みんなのシネマレビュー
ユーカラさんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

◆検索ウィンドウ◆

◆ログイン◆
メールアドレス
パスワード

◆ログイン登録関連◆
●ログインID登録画面
●パスワード変更画面

◆ヘルプ◆
●ヘルプ(FAQ)

◆通常ランキング◆
●平均点ベストランキング
●平均点ワーストランキング
●投稿数ランキング
●マニアックランキング

◆各種ページ◆
●TOPページ
●映画大辞典メニュー
●アカデミー賞メニュー
●新作レビュー一覧
●公開予定作品一覧
●新規 作品要望一覧照会
●変更 作品要望一覧照会
●人物要望一覧照会
●同一人物要望一覧照会
●関連作品要望一覧照会
●カスタマイズ画面
●レビュワー名簿
●お気に入り画面
Google

Web www.jtnews.jp

プロフィール
コメント数 936
性別
ブログのURL //www.jtnews.jp/blog/24461/

投稿関連 表示切替メニュー
レビュー表示レビュー表示(評価分)
その他レビュー表示作品用コメント関連表示人物用コメント関連表示あらすじ関連表示
コメントなし】/【コメント有り】
統計メニュー
製作国別レビュー統計年代別レビュー統計
要望関連 表示切替メニュー
作品新規登録 / 変更 要望表示人物新規登録 / 変更 要望表示
要望済関連 表示切替メニュー
作品新規登録 要望済表示人物新規登録 要望済表示
予約関連 表示切替メニュー
予約データ 表示

【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
投稿日付順1
変更日付順1

1.  沈黙 ーサイレンスー(2016) 《ネタバレ》 ドラマの流れは篠田正浩版(1971)同様、ほぼ原作に忠実だが、冒頭のポルトガルの場面やエピローグの「切支丹屋敷役人日記」の章が映像化されたことで 長尺となっている。特にスコセッシ流の解釈が施されたラストの十字架のショットは映画独自の表現となって印象深い。 1600年代を再現するランドスケープも厳選されており71年版に引けを取らないし、波音をはじめとする環境音の演出も充実している。 浅野忠信、塚本晋也らも安定の好演だが、イッセ―尾形はエキセントリックすぎて嫌味な印象だ。 岡田英次のほうが、穏やかな凄みがあった。 原作のクライマックスシーンは現国の教科書にも採用される有名な箇所だが、 その文章のもつドラマティックな迫力は、「白い朝の光が流れこんだ。」「朝方のうすあかりの中に」「黎明のほのかな光」「鶏が遠くで鳴いた。」などの 極めて映画的描写の充実にもよる。 篠田版は宮川一夫を撮影に起用してそれらの光を忠実に導入し、壁の「LAUDATE EUM」の文字を、踏み絵の図柄を、ロドリゴのシルエットを崇高に浮かび上がらせた。 遠藤周作が強く意識して描写しただろうその肝心な「夜明け」の光をなぜかスコセッシは映像化しない。 その代わりに、篠田版が賢明にも省略した「あの人」の声を聴かせてしまうという、この辺の感覚は違和感を抱かざるを得ない。 あるいは、スコセッシがあえてそのように処理して安易な審美性を拒んだというのは、現在の世界は未だ夜明けには至らないという諦念ゆえだろうか。 溝口的な、濃霧の中に浮かぶ小舟のショット。その視界不良で不穏な様も、全編を覆う曇天とともに何やら現実世界を連想させて、ぞくっとさせる。 異教と民族を巡る分断と排他主義が拡がる現在、時宜を得た公開ではある。[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2017-01-22 11:29:49)《改行有》

2.  力と栄光 《ネタバレ》 時間推移が、カメラをパンさせながらのオーヴァーラップや影を落とすエフェクト等で様々に表現されるのだが、それもあまり統一感はない。 技法というよりはドラマの語りの点で『市民ケーン』の原型だといえる。 成り上がった主人公スペンサー・トレイシーの浮気の告白、それを聞いた妻コリーン・ムーアの末路、息子の堕落。 そこから遡って、新婚時代の幸福なエピソードを見せていき悲劇性を際立たせたのはプレストン・スタージェスの巧さという事だろうか。 親友役のラルフ・モーガンが妻に語り聞かせる形式だが、顛末の全真相を語りきってしまうのも少々無理を感じさせる。 そうした諸々の改善の積み重ねが後のウェルズの達成に繋がったようにも思える。 新婚時代の夫婦の姿と、彼らの後景の窓外を走る汽車のショットなど、画面的に『市民ケーン』を思わせる断片も随所にある。[CS・衛星(字幕なし「原語」)] 6点(2016-12-04 06:04:27)《改行有》

