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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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621.  スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ 《ネタバレ》 
「スター・ウォーズ」については、それほど詳しくはなく、素人からの目線でレビューしたい。 画像については、それほど違和感がなかったが、実写ではない分、バトルシーンにはどうしても迫力を欠いてしまうところがある。 実写では迫力などでごまかすことができるので飽きずに済むところがあるが、飽きずにもたせるには展開の面白みがなく、短い映画にも関わらず非常に長いと感じられた作品。 また、アニメ作品「クローン大戦」を見ていないと、ヴェントレスという敵キャラクターが分からないので、やや違和感があるのではないか。むしろグリーヴァス将軍の登場を期待していたので、やや拍子抜けしたところがある。 まだまだ続きがありそうだが、ⅡとⅢを繋ぐブリッジストーリーとしては、本作だけでは物足りなさすぎる。 ジャバの息子の誘拐など、子ども騙し的なネタしか描かれていないので、本作を観たとしても、大きなものはあまり得られないと思う。 最初から最後まで、クローンとドロイドがただ無益な撃ち合いをしているという印象しか残らなかった。 一番驚かされたのは、アナキンがパダワンを取っていたということだろう。 ただ、このエピソードも個人的にはあまり好ましいとは思わなかった。 パダワンを持つということは、ジェダイの騎士としてそれなりに責任が増すのであるから、ジェダイを裏切るという最終的な方向とは逆の意味に繋がってしまう。 また、パダワンを持たせるというアイディアは、オビワンとヨーダの考えのようであるので、二人はアナキンのことを一人前と認めている証拠でもある。 一本立ちを認めないオビワンのことをアナキンは憎んでいたはずではなかったか。 パダワンを持ったことでジェダイを憎むような展開になればよかったが、そんな展開にもならなかったので、やはりアナキンにパダワンを持たせる効果がよく分からない。 任務を優先することを第一に考えるジェダイと、ピンチに陥ったパダワンの生命を考えるアナキンとの間に亀裂が生じるという展開にでもなれば、本作にも意義が生じるとは思ったが、結局パダワンが自分の危機を一人で切り抜けるという面白くもない展開になってしまった。 慎重派オビワンと無鉄砲アナキンとのコンビとは違う、無鉄砲コンビの誕生もそれほどすっきりしたものを感じられないのも惜しいところであり、全体的には評価しにくい作品となっている。
[映画館(字幕)] 5点(2008-08-24 22:51:28)(良:1票)
622.  インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 《ネタバレ》 
大人が見ても楽しめるようにはなっているが、完全な子供向け仕様の映画になっている。 演出は「びっくり箱」のような子供だまし的な手法が多く、子どもを救うという展開や魔術的な仕掛けも甘々すぎる。 「レイダース」のような硬派な宝探しアドベンチャーというよりも、能天気アクションの方に寄りすぎてしまっているのが問題だ。 能天気アクションに寄りすぎているため、万人向けとなり、誰でも楽しめる内容にはなっているが、そのためリアリティ度が薄まり、何もかも現実離れしてしまい、「なんでもあり」という展開になってしまった。 そのため、高い評価をすることはできにくい。 ただ、トロッコのチェイス以降のハイテンション展開はさすがに文句なく面白い。 終盤のキレのある演出は、さすがはスピルバーグらしく素晴らしい。 
[DVD(字幕)] 5点(2008-06-15 02:46:56)(良:2票)
623.  ランボー3/怒りのアフガン 《ネタバレ》 
「Ⅰ」の良さはほぼ皆無となったシリーズ。 ただ、ソ連によるアフガン侵攻に対して、「大国であっても武力で小国を制覇できない。アメリカもベトナムで経験したことだ」といった趣旨のセリフがなかなかよい。 ソ連のアフガン侵攻をベトナム戦争になぞらえている点や、少年兵の扱いなど、意外と悪くないところも突いており、反戦の気持ちはゼロではない。 深みは全くないが、アクション映画としてはそれほど悪くはなく、バカバカしいと罵るほど酷い仕上がりの作品ではない。 医術の心得があるランボーが腹の傷を治すシーンや、ラストのヘリコプターVS戦車の一騎打ちなども見応えは十分ある。
[DVD(字幕)] 5点(2008-06-03 23:38:21)
624.  ハンティング・パーティ 《ネタバレ》 
