みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
★6.《ネタバレ》 シンプルに言えば、これがチャーリー・カウフマンという作り手の作風、或いは芸風ということなのでしょうか。嫌いではありません。純粋に不条理劇であったり哲学的であったりする作品は好物です。ただ、本作はちょっとそうした好みとはすれ違う感じでした。 原作未読(現在取り寄せ中)、公式のあらすじだけを予備知識としての鑑賞でした。なので、序盤から中盤まで、ひとりの女性(名前は特定出来ず)の脳内劇(自己の客体視的な)なのかなと思い「これは好きなやつかも!」と見進めていたら、実は冒頭に登場していた老人(高校の用務員)がキーマンで、終盤にかけてその視点から一気に畳みかけて来るとは。 あらすじに気を取られて先入観を持ってしまった自分自身のせいではあるにせよ、まんまとミスリードの罠にかかった感がして暫し興覚め。そうなると、意味深で興味深く耳を傾けていた会話劇が、退屈かつ冗長で妙に空々しくさえ思えたりしてしまいました。 観終わってみれば独特の味わいがあり、登場人物の放つ言葉の一つひとつや一挙手一投足から目が離せず、余韻の中で反芻する楽しみもあり、少なくとも決して駄作呼ばわりは出来ない緻密で技巧的な作品なのかなと思えるものの、何か素直にストンと胸に響かない作品でした。ちょっと期待し過ぎたのかも。 原作を読んでみて何か感じるところがあれば、後日追記したいと思います。 【タコ太(ぺいぺい)】さん [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-25 13:43:38) 5.《ネタバレ》 主人公は、ハイスクールのさえない年寄りの用務員のおじいさん。 彼は、劇中で、ちょこちょこと出てくる。 まず最初に出勤前の朝の準備。そのあとは日中働く姿、ひとりでTVを見ながらご飯を食べる姿、夜になってまた掃除してる姿…などなど。 その彼の妄想が、画面の中で繰り広げられる。 妄想の中の女性は、彼が出会って、そして付き合うことなく終わった女のイメージのパッチワーク。 だから、名前も職業もコロコロかわる。 終盤の車の中の場面では、顔さえ変わった。 バーで出会ったという設定は、おそらく彼の人生でバーで出会ったある女性が一番好みだったということだろう。 あるいは、実家に連れてきて両親に会わせるところまでは行ったのかもしれない。 いずれにせよ、うまくはいかなかった。 最後は車の中で、寒さの中で自殺。 「もう、妄想をおわりしよう」「もう生きるのを終わりにしよう」 じいさんのこころの言葉が、この映画の本当のタイトルだ。 妄想の中で、彼女を家に連れてきたジェイクが、玄関わきの棚に置いてあったボロボロの水筒を 「あ…これ見られたくないやつだった」という感じで、引き出しに隠す。 そこには大量の古い水筒があった。 この水筒は、劇中でおじいさんが、TVを見ながら弁当を食べる時に使っていた水筒。 他にもおじいさんの作業服が、妄想の中では地下室の洗濯機の中から何枚も出てきて 現実と妄想が交差する場面がある。 いずれも ”人に見られたくないもの、隠しておきたい、恥ずかしいこと” の象徴が、用務員をしている間に何個も使ってきた水筒や制服なのだ。 劇中で唐突にはさまれる、男女のバレエシーンや、若いジェイクの芝居や歌は、「オクラホマ!」というミュージカルの有名なシーンなのだとか。 彼が高校の部活で、ミュージカル(たぶん「オクラホマ!」)の練習をしている生徒を興味深そうに見ているところが、時々さしはさまれていたが、ちゃんとあの怪しいバレエダンスも意味があって、おそらくジェイクの大好きなミュージカルなのだろう。 「ダンサーインザダーク」のヒロインは、いやなことも何でも脳内でミュージカル変換していたが、 そういうタイプのおじいさんなんだろう。 