3.  チャップリンのカルメン チャップリンが編集したオリジナルは2巻物(約20分)だったが、彼のミューチュアルへの移籍後にエッサネイ社が4巻物に水増しし、「でっち上げた」のが現行のバージョン。 (チャップリン自伝) つまり、映画の約半分は監督チャップリンの不服とするNGショットだ。 この苦い経験もまた、後に彼の完璧主義を形成していく一因となったのだろう。 確かにジプシー側の描写の多い前半部分などは活劇性も薄く、 人物の出入りを繋ぐ編集テンポも悪い為、短い時間を長く感じてしまう。 一方で、オリジナルからあっただろうショットもその充実ぶりからある程度察しがつく。 テーブル上でジプシーのダンスを踊る艶やかなカルメン(エドナ・パーヴィアンス)。モブシーンの猥雑とした活気。 邪魔が入って彼女となかなかキス出来ないチャップリン。 剣戟のコミカルで秀逸なアクション等々。 身も蓋もない云い方をすれば、彼の終生のパートナーともなるエドナ・パーヴィアンス との仲睦まじい絡みの全般であり、 自身の渾身のギャグシーン全般だ。 その釣瓶打ちとなる後半は、一気に映画を盛り返している。 バ―レスク(文芸作品のパロディ)とはいえ、悲劇「カルメン」の喜劇化それ自体が ラストのオチも含めて無理矢理感いっぱいだが、 ラストのツーショットで見せる二人の笑顔は幸福感に満ちて感動的だ。 [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2012-06-04 22:15:56)《改行有》

4.  中共脱出 極東部劇でもあり、それぞれの役柄も全く違うが、『ラスト・シューティスト』で感動的に再共演することとなるジョン・ウェインとローレン・バコールのやり取りを観るだけでも感慨深い。 ロケーションは米国なのだろうが、生活感漂う河岸の光景にはアジア的風情が良く出ている。 中盤に登場する難破船群の朽ち果てた様、そしてそのそばで開始される砲撃戦もまた壮観で、『つばさ』の過激な着弾ショットにも引けをとらない危険な爆発シーンが続出する。キャストの至近距離で木材の破片が四散し、豪快に水柱が聳え立つ。そのただ中で、ボイラー室で葉巻を半分吹き飛ばされながら表情も変えず短くなった葉巻を平然と燻らせ続ける機関士の横顔のショットが渋い。 暴風雨のシークエンスで、「サウンド版無声映画」となるのも『つばさ』のW・A・ウェルマンらしいアクション演出。 脇役ながら、スースー役:ジョイ・キムが前半に見せる愛嬌、後半で聞かせる歌声が良い。 [ビデオ(字幕)] 6点(2010-11-20 18:09:55)《改行有》

5.  地球が静止する日 平和的異星人との会談を徹底して拒否するアメリカ大統領は一貫して画面から排除される。この点、、オリジナル『地球の静止する日』(1951)の忠実な踏襲である。ロバート・ワイズ版の中では、異星人がリンカーン像を見上げ褒め讃える一場面などもあり、これが原爆認可と切り離せない映画公開当時の大統領トルーマンに対する逆説的非難であることは一目瞭然だ。その意味では旧作のほうがより直接的な政権批判を主眼とした政治風刺映画ということが出来よう。無論、本作における大統領個人の不在や軍の好戦姿勢、現実としてのアメリカ覇権主義描写もそれに倣ったものだが、リメイク版が志向するのは旧作が「物語」や「啓蒙的メッセージ」といった非映画的要素に重きを置く都合から各シークエンス間で省略した、より即物的な「アクション」部分である。具体的には、地球人の発砲により負傷したキアヌ・リーブスの治療の生々しい模様。隔離ブロックからの脱出経緯。二者が黒板に数式を黙々と書き込み合う動作等であり、特に前半部分は旧作に即した物語展開の為、その相違点は明確に際立っている。説明を極力排した活劇重視による画面主導の語り口が非常に潔い。宇宙人の翻意は、無表情で、(明快な)論理でないからこそ世界の豊かな多義性というものが映画に取り込まれている。●また、序盤で示されるタイムリミットの意外性に始まり、中盤のジェニファー・コネリーを上空から拉致する強引さ。彼女が墓地に再登場する唐突さ、戦闘機登場の突発性など、展開の目まぐるしさも良い。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-24 23:05:22)

全部

Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS