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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
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21.  新・猿の惑星 《ネタバレ》  当作品が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  「製作担当者は、映画会社(20世紀FOX)の意向で、渋々2作目を作ったが、もうこれ以上の続編が作れないように地球を消滅させた。それにもかかわらず、会社の意向で作らされた3作目」…私がこの製作エピソードを知ったのは、ずっと後のことでした。  しかし30年ほど前にテレビ放送で観たときに「無理やり作ったんだろうな」ということは、最初の10分ほどでわかりました。「そもそも1作目でテイラーと地図を見ながら語り合った話だけで、沈んでいたロケットを発見し地球を脱出したというだけで不自然。そもそもマイロ博士って何者?」が率直な印象でした。ただし、その後のコミカルな雰囲気からジワジワと悲劇の後半へ…と、前半と後半の展開が変わるタイプの作品が好きな私は、観ていて悪い気はしませんでした。そして1作目に対応するように「人間とキスするのは、これで2度目よ/僕は初めてだよ」と、ジーラとコーネリアスが、ルイス博士達とキスを交わして別れる場面は、【種族/支配・被支配/時の流れ】という垣根を超えて、確かな友情を結べたことを示唆する名場面だと思います。キスの後に二人と赤ん坊がが遠ざかっていく姿から、その後に待ち受ける悲劇を予感したのは私だけではないと思います。また「人間が他の動物に支配されるようになるのが神の御心なら、それでもいい」と言う善良なサーカス団長アルマンドを演じたリカルド・モンタルバンについても、【スタートレック2/カーンの逆襲:1982年】の復讐に燃える優性人間カーンよりも、こちらの役のほうが、私は好きです。  このように、無理やり作ったと直感した時点で、私は【番外編】と割り切っているのですが…今回、あらためてテレビ放送の録画を観て感じた不満は、以下の2つです。  一つ目は、初見からずっと違和感があるのですが【猿が台頭していく歴史を、コーネリアス達が説明する場面】についてです。むしろ「発掘現場を爆破されたので、台頭した理由は調べようがなかった。ザイアス議長によると、かつて楽園だった禁断の地を、人間が砂漠に変えてしまったということしかわからない…」と1作目の状況を述べるだけでも十分だったと思います。そしてハスレインに「そうか、わかったぞ…お前達が、未来からやって来たのが始まりなんだ。人類が核戦争で衰退するからといって、お前達の子孫に取って代わられるなんて許せない。今、私がお前達を葬り去ることで、忌まわしい未来を変える」と言わしめるほうが、良かったのでは…と思うのです。そうすれば観客は「未来を変えるなら、核戦争が起こらないように尽力するほうが大切では?」と、ハスレインの動機が差別・偏見による理不尽なものだと、より明確に伝わるでしょうし、アルマンド団長の上記の言葉も一層、活きてくると思います。  二つ目は「ゴリラは攻撃的/チンパンジーは平和主義/猿は猿を殺さない」という動物観についてです。ご存知の方も多いかと思いますが、現在の研究・調査で、猿は猿を殺すことが知られています。チンパンジーは他の群れを襲って相手を殺す攻撃性を持つことが報告されています。 一方、ゴリラは、胸を叩くドラミングなどを通じて、他の群れに自分達の存在を伝えながら距離をとり、できるだけ戦いを避けようとするそうです。現在、ゴリラは「気が優しくて力持ちの繊細な動物」としてアメリカでは自然保護の象徴的存在になっているようです。ただし、そのゴリラもチンパンジー同様、いわゆる【子殺し】が確認されているそうで…。もっとも、このようなことばかりを言ってしまったら、「猿は猿を殺さない」という当シリーズ(及び、2011年以降に製作されているリブート版)の根本を揺るがしかねないかもしれませんが…。  さて、採点ですが…私にとっては【番外編】として、こじんまりと手堅くまとまっているという意味で7点を献上します。  ところで、4作目・5作目は、この3作目で語られた【猿が台頭していく歴史】をベースにしています。上記の通り、私はこの【歴史】に不満なのでレビューは控えさせていただきます。しかし、リブート版を創るインスピレーションを産みだす基になっているようなので、映画史的な意義はあるのでしょう。ただ、私はふと思うのです。「もし、作り手の予定通り1作目で完結していたとしたら、リブートシリーズは、どのようになっていたのか?」…もし、あり得るなら、個人的には【人類の文明が滅んだ後に生き残った猿達が、過酷な環境で少しずつ進化を遂げ、人類の残した言葉や文化を受け継いで、地球を再生していく…】という地道な作品を望みます。[地上波(吹替)] 7点(2017-10-22 19:04:40)《改行有》

