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性別 女性
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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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361.  アイム・ノット・ゼア 《ネタバレ》 ボブ・ディランそれは私にとっては「地獄の黙示録」の怪しいオープニング曲を歌ってる人。 そしてあまりに多くのアメリカ人に愛されてるらしい人。カレを大嫌いだという人がいない人。 そういう人やモノってあやしいと思うことにしましょう。圧倒的多数の人が好きだと思うものなんて、あやしくなくてなんなんでしょう。 そんなボブ・ディランのことを大好きな人たちが作ったコレですけど、まーウィキペディアくらいは引いてから見たほうがいいでしょう~。そいでないと確実にワケがわかりません。 ウィキペディア済みであっても、さらにワケのわからないリチャード・ギアのパートですが、ようするにボブ・ディランが好きだったというビリー・ザ・キッド幻想ですよね。 ここのパートと、黒人少年のパートは完全に「ボブ・ディランの勝手な妄想」なわけで、この作品では「妄想」もカレの人格の一部だとしているのですね。 まっそうやってディランて人は面倒をケムにまいて生きてきたらしいので映画もそういう感じなので、私は「ケム」部分を「これはケム」として認識したうえで「だいたいこういうことがあった」部分に注目してしまいます。 特に、ほかのパートと比べて非常に浮いているのがヒース・レジャーのパートで、ほかの役者に比べて体格もリッパすぎるし、やっていることがあまりに「生々しい」です。ツマとの不仲だの親権だの裁判だの離婚判決書だのと、「ビリー・ザ・キッド」を夢見る吟遊詩人的世界とはかけはなれています。 私はこれがカレの本質であって、あとのものは全部情けないヒース的部分を「ケム」するためだと言ってもいいのではないかとすら思う。もしもこの作品にヒース部分が無かったとしたら、「ザ・夢見る吟遊詩人」で済んでしまいそうではないか。 口から出まかせの言葉をテキトーにアドリブでギターに乗せたら「すごい詩を書くやつ。」と尊敬されてしまった…と言ってはファンに殺されそうですね。 なんでか知らないけど欧米では「詩が書けるやつ」がスゲーという伝統文化があります。なんか女にモテちゃうというような。たぶん識字率がけっこう低いとかディスレクシアの人がたくさんいるということと関係あるのかも。私は「詩が書けるやつ幻想」と呼びたいが、この作品を見るかぎりボブ・ディランはそれを利用して、そして被害者にもなったのかもしれぬ、と思いました。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-11-21 17:47:40)《改行有》

362.  マイ・プライベート・アイダホ 《ネタバレ》 ネタ元などの前知識はゼロのうえフェニックスの演技を初めて見ました。 うまい、というより全然芝居をしているように見えないですね。このテンションで何カットもテイクさせられても平気なんだろうか。 フェニックスが芝居していたとしたら大したものです。そして、いくら美形とはいえ何に出てても「セリフ言ってます」的なキアヌ(もうこれはしょうがないんだよな)とぶつけたことが…「?」となる。 どこまでも自然なリバー・フェニックスに対し、どこまでも大根なキアヌ。ん~この配役は~どうなの~。 この監督ってさ、薄幸の美少年に異様なほど関心があるわけでしょう。グッドウィルハンティングのときも「ヤバいなあ」と思いましたけど、要するに悲惨な育ち方をした美少年に大人の男が手を差し延べるというパターンにしつこく捕らわれているわけで、自分を差し延べる側に模しているのですね。 まあヘンタイなんでしょう。この作品では、ウド・キアの車のパーツセールスマンが己の分身というところで、それをとても露悪的に描いていますね。「グッドウィル」のカウンセラーのリッパさとはエライ違いです。 全体的には、ほかのレビュワーさんもおっしゃっているように冗長に感じられるシーンがあまりにも多すぎて、かなりツラいです。ドラマを排してリアリティに行きたかったということでしょうが成功しているとはいえません。 サントはナチュラルと冗長を間違えていたように思われてなりません。 内容はですね、「アメリカには〝女〟が存在しない」という強烈なメッセージを感じます。 まわりになんとなく女がいても、それはマイクやスコットにとっては全く「女」を意味していなかったのです。唯一意味のあるセリフをいうアメリカの女は枯れ木状態のバーさんだけです。 そして、二人とも「母」とか「妻」とか「恋人」とか「姉妹」とかいう意味のある女性体験を欠いていまして、それすなわち「アメリカには〝女〟が存在しない」をあらわすのです。 だから「スコットはヨーロッパで初めて会った女と恋に落ちた」になるので、それイコール「初めて女性というものに出会った」であって、彼らにとってやっぱり「アメリカに女はいない」なのです。特殊な建国の成り立ちによって形成されたアメリカ人男性の女性嫌悪が強く感じられる一作です。可愛さ余って憎さ百倍的な方向の怨嗟です。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-10-02 14:39:20)《改行有》

363.  ライフ・アクアティック 《ネタバレ》 さて異常なほどのキャストの豪華さをどう考えたらいいのか困ります。これって彼らがなだれを打って出たがるほどの作品なのか? 正直いうと私はロイヤルテネンバウムスよりは見やすかった、マシだと思いました。 それでこの唯我独尊おやじが突っ走る話を単なるストーリーと思っていいものかどうか、迷います。作り手は単に面白がっている(見ているほうは面白くないが)だけなのでしょうか。 おやじの行動はどうもどこかの国を思わせずにいられない。人のものは自分のもの。やられたら相手の本拠地に乗り込んでいって倍以上やり返す。何事も深く考えない。困ったときは暴力。反省自省の欠如。いつも子分をぞろぞろ連れていないとイヤな性分。 やっぱ…アメリカを揶揄しているとしか思えないんだけどなあ。 といっても、この作品はアメリカを皮肉るためだけに作られたとは思えませんし、そういう意味では皮肉が不足している。 ストーリー自体はとてもつまりませんし、百歩譲ってもおやじの身内でもなければ面白くはないでしょう。 やっぱりこの監督さんとは合わないなあ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-09-24 13:28:59)《改行有》

364.  ノーウェイ・アップ 《ネタバレ》 低予算B級のわりにはそんなにひどくないです。 ただなあ、こういう映画はスジが命だと思うので、脚本の練り不足というか常識の範囲を出られないというか、ここが限界ならばあまり才能ある作り手とは言えないと思います。 ギャビン及び若い方の警備員が殺された時点でおおむね犯人の目星がつき、トランシーバーでの会話の怪しさで決定的になってしまううえ、5時過ぎに訪れた駐車場の客が思ったとおりの人物だというサービスの良さ(?)、想像力の無さ、人の良さ。 もっと振り回してくれよう。あっと言わせてくれよう。 ワタシは最初のほうで、「もしかしてギャビンは実在していなくてトムの想像の産物で一連の犯行はトム本人?」というビューティフルマインドオチというかエンジェルハートオチを考えていたのですが、そういう楽しい展開はなくてごくごく常識的に進んで終わってしまったのでした。悪くはないけど平均点で、密室ならではの閉じ込めスリルも足らないし努力が必要だと思います。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-09-24 13:15:34)《改行有》

365.  理由(1995) 《ネタバレ》 映画というものの宿命であるが、ヒジョーに残念なのはアールが無罪放免になった時点で1時間8分経過だという事実が観客に与える影響で。 1時間8分で終わるワケがないということで、残り時間から想定されるその後の展開の予想がついてしまう。これは致命的だ。そして、予想を裏切ることなくまじめに話は進む。 つまり1時間8分のところで事実上サスペンス映画は終わっているようなもので、その後は消化試合のように眺めるのみ。 死刑囚どうしの取り引きという、あっと言わせるアイディアはなかなかいいと思うし、去勢されたことをラストで知らせることで、精液の件から保安官らがアールの犯行であると確信していたけれど表沙汰にできなかったこともはっきりする。 しかし、経過時間が原因でオチ割れしてしまうということがいかにもどうも納得が行かないというか、それだけの作品だといえばそれまでだが、もうちょっとなんとかならんもんかと思いました。時間シャッフルしかないかもしれない。エド・ハリスの凶悪犯はちょっと驚き。[CS・衛星(字幕)] 6点(2009-03-26 19:26:44)《改行有》

366.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 アメリカといえばドリーム、ドリームといえばアメリカ。 地方から出てきた野暮ったい女の子が、「アメリカンドリーム」の「尻尾」を掴むための条件はどんなものなのか、そこからアメリカ人の「成功」に対する意識が覗けると思います。 アンドレアはランナウェイ社を去ることによって「他人を押しのけて勝ち取るアメリカンドリームの輪」から抜け出たのではなくて、逆にニューヨーカー誌に採用されることによって「やっと成功の入り口に立った」のですが、ここらへんは「職業的成功こそが人生の成功」というこの作品の基本姿勢をよくあらわしています。「郊外の平屋建てに住んで子供を抱いているアンドレア」で終わるのが誰もが予想する結末だったからです。 彼女に必要とされたのは「運」と、「ボスの理不尽さに耐える」という「自己犠牲を伴う修行」だったということになっている。 ミランダの要求には、プロとして当然の内容もありますけど、そうじゃないものもかなり含まれています。そして、その線引きを決して考えずに、頭をカラッポにして、ひたすらボスの要求に応じるつまり「ロイヤリティを示す」ことが、「アメリカ的な成功の輪に迎え入れられる」ための条件ということになっていて、こういう話が抵抗なく受け入れられる土壌があるということだと思います。アンドレアはそれと引き換えにミランダの推薦を手に入れ、ニューヨーカー誌の敷居をまたぐことができたのです。 私はこの作品にあまり女性問題を絡めて考えないほうがいいように思います。たぶん、作品の根底にあるのは「アメリカンドリーム」だと思うからです。 アメリカンドリームを目指して集まってくる有象無象の中から、「成功の尻尾」を掴むプロセスは、「絶対にムリだ」と思うことをやることから始まるのだと、そのことを言っているのだと思いました。 個人的にどう思うかというと…階層化が進みすぎた現在のアメリカにとってはすでに理想にすぎないのかもしれないが、いかにもアメリカ的だということ。 日本でいうなら秀吉が信長に仕えた時と良く似ていますね。パイの分配が完全に終わって、目ぼしい分野ではコネや世襲化が定着してしまっているような今の日本ではピンとこないです。アメリカはやはり〝精神的にも〟若い国なのだと実感します。 アン・ハザウェイを見ているうちにとても可愛く見えてきました。女性の嫉妬を誘わないタイプの、可愛い女優さんですね。[DVD(字幕)] 6点(2009-03-18 18:20:28)《改行有》

367.  バンテージ・ポイント 《ネタバレ》 本当にTV映画ではないのかなあ、と怪しむほど最近のFOX製ドラマのそのまんま、な感じがしました。よりによって、アラブ系のテロリストに狙われるアメリカ、というどうしようもない「24」なテーマを「LOST」の主人公とかフォレスト・ウィテカーとかTVでよく見かけるアラブ系俳優を出して撮っていることだし…。 けれどけれども、映画であるならばお金のかけかたがまるで違うであろう。のはずである。 きっとロケでの交通規制とか爆破シーンとか群集のエキストラとか車のスタントとかでいっぱいお金を使ったのであろう。映画なのだからー。 だのに、どうにもこうにも私の脳内はFOXドラマを見ているときと同じ波長になってしまう。 シーンを切り替えるときのリワインド映像は、「トゥルー・コーリング」と同じだしなあ。LOSTの人は相変わらず濃い顔だしなあ。 違いといえばデニス・クエイドが出ていることくらいだ(ウィリアム・ハートはすでによくTVに出ている)。私はカレの顔がだんだんハリソン・フォードに見えてきたのだった。そう、「不利な状況にめげず、最後には必ず真実に辿り着く不器用で愛想のないヒーロー」というハリソン・フォードが長らくモノにしてきたこのポジションは、次はデニス・クエイドが座るところだったのだ。「そんならクリント・イーストウッドと同じじゃないの」と思われるかもしれないが、そこは微妙に違うので、同じようにあこがれの対象でも大衆はハリソン・フォードにならがんばればどうにか成れるかもしれないが、イーストウッドに成るのは絶対にムリなのであって、両者のポジションはやっぱり別である。 顔も似ているうえ、セックス・アピールに欠けるという点で共通しているクエイドがハリソン・フォードの後釜を狙ったのは自然なことかもしれぬ。だがなあ…狙うほどのポジションとは私には思えないのだが。 さて私はLOSTの人が1人で犯人を探しに行ったところでわかってしまいましたけど、こんなユルいオチで驚かそうとはよもや思っていないはず。そんなTV以下の脚本なんて書かないはず。 結局残るオチは替え玉編だけですが、これはヒントが無いも同然だから驚いて当然ですよね。アラブのテロリストが任務遂行中なら躊躇なく少女を跳ね飛ばすに決まっているし、「市井のアメリカ人」が間一髪で救うなんてのも単なる「願望」で強引な終わり方です。[DVD(字幕)] 6点(2009-03-16 18:27:31)(良:1票) 《改行有》

368.  インベージョン 《ネタバレ》 脚本もあんまり良くないですが、それに輪をかけて演出が下手なのではないでしょうか。 いっぺんに現れる異変ではなくて、少しずつランダムに起こる変化によって「この世の中が自明のものではなくなるかもしれないという恐怖」を感じさせなくてはならない映画ですが、そこの描き方がうまくない。もう、感染者は怪物みたいに撮っちゃってるしすぐわかる。それダメ。雰囲気だけなら「アンビリーバブル」のほうがまだマシだった。 母性愛偏重路線にちゃんと乗っかっているうえ、「免疫少年」を連れてヘリで脱出という「28週後」で見たシーンも入ってるし、まったく独創性のない脚本で、こんなんが金になるのなら私だってできそうだ。 しかしまあ、主役がキッドマンという時点でもう、コケているし…彼女の役者生命はもう終わったのではないでしょうか。あまりに出すぎたため、もはや何をやっても「ニコール・キッドマンが何かしている」としか脳が認識しません。大幅に老けて美貌を失いでもしない限り、もう使えない女優です。 豪華なキャストを集めて凡作を作るのはハリウッドの常になってしまいました。悲しいです。ジェレミー・ノーザムは前髪を下ろしてはいけないし、金欲しさにこんなものにまで出て名前を落としてほしくないですね。[DVD(字幕)] 6点(2009-03-14 21:50:37)《改行有》

369.  ヘヴン 《ネタバレ》 クッシーの遺作脚本だそうです。 トム・ティクヴァは有望株とされてるらしいが…どうもモノマネに終わった感じだ。 だいたいクッシー作品の重要人物がネイティブの英語をしゃべってはダメでしょう。 今までケムにまいて高尚化してきたことが、英語ということでいっぺんにそこらの作品と同レベルにまで引きおろされてしまう。 究極の愛とは相似形になることなのか…というようなテーマが感じられますが、それなら、それならばー、ケイト・ブランシェットではやっぱりイカんではないか。 だいたい二人の名前まで同じにして強調しているわけだから、ここはフィリッポと同じダークな髪と瞳の女優を当てなければ意味が無いではないか。逆に、フィリッパに金髪の男優を持ってくると、ハリウッドぽくなってしまうのでダメなのです。ああキャストがイカんかったです。 フィリッポのフィリッパに対する感情は、「ドラマチックなシチュエーションにおいて発生したファン心理」なので、「ファン心理」ということで「相似形」になっていくわけです。 「ファン心理」とは「あなたになりたい」なので、普通の男女間では自分に無いものを求めたりしますがここではどんどん同じになっていきます。「とんでもない間違いをおかして自分を捨てたい女」と「あなたになりたい男」がドンピシャではまってしまったのです。そして、どちらかがどちらかになるのではなくて、二人ともボーズ頭の性別年齢不詳の人物になるのです。 フィリッポの父親が訪ねてきたとき、一度は「連れて帰ってください」と言ったフィリッパは、「愛しているのか」と聞かれると「愛している」と答えます。 このときの彼女の心情を想像すると、「私と彼はもう同じ人間なので区別がつかない。離れていたって、自分が死んだらどうせ彼も死ぬだろうから、ここで引き離されることにあんまり意味は無い」というようなものだったのでは。 このような話であるならば、それを演じる男優と女優の外見が全く似ていなかったというのは悔やまれますね。ラストの効果とかも全然違ったと思います。クッシーはどういう配役にしたかったのかなあ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-27 17:21:21)《改行有》

370.  氷の接吻 《ネタバレ》 なにかとても不思議な作品。 自信満々なのにいまいちウケないお笑い芸人のよう、というのがぴったりだ。 どこがどうダメなのかといっても、全体的にうっすらと、にせもの感が漂っているのはなぜかしら。 強いていうなら要素の詰め込みすぎ…。 アシュレイ・ジャッドは髪と目の色が黒っぽいというだけで悪女役をふられることがたびたびあるけどこれも災難だ。役がつけばいいというもんじゃないし本人にはそういう素質が無さそうなのになあ。 ジョアンナと諜報員が最後にどうなるかよりも、蒸発したという妻子は本当はどうなっているのかのほうが興味があったのですが。それに駅での写真に幻の娘がチラッと映っていたのはどういう意味なんでしょうか。あれは幻覚だと本人が言ってましたけども写真にも幻覚が見えるようになってしまったということですか。 子供を連れて7年間も姿を消すなんてこと普通はできませんからユアンの妻子は死んでいるのでしょう。彼がジョアンナの指にはめた指輪は奥さんのじゃないんだろうか? そのへんの事情を全部うやむやにしっぱなしのところがなおさらダメ感をつのらせるし、過去のトラウマや流産でメソメソ泣いているジョアンナの悪女ぶりもぬるい。「悪女」を撮るなら「蜘蛛女」のレナ・オリンで勉強してからにしてください。[CS・衛星(字幕)] 6点(2008-12-21 19:43:47)《改行有》

371.  情婦 《ネタバレ》 これだけふる~い作品だと点の付け方に迷う。 デートリッヒ56歳!の美しさに皆さん驚愕してください。このシワひとつない顔。脚線美。まっすぐな背骨。ジムやトレーニングマシンやピラティスやボトックス注射やフェイスリフトなどの無い時代に、ど~やって維持したんですかデートリッヒさん。 もいちどいうけど56歳!しかし日本にも岩下志麻がいる。 おっと作品の内容については、看護婦とのおふざけが余計だったなあ…というか、ウィルフレッドさんの生活というのがあまりに現代日本の庶民とかけ離れているためにどうという感慨もうかばず。あまりにくだんないトリックについては、まあその時代のクリスティーだからこれでもいいのかもしれないけど今なら火サスでもこんなものは通用しないけどだからふる~い法廷映画とか困るんだよな。どうでもいいけど卿役の俳優さんがメタボすぎます。[CS・衛星(字幕)] 6点(2008-11-24 19:44:36)《改行有》

372.  ブラジルから来た少年 《ネタバレ》 サーのつくイギリス人俳優ローレンス・オリヴィエ。ヴィヴィアン・リーの元夫。それが、ホロコーストを生き伸びた老ユダヤ人を演じるとは。私にはもうそのことだけで充分なような気もする。 「ブラジルから来た少年」というタイトルが絶妙で、何も知らず題名だけを見れば「母国で貧乏してアメリカかヨーロッパに移住してきたブラジル人というイミ?」くらいにしか思われない。ところがどっこいだ。 ほとんど「オデッサ・ファイル」の向こうを張った作品といっていいと思う。「オデッサ」に比べれば、これはどうしてもサイエンスフィクションということになるが、テーマは同じといっていいと思う。 編集・演出は冗長なところがあるとはいえなかなか見ごたえがあるし、「少年」の子役もブキミな感じがかなり出ている。なんで65歳の男性ばかり殺すのかというそのオチも効いている。が、なんといってもヨボヨボのオリヴィエがローゼンタールのような元ナチの追っかけ仕置き人を演じるところを見て欲しい。どうですか、イギリス人に見えますか。私には、生き残ったユダヤ人のじーさんにしか見えんかった。老いたりといえどオリヴィエ恐るべし。 が、映画としてはやはり「オデッサ・ファイル」に軍配を上げざるを得ない。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-12-09 20:24:30)《改行有》

373.  フル・フロンタル 《ネタバレ》 以前、喜び勇んでレンタルして見た際には、あまりのワケわからなさに金返せ(レンタル料金程度のものであろうと)気分に満ち満ちてしまったのだが、しかし。「衛星で流れているならちょっとジュリア・ロバーツの顔でも見ておくか」的に見始めると、これが以外な面白さを持っていたのだった。 …そうか、劇中劇をはさんでいるからワケわからなかったんだなあ…って、それだけのことだったのか。キレイな映像のとこは劇中劇ってことね。 どういうふうな面白さに気付いたかというと、準備万端整えたうえ映画館の暗いシートにかしこまって見る面白さ、では全然なくて、「あっそう、流れているなら見てもいいよ」といったゆるーい状況下において、ちょい散らかった部屋の中で姿勢もだらしなく視線もナナメ気味に見るのがよい…すると、ハンディカメラぽい映像でどこまでもナチュラルな演技を繰り広げるセレブな欧米俳優達をぼんやり見ているうちに、己の日常生活がいくらか美化されたような〝錯覚〟の世界に陥ることができる。 「それでどうした」の起承転結を求めてはいけなくて、ジュリア・ロバーツがツナサンドがまずいとパシリをいびる場面とか、モルダー捜査官がマッサージを受けている場面とか、ブラピが49回もリテイクさせられても(そんな訳ないけど)さわやかだとかそういうのを、近所の誰かに起こった出来事のように、あたかも自分の目の前で起こっているかのように、楽しむ。 それにしても、ジュリア・ロバーツがカツラを取ったシーン以降は、スリルがなくなるなあ。そんな早くネタばれなくても。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-10-11 18:24:54)《改行有》

374.  マンハッタン 《ネタバレ》 残念ながら、衛星で受信したソレは、デジタルリマスターでもなんでもなく、めっちゃ汚い映像だったのだった。もしかして単なる劣化したビデオ録画をそのまま流したのではとまで疑わせる。 だから、絶賛される白黒映像美だったのかどうかが全然わからなかった。 それで、ストーリーの流れだけを一所懸命追うしかなかった。 「セレブリティ」の時はそんなに気にならなかった白黒映像が、妙にカンに障った。 なぜなら、私はNYという街の美化された姿について、「ユーガットメール」で散々刷り込まれていたもので。 エピソードの中で印象に残ったのはメリル・ストリープの冷たい前妻ぶりかなあ。〝メリル・ストリープなのに〟妙にセクシーだ。 私も、永遠さんの言われるように、「マンハッタン」でのウッディ・アレンはファニーじゃないと思う。マンハッタンのアイザックをペットにして飼う気にはなれない。よって、マンハッタンは何度も見たい映画ではない。 それにしてもダイアン・キートンは不思議な女優さんだ。彼女が出てくると、俄然画面に見入ってしまう。映画の面白さが違ってくる。吸引力がありすぎる。 字幕についてはやはり不満が残る。誰の訳だったかなあ。また例の人だったかな。 「アイムナッタセイント」を、「俺も男だから」って、そこまで訳すかなあ。この調子では、他の部分も意訳しまくりだったと思われる。 ひとつ気付いたこと。アイザックの新しい部屋はトラブルだらけで、神経質な彼はグズりまくり。 トレイシーは茶色い水にも騒音にもあまり動じず、グズるアイザックを受け流す。 反対に、メアリーは、部屋に入った途端「音がうるさい」「水が茶色くておかしい」など、即座に反応する。…二人は同じタイプ。 が、アイザックがラストで真実の愛(と思い込んでいるもの)に気付くのは、トレイシー。 カップルは、性格が反対のほうがいいみたいですね。アレンもそう思っているらしい。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-09-16 13:39:42)《改行有》

375.  ナインスゲート 《ネタバレ》 僻地に移り住んだためスカパーを導入し、勝手に選択して提供される作品を決まった時間に見るのもなんだかなあ、の日々を送っていたところ、ある日ポランスキーについての説明を30分放送したあとコレを放送した。 なんでもポランスキーというのは、ポーランドのユダヤ人であったため、両親とも死に別れ、幼少のころから大変な苦労を重ねたうえ、衆知のとおり狂信者に妻を殺されるというひどい目にまで遭っている。これで、明るく屈託の無い性格になるとしたら、相当鈍感な人間だろう。 「ナインスゲート」については、レンタル解禁当時に見た記憶があるが、乏しい記憶をいくら辿っても、「ケッ」という感想しか出てこなかった。 今回何の気なしに見てみると、その映像の美しさに感心する。画に隙がない。ような気がする。 リアリティ、というのが若いころのポランスキーの売りだったそうだが、それを念頭に見てみれば、随所にそれが見られた。ような気がする。 本作では、ポランスキーの特徴である(とされる)「疎外感」というものも、「英語圏外」のロケーションであることで強調される。このへん「フランティック」を思い出す。 コルソ本人がはみ出し者であることや、「自分だけが蚊帳の外」で周囲の人間はそれぞれの思惑で勝手に動いていくところも、そうである。 古書を眺めつつやたらと酒を飲み、タバコを吸うコルソが、メガネが割れたりして翻弄される様子などを、ほのぼの見るのがいいのではないだろうか。(なんか古文の訳のようでヘンだなあ。) 私には駄作なのか映像美だけを追求した結果なのか、よくわからない。ポランスキーはムラのある監督なのだそうだ。確かに「ローズマリーの赤ちゃん」を超える作品は見ていない。 ただ、映像美を追求しすぎたのだとしても、「リンチよりはマシ」というのが素直な感想だ。[CS・衛星(字幕)] 6点(2007-08-11 16:48:08)《改行有》

376.  サイレントノイズ 《ネタバレ》 中盤までは、そんなに悪くはなかったと思う。 映像も綺麗だし、役者さんも悪くない。キートンのシワの微妙さは味わい深いし、お疲れ顔のデボラ・カーラ・アンガーもキャストとしては合っている。演出も編集も、それなりに洗練されている感じがして、そんなに悪くない。 …が、ちょっと脚本がイケてないんでは。ジョナサンがビルに単身乗り込んだ後の展開が決定的にイカんかった。悪霊をビジュアルで見せたうえ、直接襲ってきたりしたら、なんのために今まで小出し小出しにしていたんだか、まるで意味がないじゃないかー。 なんか、非常に惜しい一品だ。[DVD(字幕)] 6点(2007-06-27 22:34:18)《改行有》

377.  美しい人(2005) 《ネタバレ》 常連の俳優を多く使った、いつものガルシア節である。 本作では、それぞれ「何か」に囚われている女性、「何か」を飼い馴らすことに手を焼いている女性ばかりが登場する。私の解釈では、それは登場順に「怒り」「過去」「父親(幼児の性的虐待)」「ダメな男」「未来(ありあまる可能性)」「己の性的魅力(名器)」「老い」「病気」「愛する人との死別」となる。 それぞれの話には、ガルシア節特有の語られない行間があり、観客は登場人物の会話を注意深く聞くことによって、それを感じ取っていく。そういった見せ方には相変わらずのうまさは感じる。 特に、性的なセリフが一切無いにもかかわらず、「性的虐待を受けた過去」を演じきったホリー役の女優さんの熱演が光る。 個人的には、全体として、「彼女を見ればわかること」ほどのインパクトが感じられなかった。 何が違うのかといったら、「彼女」でのメッセージとして存在していた「明日を信じること」「人間性への信頼」あとは、「芸術性」において、本作は「手詰まり感」を示すのみで、「みんなそれぞれ苦戦しているんだね」以上のものを観客に示していないということだ。「彼女」を見終わった時、知らずに胸に湧いてきた、「もしかして、この先何かいいことがあるかもしれない。」「もう少し、前向きに生きてみてもいいかもしれない」という気持ちが、全く浮かんでこない。 「彼女」を改めて評価したい気持ちと同時に、やはり本作への失望を感じた。 何がいけないのだろうか。イニャリトウは排除したほうがいいのではないか?優秀な女性スタッフが足りないのではないか? あと、サマンサの項は完全に趣味に走っていて、男性の作り手の勝手さに腹が立つ。あのブリブリした胸の谷間をこれでもかとアップで撮り続ける品の無さはどうしたものか。やっぱり女性スタッフの力が生かされていないと感じる。同じ豊満ボディを撮るにしたって、女性スタッフに発言権があるならば、こんなことにはならないはず。あれは女性の観客には不快感しか与えない。 ガルシアよ、「オレは女性を描かせたら世界一」などと慢心して男ばっかでつるむのはやめよ。ロクなものはできんぞ。 なんたってあんた自身は〝男〟でしかないんだから。女の目はごまかせないぞ。[DVD(字幕)] 6点(2007-06-14 14:57:14)(良:2票) 《改行有》

378.  ブラック・ダリア 《ネタバレ》 デパルマというのは、ムラのある監督さんだ。 「カリートの道」の完成度を思うと、同じ監督さんの作品とは、にわかに信じ難いものがある。 しかし、「カリート」という金字塔(あくまで私の中での)があるデパルマだが、多くの失敗作も同時に有する。…ファジー(これ死語かな)な人だデパルマって。 で、「ブラックダリア」を見ていると、次のような言葉がずっと頭にこびりついて離れない。「…何か、だまされてる?何か、ごまかしてる?」 なんだかわからないが、「何かを意図的に省略してる」の感じがつきまとった。何だかわからないが。 でまあ、簡単にいうと「みんなウソをついてる」映画で、「特に女のウソは二重三重ですごいよね」であり、しかし、正義漢ぶっているブライカートだって、八百長試合をしているのだから、同じ穴のむじななのであった。 リンスコット家の異常さが印象に残る。一歩踏み込むと、そこは遊園地の「びっくりハウス」状態であり、完全に「常識が通用しない」その空気、相当に息苦しい。それをデパルマは速いテンポでサラッと見せる。うまい。 ヒラリー・スワンクがエロく見えないのは当然だが、不思議なことに、ウッディ・アレンの「マッチポイント」では、あれほどエロかったスカーレット・ヨハンセンが、全くエロく見えなかった。…やっぱり、料理して家で待ってたりすると、エロさが失われるのではないだろうか。ヨハンセンに料理。有り得ない。 ヒラリー・スワンクのマデリンというのが、登場した瞬間から「年増のスキモノ女」としか思われないのであるが、なんだなんだ、お嬢なうえ美女だったのか?言われないとわからないが、そんなでいいのかな。相当無理している感じはあるが、妙な妖気は感じた。 どうにかしてほしいのは、アーロン・エッカートだ。…なんか、本人はデニーロさんが入ってると勘違いしているのじゃないか?確かに遠目に見れば、見えないこともないが…私はこの俳優さんはダメだ。これぽっちも興味を持てない。なんか、「薄い」んだよなあ。 最後に、ジョシュ・ハートネットだ。「尻」だ。いやー、よく披露したよなあ、後姿の思いっきり無防備な尻を。ジョシュ・ハートネットの尻解禁が、最も収穫だったかもしれぬ。[DVD(字幕)] 6点(2007-06-08 22:42:40)(笑:1票) 《改行有》