「言っていることは分かるけど、結局何が言いたかったの?」という映画。 ジャーナリスト魂を描きたいというよりも、「戦犯をCIAや国連は野放しにしている」という事実を伝えたいとしか思えない内容だ。 フォックス(実在のカラジッチをモデルにしている)はセルビアの英雄と目されている人物であり、そんな人物にアメリカのCIAが手を出したら、国際情勢が混乱するというのは明白だろう。そういった微妙なバランスが存在すると思われるので、CIAは手を出したくても手を出さない、手を出せるけれども手を出さないという政策的な判断をしているのではないか。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の背景を詳しく知らないので、偉そうなことは言えないが、彼が大虐殺に関わっていたとしても、彼を捕まえることで「万事解決」という単純なものではないはずだ。本作を見る限りでは、ボスニアには紛争の傷跡・悲劇の爪痕が色濃く残っているようであり、火種を再燃しないということに専念しているのではないか。 また、ドキュメントで行きたいのか、フィクションで行きたいのか、やや中途半端となったのも大きな問題か。トンネル後のストーリーは完全なフィクションと思われるが、本作のフィクション部分がかなり幼稚だ。ジャーナリストはあくまでもジャーナリストであり、警察でもなければ、CIAでもなく、ましてや正義のヒーローでもない。 「彼に会って虐殺の真相や彼の信念をインタビューしたい」というものならば納得できるが、「何の策略や計画もないのに彼を捕まえたい、恋人を殺された復讐をしたい、金が欲しい」という内容に納得できる観客は少ないだろう。 何とか面白くしようと思い、脚色をどんどんと加えていくうちに、大切にすべき方向性を見誤ったような気がする。 見ている最中は、「ひょっとして、こいつらジャーナリスト魂なんてものは持ち合わせておらず、ただただ生死の狭間で体験できる独特のスリルを味わいたいだけじゃないのか。戦争や紛争がなくなった(実際にはまだまだ絶えないが・・・)ので、ただ危険地域に足を踏み入れたかっただけじゃないのか」と思っていたが、そういった意図もなさそうだ。 題材的には面白そうなのだが、「ジャーナリスト魂」を感じさせる内容になっていないのが残念だ。彼らは危険地域にわざわざ近づく、ミーハーな人間と同じではないかと思ってしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2008-05-23 22:45:31)(良:1票)
625.  NEXT-ネクスト- 《ネタバレ》 
質などを総合的に判断すると点数は低いが、個人的にはそれほど嫌いな作品ではない。 その理由は、ニコラス・ケイジが出演しているからだ。 とはいっても、ニコラス・ケイジそのものが好きなわけではない。 彼の醸し出す胡散臭さが妙に本作の胡散臭さにマッチしているから、面白く感じられるのである。 もし、本作の主人公がマット・デイモンだったら、「ふざけんな」とブチ切れていただろう。 ニコラス・ケイジだから、「何でもあり」「破綻していようが何でも許せてしまう」という気持ちになれる。 しょぼい能力に見合うだけのチープなオーラを備えているので、彼はある意味でいい役者だ。 むしろ、彼を活かすために、もっとカッコ付けずに、なぜB級っぽく全体を演出出来ないものかと逆に怒ってしまうほどだ。 一般の観客には合わない作品だとは思うが、ニコラス・ケイジのB級テイストを感じ取れる人には向いている。 核兵器の爆発という大きなストーリーの割には、胡散臭い男を巡るFBIとテロリストの小さいストーリーに終わってしまう辺りが最高だ。 途中までは悪くなかったが、最後の銃撃戦が少々イマイチか。 肝心のクライマックスとしては、あまり納得はいかない。 さすがに分身するのはやりすぎだ。 冒頭の「カジノ脱出」を超えるような神業を披露して欲しかったところだ。 「こいつはスゲエ」「こいつは神だ」と思えるような動きを上手く演出できないものか。 その神業の行き着く先は、絶対に「分身」ではないだろう。 ニコラス・ケイジの余裕の動きと、それに必死に応えるFBI・SWATの連携を、微妙な違和感をもって上手く演出できれば、絶対に面白い作品に仕上がったはずだ。 議論が分かれそうな、オチや終わり方も個人的にはそれほど嫌いではない。 エンドクレジットが始まる前に、「この辺りで終わらした方がいいだろうな」と感じられたからだ。 あれ以上描けば、「蛇足」になってしまう。 このオチのために最後まで取っておいたのかもしれないが、途中でも「失敗する未来」をもっと多用しても面白かったかもしれない。 「死んだ」と思ったら、それは現実ではなかったという展開がもっとあってもいい。 「バンテージポイント」のように、要所要所で何度も何度も巻き戻されると、一風変わった映画に仕上がったのではないか。
[映画館(字幕)] 5点(2008-05-05 14:54:44)
626.  つぐない 《ネタバレ》 
素材自体は悪くないが、ココロに訴えてくるものがまるでない。 したがって、評価は下げたい。 素材はいいので、一流の演出家ならば、もっと泣ける作品に仕上げることはできたはずだ。 何を描きたいのかが明確になっておらず、散漫としているのが残念である。 本作のメインに当たる部分は、何よりも“虚構”の世界ではないだろうか。 「つぐない」の本当の意味を考えると、ここにもっと光を当てないと何も意味はなさないと思う。 もし、自分が脚本家ならば、現実の世界よりも、虚構の世界をメインに組み立てたい。 ロビーが浜辺で眠りについた後は、「ロビーがイギリスに戻り、セシーリアの元に帰ってきて、彼らが再開するシーン」を感動的に描きたいところだ。 「わたしの元に帰ってきて」というのがセシーリアの一番の願いだったからだ。 そして、「彼らが海辺の家で幸せに暮らしているところをブライオニーが訪れ、贖罪を求めた後に、二人に許されるというシーン」をきちんと描きたい。 