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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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381.  メリンダとメリンダ 《ネタバレ》 
アレンらしい映画で確かに面白いと感じた部分はあった。ウィル・フェレルはアレン好きの人なら特に賛否両論あろうかと思うが、往年のアレンの演技やセリフが思い出される。その点だけでも良かった。サル真似かもしれないけど別に悪くは無いだろう。コアなアレン映画ファン以外ならば、充分笑いは取れる演技だ。 人物の描写という点についても各々のキャラクターには「性格」が設定されており、それぞれある程度の悩みを抱えているために深みが増しており、好感を持てた。 そして何よりも、この映画のセリフが非常に良い。美しいセリフには酔いしれた。 本作は、悲劇編と喜劇編の二つのストーリーから成り立っている。 この手法は「スライディングドア」を思い出される。グウィネスの髪形などに気を配り、二つのストーリーが混同しないように細心の配慮がされている点に好感が持てた。 一方、本作でもメリンダの表情や髪型などで分けていたし、そもそも出ている役者が違うので混同しようはないかもしれないが、観客に対する見せ方としては、あまり上手くはないような気がする工夫が足りない。バーで飲んでいる4人(「ブロードウェイのダニーローズ」が思い出される手法)の会話をもう少し論点を分かりやすくした方が観客には良いだろう。 この映画に賛辞を送れないのは、結局この映画で何がやりたかったのかが自分には伝わらなかったということ。確かに「人生は短い」というメッセージは伝わるが、人生は果たして悲劇なのか、喜劇なのかという答えがない。この問題に対する答え自体がないことは知っているが、考えるためのイントロダクションにもなっていないと思う。昔のアレンだったら「人生が悲劇的であってもいいのではないか」という皮肉的な答えを出したかもしれない。 さらに、二つのストーリーの対比が上手く描けていないために、何のために二つのストーリーがあるのかという根本的な部分がクリアにならない。「重罪と軽罪」のような明確な対立軸が必要だったかもしれない。 また、どちらのストーリーのオチもあまりよろしくない。特に喜劇編に対してはいくらなんでも強引かな。「スコルピオンの恋まじない」くらいに描くのならまだしも、メリンダには恋人もいるし。病院に連れて行ったときに前フリをいれて、さらにメリンダがローブの切れ端を拾いあげて少し悩むくらいのカットがあれば多少の前フリにはなったかなと思われる。
[映画館(字幕)] 7点(2005-06-25 19:46:36)
382.  スター・ウォーズ<特別篇>
展開がスピーディーなのが良かった。 
[ビデオ(吹替)] 7点(2005-06-20 23:40:40)
383.  炎のメモリアル 《ネタバレ》 
この映画には基本的にドラマ性という視点が欠如している。 同僚の死、各人命救助、結婚に至るまで、そしてあの大きな火災での救援活動など、いづれもありのままの姿を平坦に描いている。 はじめ、仲間の死をなぜドラマティックに描こうとしないのか勿体無いなと感じていたが、見続けていて気がついた。この映画の趣旨が非現実な偽物の世界を描こうというつもりがないからである。 現実の消防士の世界をありのままに描くという視点がこの映画の主題なのではないか。 ビルの上からの人命救助や、黒人の女の子を救うための人命救助にも特別なドラマは要らない。 普通の映画とは違い、ガラスもなかなか割れない。女の子を見つけたとしても、一人ではどうしようもなく、ただ助けを求め続けることしかできない。そういう泥臭い仕事が消防士の仕事なのである。 同僚の死でさえも、一時でも注意を怠れば、死ととなり合わせ、死と直結する世界であることを伝えていることに過ぎない。 なぜ彼らが危険を犯してまで、この仕事に携われるかというと、それはこの映画のもう一つの主題である「人の命を救う仕事の尊さ」だろう。 確かに人間である以上、その信念は揺らぐことはある。「この仕事は好きか」と質問されても即答できなくなるかもしれない。 しかし、ホアキンは死の間際であっても、この仕事に誇りをもちつつ死を迎えたのではないかと感じさせた。ホアキンやトラボルタ、大火傷を負った同僚他、コアな信念は揺らぐことはなかったという気がする。 たぶん自分が脚本家やプロデュサーであれば、絶対にこのような映画を創ることはできないと思う。恐らくバックドラフトのようなものを創ろうとするだろう。 この映画のように主人公を助けようという気持ちは痛いほど伝わるものの、救援活動らしいことはまるで描かずに(カッターで鉄筋一つ切るのも一苦労)、最後は置き去りにせざるを得ないという脚本は、ある意味で非常に新鮮だった。この世界にはミラクルなど何もないのである。 トラボルタも目立たないながら、なかなか良い仕事をしていた気がする。ホアキンを支え、成長させ、見守り続けていた。ホアキンの表彰式の際には、人一倍喜んでいた姿が印象的だった。 また、この映画にはアメリカ人らしいバカ騒ぎがいくつも描かれており、文化の違いというか、気質の違いをまざまざと感じさせてくれるという面も面白い。
