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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 213
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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121.  映画 聲の形 《ネタバレ》 
ずいぶん難しいことをやろうとしてる感じはするし、その試み自体は評価しますけど、作品として成功してるのかどうかは正直よく分からない。原作は読んでいませんが、そもそもヒロインが聾唖である必然性がよく分からないし、彼女が自殺を図ったり、最後に少年少女たちが和解したり、主人公が社会との関係を回復したりする展開に、どんな脈絡があったのかもよく分からない。雰囲気でごまかされた感じもあります。評価しにくいのですが、とりあえず表現の繊細さにちょっと甘めの7点つけときます。 まあ、作品としての出来不出来はともかくとして、生と死のギリギリの狭間で生きているような子供たち(…というより現実に死を選んでいる子供たち)に対して、何らかの表現の形を与えていくことは大事なことだと思いますし、表現だけでなく、そのような弱い子供たちに「生」の可能性を用意していくことも必要なことだと思います。アニメの主人公は命拾いをしていますが、ほんとうなら高いところから落ちて死んでいるのだし、現実の子供の世界でもそういうことが起こっている。そういう社会の状況に一石を投じる意味でなら、この映画の価値はあるだろうと思います。 ちなみに、この物語の受け止め方として、「自分の気持ちを伝えることって大切だよね」とか「他人の気持ちを理解することって大切だよね」とか「自分の存在を肯定することって大切だよね」という理解もありえると思うけど、それはかならずしも作品のメッセージにとって理想的な着地点だとは思えません。そもそも世の中には、自分の気持ちをちゃんと伝えられず、他人の気持ちもちゃんと理解できず、自分自身のこともろくに肯定できない人間が(たとえ大人であっても)たくさんいます。むしろ、そのほうが普通だといってもいい。問題なのは、それだけのことで(子供までが)自殺に追い込まれてしまうような社会のありようです。 異質な人間をいじめようとする排他的な連中も後を絶たないわけですが、彼らをどんなに啓蒙してみたところで、問題は何百年たっても解決しない。 この種の問題を、自分や他人の、つまり個々人の(まして子供の)「倫理感」の問題に還元してしまうのは、議論の方向性として間違っています。それは、どちらかといえば法学的・社会学的な問題です。その視点を逆転させるべきではない。すくなくとも子供の自殺という問題を、ひとりひとりの子供の「倫理感」のレベルに帰着させるような主張は、それがどんなにもっともらしく聞こえるとしても、つねに怪しい(あるいは都合のよい偽善だ)と考えるべきです。子供たちの生きづらさの問題は、結局のところルールやシステムの改善によってしか解決できません。ほんとうの意味で「悪い奴」がいるとすれば、それは個々の子供ではなく、既存のルールやシステムを変えることのできない(おもに大人の)連中のほうです。
[地上波(邦画)] 7点(2020-08-01 08:22:27)(良:2票)
122.  今日も嫌がらせ弁当 《ネタバレ》 
「親子愛」というよりも「共依存」のように見えた。子供とコミュニケーションが取りたい母親の気持ちも分かるけど、過干渉にさらされる子供が気の毒に思える。母親自身の楽しみとしてお弁当を作るのならいいですが、結局は子供に何らかの期待や依存をしているようにしか見えません。いちばん気の毒なのは、お弁当による嫌がらせではなく、結果的に親の期待を意識させられて子供の人生が委縮していくことです。当事者に罪があるとは思わないけど、映画作品にする場合、これはたんなる「美談」というよりも、むしろ現代にありがちな「症例」として扱うべき題材じゃないでしょうか。一般に、母子関係を安易な美談として描くことには注意を要する時代だと思います。
[地上波(邦画)] 5点(2020-07-25 18:29:12)
123.  ジュラシック・ワールド/炎の王国 《ネタバレ》 
