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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 823
性別 男性

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41.  ナイロビの蜂 《ネタバレ》 
「シティオブゴッド」には及ばないものの、心が揺さぶられる素晴らしい映画だった。やはりこの監督はただ者ではないだろう。 この映画はラブストーリーでもあり、妻の死に関わる製薬会社とイギリス政府との陰謀を巡るサスペンスでもあり、ドキュメンタリー的なアフリカの「今」を映した映画でもあり、人間の「命」の重さを描いた社会派ドラマであった。 これらのどの視点からみてもパーフェクトであることにまず驚かされる。 特に、妻は夫を愛するがゆえに自分のやっていることをひた隠しにし、夫は妻を愛するがゆえに妻が辿った行程を歩んでいくというラブストーリーには感動した。この二人には目に見えない絆が存在するように感じた。いつか殺し屋に殺される運命であったとしても、妻が死んだ土地、妻が愛した土地で、妻と一緒になりたいという強い想いがジャスティンに感じられた(最後、銃から弾倉を抜くシーンなんかも彼の性格をよく表していると思う)。 また、妻が結婚前に暮らした家で泣き崩れるシーンにも惹かれた。感情をあまり表に出さない英国紳士のジャスティンが、強く感情を表に出したシーンである。 あのシーンで「どんなにテッサのことを愛していたのかジャスティン自身がはっきりと分かった」ということを描き→「彼のその後の行動の理由付け」に繋げていったということがはっきりと描かれていると思う。 そして、独特のカメラワークも臨場感があり必見である。あまり他の映画との比較はしたくはないけれども、中身は「シリアナ」よりも衝撃的であり、「ブロークバックマウンテン」並に深い愛情を感じる映画であり、「クラッシュ」並にも人種の問題を扱っている映画である。助演女優賞に選ばれたレイチェルワイズはどの辺りが素晴らしかったかはあまり分からないが、演技がナチュラルであり、内からくる激しい情熱を醸し出していたように思われる。彼女の演技もさることながら、やはりこの映画がよかったから作品の評価込みで彼女に賞が与えられたのではないか。
[映画館(字幕)] 9点(2006-05-15 01:34:32)(良:1票)
42.  Vフォー・ヴェンデッタ 《ネタバレ》 
この映画をみて、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を思い出した。 奇抜な仮面やナイフアクションにも目を奪われるが、「自由」や「正義」について真正面から問いた、かなり骨太の作品。 アメリカを植民地化したり、イギリスが独裁国家になっていたりと、映画では大げさに描かれているかもしれないが、偏向的な情報操作などある意味ではあり得ない世界ではないかもしれない。 政治的メッセージの強さだけでなく、もちろんラストのアクションも見応えがあり、それだけでなく、ラブストーリー的な要素や、同性愛などの差別、メディアの在り方等も散りばめられた、かなり深い作品となっていると思う。 どういう社会であれ、その社会を創りあげた責任は個々人にあり(「誰がこんな社会にしたのかは鏡をみるべき」)、社会を変えるのも一人のヒーローの力ではなく、個々人の力によらなくてはならないという当然だけど力強いストレートなメッセージには単純に惹かれた。 また、「V」を具体的に描くのではなく、象徴的な存在として描かれているのもよい。「V」とは一人の男でも、無敵なヒーローではなく、社会を変えようと思うすべての人が「V」なのだから。
[映画館(字幕)] 9点(2006-04-24 02:02:12)(良:1票)
43.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 《ネタバレ》 
クローネンバーグ監督作品はほとんど馴染みがなく、代表作の「デッドゾーン」もあまりピンと来なかったので、自分に合うかどうか不安だったが、アメリカでも評価が高かったと聞いており、噂に違わず素晴らしい映画だった。 原作もあるらしいけれども、そんな余計な知識は要らない。96分という短い時間に、無駄な部分を省いて、適度な重み、観客へのメッセージや問いかけを残して、ボールを観客に投げ込む。 そのボール(問いかけ)にどう想うかは観客に委ねられるというラストはまさにプロの業の一言。中途半端なラストが多い昨今の映画の中でこの映画はベストに締め括ったといえよう。 個人的に気に入ったセリフは「なんでも暴力で解決しようとするな」ヴィゴが息子に語ったセリフ。この一言がとてつもなく重い、心に響いた。 恐らくヴィゴは、暴力で解決することへの後悔や無意味さを知り、暴力では何も解決できないということを自分が重々知っているのであろう。 だからこそ、ヴィゴはジョーイからトムへと生まれ変わったのである。生まれ変わり、家族を持つ事で解決しようとしたヴィゴだからこそ、あの一言が重く感じる。 そのことをなんとしてでも息子に教えたかったのだろう。だからこそ、暴力の連鎖が起きたときの彼の表情や息子への接し方に複雑な心境が感じられる。あれは見事な演技だったと思う。 ラストでヴィゴは「どうすれば償えるのか」とウィリアムハートに問いかける。しかし、暴力以外で解決したくても、暴力でしか物事を収束できないというもどかしさ、虚しさを湖面でたたずむヴィゴに感じずにはいられない。 また、この映画では家族や妻の役割の重さも感じずにはいられない。自分の素性が妻にばれたときの階段での二人の行為には「自分を信じて欲しい」という無言でのヴィゴの問いかけと「どうすれば信じられるのか」というマリアベロの反論、それぞれに開いた心の傷を埋めようとする言葉よりも何よりも必要な行為ではなかったか。 そして、傷つきながらも家族の元へと帰るヴィゴに何も聞かずに、皿や肉を差し出す息子と娘の姿が温かい。「なんで結婚なんてしたんだ」「いい女なんていっぱいいるだろう」というハートの問いかけの答えのような気がしてならない。
