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まいかさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 213
性別 女性
ホームページ http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/
自己紹介 正直、生まれは平成じゃないです。かなり、昭和なムード。昔みた映画を思い出しながらレビューしますので、記憶がずいぶんあやふやかも。なにか変なところがあったら、http://plaza.rakuten.co.jp/maika888/のほうにツッコんでおいてください。

好きな女優
 「或る夜の殿様」の山田五十鈴、「近松物語」の香川京子
好きな男優
 「お茶漬けの味」の佐分利信
好きなキャラクター
 グレムリンちゃんとマシュマロマン

☆評価基準
10点:超絶。ほとんど奇跡。
9点:傑作。かつ大好きなんだもーんッ!
8点:傑作だし、好きデス。
7点:素晴らしいです。好みの映画です。
6点:まあ、悪くないと思います。
5点:なにか気になるものはあります(~~;

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161.  檸檬のころ
たとえ退屈で地味な田舎の風景であっても、それを濃密な情感によって表現できてこそ映画の力だと思う。けれど、この作品では、退屈なものを本当に退屈なまま表現してしまってる。多用される沈黙には意味らしきものを感じない。「ただ淡々と描く」と言えばもっともらしいけれど、そうした手法だけに依存しても、それによって表現すべき必然性が伴っていなければ意味が無い。たしかに映像はそれらしく撮ってあるけれど、外見だけ映画らしく繕ってしまったような悪い例。
[DVD(邦画)] 5点(2008-10-26 14:49:55)
162.  ゲゲゲの鬼太郎(2007)
高尾が舞台?の映画ということで興味もってましたが、たしかに高尾ってあんな感じです(笑)。楽しかったので、6点。ねずみ男と目玉おやじは素晴らしいし、微妙にトンチンカンで先の読めない(≒読みようがない)展開も楽しいし、「世界が寛容であるためには間が抜けていることも大事だ」という妖怪ならではのメッセージは得心させるものがあった。ただし、演出はちょっと不満がある。導入部は、もっと怪しげにグイグイ物語世界に引き込んだほうがいい。事務的に前提を並べるだけでは、子供映画としてもツマラナイと思う。また、B級の安っぽさってのは、ワザとらしいほどの「味わい」があってこそだと思うけど、その点が意外に淡白というか、平板で物足りない気がする。そして役者についていえば、室井滋や神戸浩のように「いかにも妖怪らしく」演じる人もいれば、 寛平や獅童や西田のように、ことさら「妖怪風」を出すでもなく、フツーに演じる人もいる。でも、やっぱり私は紋切り型なくらいワザとらしく演じてもらったほうが楽しめるなぁ、と思います。 もっとも、「妖怪らしさ」ってのも、じつは人間らしさと同じように、時代とともに変わるものかもしれませんけれど。 
[地上波(邦画)] 6点(2008-07-09 17:34:51)(良:1票)
163.  バリー・リンドン 《ネタバレ》 
なるほど。物語がシンメトリーになっているんですね。素朴で勇敢なアイルランド人の成り上がりの前半生/巧緻で傲慢な似非貴族の没落の後半生。一部と二部はまるで別の映画でした。一般に、技術的・美術的な側面から、後半部の映像が高く評価されているみたいですが、どちらかというと前半のほうが面白かったです。純朴で勇猛なアイルランド人の、愚かしくも愛すべき人生をユーモアをこめて描くのかと思いきや、後半はそういうことじゃなくなっていくわけですね。主役のライアン・オニールは、前半部ではアイルランドの純朴な青年役がピッタリだと思ったのに、後半では存在感が物足りなくなってしまった気もする。