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341.  裸のキッス 開巻と同時にまさに襲い掛かるバイオレンスの唐突性と、タイトルバックでコンスタンス・タワーズが鬘を直すカメラ目線のインパクトがもたらす不穏な感覚に一気に引き込まれる。 撮影スタンリー・コルテスによる夢幻的で美しい画調と、露悪的な主題提示のギャップも強烈に倒錯的である。 特に絶妙な光加減が醸しだす夜間場面の妖しいまでの艶かしさは比類ない。その対象を輝かせるキーライトの強さは逆に表情の側面に落とされた暗い影の強さをも際立たせ、人物の後ろ暗い一面を暗示的に浮きあがらせるようでもある。 最後の俯瞰ショットで、陽光を受けながら出所する彼女に対し、取り巻く街の住民たちが建物の影の中に配置されているのは偶然だろうか。 子供たちの縄跳び遊びやレコード・録音テープ等の回転運動、合唱、クロースアップ。これらの反復がニュアンスを変えながらクライマックスに収束していく絶妙な語り口が素晴らしい。[DVD(字幕)] 9点(2009-08-30 16:04:45)《改行有》

342.  3時10分、決断のとき 50年遡るオリジナルと比較して、明らかな退行。上映時間の肥大と完全に反比例したワンショットの短さと、役者の表情演技に頼んだ単調なクロースアップの貧困さのみ印象に残る。画面深度と構図を駆使し、ワンショット内に複数のアクションを同時進行させ、複雑で豊かな情感と意味を付与した傑作オリジナルには及ばない。傍目には派手さを増したリメイク版の「アクション」は、旧作でヴァン・へフリンが若者を一瞬の速度で殴り倒す優れたワンショットにはまるで敵わず、二度と会わないであろう男女の別れを俯瞰ロングで捉えたワンショットの豊かな抒情は微塵もない。旧作の酒場のセットで襟を直すグレン・フォードと髪を整えるフェリシア・ファーのさり気ないツーショット、続く二人のショットサイズの変化のみで両者の関係を簡潔にして雄弁に語りきった省略の美質とのあまりの差異。アクションや情感を実らせるのは、必ずしもエピソードやアップショットや台詞の物量ではない。[映画館(字幕)] 5点(2009-08-25 23:07:03)

343.  殺人捜査線 あらゆるカットにパースペクティブが活かされており、その構図取りの卓越した感覚が素晴らしい。冒頭から数多くのエキストラや車両を画面手前と奥に行き交わせ、深い被写界深度によて臨場感と世界の重層化を演出する。また、サウナ室の蒸気や、水族館の光の揺れ、スケート場や展望室のモブ(群衆)など、遠景には動きを取り入れる工夫が様々に凝らされており、活力ある空間が連続する。カットにはまるで無駄が無く、初っ端のスピーディなカーアクションから、クライマックスのスクリーン・プロセスと実景を見事に組み合わせ奥行きを活かした逃走アクションまでタイトに纏まり全くテンションが途切れない。特に最後の追跡劇は、ハイウェイの奇抜なロケーション、水平と垂直のパースペクティブ感覚、スピード感の演出が総合し傑出した活劇となっている。[CS・衛星(字幕)] 10点(2009-08-02 16:55:25)

344.  ボディ・スナッチャー/恐怖の街 回想形式でのスタートだが、救急病院を示す屋外のファーストショットから流れるような移動で院内の主人公が回想に突入するまでほんの数分、ショット数にしてわずか4というスムーズな語り口があまりに見事である。この4ショットの間に、主人公に関する必要な情報のみ簡潔かつ的確に提示し物語に引き込む手際の良さ。日中はロケーション主体の写実的なタッチ、夜間はノワール的な照明設計(低位置のライティングよる陰影の拡大、闇を強調した夜間撮影など)、ここに階段や丘道による高低差・坑道や地下室の暗い閉塞空間を効果的に織り交ぜ、不気味なムードとサスペンス感を一段と増幅してみせる傑出した技能は低予算作品で培われた職人技といって良いだろう。要所で限定的に用いられるひずんだクロースアップの効果も絶大である。ここには大スターも大掛かりな美術セットも特殊効果もないが、全編が豊かなスペクタクルに満ちている。(モノクロームならではの、夜の路地の妖しい美しさといったらない。)これぞB級の美質。[ビデオ(字幕)] 9点(2009-07-29 21:38:27)

345.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 作劇自体は、あまりに理詰め過ぎで人工的。人物同士の関係性を画面内配置と明暗のコントラストで的確に示す手際や、窓枠・鏡・PCモニター・柱といったフレーム内フレームをさりげなく駆使して主人公の閉塞感と開放感を視覚的に演出する構図感覚なども理が勝ちすぎの印象がある。一方で、光と闇に対する繊細な感性と意識も細やかだ。コンラッド・L・ホールによる濃い陰影が、少ない光量の中に映える人物の表情、雨垂れの光を本作でも十二分に活かしきっている。3人家族の食卓で主に中央の主人公の娘(ゾーラ・バーチ)に注ぐ照明の具合、また彼女と隣家の少年が薄暗い室内でビデオを見る場面で、彼女の瞳に小さく揺らめく光の美しさ、あるいはクライマックスとなる雨の夜のシークエンスにおける照明と撮影は何れも絶品である。ケヴィン・スペイシーとミーナ・スヴァーリが見詰め合う窓際の逆光と流れる水滴の美しさ、そこに順光のスポットで浮かび上がる赤いバラの鮮烈さ。それら暗目のトーンが、シニカルな主題を際立たせる。[映画館(字幕)] 7点(2009-07-12 16:45:17)

346.  シックス・センス 奇しくも、死者との交流と癒しを描いた美しい日本映画『学校の怪談4』(1999)と同年公開である。こちらも子供の視点とアングルを多用した静謐で丁寧な作風が非常に好ましい。微かな音楽、あるいは無音を活かした世界構築と共に、全編にわたり無駄な台詞を極力切り詰めた優れた脚本が本作の静謐さを生む美質のひとつである。一例として挙げれば、亡くなった少女の家庭の状況を、部屋の中を移動する1ショットの合間に、遺族たちの最小限のささやき声と壁の写真のみで十二分に語りきってしまう卓越した手腕。大幅な省略ゆえに、逆に個々の台詞が重み、深みを湛える。または画面の美点。印象的ならせん階段に浮かぶ赤い風船、扉、ドアノブやテントに用いられる赤い配色は余計な宗教的意味合いなどに還元されずとも純粋にワンポイントカラーとして美しく、妖しく映画を彩っている。そしてこれはフィラデルフィアの映画、歴史に埋もれた被迫害者たちの慰霊の映画として忘れ難い。[映画館(字幕)] 9点(2009-04-17 20:59:51)

347.  過去を逃れて 特に夜間場面におけるモノクローム撮影術の見事さは、『キャット・ピープル』のジャック・ターナー&ニコラス・ムスルカのコンビならではのもの。人物のシルエット、シェードランプやカーテンの揺れが十分に使いこなされ官能的ムードに満ちた屋内撮影はノワール様式の充実ぶりを示す。一方で、黒塗り車の光沢が醸しだす夜の街路の妖しさやアカプルコ~タホ湖近辺の自然景観など、屋外ロケの充実も作品世界をより豊かにしている。ロバート・ミッチャムの一貫して動じない物腰とポーカーフェイスの魅力、ジェーン・グリアのミステリアスな美貌。さらに不敵なカーク・ダグラスも絡んだ駆引きのサスペンスと展開の圧倒的スピード感によって、最後までドラマの緊張が途切れない。さらに注目すべきは、夜の山小屋でのスピーディな殴り合いの迫力。作中ほぼ唯一の身体アクションの場面だが、これほどのスピード感に満ちた拳闘アクションはなかなか見られない。[DVD(字幕)] 9点(2009-04-11 23:00:08)

348.  拳銃魔(1949) 走るキャデラックの後部座席に据え置かれたカメラがフロントガラス越しに進行方向の市街路と前席の主役二人の対話を捉える。路肩に駐車すると、運転席の男は右手の建物に素知らぬ風に入っていく。奥の角から警官が現れ、助手席の女は慌てて車を降り世間話で彼の気を引く。突然、男がドアから飛び出し、女は素早く警官を一撃する。警報が鳴る中、車を急発進させ逃走する二人、、。屋外の一ショットで銀行強盗の一部始終を捉えきった長廻しショットが実に圧巻である。人工照明のない即興風の画面感覚と、同時録音の臨場感によって描写はひたすら生々しい。長廻しによる静的な空間が警報によって一変し、主役二者の機敏な連携アクションが突発的に起動する。カメラは定位置のまま二人の主観に同調するようにフロントの光景が荒々しく流れすぎていく、その緩急の感覚と迫真性が素晴らしい。この後に展開する逃避行の場面はいずれもそのラフな疾走感がただならない迫力を生んでいる。広角クロースアップでひずんだ不安定な構図が合間合間に短く差し挟まれ、二人の顔面を狭いフレームの中に押し込める形の画面処理がまさに追い詰められていく二人の息詰まる閉塞状況を的確に印象づけていく。冒頭の過剰な雨と、それに対応するラストの過剰な朝靄の視覚的インパクト、一旦は別方向に別れた二人が車をターンさせ一台に乗り込むシーンの自然光線の鮮烈さと二人の表情なども忘れがたい。[DVD(字幕)] 9点(2009-04-09 22:23:15)

349.  ヒート カフェで対峙する主役二人の対話が二人の後方からそれぞれごくシンプルな切り返しによって捉えられる。その構図は二人がまるでお互いに自分自身の鏡像と対話しているかのような印象も同時に与える。立場としては対極にある相手に自分との同質性を認め合う場面とも解釈できようか。かつてのノワール映画では、低位置のキーライトで人物の相似形の影を作り出し、オルター・エゴ(もう一人の自我)を仄めかすスタイルがあるが、これに近い印象でもある。終盤の最終対決にみる光と闇のモチーフも同様、背後の誘導灯の点灯によって逆光の中に浮かび上がるロバート・デニーロの黒いシルエットは、対照的に照らし出されたアル・パチーノ自身の投影でもあろうか。対極でありながら一体でもある光と闇の領域の対立、実景主体の写実的市街犯罪と、俯瞰撮影も交えながら印象的な夜景を捉えた都会的ルックはまさに大戦直後(1945~1949)のノワール第二期作品群を髣髴とさせつつ、シネスコ画面の水平ラインをより意識した新たなノワール様式を創出している。[映画館(字幕)] 10点(2009-03-28 17:31:42)

350.  地球が静止する日 平和的異星人との会談を徹底して拒否するアメリカ大統領は一貫して画面から排除される。この点、、オリジナル『地球の静止する日』(1951)の忠実な踏襲である。ロバート・ワイズ版の中では、異星人がリンカーン像を見上げ褒め讃える一場面などもあり、これが原爆認可と切り離せない映画公開当時の大統領トルーマンに対する逆説的非難であることは一目瞭然だ。その意味では旧作のほうがより直接的な政権批判を主眼とした政治風刺映画ということが出来よう。無論、本作における大統領個人の不在や軍の好戦姿勢、現実としてのアメリカ覇権主義描写もそれに倣ったものだが、リメイク版が志向するのは旧作が「物語」や「啓蒙的メッセージ」といった非映画的要素に重きを置く都合から各シークエンス間で省略した、より即物的な「アクション」部分である。具体的には、地球人の発砲により負傷したキアヌ・リーブスの治療の生々しい模様。隔離ブロックからの脱出経緯。二者が黒板に数式を黙々と書き込み合う動作等であり、特に前半部分は旧作に即した物語展開の為、その相違点は明確に際立っている。説明を極力排した活劇重視による画面主導の語り口が非常に潔い。宇宙人の翻意は、無表情で、(明快な)論理でないからこそ世界の豊かな多義性というものが映画に取り込まれている。●また、序盤で示されるタイムリミットの意外性に始まり、中盤のジェニファー・コネリーを上空から拉致する強引さ。彼女が墓地に再登場する唐突さ、戦闘機登場の突発性など、展開の目まぐるしさも良い。[映画館(字幕)] 6点(2009-03-24 23:05:22)

351.  死の接吻(1947) カーテンのライン、柱といった垂直のラインを多用して人物を狭所に配置し、夜の闇と人物の影によって黒の領域を大きくとった画面設計。そこに周囲の雑音を無音レベルまで消した録音効果が組み合わさり、息詰まるような焦燥感と切迫感が生まれている。その効果は序盤の高層ビルエレベーター内の場面、リチャード・ウィドマークがカーテンの隙間から目を光らせるレストランの場面、そのレストランの外で主人公ヴィクター・マチュアを待ち受ける黒塗り車の場面において絶大である。その異常な静けさが緊張を最高度に高めている。後半、ヴィクター・マチュアが裏切り者として狙われる側となってからの展開は特にサスペンス感に溢れ画面から目が離せない。これがデビュー作となるリチャード・ウィドマークの悪役像も強烈な印象度だ。[DVD(字幕)] 8点(2009-03-20 21:00:22)

352.  鉄腕ジム J・フォードと共に、いわゆる「男性派」監督として並び称されるラオール・ウォルシュもやはりアイルランド系。この映画での初期ボクシング、家族愛、喧嘩、お祭り騒ぎ、仲間同志の連帯感といった要素はいずれも映画では馴染み深い典型的アイリッシュのアイデンティティである。これらのモチーフは一見、固有の民族像を描出しながらも、その人間関係の奥底から醸される叙情性は幅広い普遍性を獲得している。会う度に反目し、喧嘩してしまうエロール・フリンとアレクシス・スミスだが、最後には二人の恋愛が成就するであろうことを誰も疑わないだろう。ライバルとなるチャンピオンとの挑発合戦も同様、最後には胸の熱くなる和解の場面が用意され、原題である『紳士ジム』のキャラクターに深みを与えている。(二者を重層化する大鏡の演出が秀逸。)アイリッシュ的要素の数々は同時に映画的活劇性にも満ちており、特に港の桟橋を舞台とした拳闘試合の喧騒が大いに映画を盛り上げていている。[DVD(字幕)] 9点(2009-02-01 20:28:58)

353.  極北の怪異 ロバート・フラハティによる記録映画の魅力は、狭量な「民俗記録」でも「資料的価値」でもなく、ジャンルや手法や国境に囚われぬ自由な精神に基づく映画感覚といえる。一般的には記録映画としてもの珍しさを第一に要求するであろう映画会社に対し、フラハティはそれ以上に「人間と自然」の魅力の活写に大きな力点を置いていることが画面から明らかに伝わる。ローポジションが緊張感を煽るあざらし漁の撮影。酷寒の猛吹雪の迫力と寂寥を伝えるモンタージュ。一方でナヌーク一家がカメラに向ける大らかで人なつっこい表情やユーモラスな仕草が断然素晴らしい。カメラが全く警戒の対象とはなっていない。これは日本でいえば小川紳介(山形)、佐藤真(阿賀)等の傑作ドキュメンタリーに受け継がれていく、腰を据えた共同生活というアプローチあってこその魅力的な表情といえる。勿論それは単なる長期取材・長期撮影という手法のみで成し得るものではなく、一定期間はカメラを回さず肌で喜怒哀楽を共にすることによって獲得される対象との親和性や、映画的各瞬間を的確に捉える手腕と資質があってのものだ。[DVD(字幕)] 10点(2009-01-10 18:38:59)

354.  人生模様(1952) O・ヘンリーの有名短編を原作とするオムニバス5話。各々20分弱の短編だが監督はFOXを代表する錚々たる顔ぶれである。 第一話「警官と賛美歌」:チャールズ・ロートンの傘ナイスキャッチと空振りキックは抱腹絶倒。その驚愕の反射神経ととぼけた表情のアンバランスが絶妙だ。 第二話『クラリオン・コール』:鏡像を使った演出。そしてギャング役リチャード・ウィドマークの憎々しい悪役像の魅力。 第三話『最後の一葉』:雪と強風の実感描写、ドアの開閉を契機とした場面転換が見事。美術商と画家の無言のやりとりのさりげさが良い。 第四話:『赤酋長の身代金』:子供に翻弄される誘拐犯の表情のリアクションが可笑しい。人間と熊が共演するショットのハラハラする面白さはハワード・ホークスの真骨頂。 第五話『賢者の贈り物』:主演(ファーリー・グレンジャー&ジーン・クレイン)の若夫婦が抱き合うツー・ショットの至福感。原作が豊かに膨らまされ、貴金属店の主人の粋な計らいと帰り道での募金というオリジナルエピソードが、ささやかながら情話を巧く盛り上げている。 [DVD(字幕)] 8点(2009-01-03 22:30:00)《改行有》

355.  大自然の凱歌 最後のシークエンスなどは、「階段」からしてもウィリアム・ワイラーの担当場面だとわかるが、特に前半から中盤にかけての快調なテンポと演出はまさしくハワード・ホークス印といえる。ウォルター・ブレナンの飛びつき。「オーラ・リー」の合唱。エドワード・アーノルドの叩き下ろす豪快なパンチ。フランシス・ファーマーがみせる粋なマッチの擦り方。登場人物たちの織り成す視線劇の面白さ等など。その何れもが魅力的だ。撮影担当二者の布陣も凄いのだが、労働者をしっかりとフレームに納めながら森林伐採から材木搬出、切断加工までを捉えた冒頭の迫力あるロケ撮影はやはりグレッグ・トーランドだろうか。豪快な躍動感のみならず、巨木と労働者のスケール対比、そして人間の労働を明確に描出したロングショットが素晴らしい。冒頭の飯場、酒場の乱闘シーン、終盤のパーティのシーン等でも個々の人物に満遍なくフォーカスを当てた撮影により群衆場面の活気をさらに盛り上げ、一方ではレースのカーテンの薄い影が揺れる「女優フランシス」の横顔のソフトな美しさを一際艶やかに浮かび上がらせる繊細さはやはり、G・トーランドの真骨頂というべきか。[DVD(字幕)] 9点(2009-01-02 20:46:46)

356.  PLANET OF THE APES/猿の惑星 《ネタバレ》 原作に忠実なプロットがもたらす、「マーズアタック!」同様の自国に対する痛烈なアイロニー。「奴隷解放の人格者」的側面だけが喧伝されるエイブラハム・リンカーンのもう一つの側面、(米国最大の内戦であり、米国型戦争の原型でもある)「南北戦争」の強面指揮官・戦略家としての姿とその功罪を考えたとき、劇中で強調されていた戦闘的なチンパンジーの凶暴さ・残忍さとシンクロするラストが戦慄すべきものとなる。最後に画面上に登場する猿人が、警察・マスコミ関係者であるという意味深さ。「イラク侵略」の元凶たる、公開当時の悪名高き大統領が歴代の中で最もリンカーンへの信奉を広言していたという皮肉。ティム・バートン監督らしい現代風刺だ。[映画館(字幕)] 7点(2007-10-14 22:13:55)

357.  驚異の透明人間 サーチライトに浮かび上がる秀逸なオープニングタイトルが即座に次の脱獄場面に連携する。 この脱獄のシークエンスがカットバックを含むわずか10カット足らず、時間にして1分弱の簡潔明瞭さ。極端な短さながら、サーチライトとマシンガンによる光と影のコントラストによってその印象度は強烈である。 カラーの時代ながらモノクロの選択が功を奏している。透明化が不完全で実体が現れてしまう場面の特殊撮影もまた、モノクロ効果と馴染んで違和感がない。その特撮もわずか数カット。 その効果を最大限に活かすために全編をモノクロに統一する映画人としての矜持。 フリッツ・ラング作品の美術担当によって培われただろう、ポイントを押さえたセット・小道具類へのこだわりと創意工夫が随所で見事に活きている。[DVD(字幕)] 8点(2007-09-30 14:01:12)《改行有》