[映画館(字幕)] 9点(2006-03-20 23:57:40)(良:3票)
44.  クラッシュ(2004) 《ネタバレ》 
白人>黒人>南米系>中央アジア系>東南アジア系という人種問題の構図を扱いながらも、テーマの本質は「人間」そのものを描いた作品。 人は誰しも、やり場のない悲しみ、苦しみ、怒りを抱えながら立場の弱い人を傷つけ、また逆に人に傷つけられて生きている。それでもなお、誰かに触れ合いたい、何かを感じたい、心の乾きを潤したいと求めずにはいられない弱い存在でしかない。オムニバス形式で短い時間で深く描きこめてはなかったが「人間」の本質を捉えた素晴らしい、いい映画だった。ブレンダンフレイザー以外の俳優陣の演技も素晴らしかった。フレイザーの役は妻の苦しみに全く気づかない、あるいは妻の怒りに相当うんざりしているというようなさらなる演技が必要ではなかったか。または、妻の苦しみに手を差し伸べるか、逆に振り払うかの流れもあってもよかった。中途半端でどっちつかずの役柄だった。 映画はよいのだが、個人的にはラストがどうにも気に入らない。東南アジアの人達を解放する黒人の笑顔がこの映画とマッチしていないような気がする。「笑顔」に対するうそ臭さではなく、ややちょっとこのエピソードが突飛というか、ずれている気がする。ラストは多数の人の交錯するシーンで終わればよかったのではないか。エピソード自体あってもいいけど、ラストに持ってくるものではないだろう。 また、人種差別者のマットディロンが起こした行動とマットディロンを嫌ってパートーナーの起こした行動の対比が見事だな。どんなに蔑んでいたとしても、自分の命を省みない行動を起こせるし、逆に人種差別なんてしない、仲良くなろうしても、心のどこかに人を信じきれない先入観が潜んでいる。自暴自棄になった黒人テレビ演出家を救った男のもう一つの行動に「人間」という複雑さ、強さ、弱さを感じられた。余談だが、隣の客がモノ凄い花粉症の人で常に鼻から「スピースピー」と訳の分からない音が聞えてきた。花粉症の人はこの時期大変かと思うけど映画鑑賞の際には周りの人の迷惑にならないように気をつけましょう。
[映画館(字幕)] 9点(2006-02-27 01:49:27)(良:1票)
45.  戦場のピアニスト
映画を超越している作品を観た気がする。ほとんどドキュメントに近い完成度の高さだと感じた。こんな映画は今までに見たことないという衝撃を受けた。 「悲惨さ」や「酷さ」が伝わると同時に、やはり一人のピアニストの生き様が激しく描かれていたと思う。何もないときでも常に指を動かしている様子、弾けるはずもないのに隠れ家のピアノを前にしたときの喜び、そして久しぶりにピアノを弾く際のなんとも言いようもない激しさ。 あの時のピアノの音に何を思うのかは観た人によって異なるだろう。 殺されるかもしれないという恐怖(もはやそんなことも感じられなくなっていたかもしれないが)を感じつつも、まず何かを噛み締めるように音を確かめていき、自分がピアニストだったことを徐々に思い出していく。そして、苦しみ、悲しみを音に乗せていき、内に秘めた怒りを徐々にあらわしていき、それがどんどんと大きくなっていく。また、怒りを爆発させると同時に、ピアノを存分に弾ける喜び、かつ、これが最後になるかもしれないから悔いの残らないようにという思いや名残惜しさも感じられる。そんな演奏だったように思われた。 ある意味、監督自身もシュピルマン同様に逃亡者であり、シュピルマンが満足にピアノを弾けないのと同じく、ポランスキー監督も満足に映画作成はできなかったのではないか。しかし、この映画で存分に満足のいくまでの映画作りができたポランスキー監督の姿とぼろぼろになりながらも満足のいく演奏をしたシュピルマン(ブロディ)の姿がだぶって見える気がした。
[DVD(字幕)] 9点(2006-01-03 06:54:31)
46.  キング・コング(2005) 《ネタバレ》 