22.  続・猿の惑星 《ネタバレ》  新・猿の惑星(1971年)が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  「製作担当者も、主演のチャールストン・ヘストンも、猿の惑星(1968年)は【完成された作品】であって、続編を考えていなかったにもかかわらず、映画会社(20世紀FOX)の意向で、渋々作った2作目。そしてこれ以上の続編が作れないように、地球を消滅させたはずだった」…私がこの製作エピソードを知ったのは、ずっと後のことであり、実は、猿の惑星シリーズで私が初めて観たのが当作品です。  私が物心ついたとき、映画館では、猿の惑星・征服(1972年)や最後の猿の惑星(1973年)が公開され、街中に貼られたポスターを見るだけで怖くて仕方ありませんでした。猿の惑星シリーズに限らず、当時のアメリカ映画は、オカルトやパニックものなど、人が悲鳴を上げて死んでいくのを見せ場にする作品が流行っており、TVのCMを見るのも苦痛で「昔のスペクタクル映画やミュージカル映画と違い、今の洋画は怖い」というのが幼い私の認識でした。猿の惑星のTVシリーズも放映されましたが、恐怖感から観ませんでした。  幸い、小学校の高学年になった夏休みに、アニメ版の猿の惑星が放送され、勇気をもって観たところ「怖くないぞ…面白いぞ!」とすっかり安心しました。その後、間もなくゴールデンタイムでテレビ放送された当作品を観たのですが…私の安心感はもろくも打ち砕かれました。特にミュータントがテレパシーを使い【ブレントを操ってノヴァを水に沈める・首を絞める/ブレントとテイラーを殺し合わせる】という場面は、【アクション】ではなく【単なる暴力】にしか思えず、つらかったです。ミュータントが不気味な讃美歌と共に素顔をさらす場面も気持ち悪く感じました。そして、せっかく喋れたノヴァは死んでしまうし、ブレントも撃ち殺されて倒れ込む動きが生々しく「主人公なのに、こんなにむごたらしく死んでしまうなんて…」とショックでした。テイラーも胸を撃ち抜かれ、地球も消滅…「やっぱり今の洋画は怖い」という認識が強まってしまいました。  その後、高校生のときにテレビ放送で1作目を観ることでき「やはり、猿の惑星は、聞きしに勝る名作だ!」と気持ちを新たにできました。しかしこの2作目で植え付けられたトラウマ的な感情はどうしても残りました。その後も何度かテレビ放送で観ましたし、今回、レビューを書くためにDVDで再見しましたが、初見から約40年経つのに、感情的な印象は全く変わりません…。  さて、他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、評価が低いですね…。でも、冒頭に明記したように、作り手の皆さんも仕方なく作ったわけで、その負の感情が、私達・鑑賞する側にも伝わっての低評価なのかもしれません。ひょっとすると「我々が、嫌々つくったのがわかるでしょ。観客の皆さん、是非、低評価を下し、これ以上、続編を望まないでほしい」という切なるメッセージが込められているのかもしれません。それなのに3・4・5作と続編が作られてしまうとは…。映画会社の意向があったにせよ、その背景に【観客が映画館へ足を運んで、それなりに儲かった。そして続編への要望があった】という事実があってのことでしょうから、作り手の皆さんだけを責める気持ちにはなりません。  最後に採点ですが…私のトラウマ的な感情だけで評価すれば0点です。しかし作り手の皆さんの【製作当時の苦悩と、その後も意に反して続編が作られ続けたやるせなさ】に思いを馳せると、つい肩入れしたくなってしまい、大甘で6点とさせていただきます。【商業映画=収益を出す】という括りの中で「作り手が創りたい」だけでは済まされない事情が生み出した【迷作】ということになるのかな…と思います。[DVD(字幕)] 6点(2017-10-22 18:59:28)(良:1票) 《改行有》

23.  猿の惑星 《ネタバレ》  新・猿の惑星(1971年)が、テレビ東京で10/12(木)の昼に放送されたのを機に投稿します。  偶然に訪れた【架空の異種族の世界】での交流を通じ、人間性や社会を批判し問題提起する…ジョナサン・スウィフトの風刺小説「ガリバー旅行記」にも通じる風刺映画の名作。  私が猿の惑星シリーズで初めて観た作品は、小学生のときにテレビ放送された【続・猿の惑星:1970年】です。この1作目は、高校生のときに日本テレビの金曜ロードショーで放送されたものを観ました。映画評論家の水野晴郎さんが解説されていたのをはっきりと覚えています。実際に観てみて、2作目同様、この1作目にも【怖さ】を感じましたが…【怖さ】の質は全く異なっている印象を受けました。2作目はミュータント登場以降の場面が強烈で「気色悪い、流血まみれでむごたらしい」といった生理的な嫌悪感に基づくものだったのに対し、1作目の場合は【理知的なSF映画としての怖さ】を感じました。それを象徴するのは、やはりラストシーンでしょう。最後のオチはとっくに知っていましたが【文字情報】では表現し得ない【映像】ならではのインパクトがある名シーンだと思いました。また、ジェリー・ゴールドスミスの前衛的な音楽にも魅力を感じましたが、特にその曲の一部は【水曜スペシャル―川口浩探検隊シリーズ:当時のテレビ朝日で放送】で引用されていたとわかったのも、当時の私にとっては嬉しい発見でした。  その後、テレビ放送で何度も観ましたし、今回、レビューを書くためにDVDで再見しましたが、素晴らしさは全く変わりません。もっとも、公開当時の「他の動物は、生きるために(捕食で)殺すことはあっても、人間と違ってそれ以外の無駄な殺生はしない。人間だけが…」という【人間と他の動物との違い】に関する考えかたは、現在の動物の研究・調査では修正を余儀なくされています。しかし公開されてからほぼ半世紀近く経つのに、映画の冒頭で語られるように【戦争が絶えず、そのために飢えている子供達が数多くいる】という現状を考えると、当作品の存在意義は変わらないと思います。また、考えようによっては、まだ最終戦争をしていないという意味で、↓の【よしのぶさん】がおっしゃる通り「核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかも」と言えるかもしれません。  さて、採点ですが…製作スタッフの皆さんへの敬意を込め、さらに、いつか「人類が戦争をしていた頃の時代遅れの作品」と評価される日が来ることを願いながら、10点を献上させていただきます。[DVD(字幕)] 10点(2017-10-22 18:56:21)《改行有》