ちょっと異色で、ちょっと不気味で、心に残る映画。 【フィンセント】さん [インターネット(字幕)] 5点(2021-02-18 09:02:19)(良:1票) 4.《ネタバレ》 晩秋、39歳になった夜、極めて混濁した映画を観た。 「面白い」「面白くない」の判断基準は一旦脇に置いておいて、この映画が表現しようと試みている人の脳内の“カオス”にただ身をゆだねてみるのも悪くない。と、思えた。 僕自身が、人生の後半へ足を踏み入れようとする今、ことほど左様に自らのインサイドにも切り込んでくる映画だったとも思う。 主人公は、何の変哲もない恋に食傷気味などこにでもいる女性。 彼女が、恋人と共に、彼の実家へと古くくたびれた車で向かう。 あたりは吹雪が徐々に強まり、白く何も見えなくなる。 車内での弾まない会話が延々と続き、主人公も、私たち観客も、退屈で飽きてくる。 ただし、この序盤の退屈な車内シーンの段階で、妙な違和感は生じていた。 前述の古い車も含め、主人公たちの服装や街並みも確かに古めかしい。 いつの時代を描いているのだろうと思いきや、着信音と共に彼女の手にはiPhoneが。 あれれ、じゃあ現代の話なのか?と思うが、その後の彼氏の実家のシーンにおいても、およそ現代的な描写はなく、益々困惑してくる。 そして、随所に挟み込まれる高校の用務員らしき老人の描写。 更には、極めて居心地が悪い彼氏の両親の異様な言動と、明らかに時空が混濁しているのであろう描写が連続する。 “彼女に何が起きているのか?” 避けられないその疑問が、この映画が織りなすカオスのピークであろう。 ネタバレを宣言した上で結論を言ってしまうと、この映画が描き出したものは、或る老いた用務員の「走馬灯」だった。 主人公のように映し出された“彼女”は、年老いた用務員の脳裏でめくるめく悔恨か、一抹の希望か、それとも、迫りくる「死」そのものか。 いずれにしても、記憶と積年の思いは、彼の脳内に渦巻き、甘ったるいアイスクリームのように溶けていく。 人生は決して理想通りにはいかない。 劇中でも語られるように、人生は、時間の中を突き進んでいるのではなく、ただ静かに、ただ淡々と過ぎ去っていく時間の中で立たされているだけということ。 そのことをよく理解しつくしている老人は、ただ時間の中に身を置いている。 そこにはもはや絶望も悲しみもない。 特に死に急ぐということもなく、いよいよ虚しくなった彼は、己の人生に対して静かに思うのだ。 「もう終わりにしよう。」と。 あまりにも奇妙な映画世界の中で、人生の普遍的な虚無感を目の当たりにした。 その様は、とても恐ろしく、おぞましくもあり、また美しくもあった。 映画作品としてはどう捉えても歪だし、くどくどと長ったらしい演出はマスターベーション的ではある。 チャーリー・カウフマン脚本の映画を長らく興味深く観てきているが、監督作になると良い意味でも悪い意味でも“倒錯”が進み、ただでさえ混濁した物語がより一層“支離滅裂”な映画に仕上がることが多い。 やはり個人的にチャーリー・カウフマンの映画は、彼が脚本に専念した作品の方がバランスの良い傑作に仕上がることが多いと思う。 ただし、もし、あと40年後にこの映画を観る機会を得られたならば、もっととんでもない映画体験になるだろう。 自分自身が人生の終盤を迎えたとき、この映画の老いた用務員が最期に見た風景の真意も理解できるのかもしれない。 【鉄腕麗人】さん [インターネット(字幕)] 7点(2020-11-21 23:36:37)(良:1票) 3.映画のテーマや内容はわりかし好きなのだが、無駄に退屈な映画だった。さすがに説明を端折り過ぎだと思う。孤独な用務員のエピソードと、女性のエピソードの連関性をもっと明確に提示しないと、観客もなにがなんだかさっぱりとわからなくなる。クライマックスのダンスシーンや舞台のシーンも、どういう意図でそれをやっているのかが明確に提示されないため、やはり意味不明なシーンにしか見えない。 