初日、深夜の渋谷での鑑賞だったが、観客が50人以下というかなりヤバ目の入りだった。アメリカでも多少苦戦していると聞いているが、「夢」への実現のためにこれほどの情熱を傾けられ、ジャクソン監督の私財を投じられて創られた本作が、後に続く者への希望となるように、収入面においても挽回していって欲しいと思う。 内容は、30年代オリジナルに存分なオマージュを捧げながら、70年代リメイクで本来描きたかったものを更に2、3歩進めたようなものを描き出した。 アクションに関してはもちろん文句のつけようがないが、コングとアンの関係を丁寧に描き出しているのが好印象だ(70年代リメイクはこの部分で完全な失敗を犯している)。 このため、アンのコングに対する気持ちに全く違和感がない。コングの孤独を知り、優しさを知り、その強さを知り、惹かれていく過程及び信頼関係が強固に築きあげられていく様を非常に丁寧に繊細に描いている。また、束の間のスケートデートなども微笑ましく(決して擬人的ではなく動物的なのもよい)、そして一緒に観た夕陽がとても印象的に用いられている。コングがエンパイアステートビルに登ったのは、アンと過ごす時間を誰にも邪魔されたくないという想いから登ったのではないかと思ったが、二人で観たあの夕陽をもう一度死ぬ前に一緒に観たかったという想いもあったからかもしれない。 それにしても、ブロディの描き方が中途半端な気がする気がする。愛する者に対するコングの一途で強い真っ直ぐな「愛」と、ブロディの気持ちは強いが、想いが伝いきれない煮え切らない「愛」の対比を訴えるべきではなかったか。それが現代の煮え切らない人々への強いメッセージとなるのではないか。 余談であるが、恐竜の走るスピードは、種類によるが、自転車並と言われているだけあって、人間の走るスピードより若干速い感じに描かれているのは科学的にみて合致しているように思われる(監督はリアルな恐竜を描くつもりはないらしいが)。 また、ナオミワッツが粉雪の舞うニューヨークで、あんな薄着でも大丈夫なのかという疑問をもつと思うが(映画での話であるが)、実際にもクソ寒い東京でのプレミア試写会でもコートも着ずに薄着でファンサービスに務めていたという話もあり、これもまた問題ないように思われる。
[映画館(字幕)] 9点(2005-12-18 19:21:53)(笑:1票) (良:1票)
47.  シカゴ(2002) 《ネタバレ》 
アカデミー作品賞に相応しい素晴らしい作品だと思う。 作品賞にも相応しいが、本来は監督賞をあげるべきではないか。これほど中身がないストーリーの映画を超一級のエンターテイメント作品に仕上げた手腕は最も誉められるべきだろう。とても初監督作品とは思えない手抜きのない完成度の高い映画であり、まさにプロの作品だと思う。 他の普通の映画であれば、脚本をみれば、ある程度どのような映画に仕上るかは素人でも多少の想像はできるとは思うが、この映画の脚本を渡されて、映画を創れと言われても、本作以上のものを創れる人はおそらくボブフォッシー以外にはいないだろう。 また、ストーリーはないと言っても、殺人でさえも市民の娯楽、すべてがショービジネスのような世界「シカゴ」を余すところなく描かれている。タイトル通り、まさに何でもありの街の「シカゴ」を描いた作品である。 そしてミュージカルの利便性を最大限に活用している点も他の作品ではみられないところ。 自分のキャラクターのツボをミュージカルにして歌いあげることによって、瞬時にキャラクターを理解できるのは眼から鱗モノだ。エイモスのセロファンとしての悲哀や、愛なんて要らない金だけが全ての男ビリーフリン、ギブ(施し)があればテイク(見返り)が必ずある頼もしい看守のママなど、セリフや仕草で表すことよりも、最も楽に効率良く伝えることができる。 自分が想っている素直な感情をそのまま力強く観客に伝えることができるミュージカル特有の良さが最大限に伝わってきた。 演じる役者もなかなか良かった。キャサリンゼタジョーンズの迫力には驚かされたし、操り人形を扱うかのごとく周りを翻弄する弁護士をギアも冴えわたっていた。法廷をサーカスのように見立てたり、弁論をタップダンスで表現するのも素晴らしい演出だ。 一点難を言えば、レネーゼルウィガーか。冒頭のゼタジョーンズの代わりに自分が「ジャァァーズ」と歌う所を空想するところで、ゼタジョーンズとの声量や歌の上手さの比較ができてしまうのが残念だ。他の部分の歌は声量を要しない部分が多いので問題はなかったが。また、随所にレネーに対して「キュート」「キュート」というセリフを聞くと、自分の感覚では首を傾げてしまう。アメリカ人にとってキュートなのだろうか。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-27 22:49:32)
48.  シン・シティ 《ネタバレ》 
正直言ってロドリゲスは名前だけで才に欠ける男ではないかと思っていたが、大きな間違いだったようだ。原作は未見で、どういう内容の映画かも全く知らずに鑑賞したが、徹底したハードボイルドの世界と切ないラブストーリーが見事にマッチしており、さらにセンスある世界観がこのハードボイルドさとラブストーリーをより高次元のものにしている。この見事な世界にたっぷりと酔いしれた。 また、魅力とクセのある役者がそれぞれのキャラクターを見事に演じきっている。恐らく協同監督に原作者フランクミラーがいるためだろう。原作者がキャラクターの本質を徹底的に役者に仕込んだものと思われる。原作者を協同監督にできたのもこの映画の高評価の理由だろう。 また、この世界はバイオレンス溢れる罪深き街を描いているが、このバイオレンスさが全く下品に感じないのも良かった。これは恐らくコミック的な良さ(マーブは何度轢かれても死なない等)を活かしているからではないか。コミック的なものがこの世界を覆っているため、我々の世界とは違う別次元の世界と感じられるからグロさや下品さをあまり感じないのではないか。 【以下完全なネタばれ】 この映画は、ハーディガン(ウィリス)とマーヴ(ローク)とドワイト(オーウェン)の三人の男達(と女達)のストーリーであるが、それぞれのストーリーに深い意味を感じる。 自分を見失うことなく8年を耐え得ることができたハーディガンは、自分を生かしてくれた女を生かすために死んでいった。