもらえた為、早い段階から史実云々とは切り離して楽しむ事が出来ました。   何といっても、大泉洋演じる秀吉のキャラクターが良かったですね。  猿にも鼠にも見えるという、その風貌の時点で素晴らしい。  おちゃらけていても、積極的に政略を張り巡らせる「働き者」っぷりも良かったですし、庶民からの成り上がり者である事を過度に美化したりせず、家族からは「百姓の心、失うとる」と非難され、白い目で見られるパートを挟むバランス感覚も、お見事です。  中でも特にお気に入りなのは、妻のねねが「今の暮らしでも、うちは十分幸せ」と優しく話しかけても「ここまで這い上がって来たんだで、途中で降りる訳にはいかん」と、その貪欲さを垣間見せる場面。  天下人となる秀吉の器の大きさが感じられる一方で、強過ぎる欲望ゆえの危うさ、陽性の狂気とも言うべき本性が窺えたように思えて、ゾクリとさせられましたね。  長年の友人である前田利家に刃を向けられた際「儂を斬れば、戦の世は後百年続く」と言い放つ姿なんかも、格好良かったです。  今まで色んな秀吉像を見てきましたが、本作の秀吉は、そんな中でも際立って魅力的であったように思えます。   丹羽長秀(信長派)と柴田勝家(信勝派)を長年の友人として描いている辺りも「ほほう、そう来たか」といった感じがして、面白かったですね。  黒田官兵衛も「頭の良い補佐役であるが、お茶目な一面もある」という描かれ方をしており、吹き矢の件や、三法師をあやそうとして盛大に泣かれてしまう場面など、親しみのある笑いを提供してくれている。  官兵衛に関しては「鼻持ちならない天才軍師」という描かれ方も多い人物であるだけに、本作の扱いは嬉しかったです。  遅参した滝川一益をあしらう場面で、硬質な有能さを示す一方、愛嬌のある間抜けな姿も見せてくれている訳で、変幻自在の水の如き魅力を感じられました。   そんな本作の不満点としては……映画全体で見ると、少々バランスが悪かった点が挙げられるでしょうか。  まず、肝心の清須会議が始まるまでが長い。  根回しの場面こそが重要なのは分かるのですが、実際に会議が行われる場面まで一時間以上掛かるとあっては「まだ始まらないの?」と、観ていて焦れてきちゃいますからね。  その対策として「旗取り大会」を挟んだのでしょうが、これに関しては完全に現在のバラエティ番組なノリとなっており、異質感が否めなかったです。  恐らくは秀吉が信雄に見切りを付けるキッカケの場面なのでしょうが、そんな事をしなくても散々「うつけ」っぷりを見せられた後であっただけに、今一つ必然性を感じられませんでした。   その後の「三法師こそが正しい後継者である」と秀吉が論じる展開についても、ちょっと違和感がありましたね。  観客に歴史の知識が無い場合、議論の場で唐突に「信長は生前、既に信忠に家督を譲っていた。つまり清須会議とは信長の跡継ぎではなく、信忠の跡継ぎを決める場である」という真実が明かされる形となっているので、これは如何にも不親切。  会議を始める前の段階で、絶対に説明しておかなければいけない情報ではないか、と思えます。   また、道化役の信雄こそが「この世は、生き残ったもん勝ちだ」という作中の台詞に当てはまる存在である事を、映画を観ただけでは把握出来ない辺りも、実に勿体無い。  この辺りは、作り手側に歴史の知識が備わっているからこその「皆、そのくらいは知っているでしょう?」という、無意識の怠慢に思えてしまいました。   更にキツかったのが、会議が終わった後の尺も長い事。   上述の秀吉と利家との会話なんかは凄く好きなのですが、それと同じように「男同士の友情」を示す場面として、丹羽と柴田の会話も描かれているので、何だか食傷気味に感じられるのです。  おまけに「歴史を動かす女の意地、女の怖さ」も市と松とで連続して描写されているので、どうしても「もういいよ……」と嘆息してしまいました。  相乗効果、あるいは対比の効果を狙ったのかも知れませんが、これに関しては「男の友情」「女の怖さ」で、それぞれ一つずつに絞って描いてくれた方が、好みでしたね。   それでも最後は、秀吉の力強い天下取り宣言で終わっている為、綺麗に纏まっている形なのは、何やら救われた思い。  確かな魅力を秘めている一方で、ちょっと豪華過ぎて、贅沢過ぎた辺りが、玉に瑕な映画でありました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-28 22:26:00)(良:1票)