このシリーズの作品をまともに見たのははじめてです。 食われそうでギリギリ食われない、というのが定番の「芸」というか「ネタ」なんですね。最初からそれがやりたくて島に行ったとしか思えない。はじめのうちは、延々とそればかりやってるので、いいかげんウンザリしましたが、そのうち「そういう芸風なんだな」と割り切って笑えるようになりました。 一方、この映画には、科学倫理や生命倫理を問うような真面目な側面もある。一般的な問題として、遺伝子技術で復活させた生物は保護されるべきなのか否か。いまや絵空事とはいえない話だし、けっこうシリアスな問題だと思います。でも、「人間と恐竜の平和共存」だとか「恐竜たちの平和な暮らし」だとか言われると、いまいちピンとこない。そもそも恐竜って、たがいに食ったり食われたりしてるような生き物じゃないの? 「恐竜の平和」なんて考えたこともなかったです。そんなものあるかしら? 映画の終盤には、人間と恐竜がたがいに心を通じ合わせる『E.T.』じみた展開になってましたが、もはやファンタジーすぎてついていけません。ほぼ『のび太の恐竜』になってますよね。これこそが元祖スピルバーグの芸風ってことでしょうか。『ジョーズ』と『E.T.』をかけあわせて恐竜映画に仕立てたら、こんなふうになるのかも。
[地上波(吹替)] 6点(2020-07-25 06:04:28)
124.  コンフィデンスマンJP 《ネタバレ》 
テレビ版では脚本に不満を感じることもありましたが、この映画版は驚くほどよく出来ていた。映像もゴージャスだったし、脚本にも目立った欠点は感じないし、邦画のエンタテインメント作品としては申し分ないと思います。 はじめから騙されることは分かってるにもかかわらず、ぎりぎりまでシリアスな展開が続くので、その点でいえば、本当に騙されました。放送当日に三浦春馬のこともあったので、なおさらシリアスなロマンスだと思い込んでしまって、かなり真面目に見てしまったせいもある。定番のどんでん返しと、三浦春馬がヘラヘラしながら逃げていくラストには、完全に「ヤラレた~」って感じです。 見終わったあとは、なんだか映画以外のことまで騙されてるような、ちょっと変な気分でした。
[地上波(邦画)] 7点(2020-07-19 00:53:16)
125.  オーシャンズ8 《ネタバレ》 
ゴージャスでカッコイイけど、なんだか延々と犯罪トリックの説明をされていた感じ。終盤は、なんだか都合のよい願望を見せられたような感じ。そして、見終わったあとの印象は「中身がない…。」ってことでした。 女性映画として、これだけ堂々と中身のない作品にしたことを、むしろ痛快と感じるべきかもしれませんが、そう受け止めるほどの度量は持ち合わせていません。ちなみに、このシリーズの映画を見たのは初めて。辛めの点数かもしれないけど、6点。
[地上波(字幕)] 6点(2020-07-11 23:36:39)
126.  レディ・プレイヤー1 《ネタバレ》 
いつものように、冴えないユダヤ人青年みたいな主人公が、女の子や仲間たちと一緒に冒険をする物語。そういう意味では、いかにもスピルバーグな映画だけど、外見がアバターになってる分だけだいぶ新鮮に見えるし、表現の自由度も増している気がします。アバターというのは、自分の本性を偽る部分もある反面、かえって本性が露わになる部分もあるのだなと感じました。「パルジファル」というワーグナーの主人公の名前を使ってるのも、スピルバーグ自身がユダヤ人という現実から自由になったせいでしょうか? 臆面もなくサタデーナイトフィーバーやキューブリックのパロディをやってるのも楽しいし、キングコングやメカゴジラの造形もリアルでカッコよかったです(モンスターバースのキングコングよりずっと出来がいい)。 ただ、残念なのは、前半のヴァーチャルパートが面白かったのに対して、後半のリアルパートが旧態依然としてつまらなかったこと。「現実世界だけが本当のリアルなんだ」ってのが物語の結論みたいだけど、この映画を見るかぎり、むしろヴァーチャルパートのほうにリアリティがあって、リアルパートのほうにはまったくリアリティがないのです。仮想世界では気のいいだけの大男だったエイチが、現実世界で出会ってみたら妙な事情通だったりするのも不可解だし、そもそも世界中から参加しているはずのゲーム・プレーヤーたちが、みんな同じ町内に住んでるのも不自然きわまりない。