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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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601.  ギャング・オブ・ニューヨーク
あまり自分は好きではないスコセッシ作品の中で意外と好きな作品。 どう感じていいか難しいラスト以外は面白いと思うし、モノ凄い情熱を込めた映画だと感じる。ビルとアムステルダムの関係が様々な想いが重なり面白いと感じる。 アムステルダムにとって、ビルは父の仇であるのと同時に、父の理解者であり、尊敬や畏敬の念を抱くに値する男である。ビルの下で働くのを楽しんでいるかのようであった。ビルの暗殺を食い止めたのは、自分の手で殺したかったのではなく、やはり尊敬から自然とああいう行動に出てしまったのだろう。 一方、ビルにとって、アムステルダムはある意味「息子」のような存在だったのではないかと思う。ビルは息子を望んでいたし、知恵も勇気もあるアムステルダムのことを買っていたのは間違い無い。 アムステルダムによるビル暗殺が失敗に終わってもアムステルダムのことを殺さずに焼印を押しただけにとどめたのも納得ができる。 以前、ビルはヴァロン神父に殺されそうになった時に、恐怖で目をそむけたことがあり、「恥を背負って生きろ」とヴァロンに殺されなかったエピソードが思い出される。それによりビルは目をくり貫いて一回り成長してヴァロンを殺すことができた。自分がされたことを全く同様のことをしたのである。ここでもビルのヴァロンに対する尊敬の気持ちが感じられる。 これにより、アムステルダムは一層、一皮剥けたと思う。父と同様に信念を持ち、同胞をまとめあげるリーダーシップを得れたような気がする。始めてビルと対等の立場にたつことができたのではないか。 恋愛を交えるのは別に悪いとは思わないが、もう少しちゃんとジョニーとの友情なり、ジェニーに対する想いをきっちりと描いておけば効果的なものとなったであろう。ダンスシーンだけで充分とは思えない。 ジェニーは突然ではないがカルフォルニアに行きたいとかトンチンカンなことを言い出すのが不明だ。アムステルダムを止めたいのか何なのか、ボコられて戻ってくるのも中途半端だ。 ラストは軍隊という大きなチカラについて自分なりに感じたものはあったが、スコセッシはどのような意味を込めたんだろうか。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-10 02:25:34)(良:1票)
602.  グッドフェローズ
ギャングもやはり人の子ということか。 自分が殺されると分かったら、自分の命は仲間を裏切ってでも守るという「現実」が描かれていた。 ここにはギャングに対する憧れでは済まされない世界や映画で知る一般のギャングの世界とは違う世界が描かれていると思う。 デニーロは自分の身に危害が加わらないように、例え仲間であろうと強奪事件に関する人間を殺しまくっていた。恐らく彼は有無を言わさず、後ろから引き金を引いて殺したのだろう。 結束が固いはずのギャングの「仲間」「信頼」とは何かを考えさせられる。 それにしても序盤の口を割らないで皆から祝福された法廷シーンとラストで頼まれていないのにベラベラと口を割るシーンの対比は見事だった。 ラストのリオッタのビクビクしながら新聞を受け取る姿も印象的だった。ギャングであろうと、自分の身に危険が及べば、何でもする。人間にとって本質的な部分が描かれているとは思う。 しかし、もうちょいリオッタがあそこまで追いこまれるような姿はしっかりと描いても良かったとは思う。 仲間を「裏切る」行為はそれほど軽いものではないはずだ。 ここは重要な部分なので、カレンが自分の両親に会えなくなるとかならないとかそういう話で済ませてもらいたくなかった。まあ、これが本当の現実的な問題なのかもしれないが。 ジョーペシは相変わらずの切れ加減だが、本作よりも「カジノ」の方が近寄りがたい恐ろしさがあったな。自分をさえぎるものがいたら誰であろうと殺すような雰囲気があったのだが。 ジョーペシ関係も少し描き方が甘いような気がする。 ジョーペシが殺されて、デニーロは激怒するもののその後のストーリーに上手く繋がっていないと感じた。 また、死体のために穴掘ったり、マンション立つからと言って吐きながら掘り起こしたり、その後、クルマを奥さんに文句言われながら綺麗に掃除したりとするあたりが現実的な描き方であり、面白いと感じる部分ではある。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-09 20:01:15)
603.  カメレオンマン