現地では、「そもそもアメリカ人俳優にアイルランド人気質は表現できない」との批判もあったようです。結局のところ、これは大きい映画だったのか、小さい映画だったのか分からない。いわば、もっとも偉大な表現によって、もっとも卑小なものを描いたってことなんでしょう。面白くて、見応えがあって、造りも完璧なのに、いつもテーマの核心部分が“空虚”なのが、どうしようもなくキューブリックらしさだなと思います。最後は、善人も悪人も、アイルランド人もイングランド人もドイツ人も、死んでしまえば皆同じ。きっとこの監督にしてみれば、過去の人も未来の人も、原始人も暴力野郎も、死んでしまえば皆同じなんでしょう。
[DVD(字幕)] 7点(2008-01-27 19:09:32)
164.  TAKESHIS’ 《ネタバレ》 
たけし映画のエッセンスの集大成のような作品。たけしの映画的欲望を好き勝手にぶちまけた感じ。たけし映画のマニアにとってみれば、そのマニア的欲望を満足させてくれるアイテムがいっぱいです。でも逆に言えば、これは過去のたけし映画の引用だけで出来ているような映画だから、とくに目新しさも無い。ですが、そうした《たけし的エッセンス》が物語に拘束されることなく無造作に並べられているため、かえってその本質が露骨に明け透けになってるとも言える。とくに、従来のストーリー作品だったら単にカタルシスとして消費されかねない、たけしの暴力性の部分が、この作品の中ではその「動機」を明らかにしてしまう。それはアメリカ映画のように誇らしい動機ではなく、むしろ惨めったらしくて、日本人なら目を背けたくなるような醜さをさらけ出したもの。その露骨さを物語のエンタテイメント性で覆うこともなく、完全に開けっ広げにしてる。そうした意味でも、これはネタばらしの映画。わたしは、これ以後の作品をまだ見ていませんが、こんなのを作っちゃったら、その後やることなくなっちゃうんじゃないかなあと思う。ちなみに“キタノ・ブルー”がこの作品であんまり青くないのは意図的なんでしょうか?
[DVD(邦画)] 5点(2008-01-18 03:03:11)
165.  花とアリス〈劇場版〉
岩井俊二という人は、「映像作家ではあっても映画作家じゃない」という理由から、事実上、映画ジャーナリズムの本流からは黙殺され続け、評価の対象にすらなりにくい作家です。実際この作品でも、“映像世界”を作ることには長けてるのに、“映画”として語るべきものを何ももってない。でも、そのことは承知の上で、その「うまさ」に最上級の点数をつけたくなってしまいます。8ないし9点つけてもいい。そのくらい、うまいです。映像、音楽、シークエンスの作り方、セリフ・・・、それらのイミテーションを巧みに重ねて、限りなく映画に近い表現を実現できてしまう。ヘタな映画なんかよりずっと巧い。だから、観ている最中はすごく満足できる。だけど、それにもかかわらず、この映像世界と現実世界との間にはまったく回路が開かれておらず、見終わったあとは、不気味なくらいに何も残らない。徹頭徹尾、円環的なメルヘン世界に自閉して終わる。いわば2時間強の、上質のコマーシャル・フィルムを見てるようです。
[DVD(邦画)] 7点(2008-01-14 20:24:06)(良:1票)
166.  キャンディ(1968)
『トミー』とか『ロッキーホラーショー』などの病弱で陰鬱な英国ロック映画にくらべて、このアメリカ的な逞しいロック・カルチャーのほうが、わたしの趣味には合う気がしました。はじめのうちはブニュエルを見るような気分で楽しんでいたんですが、どのシークエンスにおいても、その諧謔的表現が結局は「エロ」に行き着いてしまうので、さすがに途中からは飽きました。ブニュエルに見られるような20世紀初頭の諧的的精神や革命文化は、ある程度はロックの精神にも受け継がれているかもしれないけど、やや多様性に乏しいし、重みにも欠ける。ひっくり返すべきものが単純すぎて軽いんだと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2008-01-13 17:23:33)