[映画館(字幕)] 7点(2005-06-05 14:17:24)
384.  ミリオンダラー・ベイビー 《ネタバレ》 
とても繊細で複雑な映画である。こんな映画を撮ることができるのかいうくらい、繊細さを感じた。光と影によるコントラストが、さらに本作を繊細にしている。また、セリフのない数秒のカットでさえ、数分間を物語るくらいの効果があるものがいくつも垣間見られた。この点に関しても、流石と感心せざるを得ない。 ストーリーにおいて、一番気になったのは、彼女が「悔いのない人生」を送ることができたかどうかということだ。 あのような反則による事故によってあのような結末に至り、また「彼女が何のために戦い続けていたか」ということと家族の酷い仕打ちを見ると、果たして悔いのない人生と言えるのだろうか疑問に感じる。むしろ失意のうちに、また無念の想いを抱いていたのではないか。 家族については、家は買えても、心は買うことは出来ないので仕方がないとしても、ボクシングの試合に関しては、自分が脚本家ならば、チャンピオンの反則により、大きな怪我を負う。怪我を負っても戦うことを止めようとしないマギー。何度もタオルを投げ込もうとするも、戦う彼女の姿を見て、どうしてもタオルを投げ込めないフランキー。勝つか負けるかどちらでも良いが、最後までリングで戦った代償として全身不随の怪我を負うという流れにした方が良いのではないか。最後までリングで戦うことができれば、彼女は「悔いのない人生」を送ったと思うし、スクラップが失明した試合をカットマン故、止めれなかったけど実際はどうだったのか…という話ともリンクする。 フランキーはトレーナーとしては、マギーの試合にタオルを投げ込むことができなかったけど、トレーナーを超えた存在として、マギーの人生にタオルを投げ込む業をフランキーに背負わせるというのが、すっきりする流れと思われる。彼女の人生に自己責任を負わせることが出来ないと、後味の悪い、救いのなさだけが残ることになるのではないか。 他方、彼女を死なせないという流れの方が整合的なストーリーのような気もする。スクラップの語る「誰でも一度は負ける」というセリフには、裏を返せば「負けたとしも、どんなに傷ついても、人間は再び立ち上がれる」ということを言いたいのではないか。ラストで彼女が大学で車椅子の姿でもゲール語を学ぶ姿が見られたら、アカデミー賞受賞作品に相応しい映画になったのではないかと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2005-05-30 23:40:05)(良:2票)
385.  追憶(1973) 《ネタバレ》 
好きなシーンは色々あるが、一番好きなシーンはケイティが演説しているフィルムをJJ達とたまたま観ていたときのハベルの顔だな。なんとも言い様のないモノ凄い良い表情をしていた。 あれを観て、ハリウッドの10人のためにワシントンに行ったケイティが以前と変わっていない又変わって欲しくないと思ったのではないか。 そのようにハベルは思い直して空港まで迎えにいくわけだが、その時の空港での喧嘩が二人に埋めようのない深い溝が生じて、二人の別れにとって決定的なものとなるわけで、映画のキモとなると思う。 「大切なのは人間だ」と主張するハベルと「主義こそ人間の糧」と主張するケイティ。 この根本の思想の違いこそ、別れの大きな理由となると思うのだが、ただ、このシーンだけでは二人の別れの理由としては、不充分というか、盛りあがりには欠ける気がする。 確かにハベルの浮気など別れにとって副次的なものもあるが、お互いに愛し合っていてもどうしても別れなければいけない決定的なもの。お互いをお互いに理解しようとしてもどうあっても理解できないもの。やり直そうやり直そうと努力しても埋まらない溝をもう少し盛りあがるカタチで描いて欲しかった。 この映画には、二人の再会から、大学シーン、一度目の別れ、ハリウッドでの生活、二人の別れ、そして再会シーンまでを描いている。一度目の別れと復縁する夜のシーン、再会シーンが極めて素晴らしいのだが、上記のどうしても別れなければならないシーンが心に触れないので勿体無いと思う。 個人的には、ケイティを赤狩り時代のハリウッドに閉じ込めておくことは、籠の中に鳥を閉じ込めておくようなものとハベルが感じて、ケイティのために別れを決意するという流れにしても良かった気がする。 DVDで鑑賞したのだが、削除されたシーンとしてケイティが20年前の自分に似た少女(大学のようなところで一人で声を張り上げて社会に訴えている少女)を見かけて涙を流すシーンがあった。 このシーンは、バーブラ自身も削除しないようにとシドニーに頼んだようだが、政治的色合いを薄めたいと考えたシドニーは削除することを決めたようだ。 このシーンも映画のキモになるべく大切なシーンだったと思う。このシーンがあればラストにおいて活動を続けているケイティの気持ちもはっきりと理解できる。
[DVD(字幕)] 7点(2005-05-21 17:30:16)(良:1票)