しかしながら、許された後に、ブライオニーが老人となった“現実”の世界に戻ってしまい、実際の真相・顛末を語るというのが普通に考えられる筋書きではないか。 “現実”の世界よりも、“虚構”の世界こそメインにならなくてはいけない作品だ。 今まで見てきた世界が現実の世界ではなく、ブライオニーの考えた創作の世界だと知れば、観客は驚きを隠せないだろう。 そして、「つぐない」の本当の意味を知るはずだ。 イアン・マキューアンの原作は読んでいないが、そういう趣旨を込めた作品だと思う。 本作では微妙な感じで終わってしまったが、個人的には、“虚構”の世界なのだから、ブライオニーは二人に許されてもよいのではないかと思う。 彼女はつぐなったのわけだから、それは報われてもよいはずだ。 死を目の前にして、二人に許されれば、彼女もきっと安らかに眠れるのではないか。 ただ、“浜辺での長回し”や“窓際で二人がキスをする部分を映しながら、ブライオニーが立ち去る部分を描く”など、映像的な部分においては見応えがあった。 ジョー・ライト監督の前作「プライドと偏見」においても、美しい背景を上手く利用する才能は際立っており、その点だけは評価できる。
[映画館(字幕)] 5点(2008-04-14 00:32:51)
627.  危険な遊び(1993) 《ネタバレ》 
二人の子役の演技自体は素晴らしい。 プロットも悪くはないが、深みがまるでないのが問題だ。 単なるホラーモノの仕上がりであり、これでは殺し屋を子どもに置き換えただけではないか。 やはり、マコーレーの内面を描かなければ、意味がない作品だと思う。 単純に「母親の愛情を独り占めしたい」という欲求からの行動と思いながら鑑賞していたが、そういうニュアンスを醸し出しながらも一歩踏み出してはいない。 これでは、ただの悪戯のエスカレートという見方しかできない。 本作の内容ならば、動機や心理的な面に触れないと、個人的には高い評価はしたくない。 作者が狙ったのかどうか分からないが、非常に後味も悪い幕引きとなっている。 (嘘ではあるが)「I LOVE YOU」と叫ぶ実の子どもを見殺しにして、他人の子どもを助けるというオチの付け方はなかなかショッキングなものだ。 作中では軽く触れられていたが、まさか「母親の霊が乗り移った」わけでもないだろう。 甘い仕上がりとなるが、最後の最後で悪人が善人になるというパターンでもよかったか。 マコーレーが「I LOVE YOU」と母に告げて、自ら手を放すようなオチにすると、後味はぐっと良くなる。 マコーレーも実は寂しい子どもだったと観客にイメージさせることもできる。 「オーメン」のようなホラーならば、“悪魔のような子ども”というイメージでもよいが、そういう趣旨とは思えない作品だ。 大人が殺し屋の場合、突然の更生には違和感を覚えることもあるが、子どもの場合には更生する機会を与えてもおかしくないだろう。
[DVD(字幕)] 5点(2008-04-14 00:31:40)
628.  フィクサー(2007) 《ネタバレ》 
点数を付けるのが、非常に難しい作品だ。 賞レースに加わっているだけのことはあり、映画の質はそれなりに高いといえる。 俳優の演技、緊迫感溢れる演出を飽きることなく堪能することはできた。 しかし、ストーリーがあまりにも面白みに欠ける。 ソダーバーグが製作に関わっており、彼の監督作品やプロデュース作品と同様の感想を抱く。いったい何を伝えたかったのが分からない。 友情なのか、正義なのか、社会派映画なのか、「フィクサー」の活躍なのか、法廷系サスペンスなのか、大企業による陰謀モノなのか、何に焦点を当てたのだろうか。 楽しめない理由はいくつかある。 まず「トム・ウィルキンソンの精神病」だ。 なぜ精神病という設定にして、異常行動を取らせる必要があるのか。 正義感に溢れ、愛に悩むノーマルな弁護士という設定の方が絶対に面白くなったはずだ。 そして、次は「ジョージ・クルーニーの借金」だ。 ギャンブル狂いで文無しであり、さらに突然借金を抱えて苦しい状況が分かる。 「どうしても数日以内に大金が必要だ」というのは面白い設定だ。 ただ、この面白い設定がまるで活きてこない。「金」を取るのか、それとも「正義」や「友情」を取るのかという葛藤があってこそ、活きてくるものだ。 フィクサーとして揉み消しを依頼されて、事件を解決すれば多額の金を手に入れられるが、友人の本来の目的を知り、どちらの側に付くのかを悩んでこそ面白いものとなる。 「金」に傾くかのように観客をミスリードしておき、最後には・・・というのが定石だろう。 さらに、最後は「ティルダ・スウィントンの弱い悪役ぶり」だ。 精神的な弱さを抱えているにも関わらず、重役に抜擢され、追い込まれているという設定は面白い。企業を守るための彼女の暴走は、精神的な弱さによるものだろう。 ただ、そんな弱い悪役では迫力に欠ける。 表では「フィクサー」を使って合法的な解決を図ろうとしながら、裏では「殺し屋」を使って非合法的な解決を図ろうとする二面性を抱えるような悪役の方が面白いと思う。 精神的な弱さがあるのに強がろうとするからこそ、表と裏の顔が大きく乖離していくものだ。本作では、ただのプレッシャーに弱い女性としか映らず、内面の複雑な想いなどは感じられなかった。 これらを踏まえると、どうしても高い評価はできない。
[映画館(字幕)] 5点(2008-04-13 01:45:09)(良:2票)
629.  コックと泥棒、その妻と愛人