372.  パーマネント・レコード 《ネタバレ》 
 主人公かと思われた登場人物が、映画が始まって三十分程で、自ら命を絶ってしまう。  それでも、そこに驚きは無く(あぁ、やっぱり……)という思いに繋がるのだから、如何に丁寧に「死に至る心境」を描いていたのかが分かりますね。   学園の優等生で、人気者であり、恋人も、親友もいるはずなのに、何故か孤独を漂わせているデビット。  幼い弟に対し、自分と入れ替わらないかと提案するシーンなんて、特に印象深い。  「楽しいぜ、みんなのアイドルさ」「僕の方は一日中、眠れる」  という台詞からは、彼が感じている重圧と、そこから解放される事を願う気持ちが、痛い程に伝わってきました。   そんな彼の親友であり、映画後半の主人公となるのは、若き日のキアヌ・リーヴス演じるクリス。  親友のデビットが残した遺書代わりの手紙を目にし、衝撃を受ける姿が、何とも痛ましい。  「すべてを完璧にしたかった」「だめだった」  という短い文面を読み上げ、その深い絶望を感じ取って、思わず嘔吐する。  そんな場面を目にすると、映画前半での「デビットに同情する気持ち」も、瞬く間に吹き飛んでしまいますね。  自殺という行いが、如何に残された者達を傷付けるかについて、改めて考えさせられました。   そんな具合に、色々と心に響いてくる内容だったのですが、映画としては、クライマックスの演奏シーンで盛り上がれず、淡々とした流れで終わってしまったように思えて、少々残念。  デビットの遺作である曲を、クリス達がバンド演奏する事を期待していたのに、ヒロインの独唱という形になったのが、どうにも肩透かしだったのですよね。  そこはやっぱり、手紙と楽譜を受け取ったクリス自身に演奏して欲しかったなぁ……と思ってしまいました。   一夜明けての、ラストシーン。  デビットの転落死を経て、崖に設置された金網は、さながら彼の墓標のようでしたね。  そんな金網に手を添えて、寂し気な姿を見せていたクリスが、呼び掛ける声に振り向き、名残惜し気に金網を見つめながらも、仲間の許へ歩いていくエンディングは、とても好み。  悲しみを抱えながらも、それに囚われる事は良しとせず、生きる事を選んでみせるという、前向きなメッセージが伝わってきました。   自殺というデリケートな問題を扱いながらも、決してそれを肯定せず、勇気を持って否定してみせた一作だと思います。
[ビデオ(字幕)] 6点(2016-08-24 09:26:05)(良:1票)
373.  トッツィー 《ネタバレ》 
 久々に再見してみたのですが、主人公が初めて女装するシーンまでに、二十分も掛かる事に驚かされました。  もっと早い段階というか、全編に亘って女装していたような印象があったのは、それだけ「ドロシー・マイケルズ」の印象が強かったという事なのでしょうね。   映画そのものに関しては、現代の目線からすると正直ノンビリし過ぎているというか、若干退屈。  これに関しては「主人公が女装する映画」というだけでも十分ショッキングだった当時と、それくらいの事では驚いたりしない現代の違いも影響しているのかも知れません。   一番引っ掛かったのが、ドロシーの正体が男性であると見破った人物が一人もおらず、周りが完璧に騙されているという点。  そりゃあ女装としては声や仕草まで洗練されていて見事ではありますが、だからといって「どこからどう見ても女」というレベルではなく「ん? よく見たら男?」と気付くのが自然な容貌に思えるのですよね。  だから「何時、周りに男とバレるんだろう?」