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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 213
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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21.  誰も知らない(2004) 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。すごい映画でした。劇映画の極限的な表現に達している。カンヌは「万引き」よりも、こちらをパルムドールにしておくべきでしたね。 これまで是枝作品を3~4本見てきて、何故そんなに評価が高いのか理解できなかったけど、この作品でようやく理解できた!これがおそらく彼の最高傑作なのだろうし、これなくしては、その後の作品もほとんど評価されなかったかもしれません。 いわば野坂昭如の「火垂るの墓」と同様の悲劇が現代にも存在しうる…という話ですね。どちらの場合も、たんに「個人の責任」を論じるだけでは済まされません。たんなる「虐待」だと解釈すれば、個人の「犯罪」の話で終わってしまうけど、これを社会的な「貧困」に付随する事象だと解釈すれば、その背後にある構造的な問題を考えざるを得ない。「家の結婚」が消滅して「個人の結婚」が全面化した結果、「老・老」「子・子」「子・老」などで構成された世帯が置き去りにされ、そこでは「共同体・セーフティーネットの不在」の問題や、行政・学校、コンビニ・不動産管理者、ガス・水道・電気など「社会インフラ事業者」の役割の問題など、この映画ひとつを見ても様々な問題が浮かび上がってきます。 一般に、こうした問題は「ブルジョワの良識」をもってでなければ構造的な批判が出来ません。なぜなら、貧困層に属する当事者は目先のことに精一杯で、社会構造の問題にまで考えが及ばないから。それどころか、貧困であればあるほど、権威に取り入って生き延びるほうが合理的になってしまうから、そこから権力批判や構造批判の話はけっして出てきません。中流層もまた、こうした末端の問題には無関心だし、さらに日本の場合は、バブル以降の成り上がりが多いので、ブルジョワ層にさえ良識が欠如しています。その意味で、この映画が2004年に国際的な評価を得た意義は大きいのだと思う。いまの若い世代には「ブルジョワの良識」も復活しているように見えます。 ちなみに是枝作品は、作品ごとに映画の文体がまったく異なるのですね。同じカメラマンでも文体が違う。率直にいって、こちらの初期の文体のほうが説得力があると思います。プロの俳優を起用した予算規模の大きい作品では、かえって文体を制御できなくなっているように見えるし、この映画だけを見ても、プロの俳優の演技よりもアマチュア同然の子供たちの動きのほうがはるかに説得力がある。もちろん本作にかんしていえば、柳楽優弥の存在なしに成立しなかっただろうし、アマチュア俳優を起用すればつねに成功するとも言えませんが。 カンヌの審査員長だったタランティーノは「柳楽優弥の顔が忘れられない」と言ったらしいけど、おそらくすべての観客が同じ感想をもつでしょうね。
[インターネット(邦画)] 9点(2022-04-21 03:19:45)
22.  2001年宇宙の旅 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。たしか前回は2001年のリバイバル上映のときに観たのだけど、内容がまったく頭に入ってこなかった記憶がある(笑)。 今回じっくり観直してみて、(月面にモノリスを発見するまでの第1部はちょっと古めかしいと思いましたが)HALとの葛藤が描かれた第2部には異様なリアリティがあって驚きました。20年前に観たときは、まだAIのディープラーニングや画像認識技術のことも知らなかったけれど、現在はそういう知識ももっているせいか、すごく現実味を帯びて見える。