386.  ブロードウェイのダニー・ロ-ズ
ヘリウムガス位で派手な面白さはないけど、不思議と優しい気分にさせるいい作品だと思う。 特にダニーの「人間像」「芸人に対する愛情」「人生観」が素晴らしい。 昔は漫談家だったダニーだが、今でも芸人時のクセからか誰に対しても年齢を聞くことは忘れてないし。「一言言わせてくれ」(「説教でも冗談でもなく」ヴァージョンもあり)という決めゼリフや叔父や知り合いがいった名言を多用するような点を見ると、彼は本当に「笑い」が好きなんだなと感じさせる。 マネージャーではあるけれども、心のどこかではまだ舞台を夢見ているのかもしれないと感じさせる部分はあった。 そして全く売れない芸人に対する愛情が溢れていると感じさせる。自分のことのように熱心に売り込み、そして恩を仇で返すように裏切られ、それでもまだ彼は必死に芸人を売りこみ続ける。そんな彼の性格がにじみ出ていたし、彼が開く感謝祭もまさにそんな雰囲気が感じられる。 バーニーダンを犠牲にしたのも、彼が旅行中と思っていたからであって、別に単なる売れないどうしようもない芸人だから巻き添えにしたのではない。あの感謝祭に彼の姿があったのも少し嬉しくなる。 さらに彼の人生観だが、「人生に笑いが必要だが、ある程度苦しみも必要だ。」というのは本当に名言だと思う。 「スター、スマイル、ストロング(=3S)」を合言葉に常に「自信をもて」と芸人に勇気付ける姿は惹かれるキャラクターだ。 負けイヌでもいい、一夜にして英雄になれる可能性があるのだからと言い切るところには「夢」を諦めない強さを感じさせる。 一方、ストーリーとして少し物足りなさを感じさせるのも事実だ。 ストーリーのオチとしては、ティナとの友情が「根」にあると思われるのだが、ダニーとティナの二人の逃避行が面白い部分はあるものの、それほど心に訴えるものが少ないように感じる。 ティナが感じる「罪悪感」がもっと感じられるようにした方が良かったのではないか。 ティナとの逃避行の中でダニーがルーへの熱い想いをどこかで語るような部分があればティナの罪悪感を感じられるはずであり、もっと映画としては引き締まるように思う。 
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-29 23:45:59)
387.  ギャング・オブ・ニューヨーク
あまり自分は好きではないスコセッシ作品の中で意外と好きな作品。 どう感じていいか難しいラスト以外は面白いと思うし、モノ凄い情熱を込めた映画だと感じる。ビルとアムステルダムの関係が様々な想いが重なり面白いと感じる。 アムステルダムにとって、ビルは父の仇であるのと同時に、父の理解者であり、尊敬や畏敬の念を抱くに値する男である。ビルの下で働くのを楽しんでいるかのようであった。ビルの暗殺を食い止めたのは、自分の手で殺したかったのではなく、やはり尊敬から自然とああいう行動に出てしまったのだろう。 一方、ビルにとって、アムステルダムはある意味「息子」のような存在だったのではないかと思う。ビルは息子を望んでいたし、知恵も勇気もあるアムステルダムのことを買っていたのは間違い無い。 アムステルダムによるビル暗殺が失敗に終わってもアムステルダムのことを殺さずに焼印を押しただけにとどめたのも納得ができる。 以前、ビルはヴァロン神父に殺されそうになった時に、恐怖で目をそむけたことがあり、「恥を背負って生きろ」とヴァロンに殺されなかったエピソードが思い出される。それによりビルは目をくり貫いて一回り成長してヴァロンを殺すことができた。自分がされたことを全く同様のことをしたのである。ここでもビルのヴァロンに対する尊敬の気持ちが感じられる。 これにより、アムステルダムは一層、一皮剥けたと思う。父と同様に信念を持ち、同胞をまとめあげるリーダーシップを得れたような気がする。始めてビルと対等の立場にたつことができたのではないか。 恋愛を交えるのは別に悪いとは思わないが、もう少しちゃんとジョニーとの友情なり、ジェニーに対する想いをきっちりと描いておけば効果的なものとなったであろう。ダンスシーンだけで充分とは思えない。 ジェニーは突然ではないがカルフォルニアに行きたいとかトンチンカンなことを言い出すのが不明だ。アムステルダムを止めたいのか何なのか、ボコられて戻ってくるのも中途半端だ。 ラストは軍隊という大きなチカラについて自分なりに感じたものはあったが、スコセッシはどのような意味を込めたんだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-10 02:22:43)(良:1票)
388.  グッドフェローズ