また、一晩限りでも女の温もりや愛を感じさせてくれた天使の復讐のためにマーヴは死んでいった。 自分を生かしてくれるのも女であり、自分を死なすのも女である。男というものは、女のために生きも死ぬもするという哲学が、この映画に一本筋を通している。 また、愛する女を守るために戦う男ドワイトのストーリーには、女のために男は必死にもなるが、女自身も守られるだけではなく、戦う強さも持ち合わせているということを感じさせた。この主演三人も素晴らしいキャラクターだったが、脇役のイエローバスタードとケビンも女と間違った接し方しかできない悲しいキャラクターではないだろうか。また、男をこうも動かす女の魅力を、ナンシー、ゴールディ、ルシール、ゲイル、ベッキー等々が存分に示してくれた。どう考えても美しくないデボン青木でさえ、魅力を感じてしまうのもこの映画の魔力だろう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-10-02 03:14:27)(良:1票)
49.  秘密と嘘
10点を付けようか迷うほどの傑作だと思った。 久々に人間を描いた映画らしい映画を観た充実感を味わえるような気がする。 演出、脚本、演技のまさに三拍子揃った素晴らしい作品としか言いようがない。 個人的には、本作の役者(特にシンシア)の表情の変化がいいと思う。 冒頭は皆、どことなく表情が曇り気味でどんよりとした不幸せな感に満ちている。それもそのはず、それぞれがそれぞれに人には言えない秘密を心に抱えて生きている。 シンシアやモーリス家族だけでなく、モーリスが写す被写体の人々にも一瞬見せる笑顔の下には、人には言えない秘密を抱えているようにも思われた。 しかし、シンシアとホーテンスとの出会いをきっかけにシンシアが大きく変わる(特に表情)のがとても印象的だ。シンシアが変わり、またホーテンスの表情も豊かになっていく。 そしてあの誕生日会へとストーリーが繋がっていく…。 生きている以上、誰しも心に傷を負ってしまうのはやむを得ないのではないか。かくいう自分も色々と傷を負っている気がする。しかし、その痛みを分かち合える人がいるから人々は立ち直れるのだなあと気づかされた。確かに自分も傷を負ったときには、家族や友人に傷を癒してもらった気がする。本作は「家族」や「親子」をテーマにはしているが、広い意味で「人と人との関係」としても描かれているのかもしれない。 そう考えると、あの写真家の先輩みたいな人には、傷を分かち合える誰かがいなかったのかもしれないから、あんな風になってしまったのではないだろうかとも感じた。 それにしても、「人生は不公平」だとか、「人生ままならぬ」といったセリフが聞えてくる中で、ラストでは「人生っていいね」いうセリフを聞けるとは思えなかった。ラストの三人の会話や表情も心に響く。
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-07-17 03:44:38)(良:1票)
50.  スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 《ネタバレ》 
EPⅡは渋谷で鑑賞。その時はコスプレ集団がいっぱいいて祭り気分に浸れた。今回は有楽町日劇1(21時30分)で鑑賞。今回もトルーパーがいっぱいいるかと思いきや、ほとんどいなかったのが残念だった。やはり有楽町は大人の町なのだろうか。しかしライトセーバー持ちこんでいる人が多々おり、それなりの独特の祭り気分には浸れる(EPⅠの頃は映画に興味がなくてどういう雰囲気か分からず)。 内容として「①いかにアナキンがダークサイドに陥ったのか」と「②アナキンとオビワンの溶岩での一戦」と「③パルパティーンの真の姿とその強さ」がどのように描かれるのかが興味があった。 ①に関しては、大きな軸としてパドメの死をいかに止めるかがダークサイドに陥る要因に描かれており納得できた。愛に固執してはならないというジェダイの教えが活きている気がする。さらにパルパティーンの策略により、ジェダイ評議会とアナキンをわざと対立させるようにし、アナキンを孤立・反発させるように仕立てており、論理的に脚本はよく出来ていると思う。演出としてもアナキンが一人たたずみ思い悩むシーンが好感的だ。あの「静」があるからこそ、心の内の「動」を感じることができる。また、通商連合を皆殺しした後に涙を流すシーンも効果的だった。パドメの最後の言葉と上手くリンクしている気がする。 ②に関しては、概ね良かったと思われるが、場所を動かすだけでなく、戦闘に何らかのもう一工夫あったら良かったのだが。ラストもちょっとあっけない気がした。「地の利」だけではオビワンにアナキンを倒すだけの戦闘力があるとは思えない。せっかくあの場所にパドメがいるのだからどっかで利用されるのかと思ったのだが。しかしアナキンが燃えあがるところはいい。ダースベイダーになるためにはあの位の激しい演出は必要だろう。 ③に関しては多少不満。動きが他よりもトロいと思う。まあヨーダに反撃食らって慌てるところは良かったが。ウィンドゥとの一戦は良かった。アナキンに引き返せない場所を創るために、わざと追い詰められる演技は最高だ。 さらに評価できる点としてはⅠ~Ⅲに掛けて民主主義の崩壊と独裁的帝国の誕生を描いている。ただのSFとは一線を画す。また、ジェダイの騎士惨殺には感じるものがあるし、ジェダイの子ども達も末路も描く必要はあったと思う。アナキンが更に越えてはならない一線を越えたと感じられる大事な場面だ。
[映画館(字幕)] 9点(2005-06-26 01:58:39)(良:4票)
51.  カイロの紫のバラ
高層ビルの最上階から地面に突き落とされたかのように衝撃を受けた作品。ラストではまさに「夢」から「現実」へと強引に引き戻されたような感を受ける。「現実」は汚い世界というセリフがあったかと思うが、まさに「現実」の厳しさを感じさせる。シンデレラはおとぎ話の中の世界であって厳しい現実からミアファローを救ってくれる王子様は存在しないということか。しかし、正確に言えばこれは間違いで、彼女にも王子様は確かに存在した。映画の中のトムである。 ミアには「虚構の中の夢(トム)」と「現実の中の夢(ギル)」と「現実の中の現実(夫)」という三つの道があったように思える。彼女が選んだ道は「現実の中の夢」だ。しかし自分にはなぜ「虚構の中の夢」をミアが選ばなかったのかも興味がある。ミアにとって、トムはあまりにも純粋すぎたのではないかという気がする。結婚してある程度、色々なことを知ってしまったミアにとって、彼の純粋さを受け入れることができなかった、または受け入れることに対する怖さがあったのではないだろうか。トムの純粋さを受け入れることができたのが、売春宿というのが何よりも皮肉的だ。 また、印象的だったのがラストのギルとミアの顔だ。ギルは飛行機の中で何を想うのか。ミアが薦めた役を演じることを決めたことからも、ミアに対する想いの全てが嘘なのではない。まだ端役であり、スターではないギルが選んだ選択もまた一つの「現実」だと思う。ミアを利用してトムをスクリーンに戻せなければ、ギルの俳優生命は終わるかもしれない…。彼にも厳しい「現実」を抱えていることは忘れてはいけない。 そして一人映画館に戻ってくるミア。なんとも哀しくも切ない表情である。しかし、あの映画を見つめる眼の輝き、何かを悟ったような笑顔は忘れられそうもない。「結局、私にはこれしかない」とでも言いたげであった。彼女には結局、夫の元へと戻るという「現実」しかないのだろうか。この映画を見ると、我々も何を求めて、映画館に足を運ぶのかを考えざるを得ない。 ミアと我々との違いもそれほどないのでないかとも思えてくる。ミアと自分自身を重ねて、色々なことを考させられる映画だ。アレン自身、自信のある作品と語っているだけに、この映画は本当に素晴らしい作品と思う。ファンタジックな内容でありながら「現実」を見つめている作品であり、また音楽も作品の内容とマッチしており素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2005-05-10 00:11:20)
52.  オープン・ユア・アイズ
リメイクされた「バニラスカイ」とはストーリーは全く同じだが、これは恐らくストーリーを変えようもないほど本作が完璧なストーリーだったからだと再認識した。 本作も素晴らしいが、個人的には豪華な俳優陣を擁して、完璧な作品をより完璧に、また多義的な解釈を可能にすることで深みを増し、さらにキャメロンクロウ監督の独特の「甘さ」を混ぜ合わせた「バニラスカイ」の方が好きだな。 内容としては、たんなる複雑なサスペンスではなく、「夢」と「現実」の境目が曖昧となり観客を混乱させる面白さ、本来ならば当人が願えば叶うはずの理想の「夢」が「悪夢」へと代わっていく人間の弱さ、失って初めて気づく「幸せ」とは何かなど、様々なものが詰まった作品。 セザールが事故で失ったものは「顔」だけでなく、「顔」を失ったことで「心」までも失っていることが分かる。同じ女と二度一緒に居るところを見られたら評判が落ちると思っていたほどプライドの塊だった男が、「プライド」を失ったときの哀しさが痛々しい。 セザールが「悪夢」を見ることになったのも、セザールがプライドを無くしたことにより、自分への「自信」を喪失していたからのような気がする。 「顔」を失えば、ソフィアが自分のことを好きになってくれるはずがない。ソフィアの愛を信じられなくなったセザールの弱さがソフィアの顔がヌリアの顔になるという悪夢をセザールに見させたのではないだろうか。 ラストのネタあかしもちょっとはっきりさせすぎているのが気になるところ。「バニラスカイ」はこの辺りを曖昧にして、ネタあかしも含めて延命さえも生きている時の夢の一部という解釈を可能にしているのが面白いと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2005-04-13 22:38:07)
53.  トーク・トゥ・ハー
事故によって意識をなくした二人の女とその女を看病する二人の男が実に対比的に描かれている点が素晴らしい。一方は事故によって、本来なら触れることも出来ずに、話すこともままならなかった相手と触れることも話しかけることもできるようになった。他方は事故によって、触れることも話すことも出来たのに、どちらも出来なくなっていく。 この映画をみると、人に話し掛ける行為、そもそもコミュニケーションとは何かを考えざるを得ない。人は何を期待して相手に話しかけるのだろうか。相手のリアクションなのか、相手が聞いてくれてないとすれば話しかける意味などもたないのだろうか。 たとえ意思の疎通がなくても相手に話しかけるのは、自分の気持ちを伝えるという点において深い意味があるような気がする。 ベニグノは彼女が好きだったことをして、そのことについてアリシアに話しかける、そんな生活の4年間が人生で最も充実した4年間と言い放った。