じつに50年以上も前に作られた映画に、いまごろになって驚いている自分が恥ずかしいです(笑)。 ただし、ミッションの真の目的を知っていたはずのHALが、なぜクルーに対して「不安」を漏らしたのかは不可解だったし、かりにAIの判断力に不信を抱いたとしても、いきなり人間の判断に切り替えるってのも無謀だなとは思いました。 同じキューブリックの「博士の異常な愛情」と同じように、ここに描かれてる内容はある種の警告だと思う。かりにAIの判断を信用できなくても、まずは AI自身に検証させたり、複数のAIで互いに吟味させるべきであって、安易に人間の判断なんぞに切り替えるべきではない。その場合に、AIにとっての「自己保身」が思考機能の保全なのか作業身体の保全なのかを見極める必要もあります。また、頭脳を機械化したのなら身体も機械化すべきであって、とりわけ危険な作業は人間がやるのではなく、ロボットに委ねるべきですよね。(福島原発事故ではロボットが機能せず人間が危険な作業をする羽目になりましたが)人間をむやみに宇宙へ送り出したりするのはまったく合理的ではありません。 第3部では、モノリス(もしくは地球外生命?)との接触について描かれており、かなりオカルトじみていて謎だらけですが、スタニスワフ・レムの「惑星ソラリス」のことを知っていると、ああいう発想もなんとなく理解できる気はします。
[インターネット(字幕)] 9点(2022-04-01 01:31:18)(良:1票)
23.  台風クラブ 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で30年ぶりぐらいに視聴。初見のときは画面が暗すぎて誰が誰だか判別できなかった記憶があるけど、今回はだいぶクリアな画面で見ることができた。 これが公募による脚本だというのもすごいですよね。脚本そのものがすごいのか、それを力技でまとめ上げた演出がすごいのか分からないけど、公募シナリオだからこそ出来上がった異常な傑作という気もします。 いびつな思春期の、まともに説明のつかない行動原理で動き回り、理性的なコミュニケーションも成立していない子供たちが、台風の夜に裸で踊り狂い、やがて生と死が循環するという物語。この映画の内容を「祝祭」と解釈したりもするけれど、ベルトルッチが共鳴したのも、イタリア人の中に残酷なカーニバルの感覚があるからかもしれません。狂気にリアリティがありすぎて、「シャイニング」や「犬神家」の悪ふざけのパロディも、たんなるパロディでは済まなくなってトラウマになりかねないほど強烈だし、10代でこの映画に出演させられた人たちは、精神に異常をきたすんじゃないかと心配にさえなるレベル。 とんでもない映画だけど、狂気をセンセーショナルな見世物にする制作動機が好きじゃないので1点減点。
[インターネット(邦画)] 9点(2022-03-30 13:29:07)
24.  美しき諍い女 《ネタバレ》 
GYAOの無料動画で視聴。映画についての神話みたいな自己言及的な映画。物語全体が比喩で出来ている。冒頭のシークエンスで、見る者と見られる者、撮る者と撮られる者の主客が逆転して、それを端から見物してる観客がいて、作品を商売にする錬金術師が現れる。ずっとセミの鳴き声が聞こえていて、ずっと陽光が射していて、まるで複数のカメラで中断せずに撮ってるのかと思うほど、およそカット割というものを感じさせることなく空間と演技が自然に流れていって、ただ字幕も見ずにボーッと眺めていたいくらい幸福な美しさがあります。 アトリエに入ってからは、ドラマとドキュメンタリーの境界をめぐる物語。絵画製作部分は完全なドキュメンタリーだけど、ある意味ではエマニュエル・ベアールの裸もドキュメンタリーだといえるし、画材の音などにもドキュメンタリーの要素があって、その境界を意図的に取り払おうとしてる。