傑作の多いアレン監督作品の中でも特に抜群に素晴らしい作品。 素晴らしいアイディアと巧妙な映像と映像に合った音楽の三点が素晴らしいハーモニーを奏でている。 カメレオンマンことゼリグの人生と彼への治療を通してユードラとの交流、彼に関わった人のインタヴューをユーモアたっぷりにドキュメントスタイルで描きながらも、その奥には人間の誰もが抱える悩みとファシズムの脅威と人間の愛が描かれている。 「人に好かれるためには皆と同じでなければならない。人に嫌われたくない。孤立が怖い。」というのは社会に生きている以上、誰でもが抱える回避できない悩みなのかもしれない。 しかし、自己主張がなされず、没個性の社会であれば、ファシズムという大きな波に飲みこまれた場合、対抗する手段を持ち得なくなるのではないかという危険性を描いていると思う。 自己主張の大切さを描きつつも、その中でも自説を曲げない頑固さは問題だろうと描いているし、たとえ個性が低俗であったとしても、それであっても一つの個性ではないかと描かれている気がする。 欲を言えば、ドイツからユードラがゼリグを救うシーンやゼリグのドイツから飛行機での脱出シーンやその後の二人などがさらりと描きすぎているとは思うが、予算的なところがあるのだろうな。 映画の中の映画である「チェンジングマン」のミアファロー役がとんでもない美人なのが結構ツボに嵌まる。
[ビデオ(吹替)] 9点(2005-04-04 01:00:52)
604.  次に私が殺される 《ネタバレ》 
まずは、もったいぶった演出がツボに嵌まった。 暗闇を基調とした独特の映像も気に入った。さすがに評判の監督だけはある。 主題としては「映像の暴力」を批判しながらも、本作が「映像の暴力」を売りにしているという自己矛盾を抱えている点も面白いと思う。 映画の中で「大衆の要求に応える」ことの重要性を語っているから、そのあたりに矛盾に対する答えを盛りこんでいる気がする。 また大衆の「潜在的な暴力嗜好」として、冒頭の飛び込みを描くことにより、見たくなくても見てしまうという衝動は主人公だけでなくどんな人にでも抱えているものであることを示している。 これは映画の中の主人公が興味本位で巻きこまれている虚構の世界を描こうとしているわけではなく、より現実的な世界を描こうとしている姿勢が感じられる。 映像と現実とのズレを解消しようとしている相当に良い例を持ち出していると思う。 サスペンスとしても実に手が込んだ面白い脚本だった。 見ている時には、一瞬で「どうせこの新しい教授が犯人なんだろう」と思わせておいて、教授を単なる前振りにしか用いないという大胆な使い方。 そして「じゃあ、犯人誰よ?」と謎を深めさせておいて、結局「なんだ嫉妬女の単なる逆ギレかよ」と落胆させておいて、ストーリーを全て原点に戻すというのも斬新だったなあ。 その上、ラブストーリーの要素を絡ませるなんて、これまた素晴らしい。 自分が好きな女が好きな男のビデオを見ている姿をその女のことを好きな男がビデオに映している姿が映像として流れるのも面白い仕組みだ。そして見ている者に対して少し切ない気分にさせる。 この切ない気分にさせることによって、ラストの単なる「お茶への誘い」が単なるものではない効果をもたらしている。
[DVD(字幕)] 8点(2005-04-03 19:16:43)(良:1票)
605.  アビエイター 《ネタバレ》 
「カジノ」はうんざりするほど長く感じたけど、本作では約3時間でも長さは感じなかった。 各エピソードは細かく切断されて、一見繋がりがないようにみえて、全体として見事に調和されていると感じる。 このあたりはスコセッシの演出の素晴らしいところだ。 しかしスコセッシらしい抑揚のなさ。ストレートに観客に訴えるものがないのも彼の映画らしい。 観ている間は、ヒューズの人生からはほとんど感じるものがなかった。 しかし、観終わった後、この映画について思い起こせば、自然と色々と感じるものがふわふわと頭に浮かんでくる。 なかなか不思議な魅力のある映画だ。 既存の大きな体制・権力(ハリウッド・大航空会社・政治家)に自己の財源と情熱と執拗なまでの完璧さで立ち向かった男。 誰にも負けない情熱と妥協を許さない信念が、自由な発想を生み、不可能を可能としていった。 そういうヒューズのような先人達の想いが「現在の世界」を形作り、「未来への道」へと向かっているのではないか。 更には、情熱や信念の「強さ」と人間の(精神の)「弱さやモロさ」を対比的にあるいはミックスさせて描いている。 というような結論に帰りの電車の中で辿り着いた。 このようなことを映画を観ている間に感じられればもの凄い良い映画のはずなのだが、 そう感じられないところが、良くも悪くもスコセッシのような気がする。 人間というのは単純な生き物だから、ストレートに心を揺さぶるように描けば、 スコセッシのような才能ある演出家であればアカデミー賞は取れる気がするが。 しかしヒューズのようにスコセッシも彼らしい信念と情熱があるのだろうか。 いつのにかその強い信念でアカデミー賞という体制にディカプリオと共に打ち勝って欲しい。 その他にも、ヒューズのことをよくは知らないのだが、ヒューズというエピソードがありすぎる人であるため、 有名なエピソードに振りまわされてしまうことが良くある。 それらを全て映画の中に描こうとすれば、本筋からズレて、まとまりが悪くなることはある。 全体の調和は取れていると感じたが、いくつかちょっとズレているエピソードがあった気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-03 01:54:49)