女性主人公が実は妄想の産物で、実際は存在していない…。題材はなかなか面白いのに、本作は物語の語り口や演出を原作通りに行い過ぎて、かえって面白くなくなったケースといえるだろう。 【nakashi】さん [インターネット(字幕)] 4点(2020-11-15 21:31:05) 2.《ネタバレ》 物語は、とある女性が彼氏の運転で田舎町をドライブしているシーンから始まる。目的は、彼の両親に初めて会い、夕食をともにするため。予定が立て込んでいる彼女はその日のうちに家に帰りたいと何度も念押しするのだが、出発前から降り始めた雪は次第にその勢いを増していた。「大丈夫なの?」と何度も問う彼女に、彼氏は「ちゃんとチェーンを積んでるから」とどこか他人事。次第に険悪になってゆく車内――。と、ここまではよくある映画の冒頭部。でも、本作はそこから次第に変な方向へと舵を切ってゆく。全く噛み合わない二人の会話、何度も挿入される意味不明なシーン、詩の朗読や過去に読んだ小説の作品論を延々と繰り返す二人、そして彼女のスマホに何度も掛かってくる謎の電話……。目的地である彼氏の両親の家へと辿り着くと、この不穏な空気はますますその濃度を濃くし、やがて観客は気づくことになる。「あ、これはそっち系の映画なのか」と。いわゆるデビッド・リンチ系のシュルレアリスム劇。ここで監督の名前を確認し、僕はなるほどと納得する。そこには、こういう前衛的な作品を撮り続けてかつて天才の名をほしいままにしたチャーリー・カウフマンの名があったからだ。観客の生理に直接訴えかけるような不条理なエピソードを積み重ね、次第に悪夢のような世界に誘う独自の手法は相変わらず健在。この主人公を迎え入れる両親の神経症資質な感じや常にブルブルしている愛犬などなんとも不気味で、この世界観は嫌いではない。最後まで観ても明確な答えなど提示してくれない、監督の嫌らしさも非常に意図的だ。恐らく物語の合間合間に出てくる孤独な用務員のおじいさんがある雪の日、車の中で自殺したときのその脳内に走馬灯のように駆け巡った願望や妄想、過去の思い出を映像化したものだと僕は解釈したのだが、どうなのだろう。ただ、これが緻密に構築された、知的好奇心を刺激する内容だということは分かった。とはいえ、それが面白さに繋がっているかと問われると正直微妙と言うしかない。この分野の大家であるデビッド・リンチの数々の作品と比べると、やはり圧倒的に映像センスや芸術的な深みが足りないように思うのだ。ほんのちょっとシュールなだけの映像を延々見せられ、そこまでこの手のジャンルが好きではない自分としては非常に退屈に感じてしまった。そればかりか、この監督の自己顕示欲ばかりが鼻につく醜悪な自慰行為を見せつけられたようで嫌悪感すら湧いてきてしまった。結論。この監督の映画を観るのは、これで「もう終わりにしよう。」と思う。 【かたゆき】さん [インターネット(字幕)] 4点(2020-11-11 10:13:08)(良:1票) 1.チャーリー・カウフマンの脳内どうなってるのか・・・ 映画化できたり、監督したりできるっていうのはつまり日常生活はふつうに意思疎通ができるんですよね、でも中身はこうなる。いやと思いながらも見てきてしまったマルコヴィッチ、アマノリサ、脳内NY、アダプテーション、エターナル・・・など、中毒性があるのかな。今回も不思議な世界で、故 フィリップ・シーモア・ホフマンの系統のジェシー・プレモンスが主役です。 どう終わるのかだけ、見ておきたくて途中つらかったのですがなんとか完走しました(マラソンのよう)ゆだねられますね。。。自分はほぼ無になりました。 【HRM36】さん [インターネット(字幕)] 4点(2020-09-09 07:54:50)
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