ギャングもやはり人の子ということか。 自分が殺されると分かったら、自分の命は仲間を裏切ってでも守るという「現実」が描かれていた。 ここにはギャングに対する憧れでは済まされない世界や映画で知る一般のギャングの世界とは違う世界が描かれていると思う。 デニーロは自分の身に危害が加わらないように、例え仲間であろうと強奪事件に関する人間を殺しまくっていた。恐らく彼は有無を言わさず、後ろから引き金を引いて殺したのだろう。 結束が固いはずのギャングの「仲間」「信頼」とは何かを考えさせられる。 それにしても序盤の口を割らないで皆から祝福された法廷シーンとラストで頼まれていないのにベラベラと口を割るシーンの対比は見事だった。 ラストのリオッタのビクビクしながら新聞を受け取る姿も印象的だった。ギャングであろうと、自分の身に危険が及べば、何でもする。人間にとって本質的な部分が描かれているとは思う。 しかし、もうちょいリオッタがあそこまで追いこまれるような姿はしっかりと描いても良かったとは思う。 仲間を「裏切る」行為はそれほど軽いものではないはずだ。 ここは重要な部分なので、カレンが自分の両親に会えなくなるとかならないとかそういう話で済ませてもらいたくなかった。まあ、これが本当の現実的な問題なのかもしれないが。 ジョーペシは相変わらずの切れ加減だが、本作よりも「カジノ」の方が近寄りがたい恐ろしさがあったな。自分をさえぎるものがいたら誰であろうと殺すような雰囲気があったのだが。 ジョーペシ関係も少し描き方が甘いような気がする。 ジョーペシが殺されて、デニーロは激怒するもののその後のストーリーに上手く繋がっていないと感じた。 また、死体のために穴掘ったり、マンション立つからと言って吐きながら掘り起こしたり、その後、クルマを奥さんに文句言われながら綺麗に掃除したりとするあたりが現実的な描き方であり、面白いと感じる部分ではある。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-09 20:01:15)
389.  アビエイター 《ネタバレ》 
「カジノ」はうんざりするほど長く感じたけど、本作では約3時間でも長さは感じなかった。 各エピソードは細かく切断されて、一見繋がりがないようにみえて、全体として見事に調和されていると感じる。 このあたりはスコセッシの演出の素晴らしいところだ。 しかしスコセッシらしい抑揚のなさ。ストレートに観客に訴えるものがないのも彼の映画らしい。 観ている間は、ヒューズの人生からはほとんど感じるものがなかった。 しかし、観終わった後、この映画について思い起こせば、自然と色々と感じるものがふわふわと頭に浮かんでくる。 なかなか不思議な魅力のある映画だ。 既存の大きな体制・権力(ハリウッド・大航空会社・政治家)に自己の財源と情熱と執拗なまでの完璧さで立ち向かった男。 誰にも負けない情熱と妥協を許さない信念が、自由な発想を生み、不可能を可能としていった。 そういうヒューズのような先人達の想いが「現在の世界」を形作り、「未来への道」へと向かっているのではないか。 更には、情熱や信念の「強さ」と人間の(精神の)「弱さやモロさ」を対比的にあるいはミックスさせて描いている。 というような結論に帰りの電車の中で辿り着いた。 このようなことを映画を観ている間に感じられればもの凄い良い映画のはずなのだが、 そう感じられないところが、良くも悪くもスコセッシのような気がする。 人間というのは単純な生き物だから、ストレートに心を揺さぶるように描けば、 スコセッシのような才能ある演出家であればアカデミー賞は取れる気がするが。 しかしヒューズのようにスコセッシも彼らしい信念と情熱があるのだろうか。 いつのにかその強い信念でアカデミー賞という体制にディカプリオと共に打ち勝って欲しい。 その他にも、ヒューズのことをよくは知らないのだが、ヒューズというエピソードがありすぎる人であるため、 有名なエピソードに振りまわされてしまうことが良くある。 それらを全て映画の中に描こうとすれば、本筋からズレて、まとまりが悪くなることはある。 全体の調和は取れていると感じたが、いくつかちょっとズレているエピソードがあった気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-03 01:54:49)
390.  カジノ
凄い面白い映画でもあり、かつ凄いつまらない映画でもあった。 カジノを舞台とした様々な人間模様とカジノ・ギャング世界の「表」と「裏」を描いたこの映画は素晴らしい映画であり、各俳優陣も素晴らしい仕事をしていたと思うが、うんざりするほど長すぎると感じる。 同じ3時間でも長さを気にしない映画もあれば、この映画のようにもの凄い長く感じる映画もある。 それは何故かというと、演出というかストーリーが単調で一本調子のため、同じリズムで3時間ひっぱるのはよほどでないと無理というものではないか。 シャロンストーンは確かに熱演といってもよい演技をしていたが、彼女の部分は大幅にカットできるような気がする。 もっとも、デニーロとストーンの「愛」をメインテーマにしたいのなら別な話だが、この映画が描きたかったのはそれだけではないような気もする。 確かに、冒頭で「愛」とは信じることとか。互いに尊重しあい、思いやる心が愛とか。 命を預けあうのが夫婦とかなんとか言っているので、本当は、「愛」についてがポイントの映画なのかもしれないが、これまたジョーペシの熱演のおかげか、出来あがったものは違うものがメインテーマになっているのは明らかだろう。  
7点(2005-03-14 01:54:03)
391.  ドアをノックするのは誰?