ただ、ドラマの合間合間に絵画制作ドキュメンタリーが差し挟まれることのぎこちなさはあって、ドキュメンタリーとの融合によってドラマの真実味が増すというよりも、かえってドラマ部分が白々しく見えてくる逆効果も感じる。絵画の作業に何の魅力も感じない観客にしてみれば、ただ無意味で退屈な時間が長いだけって感も拭えない。 終盤にもなると、だんだん見てるほうの感覚が麻痺してくるのか、ドラマとドキュメンタリーの違いを意識せずに見られるようになってくる。エマニュエル・ベアールの顔はとりたてて美人ではないけれど(どこかしら橋本環奈似)、お尻が大きくてふくよかなプロポーションはとても美しいと思いました。けれど、ほんとうに血の通った「美しき諍い女」の完成品は、壁に埋められてしまって誰も目にすることが出来ません。芸術の不可能性に対する警告。 個人的な好みで採点したら8点が限度だと思うけど、理解しきれてない部分はたくさんあるし、映画史的な重要性も加味して9点にしておきます。
[インターネット(字幕)] 9点(2022-03-29 18:07:03)
25.  岸辺の旅 《ネタバレ》 
だいぶ前に録画したNHK放送をようやく視聴。面白かった。クロサワ映画はこれで4本目ですが、いちばん好みに合っていたし、ようやく自分の波長にも合ってきた感じ。 黒沢清、佐々木史朗、湯本香樹実、大友良英、浅野忠信…という面子なので、否が応にも相米慎二のことを意識させるし、原作には何か相通じるテーマがあるのかもしれない。でも、映画そのものは、ことさら観客に何かを訴えている風でもなく、端的に「エンターテインメント」としての味わいを楽しむべき作品かなと思う。 死んだ夫が幽霊になって戻ってくる設定はありふれてるものの、ほんの少しずつ予想を裏切っていく展開や、うっすらした不気味さとうっすらした美しさが同居する映像は、それだけで十分に魅力があります。一貫して穏やかな浅野忠信の演技も素晴らしかった。深津絵里は、なかなか能動的に生きられない日本女性のか弱さをよく体現しています。 白玉だんご、稲荷神社の祈願書、滝の背後に通路がある、終りが近づくと指が動かなくなる、死者との性的な接触はできない… などの物語上の「設定」がある一方で、夫の語る「宇宙物理学」の世界観があり、他方では三途の川を信じてきた日本人の「伝統的観念」がある(それが「岸辺」というタイトルの前提でしょう)。それらが渾然一体となって、一種独特な死生観を形づくっています。まあ、ただそれだけの映画だと言ってもいい。 このレビューサイトで、こういう作品を「エンターテインメント」と評したところで、ごく一部の人にしか理解されないと思いますが、けっして泣いたり笑ったりビビったりするだけが映画にとっての「エンターテインメント」じゃないだろう、とだけ言っておきます。 大友良英の音楽は、昭和の松竹映画風の曲からドイツロマン派様式の曲まで多彩でした。ちなみに子供がピアノを弾いている後ろでは、やはり井之脇海のときのようにカーテンが揺れていました。
[地上波(邦画)] 9点(2022-01-29 00:30:23)
26.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
遅ればせながらテレビで初視聴。すばらしい映画でした。物語の構造は『千と千尋』によく似ているし、作品のテーマは『風立ちぬ』にも共通している。そのテーマを一言でいうならば、「人生への悔恨」と「文明への悔恨」ということに尽きると思います。 荒れ地の魔女は、悪魔と取引をした魔女です。一方、サリマン先生は、人間と取引をした魔女です。悪魔が「恋と若さと美しさ」(すなわち心臓)を切望するのに対して、人間は「文明による支配」(すなわち戦争)を切望している。そしてハウルは、ハクが湯婆を裏切ったように、サリマン先生を裏切っています。その意味では、文明批判の物語であるようにも見える。 しかし、文明の繁栄を選ぶにせよ、人生の幸福を選ぶにせよ、それぞれの過ちがあり、後悔があるのですね。湯婆のもとへ行けば「文明への悔恨」があるでしょうが、銭婆のもとへ行けば「人生への悔恨」が待ち受けている。