ピーター・グリーナウェイ監督作品は初見。恥ずかしながら、今まで名前すら聞いたことがなかった。この度「レンブラント」の生涯を描いた新作が公開されると聞いて、監督のことを知り、監督の代表作である本作を見ることにした。本作については何の情報も持ち得てなく、タイトルからコメディ的な軽いものを想像していたが、見事に裏切られることとなった。 確かに、この才能は凄いと思う。 同じようなものを作れと言われても誰も真似できないだろうし、独特の世界観を構築できる能力は賞賛されるべきだ。 リアルの世界でもなければ、虚構の作り物のような世界でもない、白でも黒でもないグレイともいえる別次元の世界が存在している。 また、部屋のイメージの印象を濃くする「黒に近い青」「赤」「白」の色彩感覚に優れており、横に流れていく撮影方法も特殊であり、その撮影方法を取ることで色彩効果をより高めている。 現在「エルメス」のデザイナーでもあるジャン=ポール・ゴルチエが手掛ける衣装も素晴らしく、本作の世界観を深めている。 彼が手掛けた「フィフス・エレメント」よりもゴルチエらしさが発揮されているのではないか。 しかし、「面白いか」と問われた場合、「イエス」とは言いがたい作品だ。 エロ・グロには自分には一応耐性があるので、まったく苦には感じなかったが、“何か”を感じ取ることができなかった。 監督が想いを込めたと思われる人間の本能である“食”に対する美醜を上手く感じ取れなかった。醜さの中に潜む“美しさ”、美しさの中に潜む“醜さ”が自分にはピンとこない。 映画の“良し悪し”という判断というよりも、監督の感性に共感できるか、できないかの差なのではないか。 ピカソの絵を見て、素晴らしいと評価できる者がいる一方、子どもが描いたような絵だと酷評する者がいるようなものだ。 面白さは理解できず、この世界にどっぷりとハマり込むことができなかったものの、監督の才能を理解し、美しくも醜い世界観を構築したことを評価して、5点としたい。 本来ならば、0点か、10点かという作品なのかもしれないが。 マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレンの演技に圧倒されたことも低評価できない理由だ。この二人の役柄を彼らほど上手く演じられる者はそうそうおるまい。 特にガンボンが凄い。彼のイヤラシイ演技がなければ、本作の評価は高まることはなかっただろう。
[DVD(字幕)] 5点(2008-01-12 00:51:33)
630.  ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記 《ネタバレ》 
“普通”という評価が妥当の作品。冒険映画なのに、まったく冒険していない映画だ。実際に現存するアイテムや実在人物、史実といったリアリティを重視しているのかもしれないが、世界観がかなり小さく感じられる。パリやロンドンに行ったからといって世界観が大きくなるものではない。もっと夢のある世界に広げられないものだろうか。 ディズニー映画だからなのか、主要キャラクターを誰も殺すこともできず(一人死んだエド・ハリスがかわいそうだ)、どんどんとパーティーが増えているのが見苦しい。 パーティーが増えた結果、最後に随行する悪役がエド・ハリス一人になってしまうのが強引過ぎる。そして、その肝心の悪役にも魅力が欠けるのが最大の失敗だ。なんだかんだで「結局皆を救ってくれた善い人」というオチがディズニー映画らしくもある。 そういうオチにしたいのならば、初めからそういう脚本にすればよかったのだ。 エド・ハリスたちは、宝探しを自分たちでできないくせに、銃や車を使って、ニコラス・ケイジ達を殺そうとしているのがあまりにもナンセンスだ。「彼らが探してくれる」とエド・ハリスはつぶやいていたが、言っている事とやっている事はメチャクチャだ。宝探しを妨害したいのか、宝探しを便乗したいのか、ゴチャゴチャになっている。自分ならば、エド・ハリスは優秀なトレジャーハンターという設定にして、ニコラス・ケイジのライバルという扱いにするだろう。そして、彼らの邪魔をする第三者を別にきちんと用意すると思う。ライバルであったが、最後に皆を助けて死ねば、オチとして盛り上がったことだろう。 また、脚本もイマイチよく分からないところがある。 “「ゲイツ家の汚名」を払拭するという目的”→“宝探しへという目的”にどうしてすり替わったのかがややピンと来ない。 脚本だけではなく、演出も分かりづらいところがある。 肝心のエド・ハリスとニコラス・ケイジの重要なラストシーンのやり取りの扱いが雑だ。 「俺が残る」「いや、俺が残る」「じゃあ、俺が残る」「どうぞどうぞ」という流れではなかったと思うが、いつのまにかニコラス・ケイジからエド・ハリスへとポジションが変化しているのを不思議に思う者がいるだろう。 “激流によってああなった”とだいたいの流れはなんとなく分かるものの、一言で言えば演出がヘタクソなのだろう。
[映画館(字幕)] 5点(2008-01-07 01:43:15)(良:2票)
631.  王の男 《ネタバレ》 
