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161.  シーラ号の謎 《ネタバレ》 
映画プロデューサーのクリントンは妻を轢き殺した犯人を見つけるために容疑者6人を集め、ゲームを始めた。集まったのは全員が落ち目の映画人で、ゲームの賞品の映画への参加に飛びついた。6人は、それぞれ「前科者」「ホモ」「密告者」「万引き」などと書かれたカードを受け取り、毎日停泊する港に隠された証拠を探し、誰がどのカードを持っているか当てるというもの。ゲームが最後まで進めば犯人が自ずと知れると思えた。だが二日目にしてクリントンが殺害される。犯人を推理する中で脚本家トムの妻リーがシーラを轢き逃げし、逆上してクリントンも殺したと告白。その後自殺を遂げる。事件が解決したかに見えたが、真相は別にあった。メインの犯罪だけでなく、6人の秘密もあり、クリントンのゲームの真意の真相もあり、飽きさせない。アクシデンによる犯行の変更、SHIELAの文字遊び、証拠となる煙草や凶器のアイスピック等にも無理が無い。複数の要素に逆転があり、非常に良く練られた脚本と思う。 ◆最後の謎解きがみんなの前で行わないのが惜しい。みんなが真相に驚くところにカタルシスがあるのだ。船室のインターコムで二人の会話が聞こえていたというオチは見事。 ◆結局真犯人であるトムを警察に突き出すのではなく、リーから受け継ぐ予定の遺産500万ドルで映画を製作するという”ハリウッド的解決”は面白い。真相を暴いたフィリップもクリントンを殺そうと潜水中を狙って船のエンジンをかけたのだから、説得力がある。全員が落ち目の映画人という伏線が効いている。トムは元恋人のアリスと結ばれることを願っていたが、アリスは本気ではなく不倫を楽しみたかっただけだった。クリントンがみんなを集めた真意は、妻の真犯人をつかまえることではなく、6人の秘密を暴いていじめるゲームだった。これもハリウッド的な自虐だろう。 ◆腑に落ちない点もある。休暇で地中海クルージングは分るが、大の大人が六日もかけたゲーム遊びに熱中するかということ。しかも大層なお金と手間暇がかかっている。お金持ちのやることは分らないね。それとリーがクリントンを殺した(ように見えた)シーン。逆上したとしても、あの場面である必然はなかった。フィリップが船室を点滅させてトムをおびき寄せるのはやや不自然。
[DVD(字幕)] 8点(2011-02-12 07:44:39)
162.  蜘蛛巣城 《ネタバレ》 
黒澤映画としては最も重厚な作品。全編を貫く陰惨で怪異で重苦しい雰囲気。鷲津は権勢欲の虜となり主殺しと裏切りの罪を犯した。森の物の怪が未来を予言し、妻が謀反をそそのかしたということがあるが、根底には人間不信がある。戦闘と裏切りと死を繰り返す戦国の修羅の世に生きる武者にとって、人間性を失わずにいるのは難しい。人を信じることが出来ないで過ごす人生は、心が休まることがなく、灼熱に焼かれるような苦しみの連続だろう。物の怪の予言は戦死した武者の亡霊が復讐を企てたもの。鷲津が特別野心が大きく、心が弱かったわけではない。たまたま欲望の陥穽に落ち、魂が悲運の蜘蛛の巣に絡み取られてしまったのだ。 ◆原作では主人公は華々しく戦闘に討つて出て戦死するが、本映画では裏切りにより、刀を抜く間もなく惨めに射殺される。より惨めな死に様を提示することにより、道を踏み外した人間の愚かさ、因果応報の恐ろしさを見せつける。原作の洞窟の三人の魔女を糸車の老婆と武将の亡霊に改変したのも成功している。日本人にしっくりくるのだ。 ◆次の場面が省略されている。①北の館の前主が謀反に失敗し、自決して、部屋が血染めになる場面。②鷲津が眠っている主を槍で殺害する。③鷲津の使いの暗殺者が僚友三木を襲って殺す。④鷲津の妻の死産と狂ってゆく様子。最後にどうなるのか。⑤最終戦闘場面。何れも死を描く場面。考えて見れば、死が直接描かれるのは鷲津の矢だるま場面だけ。それでもいたたまれないほどの陰惨な印象が残るのは映像の力によるものだろう。白黒なのに血が夢に見るほど怖ろしく見える。凄惨な場面をあえて排除したのは監督の観客への配慮だろうが、どこか物足りなさを感じる。鑑賞後。どこかぶつ切り感が残るのだ。想像させるのは重要なこどだが、バランスが難しい。 ◆独特の映像美には讃嘆するしかない。それだけで十分鑑賞の価値あり。もし監督がホラー映画を撮ったら、とてつもなく怖いものが出来上がっただろう。 ◆違和感を覚えたのは、鷲津と三木の二人だけで森を抜けて城に向かう場面。いくら戦闘が終了したとはいえ、準戦闘状態にある中で大将が単騎で行動するはずがない。しかも別々の場所を守る二武将が揃って登城などありえない。二人だけ本隊とはぐれたなどの設定にすればよかった。
[DVD(邦画)] 8点(2011-01-24 22:03:36)
163.  マルタの鷹(1941) 《ネタバレ》 
マルタ騎士団がスペイン皇帝に献上しようとした純金の鷹像をめぐって事件が起る探偵物語。息つく暇もなく謎が謎を呼ぶ展開に幻惑されてしまう。心理描写を排し、謎が跳梁する異色作だ。探偵の元に女が現れ、「妹がどこかの男Aと家出したので連れ戻して欲しい。今夜Aと会う」と依頼する。現場に行った探偵の相棒BとAが射殺される。探偵と相棒の女房が“できていた”為、探偵は警察に嫌疑をかけられる。女を詰問すると、妹の話は嘘で、Aはヤクザの用心棒で敵に殺され、次は自分が殺されると告白。探偵は護衛を引き受ける。小男が現れ、鷹像探しを依頼するが、急に銃を出して家探しをする。探偵は、男Cの尾行を巻いて女の元へ。女と小男が知り合いと分り、二人を会わせる。女は、Aの隠していた鷹像が近く手に入るので小男に売るという。小男が理由を訊くと、大男が町にいるので恐いからという。刑事が訪ねてくる。