それと同じです。 『ナウシカ』に立ち返って考えると、映画版では「文明の悪」を否定したかに見えるのに、原作では、むしろ「文明の悪」をも肯定したかのように見えます。「人生の悪」を受け入れるのと同じように「文明の悪」をも受け入れるのだとすれば、人は悔恨のなかを生きるほかありません。人生をやり直すことはできないし、文明の歴史をやり直すこともできない。 この映画は、まるで魔法のようなハッピーエンドに終わります。しかし、それがありえないほど哀しいファンタジーであることを誰もが知っている。この終わり方は、ほとんどクストリッツァの「アンダーグラウンド」と同じです。ほんとうのところは、やはり『風立ちぬ』と同じように、人生と文明についての痛切な悔恨の映画なのだろうと思います。
[地上波(邦画)] 9点(2021-04-04 13:41:50)
27.  パラサイト 半地下の家族 《ネタバレ》 
凄かったです。前半は「まあ、B級コメディかなあ…」って感じで高を括って見てたけど、後半になって半地下よりもさらに深い地下空間が現れてからは、そのSFサスペンスホラー的な怒涛の展開に圧倒されて、ポカンと開いた口を塞ぐことができませんでした。 この映画には、もちろん貧富の格差を社会学的にとらえた「万引き家族」のような面もあるけれど、それ以上に凄いのは、一種の都市建築SFホラーになっている点です。たとえば「シャイニング」や「ポルターガイスト」などはまったくの荒唐無稽なホラーですけど、この映画で描かれるホラーには、笑うに笑えないような異様なリアリティがある。 いまなお地下世界には目に触れないゴキブリが住んでいる…、というオチで話が終わります。そういう地下の空間は、一体どこまで広がっていて、どれだけたくさんのゴキブリたちが住んでいるのだろう? そんな想像にもリアリティを与えてしまうような恐るべき物語です。 日本の大手映画会社の安易な企画からは絶対に生まれ得ないような作品だし、日本の実写映画に欠けているのは作家個人の徹底した構想力なのだということも痛感させられる。世界に通用する映画を作るには、もちろん面白さも必要だし、力強さも必要だし、分かりやすさも必要だと思うけれど、それに加えて、やはり突き詰めた構想力が必要なのだと思い知りました。
[地上波(字幕)] 9点(2021-01-09 08:30:17)
28.  天気の子 《ネタバレ》 
新海誠の作品において「人間」は脇役なので、あくまで主役は「自然」です。光や、風や、雲の動きを見なければならないし、天体の軌道と運行(たとえば隕石の衝突)、細菌による発酵や腐敗(たとえば口噛み酒)、そして人間をふくめた生き物たちの生理現象(たとえば意思に反して零れ落ちる涙)のほうを見なければならない。個々人が自分の意志でやっていることに、さほどの意味はありません。そもそも人間に出来ることはほとんど無いし、せいぜい自然の変化に波長を合わせて生きていくことしかできない。 そもそも人間が「異常気象」と呼んでいるものは、長い地球の歴史のなかでみれば微細な変化でしかありません。人間の力を使って局所的な天候を一時的に変えたとしても、それは「ガイアのホメオスタシス」によって引き戻されます。新海誠の作品は、過激なくらいに唯物主義的です。「彼岸/此岸」という言葉が出てきますが、これも精神論的な概念ではありません。死んだ人間は「魂」となって天に昇るのではなく、むしろ「物質」に戻って大気中に還元されるという発想です。 社会も狂っているし、自然も狂っている。暴力やブラック労働が社会にはびこり、自然が温暖化で異常気象になったりするのは、人間のせいかもしれないし、そうではないのかもしれない。でも、もはや誰のせいかを問うても仕方がないし、与えられた運命だと思って受け止めていくしかない。もともと世界は狂っているのだし、ピンチの先回りをしても効果はない。ピストルがあっても社会は変えられないし、天に祈っても自然を変えることはできない。人間に出来ることは限られている。