そういうところが、ヴァーチャル以上に嘘っぽいのです。どうせ舞台が2045年なら、自動車で白昼の町内をカーチェイスするんじゃなく、地球の周りを大型ドローンで飛び回ってもいいはずなのに。 わたしが思うに、実際の未来というのは、リアルな世界よりもヴァーチャルな世界のほうが現実性を増していくはずじゃないですか? かりに企業が個人を支配するとしても、それはリアルに拳銃をもって追い回したり、社員を出社させて酷使するのではなく、やはりヴァーチャルな手法を取るのだろうし。 映像の表現は先進的だったけど、物語のコンセプトがだいぶ保守的だと感じました。映像は8点。物語は5点。
[地上波(吹替)] 7点(2020-07-04 19:20:58)(良:1票)
127.  キングコング: 髑髏島の巨神 《ネタバレ》 
前半部分は、70年代のワシントンやサイゴンの雰囲気が良かったし、前作『GODZILLA』との作風の違いも楽しめたし、軍用ヘリが嵐に突入していくあたりのスペクタクルにも迫力がありました。 ただ、相変わらずトルーマンの水爆実験を正当化している前提や、わざわざ白人を正義にして黒人を悪者にしている図式や、自然界を善悪に分離するような設定が出てくると、根本的な違和感を拭えません。そして、やっぱりガッツ石松が登場するやいなや、その表情や動作があまりにも人間的すぎて、リアリティを失ってしまう。島の原住民の描き方も、あまりに紋切り型すぎて安っぽいです。 そもそも、人間が飼い慣らしでもしない限り、自然界の生き物が自主的に人間の味方をするはずがないですよね。むしろ人間の側こそが、生態系とどうやって折り合いをつけるべきかを模索しなきゃならないはず。そのあたりの基本的なコンセプトが本質的に間違っているし、あまりにも漫画じみている。日本の漫画でさえ、これほどバカな認識で自然のことを描いたりはしないと思います。 今後、このシリーズには、ゴジラだけでなく、モスラやキングギドラも出てくるのでしょうか? かなり日本のことを意識していますよね。冒頭にも日本兵が出てきましたが、ちょっとジャパニメーションっぽかった。今のハリウッドは、日本のアニメや映画の雰囲気を醸し出すのがカッコいい、みたいな価値観をもってるのでしょうか。そのくらい日本のアニメや映画は一定の文化的支配力をもってるのかもしれませんが、そこで日本がどんな風に表象されているかについては、注意ぶかく見ていくべきだと思います。 ストーリーは4点ぐらい。スペクタクル要素に加点して6点です。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-28 18:56:13)(良:2票)
128.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
壮大な悪夢を見ているような映像はたしかに凄かったのですが、いったい何が起こってるのかほとんど理解不能でした。渡辺謙が「ゴジラは《調和》の怪獣だから殺さないでくれ」と言い出したときは「おいおいおい…」とツッコまずにはいられない。調和もなにも、ゴジラが2、3歩あるくだけで世界が滅びそうなんですけど…。(ラストサムライが「武士道のためなら村人を犠牲にしてでも戦う」と言い始めたときにも「おいおいおい…」と思いましたけどね。それと同じくらい意味不明な妄言だったと思います) アメリカ人ってのは、日本人が意味不明なことを言うと「なんかスゲーッ!」って感じるのかしら?  ラストシーンでは、ゴジラが米国民たちの喝采を受けながら海に去っていきました。まるで西部劇に出てくるさすらいのガンマンみたいに。はたしてゴジラにとっての《調和》とは、生態系を守ることだったのでしょうか? それとも、人間社会を守ることだったのでしょうか? 善玉生物を利用して悪玉生物を駆逐するという発想は、きわめて人間的な価値観にもとづくものです。それは《調和》というよりも、人間が生存するための《戦略》ですよね。わざわざ僧侶みたいな日本人を登場させて禅問答をしなくても、アメリカの軍人に「ゴジラを利用してムートーを倒そうぜ」と主張させれば済む話だったと思う。 ちなみに、この映画は、初代ゴジラにも最大限のリスペクトを払ったらしいけど、「米ソの水爆実験は怪獣を殺すためのものだった」という話が出てきたときにも、やっぱり「ん??」ってなりました。初代ゴジラの視点が捻じ曲げられているし、現実の核実験をフィクションのなかで正当化するのはいかがなものでしょうか? 映像的には8点ぐらいつけたいけど、あまりにもワケが分からないので6点。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-22 18:46:46)