24.  オズの魔法使 《ネタバレ》  「オズの魔法使い」という物語そのものを知ったのは小学校の低学年の頃に、和製テレビシリーズを観たのが最初です。ドラマ本編の詳細はあまりよく覚えていませんが、毎回、最後にドロシー役の女優さんと子供達のコーラスで歌われた【♪虹の彼方に】はよく覚えています。因みにこの番組はウィキペディアに掲載されています。  さて、当映画版は、その後【ハリウッド映画の古典】だと知り、ずっと観たいと思っていました。最初に観たのは、大学生の頃、NHKの夕方に放送されていた吹替え版です。まず主題歌【♪虹の彼方に】には「これが本家か!」と感動しました。そして【モノクロの現実から、カラーのオズの世界へと場面転換する演出】では「まだ白黒作品が多かった公開当時のアメリカの子供たちが、鮮やかなカラーにどれほど感激したことだろう!」と、察して余りあるものを感じました。また【カカシ・ブリキの木こり・臆病ライオンの特殊メイク】は単なる被り物(マスク)と異なり、俳優さん達の表情を見事に反映する出来栄えだと感心し、さらに【三人の素顔を再認識できるエンディング】も上手い演出だと思いました。なお、ストーリーは単純で、カカシ達に出会うごとに歌われるメロディーは、いつも同じでした。しかし「この同じフレーズの繰り返しのような構成は、まさに絵本・童話・昔話と同じだ。映画のセット(背景)も、まるで絵本から飛び出したような美術だ。きっと絵本・童話・昔話と同様に“すでにわかりきったお約束”に、感情や意識を乗せながら何度も繰り返し楽しむタイプの映画なんだろうな」と思いました。しかし、当時、我が家にはビデオデッキが無く「繰り返し観られない…」と【一抹の寂しさ】が残ったのでした…。  その後、私も結婚し、我が子が通う幼稚園の学芸会で、隣のクラスで演じていたのが【オズの魔法使い】でした。これを機にDVDをレンタルし、当作品を子供と一緒に吹き替えにして観てみました。すると、子供はすっかり夢中になりました。どうやら、優しい大人達と励まし合って冒険する雰囲気と、上記に明記した【繰り返し】が気に入ったようです。おかげさまで一時期、何度もリクエストされてレンタルし、学生時代の【一抹の寂しさ】は解消しました。さらに特典映像によって、子供は【映画が公開されて80年近くが過ぎ、俳優・女優さん達は既に亡くなられているが、作品の中で生き続けていること】に対し、幼いながらも【歳月/命のつながり】のようなものを感じたようです。その意味では、私も「TVで観た吹き替え版と配役が違う」と思いつつ、既に亡くなられていた【はせさん治さん】の声をカカシ役で聞けて、感じ入るものがありました。その後、オズの魔法使いの声を担当した【滝口順平さん】もお亡くなりになっています。ドロシーにとって【虹の彼方の世界】は【心配事の無い場所】でしたが、私や子供にとっては【亡くなった人達が、永遠に生き続けてくれていて、また会うことが出来る世界】のようになり…と、非常に“深い”味わいの作品となりました。今回、当レビューの投稿にあたり再見しましたが、思いは変わりません。  さて、採点ですが…当作品を好意的に観られるかどうかは、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り「いつ(どの年齢)で観たか」に大きく左右され、加えて「絵本・童話・昔話のような【繰り返し】を楽しめるか」「ミュージカルが好きか」「80年以上も前にこれだけのものを!と感心して観られるか」にかかっているかな…と思われます。私の場合は、子供と一緒に観た上記の“深い”味わいを上乗せして10点を献上させていただきます。そして、いつか子供も親となり「この映画はね、私がお前ぐらいの頃に、ジイジと観たんだよ」とつながっていってくれたら…そうなるよう、世界が平穏に続くように…と願っています。[DVD(吹替)] 10点(2017-09-29 21:06:34)(良:1票) 《改行有》

25.  タイタンの戦い(2010) 《ネタバレ》  1981年版について「公開当時、自分は中学生。往年のハリーハウゼン作品を見続けてきた人達からの評判は良くなかったが、自分がギリシャ神話で一番好きなペルセウスの冒険の映画化であり…」と、当レビューで10点をつけた者として、この2010年版を観るのも義務だろうと思い、今更ながら鑑賞。以下、3つに項目立ててお伝えします。  まず一つ目。2009年頃に「タイタンの戦いのリメイクの製作が進行中」という話を知ったときのことです。私は「ああ、やっぱり…」と思いました。何故なら、上述の通り1981年版は公開当時の評判は必ずしも良くはなく「ハリーハウゼンも老いたり。かつてのハリーハウゼンなら、あのシーンはもっと○○だったろうに…」といった声があったからです。したがって「ハリーハウゼン作品でリメイクするなら、どの作品か」というリサーチをすれば、タイタンの戦いがトップだろうと思ったのです。そのため「アルゴ探検隊の大冒険(1963年)のリメイク企画が持ち上がったのが発端」という↓の【ザ・チャンバラさん】のお話は興味深かったです。でもハリーハウゼンの最高傑作として名高い【アルゴ…】をリメイクしなくて正解だったと思います。 大抵、最高傑作・不朽の名作と呼ばれる作品のリメイクは、往年のファンからの眼差しが厳しくなりがちですので…。  さて、二つ目は、鑑賞しての率直な感想です。「ルイ・レテリエ監督なりに1981年版を尊重しながら新たな脚色に情熱を注いでいるな…」と思いました。文面が膨大になるので怪物に絞って明記すると、その筆頭に挙げられるのは、やはりメデューサでしょう。1981年版と同様に下半身がヘビで弓矢を持った姿で登場しましたし「1981年版はおどろおどろしい演出で、一人しか石にしなかった。自分はお得意のスピーディーな演出で、もっとたくさんの兵士を石にするぞ!」といった監督の熱い思いが伝わってきました。1981年版のオリジナルキャラクター・カリボスの登場にも感心しましたが…それなら黄金の梟のブーボーも活躍させてほしかったですし、二つ首の番犬ディオスキロスも登場させてほしかったかな…と、少々不満はあります。しかしクラーケンでは、とてつもない巨大感と力強さ、そして苦しみながらジワジワと石化する過程が見事に表現されていたと思います。ただし、CGに慣れ親しんでいる若い人達には【普通】なんだろうな…とも思いました。  最後の三つ目は【ペルセウスの冒険の映画化】という観点からの違和感です。ただでさえ1981年版は“劇映画”の体裁に沿って神話を脚色・再構成していたのに、当作品はさらに脚色を重ねたため、一般に知られている【ギリシャ神話・星座物語】のペルセウスの冒険から、一層、かけ離れたと思います。もし私が中学時代に当作品を観たら「こんなのペルセウスの冒険ではない!」と激怒したでしょう。もっとも、ルイ・レテリエ監督はあくまで【映画のリメイク】をしたのでしょうから、違和感は的外れかもしれません。また1981年版のベースになった神話エピソード(メデューサは美女だったが、女神によって怪物に変えられた/ペルセウスはペガサスに乗ってアンドロメダ姫のもとを訪れ、メデューサの首で、化けクジラを石にした)は、原典に最も近いと言われている【アポロドーロス著のギリシア神話:岩波文庫】には記載されていません。つまり、これらのエピソードは【後世の脚色】だとわかります。その意味で当作品も【後世の脚色】になると思います。いずれ映画の脚色ということが忘れられ、当作品のストーリーが【ギリシャ神話・星座物語】の本に掲載される時代が来る…かもしれません。  さて採点ですが…CGのVFXがポピュラーな現在では、もはや【普通の映画】という印象はぬぐえず、まずは可もなく不可もなくの5点だと思います。一方、養父を演じたピート・ポスルスウェイト氏は、個人的に好きな俳優さんでした。惜しくも当作品公開の1年後・2011年に亡くなられており、哀悼の意を表してプラス1点=計6点とさせていただきます。なお、続編のタイタンの逆襲(2012年)は、ギリシャ神話のエッセンスは盛り込まれているのでしょうが、ペルセウスの冒険とは異なるオリジナルストーリーのようなので、鑑賞は控えさせていただきます。  平成29(2017)年9月18日(月)追記:当初の採点箇所の文面が、くどいと感じたので短く修正しました。ところで、当作品のペルセウスの心情を察すれば、生き返らせてほしかったのはイオだけだく、共に戦った仲間、そして何よりも、養父母と妹だったのではないか…と思います。そうしてくれていれば、もう少し高得点をつけていたかもしれません。[DVD(字幕)] 6点(2017-08-21 21:22:30)《改行有》