二人の男女や数人の仲間が繰り広げるストーリーやレイプや結婚云々のオチはさておいて、なかなか面白い会話のやり取りやミュージックビデオのような美しく、斬新な映像など、なかなか見応えがあった。 ラヴシーンのねっとりした感じも見事だったし、特に会話も何もないけど仲間同士で銃でふさげ合うシーンは素直に凄いなと感心した。 「言葉」よりも「映像」で語る術は、なかなかのものではなかったか。 山登りはどういう意味があったのか分からないけど印象的なシーン。 仲間とクルマで地方に繰り出して、ああいう無謀かつ訳の分からない馬鹿げた行動をしたことがある人なら少しは気持ちが理解できるのではないか。 この映画に本格的なストーリーを付けるべきかどうかは議論があるだろう。 本格的なストーリーを押し出せば、映像で語るということが曖昧になってくるし、ストーリーをなくせば、映画とはいえず、90分をもたせることは困難になるのかもしれない。 この映画に限れば、ストーリーと映像の調和は取れている気がするが、個人的にはあと数パーセント、微妙にストーリーの方にチカラをいれても良かったかなという気がする。
7点(2005-03-06 16:26:27)
392.  アバウト・シュミット
今はまだこの映画が本当に言いたかったことは分からないかもしれない。 しかし、何十年かして、自分の人生を振り返ったときに自分が何を想うのだろうかと考えさせられる映画だ。 長年勤めてきて、自分なしには会社は回っていかないだろうという思ったとしても、自分なしに順調に会社は動き、自分の存在は新任者にとっては鬱陶しいだけだ。 自分がなした仕事の成果はゴミとして扱われ、自分が長年犠牲にして会社に奉げた貢献とは一体何だったのか。 42年連れ添った妻にも多少の嫌気がさしているも、失って知るその必要性と存在感。 しかし妻の死に伴い、全く知らなかった一面を知ることになる。 42年で一体彼女の何を知っていたのだろうか。 分かり合っていたはずの長年の友情も、妻との浮気を知り、愕然とする。 培った友情は何だったのか。 このように自分はこの人生において何をしてきたのかという疑問にぶちあたるのはシュミットだけではないだろう。 自分の人生にどういう意味があったのかという深いテーマに対して、人生の果てに見た悲哀と孤独が静かにまたユーモラスに描かれているのはとても好感的だ。 しかし、旅を通していくら自分の人生の意味を探ったとしても、どうしようもない奴と娘の結婚も止めることもできず、結婚のスピーチでも本心ではないありきたりのことを言ってしまうつまらない弱い人間だと知ることになる。 自分も個人的には人間なんて実際に弱くちっぽけな存在だと思う。 人は他人に影響を与えるような存在である必要はない。 ただ、自分のことを想ってくれる誰かがいれば良いのではないかというのがラストのシュミットの涙を見て感じたことだ。 弱くちっぽけな存在ということを認識して、その人生に何かの意義を見つけていくことが必要なんだろうな。
7点(2005-02-28 01:30:36)(良:2票)
393.  ビフォア・サンセット 《ネタバレ》 
前作「恋人までの距離(ビフォアサンライズ)」と対になっているのが面白い。 本作は冒頭から「ビフォアサンライズ」を意識している。前作のラストでは、彼らが過ごした場所が静かに次々と映し出されるが、本作は冒頭から彼らが過ごすであろう場所が次々と映し出されていく。 彼らの出会いが偶然によるものならば、彼らの再会は偶然によるものではなく、意図されたものだ。ジェシーがフランスでサイン会を開くという意思と、セリーヌがそこに顔を出すという意思がなければ、この再会はあり得ない。 9年ぶりにみせる彼らの性格も前作とは対比的である。 前作ではロマンティストであったセリーヌは、本作では現実主義者になり、前作で現実主義者であったジェシーは、本作ではややロマンティストになった気がする。セリーヌ自身も、ジェシーの本を読んで、自分の今のドライさを嘆いているのが印象的だ。人間は時間とともに変化するのが見て取れる。 しかし、根っこの部分は変わらないのも人間だ。 自分のドライさを嘆くセリーヌだったが、彼女らしいロマンティックさは残っている。自分のやりたいことをやり、自立した強い女性を装っているが、愛されたいけど愛せない、愛を渇望しながら愛に怯える姿がセリーヌらしい。 ロマンティックに本を描いたジェシーもやはり現実主義者であった。彼が本を描いたのには、セリーヌと再会して、12月に来なかった理由を問うものであったのは彼らしい。セリーヌの歌を聴いて、人名は聴く人によって変わるのだろうと本心ではない冗談を言うのは、前作の詩のシーンをなぞったものだ。 前作が「別れる二人」を描いたものならば、本作は「別れない二人」を描くものだ。9年前に再会を果たせなかった二人のその後の人生は決して恵まれたものではなかった。