と思っていたのに、結局最後まで騙し切って、自分から正体を明かしたという流れには、どうしても「そんな馬鹿な……」と感じてしまい、今一つカタルシスを得られず仕舞い。  作り手側が本気で「この女装ならば決してバレない」という自信を持って、堂々とストーリーを展開させているのか、それとも「バレるはずなのにバレない」というシュールな可笑しみを狙っていたのか、どちらなのか伝わって来なくて、中途半端な印象となってしまいました。   そんな具合に、物語の大筋には不満も残ってしまったのですが、作中のあちこちに散りばめられたユーモラスな場面だけでも、充分に楽しむ事が出来ましたね。  主人公がドンドン女装にのめり込み「ドロシーは僕より頭がいい」「髪をソフトにするかな、ドロシーには似合う」などといった具合に、自分の理想の女性像をドロシーに重ね合わせているような件も、非常に興味深い。  最も愉快だったのが、片想いの女性にキスしようとして、レズビアンだと誤解されてしまう場面。  自分は正常だと主張し、その証拠に「服を脱げば分かるわ」と口走ってしまい、ますます警戒されてしまう流れなんて、とっても面白かったです。   無事に「男女」が結ばれて、ハッピーエンドで終わってくれる点も含め、安心して観賞出来る一品でした。
[DVD(字幕)] 6点(2016-08-22 22:07:14)
374.  ディーバ 《ネタバレ》 
 1981年という制作年度を考慮すれば、非常に御洒落でスタイリッシュな映画なのだと思います。   主人公が暮らしている部屋なんて、如何にもな「秘密基地」テイストが感じられて、憧れるものがありましたね。  コーラの缶にガソリン臭いチューブを差し、それをストロー代わりにして飲んでみる少女のシーンなんかも、妙にお気に入り。   青と赤が巧みに配された画面。  そして、聴くだけで鳥肌が浮かぶような歌声と、視覚的、聴覚的にもセンスの良さを感じさせる本作。   ただ、ちょっと主人公が情けなさ過ぎるというか、変質的なストーカーにしか思えなかったりして、今一つ感情移入出来ないものがありました。  映画序盤における彼の行動はといえば、恋い焦がれる歌姫のコンサートを無断録音したり、衣装を盗んだり、その衣装を売春婦に着てもらってから一夜を共にしたりと、どう考えても単なる変態さんなのです。  にも拘わらず、演じている役者さんが爽やかで繊細な二枚目過ぎるせいで、やたらと嘘くさい。  主演俳優のルックスが優れているに越した事はありませんが、それにしても、本作のような主人公の場合、もう少し粘着質な感じがあった方が、キャラクターにリアリティが生まれたのではないか、と思います。   また、主人公とヒロインの二人が結ばれるまでの過程も、あまり説得力が感じられなかったりして、残念。  海賊版の存在を「泥棒、強姦です」「軽蔑します」と言い放つような歌姫のヒロインと、実は彼女の声を無断録音してしまっている主人公が結ばれるという「意外な結末」ゆえに、観ていて(えっ? 何でくっ付くの?)と思わされてしまった気がしますね。  劇中にて、主人公が目覚ましい活躍をして自信を手に入れるとか、死線を越えて生まれ変わるといった事もなく、映画序盤から特に性格なども変わっていないのだから、序盤の彼の罪の「帳消し」感が生まれてこないのです。  その結果、ヒロイン側の一方的な優しさによって「主人公の過ちを許してくれる」「求愛を受け入れてくれる」という形になっており、ちょっとばかし男性にとって都合の良過ぎる女性像に思えました。  これならば、最初から主人公をもっと誠実で善良な男として描くなり、ヒロインを海賊版には拘らない人物として描くなりしておいた方が、二人が結ばれる結末に対しても、違和感が生まれずに済んだかと。  「本来結ばれるはずのない二人が結ばれるストーリー」という難しい題材にして盛り上げた以上は、ハッピーエンドにする為の難易度も上昇してしまうのだな、と思わされました。   それでも、ラストシーンにて、生まれて初めて客観的に「自分の歌声」を聴く事になるヒロインの姿には、胸を打たれるものがありましたね。  彼女が彼の罪を許し、愛を受け入れた理由は「自分の歌声の素晴らしさを教えてくれたから」なのか、それとも別の理由か……などと考えるだけでも、色々と楽しい映画でありました。