606.  エターナル・サンシャイン 《ネタバレ》 
正直いってこの映画のレビューを書くのは止めようかどうか悩んだけど、やはり自分のポリシーから素直に感じたことを書こうと思う。 この映画を知ったのはアメリカで公開していた1年ほど前、自分も「頼むから俺の頭の中から出ていってくれ」と思い悩んだときがあったので、このテーマにはもの凄く惹かれ、日本公開を今か今かと心待ちにしていた。 アメリカでは恐ろしいほど評価も高く、アカデミー脚本賞受賞、大好きなチャーリーカウフマン脚本。どんなに感動できるか楽しみにしていた…しかし、この映画を観て自分の心が動かされることはほとんどなかった。以下、その理由を書きたい。 ①「ケイトが記憶を消した理由があまりにも捻りがない。」 「私は衝動的な行動をする女だから」というのはあまりにも酷すぎはしないか。 「不幸な生活から抜け出すため」のようなことを医者が言っていたので、ジムキャリーと何かボタンの掛け違いのようなことがあったのではないかと最初に考えていた。 一回失敗したから次は大丈夫だとは思うが、これでは次も大丈夫なのかと不安に思う。 ②「ジムキャリーが記憶を無くしたくないという必死な思いが伝わらない。」 キャラクターが地味で感情を表にしない役がらだったので、それに合わせたのかもしれないが、もっともっと必死になって欲しかった。 彼女と過ごした想い出を辿るとともに、彼女と過ごした楽しい時を思い出して、この記憶を絶対忘れてはいかないことに気付くという必死さがないと感じる。少し淡々としすぎている。 関係のない記憶にケイトを連れて行くのは話としては面白いが、脇道は脇道でしかない。 本道をきっちりと押さえるべきではなかったか。 ③「ラストに捻りがない。」 ケイトが記憶を消した理由に捻りがないため、この映画のラストでも充分納得はできるが、もしケイトにジムの記憶を無くすだけの納得のいく理由を設定するとすれば、ジムは自力で記憶を取り戻すものの、ケイトの記憶を消した理由を知り、あえて別れる選択(曖昧な別れをせずに、きちんとちゃんとした別れを告げる)をするというのもアリなのではないかという気がする。 ④前に進むためには「記憶を消す」ことが正しい道ではない。楽しかった想い出、辛い想い出、苦しい想い出などを糧に、また新たな想い出を創るために歩みを止めないことこそが大事なのではないかということを感じたかった。
5点(2005-03-22 22:02:18)(良:1票)
607.  ヒューマンネイチュア
もの凄い洒落が効いているブラックユーモア。 「テーブルマナー」=現代文明の中における不要なもののメタファーとして描かれている点もユニークだ。 ネズミに不要な「テーブルマナー」を教え、安全な社会を作ろうとする博士ネイサン。 全てが外見で判断される容姿第一主義であるこの世界には生きれない毛むくじゃら女ライラ。 誰一人この世界では本能のまま生きることはできないし、本能を隠すことがこの世界に生きている証である中で一人本能のまま生きる野生児パフ、と素材は面白いし。 パフは銃でネイサンを殺し、ライラに罪をかぶせ、人々に嘘を付くというような「人間の身勝手さ」だけを学び取り、文明に毒されればもはやネズミですら元の姿には戻れないというラストも唸らされる。 しかし、ラストのネタに至るまでの話が正直上手くまとまっていないと感じられる。 ネイサンが「自分も類人猿になりたい」と本当の気持ちで叫ばせる必要があると思うし、そのためにはそれまでの過程をしっかりと描く必要がある。 ライラも上手く機能していない感じはする。 そしてパフによって「自然回帰」の大演説が打たれて、群集が本当にそのような気持ちにならないと、ラストが上手く活きてこないような気がする。 どこか論理が一つ飛んだか、少し結論を急ぎすぎたような気がするな。 もっとも「自然回帰」までも皮肉るつもりはなかったので、そこまでしっかりと描かなかったのかなという気もするが。 ともかく、お仕置きをしてまでオペラ鑑賞法やテーブルマナーを教育する姿には現代の本末転倒さを感じさせる。また、ストレートに「人間社会」と「文明」を皮肉った面白さは評価したい。
8点(2005-03-21 02:14:40)
608.  スターダスト・メモリー