129.  バック・トゥ・ザ・フューチャー 《ネタバレ》 
のび太君がタイムマシンで過去に戻って、ちゃんと自分が生まれてくるようにパパとママをくっつけて、ジャイアンのこともやっつけてくるという物語。現代に帰ってきたら、パパとママはグレードアップしていて、家族はお金持ちになっていて、ジャイアンは家族の手下になっていて、しずかちゃんともよろしく結ばれました!って感じのマンガです。タイムマシンを開発したのは、(アインシュタインという名の犬型ロボットじゃなく)いかれたマッド・サイエンティストだったけど、テリー・ギリアムの描くようなブラックな世界観ではありません。ただ、北アフリカのテロリストからプルトニウムを盗んでくるという設定が、当時の米国人にとってどれほど切迫感があったのかは、ちょっと気になるところです。登場人物たちの服装も、ヒューイ・ルイスの音楽も、ゴチャゴチャした映像のセンスも、いかにも80年代らしい俗っぽさを見せていて、率直にいえばダサいです。チャック・ベリーがロックンロールを生み出した時代から黒人の市長が活躍する時代へ、ロナルド・レーガンが俳優だった時代から大統領になる時代へ、という米国の歴史もいちおうは織り込んでありますが、とりたてて上手いというほどでもありません。この映画をもって歴史的な名作だとは言いがたいけど、まあポップコーンを食べながら家族でバカ笑いできる子供向けのアメリカ映画としてなら、だいぶ出来がいいとは感じます。ここまで底抜けだと、たしかに意味もなく笑えてきますよね。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-15 10:20:00)
130.  ジャングル・ブック(2016) 《ネタバレ》 
『もののけ姫』のディズニー版かと思って見はじめたのですが、内容的はまったく違っていました。わたしは原作のことを知らなかったのですが、なんと19世紀の小説だったのですね。自然保護のような理念がまだ存在しなかった時代の冒険ファンタジーです。どうりで物語の価値観が理解できないはずですよね…。パディントンやキングコングが歌い出したり、絶滅危惧種のトラを焼き殺したりする物語のなかに、現代的なエコロジーの視点は見あたりません。動物たちは「生態系の均衡」を守ろうとするのではなく、むしろ「義理と人情」を守ろうとしているようです(笑)。文明批評の要素も感じられません。 そんな前時代的な空想小説が、何故いまもアニメ化されたり映画化されたりするのか知りませんが、それほど英米では愛されているのかしら?さすがに現代の価値観には通用しない題材じゃないかと思えてなりません。 でも、CGのスペクタクルとしてはかなり楽しめたし、エンターテインメントとしては成立してました。そこを高めに評価して7点にします。日本語の吹き替えは、CGのリアリティを損ねていたので、原語の音声と字幕で鑑賞しました。
[地上波(字幕)] 6点(2020-06-07 08:53:46)
131.  キングダム(2019) 《ネタバレ》 
物語の題材にも、出演陣にも、何ひとつ期待ぜずに見たのですが、けっこう面白かった!(笑) まず脚本がシンプルなところがいいですね。非常に明快で、欠点の少ない脚本だと思いました。古代中国の戦争物語ではありますが、日本人が中国人を演じることの違和感もそれほど障害にならなかった。石橋蓮司や六平直政などは、むしろ中国人にしか見えなかったくらいです。大沢たかおのウッフンキャラも魅力的でした。 とりたてて大掛かりなセットが組まれているわけでもないし、CGが多用されているわけでもないし、王宮のシーンなんかはわりとミニマムなセットで撮影されていたように見える。でも、けっして物足りないとは感じませんでした。金をかけりゃあいいってもんじゃないのですよね。しっかりした物語と想像力があれば、限られた予算内でも十分に出来るのだなと思います。エンターテインメントだと割り切って見れば、やたらとスケールだけが大きい陳凱歌の中国映画なんかより、ずっと出来がいいかもしれません。 最後になって気づいたけど、これって始皇帝のお話なんですね。このシリーズが海外でも成功するようなら、日本の実写映画の可能性はかなり広がる気がします。