[DVD(字幕)] 6点(2016-08-18 11:21:35)
375.  少年H 《ネタバレ》 
 冒頭、平和な時代にて楽しく絵を描く主人公の姿から始まって、戦中では鬼教官に「絵や音楽は戦争の訳には立たん」と言わせてしまう構成が、実に意地悪で、実に効果的。   「御国の為に」なんて言っていた近所の大人連中が、戦後は進駐軍に英語で話しかけて媚を売る姿なんかも、非常に嫌らしく描いているのですよね。  こういった「子供目線による悪役としての大人」を表現するのが、とても上手かったように思えます。  その一方で、主人公に好意的な大人達には、小栗旬や佐々木蔵之介といった「良い奴」イメージの強い有名所を起用しているのだから、バランスも良く、観ていて安心感がありました。   主人公の父親が極めて聡明で、寛大で、日本の情勢に対する先見の明まで持ち合わせているのは、ちょっとやり過ぎな気もしましたが、幼い主人公を導く役目、そして当時の情勢に疎い観客に対する「解説役」も兼ねているのだと思えば、何とか納得出来る範疇ですね。  演じているのが水谷豊というのも、非常にポイントが高い。  その知的な物言い、柔らかな物腰が、ハイスペックなキャラクターに説得力を与えていたように思えます。   特に印象深いのが、教室の机に「スパイ」と書かれた事を怒る息子に対し、冷静に、筋道を立てて説得してみせる場面ですね。  「アンタまで、やな人間になってしまうで」という言葉からは、面倒を避けようとする大人の配慮などではなく、本当に我が子を思いやり「息子には良い人間であって欲しい」と願っているからこその優しさが窺えて、胸に迫るものがありました。    そんな頼れる父との別れ、家族からの自立をクライマックスに配した気持ちは分かるのですが、結果的に「さぁ、これから主人公はどうやって生きて、成長していくのか?」という矢先に、映画が唐突に終わってしまった印象も受けてしまい、そこは残念。  恐らくは、演じている子役が幼過ぎて、社会人として自活している姿を濃密には描けなかったものと推測しますが、あそこはもうちょっと描写が欲しかったところです。   家族の中から死者が出ていなかったせいか、あまり陰鬱な展開にはならず、日本の復興を予期させる前向きなハッピーエンドであった事は、とても好み。  戦争が齎す不幸だけでなく、そこから立ち上がる人間の逞しさ、力強い美しさの片鱗を感じさせてもらいました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-17 06:54:46)
376.  クライムチアーズ 《ネタバレ》 
 どうやら自分は「チアリーダー」という存在が好きみたいだなと、遅まきながら自覚させてくれた一品。   何せ、劇中の四分の一くらいはチアリーダー衣装の女の子達が登場し、その魅力を振りまいてくれる内容なのだから、もう参ってしまいます。  と言っても、実際にチアリーディングのダンスを披露しているシーンは、極僅か。  その分、お金を盗む時もチア姿、留置場の檻の中でもチア姿と「そこまでやるか……」と思えるくらいに衣装に拘っており、殆どコスプレ映画といった趣がありましたね。   そんな品であるのだから、真面目にツッコミを入れる方が野暮かも知れませんが、一応は不満点なども。  同情出来る動機があると言えども、主人公達は犯罪行為を行っているのに、それに対して一切罰を受けない結末であった事には、驚かされました。  てっきり「無罪にはなるけど、証拠品のお金は燃やす破目になる」とか、そんなオチだろうなと予測していただけに、この完全無欠なハッピーエンド(?)っぷりには、唯々吃驚。  