二人が争って存在を知られるが、探偵の機転で無事に済む。女は、三人で鷹像を探していたが、Aが裏切ったという。窓からCの見張りが見える。翌日小男に会いに行くが、話すことはないという。Bがいたので追い払う。女が事務所にきて、部屋が家探しされて恐いというので、秘書に匿わせる。Bの未亡人が来て、警察に電話したのは自分だと言うので宥めて帰す。大男から電話にがあり、行くとCも居た。大男が鷹像の真相を言わないので怒ったふりをして帰る。そのとき小男と入れ替わりになる。探偵は大男と再会し、鷹像の由来を聞き、取引を持ちかけられるが、酒に仕込んだ睡眠薬で眠らされる。気が付いて秘書に電話するが女は現れなかったという。新聞の船の到着欄の印に気づき、港に向うと船は炎上していた。事務所に戻ると船長が鷹像を届けに来て、その場で死んだ。撃たれていたのだ。女から助けを呼ぶ電話がある。探偵は鷹像をバス発着所に預け、預かり書を私書箱に郵送する。車で女の告げた場所に駆け付けるが、架空の住所だった。事務所に戻ると女が門に隠れて待っていた。部屋に入ると、大男、C、小男が待ち受けており、五人の話し合いとなる。奇妙なのは、三人死ぬが、殺害場面は描かれず、Aは登場さえしない。悪役は全員弱く、怖く無いのが遺憾だ。探偵は推理せず、強気と巧みな弁論で物を言う。結局鷹像は偽物で、話は振り出しに戻る。本物の鷹が登場しないのと、Cが逃亡するのが減点。あの状況でどうやって逃げたのか。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-31 20:29:43)
164.  山猫 《ネタバレ》 
【史実】イタリア統一運動(1815年~1871年)。1848年の革命で「ローマ共和国」成るがすぐ崩壊。サルデーニャ王国が北イタリアを統一。ガリバルディが義勇軍として、千人隊を率いてシチリア、ナポリを解放。統一の英雄となる。中部イタリアでは住民投票によってサルデーニャ王国への併合を決めた。この時の旗に、現在のイタリア国旗である赤白緑の三色旗を基本としたものが用いられた。1861年にはイタリアはほぼ統一され、「イタリア王国」成立。 【感想】王制の終焉を迎え、没落してゆくイタリア貴族(封建領主)を描いた作品。崩壊貴族にさほど興味はないが、歴史や文化の勉強には役立つ。当時の貴族を豪勢に演出してくれた監督に感謝。愛惜の籠った作品で、これこそ映画だ。◆日本とは違う風習が目についた。先ずその信心深さに驚く。家族揃って聖書を朗読する祈祷の時間。土曜日ごとの告解。旅に出るにも神父を連れ。神父が秘書を兼ねているのか。神父の教会はおんぼろ。別荘のある領地に着くと、村人総出で歓迎してくれ、そのまま教会で歓迎セレモニーが始まる。週に三日の舞踏会。飛び跳ねる踊り。公爵は愛人に逢いに行くが、それは神父公認で、訪ねるアパートが貧民層にある。妻はとび抜けて信心深く、夫にへそも見せない。◆公爵は古い人間だが、愚かでは無い。時代の変遷も革命の息吹も感じ取っている。貴族が崩壊する階級であることを理解している。周囲には物分りの良い人物として認知されており、新時代に対応するための布石も打ってある。しかし生粋の貴族である彼には、時代に合わせて利口に立ち回ることはできない。自尊心が許さないし、老いも感じている、何より自分の気持ちに正直でありたい。貴族を盲目的に賛美しているわけではないが、彼にとって貴族でなくなることは、幼少よりの価値観を失うことであり、例えば故郷を失うようなもので、受け入れ難いのだ。◆公爵のそのような感情を表現するのが全編のおよそ3分の1を占める舞踏会の場面だ。舞踏会はまさに貴族の象徴。豪華な屋敷、可憐な衣装、妍を競う女性達、いつ果てるとも音楽と歓楽の世界。同時に堕落した姿であり、退屈でもある。公爵は舞踏会の終焉が近いことを知っている。同時に自分の命が尽きる日が近いことも。たまらず流してしまう涙。若き娘からダンスを申し込まれて、最後の花を咲かせる。火照った感情を冷やすには夜露に濡れて帰るしかない。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-26 17:24:59)
165.  ドクトル・ジバゴ(1965) 《ネタバレ》 
金も時間もたっぷりかけた文芸大作。現在ではほどんと見ることができないタイプの映画。ロケーション、美術、大量のエキストラ、音楽、どれも申し分ない出来栄えで視聴に値する。 ◆戦争、革命、社会変革、価値観の変更。厳しい冬、慢性的な物不足、飢餓と隣り合わせの暮らし。生き延びるだけでも大変な時代。それだからこそ愛に飢えた魂同士は強く結びつき、燃えあがる。共に妻子ある身だが、愛が無ければ生きられない。ラーラの夫が革命家であることもあり、二人は時代に大きく翻弄される。 ◆ジバゴは両親を早くに亡くし、知人に引き取られる。裕福な家庭に育ち、望み通り詩人兼医者になる。政治にはさほど興味がない。義父母の娘と結婚。ラーラは母との慎ましい二人暮らし。母は俗人ビクターの愛人。ビクターに犯され、心の傷を負う。革命家と結婚し娘を授かるが、夫は家庭を顧みない。夫は戦場に行ったきり行方不明に。二人は運命に翻弄されるかのように何度も別れと出会を繰り返す。 ◆ラーラの夫は理想に燃える革命家であったが、後に冷酷な戦争指導者となる。最後は逮捕され自殺。この魅力的なキャラを中途半端にしか描かなかったのはどうしてか?人間性を失った彼と、最後まで失わなかったジバゴ。彼を描くことで好対照であるジバコを際立たせることになるのですが。 ◆ラストは尻切れトンボ。ジバゴの妻子はどうなったのか。ラーラの最後は?ラーラの娘は母とどうやって別れたのか?伝記なのだから、きちんと見せるべき。それに重要なアイテムのバラライカ、持ってるだけで何故誰も弾かないのはどうして? ◆物語として物足りないのは、ジバコが英雄的人物ではないという点。高潔で優しい人物であるが、何かを成し遂げるわけでは無く、思想も持たない。常に受け身である。医者として戦場に送り込まれたり、拉致されたりするが、さほど活躍するわけではない。ラーラとの不倫も偶然的要素が強い。いわば等身大の人間だ。彼の詩が紹介されないので詩人であるという深みが出てない。人間は、戦争や革命といった時代の奔流には逆らえないが、恋愛も同様だと原作者は言いたいのだろうか。歴史的背景を除けばメロドラマだ。ジバコが精一杯生きているは伝わるが、喜怒哀楽をあまり表出しないので共感しづらい。ラーラは憎悪のビクターのお陰で助かり、ジバコと一緒だった死んでいた。ジバコは、ビクターに完敗した感がある。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-24 04:07:03)