26.  ガリバーの大冒険 《ネタバレ》  押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。   当作品は、シンバッド七回目の航海(1958年)における【小人化したパリサ姫】で披露した特殊撮影を、ハリーハウゼン氏がふんだんに導入し【ガリバーと小人族/ガリバーと巨人族】をワンフレーム内に違和感なくおさめることに成功していると思います。特撮と台詞を交えた各カットのつながりも大変スムーズで編集の緻密さにも感心させられます。【自由に切り貼りや、やり直しが可能なCG】とは異なり、当時の技術は【フィルムが現像されるまで意図通りに仕上がっているかわからない】というものだったことや、かつ、必ずしも恵まれた予算の作品ではなかった点を考えれば、驚異的だと思います。おそらく、現代のCGに慣れてしまっている若いレビュアーさん達がご覧になると、特段、驚きは無いかもしれませんが、考えようによっては、驚きが無いほど自然に表現されていることが“驚き”かもしれません。余談ながら、主なロケ地は上述のシンバッド七回目の航海と同じだったようで、似たような(否、そっくりかも…)海岸・林・岩場が出てくるのも興味深かったです。  また、単に特殊技術だけが売りではなく、原作の【風刺作品】としての持ち味もしっかりと表現されていると思います。【恋人・エリザベスとの交流】という映画独自の脚色により、舞台が小人族の世界から巨人族の世界へと話が進むにつれて原作と異なってきます。しかし全体を通じて【権力者の身勝手さや自己保身/戦争の本質/一般の人々にとっての幸せとは何か】といったエッセンスは、十分、伝わってきました。基本的にはファミリー層向けの映画であり、巨人族の少女・グラムダルクリッチぐらいの年齢のお子さん(10~12歳ぐらいでしょうか?)と親御さんが一緒に観るとちょうどいいのかな…と思いました。おそらく、イギリスでの公開当時は、観終わった後に、上述のエッセンスについて語り合った親子が多かったのでは…と想像したりしています。  なお、難点を挙げるなら①【ハリーハウゼン作品=モデルアニメのモンスターがたくさん出てくる作品】というイメージとは異なり、モデルアニメのキャラクターは巨人族の場面でわずかに【リス/ワニ】が登場するだけです。しかし、日本の円谷作品だって全てが怪獣主体というわけではないので、こういうのもありかな…と思います。また②小人や巨人は普通の速さの動きで撮られており、スローモーションで巨大感を表現するといったことはしていません。バーナード・ハーマン作曲のBGMが、小人らしさ・巨人らしさを巧みに表現していると思ったので映像と音楽との間にちょっと違和感がありましたが…当人達は「普通の人間」と思っているわけですし、だからこそ、やりとりの中の【風刺】が際立っていると言えるかもしれません。  さて、採点ですが…私にとっては【ハリーハウゼン作品】の範疇を越え【優れた風刺映画の古典】として印象に残っている作品です。当時、日本未公開だったのは残念ですし、展開が単調と言えば単調ですが、敢えて10点をつけさせていただきます。ガリバー旅行記を単なる童話と思っている人達が、原作を読もうというきっかけにもなり得たら嬉しいです。[ビデオ(字幕)] 10点(2017-08-12 21:49:55)《改行有》

27.  地球へ2千万マイル 《ネタバレ》  押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。なお、日本未公開になった理由は、私も知らないのですが「ひょっとして…」と思うところはあるので、そのあたりもチラチラっと書いておきます。  イーマについては、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り素晴らしく、ハリーハウゼン氏の愛情がたっぷりと注ぎ込まれているキャラクターだと思います。そして「シンバッド七回目の航海(1958年)のサイクロプスの声は、イーマからの流用だったんだ!。巨大化し、川から濡れた身体で現れるイーマは、タイタンの戦い(1981年)のクラーケンと似ているような…。ひょっとすると、ハリーハウゼン氏は、大好きなイーマを再登場させたくてクラーケンをデザインしたのではないかな」とも思ったりしました。  また、象との格闘も見応えがあると思ったのですが…ただし、当作品が発表された前年・昭和31(1956)年の日本では、某動物園で、象にまつわる事故がありました。そのため、当時、日本での象に対する眼差しが微妙・ナーバスな時期であったかもしれず、そのため当作品も未公開になったのかも…と思ったりもしました。  …と、ここまでは肯定的な意見をお伝えしましたが、実は、私には【引っかかる面】があります。それは当時の社会世相に関連したものであり、脚本上の問題であって、ハリーハウゼン氏のせいではないことを、あらかじめ、お断りしておきます。  【引っかかる面】とは、アメリカのカウボ-イに憧れるペペ少年の描き方です。第二次大戦でアメリカは連合国軍として、日本やイタリアに勝利しました。それだけが要因ではないにしても当作品の公開時、ドルは依然として強く、アメリカの人々にとっては僅かな金額(ドル)でも、イタリアの【リラ】や日本の【円】に換算すると大金になる時代でした。獣医・レオナルド先生にペペがイーマの卵を売るやりとりは【無邪気な子供の小遣い稼ぎ】という程度で気になりませんでしたが…軍人・マッキントッシュ少将とペペとのやりとりからは【敗戦国の少年達は、優れた我が国に憧れを持っている。その少年にご褒美としてのお金を施し、憧れの思いを満たしてあげることは、大変、良いことなのだ】とでもいうようなニュアンスを、私は感じてしまったのです。そして「もし当作品の舞台が日本で、少年が日本人だったら、この場面を見て、当時の日本の観客は、いい気持ちはしなかっただろう」と思うのです。これが未公開になった最大の理由かも…と思ったりしています。ましてや、イタリアの人達は、この場面を見てどう思ったのでしょうか?…もちろん映画の本筋というわけではないし、当時の脚本家や監督にも悪意は無かったでしょうから、私の考え過ぎだとは思いますが…ハリーハウゼン作品に限らず【現代劇】という括りの過去の作品には、こうした当時の世相で引っかかってしまうことが、私にはときどきあります。  その点、その後のシンドバッドシリーズなど【神話・ファンタジー系の作品】は、こうした面を感じなくて済み、時代を越えて愛される普遍性を獲得していると思います。ハリーハウゼン氏が【現代劇】から路線変更してくれて、ありがたく思っています。  さて採点ですが…イーマ自体は素晴らしく10点を献上したいのですが、上述の通り、社会世相絡みで私には看過できないものがあります。同じモノクロ作品の原子怪獣現わる(1953年)に7点をつけたので、それよりも面白いという意味でプラス1点、そして些末的な面に引っかかってしまう自分の小ささを自戒してプラス1点、計9点を献上します。[ビデオ(字幕)] 9点(2017-08-12 21:42:43)(良:1票) 《改行有》