[地上波(邦画)] 7点(2020-06-01 07:24:08)
132.  今夜、ロマンス劇場で 《ネタバレ》 
死ぬまで二次元の女性しか愛せなかった映画オタクの男と、リアルの世界に憧れ続けたスクリーンの妖精との切ない恋物語。さしずめ「鶴女房」と「人魚姫」と「さびしんぼう」と「ニューシネマパラダイス」をぜんぶ足してから4か5で割ったぐらいの感じです。マキノ省三が、久我美子とガラス越しにキスしたり、オードリー・ヘプバーンとローマの休日したりしてるっぽい小ネタも散りばめられています。 なかなかコンセプトとしては面白いし、キャスティングも悪くないと思うけど、いかんせん脚本が不器用すぎるのでは?ディテールの積み重ね方が下手くそだから、感情の流れがぎこちないし、ファンタジーの設定も理解しにくいので、なかなか話に入り込めない。結果として、コンセプト止まりの映画になってしまっている。もうちょっとシナリオを作り直せば、そこそこの佳作にはなると思います。
[地上波(邦画)] 6点(2020-05-17 08:44:37)(良:1票)
133.  天使にラブ・ソングを・・・
おバカな内容のポップコーン映画です。アメリカ人の観客ならゲラゲラ笑って楽しむのでしょうね…。何かしら社会的なメッセージが含まれている気もするけど、よく分かりません。 舞台はカトリック教会で、歌っているのは白人女性で、さして合唱シーンが多いわけでもなく、とりたてて感銘を受けるほどの演奏が聴けるわけでもないので、これを「ゴスペル映画」のように見なしているのは、たぶん日本人の勘違いによるものでしょう。続編はまだ見ていませんが、これよりはゴスペルっぽくなっているのかしら? 考えようによっては、米国のプロテスタント勢力が、カトリックの閉鎖性を揶揄して、自分たちのほうが開明的だとアピールするための映画だったのかもしれません。ちょうど南部の福音派とネオコンの勢力が強まっていく数年前に作られた映画だし。
[地上波(字幕)] 5点(2020-05-16 14:40:08)
134.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
「子供を喰いものにしながら生き長らえる毒親との葛藤」というシリアスなテーマを、子供向けのアニメとして明るく見せてしまっていることに驚きます。表向きはたしかに、コミカルな演出と、勧善懲悪的なキャラ設定と、予定調和的なハッピーエンドに包み込まれていますが、よくよく考えると、この映画は、子供たちに向けて「君たちの親はニセモノかもしれない」「どこかにホンモノの親を探したほうがいい」「親の言いなりになるなら泥棒と結婚するほうがマシ」というメッセージを送っている。もちろん自分まで泥棒になるわけじゃなく、あくまで自分自身の内なる高貴さを信じなきゃいけません。 賛否両論はあるでしょうが、たしかに世の中には、このようなメッセージを必要としている子供たちがいるだろうと思う。わたしは、そういう社会的な意義においてこそ、このアニメを評価できると感じました。 マザー・ゴーテルが悪者であることは映画の冒頭で明示されますけども、かりに途中でそのことに気づくような展開だったとしたら、これはかなり衝撃的な物語に変貌するはずです。わたしたちは、最初からゴーテルが悪者だと知っていればこそ、彼女が転落死しても「ざまあみろ」と喜ぶだけですが、実際のところはそう単純な話ではない。曲がりなりにも18年間自分を育てた母親を死なせたときの主人公の精神的なダメージは、かなり深刻なものになる。そこらへんの葛藤をすっとばして、底抜けにハッピーな成長物語として明るく笑い飛ばしてしまうディズニーの大胆不敵っぷりに率直な驚きを禁じえません。 映画の出来不出来にかんしていえば、せいぜい可もなく不可もなくといったところです。むしろ重たすぎるテーマをカムフラージュするためには、出来すぎていないのがかえって美点かもしれません。 ちなみに、酒場の裏手に巨大なダムが存在する理由と、それがもろくも決壊してしまう意味は何なのか、まったくもって謎でした。
[地上波(吹替)] 6点(2020-05-02 10:46:48)(良:1票)