166.  チャップリンの黄金狂時代 《ネタバレ》 
アラスカのゴールドラッシュとシエラ・ネバダ入植団の悲劇(カニバリズム)が元となっている。欲のために命を落とし、或いは生きるためには同胞をも食べる。チャップリン(C)の創作アイデアの元は常に悲劇や不幸である。「街の灯」「モダンタイムス」「独裁者」「殺人狂時代」「ライムライト」全て悲劇・不幸を扱っている。彼が「悲劇を笑い飛ばそう」という強い精神力の持ち主であり、それはCの不遇で過ごした少年時代に由来する。彼自身の言葉「しばしば悲劇が笑いの精神を刺激してくれる。笑いとは反骨の精神だ。たとえば大自然の威力の前では、自分の無力ぶりを笑うしかない。笑わなければ気が狂ってしまうだろう」狂気と天才は紙一重である。 ◆空腹のあまり靴を食べたり、相手が鶏に見えて殺そうとしたり、小屋が崖から落ちそうになると、相手を踏みつけて床を登ったり、ブラックユーモア炸裂である。悲劇の切迫度が高ければ高いほど笑いの密度が増す。Cは、幼少時代のひもじかった日々、それでも母親が笑わせてくれたことなどを思い出しながら撮影していただろう。靴は甘草で作られていたが、食べ過ぎたために副作用の下痢に悩まされたそうだ。プロ根性というものだろう。大勢のエキストラや特撮を使ったりと、気合が入っている。 ◆冒頭、Cの後をつける熊が登場する。一歩間違えばCは食われてしまっていただろう。だが偶然Cは助かる。Cはそのことを知らない。後に熊は小屋に現れ、射殺され、C達に食われてしまう。これが運命の皮肉だ。運命はCの預かり知らぬところで決定され、所詮人は運命を受け入れ、笑い飛ばすしかないのだ。 ◆もう一つの主題は恋。Cは単純に金持ちを夢見て金鉱探しに参加。しかし失敗して町に降りてくる。そこで酒場娘に一目惚れ、今度は娘と約束したディナーの資金を稼ぐために仕事に励む。だが約束の日に娘は現れずに失恋、失意のどん底へ。一方娘は約束を忘れていたことに気づき、小屋を訪ねるがCが不在。ディナーの準備の様子でCの恋心と失意を知る。そなんときCは山の相棒と出会い、二人で金鉱を見つける。期せずして夢は叶った。凱旋の船上で二人は再会する。皮肉にも立場は逆転していた。Cは金持ち、娘は落ちぶれて二等席。Cは昔の服装をしていたが、娘はそれでも好意を示した。身分を証し、キスしてハッピーエンド(サイレント版)。純愛は黄金に勝る。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-13 16:07:30)(良:1票)
167.  モダン・タイムス 《ネタバレ》 
アイデアの発端は、チャップリン(C)が、大恐慌により大量発生した失業者に同情したからだ。労働者階級出身で貧困裡に育ったCにとって労働者の困窮は他人事ではなかったろう。失業者が増えたのは機械化が進んだためと単純に考えたらしい。◆これだけ資本主義批判を全面に出せば、共産主義者と勘違いされるのも無理は無い。独や伊で上映禁止。単純作業のしすぎで病気になるなどの描写からは、資本主義の発達は人間を堕落させると考えていたようだ。工場長だけがのんびりとジグソーパズルで遊ぶ。デモ、ストライキは真面目に描かれる。浮浪娘の父は警官(国家権力)の発砲で死ぬ。Cは米国籍を申請せず、外国人である。当然当局の反発を買い、後の”追放”の遠因となった。◆過度なまでに機械化・自動化された工場の描写は時代を超えたインパクトがある。傑作とされる所以である。ただ何故ナット締めだけ自動化されていないのかという疑問があるが。◆昭和11年、時代はトーキーを過ぎてカラー時代。前作「街の灯」ではサウンド、本作では歌声を入れた。サイレントにこだわったのは、キャラである”浮浪者”がしゃべると生々しくなり、観客を現実に引き戻してしまうからだ。トーキーに対抗するためには、アイデアを満載して観客を飽きさせないことだ。前作から5年もかかったのはそのため。舞台時代から培ってきた芸の数々が惜しげもなく披露される。集大成といってもいいだろう。笑いと涙に社会風刺も加わり、映画としての完成度は高い。 ◆浮浪娘はたくましい。食べ物が無いと盗んで妹たちに食べさせる。父が死に、施設に収容されそうになるが、逃げだし、ダンスの仕事を見つける。独立心があり、労働者の希望の象徴として描かれる。◆浮浪者は真面目に働こうとするが、失敗の連続。それでも浮浪娘のために家を持とうと、くじけない。遂には職を得るが、浮浪娘が微罪で捕まりそうになり共に脱走。二人の気が合うのは、性格が似ているからだ。失敗しても笑いを忘れずにいれば、いつか明るい未来がやってくるさとあくまでも前向きな姿勢で終る。深みあるテーマにしては単純なラストだが、二人の歩みは軽やかで力強く、爽快感がある。単純さの中にこそ真実がある。Cの定番である”別れ”で終わらなかったのは、労働者に対するエールが強く込められているからだろう。”甘さ”を指摘するより、ヒューマニズムあふれる名作として讃えたい。
