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自己紹介 After shutting down my former blog, I'm writing some boring stories at new site. Anyone who's interested in, come along if you'd like to.

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21.  ブルー・イン・ザ・フェイス 《ネタバレ》 い~~ですねーっ。 キラ星のごときスターたちが、フラッと訪れてはなにかヘンなことをやっていく。 タバコ屋のオヤジであるカイテルの常に一歩引いたスタンスが、有りそうで無さそうで、でも有り得たとしたらとっても難しい生き方だろう…と思わせます。 どのへんまでが脚本でどのくらいがアドリブなのか…というのもこの作品になお興味をそそらせます。 あんまりにもナチュラルなのでほとんどアドリブなのかと思わせといて、実はドットの妙な態度のデカさは店主の妻だったせいということも最後のほうで明かされるし、ヴィニーが店を売りに出したというエピソードを主軸にした、けっこう緻密な構成がされたうえでのナチュラルさ、なのではないかと考えています。優れた作品は地道な計算のうえに成り立っていると思うからです。…が、どうしても演技とは思えないのがルー・リードで。 ルー・リードが繰り返しあらわれて人を喰った話しかしないことがなんともいえぬリアリティをかもし出し、「ルー・リードのとこだけもっかい見るかな」とまで思わせます。芝居が見えてしまっているジム・ジャームッシュよりなんといってもルー・リードです。 自閉症のジミーの後姿も印象的だし、短パン姿のイっちゃってるM・J・フォックスもいいし。マドンナがあらわれた時は、すぐには気がつかず「なにか妙にごっつくて顔色の悪い姉ちゃん…」と思われた。 人種問題の双璧とされる(?)スパイク・リーの「25時」、ポール・ハギスの「クラッシュ」と比べて見てみましょう。もうシリアスはおなかいっぱいです。流血も殺人ももうけっこうです。「混沌を愛でる」とはたぶんこういうことなのです。「愛でる」ということは「マジにならない」でありそれは「一歩引く」ということです。ハギスを見て考えこんでも、暗い気持ちになるだけです。ならば、「混沌」は「愛でる」のが正解ということなので、スコセッシの初期作品でイキがったチンピラをしていた若きハーヴェイ・カイテルが30年後にたどりついたところそれが「ブルー・イン・ザ・フェイス」なのです。 合言葉は「俺は吸い込んでないから」。すばらしい。[CS・衛星(字幕)] 9点(2009-01-16 16:26:55)(良:2票) 《改行有》

22.  ステップ!ステップ!ステップ! 《ネタバレ》 他のどんなツクリモノの画もはるか遠くに霞んでしまうほど、すんばらしいです。 ここで大人たちがしようとしていることは、子供に「成功体験」をさせることです。必ずしもトロフィーを勝ち取ることだけが「成功」なのではなくて、舞台の上でダンスを披露し多くの他人に評価してもらうこと、そのこと自体が子供たちにとってすでに「成功」といえるのです。 大人たちは、子供たちが不良化していく原因について、「成功体験」が不足していることがいけないと考えたのですが、それはまったくその通りで、運動でも勉強でも音楽でも得意分野で誉められる体験をすることが、その後の人生の土台になるのですたぶん。 そして、特に不良化しやすい男の子にとって有効なのが「ジェトルマンシップ」であり、これを教えるのにダンスはとても適しているのです。 「ジェトルマンシップ」とは日本語には正確に訳せないのでしょうが、もともとは「貴婦人」と対になっている騎士道精神のようです。指導者は「ダンスの間、女子を楽しい気持ちにさせてあげること」と言っています。だから、「貴婦人」の居るところでは男子は「ジェントルマン」でなければならないし、逆にいうと女子は「貴婦人」でいなければならないし、女子は「ジェトルマン」でないと判断したらばその男を排除します。 私は日本人のプロ社交ダンスを見ていても全くジェントルマンシップを感じませんが、エレベーターに我先に乗るような社会で暮らしていて形だけ真似してみたってダメなのは当然です。この映画に出てくる少年たちのほうが断然それを身に着けています。 不良になるとジェントルマンでなくなり、ジェントルマンでないと不良化しやすくなり、その逆も真であるかもしれない。「男子はジェントルマンたれ」と教えるあちらの大人はとても賢いと思う。 ちなみに日本では筒井康隆が「すべての男は二枚目を気取れ(そうすれば世の中が良くなる)」と言ったのが唯一それに近いです。 インディゴチームの年長のケビン(たぶん)がトロフィーに見とれているシーンに「不良予備軍だった彼はもう大丈夫です」という指導者のナレーションをかぶせて終わる演出に、もうウルウルが止まりません。彼にはこの先どんな人生が待っているのだろう。どんな時にも、このトロフィーの輝きが彼の支えとなっていくのですたぶん。そう思うと、おばさんはまだまだウルウルが止まりません。すばらしいです。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-12-27 13:07:20)《改行有》