正直言って、この映画の良さを自分が理解するのは難しい。 感傷的なストーリーをわざと直球で描かずに、暴投気味の変化球でストライクを狙ったように見えるし、そもそもストライクを狙っていないのかもしれない。 「マンハッタン」で甘い感じの映画を創っているので、同じような映画は取りたくないのかもしれないが、人生に成功したかに思われる映画監督が、自分の人生の意味に苦悩し、最後に一つの結論…ドリーと過ごした春の一日、音楽とそよ風を思い出すというシンプルなストーリーにした方が共感は得られやすいと感じる。 しかし面白いシーンはいくつかあった。 「81/2」は見ていないので、あまり語るべきではないのかもしれないが冒頭の電車のシーンは実に皮肉的で面白い。 人生を楽しんでいる陽気な人達が乗る列車とみじめな人生を送った陰気な人達が乗る列車。 サンディは陽気な人達がいる列車に乗りたいと願うも走り出した列車を止めることは出来ず、その願いは叶わない。 到着駅はゴミ捨て場であるが、とぼとぼと歩いていくと、向かい側から陽気な人達が乗る列車に乗った乗客に出会う。 この絶望的な人生観は見事としか言いようがない。 また、壁紙を使って、その時の深層を表現するというのも斬新な手法だろう。 この映画は自分には、アレンのあらゆるものからの決別の一種の決意のようにも感じる。 あらゆるものとは、大衆やファンであったり、商業的なものであったり、自分の映画への評価や研究、偽善的と言っては言い過ぎかもしれないが寄付等への決別。 「過度の現実を好まない」大衆に対して、自分は現実を描くというアレンの一種の決意なのではないかという気もする。 もっともアレンはこの映画の中のサンディと自分とは全く別の違う人間と言っているが、「コメディ」云々の話からどう考えても重ねて見てしまうだろう。 その狙いがないとすれば、サンディ役は別の俳優をキャスティングすべきであった。 アレンとサンディを重ねることによって、この映画の真意を探るための弊害になっている気がする。 また、映画の中に更に映画を入れるということが果たして良かったのかどうか疑問に感じる。 特にこの映画のように境界線が不明瞭であるとするとテーマや感じ方も不明瞭になってしまう気がする。
4点(2005-03-20 21:40:07)(良:1票)
609.  コンフェッション(2002)
絶対面白くはないと思うけど、それほど悪くはないと思う。 しかしどう考えても何かが足りない。 その原因が、ストレートで特に捻りもない脚本なのか、初監督ということで気合だけ入りまくって空回りした演出なのか、監督の空回りの気合に押されて、さらに空回りし続けた俳優の演技なのかはよく分からない。 自分が演出するのなら、肝心なポイントとして、やはり彼の告白が本当なのか作り話なのか、観客に悩ませるような演出・脚本の方が良かった気がする。 この映画では殺し屋だったことが疑いようのない事実のように描かれ切ってしまっている。 チャックバリスという人物について良くは知らないが、「ゴングショー」のようなものをプロデュースした彼独特のネタなのか、それとも事実なのか、観客によって見方が違うような映画を創れれば演出家としては一流となるだろう。 次に、この映画のように仮に事実として描くとしても、やはり一人の孤独なオトコの人生の描き方としては不充分だ。 特にラストのゲーム。銃で頭を撃ちぬかないゲームの勝者として本物の彼が紹介されたような演出であったが、果たして彼は勝者なのだろうか。 卑劣なテレビ文化を産んだ文明の破壊者としての描き方も中途半端なら、バリモアとの愛の描き方も不充分だ。 面倒な恋愛を避け、深い愛に陥らないよ性格となった原因である家族や母の影響も上手く描けていないと感じる。 殺した責任や殺されるプレッシャーなど様々なものに追い詰められ精神的におかしくなっていく 様を描くタイミングが遅いし、その後すぐにロバーツとの毒入り飲み物入れ替えエピソードに 移るのもなんとも言えないやり方だ。 ラストの銃のゲームは面白いエピソードなので、ラストは本物のチャックバリスがこめかみに銃を当てるところでエンディングを迎えた方が良い。 彼の人生をこの映画で見て、銃の引き金を引くのか、引かないのかを、この映画を見た観客に決めさせれば良いのである。 その判断をさせるだけの充分な素材を観客に与えることができれば演出家としては成功だろう。
6点(2005-03-20 06:06:07)
610.  アダプテーション
「adaptation」には、①適合、適応、順応という意味と②改訂、脚色という意味がある。 まさにこの映画はこの二つを兼ね備えた映画なんだろうと思う。 原作「蘭に魅せられた男」に書かれたストーリーが進行すると同時に、「蘭に魅せられた男」を書くために取材するオーリアンのストーリーも進行する。 そして「蘭に魅せられた男」の脚本を頼まれたカウフマンのストーリーや妄想とともにカウフマンが描く脚本の内容(人類誕生等)も映画の中に描かれている。 この映画は二重、三重、四重へと広がりを見せながら、それぞれが変化、適合しながらストーリーが見事に進行していく点に面白さを感じる。 また、この映画は現実を描いていそうでありながら、全て脚色の世界の中にある点も面白い。 もちろんドナルドなんて兄弟はいないし、「3」も存在しない。 確かチャーリーはハゲてもなければデブでもなかったはずだ。 