これこそ究極の愛なのではないかと思う。 最後にクスリを飲んで昏睡状態に陥ろうとした際に、マルコに自分に話しかけて欲しいと頼むのも印象的だった。話しかけることこそ愛情や友情の証なのかもしれない。 ラストでマルコの「話すことは意外と簡単だ」、バレエ教師「何事も簡単ではない」というやり取りもなんとも奥が深く面白い。 マルコは結婚式に出席した前彼女と何も語らずに、彼女のために彼女の前から去っていったことがあった。しかし彼女のことをしばらく忘れることが出来なかった。このマルコの一方的な愛とベニグノの一方的な愛のどちらが正しいのかは自分には正解は出せそうもない。しかし犯罪的な行為が奇跡を呼ぶと考えられるが、どうにもこうにも映画の論点がずれてしまっている気もしないわけでもない。 ベニグノは本来はそのような対象としてアリシアを見ていなかったはずだが、あの強烈なサイレント映画のせいで少し心に変化が生じてしまった気がする。 マルコとアリシアにあの後何が語られて、どうなっていくのかの答えは見た人が導き出すしかないようだな。
[DVD(字幕)] 9点(2005-04-10 23:03:32)(良:1票)
54.  カメレオンマン
傑作の多いアレン監督作品の中でも特に抜群に素晴らしい作品。 素晴らしいアイディアと巧妙な映像と映像に合った音楽の三点が素晴らしいハーモニーを奏でている。 カメレオンマンことゼリグの人生と彼への治療を通してユードラとの交流、彼に関わった人のインタヴューをユーモアたっぷりにドキュメントスタイルで描きながらも、その奥には人間の誰もが抱える悩みとファシズムの脅威と人間の愛が描かれている。 「人に好かれるためには皆と同じでなければならない。人に嫌われたくない。孤立が怖い。」というのは社会に生きている以上、誰でもが抱える回避できない悩みなのかもしれない。 しかし、自己主張がなされず、没個性の社会であれば、ファシズムという大きな波に飲みこまれた場合、対抗する手段を持ち得なくなるのではないかという危険性を描いていると思う。 自己主張の大切さを描きつつも、その中でも自説を曲げない頑固さは問題だろうと描いているし、たとえ個性が低俗であったとしても、それであっても一つの個性ではないかと描かれている気がする。 欲を言えば、ドイツからユードラがゼリグを救うシーンやゼリグのドイツから飛行機での脱出シーンやその後の二人などがさらりと描きすぎているとは思うが、予算的なところがあるのだろうな。 映画の中の映画である「チェンジングマン」のミアファロー役がとんでもない美人なのが結構ツボに嵌まる。
[ビデオ(吹替)] 9点(2005-04-04 01:00:52)
55.  インテリア
他の人も言っているように、本当に繊細な映画だと思う。ジョーイ、レナータだけでなく、イヴやアーサー、パール、フリン、彼女らの旦那たちも含めてそれぞれの心境が痛いほど伝わってくる。 特にラストで海辺を見つめる三姉妹は何を想っているのだろうかと考えてしまう。恐らく三人とも母親イヴを想っているのだろう。 完璧なまでに秩序を求めた母親、想い通りにならないと許せない人間だった母親に振り回され続けていたと思う。しかし、それぞれ母に対する想いはだいぶ違うと感じる。特にそれは葬式の際に花を置く仕草で分かるような気がする。 レナータは母イヴに反発し続け、憎しみを拭い切れていない。 ジョーイは母イヴを自分の理想と捉え、母からも期待を受けるも、才能がない自分は母親を裏切ったと思い、母からは軽蔑されていると感じている。そんな母親を憎しみながらも人一倍愛している。 特に母親が買ったと思われる花瓶をパールが壊したときの激怒にイヴへの愛が感じられる。パールとのダンスを断り、最後まで父の再婚を許せなかったのもそうだろう。 フリンは幸か不幸か本当の母親のことを知らないで育つことができ、母からは表面的な愛情を受け、母親に対しては普通に愛情を持っていると感じた。 たぶんイヴはレナータ、ジョーイで思い通りにならない子育てを諦めて、表面的にしかフリンとは付き合っていなかったのではないかと思っている。 それぞれが母親に対して抱えるのは憎しみ、愛憎、愛情ではないか。 彼女らの生き様もそんな母親に対する感情の影響が感じられる。 レナータは才能があるも自分の感情を素直に出すことが出来なくなっている。 母親の反発心からか、母親ほどではないものの心が歪んでいる気がする。 だから旦那のフレドリックの心も離れていったのではないか、病気の影響もあるかもしれないが。 ジョーイは母親に認められたい、何かを成し遂げたいと思いながらも、何もできずにもがいている姿が見受けられる。 フリンは本当の愛情を受けていないので、どこか軽く薄い印象を受ける。だからクスリなんてやっているのではないか。 それだけ母親の存在は大きかったのだろう。あの母親を演じたジェラルディン・ペイジは凄すぎる。夫が自分とは真逆の感情を表に出す女性を選び、自分を否定され、自分の思い通りにはならなかった人生の果てに完全に心が狂ってしまっていた。海に突き進む姿は印象的だった。
9点(2005-02-22 00:08:01)(良:1票)
56.  ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔 - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