167.  バブルへGO!! タイムマシンはドラム式
ずいぶんよく出来てる映画だなぁ、というのが印象です。脚本も上手いし、作りも凝ってる。同じホイチョイ作品の『私をスキーに連れてって』は、わたしの人生の中でも、もっともつまらなかった映画のひとつなのですが、まさにホイチョイこそがバブルそのものだったわけで、いわば、この映画は『彼女が水着にきがえたら、泡ごとバブルに連れてって』というセルフパロディであると同時に、そこにはホイチョイ自身のバブルに対する反省意識が見てとれてしまう。もしかしたら当初の狙いは、バブルの楽しさと豊かさをもういちどスクリーンの上に蘇えらせようってことだったのかもしれないけど、さすがに倫理的にも政治的にもバブルを全肯定はできないって感じが、この映画を、微妙に堅実かつ地味なものにとどめています。タイトルからしても大当たりはしなそうなこの映画に、あえてホイチョイが取り組んだのだから、彼らなりの使命感があったのではないでしょうか。これがホイチョイの転機になればいいですね。
[地上波(邦画)] 6点(2008-01-13 05:10:36)
168.  渋谷区円山町 《ネタバレ》 
少女たちの無邪気で短絡的なエロスはとても魅力的だし、渋谷の街並みにもエロスがあった。とくに沈黙するシーンでのこの監督の意図はいつも明確で、そのつどいちいち官能がある。ただし、少女たちにとても色気があったのに対し、大人たちのエロスは全然ダメ。少女にやすやすと振り回される若い教師はいささか馬鹿っぽい。そして残念ながら眞木大輔は演技が下手。のみならず、(ふかわりょうはともかくとしても)たとえばラブホテルのフロントや街角のミュージシャンに至るまで、登場する大人がいかにも幼稚。せっかく女の子たちがみんないい演技をしてるのに、彼女らを取り巻く大人たちには知性も陰影もなく、深みのある色気なんて皆無に近い。まあそれが今の日本の風景だといわれればそれまでだけど、現在の日本社会の欠陥は、映画表現にとっても根本的な欠陥にならざるをえないのでしょうか。
[DVD(邦画)] 6点(2008-01-13 04:23:05)
169.  メゾン・ド・ヒミコ 《ネタバレ》 
「愛はあるのに欲望がない」と「愛はないけど欲望だけがある」という2つの関係の狭間で泣いてしまう柴咲コウちゃんは、なんだか滑稽で笑えるんですけど、最後は《メゾン・ド・ヒミコ》の優しくピュアな愛情に包まれて幕を閉じる、ささやかで微笑ましいメルヘンに仕上がってます。男が美しくて女がブス・・、これもまさにメルヘンですね(笑)。ゲイを扱った映画ですが、シリアスで閉塞的な結末になるのを避け、むしろ無垢な愛情を信じられるようなナイーヴな物語になってます。男は男でなく、父も父ではなかったけれど、そこにはたしかに愛情があったという、これって、やや浮世離れはしてるものの、ひとつの理想なんですね。ただし、「父の死」と「母の真実」の部分は、もっと強いインパクトで描かないと、ラストに結びつけるためのエピソードとしては弱い気がしました。技術的な面では、昨今の日本映画としては上出来です。コウちゃんのキャラがややテレビ的というかマンガチックな印象があるけど、海辺に建てられた《メゾン・ド・ヒミコ》の美しさが魅力的だったので全体として満足できました。「編集にミスがある」という指摘もあるようですが、わたしが見るかぎり初歩的なミスは無いように思います。
[DVD(邦画)] 7点(2007-12-29 23:41:17)
170.  悲情城市