一応、無罪放免の代償としてチアリーダーのキャプテンの座を差し出した形にはなっているのですが、妊娠した以上は遠からず引退する事になっていたでしょうし、自己犠牲的な要素は希薄。  その能天気っぷりが意外性もあって良い……と言いたいところなのですが、正直、この「完全犯罪が成立しての大儲けエンド」には、後味の悪さ、若干の後ろめたさも感じてしまいました。   けれど、総じて考えると長所の方が多かった映画だと思いますね。   まず、キャスティングが良い。  「アメリカン・ビューティー」のミーナ・スヴァーリが、本作でもチアリーダー姿を披露しているだけで嬉しくなってしまうし、それよりも何よりも、ジェームズ・マースデン!  実写版サイクロップスなど、とかく不幸な役柄の印象が強い彼が、本作においては文句無しで幸せな結末を迎えているのだから、もうそれだけでも満足。  頭は軽いけど、底抜けに良い奴という旦那役を好演しており、その明るい魅力を見せ付けてくれていましたね。  「賢者の贈り物」めいたクリスマスのプレゼント交換の場面なんて、特にお気に入り。  結局、主人公のダイアンは罪を認めないままだし、強盗で得た金という秘密を抱えたまま生きていく事になる訳だけど、こんな旦那さんが一緒であれば、罪悪感に苛まれる事も無く、幸せな一生を送る事が出来そうです。   全編のあちこちに「銀行強盗映画」へのオマージュが散りばめられており、そのチョイスが「ハートブルー」「レザボア・ドックス」「ヒート」「狼たちの午後」と、自分好みなラインナップであったのも、嬉しかったですね。  映画を参考にして強盗を行うという、ちょっぴり際どいストーリーになるのかと思いきや、中盤にて 「映画は教材にはならない」 「映画から学べるのはセックスだけ」  と結論を出してしまう辺りも、皮肉なユーモアがあって素敵。   やはりコメディを楽しむ際には、道徳や倫理観に縛られていては駄目だなと再確認させてくれる。  良質な娯楽映画でありました。
[DVD(字幕)] 6点(2016-08-17 00:16:37)
377.  バウンス ko GALS 《ネタバレ》 
 中盤におけるヤクザとコギャルとの問答シーンの緊迫感は凄いですね。  結果的には意気投合して「見逃してもらった」形となる訳だけど、殺されるなり殴られるなりしても全くおかしくない雰囲気だっただけに、息が詰まるような思いがしました。   今となっては古臭くなっているかも知れませんが、当時における「コギャル」の生態を描いた品としても、凄く貴重。  コギャル当人に言わせれば「私ら、こんなんじゃないし」という答えが返ってくるかも知れませんが、年代も性別も異なる自分の目線からすると、極めてリアルに描かれているように思えます。   援助交際を行っているグループの中でも、すぐに身体を許す子は「サセ子」と呼ばれて見下されてしまう辺りなんかも、非常に興味深い。  こういった場合、第三者の目線からは「コギャル」と、ついつい一括りにしてしまいがちだけど、彼女達の中にも差別やら区別やらが存在するんだなぁ……と、しみじみ感じました。  「別に自分達が特別な訳じゃない」 「常識ある大人が少なくなったんです」   などの台詞によって「援助交際とは、そもそも大人側の需要が存在しなければ子供側の供給も存在しない」という真理を突いてみせるのも、実に上手いですね。  男性であるヤクザ目線でも、女性であるコギャル目線でも、互いの言い分に一定の説得力があるというか、観ていて肩入れ出来るような感じに仕上げているのは、監督さんの力量なのだと思われます。  こういった世代差や性別を越えた「対話」を扱う際に、どちらか片方を貶める事なく描いてみせるのは、中々出来ない事かと。   「どうして子供が売春なんてするんだ?」という観客の疑問に対し「子供の内は捕まっても罪が軽いから、悪い事をするなら今の内。二十歳になったら悪い事は止める」と語る少女を作中に登場させて、一つの答えを示している辺りなんかも、色々と考えさせられましたね。   それまで大人の「欲望」を利用して金稼ぎしていた少女達が、終盤にて大人の「善意」によって救われる構造なども、面白かったと思います。  