人生を変えた「出会い」によって、彼らの人生には微妙に狂いが生じてしまったかもしれないが、彼らの「再会」によって、再び彼らの人生も大きく変わるだろう。個人的には、ジェシーはこの飛行機には乗らず、セリーヌとともに人生を歩んでいくのではないか。 ジェシーはジェシーの妻に幸せを願っているからこそ、別れようとするだろう。 再会はしたものの彼らは上手くいくのか、たとえ上手くいかなくて美しい思い出が壊れたとしてもチャレンジすることが大切なのだろうかと、色々と観終わった後に考えられるのが、本シリーズの良さだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2005-02-21 01:36:56)(良:1票)
394.  ジョンQ-最後の決断-
本来なら銃で脅して監禁しているジョンQが「悪」のはずなのに、ラストに至っては「ヒーロー」扱いされるという逆転が新鮮だった。 それでは真の悪とは何だったのか? 映画では一応、「病院」「警察」「マスコミ」等がジョンQとの対立軸にはなっている。 金儲けのためにしか動かない病院、市民を守るとの主張から犯人を撃ち殺してもかまわない、それが選挙のためにもなると考える警察、視聴率のことしか考えずにスクープを狙うマスコミ。 これらもいわば「悪」とも考えられるが、真の悪は役に立たない保険制度であり、金がなければなんともならない世の中に対する怒りが込められている。 この映画には「悪」が実物として存在しない点で実に面白い設定だと思う。 ただし、社会・保険制度への怒りという狙いは感じられても、息子を助けたい一心から来る父親の無鉄砲な行動に対する「答え」にはハリウッド的な甘さを感じずにはいられない。 「大丈夫、血液型が同じで心臓が肥大しているから大人の心臓でもちゃんと適合する」「よし分かった、手術しよう」というのはいくらなんでもムチャクチャだろう。このあたりは上手く処理しようと思えば出来たはずだ。 ジョンQの自殺前に、また息子の死の直前にドナーが現われるという偶然性。 自分の替え玉を利用し手術を見守る二人…確かに感動的だが果たしてそれで良いのか。 彼の行動には非難される点はなかったのだろうか。 自分も結構感動したクチなのだがどうにも脚本の甘さには参る。 自分には真のヒーローは手術を成功させた外科医だと感じる。 自分のキャリアを犠牲しても息子を助けるためジョンQから心臓を摘出しようとしていたし、監禁され疲労があるにもかかわらず最後まできちんと息子の手術を成功させた彼こそが真のヒーローだろう。 ジョンQの息子のことを一言「好きさ」と語ったのも見逃せない。 残酷なストーリーだが、ジョンQには死んでもらって、適合せずに一回目の手術は失敗。 すぐにドナーが見つかり最後にあの外科医が救うというストーリーでも良かったかなと思う。 あの外科医にはもっと光があたっても良かったのではないかという気がする。
7点(2005-02-13 23:58:35)(良:1票)
395.  ボーン・アイデンティティー
完成度は相当高い作品だと思うが、リアリティの高さを狙ったためかやや演出が押さえられすぎている感がする。 劇場で見たときはその押さえすぎた演出のため面白くない映画だと思っていたが、改めて観て見ると隠れたメッセージが見えてきた。 この映画が伝えたいテーマは「人間性」だと思う。 人間を完璧な兵器にする計画が「トレッドストーン計画」であったが、結局ボーンは完全な兵器にはならなかった。 それは何故かというと、人間には子どもを愛する気持ち、人を愛する気持ちがあるからではないか。 どんなに訓練しても、無くそうとしてもなくならないものが「人間性」のような気がした。 特に夜中に心配して子どもを見つめるシーンと、子どもたちとブランコのようなもので遊ぶシーンは何気ないシーンだが見逃せない。 デイモンも記憶を無くして苦悩する男を上手く演じきったと思う。 記憶が戻った方が良いのか、それとも自分が何者であったか知りたくないという気持ちに揺れている微妙な心が垣間見れる。 そして、ケイトブランシェットに似ている気もするが、あまり可愛くはないマリーも良かった。 特に巻き込まれ動揺する仕草が良い。ボーンを捨てるのかそれとも一緒に行動を共にするのかの選択を迫られるシーンや心細さに耐えられなくなりボーンにキスするシーン、どれも内面の微妙な気持ちが感じられる演技だ。 また、二人が抱き合うシーンには二人の不安な気持ちや誰かを求めずにはいられない想いがストレートに感じられる。 アクションとしても面白く、特にカーアクションはこの映画の代名詞だろう。 逆走するシーンは他の映画と違い、実にリアルだ。 ボーンのライバルとなる「カステル」と「教授」だが、ボーンとレベルの違いがありすぎてやや緊迫感に欠けると感じた。 ただ、カステルでは接近戦と肉弾戦を描き、教授とはライフルでの銃撃戦を描くという二つの異なる戦いを描いたことでそれだけのボーンが高い技能を持っていることが感じられる良い脚本・演出とも思った。 ラストの「マンハイム」の使い方も中々面白い。 CIAのミスは許さない、そして全ては闇に葬るという姿勢が感じられる。