23.  テンダー・マーシー 《ネタバレ》 いわく言いがたい傑作です。 他のレビュワーさんがおっしゃるように、大したことが起こらない=つまらない、というような見方もありましょうが、私にとっては「そこ」こそがこの映画のツボである。 ここには、必要以上の対立もなく、必要以上の希望も絶望もなく、人々は神の慈悲に委ねて淡々と日々を生きているのです。激しすぎる愛や暴力や死別の悲しみは、ここでは「過去のもの」だからなのです。そのために、私好みの大変繊細な抑制のきいた演出がされています。 壊れた男マックが、偶然拾われたモーテルで小さな幸せを「発見」していく過程は穏やかで美しい物語です。彼が過去に知っていた幸せとは、もっとデカくて絶対的な幸せだったからです。 そこに、次から次にマックの「過去」が追いかけてくる。けれど、「小さな幸せ」の味を知ったマックは、「もう少し生活がラクになる程度」の望みしか抱かない。もう一発当てて、返り咲いてやる、というような野心は持たない。実に正しい態度です。 娘が会いに来ても、鳩の歌のことを忘れたと嘘を言います。この理由ははっきりしませんが、もう娘にとって自分は必要ないから、という意味ではないだろうか。今さら父親に期待を持たせないほうがいいということなのか。 色々なことが、緩やかに好転し、マックは洗礼を受けます。主は自分を見捨てていなかったと知ったからです。 しかしマックが過去にしたことがすべてチャラになっていたわけではありませんでした。娘は、父親の不在に傷ついて育ったため、ちょうど出て行った時のマックと似たような男を好きになってしまいます。酒飲みで、ミュージシャン崩れで、離婚歴があって、自分よりずっと年上の男です。この原因は元を辿ればやはりマックにあります。 マックは娘の死を受けて、神の慈悲を疑います。自分のようなダメ男を生かして、なぜ娘を奪ったのかと。 そして、マックは受洗したばかりの自らの信仰を維持していけるのだろうか。というところで映画は終わるのです。ラストのソニーとのフットボールシーンは、それでもマックに残された「小さな幸せ」の存在をあらわしている。 こういう抑制のきいた映画をもっと見たいですね。 カウボーイハットの中にはハゲがなくてはならないのは必然です。ロバート・デュバルとサム・シェパードは甲乙つけがたいベスト・カウボーイハッター(変?)だ。[CS・衛星(字幕)] 9点(2008-07-25 13:53:34)《改行有》

24.  有罪判決/法廷に隠された真実 《ネタバレ》 ひさびさに見ごたえのある法廷ものを見た。 これは殺人事件とか法廷に場所をとっているというだけで、本来は心理モノとして見るのがいいと思う。ハリーが3人を殺害するについては、事前準備や殺害の詳細についてさえ全く描写されない。観客は「罪を犯した」という動かぬ事実として知らされるのみ。事件モノでは全然ない。 主人公の弁護士ロイが、自宅に帰らずあちらこちらを忙しく往復する様子を時間軸に沿って描く話だが、その訪問先の空気感の違いに注目したい。 ロイ対ハリーの場面では、交わされる言葉は少なく、すべてが深く重く、心の奥に突き刺さる。教会とか、病院のカウンセリング室とか、そういう空気感がする。 ロイ対「俗悪にまみれた勝ち組の人々」の場面では、すべての会話が「利益」を中心に回っていて、「利益」を超える価値観はそこには無い。ハリーとの対話で「神」とか「罪」とか「償い」とか「慈悲」についてしみじみ語り合った後に、思い切り脂ぎって「次の検事選に」とかいう会話をしているわけだ。この落差が見事である。 そしてもうひとつ、忘れてならないのはロイ対メル(事務所の手伝いのおっさん)だ。 メルの役どころとは何か。それは「俗悪にまみれて勝ち組を目指しているロイの心に埋もれた良心」である。ロイは、己の行動に自信が無くなったとき、メルに「これでいいのか」とたずねている。 バーでのウィスキーによる「洗礼」場面は、奇異に感じられるだろう。ロイに「これでいいのか」と聞かれていたメルの答えは「洗礼」だった。洗礼を受けるということは、メルの言うとおり、「天国へ行くか、地獄へ行くか、どちらかしかなくなる」ということで、メルは「ここから先は、常に〝何が正しいか〟を意識して行動しろ。さもなくば地獄行きだ」と言っているのだ。自分で決めるしかないのだ。 ハリーの妻との密会については、法廷でハリーに妻を責めさせる材料とするための強引な設定だったと思う。ハリーの無念さをそそってドラマ性を高めるための材料とはいえ、主役がアレック・ボールドウィンなのだから、依頼人の妻を食ってしまうなんてあまりにも当たり前に過ぎて、気に入らない。これは非常に残念だ。 が、全体としては見事な脚本とキングズレーの怪演で良作に仕上がっている。私には、ハリー、ロイ、ハリーの妻、メルのセリフは、ひとつひとつ深く心に落ちるものだった。なかなかそういう作品はない。[CS・衛星(字幕)] 9点(2007-12-17 14:30:51)《改行有》