ただ、自分としては最後の最後で、妙に綺麗にまとめてみせたというか、ちょっと終盤の展開だけ映画の中で浮いているようにも感じられて、そこは残念。  あの終わり方だからこそ、青春映画としての魅力も強まっているのかも知れませんが、もう少し苦みを含んだハッピーエンドでも良かったかも知れませんね。  それまでの展開がリアルであっただけに、爽やか過ぎて非現実的に思えてしまいました。   エンドロールの最後に流れる笑い声が、凄く怖かったりもしたのだけど、あれの演出意図も気になるところ。  大人目線による「子供の得体の知れない不気味さ」を表したにしては、劇中でその「不気味な子供」を好意に近い目線で描いている訳だし、どうも不可解。   全体的にクオリティは高いのですが、最後まで謎や違和感も残るという、後味爽やかとは言い難い映画でありました。 
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-10 10:11:46)(良:1票)
378.  秋刀魚の味(1962) 《ネタバレ》 
 小津監督作品というと、どうも肌に合わない印象が強かったりしたのですが、これは良かったですね。   序盤の部分に関しては、正直退屈。  でも、主人公の親父さんだけでなく、長男夫婦の日常も並行して描かれる辺りから、段々と面白くなってくる。  「ゴルフクラブを買いたいのに、妻が許してくれない」という悩みを抱える会社員が、購入を認めてもらった時の嬉しそうな様子なんて、実に微笑ましかったです。   また、途中で戦争批判と思しき箇所もあったりするのですが、そのやり取りも重苦しくはならず「負けて良かった」「馬鹿な野郎が威張らなくなった」なんて具合に、酒の席で上司に対する愚痴を零す時みたいな、軽いノリで描いてみせた辺りも好印象。   「娘の結婚問題」で、初老の主人公がアレコレと苦労しつつも何とか縁談を纏めようとする後半部分も面白かったのですが、惜しむらくは、終盤の「娘が嫁入りしてしまった後の寂寥感」を描くパートが、ちょっと長過ぎたように思えた事でしょうか。  あそこは「育てがいの、ないもんだ」「結局、人生は一人ぼっち」という台詞の後に、スパッと短く終わらせておいた方が、余韻が残って良かったんじゃないかな、と。   ただ、そこで「主人公の死」を連想させる演出が挟まれるのですが、安易に「酒に酔って交通事故に遭う」などの展開にはせず、まだまだ人生が続く事を示して終わってくれたのは、嬉しかったですね。  娘の嫁入りという、めでたくも寂しい出来事の後に「身体、大事にしてくれよな」「まだ死んじゃ困るぜ」と言ってくれる息子の存在には、救われる思いがしました。   タイトルの意味についても、作中で明確に言及されていない為、色々と推測する楽しみがありますね。  単純に晩年の三作を「秋」というワードで繋げてみせただけという可能性もありますが、それはちょっと作品単体への思い入れが感じられず、寂しい。  やはり「人生の味は秋刀魚に似たり」という意味ではないか、と思えるのですが、真相や如何に。   これが監督の遺作となった事も併せて、非常に味わい深い映画でありました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-09 19:09:48)
379.  故郷(1972) 《ネタバレ》 
 渥美清の演じる魚屋が「船長」と「労働者」の違いについて語る件が印象深いですね。  労働者よりも仕事がキツく、給料も安いと言われてしまうような、石船の船長という仕事。  それでもなお「叶うならば、ずっと船長のままでいたい」と願い続けていた主人公の姿に、切ない気持ちにさせられました。   途中、上述の魚屋が風邪を引いてしまい、ゴホゴホと咳込んでいる姿を目にした際には「もしや、彼が入院なり病死なりしてしまう展開じゃなかろうな……」と身構えてしまいましたが、そんな事も無く、最後まで明るく人懐っこい姿で映画に彩を添えてくれて、一安心。   