28.  ベン・ハー(2016) 《ネタバレ》  私は【ベン・ハー:1925年度版】のレビューで「スペクタクルシーンだけを挙げれば、1925年度版は1959年版を凌いでいると思う。一方、1959年版の製作にあたり、ウィリアム・ワイラー監督をはじめとする当時のスタッフの皆さんは『1925年版はドラマ性が弱かったので力を入れよう/宗教色が強い場面は控えめにしよう(注:1925年度版の宗教色はもっと強かったのです)』と考えながら脚色したのではないか」と書きました。ベン・ハーに限らず、リメイクやリブート版の製作にあたり、スタッフの皆さんの原動力になっているのは【前作に対する違和感】ではないか…と私は推察しています。  今回のリブート版の製作にあたり、スタッフの皆さんが抱いた【1959年度版に対する違和感】は、おそらく、↓の【ザ・チャンバラさん】が見事に言い当てておられるように思います。個人的に言えば、私は1959年度版で憎しみの塊のように亡くなったメッサラの場面を見るたびに「ベン・ハーとメッサラに、和解の道は残されていなかったのだろうか」と悲しくて仕方ありませんでした。その意味でリブート版は、私が願っていた【もう一つの可能性】を実現してくれたと思います。また、海戦シーンや戦車競走シーンも、最新の技術を使いCG臭さの無い(目の肥えた若い人達には、やはりCG臭い?)臨場感・迫力を表現していたと思います。  このように、脚色とアクションシーンは成功していると思いますが、映画・映像全体がスケールアップしているかというと…個人的にはこじんまりとしている印象受けました。BGMも然りです。極端な例えをすると、もし1959年版のBGMを2016年版の映像に被せたとしたら、BGMに映像が負けてしまうのでは…という気がするのです。  ご存知の方も多いかと思いますが、1959年版のBGMを担当したミクロス・ローザは、1950年代の映画音楽のスタイルに則りつつも、物語が展開した時代や現地の音楽を、時間をかけて調査・研究した上で作曲に臨んだそうです。私がローザの創作姿勢を知ったのは、1959年版を観た後でしたが、その【努力・情熱】は偽りではないと納得したものです。それに対して、2016年版のBGMは無難にまとまっているという印象が強く、ローザほどのエネルギーが十分に注がれているかというと、果たしてどうなんだろう?という気がしました。勿論、音楽を担当したマルコ・ベルトラミは、手を抜いたわけではなく、映像がこじんまりとしていたので、それに合わせて控えめにしたのかもしれませんが…。  このように、ティムール・べクマンベトフ監督やスタッフの皆さんには申し訳ないですが、作品のトータルなスケールは【良く出来たTVムービー】という印象を受けました。日本では劇場公開でなく、Blu-ray DiscとDVDによる鑑賞となりましたが、考えようによっては、この鑑賞環境こそ、当作品のスケールにはちょうど良く、今後、日本では高く評価され得るかもしれません。ただ当作品が評価されるに伴い、1959年版への否定的な評価が増えてしまうのなら、1959年版に10点を献上した者として複雑な思いがします…。今回のベン・ハーとメッサラが互いの立場を認め合って和解出来たように、1959年版と2016年版、そして1925年版も含め、それぞれの作品の立場(特徴)が評価され、映画史に輝いてくれたら…と思います。  さて、採点ですが…1959年版のリブートに果敢に挑戦したスタッフの皆さんには敬意を表しますし、脚色・アクションシーンだけを挙げれば10点です。しかしトータルでは良作・佳作レベルかな…と思います。さらに「世間の評価が辛口になって作り手の皆さんにとってもつらいものが残りがちなのではないか、という意味で、今後、あまりにも不朽の名作・傑作と言われている作品をリメイク・リブートするのは、控えたほうがいいのでは…」「或いは、思いきって例えば『メッサラ ~ベン・ハーのもう一つの物語~ 』といった題にして、メッサラを主人公に今回の脚色を一層、掘り下げて再構成した作品にしていれば、もっと歓迎されたのではないか…」という思いを差し引き、8点とさせていただきます。[DVD(字幕)] 8点(2017-07-01 20:21:53)(良:1票) 《改行有》

29.  GODZILLA ゴジラ(1998) 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。*テレビ東京でも8/1(月)の昼に放送されました。他のレビュアーさん達のおっしゃることと内容が被る箇所もありますが「思いは同じ」ということでご勘弁を…。  当作品は、公開前から「ハリウッドがゴジラをつくる」「1作目を意識した作品を目指している」と話題になり、しかも、なかなか全身像を発表しないなど、じらした宣伝をして巷を賑わしたものでした。そして夏に公開…私は当時、冷房のないアパートで独り暮らしをしていた頃であり、避暑を兼ねて映画館に足を運びました(笑)。ただし、もともと当作品が話題になるずっと以前に、原子怪獣現わる(1953年)とゴジラの1作目(1954年)をビデオで観ていたので、比較してみようとは思いました。  さて、実際に観てみると…真っ先に思ったのは「これって『ゴジラの1作目』でなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは私に限らず、公開当時のマスコミでも話題になりました。またゴジラ(1954年)のレビューにも明記していますが、当時のアメリカの人々が知っているゴジラの1作目は、怪獣王ゴジラ(1956年)という題名で日本でも公開された再編集版でした。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】というコンセプトでまとめたものであり、1作目の「反戦/核の脅威への警鐘」といったメッセージ性を削ぎ落とした作品でした。ある本で、この再編集版をオリジナル版だと思っている海外の書評を読む機会がありましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面でした。そのためGODZILLAを観たとき「あの書評は、個人的な感想ではなく、当時のアメリカの人々一般の考えを代弁したものではないか。そのため、GODZILLAも“ゴジラの1作目よりも優れた本当の怪獣映画である『原子怪獣現わる』をリメイクしよう”という意識が、製作サイドに働いたのではないか」と思ったものです。  事実、後年になって、↓の【あばれて万歳さん】がおっしゃっている通り、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたことを知りました。私の当時の直感は、当たらずとも遠からじのようでした…。  なお、公開当時を知る方々ならご存知だと思いますが、当作品の製作にあたり、アメリカ側は当初「ゴジラの製作権を全てアメリカ側が買い取り、以後、東宝には一切ゴジラを作らせない」という条件を出したそうです。上記のようにゴジラへの愛着が全くなく(読み直してみて、全くないと言いきるのはちょっときついかな…とも感じましたが、シン・ゴジラの製作陣に比べれば…と思ってしまいます)、ビジネスチャンスとしか考えていなかったこの条件に応じなくて、本当に良かったと思います。当時の東宝の皆様に敬意を表します。もし応じていたら、シン・ゴジラは存在しなかったわけですから…。  さて、採点ですが…製作サイドが『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったと言っているわけですから、ゴジラ映画としては0点です。もし将来『The Beast from 20000 Fathoms:原子怪獣現わるの原題』と改題し、登場する巨獣の名前をリドサウルスに吹き替えたなら、6~7点ぐらいはつけさせていただきます…否、あの巨獣はイグアナが放射能で突然変異したもの。イグアナは草食です。何故、魚を食べるのでしょう?…その安直さに、やっぱり4~5点かな…。[映画館(字幕)] 0点(2016-08-06 15:18:49)《改行有》

30.  原子怪獣現わる 《ネタバレ》  シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、エメリッヒ監督のGODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。ゴジラ1作目(1954年)とセットにしてビデオで観ました。私の中での感想は、①ゴジラ1作目を観る前、②ゴジラ1作目を観た後、③GODZILLA(1998年)を観た後…と3つの時期に大別されるので、以下、順々に述べていきます。  まず①について、ハリーハウゼンの特撮シーンは、リドサウルスの造形といい、実写との合成といい、当時の同時期の作品を知っている私としては、そのクオリティーの高さに感心しました。一方、リドサウルスを攻撃する場面や逃げ惑う群衆シーンは、映像がこじんまりとしており「噂には聞いていたけど低予算映画なんだな…」と痛感したものです。また、これはリドサウルスに限ったことではありませんが、海外の怪獣は、皆、銃の攻撃がそれなりに効くなど生物的な面が強調されており【軍隊の攻撃にもビクともしない日本の怪獣】に慣れていた私には、違和感がありました。  次に②については、↓のとかげ12号さんのおっしゃる通り『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』という点は、ゴジラ1作目のストーリーラインもそっくりであり、実は、当作品こそ、ゴジラの1作目の元になっているんだろうな…と思いました。ただし、ゴジラの1作目は「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。その点、当作品における核実験は【怪物が現れるきっかけ】にすぎず、日・米の温度差を感じざるを得ませんでした。  さらに③についてですが、真っ先に思ったのは「GODZILLA(1998年)は『ゴジラ』ではなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは、公開当時の日本のマスコミでも話題になり、事実、後年になって、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたとか…思わず納得したものです。  さて、採点ですが、ハリー・ハウゼンが特撮マンとして独り立ちしたデビュー作であり、アメリカで当時、放射能関係で出現するモンスター映画が作られるようになった先駆けであり、ゴジラの元ネタ映画であり…と記念碑な作品だとは思いますが、特撮場面は良いとして、劇映画として「これは面白い!」と万人受けするかというと…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り、あまりお勧めはできないですね…。歴史的な意義とハリーハウゼン氏への敬意から、大甘ですが7点を献上します。[ビデオ(字幕)] 7点(2016-08-06 15:09:44)《改行有》