実在するはずのラロシュも恐らくワニに食われたりもしないだろう。 これらはマッキー(存在するのか?)が言うように全てはラストで観客を唸らせるための脚色にすぎない。 このラストには本当に唸らされる。 冒頭に語っていた「ドラッグ、銃撃、カーチェイスや立派な教訓を学ぶような映画にはしたくない」と語っていたカウフマンの話が見事に伏線になっていてそれがラストに繋がっている。もちろんハリウッド的な映画に皮肉を込めて。 しかし、確かにこの映画では立派な教訓は学べないかもしれないが、「愛することは自由」という愛の大切さや人生への一縷の希望を感じさせた小さな教訓はチャーリーは描いてくれたなあと感じる。 ほかにも「現実はたんたんとしているか」というマッキーの言葉にはドキッとさせられる。 この映画の中に描かれた世界は一応脚色された世界であるが、「映画の中の世界」と「現実の世界」にはそれほどの差があるのかどうか色々考えさせられたところもある。 実在の人物を脚色した映画であるが、ここに描かれた人物と実在の人物もそれほど差は無いのではないかという気がする。オーリアンの孤独、カウフマンの神経質な自己嫌悪など、現実社会に生きる「人間」の鋭い現実を描いている気がしてならない。
9点(2005-03-20 03:07:27)
611.  マルコヴィッチの穴
奇妙奇天烈なストレンジワールドを描くという面白さ同時に、「誰か別の(有名な)人物になりたいと思ったことは無いか」、「自分とはいったい何者か」「本当の自分とは何か」のような哲学的な問い掛けに対する面白さが得られる良作。 登場人物も実にユニークだ。 ボケっぷりが素晴らしい社長から、言語障害の部長、デンジャラスな雰囲気のマキシン、性倒錯者のロッテそして人形使いのグレイグ。 どの人物も内面や性格がしっかり描かれていると感じる。 晩年のマルコヴィッチと結婚したのは、あの部長さんだろうか。 これだけでも何か社長の深い想いを感じるエピソードのような気がする。あのエロ話も少しは伏線があったということか。 一緒にマルコヴィッチに入った他の人は会話が通じないのではないかという気がするがそのあたりは気にしないでおきましょう。 映画で気になったシーンはもっとグレイグの孤独なり、苦しみなりを感じさせて欲しかったというところ。 人形師として人気が出たのは「グレイグとしての自分」の腕のおかげなのか、それともマルコヴィッチの人気のためなのか。 マキシンが結婚してくれたのはグレイグ自分自身としてなのか、それともマルコヴィッチとしてなのか。 このあたりはもっともっと苦悩するシーンは描けたと感じる。 確かに社長から、マルコヴィッチから出ていかないとマキシンを殺すと脅されたときに、「ここから出ていけばただのグレイグに戻る」と嘆いていてはいたが、ここはもっと掘り下げるべきポイントと感じる。 ここがまさに「自分とはいったい何者か」の答えになるべきところではないか。 「自分とはいったい何者か」がロッテの性倒錯の発覚ということで片付けられている感がしてもったいない。 あまり「穴」について深く考える必要はないとは思うが、器であるマルコヴィッチの身体が社長たちに乗っ取られれば、本体のマルコヴィッチはどこへ行ってしまうのだろうか。 そうなれば、あの女の子も44歳くらいでどこかへいなくなってしまうというのも何か哀しい話のような気がする。
8点(2005-03-19 21:33:58)(良:1票)
612.  カジノ
凄い面白い映画でもあり、かつ凄いつまらない映画でもあった。 カジノを舞台とした様々な人間模様とカジノ・ギャング世界の「表」と「裏」を描いたこの映画は素晴らしい映画であり、各俳優陣も素晴らしい仕事をしていたと思うが、うんざりするほど長すぎると感じる。 同じ3時間でも長さを気にしない映画もあれば、この映画のようにもの凄い長く感じる映画もある。 それは何故かというと、演出というかストーリーが単調で一本調子のため、同じリズムで3時間ひっぱるのはよほどでないと無理というものではないか。 シャロンストーンは確かに熱演といってもよい演技をしていたが、彼女の部分は大幅にカットできるような気がする。 もっとも、デニーロとストーンの「愛」をメインテーマにしたいのなら別な話だが、この映画が描きたかったのはそれだけではないような気もする。 確かに、冒頭で「愛」とは信じることとか。互いに尊重しあい、思いやる心が愛とか。 命を預けあうのが夫婦とかなんとか言っているので、本当は、「愛」についてがポイントの映画なのかもしれないが、これまたジョーペシの熱演のおかげか、出来あがったものは違うものがメインテーマになっているのは明らかだろう。  
7点(2005-03-14 01:54:03)
613.  ナショナル・トレジャー 《ネタバレ》 