映画史に叩きつけたとんでもない傑作。と同時に、侯孝賢の作品の中では特異なほど密度の濃い映画でもある。彼の他の作品に比べて、ここには画面の外側に広がりを感じさせるような余裕がないし、時間の流れの中にも、ゆったりとしたものを与える余裕はない。それどころか、逆にこの映画の画面と時間の枠の中には、実際に描かれるエピソードをはるかに超えた大きな歴史の背景や出来事、あるいは壮絶な人間の関係や感情が、すべてギッシリと詰まっていて、映画の重圧感が物凄いです。まさに「歴史」というものの映画的表現があるとすればこれだと思わせるような力技。個人的には『童年往事』のようなゆったりとした作品のファンだったけど、さすがにこれは、好みの問題がどうあれ傑作だと考える以外にありませんでした。呆然とさせられるくらいに映画が凄かっただけ、エンディングがS.E.N.S.の音楽だったのは安易な感じがしたけれど。
[映画館(字幕)] 10点(2007-09-07 03:38:47)
171.  恋文日和
「イカルスの恋人たち」を演出した永田琴恵という監督は、ほかに成人向け作品なども撮っている人らしいのですが、映像のつくりがとても官能的。4作品の中でこれだけが突出した印象を残しました。死者が恋人にビデオレターを残すという話は使い古されたものだし、“手紙”をモチーフにしたストーリーとしても、収録4話の中で一番ひねりのないものなんだけど、それだけに演出と映像で見せる官能がストレートに出ていました。とくに中国人役で登場する當山奈央というミュージシャンの美しさが際立っていて、この配役はちょっと驚きでした。大衆食堂のシーンなど印象に残る美しい絵がいくつかあったし、画面の上下を逆さにするなどの工夫した映像も、きちんとした意図を感じるものでした。映画的な話法としても、この作品がいちばん安定してたように思える。 「イカルスの恋人たち」が7点、他は4~5点ぐらいです。
[DVD(邦画)] 7点(2007-09-04 02:19:29)(良:1票)
172.  ラストタンゴ・イン・パリ 《ネタバレ》 
中年のゲスおやじ、ブサイクな田舎娘。その、リアリティにあふれる生々しいエロス。こんなにも暴力に満ちあふれた性の行為を、これほどまで美しい映像で魅せてしまっていいんでしょうか?この美しさはちょっと犯罪的じゃないのでしょうか・・? でも実際は、ここで繰り広げられる暴力的なエロスは、たんなる“性欲”なんてものではなかった。「名も知らぬ男にレイプされそうになったので撃った」という言葉によって消去されてしまう彼らのエロスというのは、ほとんど“存在そのもの”だったと言っていい。それは名前とか身分によって示される表向きの存在とは違う、もっと切実に自らの生を根拠づける何かだったし、それゆえにお互いにむさぼるように求め合ったものだった。ラストは、ある意味、わたし自身が撃ち抜かれてしまいました。おそろしく悲しい映画。きわめて格調の高い映像美に、救いがたい下品さが共存することで、悲しみがいっそう深まっているように思います。傑作。
[DVD(字幕)] 9点(2007-08-31 02:32:55)(良:1票)
173.  オペレッタ狸御殿 《ネタバレ》 
いろんな意味で予想と違いました。まさに“狸にばかされた”って感じです。 かつての大正から昭和初期(戦前)を舞台にした清順作品と同様、美と享楽のためには暴力を愛することも厭わない「安土桃山」という時代設定は、やっぱりファシズムの臭いをそこはかとなく漂わせてたし、オダギリジョーの美しさを引き出すためにも、この耽美的な時代設定は正解だろうと思った。けれど、実際には、オダギリジョーは期待したほど美しくない。色気にも乏しい。それどころか、終盤になって美空ひばりが登場するやいなや、物語は、戦後=昭和的なヒューマニズムによって救済されて、前半部のファシズムの臭いなんてキレイさっぱり洗い流されてしまう。そして人の良い「狸ばかり」が巣食う戦後日本の、平和かつ人情にあふれた価値観が、高らかに肯定されつつ謳いあげられて、すっかりハッピーエンドなんですから、もう鈴木清順のことを「大正時代の人」なんて呼ぶことはできません。チャン・ツィイーの美しさがこんなにも「狸っぽい」なんて驚きです。まあ、キツネにばかされる陰鬱さに比べたら、狸にばかされるバカっぽさのほうが人情味もあって楽しいし、キライじゃありません。狸のおかげで、まるで日中戦争なんて無かったかのように思えました。それから、唐突過ぎるカットの割り方、羞恥心のないズームアップなどをあらためて見てたら、清順の映像感覚って、もともとポルトガルっぽいところがあるんだな、なんてことも思った。