主人公である夫は「船長」その妻は「機関長」という呼称も、何やら子供時代の遊びのような、不思議な楽しさがあり、彼らが石船の仕事に愛着を持っている理由も、分かるような気がしましたね。  冒頭の、船で大量の石を運び、それを海中に流し込むという一連の作業も、何だかアトラクションめいた趣きがあり、視覚的にも満足。  家族で力を合わせる姿を見ていると、それが単なる「仕事」の一言では片付けられない、互いの絆を強める為の儀式であるようにも思えてきました。   結局、この映画の一家は「都会の造船所で働く為」「大好きな船を捨てて、大好きな島からも去らなければいけない」という、辛い決断を下す事になります。  それでも、必要以上に陰鬱にはならず、どこか明るい空気すら漂っているのは「家族が生きていく為」という目的意識が、しっかりと描かれているからなのでしょうね。   ちょっと「田舎」や「船仕事」を美化し過ぎているというか、ともすれば「都会」や「工場作業」に否定的な印象を与えてしまう作りなのは気になるところですが、本作の場合は、そういった視点で描くのが正解だったのだろうな、と思えました。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-04 16:05:28)
380.  狂った果実(1956) 《ネタバレ》 
 「要するに退屈なのよ、現代ってのは」という台詞が、六十年前の映画にて発せられている事に驚きです。   2016年を迎えても、未だに「退屈な現代」が続いているように思える今日この頃。  ですが、退屈を感じる事が出来ない社会というのも、それはそれで落ち着かない気がするので、恐らくそれは歓迎すべき事象なのでしょうね。   本作の登場人物も、腹が減れば食事し、トランプで賭け事を楽しみ、海に出掛けてボート遊びに興じてと、一見すると裕福な、満たされた生活を送っているように思えます。  それでも若者特有の倦怠感、人生の諦観からは逃れられないみたいで、何だ哀しくなってきますね。  作中にて「時代遅れの年寄り」を皆で貶すシーンがあるけれど、この時代の若者達も、今では老人となり、現代の若者から白い目で見られているのだろうなと思えば、実に興味深い。   これが初主演作となる石原裕次郎に関しては、後の「嵐を呼ぶ男」などと比較してみても、まだ演技は拙い印象ですね。  他の出演陣にしても、年配の演技巧者が少ないせいか、全体的に棒読みに聞こえてしまう台詞、わざとらしい動きに思えてしまう場面が多かったりもして、そこは残念。   ただ、時代を越えて眩しさを与えてくれる「モノクロ映画の中の光」も確かに存在していて、それをおぼろげながらも感じ取る事が出来たのは、嬉しかったです。  先駆性の高い作品ゆえか、細部が粗削りで、現代の作品ほど洗練されていないのが気になったりもしたけれど、それもまた新鮮な感覚。   「ご縁と命があったら、また会いましょう」なんて台詞を、劇中の人物が、さらっと口にする辺りも御洒落ですし、裕次郎演じる夏久が、ヒロインの恵梨に頬を叩かれた後、無言で抱き締めてキスをする件も良かったですね。  後者に関しては、今となっては見慣れた演出なのですが「もしかして、この映画が元祖なのかな?」と思えるくらいのクオリティを感じられました。   衝撃的なラストシーンに関しても、大いに評価したいところなのですが、主人公の弟が冷徹に狂うまでの描写が、やや不足気味かも。  もう少し濃密に、兄に対する猜疑心や劣等感、ヒロインの恵梨に対する愛情や執着などを描いてくれていたら、もっと感動出来たように思えます。   そんな長所と短所が入り乱れる本作にて、最も印象深いのは、裕次郎が甘い歌声を披露する場面。  演技の巧拙などを超越した「大スターの片鱗」を窺わせてくれる、忘れ難い瞬間でした。
[DVD(邦画)] 6点(2016-08-04 06:22:58)
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