ブラッカイマー+ディズニーという自分と一番相性の悪い組み合わせだったのでハズレだなと思っていたら、これが意外と面白い。 モチロンご都合主義は健在だが、話の根幹を覆すようなツッコミを入れたいほど酷いものはなかった。 ストーリーの流れが良く、頭に無理なくすんなりと納まる脚本の良さは評価できる。 「万引きでしょ」というのもただの笑いのネタかと思ったら、なかなか話を繋げて、オヤジを無理なく登場させるという無駄もなかった。 宝の謎を追うための手がかりをヒントにアメリカの名所のような場所をあちこちと進むのも面白いし、緊迫した駆け引き、深まる謎も飽きることなく観客を映画に引き込ますことができている。 銃をお互いに乱射して終わらせるようなところもないのも好感的だ。 残念なのは、ゲイツとアヴィゲイルとの関係を上手く描けていないこと。 ラストに近いところで突然キスをする場面があり、ラスト間際で「オレのこと信じられるか?」と言ってアヴィゲイルの手を離すシーンがある。 手を離すシーンは本来は盛り上がるシーンになるはずだったが、映画では全く盛りあがりが欠けるシーンになっているのが残念だ。 確かにキスシーンで二人の関係がより近いものになっているということは理解できるのだが、それ以前に二人の関係が親密になる過程がイマイチ演出しきれていないので勿体無い。 振りかえると、ゲイツがFBIに捕まったところでもっとアヴィゲイルの不安感を出しても良いし、二人が一緒に服を着替えるところでも利害関係が衝突するはずの二人の関係がより近づくのが分かるような演出は可能だ。 しかし、二兎を追うもの、一兎を得ずということか。緊迫感のある宝捜しにテーマを特化したために面白い作品になったのかもしれない。腕のいい監督ならさらりと描いたはずだと思うが。 <以下、完全なネタバレ>宝が見つかる直前に、実は宝がなかったというワンクッションを挟んだが、これが非常に心にしみた。宝なんてあってもなくてもいい、成功してもしなくても、本当に大切な宝は「夢」を持ちつづけること、「夢」を信じること、「夢」を追い求めることの美しさを描いていたと思う。たぶん、このワンクッションがなければ、ただの映画になっていたと思う。
8点(2005-03-13 01:33:50)(良:1票)
614.  マンハッタン
冒頭、アイザックが語るニューヨークについての想いが興味深い。 アレンはニューヨークを偶像化もしているし、ロマンティックで白と黒の世界としても描いているし、雑踏やせわしなさ、そして現代文化の腐敗の象徴等々としても描いていると感じる。 ニューヨーク、マンハッタンは見ようによっては確かにどのようにも見れると思う。 ニューヨークをどのように見るかは、映画の中で触れられていた主観の問題かもしれないが、アレンはこの映画を通して「永遠の都」に対する深い愛情を込めて送り出したと感じる。 これほど美しく描かれたニューヨークの映画はないだろう。 特に夜明け前、犬の散歩の際にアイザックとメリーが公園のベンチで語るシーンや、アイザックとトレイシーが馬車のようなもので回るシーンには目が眩む。 ニューヨークの美しさを強調しながらも、アレンが伝えたかったことは人間の不条理や矛盾じみた行為、感情と建前に揺れる人間模様を描いていると思う。 ニューヨークに住むインテリたちの不必要な問題を抱え込むような「頭」を使った愛し方に対して、揶揄を込めているのではないかと思う。 人間は「頭」で愛するのではない、「感情」で愛するのではないかということを感じた。 結婚をしているからとか、年齢が離れすぎているからとかを言い訳にごちゃごちゃと頭で考えすぎている。 もっとトレイシーのように本当の感情を放出すべきではないか。 登場人物の中で一番トレイシーが己の感情に忠実であり、また「人を信じなきゃ」という一言に誰よりも大人を感じさせた。 人間にとって、確かに「知」は必要なのかもしれないが、それ以上に必要なものを感じ取れる映画だ。 また、アレン流の笑いも随所に込められていて、元妻が書いた告白書の中身には笑えたなあ。 
8点(2005-03-12 19:37:49)
615.  明日に処刑を・・・
実話がベースなのだろうか、銃撃戦には中々の迫力を感じられるものの、正直随分ヌルイものを見させられた気がする。 まず、ストーリーが単調すぎる。 捕まる→逃げる→犯罪の繰り返し。 確かに仲間が吹っ飛ばされたり、罠にかかったりはしていたが、特別な派手さがあるわけでもない。 そして、主役の二人を含め全ての登場人物に何らの感情移入もできない。 女のほうは、小さな幸せを得たいというような目的もなく、ただ人を困らせることや犯罪を楽しむだけのただの子どもだし。 困ったときは得意技の身体を売ることだけしかすることはない。 男のほうは、正義や共産主義への戦いをただの犯罪へとすり変えているだけの哀しい犯罪者としか映らない。 この二人の行為には「俺たちに明日はない」とは違い、何も感じるものがない。 二人には苦悩も愛も何も感じられない。 事情はよく分からないが、この駄作っぷりはロジャーコーマンという製作者の関係だろうか。 それにしてもキルビルで見たあの人が主役の人だとは思わなかった。
3点(2005-03-06 19:28:35)
616.  ドアをノックするのは誰?