135.  モアナと伝説の海 《ネタバレ》 
かなりの超大作ですね。よくこんなものが作れたなぁと感心してしまいます。逆にいうと、ここまでの映像美とスケール感でしか表現できないような難しい題材に取り組んでしまったのですね。ジブリの『もののけ姫』の場合もそうだけど、この種の題材って「よく分かんないけど、なんかスゴイ」という形でしか表現しえないのだろうと思う。「自己実現」の物語でもあり、「救済」の物語でもあるけれど、それ以上に、やはりこれは「自然への畏敬」を喚起させるための善悪を超えた神話です。であればこそ、物語に収まりきらない壮大な背景世界を圧倒的な表現で描くしかない。 テフィティやマウイの造形は「ポリネシア文化への偏見を招きかねない」と批判されてるみたいですが、ディズニーとしてはこれが最善の形なんだろうなぁ。寝釈迦みたいなテフィティは美しかったですよ。その反面、悪役にあたるテカァやタマトアやカカモラの造形は、だいぶフェイク感が漂ってて安っぽかったです。あれじゃあ「ジブリの物真似」といわれても仕方ない。自然の脅威というものを、もうすこし想像力ゆたかに造形化してほしかった。あまりにもマンガじみています。 とはいえ、「ポリネシア神話」という過去に類例のない題材を、これだけの表現で描いてみせた点は評価に値すると思う。とりわけ幼いころのヒロインがヨチヨチ歩きで海と戯れるシーンは、3Dアニメとは思えないほど表情豊かで美しかったし、生き生きした神秘性とリアリティが相俟って、思わず息を呑むほど見入ってしまいました。映像そのものに説得力があって、言葉や台詞による説明を要しませんでした。主題歌のメロディにも、胸を締めつけるような純粋さと美しさがありました。
[地上波(吹替)] 7点(2020-04-18 08:40:10)
136.  シンデレラ(2015) 《ネタバレ》 
いまさらディズニーのシンデレラなんて…とは思ったけど、せっかく地上波でやるのならと思って見たのが正解でした。じつに王道的な内容ですが、思った以上によく出来ています。とくにCGの映像は見事。たぶん馬は実写で鹿はCGだと思いますが、馬と鹿が出会う場面にまったく違和感がない(日本語的には「馬鹿」ですけど…笑)。ネズミやトカゲたちも、実写のなかに自然と溶け込んでいます(アヒルは「アフラック」を思い出させるけど…笑)。強いていえば、魔法使いの老けメイクだけがちょっと嘘っぽかったかな。 カボチャの馬車の美しさは絶品です。それからガラスの靴も美しい。重厚感のある舞踏会のシーンにはウットリしてしまいます。草むらの遠景や森などの風景も、往年の名画のようなオーソドックスで風格のある映像になっています。 ストーリーはごくシンプルで、変にこねくり回すことなく、ほぼ旧来どおりですが、多少のアレンジが加えてあります。冒頭で実母が魔法使い(フェアリーゴッドマザー)の存在を予言するのは、上手い具合に伏線として機能しています。王子が森でいちどシンデレラと出会うのも、舞踏会で一目惚れするよりはだいぶ説得力が増しますね。秘密の花園でブランコをこぐシーンは、ちょっとエッチな隠喩めいてる(?)気もするけど、ここでいちどガラスの靴が脱げるのもいいですね。王子は、ここでいちどシンデレラに靴を履かせているので、最後にシンデレラを探し当てるときには確信があるのですね。 強いてストーリーに気になるところがあるとすれば、父が再婚する動機かなあ。アニメのときは娘のために再婚したのですけど、この映画では自分の愛欲のために再婚している。しかも継母がやたらと美しいのです。リアルといえばリアルですけど、やっぱりちょっと父が不純な存在に見えてしまいますね。 それから、王子は、シンデレラを探すために莫大な予算を使って舞踏会を開き、国のための政略結婚を反故にして彼女を王妃に迎えるのですが、その選択に説得力が与えられるためには、王子に鹿狩りをやめさせたシンデレラの「勇気と優しさ」が父王にも伝わるべきだったかなと思います。
[地上波(吹替)] 7点(2020-04-14 03:09:17)(良:1票)
137.  翔んで埼玉 《ネタバレ》 