[ビデオ(字幕)] 8点(2010-12-13 02:16:06)
168.  チャーリー(1992) 《ネタバレ》 
◆監督はチャップリン(C)の作品よりも、私生活、特に女性遍歴に興味を持っているようだ。女性の年齢を強調し、必要以上に裸を見せる。C本人が観たら激怒すること間違いない。 ◆Cが成熟した女よりも少女に興味を抱くのは、恐らく彼の完璧主義的性格が原因だろう。不幸な生い立ちのせいで、理想の高い家庭像を抱いているが、それにはCの言うことを何でも聞いてくれるタイプの妻が必要。1から全てを教えて理想通りの妻に育てたいのだ。だがそれはうまくゆかず、離婚再婚を繰り返す。 ◆映画ではCが恩人の元を去り、独立したのはお金のためだとしている。貧困育ちの彼が人一倍お金に執着するのは理解できる。しかし、それよりも彼の完璧主義的性格の方が主因だと思う。自分の思い通りにやらないと気が済まない性格なのだ。彼が監督、脚本、プロデューサー、主演、音楽を一人でこなしたのは偶然ではない。そうせざるを得なかったのだ。それだけの実力があったし、成功も収めてきた。だがそれ故に多忙となり、疲弊し、家族のことがおざなりになる。それが私生活の乱れにつながる。 ◆貧困時代が興味深い。兄や母との涙の別れ、孤児院の所員との追いかけっこ、ひょこひょこ歩きの集荷人、盲目の少女など、彼の後の映画のモチーフがさりげなく紹介されているのが心憎い。舞台時代のパフォーマンスが見れるのも嬉しい。初恋の女性ヘティに求婚したとき「愛の言葉もなくて?」と言われ、「言葉なんて必要かい?」と返すところは、彼の後のサイレントへの執着を暗示している。 ◆「浮浪者がしゃべったら魔法を失う」という彼の主張は的を得ていると思う。しかし同時に彼の限界でもある。初の完全トーキーは「独裁者」。最後の長い演説を聞かせる必要があったからだが、世界中に愛の言葉を伝えたいという情熱が、自分の壁を打ち破ることにつながったことは興味深い。監督はその演説シーンのスクリーンにペンキをかける。監督がCファンでないことは明らかだ。 ◆母親には限りない愛情を注ぐ一方で、父親に対してはひどく冷淡だ。終生嫌悪していた二番目の妻に対しても同様だが、一度嫌いになると許せないらしい。世界に愛を伝えたCが、自分の父を愛せないとは皮肉なことだ。伝記映画で父親が一度も登場しないのは不自然だし、残念だ。父不在が彼を幼少期から独立心を育ませた。彼が渇望していたものは常に愛であり、作品に強く反映されている。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-12 19:55:16)
169.  スモーク(1995) 《ネタバレ》 
生きるということはタフなこと。若い頃は無茶もするし、心に傷を負い、大切なものを失うこともある。片目や片腕は人生で喪失したものの象徴だ。四千枚もの街角の定点写真は時間の象徴であり、あっという間に過ぎていったと感じられるものだが、じっくりと見返せば見えてくるものがある。人生をそんなに急がないで、時には煙草一服くゆらしながら、休憩してゆきなさい、という趣旨の映画。◆完璧な人生など無い。作家は最愛の妻を失っているし、黒人少年には両親がいないし、煙草屋は恋人と別れた心の傷を持つ。正直だけで生きられたら良いが、実際の人生はそうはいかず、時には嘘をついて相手を煙に巻くことも必要だ。嘘にも種類がある。自分の利益のために相手を騙す嘘、世間を乗り切るための処世術としての嘘、相手を思いやっての優しい嘘。害にもなれば薬にもなる。煙草も似たようなものだろうか。◆作家は生きる気力を失くしていたが、少年との関わり合いで世間との関わりを持つようになり、煙草屋の体験談を元に、作家として復帰する。少年は嘘の名人だったが、作家と出会い、作家に父のような感情を持ち、まじめに働くようになり、遂には実父との再会を果たす。煙草屋は、元恋人と再会し、実の?娘と会い、過去のわだかまりを捨てて、お金を渡す。が、小説のようにうまく収まったわけではない。作家の妻の喪失感は消えることは無いだろうし、少年と実父との関係もぎくしゃくしたままで、煙草屋の娘は悲惨な運命が待っていることが予想される。それでも一歩一歩、毎日を刻んでゆかなければならない。お互いに心を開けば、街角の交差点にように人生が交差し、物語が生まれる。素晴らしいことだ。◆最後のモノクロ場面は、作家の書いたクリスマス・ストーリーの映像化であり、回顧場面では無い。作家は煙草屋の語りがあまりに出来過ぎていたので、嘘と断じたようだが、真相は不明だ。煙草屋の「秘密を分かち合えないで友達とは言えない」の科白から推せば、真実と思われるが、何が真実かは重要では無い。真実と嘘の間には少しの違いしか無い。人生は重いが、同時に煙草の煙のように軽い。長く生きているとそういうことも分ってくる。そういうことをしみじみと感じさせてくれる大人の映画である。◆全員が煙草を吸うのは演出過多。自動車工が高価な葉巻を吸うだろうか?17歳に煙草を吸わせるのも疑問。娘に救いが無さすぎる。
[DVD(字幕)] 8点(2010-12-10 18:45:13)
170.  三大怪獣地球最大の決戦 《ネタバレ》 