二人の男女や数人の仲間が繰り広げるストーリーやレイプや結婚云々のオチはさておいて、なかなか面白い会話のやり取りやミュージックビデオのような美しく、斬新な映像など、なかなか見応えがあった。 ラヴシーンのねっとりした感じも見事だったし、特に会話も何もないけど仲間同士で銃でふさげ合うシーンは素直に凄いなと感心した。 「言葉」よりも「映像」で語る術は、なかなかのものではなかったか。 山登りはどういう意味があったのか分からないけど印象的なシーン。 仲間とクルマで地方に繰り出して、ああいう無謀かつ訳の分からない馬鹿げた行動をしたことがある人なら少しは気持ちが理解できるのではないか。 この映画に本格的なストーリーを付けるべきかどうかは議論があるだろう。 本格的なストーリーを押し出せば、映像で語るということが曖昧になってくるし、ストーリーをなくせば、映画とはいえず、90分をもたせることは困難になるのかもしれない。 この映画に限れば、ストーリーと映像の調和は取れている気がするが、個人的にはあと数パーセント、微妙にストーリーの方にチカラをいれても良かったかなという気がする。
7点(2005-03-06 16:26:27)
617.  ハーモニーベイの夜明け
見方によっては深いテーマを扱っていると思うが、はっきり言ってあまり面白くはない。 特に終盤は嫌が応にもショーシャンクの想像してしまうし、見終わった後、このタイトルを付けた理由もなんとなく分かります。 冒頭のグッディングjrの写真を使ったやり取りの分かりづらさから嫌な予感がしたのだが、この監督は演出が上手くないような気がする。 出世しか頭になかったテオ、父親への愛僧が込められた複雑な想いを抱えるリン。 そして安らぎと調和の取れた生活やゴリラの家族を奪われて、「奪う者」を導いた責任の重さから自分と人間(「奪う者」)に対する怒りを抱えるイーサン。 三人の心の動きや変化、そして出会いによってどのように変わったか等、いかようにも面白くかつ感動させることができる舞台が揃っているのにそれが上手く演出がされていないと感じる。 テオは確かにマジックミラーに余裕で合図したり、「(イーサンの)心を開かせてやる」と自身満々で語っていたりしたが、受刑者に平等を与える等、元々の根が最初から真面目過ぎていて、どうにも成長や変化が感じられない。 リンは「なぜ(私ではなく)あなただけに話すの?」とテオに最初の頃は語っていたが、もっと父親への憎しみや愛情を表に出すべきではなかったか。 イーサンが持ち続けた写真への繋がりからいって大事な部分だと思う。 イーサンを演じたホプキンスの演技は評価されても良い、かなり素晴らしい出来だったと思う。 しかし、テオは「イーサンによって人生や生き方を教えられた」と言っていたが、果たしてイーサンの生き方から、この文明社会を生きるために必要な何かを教えられたことはあっただろうか。 むしろ「自由は夢ではない」と教えてくれたテオの言葉の方がより重みはあった気がする。 本当に悪くないテーマだけに勿体無いという想いを感じさせる映画だ。
5点(2005-03-06 03:26:08)(良:1票)
618.  サイドウェイ 《ネタバレ》 
熟成されたワイン同様に、単純ではない深みのある味わいのある映画なのかもしれない。 この映画はワインを飲むのと同じようにその深みのある微妙な味の変化が分かる人には 素晴らしい気持ちにさせてくれるかもしれないが、ジャックのように何を飲んでも同じという人には向いていないのかもしれない。 何を言いたいかというと、ジャックは自分だということ。 自分はこの深い味わいを心から楽しむことはできなかった。 アカデミー賞ノミネートや各賞で受賞しているため、モノ凄い傑作を期待していたのだが、充分面白かったし、笑い転げたりもしたが、なんともハマリにくかった気がする。 ワイナリーを巡る旅を通して、中年の男が自分の人生のピークを過ぎたあと、もう一度自分の人生を見つめなおすという話かと思っていたが、個人的には正反対の性格を有する二人の男のユーモア溢れる友情ものがたりにも映った。 小説家を目指すも、別れた妻への想いを引きずる陰湿なワイン好きのマイルスと、落ち目の俳優でありながら、結婚を控えた陽気な女好きのジャック。 二人はお互いの陰湿さや女好きに辟易としながらも、どこかお互いを助け合ったり、心配している。 ジャックはジャックなりにマイルスのことを心配していたし、朝帰りのマイルスを彼なりに喜んでいた。 マイルスもムチャクチャなジャックの頼みを親友だからこそ、命がけで果たしたように見えた。 そんな二人の友情は微笑ましかった。 この映画は人生を見つめなおしていなかったというとそうではない。 別れた妻への想いを捨て去るために起こした61年物のシュヴァル・ブランに関連する彼の行動は 素晴らしい。 まさにあれこそ、前の人生の区切りをつけて、人生の再スタートを切るための祝杯にふさわしいだろう。 役者の演技は、マドセンやチャーチよりもジアマッティはずば抜けて素晴らしい。 顔だけで哀愁漂うし、雰囲気で演技できるというのは特筆すべき点だと思う。