31.  ある日どこかで 《ネタバレ》  公開当時、私は中学生でした。某ラジオ番組でテーマ曲が紹介され「作曲者ジョン・バリーらしい美しい音楽だな」と思いましたが、映画館に足を運び損ねているうちに、某SF誌の書評で「観客の入りが悪く、短期間で打ち切られた」と知りました。さらに「タイムトラベルものだが、タイムマシンも出ないし派手な特撮も無いため、日本の配給会社は宣伝に困ったらしい。しかし恋愛映画として良く出来ている」と書いてありました。その後、高校性になり、クラスメート(男です)が、某名画座でローマの休日(1953年)を観に行ったときに同時上映されていたそうです。「ローマの休日はもちろん良かったけど、こちらも素晴らしかったよ!今まで全然知らなかったけど、何で有名じゃないのか不思議だよ!」と感激ぶりを熱く語ってくれました。  それから数年後…ようやくTVの深夜放送で、当時、買ったばかりのビデオデッキに録画して観ました。展開はクラスメートの説明通りだったので、もし【ストーリーだけで見せる映画】なら退屈したはずです。しかし他のレビュアーさん達と同様、ジェーン・シーモアの美しさは勿論、音楽と一体になった端正な映像が醸し出す【雰囲気】に魅了されました。また、主演のクリストファー・リーヴは、スーパーマンシリーズで有名ですが、けっして【マッチョ俳優】ではありません。役作りのために体格づくりをしたのであって、もともと演技力には定評がありました。この作品ではその実力を如何なく発揮していると思いました。お年頃だった妹にも観せると、最初は「なんだ、スーパーマンの人じゃない」と苦笑交じりでしたが、すぐ引き込まれていきました。  あれから約30年後…巷でスターウォーズ・フォースの覚醒(2015年)が公開中に、妹一家と会いました。そのとき妹が「子供の頃、スターウォーズと共にスーパーマンもヒットしたけど、スーパーマン役のクリストファー・リーヴさんと言えば【ある日どこかで】も良かったね」と言ったのです。妹は映画を熱心に観るタイプではありませんが、この作品は心に深く刻まれていたのです。「あの写真を撮るシーンが…/あのコインさえ無ければ…」と次々と名場面に話が弾みました。私たち兄妹にとっても【時を越えた作品】と言えるかもしれません。また、この30年間で、世間では、ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)がヒットするなど、ファンタジーの要素を含む恋愛映画はポピュラーなものとなり、当作品も受け入れられやすくなったように思います。私にとって、今観ても全く色あせない作品であり、ラフマニノフのラプソディーを聞くたびに思い出し、つい涙腺が緩んでしまいます。他のレビュアーさん達と感動を共有できることを嬉しく思います。 さて、採点ですが…ヤノット・シュワルツ監督は、私にとって、ジョーズ2(1978年)などアクション映画の続編監督の印象が強いのですが、当作品が最高傑作だと思います。【雰囲気】にはまれるかどうかで好みが分かれると思いますが、今は亡きクリストファー・リーヴやジョン・バリーをはじめ、当作品に携わった方々への敬意を表し、10点を献上させていただきます。[地上波(字幕)] 10点(2016-01-10 15:24:20)(良:1票) 《改行有》

32.  スーパーマンII/冒険篇 《ネタバレ》  スターウォーズと共に、1970年代前半までの厭世的でダークな「うんざり感」を打破し、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させた娯楽大作の2作目。私は1作目と同じく映画館で観ました。  オープニングタイトルと共に1作目の名場面が挿入されています。まだホームビデオが普及していなかった当時、私にとっては1作目の感動を想起させた上で本編へとつなげていく心憎い演出だと思いました。また、1作目は【時間的な流れ】という意味で、子供時代→少年時代→スーパーマンとしての活躍…について、やや飛び飛びに展開し“ダイジェスト”のような面がありました。一方、当作品は、①ロイスとスーパーマン(クラーク・ケント)、②レックス・ルーサー、③三悪人、の場面を、時系列に沿って交互に描きながら、最後のクライマックスに向けて一つに集約させていく構成も、わかりやすいと思いました。  当作品は、製作サイドの意向により、リチャード・ドナー監督から、途中でリチャード・レスター監督へと変更になったことは有名です。最近、ドナー監督の意向を反映して再編集した【ドナー・カット版】を観る機会がありました。予想通りだったのは、レスター監督ならではのギャグシーン(メトロポリスでの戦いの場面が典型的だと思います)が削除されていたことです。ただし、私はすでにレスター版のリズムに慣れ親しんでしまったために違和感がありました。そして、スーパーマンの正体を知ったロイス・レーンの記憶を無かったことにするために、地球の自転を反転させて時間を巻き戻すシーンが再現されていましたが…いまだにこの“解決策”は、1作目の欠点として挙げられていますので、レスター版による差し替えのほうが無難かな…と思います。  さて、採点ですが…、私にとっては、1作目と2作目はセットの作品です。本来の娯楽映画の面白さを復活させ、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博した歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、1作目同様、10点を献上させていただきます。[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:16:34)(良:1票) 《改行有》

33.  スーパーマン(1978) 《ネタバレ》  この作品が日本で公開されたとき、私は中学生でした。「ヒーローものだが、幼児向けではなく、正統派の娯楽大作の風格を備えている」という前評判通り、大変見応えがありました。まず、少年時代の抒情的な田舎町の場面は「アメリカの人々にとって郷愁をそそられるのではないか」と、中学生なりに感じ入ったものです。そして遂にスーパーマンとして空を飛び、ロイス・レーンの救出をはじめ、泥棒を捕まえ、子猫をも救うたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました(後に知りましたが、劇場によっては、活躍のたびに敬意を込めた拍手が沸き上がったそうです)。私を含め当時の観客の多くが、当作品の真っすぐな作風と、主人公の真っすぐなキャラクターに、共感を抱いたからこその笑いであり、拍手だったのではないか…と思われます。  当作品が歓迎されたのには、当時の世相が反映されていたと思います。あの時代は、米ソの冷戦、そして泥沼化したベトナム戦争(1975年に終戦)などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界でも支配的でした。【考えさせられる映画】と言えば聞こえはいいものの【重たく暗く悲しい気持ちになる作品】ばかりで、私を含め、当時の観客は「もう、うんざり」していたように思われます。そんな中、スターウォーズ(1977年)と共に、当作品も追随するように大ヒットしました。それは、当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを復活させたからに他ならないと思われます。数年後、日本でも両作品はTVで吹替え版が放送され、一時期は【スターウォーズ派とスーパーマン派】に二分されるほどの人気を博しました。両作品とも、根底に流れる面白さが共通していたからではないか…と思います。  さて、当時から問題視されていたのは、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、ロイス・レーンを生き返らせるために、地球の自転を反転させ時間を巻き戻すシーンです。私は個人的に「育ての親・ジョナサンを救えなかった後悔と悲しみを背景に“二度と愛する人を失いたくない”という爆発的な感情によって起きた奇跡」と考え、違和感はありませんでした。むしろ巻き戻った後、本当ならロイスの車は地割れに遭遇するはずなのに、そうはならず、エンディングへと向かうことに違和感を持ちました。一応「巻き戻したことで、少し事実が変わったんだろう」と割切ることにしましたが…。  さて、採点ですが…、バットマン(1989年)以来、「ヒーローものは、ダークな面も描かなければならない」とでもいうようなお約束?が浸透しています。しかし1970年代の厭世的でダークな「うんざり感」を打破したスターウォーズとスーパーマンを機に、予定調和の娯楽大作が次々と製作されるなど映画が多様化したからこそのバットマンだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、さらに、今は亡きクリストファー・リーブへの敬意を込め、10点を献上します。[映画館(字幕)] 10点(2015-11-28 20:11:50)(良:3票) 《改行有》