「グエムル」に抜かれるまで韓国歴代興行成績の一位であり、また本作のような歴史物は結構好きなため、期待を込めて鑑賞したけど、悪くはないけど良くもないという印象。チャンセンとヨンサングン役の俳優の演技は結構良かったが、欠点としては脚本がだいぶ粗い感じがする。主要キャラクターの内面がほとんど読み取れない。行動に対する動機付けが描けていないから、なぜそのような行動を取るのかがよく分からない。そのために感情移入できないという悪循環に陥っている。それぞれの心理面を探るまでの材料すら与えられていない気がした。特に肝心要のコンギルの心理描写が弱すぎる。 <以下ネタバレ>王の寵愛を一身に受けていたノクスがコンギルを嵌めようとする行為は理解できる。芸人たちを宮廷に住まわせることによって、宮廷に巣食う重臣を追放し、母親を失った呪縛から開放させ、ヨンサングンを暴君ではなく、立派な王にさせたいと考えた重臣チョソンの行為も理解できる。 理解できないのがヨンサングンがコンギルに嵌まる点だ。美男子だからといって、自分の内面までもさらけ出す理由はない。彼の孤独の矛先がなぜコンギルに向かったのか、もう少し踏み込むべきだっただろう。 王の孤独や悲しみを知り、コンギルが王に同情する点は理解できる。しかし、芸人の相方という関係を超えた存在であるチャンセンの「宮廷を出よう」という言葉をないがしろにするほど、王に尽くす義理はないだろう。 チャンセンにとっても、何度も出ようといったにも関わらず、自分よりも王を取ったコンギルのために、重臣チョソンが救ってくれた自分の命を無駄にするほどの関係が描きこまれていない。 このストーリーを自分なりに解釈するしかないようだ。コンギルは王に対して同情というよりも、愛情を抱いてしまったと解釈すればよいのかもしれない。だから、コンギルは王の下から離れようとしなかったのかもしれない(王に「行かせてくれ」と頼んでいたが)。しかし、チャンセンが身を賭して、自分の命を救ってくれたことと自分のために戻ってきてくれたことによって、彼の本当の愛と相方として切っても切れない絆に気付かされたのかなとも考えられる。だから、チャンセンが死ぬのならば、自害しようとしたのではないか。王がコンギルの気持ちに気付いていないとしたら、チャンセンが最後の芸で「王が盲目だった」と皮肉ったようにも感じることができる。
[映画館(字幕)] 5点(2006-12-19 00:07:54)
632.  007/ゴールデンアイ 《ネタバレ》 
ピアースボンドの印象はというと、正直いって何も無い。他のボンドにあったような長所もなければ短所もない、極めて優等生であるが面白みに欠けるボンドである。強いていえばスマートさや洗練さが彼の売りだろうか。 敵役はどんどん魅力的になり、ボンドガールも単なる添え物ではなく、今後はボンドと対等な存在まで主張するようになってきている状況下で、肝心の主役の影が薄くなっているのは少し問題ではないか。 しかし、本作の視点はなかなか面白いと思う。6年という空白の歳月を利用して、その時代の流れを取り入れようとしている。冷戦は既に終結し、世界はどんどん大きく変わりつつある。ハイテク化が進む時代において、スパイという存在は過去の遺物ではないか、この時代にスパイは果たして必要なのかを問おうとしている。 マニーペニーとの会話にはセクハラという時代の視点が感じられ、Mについても、ボンドのような勘に頼るスパイに任せるのではなく、数字(恐らく確率や可能性など)を重んじる人物で、かつ女性の台頭という視点を取り入れているのは面白い。 そういう点を踏まえると、アレックの位置付けはあまり好ましくない。 彼の組織名となっている「ヤヌス」とは二つの顔を持つ神である。つまり、ボンドとアレックはもっと表裏の関係として描いた方がよかったはずである。二人のスパイを通して、スパイ不要の時代に何のために自分を犠牲にして、何のために人を殺すのかというスパイの在り方や信念を問うた方がよかったはずだ。 しかし、コサック(イギリスの裏切りによってロシアで生き恥をさらした人々)の生き残りとか、結局は金のため(自分の理解不足かもしれないが、彼らの方法では証拠を残さず金を奪うことは困難ではないか)という「逃げ方」をしてしまうのは残念でならない。 ナターリアの位置づけも中途半端だ。彼女は本作のキーパーソンであることは間違いない。しかし、その重要性や動機があまり告げられぬまま、敵の捕虜になったり、ボンドに随行するので混乱する。今までのガールは、私怨であったり、裏切られたための報復であったり、任務としてボンドと行動を共にするわけである。しかし、どうも彼女の場合はそれが当てはまらないような気がする。 また、確かにボールペンのトリックは面白いが、時間の制約下において片手でキーボードを打つ奴がいるとは思えないという疑問が沸いてしまうので無理を感じる。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-30 00:17:21)
633.  007/リビング・デイライツ 《ネタバレ》 
ダルトンボンドは派手さやユニークさには欠けるが、渋さとカッコよさと冷静さと重厚さを兼ね備えた男だ。無理を承知で自分に協力してくれたソンダースを殺された際の怒りに満ちた表情がなんとも言えず人間味にあふれている。ダルトンはアクションだけでなく演技もできる人だったと思う。 彼のボンド像としては、ボンドカーをフルに利用し、ボンドアイテムもさりげなく利用するところはコネリー路線を踏襲するものか。レーゼンビーのリアリティ路線を加えて、ムーアのコメディ路線から脱却しようとしているのが窺われる。ダルトンは真面目すぎるとよく言われるが、パラシュートで降りた場所が美女のヨットだったため「1時間で戻る…いや2時間だ」というところには、やはりボンドの根本スタイルに変化はないことも観客に伝えている。 