7点(2005-02-12 03:15:43)
396.  エニイ・ギブン・サンデー
アメフトのことはよく分からないが、一歩一歩距離を詰めていくゲームと思われる。 そういう一歩一歩の大切さをアメフトを通しながら人生の歩みについて語る仕組みは良いと思う。 「アメフトも人生も犯す過ちは気付かないほど些細なものかもしれないが、半歩遅くても早くても失敗する。何かを失ってその大切さを始めて気付くのには遅すぎる。大事な一歩は人生の至るところにある。」というのは名言だろう。 映画の中でもその一歩の大切さをそれぞれの登場人物が学んでいたと思う。 ウィリーはいうまでもないが、トニーしかりクリスティーナしかり。 そしてチームワークや自己犠牲についても描いていたと思われるが、肝心のクォーターバックの役割が映画によってゲームの主導権を握る重要なポストだとは分かるが、詳しくは何も知らないので多少つらい所。 しかし、ウィリーの自己中心的なプレイによってチームがバラバラになる姿や、トニーの演説やキャップによって一つにチームがまとまる姿や、映画の中でも散々チームリーダーの必要性やチームワークの重要性が語られてたので、同じものを目指して戦うことの素晴らしさは充分伝わってきた。 パチーノが語っていた「思い出すのはハドルの皆の顔」というセリフも重要だろう。 難をいえば、キャップがもうちっとこの点を伝えるのに適切な役割を果たしてもらいたかったものだ。 キャップは引退したいとか言い出して嫁にビンタを食らったり、自信を喪失していたりして少し役割が違うような気がした。 もっとも選手が抱えるプレッシャーや悩み、恐怖等についても描く必要はあるが、他の選手でこの点は充分描かれているのだから。 映画自体は面白いと思うが、結構様々なものを詰め込みすぎている部分が多いと感じる。 トニーが記者への暴行などはストーン得意のマスコミ批判かもしれないが、あまりストーリーとは関係ないし、エッカートは映画の中ではニックという名前があるのに本レビューの名前欄に名前がないほど存在が必要ないので彼は要らない。 クリスティーナについては、彼女の家族についての取り扱いや自分を取り戻すことについてもやや中途半端な印象。こちらはもっと大きく取り上げても良かったと思われる。 医者間のトラブルなども悪くないテーマなので多少雑な扱いという印象だった。
7点(2005-01-15 20:51:31)(良:1票)
397.  セント・エルモス・ファイアー
青春時代の幻想が詰まった作品。 それが幻想だとしても、忘れ得ぬ魅力があり、人々を感動させるチカラもあることを思い出した。 映画自体は青春時代のもどかしいじれったさをまさに感じさせるじれったい映画になっているが、その点もなかなか良かったと感じられた。 青春時代には、苦悩もあり、喜びもあり、哀しみもあり、そして別れもある。 そして確かにこの映画のようにそういった様々な感情をともに分かち合える仲間がいたなとふと感じてしまった。 映画に登場する7人にはそれぞれ個性もしっかりと描かれており、そして個別に苦悩があり、最後には成長も感じられた。 特に女性陣はかなり成長しているような気がした。 ウェンディーは親が決めた恋人と別れ、家族と離れ独立したし、レズリーもうっとしいオトコ達と離れしばらく一人で生きることを決めたし、ジュールズは先が見えない人生に疲れを感じ、死を意識していたが、前向きに仕事を見つける決意を決めた。 一方、男性陣はビリーこそニューヨークに行き、サックスで勝負する決意を固め、行き場を失いつつあったどうしようもない人生から脱却しようとしているが、揃って女性に振られた残りの3人はイマイチだね。 確かに女性関係が多くて結婚を逃げ場と考えていたり、友人の彼女に一方的に幻想を抱き続け他の女性と付き合わなかったり、昔憧れていてただ一回デートをした相手(相手は映画のタイトルでさえ混同している)を忘れられず、枕の匂いをかいだり、ストーカーっぽいことをしていたり、とそろいも揃ったどうしようもないオトコ達だからしょうがないかな。 まあ、そういうオトコが抱く女性に対するどうしようもない情けない点も描いているのもなかなか面白いと思う。
7点(2005-01-08 23:16:49)(良:1票)
398.  エリン・ブロコビッチ
一人の母として、そして一人の社会人として特別な人間になりたいと願う主人公を中心に描いている。 母親としては子ども達をほったらかしにして最低と思う人がいるかもしれない。 しかし、クロムの被害を受け苦しんでいるのは本人とその子ども達であった。 子どもをすぐにプールから引き上げる母親、そして子どもを学校に行かせたいけど病気が重すぎて行かせる事ができないと悩む母親の姿に直面したことで一人の母親としてエリンの怒りを感じる。 自分の子どもだけでなく全ての子ども達が安心して暮らせることを願う母親としての感情が彼女を突き動かしたのではないか。 だから母親としても全然ダメだとは思わない。 そしてたとえ服装を注意されても、自分自身や自分の信念を貫く姿勢も熱い。 ジュリアの演技うんぬんよりもエリンの女の生き方に皆、引き込まれたようにも見えるが、なかなかはまっていたジュリアの演技も一応評価しましょう。 そしてなんと言ってもエッカートとの関係も良かった。 エッカートの子ども達への愛や、バイクへの想い、そしてエリンを支えたいと願う感情に揺れながら悩みながら支え続け。その感謝の気持ちを忘れないエリン。 赤ちゃんが最初に話したことをエリンに伝えた二人のやり取りはじんわりと来る。 さらにエリンを支えたのは、エッカートだけではなくマスリーの存在も大きい。 エリンの情熱に負けたマスリーだが彼は父親のように支え続けたと思う。 そしてエリンを一人の有能な社会人として認めたクルマやボーナスの件はやっぱり良いね。 その他にもアメリカの訴訟の勉強にもなり、なかなか興味が持てる部分も多い。
7点(2005-01-03 03:01:33)(良:1票)
399.  セックスと嘘とビデオテープ
嘘で塗り固められた実際の人間関係を描いた現実と真実はビデオというフィルターを通すことでしか得られない虚しい現実との対比は見事だ。 確かに特にセックスに関しては嘘だらけなのかもしれない。 ジョンは、妻には妹との不倫を隠すために嘘を付き通し、友人のグレアムの彼女を寝てしまえば今度は友人に嘘を付きとおす。 そして顧客(社会)にも嘘を付き通す。 もっとやるのなら妹に「妻と別れる」と告げるくらいの嘘があればもっと良かったのだが。 そうこうしているうちに嘘だらけの人間関係が出来上がる。 しかし嘘が嫌いだからといってグレアムのようにビデオという一方通行の人間関係に逃げて、現実の人間関係に向き合わなくても良いのだろうか。 それをシンシアによって解決している気がする。 質問する側とされる側の逆転現象。 ビデオを確かに真実を映しているが、ビデオに撮られる側=自分をさらすこと、ビデオに撮る側=自分を決してさらさないこととも考えられる。 さらされることがなかった本当の自分をさらけ出すグレアムの恐れをシンシアが見事に引き出している。 やはり必要なのは人から逃げることではなく、相手と話しそして相手を理解することなのだろう。 それによって人と向き合うことだけでなく、自分と向き合うことも出来ると感じられた。 他人の人生に影響を与えたくないと人との接触を拒むことは決して出来ない、人間が生きている限りは。 お互いに向き合い、嘘がなくなったグレアムとシンシアには壁がなくなった近さを感じる。 そして嘘がなくなったシンシアと妹にももはや距離はなかった。
7点(2005-01-02 04:27:56)
400.  オーシャンズ12 《ネタバレ》 
この映画を泥棒映画と思って観ない方が楽しめるような気がする。 主題は確かにオーシャンズ達とナイトフォックスの泥棒対決が根っことなっているが、はっきり言って、オチを見る限りこの映画の中ではそんなことはどうでも良くて、雰囲気やバカバカしさ、映画としては反則スレスレのネタを楽しむような創りを目指しているのではないかと思う。 そうは言っても、前半は確かにつまらないと感じた。 前作に引き続き、また駄作かなと思って観ていたが、後半に行くに従い面白いと感じるようになった。何と言っても全くストーリーに絡まなかったオーシャンズ軍団の存在が逆の意味で面白い。こんなに人を集めたのにここまで無視できるものかなと思う、逆の意味で本当に度胸のある脚本だろう。 オーシャンズ達を無視した分、後半のストーリーは読みづらくなり、かなり引き締まった感じを受けた。そしてラストに行くに従い、様々に散らばった点が徐々に一つの線になっていく様はかなり良いと思う。 それにしても、この映画における主役は果たして誰であったかを考えると、なかなか答えが出ない。 普通オーシャン、ラスティ、ライナスとも考えられるが、イザベル、テス、ナイトフォックスも実は主人公ではないかとも考えられる。主人公がはっきりと分からないほど、実はそれぞれ個別に光が当たっており、それぞれのキャラクターが活きていたのではなかっただろうか。やはり適当に人だけを集めたわけではなかった。 惜しむべくは、冒頭のガルシアとの絡みがもったいない。オーシャンズの仲間達には各人ほとんど出番がないのだから、この掴みの部分は前作のおさらいも兼ねる大切な部分なのでもっとそれぞれの特徴や性格が出るようにしっかりと描いて欲しかったと思う。
7点(2005-01-01 07:46:35)(笑:1票)
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