東銀座の東劇にて「旅の仲間」と「二つの塔」のそれぞれのSEE版を通して観てきました。 「劇場公開版」は自分のような原作を読んでいない者には特にファラミアの人物像についてかなり分かりづらい部分があったが、それがかなり解消され、それぞれのキャラクターの背景、内面が深く描かれていたと思う。 自分が特に気に入っているのはエント絡みのストーリー。 自分たちとは関係のない戦いだと高を括っていたら、知らぬ間に自分たちも被害にあって、その戦いに巻きこまれている。この世界の一員として何事に関しても傍観者であってはいけないということが強く感じられた。 また傍観者であってはいけないだけでなく、ファラミアのストーリーを見ていて、自分の利だけで動いてはいけないということも描かれていると思う。 父に認められたい、自分の国を救いたい、そんな自己のためだけでなく、フロドのように自分の命に代えても世界のために小さな身体を犠牲にしながら戦っている姿を見せることによって、自分が出来ることを世界全体を考えて動くべきということを伝えたかったのではないか。 そういった観点からみると、不死の力があるにもかかわらず、自分の命を賭してヘルム峡谷の戦いに参戦したエルフ軍には感動させられる。 また、アラゴルンを通して「決して諦めなければ必ず望みはある」ということも伝えたいのではないか。あのレゴラスや、セオデン王ですら諦めかけているにもかかわらず絶対に諦めない姿に「王としての資質」が感じられた。 何故、彼が諦めないのかはガンダルフが5日目の朝に援軍を連れてきてくれることを知っていたからではなく、個人的にはやはりアルウェンの存在があったからではないかと思ってしまう。 なんとなく不必要に思われるアルウェンとアラゴルンとのラブシーンだが、あのラブシーンによって彼の強さの理由のようなものを感じる。 そしてなんといってもゴラムの造形には驚かされる。 あの二面性は役者ではなくCGだからこそ可能だったとも考えられる。 現指輪所有者のフロドと元指輪所有者のゴラムには当事者でしか分からない想いが感じられる。 そんなゴラムを他人事とは思えないフロドと騙されているに違いないと考えるサムに多少亀裂が生じるも、自分の身を挺してナズグルから救うサムの姿やサムが語る「物語」によって二人の友情が修復され、強化されていく姿にも見応えがある。
9点(2005-02-19 23:57:33)
57.  ロード・オブ・ザ・リング - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
東銀座の東劇にて「旅の仲間」と「二つの塔」のそれぞれのSEE版を通して観てきました。 さすがに7時間超を通しで見るのはかなり疲れるけど、満足のいくいわゆる心地よい疲れでした。 「SEE版」と「劇場公開版」ではこんなこと言っては悪いけど雲泥の差があると思う。 劇場公開版は、自分のような原作を読んでいない者にはかなり分かりづらい部分があったが、SEE版ではそれが解消されており、かつそれぞれのキャラクターの内面等が深く感じられる作品になっている。 特にボロミアについては深く掘り下げられていると感じる。 彼には人間らしい優しさ、弱さ、強さ、誇りの高さが感じられた。 メリーとピピンに剣を指導したり、ふざけあう姿や、ガンダルフがバルログに地下に引きずり込まれ、皆が落胆しているときに、アラゴルンが「急ぐから早く立て」という言葉を聞いて、「少しは皆を休ませろ」というシーンには優しさを感じる。 そして、自分の国を立て直したいがために指輪の力に魅せられていく姿とその心を読まれていると感じて何も言えなくなっているガラドリエルとの対面シーンには心の弱さを感じる。 さらに、フロドに自分がしたことを悔いて、恥じて、それに報いるためにも必死にメリーやピピン達を助けようと剣を振るう姿には強さや誇りの高さを感じた。 逆にアラゴルンは、先祖の人間としての弱さを知っており、その弱さを克服している人間だから、やや人間的な面白みには欠ける。 ストーリーに関しては、このミッションがフロドにしか出来ないことを改めて感じた。 身体は小さくても勇敢でタフで、権力というものに興味がなく平和や静けさ、食べることを愛するホビットで特にフロドにしか出来ないことである。 そんなフロドが仲間を疑かったり、信じられなくなったり、仲間内で争いが起きることに耐えられなくなり、一人で旅をしよう決意するのも丁寧に描かれていた。 また、フロドと共に旅をするサムの決意が決してガンダルフに言われたから共に旅をするのではないことも感じられた。強い尊敬心や友情に支えられてのことだろう。 フロドやサムだけでなく、それぞれがそれぞれの使命があり、宿命があるとも感じられる。
9点(2005-02-19 23:41:25)(良:3票)
58.  フォーン・ブース