[DVD(邦画)] 7点(2007-08-29 04:21:26)
174.  ハリーの災難 《ネタバレ》 
 森に横たわる死体をめぐって右往左往する4人の男女。でも、そのわりには、4人ともなぜかとっても楽しそう(笑)。不謹慎ですが、死体がひとつあるだけで、人生がこんなに楽しくなるなんて‥。 風景は美しいし、恋の予感があふれてるし、それでもやっぱり死体は転がってるし、人生って何て素晴らしいんでしょう‥!!この大の字に横たわってる死体は、どう見ても、この美しい田舎町に一つの彩りを添えてしまっています。  ヒッチコックがこの題材に注目したのは、アントニオーニが『欲望』を撮ったのと似た理由だったと思える。「物理的な死」に対して、「出来事としての死」というものの不確かさ。ハリーの死体が、アーニーによって再び発見されることによって、結局ハリーは「昨日死んだのか、今日死んだのか、明日死んだのか」さえ解らなくなるはずですが、アントニオーニの『欲望』は、ちょうどアーニーの視点から見た『ハリーの災難』だったように思えてきます。『欲望』では、同じ題材が虚無的に描かれてるけど、ヒッチコックはそれを滑稽に、また肯定的に描いてるとさえ言える。『欲望』について様々なことが考察されてるように、この映画でも色んな考察ができるのかもしれません。
[DVD(字幕)] 7点(2007-08-28 17:31:32)
175.  ラスト サムライ 《ネタバレ》 
「武士が命をかけて守るべきものは武士道それ自体である」という奇妙に自己目的化した論理や、その「武士道」を守るために村人まで犠牲にして抵抗することの本末転倒な感じに対しては、常識的にいって違和感を禁じえません。ここに描かれているのが「正しい日本人の姿」だとも考えにくいし、これを観て「日本人でよかった」という気分にもなれない。けれども、異文化を力でねじ伏せ、今なお征服することを続けている米国人が、この作品を通して、彼らなりの「反省意識」を表現しているのだと考えれば、その意味において、このハリウッドの姿勢を評価することはできます。逆に、そうとでも考えないと、ここで描かれる「武士道」はあまりにも理解不能です。多分この映画は、米国がアラブ世界との確執の中にあった2003年という時期だったからこそ、意味をもちうるんだと思う。アメリカ人たちは、ここに描かれている「武士道」を、みずから「自爆」することを厭わないアラブの人たちの「イスラム的な価値」に重ね合わせざるを得ない。のみならず、日本人の中にも、こうした「武士道」に惹かれる人たちは決して少ないわけじゃない。たとえそれがいかに理解不能で、非合理な価値観に見えようと、他文化に対する畏敬の心を失ってはならない。それらをむやみにねじ伏せるだけが正義ではない。‥そうしたアメリカ文化人たちの(彼らなりの)反省的自意識が、日本に舞台を借りた形で、ここに表現されてるってことじゃないでしょうか。
[DVD(字幕)] 6点(2007-08-05 23:31:36)
176.  珈琲時光 《ネタバレ》 
