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1. バタフライ・エフェクト/劇場公開版 カオス理論っていうの? タイムパラドクス? よくわからないけれどそれは実生活でもイメージがわきますよね。「あのときこうやっておけば」とか「あの人に会っていれば(会わなければ)」とか・・・ふう。ま、そんな感じです(意味不明)。バタフライ効果といっても『オールドボーイ』じゃないですよ。どちらかというとシリアスな感じの 『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』かな。一瞬だけ過去に戻れて「そのとき」をリロードすることができるから。でもこの手の映画ではつきものですが「こちらに立てばあちらに立てない」。必ずうまくいかないものです。友人が凶暴になっていたり、誰かが死にそうになっていたり。もう本当に疲れます。トラウマ要素が連発なんだもの。そしてラストは・・・。WIN WIN WINってほんとなのかな? 何かが誰かが犠牲になる。それは誰も気付かないところでかもしれない。悲劇は自分だけ知っている。とても悲しいね。そしてエンドロールにかかっていた曲はオアシスだった。そこでまた泣きそうになりました。いい映画でしたね。ちょっと重いけれど。[映画館(字幕)] 8点(2005-07-06 21:17:42)(良:1票) 《改行有》 2. パッション(2004) この作品は観なければいけないんだろうなと思いました。そして観ました。映画を観た小泉首相は「いや~、、残酷な映画だったね」と言っていたけれど、この作品の論点はそこではないと僕は思いました。映画を観た教会関係者がショック死したり、殺人犯が自首してきたり、ましてメル・ギブソンが私財を投じてハリウッドとしては破格の値段で制作し、フタ開けてみたら大もうけ・・・なんて、それはこの映画をアピールする要素であり、作品としてのPRであって、そのもの自体を語ってはいないです。この映画はイエスがイエルサレムの聖職者に捕まり、ゴルゴダの丘で処刑され、そして・・・。みなさんが知っている話です。限られた空間の中だけでカメラはまわり、イエスはなぶられ続ける。その痛さからは小泉首相じゃないけれど目を背けたくなります。だけど観てしまう。決して目を逸らすことなく。作品ではイエスの心が揺らぐとき、その後ろには悪魔が見えます。しかし最後には己の悪魔に打ち勝ちます。イエスは許しを請う。それは自らが虐待をする聴衆にではなく、自らに虐待を行う聴衆を神に対して許しを請うのです。「神よ、この者たちをお許しください!」僕も以前は他の人がそう感じるように「宗教なんて・・・」と考えていました。例えばカインとアベルの話を聞いても絶対に納得できなかったし「神を信じる者が何故争いを起こす?」とその矛盾を支持することはできませんでした。でもそれなりに僕も社会に出て多くの納得できないことや、矛盾に突き当たったことによって、段々と「世の中は決して白黒付けられるものだけではない」という考えを受け入れられるようになっていきました。子供のころは自分が正しいと思うことはみんなが正しいと思っていると受け止めていました。自分の考えの中には他者の考えは存在していなかったから。当然、世の中の人は反発し合います。正義を振りかざして相手の正義を非難する。それは矛盾そのものです。だけどそれを受け入れなければならない。聖書がもし矛盾なく白黒を付けているものならば、その聖書自体が矛盾しているのです。社会に目を向ければ矛盾しかない。だから宗教はそれを説いているのだと思うのです。自己の弱さは、イエスのように普通の人は払拭できないでしょう。だけど皆、自分の中の悪魔を振り払いたいと思うはずです9点(2004-10-29 23:29:49)(良:1票) 3. パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち 《ネタバレ》 いや~、なんつうか久々にメジャーな娯楽大作を観せて貰ったという感じです。ジョニー・デップかっこいいなぁ。ウィノが惚れた理由もわかります(いつの話だ?)。ジョニー・デップは大作映画には出ないというイメージだったんですけど、それはティム・バートンと長らく組んでいたからですかね。いや、ティムの映画は大好きですけど(苦笑)。『ロード・オブ・ザ・リング』でケミスった、オーランド・ブルームは頑張っていましたが、やはりジョニーの域に行くには早すぎますね。存在感が違いすぎます。映画を観終わった後に後ろに座っていた娘っ子らが「誰アレ?やばくない?」「マジ惚れた」とオーランド・ブルームを彼女らなりに称してました。そっかな~。断然ジョニーだと思うんですが。それと映画を観てひとつ思いました。 なんでオーランド・ブルームもかわいいヒロイン(重要)も結果的に金貨を盗んでいたのに骸骨にならなかったのかなぁ。人が盗んだものを譲り受けたのなら呪われないのか。でもそうしたらブルームの親父が呪われてるはずなのに…謎です。7点(2004-02-07 21:55:59)《改行有》 4. 初恋のきた道 これはチャン・ツィイーのための「角川アイドル映画」なのだけど、あまりにも“姫”が輝きすぎているために、つっこむことも忘れ観ることが出来ます。愛に飢えている人が観るとイチコロです。いや、ほんとに「男の落ちどころを知っているよな」と関心しきりなんですが、それは誰しもどこかに自分史の中、似たような経験を内包しているからなんですよね。たとえ良い過去であれ、レーザー光線でその部分の記憶を焼き切りたい過去であってもね。そのような記憶が存在しない人でも、潜在的な願望として、どこか感情が揺さぶられるのかな。ほんとにストーリー的には“ベタ”・・・というか“ベタベタ”なんだけれど、それをあざとく感じさせないのは色彩表現が豊かな監督の手腕によるところか。普通に考えればツィイーはストーカーなんだけど、どうしても目は美しい自然のバックグラウンドに映える、彼女の赤に引き寄せられてしまいます。そこで微妙な視点のズレが発生し、昨今では「ありえね~」と考えられがちな彼女の不可解なまでの一途さへのつっこみを忘れ「情熱の赤」が言わんとしている“純愛”を堪能することが出来るのです。そういえば世間に“純愛ブーム”が定着して久しいです。そういった世の中の風潮というのも大きいのかな。こういった映画への評価も。僕自身の主観ですら、世間の風潮に大なり小なり左右されてしまうわけで。へんな安っぽい恋愛映画を観てしまうとゲンナリするのだけど、今日あらためて観た『初恋のきた道』はそれを感じさせなかった。それは『或る夜の出来事』や『アパートの鍵貸します』を最初に観たときと似ていました。最初に観たときと違う印象を受けるというのは、よくあることなんですが、恋愛映画は初めてです。ベタベタな表現と判っていながら自分の記憶を連想させドップリはまる。監督の意図の裏までわかっているつもりなんだけど、あえてそれに引っ掛かる。チャン・ツィイーの“かわいさ”とか、現在をモノクロ、過去をカラーで表現する手法とか、最初、恋愛ものかと思って涙するものの、それはいつのまにか「先生」「生徒」の絆への深さに変わっている涙とか。だけどそれに気付いたところで感動には変わりないし、不快というより、むしろ爽快。監督に騙されたい気分。7点(2004-02-05 18:28:33)
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