ギャグ漫画家として知られている魔夜峰央は、じつはビアズリーなどの西洋絵画や、萩尾望都・美内すずえなど少女漫画の系譜を引いています。二階堂ふみが演じるお耽美キャラとBL(やおい)のエピソードは、その傾向をよく体現しています。 この映画は地域格差をテーマにしています。「地域」の格差が「貴賤」の格差を生むという差別的な構造です。平安時代の日本には、京都を中心とする貴賤格差があり、卑しい者たちがやんごとなき人々に跪くという光景が日常的に見られたはずです。武家社会になっても、日本人どうしが国ごとに分かれて戦ったり、隠れキリシタンに踏み絵を強要するなどの差別がありました。それを現代の日本人はもはやギャグとして笑っているのですが、じつは近現代の日本にさえ「地域格差」や「経済格差」にもとづく優劣の意識は残存しており、そこには少なからぬ差別もあるという笑えない状況があります。数百年後の人類ならば、これをギャグとして笑うのでしょうか? じつは少女漫画も、かなり古典的な貴種願望を描いている場合が多い。いわゆる王子さま願望やシンデレラストーリーは、貴賤にもとづく差別構造を前提に作られており、見方によってはかなりギャグ的な世界です。魔夜峰央は、少女漫画に内在するそのような差別構造をギャグに仕立てて暴露したといえます。 二階堂ふみが体現する「ハイカラ=モダン」な世界に対して、Gackt・伊勢谷友介・京本政樹が体現するのは土着的な「歌舞伎者=ヤンキー」の世界です。この映画は、最終的に後者が席巻して泥臭い世界が覆い尽くす結末になっています。世界を「モダン化」して引き上げるのではなく、世界を「土着化」して引き下げるというイメージです。そのことが、この映画の価値観を、西洋的なものではなく、アジア的なものにしています。そこが東映らしいのかもしれません。
[地上波(邦画)] 6点(2020-02-11 00:17:33)(良:1票)
138.  最初の晩餐 《ネタバレ》 
永瀬正敏と斉藤由貴が出演していることもあり、相米慎二の作品(『台風クラブ』や『あ、春』)を意識しながら鑑賞しましたが、個人的にはちょっと当てが外れました。 『台風クラブ』と同じように、物語中盤で台風が通過します。屋外では暴風が吹いていますが、屋内に不穏な空気感はないし、子供たちにも高揚感や不安感は見られないし、いまひとつ台風の臨場感に乏しいです。過去にも台風が来て倒木が父に直撃したようなのですが、その記憶が何を物語っていたのかも分からない。失踪していた兄は、台風が過ぎ去った後にフラリと戻ってくるのですが、暴風のなかを移動してきたわりに何事もなかったような涼しい顔をしている。結局のところ、台風を通過させることの劇的効果とは何だったのか、よく分かりませんでした。 この映画の主題は《家族の秘密》ですので、その点では相米の『あ、春』に似ているのですが、内容はいっそう分かりにくくなっています。斉藤由貴の前夫の死の謎を断片的な情報から考察させるところは、むしろ是枝裕和の『三度目の殺人』に似ています。是枝のサスペンス映画も、私には見せかけの思わせぶりに感じられたのですが、本作の場合も、必要以上に謎めかせた叙述をしていて、やはり思わせぶりだと感じます。 以下、ネタバレになります。 不倫の果ての再婚によって前夫を自殺に追いやってしまった事実を、父と継母は主人公の姉弟に隠し続けていました。唯一、連れ子の兄(窪塚洋介)だけがその真実を知って姿を消し、ようやく長い年月を経て、父の死に際になって戻ってきます。 血の繋がらない父と息子は、かつて登山をつうじて深めた絆をふたたび確かめ合ったかにも見えますが、それは同時に、彼の実父を死なせた仇である男への壮絶な憎しみと赦しを経た結果でもあったはずです。しかし、そのことがあまり明示的に描かれていません。 一方、主人公の姉弟(戸田恵梨香と染谷将太)は、父の死後になって真実を継母から聞かされます。「家族は煩わしいものだけれど、後悔はしていない」という継母の台詞は、この映画の重要な結論になっており、その言葉が姉弟の抱える家族不信を溶かしていくことになります。しかし、それだけでは説得力が弱いと感じました。やはり長年の苦しみのすえに憎しみから赦しへ至った連れ子の兄の思いを、もっと直接的な形で映像化すべきです。彼の憎しみは、血の繋がらない父だけでなく、彼の実母へも向いていたかもしれないのだから。 映画のラストは、父の好物が「おはぎ」であることを会社の同僚だけが知っていたという喜劇的なオチになっています。しかし、これを結末にすることで、ちょっと焦点がぼやけてしまっている。「たがいに理解しあえないのが家族だ」という結論ではなく、それを承知のうえでも「家族を信頼して築いていくべきだ」という結論に至らなければならないのですから、そのためには、やはり継母の言葉だけでなく、腹違いの兄がもたらす何らかのメッセージが必要だったと思います。 ひとつひとつの断片は丹念に描かれていますが、全体の物語の叙述が上手くいっていない。あるいは、描くべきものを必要以上に隠し過ぎている。ちなみに是枝の『三度目の殺人』のほうはレビューしていませんが、採点するとしたら同じ理由で6点です。