侯孝賢が偉大なのは解ってるけど、なぜ彼を「小津安二郎」に結びつけるのか、まったく理解できなくて、そういう考え方も風潮もキライだった。そんなこともあって、この映画の前半部分はまったく興味をもてなくて、とくに高崎のシーンは「こんなに凄い監督が撮ってるのに、どうしてこんなにも、日本の風景ってつまらないんだろう‥」とショックすら感じてた。ところが、ある瞬間から、急に目が離せなくなりました。主演の2人が喫茶店を捜し歩く場面。カメラが銀座の通りの一角にあるビルを見上げたとき、その壁の映像を見て、不思議なことに「あ、小津だ」と思ってしまった。そして、そこから先は、もう何かの暗示にかかったみたいに、何を見ても全部「小津」に見えた。カメラが止まってようが動き出そうが、そこに映ってるのが稔侍だろうが忠信だろうが、何もかもが「小津」っぽい。つーか、そもそも「小津」って何??‥みたいな(泣)。そのうち浅野忠信が佐田啓二に見えてくるし、向かい側に座ってる女の子が原節子だったように思えてくる。そりゃあ、今の世の中、笠智衆の娘だってシングルマザーになるわよねぇ、‥みたいな。もはや近所にお酒を借りに行ったり、父親が口下手だったりするのは「蛇足」にすら思えてしまった。テーブルの表面でうっとりするように反射する光。現代人たちが足早に行き交う街頭の、不思議な穏やかさ。かりにこれらが「小津」じゃないとしても、そういう風景は紛れもなく美しかった。  つまり、こういうことでしょうか?昨今の日本の映画が昔のように美しくないのは、べつに風景や社会や人間が変化したためではなく、たんにカメラのせいなんだと。カメラが然るべき方法でちゃんと撮れば、現代日本の風景だって小津のように美しくなるのだと。そういうことでしょうか?素人のわたしには解せないし、現代日本の風景がこんなに美しく、しかもそれが「小津」っぽく見えるなんて、どうにも詐欺としか思えないんだけど、いつしか陽水の作った一青窈ちゃんのエンディングテーマを聴きながら、ぼんやり「これも小津っぽい音楽だな‥」と感じてしまう自分がいました。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-07-31 02:03:20)(良:1票)
177.  スウィングガールズ 《ネタバレ》 
たとえばインドあたりで大量に生産されているエンターテイメントミュージカル活劇なんかを、目をほそめて、寛容な気持ちで楽しんでみてくださいと言われれば、それは私にもできる。つまり、一定の軽蔑心や侮蔑心をもって、同時に寛大な気持ちももった上でその作品を眺めてみろと言われるんなら、そのたぐいの映画を鑑賞することもできる。けど、自分の国でつくられた映画を、同じような気持ちで眺めてみろと言われても私には出来ない。ただ軽蔑心と侮蔑心が湧き上がるだけで、まったく楽しむ気持ちにはなれません。たんに不愉快なだけ。「山形」という要素が、そういう寛大な鑑賞を可能にさせているんだとしたら、それは山形に対してすごく失礼です。(もちろんインド映画でそれが可能だというのも、インドに対して失礼ですけど。) 「楽器の中からネズミが出ました。笑ってください」・・テレビのバラエティ番組でも、ここまで非-文化的なものは見たことがありません。もしこれが意味を無化したり落下させたりすることの逆説的な笑い(=ナンセンスギャグ)だというんなら分かるけど、この映画に出てくるネズミやゲロはそうじゃない。かといって、それは映像的な直接性の表現でもない。矢口史靖の映画に出てくるゴキブリやネズミやゲロは、「ゴキブリ」や「ネズミ」や「ゲロ」ってものの価値の低さを直接笑ってくださいってことでしかない。子供が「うんこ」のことを笑うのと同じように笑ってください、と。これはほとんど文化の否定に近い。こういう映画が興行的に成功するというのは、文化的に言って問題だと思う。
[DVD(邦画)] 5点(2006-03-29 02:54:10)(良:5票)
178.  CASSHERN