謎と怪異を前面に押し出して趣向を凝らす前半部分が秀抜だ。 地球規模で異変が起こっている。日本は記録的な暖冬で、宇宙からの怪電波が入り乱れ、夜には流星雨が甚だしい。ある日巨大隕石が黒部渓谷に落下する。隕石は時折磁性味を帯び、徐々に大きくなる。他国の王女が極秘来日のため飛行機に乗っていると、内なる声が聞こえ、飛び降りろという。飛び降りた直後、飛行機は爆発する。王女は日本に現れ、自ら金星人と名乗り、ゴジラ、ラドン、キングギドラの襲来を予言する。来日していたモスラの友人の謎の小美人は、王女の予言を信じ、ゴジラ奇襲による船の撃沈事故から免れることができた。 これらの大風呂敷を広げた謎の解明部分だけでも咀嚼玩味の妙趣がある。実は金星は五千年前にギドラによって滅ぼされ、一部の金星人は地球に逃れ、人類と同化したのだった。王女は先祖の金星人の記憶と能力を継受している。王女は国内の政治紛争の巻き添えになり、暗殺団に追われている。その暗殺団は怪獣によって撃退される。このように物語を交錯させているのが上手い。 加えて、女王と彼女を警固する刑事の恋物語の要素もある。刑事の妹の記者はお転婆でかわいい。脚本に無駄がない。最大の見世物は、最兇の宇宙怪獣キングギドラだろう。ビルを融通無碍になぎ倒す破壊光線の暴威は凄烈で、観る者を震駭させる。形態の美しさには誰も瞠目するところだろう。 さて言うまでもなく、最も括目すべきは三大怪獣とギドラの決戦場面だ。その為の映画といって過言ではない。しかし、期待ははかなくも裏切られた。怪獣を擬人化して、モスラが説得するのでは怖さが失われる。理屈ではなく、有無を言わさず巻き込まれればよいのだ。戦闘特撮は何とか及第点の水準には達しているものの、プロレスごっこの域を出ず、胸がすくような大激突、快哉を叫ぶような破壊活動が見られない。ビル街での決戦であればぐっと迫力が増したはずだ。ビルが破壊されることによって観客は怪獣の破壊力の激烈さを実感できる。自衛隊が参戦しないのは理解に苦しむ。たとえ咬ませ犬であっても、爆撃機の編隊飛行やミサイルの火力で、視覚的聴覚的に大いに盛り上がったはずだ。また人間と怪獣が協力して宇宙怪獣を追い払うところに意義があるのではないか。 脚本はゴジラ映画の中では最上級。キングギドラが初登場した歴史的作品。キングギドラの単品作品が見たい。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-10-15 23:24:49)(良:1票)
171.  ラストコンサート 《ネタバレ》 
◆病院で偶然に出会う二人。女は待合室の男を医者に父として紹介。女は無意識に恋に落ちたのでしょう。あとは子犬のようにつきまとう。女は天涯孤独の身。母は死に、家族を捨てた父探しの旅の途中。会ったことのない父の面影を男に見る=恋の魔法。女は自分の病気のことを知っていた。だからあんなに甘える態度が自然にできた。そしてあくまで明るく男を励まし応援する。実にけなげ。生きる尊さ、素晴らしさを実感しているので、ダメ男を放っておけません。◆男は孤独で非社交的、女を迷惑がっていたが、どこか魅かれる。半分世捨人だが、自分を鼓舞し、元の場所に戻してくれる賢人を無意識に探している。別れと再会の繰り返しはその葛藤の表出。このあたりの流れが自然で好印象。年齢差があるの男女が恋に落ちる理由がきちんと描かれている。ただ男の人物像の掘り下げは弱い。◆全力を傾けずに逃げ出そうとする男を女が罵倒、大喧嘩して別れてからプロポーズへの急展開は意表をつきます。愛の奇跡ですね。「最低の男でもいいか?」「イエス」「意気地なしでも?」「イエス」愛は理屈をを超越。◆キーワードは”逆転”。男は女に病気のことを隠していた。しかし女に嘘と信じ込まされ、今度は女が男に病気を隠す。男は最初女を必要としなかった。が、恋人になってからは依存するほどになり、今度は女が母親的な存在になる。男は零落して田舎を放浪していたが、パリで復帰。女は至高の愛を獲得するが、命が尽きる。女は男に人生の全てを捧げた。男は命である音楽を再び手に入れ、それを女に捧げた。まさに「賢者の贈り物」。◆父の家を訪うが、子供がいるのをみて面会を諦める。これが脚本の不手際。物語に膨らみがなくなる。二人を応援し、女を看取るのが宿泊所の女主人だけというのはもったいない。父やその家族、代理人、共演者、友人を巻き込んで悲劇のラストへなだれ込ませるのが絶佳の展開。名作になりそこねた?◆また入院してからの展開が急すぎ。ここはタメの部分で、お互いに看護し、看取られ、愛を回顧する静かなうちに来るべき悲劇を予感させる重要な場面。◆冒頭に出てくる双子岩が愛の象徴。背景の撮り入れ方がうまく、城や海のシーンなど印象に残ります。「泣かせ」の演出も最低限に抑制されていて好印象。病気を隠した女の心理を想えばぐっときます。オススメです。観て損はありません、特に奇跡を信じる人には。
[DVD(字幕)] 8点(2010-07-01 15:41:21)
172.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 
【男】本来の自分を見失い、強い脱力感。中年の性に目覚め、昔の青春を取り戻したいと願う。筋トレとジョギングで鍛え、いやな仕事を辞めバイト生活。妄想と麻薬でハイ。あこがれていた車と無線カーを購入。家族に本音を話す。心の解放に成功したがその報酬は高くついた。娘と妻から憎まれ、挙句に死。 【妻】娘時代貧乏だったので、人一倍物質的豊かさにあこがれる。心の潤いをなくしセックスレス。常に成功のイメージを持つ。浮気を経験。家庭を壊す夫を殺そうとする。 【娘】会話のない家庭に嫌気。両親を憎む。自分を変えたいと思っている。思春期の情緒不安定、混乱。豊胸手術のお金を貯めている。自分を変えてくれる誰かを欲している。 【娘の恋人】ジャンキーでヤクの売人。ビデオマニア。死に美を感じる。死は神に近づく瞬間だから。父には従順。家を出る決意をする。娘の孤独さに魅かれる。 【大佐】DV親爺。ナチ崇拝者。ゲイを嫌うが、それは自分の中にゲイの素質があるのを抑圧しているため。息子をしごき育てようとする。 【大佐の妻】夫に従順なだけの生活で、生きる屍。 【娘の友】平凡が大嫌い。特別な自分でありたい。モデルを目指す。遊び人を気取っていた少女が実は処女だった。あるいは処女のふりをした。 【感想】死者が語る物語。死後は美のあふれた世界などと死の礼讃ともとれる。ゲイ、不倫、銃、麻薬、酒、暴力、セックスなどの混沌とした世の中、死だけが荘厳で美しく見えるのかもしれない。