ストーリーに関しては、チェロを巡る金の流れからだんだんとコスタフ将軍の亡命事件の裏がみえてくるのは面白い展開であり、雰囲気もよいのだが、もっと面白くなっただろうと思われるところがある。 特に、ボンドとコスコフとカーラの三角関係はストーリーをもっと面白くできたはずだ。まだカーラがコスタフを信じている段階(ボンドにクスリを飲ませている)で突然コスタフがカーラまでをも始末しようとするのは違和感(ボンドに彼女を殺させて切り捨てるつもりだったが)があり、カーラとコスタフは愛人関係にあるという設定があまり活かされていない。ボンドとの国境越えを巡る逃走劇や遊園地デートでボンドの魅力を知り、また、コスタフの真の正体を知ったことで、ボンドとコスタフとの天秤で揺れるカーラの姿をもっと描くべきだっただろう。コスタフがカーラを裏切るのではなく、カーラがコスタフを裏切った方がよほどストーリーとしては面白い展開になっただろう。嫉妬までをも絡めるとなお良くなるはずだ。コスタフもウィテカーも存在感は薄い。 また、次作の「消されたライセンス」で私情に走るボンドからライセンスが取り消されたが、本作のボンドは、「コスタフ将軍を狙う狙撃手を暗殺する」「プーシキン将軍を暗殺する」という二つの指令をいずれも独断で背いているのは「消されたランセンス」以上に問題ではないのか。ソンダースにMに報告すると言われた際に「クビになるのは願ったりだ」と発言していることからも、やや国に対する忠誠心が感じられないのが、ダルトンボンドの欠点なのかもしれない。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-28 00:09:59)
634.  007/ムーンレイカー 《ネタバレ》 
前作「私を愛したスパイ(77)」の予告では、次作は「ユアアイズオンリー」になっていたが、様々な事情から「ムーンレイカー(79)」が製作されたようだ。 大きな理由としては「スターウォーズ(77)」や「未知との遭遇(77)(本作でもパロっている)」のヒットに便乗してSF大作を作ろうとしたのだろう。また、大詰めを迎えていたスペースシャトル計画(81年に初めて打ち上げ)という時勢も影響したようだ。時事問題を取り入れるというのは、ボンド映画の慣例にもなっていて、本作は制作するのに時期的にはまさにぴったりの作品となっている。 要所要所のコメディ的な空気が作品の質を下げてはいるものの、全体としてみると質は高い作品に仕上がっている印象を受ける。特に、冒頭のダイビングシーン(撮影したヤツが凄い)はいまの基準で考えても、素晴らしい出来となっている。サメに飽きたのか、犬や大蛇といった工夫を取り入れており、宇宙にまで舞台を広げるという挑戦は敢行したものの、やはりどことなく既視感を感じられる。いわゆるマンネリ化しているといわざるを得ない。 しかし、一点だけ他のボンド作品に符号しない展開は用意されていた。 それはジョーズの存在である。敵側の女性がボンドの魅力によって寝返るというパターンは過去にも多くみられるが、男性の殺し屋であるジョーズがボンドに寝返るというのは面白い展開であった。しかし、寝返る際の理由があまり明瞭でないことや、最後はボンドを助けてメガネっ娘と宇宙船とともに爆発するという展開を個人的に望んだものの、ご都合主義で結局彼らを殺さないという展開にしてしまうのは、がっかりしてしまう。ジョーズを殺さないメリットがどこにあるというのか。彼は前作で何人もの人間を殺している犯罪者であり(本作では寝返ることが前提のため殺しが成功していないものの)将来的に利用価値の存在である。エモーショナルな展開を描けるはずなのに、ジョーズというせっかくの素材を上手く調理できなかったのはマイナスだ。 その他にも、シークエンスの繋がりが悪い点が目立ったり、不必要に多いボンドガール(リオの局員マニュエラなど)と不必要に多いベッドシーンなどの欠点もある。 肝心のCIAのグッドヘッドはやや魅力や存在感を欠いているのも高得点をつけることに躊躇してしまう点だ。チャーの剣道には別に呆れることはなかった。あれはあれで面白い嗜好ではないか。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-20 00:30:12)
635.  007/死ぬのは奴らだ 《ネタバレ》 
初登場となったロジャームーアボンドの印象は、非常に余裕たっぷりという感じだ。 ちょっと困難にぶちあたったとしても、やや怪訝そうな表情を浮かべるものの、なんなく困難を回避してしまう。その辺りが彼の魅力にも感じ、コメディタッチの仕上がりにもなっている。また、裏切り者と分かったロージーが「(ヤッタ後に)自分を殺せるわけない」とボンドに言ったことに対して、「ヤッタ後だから(殺すのに)未練がないんだ」と言い放つところには彼の冷酷さも窺える。ソリテールに対しても愛情というよりも、自分の行動を読まれてはたまらないという考えから自分の魅力を使って寝返らせようとしているようにも感じられる。 一方、ソリテールに危機が迫った際には、何度か躊躇した後、せっかくの計画を無視しても助け出そうとする熱い部分もみせている。余裕たっぷりの紳士の中に垣間見える冷酷さと優しさと熱さが彼の魅力のようだ。 また、本作は、初期の代表作(特に「ロシアから愛をこめて」)の影響が強いようにも感じられる。敵側からは「ロシア」のように複数のユニークな個性的キャラクターが登場し、ボンドガールのソリテールはどことなく「ロシア」のタチアナに雰囲気が似ている。 