2004年度のキネ旬のベストテンでは10位内にも入ってなかったけど、もう少し畏れをもって評価すべきであって、それほど自信をもって無視したり切り捨てたりもできないと思います。  この映画が「2時間20分を費やしたプロモビデオだ」という言い方は、わたしも同感なんだけど、別にそれはこの映画を非難する意味でじゃなく、むしろ、それ以前にこの監督が作ってきたプロモビデオが、とても4~5分の時間枠にはおさまらないほどの豊かな作品性と思想性をもつものだったので、これを見ると、「あらためて2時間20分かけたプロモビデオなんだ」という気がします。ただし、この映画、「PV的」なわりには、意外に“音楽的なセンス”には欠けてる。使ってる音楽の問題だけじゃなく、ストーリーテリングそのものにも、いまいち音楽的な感性が足りない気がする。なんか、ガクガクしてる。一枚一枚の絵はとても感性的に作られてるのに、それが時間の流れの中では十分感性的にメロディを奏でられてない。本来なら、物語そのものにも激情と静寂があったり、抑揚とか緩急みたいなものって必要だと思うんですけど、なんだか、ずっと金太郎アメみたいに、同じ感情、同じ速さ、同じ重さが続いてしまうみたい。よくいえば、それだけ緊張が持続しているってことなんだけど、もう少し音楽的な膨らみとか感性的な豊かさがあったほうがいいと思います。つまり、この「2:20の Music ビデオ」は、映像そのものは頑張って作ってあるけど、むしろ音楽的な面においてあまり出来が良くないんじゃないかってのがわたしの感想です。  説明的なセリフがくどいという批判もあるけど、あそこまで各人物がグルグル語り続けるってことは、ほとんどポリフォニー的なものなんだと思う。そのへんの表現も、もうちょっと器用にできてればよかった。
[地上波(邦画)] 6点(2006-02-13 05:25:02)
179.  パッチギ!
この映画が「政治的な作品」じゃないと言えばウソになる。でも、それ以前に、何より「映画的」な力を爆発させてることによってこそ、まずもって、この映画は確実に評価できます。 ・・・とはいえ、この映画がこんなふうに「映画的な力」に満ちてるのは、やっぱり、その根底に「政治的」であることをも恐れないような姿勢があったからじゃないかと思う。いまの日本映画って、現実を逃避するためのフィクションに徹したものばかり。あるいは、現代人の閉塞した内面性をウジウジと描写したような作品(つまり私小説みたいな映画)とかもあふれてる。でも、ウジウジした内面性にこだわることが「映画の力」に結びつくとも思えない。 本来は、そんなふうに虚構とか内面とかに逃避した作品じゃなく、日本の社会が直面している、もっとも困難で扱いづらいテーマについて、なりふりかまわず「パカッ」と開くような、そういう力強い作品こそが、映画に力をもたらすんじゃないでしょうか。べつにプロパガンダ的なメッセージとか、政治的な主張が提示できなくても、とりあえずは、全部ぶちまけてしまうこと。さまざまな断面を見せてしまうこと。良いんだか悪いんだかも分からないまま、とりあえず、そこに映画的なエモーションをぶち込んでしまう事。そこからしか、現代の日本映画に「力」なんて生まれてこないんだってことを、この映画はみごとに証明してると思う。 実際、この映画のクライマックスは、映画的なエモーションを見事に体現しています。「映画」を、ちゃんと見せてくれている。だから観客は、まずはとりあえずそれを“観れば”いい。 したがって、観ないよりは、断然観たほうがいい作品になってます。その点で、井筒和幸という人は、映画監督として非常に正しいことをやってると思いました。
[DVD(字幕)] 7点(2005-09-26 21:54:51)(良:5票)
180.  手錠無用 《ネタバレ》 
まるで「勝新版・ルパン三世」みたい。雷蔵や勝新の時代劇シリーズを撮った職業監督が、現代劇のなかで、キレのあるスタイリッシュな映像を見せてます。しかも、ほんとにルパン三世みたいにおシャレ。69年ですから、時代もちょうどマンガ連載の始めのころかな。藤田まことが銭形警部で、佐藤友美が峰不二子ってとこです。 パジャマを着た勝新が、ピンク色のベッドで目を覚ますシーンは見ものです!
7点(2004-05-28 22:00:15)
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