379.  トランスアメリカ 《ネタバレ》 私は「プリシラ」を思い出しちゃった。 映画としてどちらが印象に残るかというと、「プリシラ」なんだなあ。やっぱり映画は「ショー」なんだ。あのテレンス・スタンプの下手くそなダンスや、70年代サウンドはやっぱり楽しい。 「トランスアメリカ」のどこがいけないというわけではない。 たまたま「知らない間に自分の子供が生まれていた」というテーマが、最近の映画界で重複しすぎているというのもある。 しかし、見どころはハフマンの淑女ぶりくらいしかない、ように思う。 そして、ハフマンの「淑女」はもちろん見ごたえがあるのだが、もうひとつ印象に残らない。 これなら「ヘドウィグ」のほうが、印象には残るなあ。 なんか、芸術性が足りないような気もする。確かにハフマンはすごいが、それしか誉めようもない。[DVD(字幕)] 6点(2007-05-05 19:58:40)《改行有》

380.  ザ・フォッグ(2005) 《ネタバレ》 なんだかとても惜しい気がする作品だ。 これは、悲劇と夫婦愛の話であるから、怖いとかそういうことを期待してはダメなのだ。 なんといっても、現代っ娘としての自分と、よみがえる前世のブレイク夫人としての自分との狭間で翻弄されるエリザベスをどう描くかという脚本演出、そして女優さんのウデにかかっているわけだ。 それは、ニックのガールフレンドとしてのエリザベスと、19世紀に生きるやり手の商人ブレイク船長夫人としてのエリザベス、それぞれの男性の吸引度を秤にかけてもらわなければならない。 が、どちらも中途半端なんだよなあ。だいたいニックというのが単なるハンサムのスケコマシ、ブレイク船長とは、ハナから太刀打ちできぬ軟弱な奴だ。これでは、「どちらの男性を選ぶか」などと悩む必要もなし。ドラマにならない。ブレイク船長というのが…この俳優さんは誰だか知らないがこの作品の中では格の違う出色の出来なのだ。しかも、ほとんどセリフなどないに等しいというのに、そのたたずまい、もう、目いっぱい「19世紀」している。なんでもうちょっとガイコツじゃない通常の場面を増やして、エリザベスとの夫婦愛を表現しないかなあ。惜しすぎる。 そして、エリザベス役の女優さんというのが、役不足。前世の記憶がところどころよみがえるという場面の後では、自分でもワケのわからぬ「過去の夫」への思いに、とらわれている様子を表現してくれなくては。単に「何かマボロシを見ちゃったわ」とか思っている場合じゃないのだ。物語のキモなのだぞ。 子々孫々タタられても仕様があるまい、というような悪業を犯しておきながら、リベンジに来られたと思ったら、妻を取り返したら気が済んで帰っちゃった、というオチにするならば、それほどの「夫婦愛」をきっちり描いておいてくれないと。例えば、この夫婦は結婚して5年くらいでまだ子供も居ないようだから、「移住したら、子供を何人作ろう」とか、「庭を作って、花の種を植えたいわ」とかさ。 全般に、「あらあらそんなわざとらしいハマり方して」というような凡庸な演出であり、複線の張り方にも工夫がない。監督の力量は知れている。 が、ラスト、結婚時のポートレートで終わったことは誉めておきたい。これはよくできたいい写真だった。ここはエリザベスも毅然としたいい表情だったね。ブレイク船長役の人はとにかく素晴らしかった。(ガイコツじゃない時の)[DVD(字幕)] 6点(2007-02-24 00:09:12)《改行有》

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