高度に発達した文明社会への批判。誰が主人公の男を殺すかというサスペンス仕立てにもなっている。冒頭の「父を殺して」と語る娘のビデオがミスリード。DV親爺による勘違い殺人のオチは納得いかない。播いた種は刈らねばならない方式でないと深みがない。アメリカン・ビューティは虚飾の象徴で、妻が庭に植え、食卓に飾ってあるもの。風に舞うビニール袋は自由な魂の象徴。人は失って初めて自分の持っていたものの価値に気づく。男は自分を「既に生きてない」「人生の敗残者」と思っていたが、自分の家庭、自分の人生は幸福なものであったと悟る。妻は夫を失って号泣。娘の友は処女を失いそうになり、初めて等身大の自分に戻る。娘はヤク中の男と家を去るだろうが、一緒になっても幸福にはなれない。大佐は刑務所行き。計算された映像や脚本はよく出来ていると思いますが、病的な部分が多いので好きになれません。
[DVD(字幕)] 8点(2010-06-09 23:31:28)(良:1票)
173.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
【ガス人間の犯罪】①彼の能力からして、銀行強盗に拳銃を発砲したり、殺しをする必要はない。失神させればよい。②ガス化しても声を出したり、札束を持てるのが不思議。③車で逃げる必要ないし、ましてや警察に追われて藤千代の家に行くなよ。④予告電話と殺害までした模倣犯の動機不明。 【水野】①体格不十分でパイロットの夢破れる。博士に実験に協力すればパイロットになれると説得される。騙されて怪物にされ、博士を殺害。②人生に絶望するものの能力に目覚める。③藤千代に恋するが、不器用で金銭で歓心を買うというアプローチ。殺人は平気で、恋だけが生きる希望。 【藤千代】没落した舞踏の家元。水野から金銭を融通してもらう。お金で元一門の者を雇い発表会を開こうとするが、水野との関係を知られ、元一門の者は去る。水野が全てを捨て、殺人までするほど愛してくれていることを知る。自身が人生に失望していることもあり、共感が愛に。しかし怪物かつ殺人者である彼と幸せに暮すことは不可能。愛の成就のために一緒に死ぬことを決意。結婚の約束をし、発表会終了後に無理心中。 【恭子】最初は藤千代の美しさに嫉妬していたが、次第に2人の恋に同情的に。藤千代に水野を説得して無茶をしないよう、又発表会を辞めるよう勧告。 【感想】隠れた名作。草深の庵、月光、蛍、鬼の面をつけた踊り、そして美女登場。道具立てが素晴らしく、美しい絵物語を見るよう。拳銃をぶっぱなす派手な銀行強盗で幕が開くが、中盤でガス人間の正体は明かされ、サスペンス要素は失せて、以後は恋愛物語に。水野の愛の大きさと暴走に戸惑う藤千代。男の正体と、本当に心から愛されていると知ってからの女の葛藤が見どころ。犠牲者達への責任も感じている筈。どうしようもない恋の行方は爆死という悲劇で終わる。日本的情緒たっぷりな結末。常識破りの恋である。じょうしき-し(死)=じょうき(情鬼)これは冗談で「情鬼=水野」。水野の人間性や葛藤があまり描かれていないのが残念。あまりにも自己中心的で、不敵な振る舞いをするので、共感しづらい。殺人は仕方なく犯す設定にすべきだったろう。警察の爆破装置のスイッチを外しておいたのは若い刑事だろう。それにしても藤千代はどうやって警察の計画をあらかじめ知ったのか?爺やを巻きこんだのはどうしてか。全てを知っている爺やの最後の演技に注目。全ては「古い家の没落」を象徴している。
[ビデオ(邦画)] 8点(2010-06-05 18:47:27)(良:1票)
174.  大魔神 《ネタバレ》 
特撮映画の傑作。怖がらせることにかけては随一の作品。前半の魔人封じの祭は迫力があった。老巫女の演技も良い。中だるみがあるが、後半25分は圧巻で怒濤の展開。大魔神は雷や雲を操り、火玉となり飛ぶことができ、火を一瞬にして消す念力も持つ。まさに神である。応戦する側も、鉄砲、くさり、投石、火攻めと工夫があり、退屈しない。特撮がよく出来ていて、構図がビシビシ決まる。音楽も素晴らしい、ほとんど神の領域。ただいくつか気になるところがあった。①謀反のとき若君と姫が一緒に寝ていたが、あれはありえない。武士なら子供でも男女が一緒に寝ることはない。②若君と小源太の活躍が少ないのが欠点。10年経っても花房の残党達と連絡もとってないとはどういうことか?城に向かった小源太はすぐに捕まり。それを助ける若君も工夫なく罠にはまる。このような二人で城を取り戻し、お家再興がなるわけがない。花房の残党も無能揃いだ。③悪ボス左馬之助の悪逆非道ぶりがゆるい。低予算のためか、彼の京都に登ろうという武将としての活躍ぶりは省略。結局殺すのは小源太を逃がした男と、巫女の二人だけ。農民を使役する場面はそこそこ描かれている。④巫女の話を聞くために城の中にまで上げているが、これはありえない。⑤竹坊の母が死ぬが、その場面がない。冒頭シーンで顔を出しているのに。これを出すことで話に厚みがでるのだが。⑥磔の二人の綱がゆるゆる。⑦大魔神は阿羅羯磨である。過去に暴れだして悪さをしたようだ。それを封じる守り神が、武人像。だから神(武人像)と大魔神は本来別のもの。しかし両者一体となっているのはどういうことか?⑧大魔神は光玉となって飛んできた。だが去るときは光が飛んでいって、武人像が残った。ここにも矛盾がある。光玉は神なのか、大魔神なのか?⑨神が怒ったのは、眉間に鏨(たがね)を打ちこまれたから。参加した者は全員雷や地割れで死んだ。大魔神が動いたのは、乙女の祈りと涙と捨て身の心による。大魔神が去ったのも同じ。乙女の願いは、兄と小源太を助けてくれということで、悪ボスを成敗してくれとは言っていない。大魔神は、自らの復讐ために城に向かったのだろうか。兄と小源太を助けたのは結果論?