6点(2005-03-05 21:58:32)
619.  アバウト・シュミット
今はまだこの映画が本当に言いたかったことは分からないかもしれない。 しかし、何十年かして、自分の人生を振り返ったときに自分が何を想うのだろうかと考えさせられる映画だ。 長年勤めてきて、自分なしには会社は回っていかないだろうという思ったとしても、自分なしに順調に会社は動き、自分の存在は新任者にとっては鬱陶しいだけだ。 自分がなした仕事の成果はゴミとして扱われ、自分が長年犠牲にして会社に奉げた貢献とは一体何だったのか。 42年連れ添った妻にも多少の嫌気がさしているも、失って知るその必要性と存在感。 しかし妻の死に伴い、全く知らなかった一面を知ることになる。 42年で一体彼女の何を知っていたのだろうか。 分かり合っていたはずの長年の友情も、妻との浮気を知り、愕然とする。 培った友情は何だったのか。 このように自分はこの人生において何をしてきたのかという疑問にぶちあたるのはシュミットだけではないだろう。 自分の人生にどういう意味があったのかという深いテーマに対して、人生の果てに見た悲哀と孤独が静かにまたユーモラスに描かれているのはとても好感的だ。 しかし、旅を通していくら自分の人生の意味を探ったとしても、どうしようもない奴と娘の結婚も止めることもできず、結婚のスピーチでも本心ではないありきたりのことを言ってしまうつまらない弱い人間だと知ることになる。 自分も個人的には人間なんて実際に弱くちっぽけな存在だと思う。 人は他人に影響を与えるような存在である必要はない。 ただ、自分のことを想ってくれる誰かがいれば良いのではないかというのがラストのシュミットの涙を見て感じたことだ。 弱くちっぽけな存在ということを認識して、その人生に何かの意義を見つけていくことが必要なんだろうな。
7点(2005-02-28 01:30:36)(良:2票)
620.  ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 - スペシャル・エクステンデッド・エディション -
東銀座の東劇にて観てきました。 インターミッション(城門を破るための秘密兵器「龍の頭」が出てきた辺りで一旦休憩)を含む 4時間超の旅。 しかし全く長さを感じさせない、むしろあっという間に終わったという感じだった。 エンドクレジット中「INTO THE WEST」を聴きながら、これだけ充実した旅ももう終わるのかと思うと、何か心に隙間ができたような想いを感じた。 個人的に感動したシーンはなんといっても、全員でホビット達に頭を下げるところだろう。 いくら感動しても滅多に涙を流さない自分ですら、自然と涙が頬を伝わった。 剣術もそれほど上手くもなく、矢も撃てるわけでもない、もちろん魔法なんて使えない、 そんななんの取り柄もない種族ホビットに頭を下げるのには理由がある。 それはどこの誰よりも彼らには勇気があり、平和を愛する心があり、友情があるからだろう。 この映画で一番伝えたかったのは、この三つを持つことではなかっただろうか。 それだけそれらは尊重されるべき尊いものと感じた。 そして、旅から帰還してフロドが眼を覚ましたときの皆の笑顔も忘れられない。 演技を感じさせない何かを成し遂げた顔。 ボロミア以外の旅の仲間が再結集したとき、非常にいい顔をしていたのが印象的だった。 戦いのシーンも非常に満足。 やっぱり死者の軍隊にはしびれるね。 海賊を襲うシーンや船から降りてミナス・ティリスの戦いにあっという間にケリをつけるシーン など鳥肌が立つ。 あれほど圧倒的な戦力でありながら誓言の約束通り魂を解放させるアラゴルン、そして黒門で皆に言葉を掛けるアラゴルン、エオウィンの傷を癒すアラゴルン、歌は微妙だったが「王」にふさわしい振るまいだった。 やはり、SEEと比較すると残念なことに劇場版はかなり必要なシーンがカットされてしまっていると言わざるを得ない。 これを観ないと旅は終わらないというのはまさにその通りだろう。
10点(2005-02-27 00:48:34)
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