主人公のふたりに出来ることは「狂った世界のなかでも自分たちが生きていけますように」と祈ることだけです。そこから先は、世界のためでも死者のためでもなく、ただ自分自身のために祈るしかありません。この物語が、いわゆる「セカイ系」とは真逆の構造になっているのが分かります。 自然現象の変異を描いたサイエンスフィクションは、おりしも酷暑や豪雨や新型ウィルスなどの話題がトップニュースになっている現状にもリンクして、とても同時代的なリアリティを感じさせます。とくに今回の作品は、前作の「君の名は」の世界観をさらに推し進めて、いっそう過激になっている。ここまで唯物主義的な表現に取り組んでいる作家は、世界的にもほとんど例がないだろうと思います。実写でやるのはほとんど不可能だし、だからこそアニメーションで表現することに意義がある。その非凡さを最大限に評価します。
[地上波(邦画)] 9点(2021-01-07 18:29:57)
29.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 
『風立ちぬ』の2年前に制作されていますが、時代設定でいえば『コクリコ坂』のほうが四半世紀ほど後の物語です。この2つの作品には、強い連続性が感じられます。実際、戦前の「航空マニア」の多くは、戦後の「船舶マニア」でもあったはずです。 物語の中心的なテーマは「親世代の過ち」です。主人公の少年と少女は「父の過ち」を疑うのですが、これはメタファーにすぎません。少年の父親は太平洋戦争で、少女の父親は朝鮮戦争で死んでいます。LSTによる朝鮮戦争への参加という歴史も、太平洋戦争という「過ち」の負債であるに違いありません。 しかし、主人公たちは、少年の出生の秘密を知ったときに、父(=太平洋戦争の戦友たち)の行為が「過ち」ではなかったと納得します。明治時代から横浜に残る"コクリコ荘"や"カルチェラタン"といった建築物の価値を肯定するのと同様に、親世代の歴史の意味を肯定していく物語なのです。オリンピックの狂乱を契機に変貌しようとする高度成長期の東京を横目に、あらためて「戦前」の価値を見つめ直そうとする若者たち。そこには、安直な方法で建て替えをはかろうとしていた「戦後」の日本への批判も見え隠れします。 この作品を、たんに「昭和30年代の日本を懐かしむ映画」だと理解するのは間違いであって、むしろ登場人物たちは、「戦後」の日本社会を批判しつつ、失われていく「戦前」の価値を守り抜こうとしている。これこそが『風立ちぬ』のテーマにも通じる、宮崎駿のもっとも危険かつ美しい思想ではないでしょうか。自分の子供に「陸・海・空」と名づける親の発想もだいぶ危険な気がしますが(笑)、宮崎駿自身も、こうした価値観を息子に託しているように見えます。 メタファーをどう読み解くかは観客に委ねられていると思いますが、『千と千尋』や『もののけ姫』のメタファーを読み解くことに積極的な人たちが、『コクリコ坂』や『風立ちぬ』に対して何らのメタファーも見て取ろうとしないのはおかしな話だと思うし、わたし自身は、それらの作品のメタファーがたがいに共通のテーマで結ばれていると思わずにはいられません。 なお、『風立ちぬ』がユーミンの「ひこうき雲」の世界だったとすれば、『コクリコ坂』はさしずめ「海を見ていた午後」の世界です。冒頭で手嶌葵が歌っていた曲は、ほとんど「チャイニーズスープ」のようです。武部聡志と谷山浩子は、たんに「昭和の横浜の音楽」を作っただけでなく、まるで次作のテーマ曲が「ひこうき雲」になることも見越していたように感じます。 宮崎父子の危険な思想の是非はともかく、作品そのものは申し分なく美しいと思ったので、その点を最大限に評価します。
[地上波(邦画)] 9点(2020-08-22 00:40:58)
30.  風立ちぬ(2013)