[DVD(邦画)] 8点(2010-05-31 17:51:32)(良:1票)
175.  道(1954) 《ネタバレ》 
ザンパノは無教養で粗暴な肉体派旅芸人。自己中心主義で愛情表現は不器用だが、世渡りの手管には長けている。「生きるためには、女でも何でも、利用するだけ利用する、それのどこが悪い」という哲学の持ち主。女は力で従わせ、時には僧院での泥棒も厭わない。自分一人の力で生きてきたという自負があり、自信に満ちている。だが彼に関わった人間はみな不幸になる。まずローザの死に責任があるだろう。助手兼愛人であったはずで監督責任がある。陽気で古い友人であるキ印は殴打死させられ、交通事故死に見せかけられた。もっとも可哀そうである。ジェルソミーナは精神を病み、置き去りにされ、遂には孤独死を迎えた。本来なら実家に帰してあげるべきだったのに。彼の人生の中で、彼のことを純粋に愛してくれた人はジェルソミーナだけだっろう。失って初めてその大切さに気付く。彼女の死を知って、嘆き悲しむザンパノの姿は印象的だ。だが、ローザやキ印に対する贖罪の気持ちは持ち合わせているだろうか。もっと時間がかかりそうである。知恵遅れのジェルソミーナはザンパノから虐待に近い扱いを受けながらも、彼といることで、自分の存在意義を見出し、自我に目覚めてゆく。キ印はジェルソミーナを救いたいと願いながらも、彼女の気持ちを理解し、ザンパノの元へ彼女を帰す。ザンパノは物事を考えることが嫌いで、だた本能のおもむくままに生きてゆく。三人はお互いに相手を必要としながらも、不器用さゆえに反発しあい、悲劇を迎える。キ印はザンパノのよき理解者だったがおちゃらけが過ぎた。ジェルソミーナは心が繊細すぎた。ザンパノは粗暴すぎた。鋼のような心がジェルソミーナ無垢の心に気付き、大泣きする。初めて他人のために涙を流したであろうその姿には感動を覚える。自分一人の力で生きてきたと思っていたが、そうではないと気付いたのだ。ようやく人間らしさにめざめた彼だが、その前途は苦難に満ちているだろう。年老いて、旅芸人として生きるのは難しそうだ。どうやって生きてゆくのか。孤独な彼に何が残されているのだろうか?ジェルソミーナの思い出だけが美しい宝石のように心に刻まれているのだろうが、それは彼を苦しめることにもなる。だが後悔するのに遅すぎることはない。困難ではあるが道は続いている。彼が歩む道をあれこれと想像してしまうのは、それだけ感情移入しているからだろう。逆説的で骨太な人間賛歌の映画に拍手。
[DVD(字幕)] 8点(2010-03-01 23:49:21)
176.  ボルト 《ネタバレ》 
自分がスーパードックで、悪をやってくるヒーローだと信じ込まされている俳優犬ボルトの話。彼が物心ついてから初めて外に出て、主人を探して戻ってくるまでのロードムービー成長物語。冒頭のアクションシーンは必見。だが以後のアクションにキレが無いのは残念。せめてラストシーンで”魅せて”ほしかった。成長物語の方だが、ボルトが普通の犬であると認識するまでは楽しめる。長時間記憶できない”メメント鳩”や悪者猫ミトンズ、ボルトを信じるハムスターのライノとのやりとりは笑いがつまっている。認識してからはトーンが変わる。悪者猫が先生役となる。この転換は素晴らしい。ミトンズは世間擦れしており、飼い主に捨てられたトラウマがあり、ボルトを見捨てられなかったりと、キャラの深みが備わっている。ミトンズといることで、ボルトの無垢さが際立つ。ライノは道化役。精神年齢はボルトより幼い。常にボルトを信じ、励ます。この小動物がそこそこの活躍を見せるのも見所だ。全てを知ってしまったボルト。ミトンズは楽園の地を見つけ出し、三人で一緒に住もうと提案する。だが飼い主のペニーを忘れられないボルトは一人で撮影所を訪れる。そこで見た衝撃の事実。俳優犬新ボルトとペニーとの仲むつまじい姿。失意のどん底に落とされる。その後火災が発生し、ボルトがペニーを救助するのだが、これは演出過多ではないだろうか?また助け方も地味すぎた。これはボルトが普通の犬であることを強調したためだが、盛り上がりに欠け、感動のラストシーンにはならない恨みがある。笑えるし、ところどころ感動できる。良質の映画であが、名作になりえてないと思う。それは、ラストシーンの消化不良の部分もあるが、旅の最中にボルトが本当の危機に直面していないからだ。大いなる自己成長をもたらすほどの冒険、危機、試練がないために、ボルトにさほど感情移入できない。動物管理局に捕まってもすぐに脱出できてしまうのが一例。試練や苦しみが大きいほど、成長が大きいのだ。「愛」は描けていたが、「成長」はそれほどでもなかったと思う。惜しい映画です。
[映画館(吹替)] 8点(2009-11-09 23:55:09)(良:2票)
177.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
松子の家庭環境は決して最悪ではない。経済的には中流で、妹弟もいて、両親の愛情もそこそこ受けている。松子は父を愛しているが、父の愛情が病気の妹に注がれるのを妬んでいる。父の愛情を自分に向けるためにコミカルな表情をする。愛の飢えの始まりである。松子の不幸を描いているが、本当に不幸なのは他にいる。筆頭は妹で、寝たきりの人生で終る。次は作家志望の男で、自分の才能に絶望して自殺した。もう一人は龍で、家族の愛情は一切知らなかったと言っている。松子は美しく成長し、中学の先生となるが、修学旅行の盗難事件をきっかけにで転落人生に転じる。彼女が家出した心痛で父が死亡、弟から家族の絆と断たれる。家族と故郷を失った松子は、男性に頼るしかなかった。というか、自分を必要とする男性と共依存関係になる。必要とされることでしか、自己の存在意義を感じられない。だから暴力を振るわれても、相手に尽してあげたいと願う。トルコ嬢も厭わない。これが龍をして松子を神と呼ばしめた。不幸な形の自己犠牲。暴力は時にこじれ。殺人に発展する。松子は理容院の男と同棲を始めたばかりのときに逮捕される。タイミングが悪い。刑務所でめぐみという親友を得たのは最大の幸福。出所後は理容院の男と暮らそうと美容師の資格を取るが、出所すると男には妻子がいた。そして愛を知らない男、龍と再会。龍がお金を盗んだのが転落のきっかけだったので、皮肉なめぐり合わせだ。またまた不幸に。松子は足を悪くし、龍は刑務所へ。龍を待つことを唯一の希望にしていたが、逃げらる。以後心を閉ざし、世間と関わりをもたなくなった。ただ一つ、アイドルのファンになることを除いて。典型的な現実逃避。ファンレターとして綴った履歴のバカ正直で長いこと。涙がでます。誰かに理解して欲しかったのですね。返事が来ずに絶望。めぐみと再会し、夢で妹のヘアカットをしたことで、社会復帰をめざす。そんな矢先、中学生に暴殺される。甥の笙が松子の人生を知り、理解を示すのがこの映画の救いの部分。子供に殺人をさせたのは欠点だ。ミュージカル仕立てでテンポがよい。不幸をエンターテイメントとした初の映画だろう。不幸な人生だが、そこに何とか意義を見出してあげたいという心理が働くように作ってある。あのとき、ああしたら、こうしたらと、つい考えてしまう。か弱い松子の”徳”がそうさせるのだ。愚かだが、菩薩のようでもあった。合掌。