358.  第七天国(1927) 甘美なロマンスムード一辺倒ではなく、後半では第一次世界大戦での塹壕戦の描写なども手抜きがない。中盤の出征のくだりからは街路や戦場での大掛かりなモブ(群集)シーンが俯瞰気味で捉えられ、またかなり凝った特撮も組み合わされており大作の風格すら感じさせる。厳然たる戦場(地獄)に正面から向き合ってこそ対位的に強調される「天国」。その対比に関連するなら、恋人たち二人の身長差を始め、高層アパートや階段、地下水路といった舞台設定や台詞の中など随所に高低差が意識されており、見上げる・見下ろす・昇るといったモチーフに活かされている。下降―上昇―下降―再上昇という物語構造は現代なら宮崎駿監督なども意識して用いる普遍的な作劇であり、具体としての垂直方向の身体アクションが説話と融合することで、ドラマへの強い感情移入と感覚的高揚を可能にするのではないか。観念的な意味ではない、具体的な「上を見上げる」という行為の美質に溢れた作品である。[DVD(字幕)] 9点(2007-09-22 18:34:18)

359.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 仮想的を「宇宙」に求めたバイロン・ハスキン版(53)とは異なるアプローチによる、本来あるべきウェルズ原作「世界間の戦争」の忠実な映画化である。 それは即ち、異なる価値観に生きる他民族同士の争いを問うという事だ。 第二次大戦後のパル=ハスキン版に対し、2005年にH・G・ウェルズをリメイクする意義とは、いわゆる9.11が触発した現在進行形のイラク侵攻(一方的軍事侵略)が突きつけた課題に映画人としてどう向き合うか、という事に他ならない。それを明確に象徴するのが旅客機の残骸の図であり、埃塗れのトム・クルーズであり、暴徒化し難民化する群衆の姿だ。 映画は大状況の説明には興味を示すことなく、小状況の中で争い合う人間の、いわば原理を追究していく。 だから、映画は地下壕での主人公自身による殺人行為に異様なほど十分な時間を割く。ドアを閉じ、ダコタ・ファニングを眼隠しすることがここで映画的効果を発揮している。 闇を効果的に強調するヤヌス・カミンスキーの撮影が相変わらず素晴らしい。[映画館(字幕)] 9点(2007-08-04 22:21:04)《改行有》

360.  ロッキー・ザ・ファイナル 監督シルヴェスター・スタローンによる直近3作のアクションシーンは1ショットに拘ることなく、忙しないほどのモンタージュ加工によって作り上げられる。 旧作で、寝起きから生卵一気飲みまでを捉えた一連の長回しや、持続的なウェイトリフティングとプッシュアップ、歩道から美術館の階段上までを主人公のロードワークと共に駆け上がる見事なステディカム移動撮影といった、1ショットが含み持った感動は今作には見られず、ことごとく細かいアクション繋ぎによって編集されている。 主人公の生理と同調しつつ、主人公に伴走しながら階段を登りきるカメラワークの持続があってこそ観る者により高揚をもたらすはずなのだが、テーマ曲の尺とリズムを偏重した結果か、勿体ないカットの割り方と云わざるを得ない。 一見、意匠的には旧作を踏襲しているように見えながら、過度に分解された1ショットの運動の充実度は薄い。 一方で、イエスの肖像で始まる第一作に回帰し、その表象として画面を彩る個々の光は印象的だ。 スケートリンク跡地で、主人公の両肩に輝くヘッドライトは五作目で語られる「Angel」だろうか。 スタローンはジェラルディン・ヒューズの玄関先に「光あれ」と電燈をつけ、彼は逆にこの光に照らされ、エキシビション・マッチの決意を固める。 そして、最後の花道を振り返る彼を照らすスポットライトの光がひときわ美しい。 [映画館(字幕)] 8点(2007-04-22 01:12:05)《改行有》

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