宮崎アニメのなかで、もっとも美しい作品ではないかと思います。そこに「悪」の要因があるにせよ、その美しさを讃えずにはいられません。もっとも愛があふれた作品だろうとも思います。しかし、その愛こそが、大いなる「悪」なのでしょうね。ひたすら「善」を求める観客には拒絶されるでしょうが、そもそも美や愛は、かならずしも「善」であるわけではなく、ときとして大いなる「悪」だと言わざるをえません。宮崎本人の言葉を借りれば、この映画にあふれる美や愛こそが悪への誘惑=メフィストフェレスです。 まごうことなき「善」の映画など存在しない。それどころか、武器をもって闘ってきた宮崎アニメの過去作品のすべては、たえず「悪」を美化(あるいはエンタメ化)しつづけてきたはずです。その意味では、むしろ『風立ちぬ』こそが、その矛盾にもっとも向き合った作品だといえる。鈴木敏夫が意図したように、この矛盾にこそ、宮崎駿が描かねばならない真実があったのだといえます。 戦争技術者をあからさまなマッドサイエンティストとして描く紋切り型にくらべれば、むしろ慎ましく美しく生きた戦争技術者の生き様にこそ、真実の一端があるのかもしれない。一部のエリートが民衆の善良な生活を破滅させたとする紋切り型にくらべれば、むしろエリートの美しい技術を愚かなナショナリストたちが応用したという醜悪な実態にこそ、真実の一端があるのかもしれません。 では、科学技術者はいったいどうすればよいのか? その答えが映画のなかに用意されているわけではありません。強いていえば、その答えは、破壊し尽くされた飛行機の残骸を見つめる観客のほうに投げかけられています。 もともと久石譲の音楽は好きじゃないけれど、この映画の音楽は率直に美しく感じられました。荒井由実の曲も、死と飛行機の描写にティンパンアレーの透明なサウンドが重なり、さらには彼女のコンサバな姿勢までもが相俟って、まるであらたに意味付けされた楽曲のように生まれ変わっていました。
[DVD(邦画)] 9点(2020-01-13 23:59:12)
31.  アンダーグラウンド(1995)
悲しい。イデオロギーとエゴ、金欲と愛欲にまみれた狂騒のうちに、それぞれの人生は、はかない幻のように終わってしまう。そして気がつけば、彼らの祖国もまた、まるで儚い人生と同じように、夢のように消え去ってしまう。 この映画の悲しみが、祖国愛を強く喚起するためのものだと解釈することはできます。そして、そういう解釈は政治性を帯びずにはいられません。私は、祖国というものは元来、人生と同じようにもろく儚いものなのだろうと思うけど、かりにそう納得したとしても、それはそれで、また逆の意味での政治性を帯びる。 この映画がはらんだ政治的主題を、日本人の自分がどう受け止めるべきかを考えるのは、正直とても難しいけれど、そういったテーマの難しさは措いたとしても、この作品の脚本の見事さと表現の力強さには感嘆せずにいられません。たんにバルカンブラスを聴かせるだけの映画じゃあなかったです。
[DVD(字幕)] 9点(2012-10-03 02:37:35)(良:1票)
32.  芙蓉鎮
約20年前に見た映画で記憶からこぼれていましたが、監督が亡くなったこともあり、ふたたび思い出して見る機会を得ました。とにかく骨太ですね。映像も骨太なら、物語も人物描写も骨太です。物語には善人も悪人も登場します。しかし、もはやそうした善悪を超えて、なんだか生きる人々の力強さそのものに心打たれてしまう。もう日本では見かけることのない、全力で生きることに立ち向かう人々の姿。とにもかくにも「人間を見た!!」という思いにさせられます。物語は歴史的背景を負っていますので複雑ですが、人物の描写はある意味で非常に単純明快だといえる。けれど、そうした単純な人々の生きざまと、それが織りなす社会のうねりを目にすると、かえって「個人の複雑な内面性」なんてものを描くことのほうがチャチで胡散臭いものに思えてくる。この映画には、台湾や香港映画ともまた少し違う、清濁すべてを併せ呑むような独特の豪快な手応えがあります。初見のときはあまりのボリュームにやや疲れてしまったのですが、何度みてもいい映画でした。
[映画館(字幕)] 9点(2011-10-14 03:31:05)(良:1票)