[DVD(邦画)] 8点(2009-11-08 16:09:56)(良:1票)
178.  メメント 《ネタバレ》 
斬新な手法の光る映画だが、頭がこんがらがるので、楽しめるものではない。妻を殺された男が犯人を追い復讐する話。だが肝心なところは曖昧のまま。犯人の一人は射殺したが、もう一人レニーを殴った犯人が本当にいたのか?警察はいないとしている。復讐を是認する刑事テディの手引きで、ジョンGを殺すが、これが真犯人かどうか、不明。2番目のジョンGのジミー殺害は、テディの陰謀。3番目のジョンGのテディ殺害は、レニーの作り話とナタリー情報の偶然による。妻が死んだのは、インシュリン多量摂取で、一種の自殺。レニーにとっては自殺幇助過失?のようなもの。つまり憎むべき妻殺しの犯人はおらず、ジョンGはレイプ犯に過ぎない。レニーはジミーの服を脱がせてから殺害するが、これは服を交換するため。その理由は不明。ジミーの車とお金を奪うが、これは気まぐれ。その後お金はどうなったのか?テディはジミーの靴のサイズが自分のと合うかチェックしたり、ジミーの車に執着している。汚職刑事のようだ。レニーはデート嬢を呼び、妻が死んだときの状況を再現させる。これは儀式のようなもので、薄れゆく記憶を呼び覚ますためだろうか?その後妻の形見の品を燃やす。記憶として昇華したいのだろうか?解釈に苦しむところだ。ナタリーはレニーを騙し、ボスのドットと対決させる。悪い女だが、その前にレニーがナタリーの恋人ジミーを殺しており、おあいこである。ナタリーがテディの車の情報を与えたのは同情からだが、ジミー殺しの首謀者はテディなので、結果的に因果応報である。今後どうなるか?ドットが復讐に戻ってくれば危険が及ぶ。ジョンG探しはテディの協力がないので、全く進まないはず。映画の流れからすれば、誰かに利用されてしまうだろう。モーテルでも部屋を二つ借りるはめになる。レニーはメモ魔だが、本当に記憶を残したいのなら、日記帳や雑記帳をつけるべき。そこに写真やメモを貼り、補完すればいい。レコーダーやビデオを使えばなおいいだろう。刺青は文字数が限られ情報不足。失笑である。彼は記憶を残したいのではなく、謎を残したいのだろう。謎を追い、犯人を探すことが唯一の生きがいなのだ。インシュリンで妻を殺したという罪悪感が、無意識にそうさせるのか?架空の復讐に支配され、架空の犯人を追う哀れな男の物語。記憶の曖昧さをが主題。観客が自分の記憶に疑いを持てば、監督の思い通りである。
[DVD(吹替)] 8点(2009-10-24 23:04:50)
179.  ファイト・クラブ 《ネタバレ》 
ジョンの脳内影像から始まり、サブリミナルの勃起した男性器画像で終る。全てはジョンの想像の産物で、登場人物は全て彼の自己投影された人格であり、一種の自慰行為に過ぎないという解釈も成り立つ。そうすれば、タイラーとの殴り合いシーン、爆発物作成方法を知るタイラー、忠誠すぎる会員、知らないうちに全国展開するクラブ、警察まで浸透する会員、頭を撃っても生きている、などの矛盾点が説明できる。多重人格者の夢というのは案外こういうものかも知れない。ジョンはしがないサラリーマン。現実の自分と、理想の自分との間に大きなギャップを感じて、慢性的な睡眠不足。その解消に役立ったのが不幸な人たちの”泣くセラピー”クラブ。泣いて感情が発散できるのだ。彼の悩みは本能が去勢されていること。性欲、睡眠欲、闘争心などが開放できない。それの象徴が”睾丸無し”クラブ。現代社会の縮図でもある。本能をまぎらわすための”高級家具買い”も限界に来ていた。泣くことで、束の間の安らぎを得たが、そこへマーラ登場。彼女は彼を現実に引き戻す役割の人格。いつも”異物”のように侵入してくる。そしてタイラーの登場。理想的な自分の投影された人格。病的にまで分裂する自己の始まり。タイラーはジョンの快適な物質文明の象徴である”高級家具の部屋”を爆破。朽ちる寸前の家で共同生活を始める。この家はジョンのぼろぼろになった精神の象徴。マーラを無視しつつも、タイラーとファイトクラブを設立。闘争心は現代人には最も発揮しにくい本能。それが人気を呼び、多くの会員が集まる。だが本能を開放しすぎたためにタイラーが暴走。クラブは物質文明反対のテロ組織の様相を呈してくる。彼らの無謀な計画を阻止するために自分との闘いが始まる。殴るだけではダメで、終に拳銃で頭を撃ちぬく決意を。全ては幻覚だと悟り自分と向き合った瞬間だ。登場したマーラの存在意義を認め、和解できたことで、彼は現実の世界に戻ることができ、自己アイデンティティーを取り戻した。崩壊するビルは、彼の仮想現実、多重人格世界の崩壊。物質社会、消費社会の価値観に洗脳されている現代人が、不安や悩みを抱えながら、本来の自分を取り戻すのがいかに困難かを描いた意欲作。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 13:50:18)(良:1票)
180.  スター・ウォーズ<特別篇> 《ネタバレ》 
現代の神話「スター・ウォーズ」の始まり。スペース・オペラという言葉もこの作品で普及した。リメイクされて、CG部分が追加されたが、ほとんど変わっていません。最も感動的なのは、R2-D2のけなげな献身ぶり。翻訳ロボットとのコミカルなやりとりも楽しい。次はハンソロ・カムバックによる逆転勝利。息づまる空中戦も見ものです。スター・ウォーズの魅力はこのような脇役キャラの種類が多く、充実しているということ。ちょっとした役のキャラでも表情豊かなんですね。昔の西部劇などでは考えられない演出スタイル。一つ一つのシーンにサプライズが詰まっている。大作感があり、飽きません。ストーリーは単純明快で説明の必要もないのですが、わからないのがオビワンでしょうね。わざとダース・ベイダーに負けて、肉体が消滅してしまう。そして声だけの存在となり、ルークに指示を送る。この部分だけ説明不足。さほど偉大な人物に感じられなかったのは残念。雑兵相手に人間離れした戦闘能力などを披露してほしかったです。続編が作られるにつれ、ルークとレイラ姫が双子だったり、ダース・ベイダーが二人の父親だったりという暗黒部分が露呈します。人間の心の弱さに焦点が当てられるという不意を突く展開で、子供が観て夢中になれるようなものとはかけ離れてゆきます。もっとあっけらかんとした明るい宇宙戦記として期待していので、不満があります。
[DVD(字幕)] 8点(2009-10-24 00:04:00)
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