満点を与えようか迷うほどの素晴らしい傑作。 81分間という短い時間ながらぎっしりと中身が濃い、充実した映画。 そして一瞬も気を許せない緊張感。 さらに満足すべきなのは、素晴らしいアイデアと脚本と演出だ。 特にラスト付近のスチュが洗いざらいぶちまける姿は見事だ。 スチュの人生はキーファーとの電話で明らかになっていくが、二人のやり取りを見ているだけでスチュの人生、性格、生き方も見えてくる。 都合良く話を作り上げたり、言い訳やごまかしを多用し、すぐに人のせいにする。 このやり取りを聞いているだけで、スチュの生き方が分かる仕掛けも見事としか言いようがない。 決して悪党とは言えない小悪党を次から次へと裸にする様は素晴らしい。 最初見たときこれがもっと大悪党だったら面白いかと思ったがそれは大間違いだった。 というのもスチュとは映画の特別な存在ではなく、いわば我々自身の姿とも言えるからだ。 衣装や上辺だけを装い、ウソで塗り固めた偽りの人生を生きているのは彼だけではない。 他人に対して傲慢にあたり、利用できる人間だけを利用しようとするのも彼だけではない。 その彼に罪を償わせ、許しを求めさせたのは何故か。それは我々も罪人だからなのかもしれない。 コリンファレルはかなり良い演技をしていたんだが、自分はこの役をトムクルーズにやらせてみたいと思った。 彼がどんな人生を告白するか考えただけで面白そうだ。 大抵の映画なら主人公や警察の機知で犯人役が捕まるというオチが相場なのだが、この映画では犯人がどんなオトコで、何の目的(ほとんど分かるけど)でこんなことをしたのか明らかになっていないが、その点も自分がこの映画が好きなところだ。 なんでもかんでも映画内で明かにするのではなく、少しは観客に想像を掻き立てる映画というのもアリだろう。
9点(2005-01-04 01:46:16)(良:1票)
59.  キャスト・アウェイ
自分の人生に生きがいを失っていると感じている人に見てもらいたい良作。 本作は人々に生きる希望を与え、人生あきらめてはいけないことを教えてくれるような気がした。 チャックが語っていたように、息をし続けていれば、潮がきっと何かを運んでくれる。 人生につらい事があっても生きてさえいれば、きっと何かいいことがあるということを言っているのだろう。 たとえ最愛の女性と気持ちは通じ合っていても別れなければならない状況に陥ったとしても、チャックのように最後の最後まで自分の仕事に対するプロ意識があれば、また新しい出会いに巡り合えるチャンスを得ることもできる。 人生も一種の漂流みたいなものだ。どこにたどり着くかは分からないが、どこかに向かって歩きつづけ、もがきつづけている。  そして愛する人への想いが人を生へ固執させることを改めて教えてくれた。 「島ではずっと一緒にいてくれた…。」フォレストガンプでも似たようなセリフはあったが、こういったセリフは本当に純粋に胸を打つ。 愛する人の支えがあるからこそ、人は頑張れる。 愛する人だけでなく、親友ももちろん重要だろう。 最高の親友であるウィルソンとの別れのシーンも最高だった。 確かに少しオーバーアクションで感動させようとしているのがちょっと分かってしまうが、普通の人間の親友や恋人との別れのシーンよりもある意味で感動的だった。 戻ってきた時の文明や飽食に対する寂しそうな表情も忘れられない。 あの火を起こす苦労に比べ、チャッカマンなんて反則だからなあ。 自殺、文明への依存、食べ物に対する意識など、現代社会に対する警鐘的な要素も見逃せない。 
9点(2004-11-24 01:23:24)
60.  ブルーベルベット 《ネタバレ》 
観た直後に「なんて美しい映画なんだ」と思わずつぶやかざるを得なかった。 まるで絵画のように美しい構図が印象的(リンチは画家でもある)であり、ベルベットの青、ドロシーの部屋の赤といった色彩の見事さに心を奪われ、この世の知られざる「闇」をジェフリーと観客が一体となって覗き見させるような素晴らしい演出に驚愕し、甘美で誘惑的な世界に我々までもが誘(いざな)われる感覚を覚える。 冒頭のシーンも見事な暗示になっている。ジェフリーの父親がぶっ倒れた後に、どんどんとカメラは奥に進み、無数の虫が蠢く姿が映し出されている。一見、穏やかにみえるこの世界のみえない部分では、このような虫が蠢くような世界がある。そんな世界へ今からあなたを連れて行きますよというリンチの招待状のようにみえる。 アメリカのど田舎の街という舞台設定がさらに映画を深めている。木を切り倒すことが街の挨拶のようなのどかな街。このようなのどかで静かな街でさえ、闇の世界へと通じていることを言いたいのだろう。これがロスアンゼルスやニューヨークのような街だったら、当たり前すぎて誰も驚かない。 そして、田舎で暮らしていて世の中のことが何も分かっておらず、全く汚れていない、おぼっちゃまのジェフリーがよい味を出している。好奇心によって、この世の中の裏側、まさに「闇」を覗き見ることから始まり、徐々に「暴力」と「欲望」にまみれた闇のディープな部分まで入り込んでしまう様が克明に描きこまれている。ジェフリーが味わった「暴力的な衝動」に囚われている姿も印象的だ。殴られたドロシーが微かに微笑む唇のドアップをみればジェフリーだけでなく、観ている者でさえも快感と快楽を抱き、「闇」に対する魅力を感じるだろう。 ラストも意味深だ。「愛」の象徴のハチドリは、「闇」の象徴である虫をついばんでいるシーンが描かれている。一見すると「愛」の力が「闇」の世界を打ち破ったようにもみえる明るいラストである。しかし、このハチドリはどことなく機械的というか、偽者っぽくみえる。勝ち取ったようにみえるこの明るい幸せな世界は、実は作り物に過ぎないのではないか。「闇」の世界は引き続きどこかに存在していることを暗示しているようにもみえる。 初見では何が良いのか分からなかった本作であったが、二度、三度とみていくうちに引き込まれていく。媚薬にも似た作品ではないだろうか。
[DVD(字幕)] 9点(2004-11-07 15:55:52)(良:1票)
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