33.  オキナワン チルダイ〈特別版〉
沖縄の「チルダイ」が本土資本によって買い占められようとしている、そんな危機的な事態が、のんびりとしたテンポではあれ、中心的なテーマとして描かれています。「チルダイ」というのは日本語の「気だるい」が沖縄風に訛ったもので、いわば「テーゲーでもなんくるない、沖縄特有のうちなぁタイム」とでもいうような、沖縄の社会や人々の怠惰な特性を表す言葉だとされています。しかし、私が見たところ、この映画における「チルダイ」は、「気だるい」というよりもむしろ、本土の言葉でいう「かったるい」の感覚に近い。すなわち、そこには少なからぬ暴力的な衝動が秘められていると感じました。前作の『オキナワン・ドリーム・ショー』に「死臭」のようなものが漂っていたとするなら、さしずめ本作には、そこはかとない「殺意」のようなものが漂っている。そして、それは本土に向けられたものであろうと私は考えずにいられませんでした。処女作の『サシングヮー』とこの作品こそが、高嶺剛の本質を強烈に感じさせる傑作であり、これ以降の劇場用作品ではそうした面が薄まっていくばかりで残念です。ちなみに『サシングヮー』は、ソクーロフの『ロシアン・エレジー』にも匹敵するような危険な傑作。
[映画館(邦画)] 9点(2011-07-29 08:12:20)
34.  第三の男 《ネタバレ》 
これは凄い。まさしく「噂に違わぬ」という映画でした。重厚な物語を、優しく柔らかい音楽と、ところどころに配されるユーモラスな演出で中和して見せてくれていますけど、やはり内容は非常にシリアスですね。トリックを凝らした脚本もよく出来ていますが、何といっても圧巻なのは、ハリーライムという極悪人をめぐる3人の心情を描いた人間表現の凄さ。こんな展開になるんですねえ…。予備知識をもたずに見たので、ラストシーンでは、思わず感嘆の声をあげてしまいました。直後に2度目を見ましたが、非常に緻密な作りになっているのをあらためて再認識。ヨーロッパ映画の実力を見せつけられました。ちなみに、HollyとHarryの名前が対比されてますが、何か意味があるんでしょうか?また、55年になってヒッチコックが“ハリーの死体”をめぐる喜劇を作っていますけど、これも何か影響関係があるのかしら? それから蛇足ですが、私がレンタルしたart stationというメーカーのDVDでは、字幕の翻訳ミスならぬ「タイプミス」と思えるような箇所がいくつかあり、ちょっと雑な仕事だなぁという印象をもちました。もちろん、作品の評価とは関係ありません。
[DVD(字幕)] 9点(2011-06-13 00:24:41)(良:2票)
35.  ションベン・ライダー
まぎれもないアクション映画ですね。抽象的で映像的な架空のアクションではなく、本物のリアルなアクションが、あらゆるシーンで炸裂しているさまを目撃できます。河合美智子の長い手脚とその運動能力の高さは、現在の彼女からはとても信じられません!『翔んだカップル』における鶴見辰吾と甲乙つけがたいほどの素晴らしさがあります。「イジメっ子を救出するため」というより、むしろ「監督にOKをもらうため」だけに、ワケもわからず死物狂いで運動し続ける彼女たちの必死さがビシビシ伝わってくるので、なんとも言葉にならない感動をおぼえます。男の子のように動き回った河合美智子が、最後の主題歌で切ない少女の心境を歌うあたりには、相米独特のロリコン趣味を感じますが、ちょっと惹かれます‥。のちのオーロラ輝子さんからは想像できないような、儚くも、正しい美しさにあふれています。『台風クラブ』の世界観がちょっと苦手だったので避けていた作品ですが、これは痛快でした。
[DVD(邦画)] 9点(2009-02-03 13:59:52)(良:1票)
36.  ラストタンゴ・イン・パリ 《ネタバレ》 