モーターボートを使った逃走劇に加えて、ラストの列車内のティーヒーとのバトルは、グラントとのバトルを思い出させる。 往年の国際色豊かな雰囲気を醸し出しているのも歓迎すべき点だ。今回のメインの舞台は、アメリカのニューオリンズとカリブ海となっており、カリブ海を舞台とした「ドクターノウ」にも近い雰囲気となっている。ボンドの上陸を手伝ったクオレルジュニアは、「ドクターノウ」で火炎放射龍に焼き殺されたクオレルの子どもだろうか。 さらに、モーターボートを使った派手な逃走劇や、本物のワニを使うといった工夫が随所にされており評価したいところだ。その上にユーモアたっぷりのコメディ要素をふんだんに盛り込んでいるのも特徴だろう。ペッパー保安官や、ジャズ葬、回転したり降下したりする座席、圧縮ガスの弾薬を使ったカナンガのラストといったように、ややユーモアに比重を置きすぎてしまったようにも感じるが、観客を楽しませる工夫が様々に施されている。 この頃になると、セックスとバイオレンスを描く男の世界という尖がった部分よりも、家族で楽しめるファミリー向けの映画へとシフトしていっているのかもしれない。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-19 23:49:49)
636.  モンパルナスの灯 《ネタバレ》 
点数は低くつけたが、破滅的な生き方しかできなかった画家モディリアーニが深く描かれており、よい映画だと感じた。アンディガルシアの「モディリアーニ~真実の愛~」とは異なり、これこそまさにモディリアーニの姿なのではないかと感じた。 彼から「絵画は苦悩から生まれる」という一言を聞けただけで、この映画を観る価値があった。アメリカの金持ちに自分の作品を買われそうになったときに、彼が逃げてしまったのもなんとなく分かる気がした。一人の金持ちにそこそこの値段で買われるのならば、生活に余裕がでるだけであり、さほど自分の生活が劇的に変化することはないだろう。しかし、商標として、全世界ありとあらゆるところで自分の作品が人々の目に触れるようになると、否応なく注目されてしまい、自分が自分でなくなってしまうのではないか。確かに、成功は望んでいるものの、魂までも売り渡すつもりはないのが彼の生きる道である。孤独、苦悩や絶望の深くから、魂をすり減らして、いままで作品を作り上げてきたのに、成功してしまうと、もう魂のこもった作品が作れなくなってしまうのではないかというおそれを感じたのではないか。 モディリアーニとジャンヌには、娘が一人おり、モディリアーニの死後、二日後にジャンヌは身投げしてモディリアーニの後を追ったのは有名な話である。しかし、本作では、これらのことは一切触れていない。おそらく、モディリアーニとジャンヌの愛の深さをメインに描きたかったのではなく、画家モディリアーニの破滅的な生き様を克明に描くことを映画のメインにしたかったのだろう。ジャンヌの後追いなどを描くと、やや視点がずれることになると思ったのではないか。 また、死後モディリアーニの作品を買い漁った画商は、まさに現代の様子を表しているかのようで皮肉的である。映画の中では、ゴッホ同様に生前はまったく評価されず、似顔絵さえもつき返され、スケッチなどは見てももらえない。しかし、現代では一枚数億円という狂ったような高値で取引されている。画の中身よりも、モディリアーニという名前だけで評価される、このような状況をモディリアーニが見ればどう思うだろうか。成功を望みながら、成功したくなかったのも少し分かる気がした。ただし、生前1枚しか画が売れなかったゴッホとは違い、モディリアーニは病死する直前には結構いい値で、実際には画が売れていたようではあるが。
[DVD(字幕)] 5点(2006-10-20 00:19:40)
637.  ブラック・ダリア
つまらないというよりも、よく分からない映画。
[映画館(字幕)] 5点(2006-10-15 00:16:39)
638.  裁かるゝジャンヌ 《ネタバレ》 
クローズアップの連続と計算されたかのような見事なカットにより、「臨場感」が一層醸し出されている。まるで、あの場所に迷い込んだかのような錯覚に陥るほどだ。 おそらく監督としては、観客が「ジャンヌ」と一体化できるようにすることを狙ったのではないか。観客は、ジャンヌの苦しみを共有し、信念を貫くことの困難さを感じ、ジャンヌの「受難」を疑似体験する。すさまじい詰問のために、一度は信念が揺らいでしまうが、再び自己の信念に向き合うという「意思の強さ」に美しさを感じるだろう。 また、サイレンス映画としたことも「効果」という面からは成功だろう。映画において、ジャンヌや大司教などが「何かを言っている」ことが描き出される。彼らが何かを言う際の「表情」がすでに何かを語っているようにみえる。我々は、彼らが語る「表情」から何かを読み取ろうとするだろう。そして、少し間を置いて、その「回答」ともいうべき「字幕」が出されるという流れになる。普通の映画ならば、セリフを喋るのと同時に、セリフを聞くことになるので、「なんというセリフをしゃべるのか」という予測を行うことはない。しかし、本作では、「表情」からセリフを読み取ろうという「予測」行為のために、観客はよりディープに、この世界に入り込めるのではないか。 個人的に気になったのは、ジャンヌや他の登場人物の「視線」である。カメラを向いているような視線は一切見当たらない。なぜこのような手法を取ったのだろうか?ジャンヌと同一化できるような狙いが感じられると先ほど書いたが、それとは別の第三者的な客観的な感覚にも陥ることができる。登場人物のクローズアップした表情はみられるが、彼らは決してこちらを見ることはない。メチャクチャな見方だとは思うが、個人的には、このカメラの視線はどことなく「神」的な視線のようにも感じられた。