[映画館(邦画)] 6点(2020-01-22 12:28:57)
139.  ルートヴィヒ(1972)
批判的な視点で淡々と史実だけを綴ったジャーナリスティックな伝記映画。けっして美しい映画ではありません。むしろ、美しさからはもっとも遠い世界だと思います。ヴィスコンティ自身は、ワーグナーはおろか、ルートヴィヒのことも、まったく愛していないのでしょう。ひたすら冷たい眼差しで、その哀れで無様で滑稽な人生を描いています。ヘルムート・バーガーもロミー・シュナイダーも美しいとは思えません。むしろ露骨なくらいに醜悪でした。あえてドイツ文化のグロテスクな面をあぶりだしているのでしょうか。個人的には、幻想的な映像美とワーグナーの音楽に耽溺できる内容に期待していましたが、そうした要素は皆無でした。安っぽいだけのデカダンが、悲しく虚しい。 個人的な好みとしては6点ぐらい。伝記映画としてなら7点。
[DVD(字幕)] 7点(2020-01-19 07:32:24)
140.  あ、春 《ネタバレ》 
ここでの相米慎二は、思春期の少年少女が走り回る活劇ではなく、松竹ならではのホームドラマを撮っています。多くのシーンはカットが細かく割られています。しかし、相米らしい長回しも依然として健在です。そして、少女が川に入るような通過儀礼はありませんが、川に散骨するラストシーンはあきらかに死と再生の儀式になっています。そういう点では、十分に相米らしい映画だと感じられます。 斉藤由貴が演じる嫁は抑圧されており、情緒が不安定で、発作を起こしては薬を服用し、セックスレスに苦しんでいるようにも見えます。実父を亡くし、夫にも距離を感じており、その心の隙間を埋めるように義父と心を通わせていく。 義父の山崎努は、鶏を絞めて食べたり、生まれたばかりの雛を溺死させたりするのですが、ついには死の床でヒヨコを孵化させます。じつはヒヨコが孵化しないバージョンも撮影されていたらしいのですが、いずれにせよ死に際の山崎努が卵を温めていたことは重要です。かりに孵化しなくても、そのあとの散骨のシーンを見れば、登場人物の全員が再生して若返り、本来の関係を取り戻したことが分かるからです。斉藤由貴は強くなっているし、鳥小屋もどんどん立派に進化している。もはや鶏が黒猫に襲われる心配もないはずです。 これを「義父と嫁の物語」だととらえれば、かなり小津安二郎的にも思えます。一方、「父と息子の物語」だとすれば、そこには佐藤浩市と三國連太郎の関係が暗示されているようにも思えます。三國は、幼い佐藤浩市を置いて去っていった父親でもあり、かつて松竹を去っていった俳優でもあります。88年から松竹の「釣りバカ日誌」に主演しはじめ、91年には山田洋二の「息子」などにも主演しています。そして94年に(これは松竹ではありませんが)相米慎二の「夏の庭」に主演して、かつて妻のもとを去った老人の役を演じています。 映画のなかで山崎努は、佐藤浩市だけが唯一の血縁者であるかのように語ります。同じ漁師歌を覚えていたことから考えれば、(かりに血縁関係がなかったにせよ)山崎努が「紘」と名づけた息子と5年間を過ごしたことは間違いありません。しかし、不思議なことに、佐藤浩市には実兄(三浦友和)が存在します。富司純子は、山崎努が最初の夫だと語っていますから、彼は連れ子でもなさそうです。そのあたりの設定が、わたしにはいまだに理解ができません。ちなみに原作の場合、実姉と義兄が登場していますが、とくに矛盾はありません。 相米慎二の佳作だとは思いますが、キネマ旬報が1位に選ぶほどの名作と評価されたことが、わたしにはちょっと意外です。あまり自信をもって評価できませんが、とりあえず7点つけておきます。
[DVD(邦画)] 7点(2020-01-18 14:17:53)
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