25.  セレブリティ 《ネタバレ》 どうやらこればっかりは、年齢とか経験とかで「客を選ぶ」映画だったようだ。 というのは数年前、まだ40の大台まで若干の余裕があり、ゆえに煩悩多き負け犬ライフを送っていたころに見た際は、「おもしろくない」という感想しか持てなかったからだ。が、今回「スカパーだから」というケチな理由により見直したところ…なんだ、とんでもなくおもしろいじゃないかあ。 とにかくジュディ・デイビスだ。中野翠によれば白人女優にしては珍しく〝お直し〟の入っていないという優雅なシワ顔、白黒映像によって、〝とびきりの美人〟でもなくブスでもないという、絶妙な映り具合となっている。そして、コメディエンヌとしてこれ以上ないというような愛らしいボケ連発、私は好きだ。 何よりロビン本人が、常に〝超のつくマジメ人間〟であることが、作品全体を通してずっと効いている。コメディだ。 白黒の理由は他にも、本物のセレブを何人も出演させることによるリアリティの低下を防ぐ意味と、色を排すことにより、客に考える暇を与えずドタバタと話を進めケムにまく、という効果を狙ったものと私は思う。「あっセロンじゃん」とか「あっディカプリオだ」という客の先入観を、少しでも薄めたかったのだろう。 アストンマーチンクラッシュ後のセロンの切れっぷりは、吹き替えを排してぜひとも耳で味わってもらいたいし、ディカプリオの壊れっぷりと王子風ヘアスタイルも、突き抜けた面白さがあった。 40を超えて夫に見捨てられたバツイチ教師の女性が、〝運命のいたずら〟であれよあれよと「セレブ」になっていく…そんな万に一つのとびきりの幸運を掴んだ女が、ジュディ・デイビスでなくしては「ケッ」という女性客の顰蹙を買わずにはいられないだろう。本当に不思議な女優さんだ。そして、女性にとっては勇気の出る映画である。 ケネス・ブラナー、ウッディ・アレンの役どころを引き受けたが、今回はジュディ・デイビスに完全に喰われたと思う。死ななきゃ治らないバカ…な「リー」なる男性は、当然憎めない。なぜだか美女に構われる。でも、また浮気する。ロビンよ、別れて本当に良かったね。 それにしても、監督アレンは、女性がキレるところを描くのが抜群にうまい。実体験によるのか。 トニー役の俳優さんが安倍晋三に見えて仕方がないのがただひとつの難であった。[CS・衛星(字幕)] 9点(2007-09-10 16:37:18)(笑:1票) 《改行有》

26.  セルピコ 《ネタバレ》 10人中9人が「カラスは白い」と言っている場合、自分だけが「いや、カラスは黒い」と言えるだろうか。どうですか。 セルピコのやっていた事は、そういう事だったので、私はそこに日本人の想像する「正義感」とかいう物件とは別の背景を感じる。宗教だ。 映画「セルピコ」を見て、誰もが「よくそこまでできるよなあ。よっぽど正義感が強いのだろうなあ。」という感想を抱く。…でもセルピコは本当は、「内なる神」に対して誠実たらんと務めたのではないかと思われてならない。キリスト教の神というのは、「ウォッチング アス」だからだ。 恋人にも去られ、すべてを捨て、残った己の命さえも危険に晒すことができるほどの勇気というのは、「他人に見せるための正義や勇気」ではないのだと私は思う。彼が評価を求める相手は「神様」だけだったのだ。…だからたぶん、日本人が「正義感」とか「正義漢」という言葉でセルピコを語るのは、微妙に、というか根本的に違うのかもしれない。 さて個人が組織の内にあって、諸事情によりその組織と闘わなければならない場合、最も障害となるものは何かというと、私の場合は「妻子」という得体の知れない言葉であった。「自分の」ではないけれど。 洋の東西を問わず、「妻子」というのは、組織悪と闘う人間にとって、最大の障害となっているに違いないと思う。セルピコの闘いも、例外ではない。そして、「カラスは白い」と言って恥じない人間も、見ないふりをしている人間も、その動機に少しも「妻子」が関わっていないなどということは有り得ない。 最終的にセルピコに残ったものは、「命」と「犬」。私はセルピコの相手は「神様」だけだったと思うので、そういう意味では「悪い結果」ではない。…が、いかにセルピコでもやはり人間で、人間だから「欲」というのはあったのだな、孤独で嬉しかったわけではないし、自分が可愛いというのもあったのだな、というもろもろの言葉にならない感情が…あのベッドの上での一瞬の嘆きに現れた。「セルピコ」でのパチーノの演技は神がかった熱演だ。なんというか、血と肉を持ったセルピコその人の存在を強く感じた。これはパチーノによって単なる「社会派」を超えた名作となった。[CS・衛星(字幕)] 9点(2007-09-06 14:32:59)《改行有》

27.  アマデウス ディレクターズカット 《ネタバレ》 評判どおりの、よくできた映画だった。 サリエリは老けメイクが変だったが、回想場面ではキリッとした紳士面で「嫌らしさ」「人間くささ」を見事に演じ切り、爽快。モーツァルトは他の役者でも良かったように思うが、オペラを指揮している時は、可愛くて好きだ。コンスタンツェは美化しすぎ。 さて世の中は、「天才」と「天才ではないが天才を見抜く能力を持つ者」と「そのどちらでもない者」に分かれる。その割合はきっと、1:10:10000(変?)くらいなのだろうが、どこに入る人が一番苦しい人生を送るかというと、真ん中の人だ。 誰もが「サリエリ」かというと、全然そうではなくて、「サリエリ」になるのも大変なのである。「自分はサリエリだ」と思うのは、概ね勘違いだ。 私は、映画「アマデウス」において、サリエリ本人が思うほど、サリエリは劣っていなかったのではないか、と思っている(音楽的根拠はない)。 というのは、サリエリは、田舎者から成り上がって、皇帝のお気に入りの宮廷作曲家にまでなった男。よろしく立ち回るのが得意だったとはいえ、無能の人間にできることではない。 サリエリは、モーツァルトと出会ってその才能に打ちのめされ、「必要以上に己の才能を卑下」してしまったのだと思う。「自滅」である。あくまで映画の中のサリエリについての解釈だ。 「憎しみ」と「愛情」は近距離にあり、「愛情」の反対は「無関心」だ。サリエリは、モーツァルトを無視することすらできない。スパイを投入するほど、彼に関心があって仕方ない。これが「愛」でなくてなんであろう。滑稽である。そして悲しい。 「報酬には代償が必要である」とは、サリエリが経験から学んだ(と思っていた)玉条だったが、「代償」に対し「報酬」を期待するのは、相手が神様である場合に限っては、間違いなのである。 そしてサリエリの意地悪が無かったとしても、生きているうちにモーツァルトが認められることは無かったと思う。天才によくあるように、社会人としては行動が破綻しているからだ。モーツァルトが野たれ死ぬのは、自然の流れだった。でも、意地悪をしたサリエリには、「罪」の意識が残った。…本当は神様への一打にすらなってなく、すべてはサリエリの一人芝居、空回りであったようにも思う。 もうひとつ、人間性と、その人が作ったアートとの間には、関係がないことも、この映画は良く教える。[DVD(字幕)] 9点(2007-04-21 14:42:17)(良:3票) 《改行有》

28.  ポセイドン・アドベンチャー(1972) 《ネタバレ》 ご本家はこんなすんばらしい作品だったとは。 古い映画らしくテンポがゆっくりしているところが、昨今の映画ズレしたガサツな私などには「なにをモタモタやっとるんじゃ!早く逃げろよ!」とハッパをかけたくなる場面が多かったですが。まあ、それを差し引いてもすばらしい出来です。貫禄勝ち。 問題の転覆場面も大迫力で、新しい映画にも全く引けを取っていないし、私程度の観客はこのぐらいで充分満足だ。やっぱり映画は技術なんかじゃない!こりゃあ、劇場で見たかったなあ。とめずらしく思うのだった。 ジーン・ハックマン。このすんばらしい神業のようなセリフまわしの妙よ。そう、役者さんとは早口でもあくまで割舌良く、ほれぼれするしゃべりができる人のことなのですね。この人を見ていると、「ああー、私はいま、プロ中のプロの演技を鑑賞しているのだ」とありがたーい気持ちにすらなってくる。 これはやっぱりすごく宗教色の濃い映画でしたね。のっけから、カソリックの神父とプロテスタントの牧師のつばぜり合い。デッキにはユダヤ人の夫婦がなごんでいるし。パニック映画だというのに、最初から宗教前面押し。そして驚愕のラスト。プロテスタントの名(異を唱える人々)のとおり、牧師は運命に「抗い」、他人の意見に異を唱え、道を切り開く。そしてまた彼は、牧師でありながら「苦しい時こそ神頼みをせず」「自力で闘う」という独自の思想を持っている人物である。彼は〝己の思想〟に殉じたのである。実は殉教ではないのだ。…という意味では本当は著しく革新的なストーリーなんである。 ツリーの上から溺れる愚かな民を見下ろすスコットは、箱舟に避難したノアのようにも思え、己に従う人々を率いて道なき道を進むスコットの姿は、エクソダスのモーゼをも彷彿とさせる。が、しかしノアもモーゼもただ「神様がそういったから」言うとおりにしたというのみである。「ポセイドン」のスコットの行動はすべて彼の「内なる神」から出たもので、その「内なる神」とは「自力で闘う」という思想なのであった。 最後には自己犠牲までして「自力で闘う」を全うしていくスコットという人間が、「牧師」であるということ、この設定には深ーい意味がこめられていると感じます。もしかして、神父→牧師→自力という「進化」の過程といいたいのか。 なんにしても、映画史に残る傑作であります。ジーン・ハックマンは超グレイト。大拍手。[DVD(字幕)] 9点(2006-10-20 22:42:31)(良:2票) 《改行有》

29.  恋人はゴースト 《ネタバレ》 久しぶりに納得のいくラブコメを見た! キューティブロンドのエルが帰ってきた気がしてうれしい。 このお話がそうであるように、ラブコメというのは、起承転結だけを取り出した場合にまったくもってつまらん正統派なラブストーリーになっていないといけない。それでもって、楽しく賢く鋭くほろっとしていなければいけない。そう、ラブコメこそ、最も難易度の高いジャンルなのであーる。 それなのでラブコメのファンは容易なことでは頷かない。「楽しく」が欠けても「賢く」が欠けても「鋭く」が欠けても納得しないし、「ほろっ」がなければラブコメを見た気などせぬ。ああなんと険しいラブコメムービーの道。 それでですね…これは、アルモドバルの「トーク トゥ ハー」の「アンチ変態修正バージョン」であるのです。 昏睡状態の女性に恋した男性が、変態だった場合をシリアスに描くと「トーク トゥ ハー」になり、変態ではない心優しい男性だった場合をコメディー仕立てにすると「恋人はゴースト」になるわけですね。私はなんてったって変態を見せられるより「恋人はゴースト」だ!さようならアルモドバル! この作品では、エリザベスがしゃべりっぱなしのシーンと、彼女が登場しないシーンの違いがうまく描き分けられていて、見ている方とてエリザベスが消えると妙に物足りない気持ちになってしまいます。 この気持ちこそがデイビッドの気持ちとぴったり一致しているわけで、最初は追い出そうとしていた彼がいつのまにかエリザベスに恋してしまう流れを自然に表現しています。うまい見せ方です。 マーク・ラファロ、登場したときは、「…こんなやつがリースの相手役か。我慢して最後まで見られるだろうか」と不安にかられましたが、なんのなんの。大化けしてくれました。ボソボソしゃべってるのになかなか大した役者さんです。なんと私はストレッチャーを盗み出す場面で不覚にもぽろぽろと大粒の涙が。 王子さまのキスで目覚めたエリザベスが、その場で結ばれないというのもひとひねりあっていいですね。よく考えてます。 ところでひとつ、この映画が訴えてくるもの。どうでしょう、脳死。どうでしょう、臓器移植。もともと私は反対している人間ですが。 見えないエリザベスが必死に姉に訴えるシーンを、誰でも一度は見てもらいたい。ファンタジーですか?単なる映画ですか?これを見た後で、OKを出せるものなら出してほしい。 [DVD(字幕)] 9点(2006-09-29 21:49:38)(良:4票) 《改行有》

30.  バイバイ、ママ 《ネタバレ》 まず大拍手をします! ベーコン家総出演のこの作品。並みの俳優ならつまらん自己満足で終わるところ。 ところがところが、このクォリティの高さ。本物です。 回想シーンというものは、単なる説明に終わってはいけないということが良く分かります。(「ホワイトライズ」がいかに芸が無かったか納得)また、単なる説明でない回想シーンであれば、数回入れても映画の雰囲気が損なわれるどころか、完成度を増すということですね。 2回目に見ると、両親を嫌いながら、愛する人と心中するという同じ方向に生きてしまうエミリー、子供時代と同じ失敗をするエミリーにはっとします。それとハーカー夫人はすごいね。10歳の子に、この世で女の子が最も知らねばならぬ秘密を教えるんだから。私なんかこの事に気がついたのは30もかなり過ぎてからだわ。(誰も教えてくれん!) なんといってもこの豪華キャスト陣を惜しみなく無駄遣いする贅沢さよ。 サンドラにしても、マット・ディロンにしても、10分と映っていないでしょう。ものすごくおいしそうな料理をちらっと垣間見せるだけのような心憎い見せ方です。こんな贅沢も、ケビン君の内輪力なくては有り得ない。俳優さんが監督に乗り出した作品には、こういう内輪ならではのごちそうが期待できるところがよいです。これで作品の出来も良ければ言うことなし。 ケビン君の演じたお父さんは一目見て大爆笑。はずしにはずしてこのファンキーなスタイル、突き抜けている。大変よいです。そしてサンドラの妖しさよ。やっぱり美人だ。ケビン君の奥さんキラと比べるとさらにそう思う。 キラ・セジウィック。魔女顔である。私の嫌いなタイプの顔だ。目が寄っているうえに激しい奥目、ワシ鼻、そして歯が短いので口の中が空洞に見えるところが怖い。サイコ女をやったら右に出る者がいないグレン・クローズの継承者といえましょう。 それから娘のソシエちゃん。この子ただものじゃないわー。そんなに可愛くもないのにこの存在感。いつもブスくれた顔しているのに、なぜかその心中が伝わってくるという、役者の条件を満たした逸材と思います。先が楽しみだ。 ケビン君たら「エコーズ」でせっせと穴を掘りながらこんなプランを練っていたとは。俳優さんの余芸ではビル・パクストンの「フレイルティ」にも感心したが、個人的には笑いのセンスがあるところが私の好みに激しく合っている。次作も楽しみです[DVD(字幕)] 9点(2006-09-17 00:49:33)(良:2票) 《改行有》

31.  エニグマ 《ネタバレ》 これはなかなか質の高い力作だ。ミック・ジャガー入魂のプロデュース作品だけのことはある。「いっとき話題になって消えていくより残る作品を」という彼の言のとおりだ。 悪い女にだまされて滅入っているうぶな数学者、という超プライベートなつかみから入って、話が全世界的に放射線状に広がっていく感じはストーリーづくりとしては面白い。 また、戦時中の隠された解読基地というドンパチやっていない場所で、どのように「戦争」を描くのか、ということにも細かな配慮がされている。例えばケロイドだらけの元海軍の片目の情報員、受信基地の女性兵士の発言(自分達の役割は意味の分からない暗号を受信して伝えるだけで戦っていることになるのか)、カチンの森でのドイツ軍による発掘作業、など。戦争映画の棚にあるのに、誰一人血を流して死ぬ場面を写さず、戦争の裏側を描く。ひとつの試みだ。 ヘスターという新しい女性像を登場させて、「女の頭脳が男より劣っているなんてことはない」なんてこの時代に言わせてしまう。彼女は現代でも堂々通用する女性であり、「守られるだけじゃイヤ。あたしだって何かやれるわよ!」というパンチの効いたたくましい女なのだ。このヘスターのキャラが効いていて、基地内での男ばっかの政治的な人間関係でげんなりした女性客をシラッとさせずつかんでいく。しかもブリジョン並みの豊満ボディに変身したケイト・ウィンスレットはなかなか可愛く(甲乙つけがたい)、なおかつ女性の嫉妬心も煽らない、グッドなキャラである。ケイトはいつもこれくらい太っていてもよいのでは。 そしてジェレミー・ノーザムの嫌らしさといったら見逃せない。まんま50年前の映画から抜け出たようなそのクラシックな容姿、イギリス紳士は常に身だしなみをかっこよく、そしてやることはえげつなく。いいですねー、ノーザム。俳優さんとしては、古典的な容貌が邪魔して使いにくそうだが。私はディカプリオだのブラピだのと受けを狙った顔立ちよりこういう正統派のハンサムを見ると、なにか「感動」に近いものを感じるなあ。生き残っていた絶滅保護動物を見るような。 あ、ダグレイ・スコットのアスリート並みの全力疾走は一見の価値あり。早回しか?というほどのド迫力だ。数学者にしてあの徒競走走り、デキる。 [DVD(字幕)] 9点(2006-08-27 21:48:03)(良:1票) 《改行有》

32.  シリアナ 《ネタバレ》 「トラフィック2」と言ってもいい構成。今後もこのスタイルで「3」なり「4」を続けて行くんだろうか。 とにかくこの映画の中では、黒人弁護士にしろ、CIAにしろ、クルーニーの諜報員バーンズにしろ、イラン自由化委員会にしろ、マットの経済コンサルタントにしろ、カザフの第一王子にしろ、特攻となったアラブの青年にしろ、「自分の正義」に向かってひたすら突き進んでいるのであーる。中には「不正こそが自分にとっての正義だ」みたいなことを言う奴すら出てくる。とにかく「正義」を描いた話なんだ。(How to be a ムジャヒディンの情景を説得力をもって描いた西側の映画としても評価できる。) そして「What is 正義?」と問い続ける。「人の数だけ正義(の種類)があったら、〝正義〟は無いのと同じ」っていう矛盾した世界のありようを見せつけるのである。 それと「中東」には「魔物」がいる。それにとりつかれた男達はなかなか帰ってこれない(らしい)。 バーンズがホワイティングとのサシの会見で「あんたも84年にベイルートに居たのか」って言いますね。 これ、私の耳には「あんたも〝あの〟女と寝たのか」と同じように聞こえたのだ。つまり、中東は、西側の男にとって「どうしても忘れられない性悪女」のようなものなんだろう。「あんたもあの女にイカれたわけかい。そりゃ、しょうがねえな。」と嫉妬まじりで同病相哀れむような口調になるわけよ。 デスクワークになってビル内に閉じ込められたバーンズの姿は、まるで陸に上がった魚のように哀れだ。「ここは俺の居場所じゃない。」って顔に書いてある。彼は「性悪女」にとりつかれて、元に戻れなくなってしまったのね。マットのブライアンですら純情な少年のように、急に瞳に星が入っちゃってさ、マジに第一王子に「夢」を見出してしまう。あれを「とりつかれた」と言わずして何という。 その中東の魅力がなんなのか、52度もある外気温なのか、迷信深い異形の人々なのか、「資源」なのか、貧困と猥雑なのか、たぶん全部なのだろうが。 それにしてもなぜか地球上で最も資源が集中しているという中東、「別れたいのに別れられない」「見下しているのに捨てられない」「忘れたいのに忘れられない」その姿は「憎みきれない性悪女」そのものだ。そしてこのタイトル、「SYRIANA」。 [DVD(字幕)] 9点(2006-08-05 00:03:54)《改行有》

33.  死霊のはらわた(1981) 無名の若い監督が大ヒットを飛ばしたと騒がれたサムライミの出世作であった。そう、無名だったのよ。ところがところが見始めたら釘付けよ。私は映画の最低条件はこの「釘付け」感と思っている。釘付けになれない作品はどんなに芸術的と言われても「駄」。この作品は「釘付け全開」。その理由は「ゾンビ」を出したことではなく、「シナリオ」「展開」「ドラマ性(必然性)」がしっかりと組まれていたためだ。「ゾンビを出」せばよいというものではなく、「どのように出すか」が考えられている。若いのに大したものだった。妙にアート感覚紛々の映画は個人的に好きじゃないので、誰とはいわないがこの作品のライミの爪の垢を煎じたらどうかと思っている(リ○チとか)。「退屈」と思っていても「芸術的」とか「本当は深い」とかいう評判が立つと、すかさず礼賛されがちな傾向を憂えている。釘付け映画№1.[ビデオ(字幕)] 9点(2006-02-05 13:36:57)

34.  UPRISING アップライジング<TVM> 《ネタバレ》 興行的な成功をあんまり考えない作品だと思うので、どこがどうだったとか、役者がどうだったとかいうことでなく、これを見た日本人が何を思い、何を教訓とするべきか個人的に一つの回答を述べたい。私が強く感じたのは「あまりにも都市化された民族の悲劇」であって、「都市化」とは養老孟司言うところの「脳化」のことである。詳しくは「バカの壁」を参照されたい。養老はぼけてきて何言ってるのかわからない部分が多いが、この点については鋭い指摘であるなあと思う。ユダヤ人は、歴史的ないろいろな事情により、「都市」に住み、「脳化」された職業につきがちで、意識的に財産を可動式に貯えてきたために、侵略側にとってみれば、「移動させやすい民族」であったのだ。侵略側にとってみれば、彼らを移動させても食料の収益が減るでもなく、何ら困ることはないわけだ。養老はこのことを、「ベトナム戦争」や「成田闘争」と比較して語っており、「なぜユダヤ人はかくも簡単に殺されたのか」と言っている。「土地に根付かない民」の不幸である。もっと言えば、「農業」や「畜産業」を行う民にくらべて、「脳化」された職業を生業とすることが、いかに侵略に弱いかということである。ユダヤ人の悲劇は、日本人が農業を捨てない限りは、他民族に侵略されても戦えるのかもしれない、という教訓を残す。またライフライン、交通および通信にかかわる職業を、外国人に明け渡さないこと(この映画でもそういった職業のポーランド人の協力が不可欠であったように)も危機管理上重要である。(櫻井よしこみたいになってきたが) ジョンボイトは「オデッサファイル」で元ナチの将校に復讐し、「アップライジング」ではまさにその敵役を演じたわけで、俳優として実にあっぱれな態度と言える。彼はドイツ人として成すべきことを成したということであろう。[DVD(字幕)] 9点(2006-01-02 15:17:54)《改行有》

35.  山猫は眠らない 《ネタバレ》 「3」の激太りおよびショボさにショックのあまり、口直しに「1」を見直さざるを得なかったのです。私のトムが間違いなくかっこよかったことを確認するために。そしたらやっぱり、どの角度からどう見てもハンサムだったわ。そして、セクシーかつワイルド。「男は40から」を体現している。「3」のベケットはもう別物と思おう。ところで「地味な映画だ」というレビューが多いですね。ふーん。改めてじっくり見たけど、ベレンジャーファンであることを抜きにしても「あー映画見た」とはっきり言える素晴らしい作品でした。そうなの。「じっ」と見てないと良さがわかんないかも。ドラマとしてもシンプルながらツボを押さえた職人の味。ミラーがビビっているほどベケットの冷静さが際立つつくりとか、ミラーとベケットの関係が、「ベケット優位」→「ミラーが反発」→「おとりにされてミラーが不信を抱く」→「ミラーがキレてベケットを襲う」→「自分のせいでベケットが捕まったので勇気を出して知恵を絞って救出」→「指を潰されたベケットをなぐさめる余裕」まで、刻々と変化していくようになってるんですよー。ベケットは自分が育てたスナイパーの一人に狙われ、やはり育てたミラーに救われた。登場人物が少ない分、二人の関係をじっくり描いてる。ともかくトムベレンジャー以上に海兵隊の似合う俳優さんはなし。「3」を忘れさせるに充分な映画である。最初のとこで、バスの後ろのランボーの絵を見て苦笑いするんだよねベケット。 [ビデオ(字幕)] 9点(2005-12-31 00:02:11)(笑:1票) (良:2票) 《改行有》