[ビデオ(字幕)] 5点(2006-09-24 00:11:16)
639.  ミッション・トゥ・マーズ 《ネタバレ》 
サスペンスの巨匠ブライアンデパルマ監督がこんなSFも創れるんだと、まず驚かされた。映像からは、デパルマ監督特有の匂いは感じられない。CGを駆使した創り込みも丁寧であり、新ジャンルの挑戦への気合、既存の自己のイメージからの脱却も感じられ、それなりに好感はもてる。 しかし、映画自体は、「2001年宇宙の旅」をベースにして、「未知との遭遇」「アポロ13」「アルマゲドン」などのSF映画を何もかもごちゃ混ぜにして創り上げられた印象を受けた。「これはどこかで観たな」という既視感を感じさせる映画になってしまっているのが残念だ。 オチ自体は別に悪くはないと思うが、こんな骨だけで肉のついていない脚本でよくここまでの映画に仕立てたものだと少しは監督を評価したい。この地味なストーリーならば、アイディアを各所から拝借しないと、一本の映画としては、もたないだろう。 その他に本作の問題としてテンポの悪さが挙げられると思う。イライラするほどテンポが悪すぎる。おまけにシニーズが事故の際、酸素減少中にも関わらず、なぜかヘルメットを被らないという意味不明な行動をとるため、そのイライラが頂点に達する。 その宇宙船の事故も取って付けたようにしか感じない。脚本が貧弱なためか、ストーリーを膨らませるために「アポロ13」などを参考にしてやむを得ず描いたようにしか感じなかった。 また、それに伴うウッディの死も単なる感動狙いではないか。ストーリー上、それほど大きな効果や意味は感じられなかった。シニーズは病気で亡くなった妻の言葉「別の世界を観たい」や妻の失意がきっかけになって、地球に還らず宇宙船に乗るという決断を下したわけだが、ウッディの死が、誰かの気持ちや行動を変えたというわけではなく、単に火星に到着するための「犠牲」という形式上の効果しか生んでいないのは勿体無さ過ぎる。ウッディの奥さんにもっと大きな影響を与えないと、彼の死はあまり意味はないだろう。シニーズも妻の言葉だけでなく、ウッディからも大きな影響を受けたという風にした方がよりラストの行動の理由付けにも納得がいくのではないか。ラストにウッディのネックレスを渡す(=ウッディの魂も連れて行く)といったことはしているものの、ウッディの死を上手くストーリーに活かすことができなかったことが、本作が傑作にならずに多くのSF映画の中に埋没してしまった理由の一つのようにも感じる。
[DVD(字幕)] 5点(2006-09-13 20:40:57)
640.  戦艦ポチョムキン 《ネタバレ》 
革命を正当化するためのプロパガンダ映画であることは間違いないと思うけれども、映画史や演出の基本理論の勉強などに非常に役に立つ作品だ。 特に、本作における人々の感情の揺さぶり方などは本当に上手いと思う。 第1章「人々とうじ虫」では、水兵たちの胸に秘めた静かな怒りを表わしている。「食」という身近なテーマを描くことにより、「革命」という難しいテーマに対する分かりやすさ、親近感を抱かせ、スムーズな導入という役割を果たしている。 第2章「甲板上のドラマ」では、上官の横暴さを描くことにより、静かな怒りは大きな怒りへと変わり、本来許されるはずがない「反乱」の正当化を図っている。「兄弟!誰を撃つつもりか!」というセリフには、今後の革命などを抑止する働きも生じると思われる。 第3章「死者の呼びかけ」では、「ひとさじのスープのために(一人は皆のために(one for all))」死んだワクリンチュクを失った深い悲しみを、延々と続く人々の長蛇の列を描くことにより体験させようとしている。悲しみの疑似体験は、「皆は一人のために(all for one)」の精神を観ている者に宿らすことになるはずだ。 第4章「オデッサの階段」では、まさに「混乱」を描くことにより、市民が味わった「悲惨さ」を体験させている。また、政府軍の狙撃部隊の表情を映さずに、一糸乱れぬ直線的な行進を描くことによって、機械的な動作として感じさせ、彼らを非人間的な姿に捉えさせるようにしている。有名な乳母車のシーンでは、他のシーンとは異なりできるだけスローに描いている。「動きのあるシーン」の中で一旦動きを緩めて、観客に考えさせる余裕を与えて、感情だけでなく、理性までにも訴えさせようとしているのではないか。 第5章「艦隊との遭遇」では、緊迫感や緊張感を一気に高めて、高めるだけ高めたのちに、今度は一気に緩めて、「兄弟!」「革命万歳」という感情をストレートに観客に植え付けることに成功している。 実に計算され尽くされた奥の深い映画に仕上がっている。これほどまでの映画が、1925年に製作されたことは驚き以外の何物でもない。本作を通じて、「モンタージュ理論」を改めて考えさせられた。シーンに付加された意味を感じ取ることの重要性を考えるだけでも、鑑賞眼はさらに深まるのではないだろうか。
[DVD(字幕)] 5点(2006-09-11 23:59:32)(良:2票)
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