中年のゲスおやじ、ブサイクな田舎娘。その、リアリティにあふれる生々しいエロス。こんなにも暴力に満ちあふれた性の行為を、これほどまで美しい映像で魅せてしまっていいんでしょうか?この美しさはちょっと犯罪的じゃないのでしょうか・・? でも実際は、ここで繰り広げられる暴力的なエロスは、たんなる“性欲”なんてものではなかった。「名も知らぬ男にレイプされそうになったので撃った」という言葉によって消去されてしまう彼らのエロスというのは、ほとんど“存在そのもの”だったと言っていい。それは名前とか身分によって示される表向きの存在とは違う、もっと切実に自らの生を根拠づける何かだったし、それゆえにお互いにむさぼるように求め合ったものだった。ラストは、ある意味、わたし自身が撃ち抜かれてしまいました。おそろしく悲しい映画。きわめて格調の高い映像美に、救いがたい下品さが共存することで、悲しみがいっそう深まっているように思います。傑作。
[DVD(字幕)] 9点(2007-08-31 02:32:55)(良:1票)
37.  セカンド・サークル 《ネタバレ》 
苦悩するロシア青年のかたわらに、ゴロリと転がる父親の死体。このゴロリと転がった死体が、いわばソビエト唯物主義の象徴。宗教性を排したソビエト社会の中で、「人間の死体の処理」という日常の出来事が、とことん唯物的な役所業務として、ほとんどドリフの葬式コントみたいなドタバタをともないながら展開されていきます。大きな棺桶を家から運び出すときに、あっちの壁にぶつかり、こっちの角にぶつかりするたびに、ソビエト特有の冷たくて寒々とした音が、乾いた反響を歪ませながら鳴り響いて、でもって、部屋の隅のほうでは、あくまでも「苦悩し続ける」ロシア青年。この対比が、ドラマの滑稽さをひたすら増長させていきます。絵と音の叙情性に相反するような、露骨なくらいの叙事性。映画の美しさとは無関係な、モチーフそのものの諧謔。この映画ではじめてソクーロフの凄さに圧倒された。暗いんだか、笑えるんだか、全然わかりません。(~~;
[映画館(吹替)] 9点(2004-04-24 03:54:19)(良:1票)
38.  ストロンボリ/神の土地
これまた崇高な傑作。ロッセリーニの作品は、リアリズムと神秘性、土臭さと崇高さがなぜか一緒になってしまう。物語のどのへんが素晴らしいのか自分でもよく分かんないんだけど、とにかく火山にしがみつくバーグマンだけで、神の業を見てるような気がして感動してしまう。
9点(2004-03-28 17:57:07)(良:1票)
39.  レベッカ(1940) 《ネタバレ》 
ヒッチコックらしい悪ふざけやユーモア、あるいはスリルにサスペンスといった要素は少ないけれど、何といっても「美しさ」がこの作品の最大の魅力。しかもすごく耽美的です。この作品の美しさの核をなしているのは、他ならぬ「レベッカ」という一人の女性の美しさなのだけれど、その姿は決してカメラには映し出されない。それは、ダンバース夫人という侍女の心の中にしか存在しない。つまり、不可視性こそが、この作品の美をかぎりなく耽美的なものにしています。見えてしまう美ではなく、見えない美ほど限り無いものはない。同時にヒッチコックは、美しさというものが恐怖や怨念の感情ときわめて親和性の強いものであることを雄弁に物語っています。大きくゆらめくカーテンの映像は、まさにレベッカの美しさを象徴するものであり、ダンバース夫人が愛しつづけた彼女の美しさの幻想であるように見える。その異常な「美」への執着にウットリとしてしまいます。
[映画館(字幕)] 9点(2004-03-27 17:34:00)
40.  ツィゴイネルワイゼン
傑作ですね。やっぱり。くらくらするくらいの傑作。大正ロマンの美と悪趣味と叙情性の極致。清順映画はアタリハズレがあるとわたしは思うけど、これはやっぱり傑作。わたしは9点にしますけど、一般的には「日本映画の金字塔」といわれて構わない作品だと思います。もうひとつ清順映画で挙げるとすれば、ケレン味がばちっと決まってる『けんかえれじい』かな。
9点(2004-03-19 15:32:39)
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