36.  ジェイコブス・ラダー(1990) 《ネタバレ》 ティムロビンスは好きじゃないが、この配役は当たりだったと思う。体も心もゆるんだ感じ。 初めて見た当時衝撃を受けてからすっかりエイドリアンラインのファンに。首ふりオバケの挿入が死ぬほどこわかった。死ぬ前にはいろんなことが走馬灯のように現れるというが、走馬灯どころかこのような込み入った夢を見ているなんて。幼児のころ交通事故で死にかけた自分自身も、今現在この「夢」の中にいるのかもしれんなあ、と考え出すと、まさに哲学の分野ですな。そんなこと考えついちゃったラインはやっぱりすごいな。[ビデオ(字幕)] 9点(2005-12-23 16:29:01)《改行有》

37.  ニューヨークの亡霊 《ネタバレ》 これ大好きです。若いカップルと、老夫婦という設定が好きだな。この老夫婦が互いに罵り合っているところがまたまた、よいのです。夫婦ゲンカにも年季が入ってこじゃれているよね。幽霊だけど。「キミはなんとかの息子のなんとかに違いない。いたずらっ子だったよな。」「いや、僕はなんとかの息子の息子です。」「…時代は変わったのう。」て、たしかこんな場面がありまして、最も気に入っています。こんな感じで、老夫婦が過去の栄光を漂わせつつ、なおかつ善人である彼らはスペイダーの煮え切らなさを何とかしてやろうと陰で奮戦する。平和で善意に満ちて、よいです。見ているだけで「眼福」なスペイダーと、昔はブイブイ言わせていたであろう老夫婦。絶妙です。老人て、「過去の栄光」があるほうが、はたで見ていて楽しいよね。[DVD(字幕)] 9点(2005-12-23 16:09:41)

38.  シリアル・ママ 《ネタバレ》 おもしろいです。スカっとします。こころなしか、脳内に快楽物質が出ている感じします。 つきぬけたナンセンスの美。「白い靴!」のところ、こころなしか、「キューティブロンド」のエル感あり。もちろんこちらが先。[ビデオ(字幕)] 9点(2005-12-10 23:20:34)《改行有》

39.  “アイデンティティー” 《ネタバレ》 うん面白かった。2回目はメモを取りながら詰めてみたが、解明できたとはいいきれない。 死体のそばにあるルームナンバーは人格のできた順番なのか?しかし、2~5が表示されていない。死ぬ順番には、人格の重要性が関係あるのか?あるようなないような。4人の女性人格のうち、ジニーはブロンドであるから、(彼の母はHAIR Br, EYES Br)母の投影された人格ではなくマルコム自身のおびえる女性人格であり、おそらくルーの暴力にさらされていながら離れられない。マルコムを殴っていたのは父であるから、ルーは父であるのだが、「妊娠はウソ」であったため、父親になることをマルコムから否定されている。他の3人の女性は母キャリーの人格が分かれたものであるが、ティミーは3人の母を殺していることになる。アリスは「慈愛あふれる母」人格だが、冒頭から昏睡状態のため「慈愛」をあらわすことができない状態にされたまま死ぬ。キャロライン(女優)は「売春」と「慈愛」をを排除した残りの母の人格というべきであり、「ヒステリーでわがままでみえっぱり」とされている。パリスは実在の母からキャロライン的な部分を除いた「売春婦」の象徴である。すると、「父」が登場していないのだ。ジョージは「継父」であるから、マルコムにとっての「父」足りえない。私は「エド」こそマルコムの思い描く「父」であったと考えるのだが。深読みしすぎ?ともあれ楽しめる作品です。ジョーンキューザックへの不満ははひとまず置いておこう。[DVD(字幕)] 9点(2005-11-23 12:48:26)(良:3票) 《改行有》

40.  ターミネーター 《ネタバレ》 当時は目を見張るような斬新な作品であった。今見てももちろん充分楽しめる。しかし、ありとあらゆるものが出ちまった今、残るかどうかはやっぱり「せつない部分」のある無しによるのだなあ。ビーンのせつなさよ。「1」はシュワちゃんの「非人間性」とビーンの「情けないほど人間」なところを対比して描いていたのが巧みであった。もどれないのに来ちゃってるし、来ただけで痛くてつらいしさあ、惚れてあげないとウソだよね。ドラマじゃ。図書館に「ターミネーターの謎」とかいう本まであって、驚いたのだった。せつない映画ベスト3には入れておこう。[ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-21 22:57:01)

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