34.  SF巨大生物の島 《ネタバレ》  この映画との出会いは、私がまだ幼かった頃、親戚の人達が家に集まっているときにTV放映されているのを観たのが最初です。叔父達は「面白いよ」と言ってくれましたが、ウルトラ怪獣に熱中していた自分にとっては「本物のカニ・鳥・蜂を合成しているだけじゃな…スーパーヒーローも出ないし…」と引き込まれることはありませんでした。そして、とうとう【巨大蜂が、登場人物のいる巣穴にフタをしてしまう】という場面で、眠ってしまいました。  その後、ハリーハウゼン作品だとわかり「あれが人形のコマ撮りだったとは!」と驚き、いつか、もう一度、観たいと思い続けました。  大人になり、レンタルビデオでようやく再見しました。コマ撮りの素晴らしさは勿論ですが、バーナード・ハーマンの音楽にも感心しました。低音のきいた迫力あるテーマ曲に始まり、巨大カニの場面は力強く、巨大鳥の場面はコミカルに、巨大蜂の場面は弦で羽音を表現し…とバラエティーに富んでいると思いました。内容的にも、60年代から70年代に多く作られたこの手の【秘境冒険もの】としては、良く出来ているんじゃないかなと思いました。主要登場人物が誰も死なないことにも安心したのですが、それならいっそ、ネモ船長だって死なせなくても良かったのでは?と思ったりしました。そうした小さな不満は若干ありましたが、全体としては見応えがあり、幼い頃の記憶と気持ち良くつながって「観て良かった」と思いました。  さて、採点ですが…一般的には【男の子向けのファミリー冒険映画の佳作】であって、6~7点といったところでしょうか。ただ、私の場合、幼い頃に本物と思ったコマ撮り特撮のインパクトを加えて8点を献上させていただきます。[ビデオ(字幕)] 8点(2015-09-20 18:13:18)《改行有》

35.  恐竜グワンジ 《ネタバレ》  この映画の存在は、ハリーハウゼン作品を意識した小学生の頃から知っていました。しかし解説本では「師匠であるウィリス・オブライエンの原案を映画化した/プロットはキングコングの焼き直し/ヒットせずハリーハウゼンは落胆した」と簡単に触れられる程度で、シンドバッド・シリーズなどのファンタジー作品に比べ、地味に扱われていました。そのため、観たいとは思わず月日が流れました。  その後、20代になり、我が家でもビデオプレーヤーを購入しました。隣町のビデオレンタル店にあったので観てみると「こんなに良く出来た作品だったとは!」と嬉しい発見に満ちていました。特に感激した点は、以下の3つです。  一つ目は、恐竜のシーンが後半に集中しているぶん、じっくりとダイナメーションを堪能できたことです。特に【グワンジが早朝に登場し、がけ崩れで気絶するまでの場面】は約10分、【見世物にされるが逃げ出し、最後を迎えるまでの場面】は約13分ほどもあり、大変、観ごたえがありました。  二つ目は、軽快さです。アクションに乗馬を活用しているためか、スピーディーな印象を受けました。BGMも映像を引き立てるように明朗・快活だと思いました。どこかで聞いたことがある音楽だな…と感じましたが、音楽担当のジェローム・モロスは「大いなる西部:1958年」も手掛けたと、後で知り、納得しました。  三つ目は、視覚的なスケールが大きいことです。投げ縄でグワンジを捕獲しようとする場面、大量のエキストラを使った街や大聖堂の場面など、大がかりな場面が多いと思いました。また、馬を使っている分、単に役者さんだけでモンスターを想定し演技・撮影している他のハリーハウゼン作品より手間がかかったのでは…と想像したりもしました。  より細かい魅力は、他のレビュアーさん達が書いて下さっているので繰り返しませんが、それにしてもレビュー数が少なすぎるな…と思います。確かに「最初から最後まで飽きさせない絶妙な面白さ」といった内容ではありません。しかし40分間、待てば、エオヒプスを捕獲しようとするコミカルな場面に始まり、谷の絶景と恐竜の登場…と次々と見せ場が続きます。良く言えば、後半に向け少しずつ盛り上るオーソドックスな展開だと思います。発表されて50年近く経ちますが、時代設定が昔(19~20世紀の変わりめ)であるぶん、良い意味で昔っぽい・味のある【恐竜映画の古典】として、もっと多くの人達に受け入れてもらえたらな…と思います。  さて、採点ですが、他の(下の3名の)レビュアーさん達と同様、10点を献上します。私にとっては【埋もれた名作】であり、もっと再評価されていい作品だと思います。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-09-20 18:10:55)《改行有》

36.  コレクター(1965) 《ネタバレ》  私が高校生の頃、日曜洋画劇場で放映され、解説の淀川長治さんが絶賛していたのを覚えています。当時の主人公の吹き替えは、沢田研二さんが担っていました。その後は、ビデオ(字幕)で観て現在に至ります。  実は、この「コレクター」について、私は3つのバージョンにふれました。一つ目は当映画、二つ目は舞台劇(現在も舞台を中心に活躍中の、日本人の某実力派俳優さんが演じていました)、三つ目が原作小説です。  原作小説は、主人公と女子画学生の日誌が交互に紹介される形で展開します。画学生の日誌は、一応、恋愛要素を加えているので女性的な面はありますが、基本的には、当時のイギリスの社会批評のような内容になっています。クライマックスも映画とは異なっています。  一方、映画と舞台劇は、クライマックスを含めた内容や構成がよく似ていました。果たして、【小説を舞台劇にしたものを、ワイラー監督が映画化したのか】、【映画を基に舞台劇にしたのか】は、私にはわかりませんが…。  さて、私にとって、この類の映画としては、唯一、観ることのできる作品です。ワイラー監督は、それまでの作品同様、一定の礼節を備えた心理劇に仕上げ、テレンス・スタンプとサマンサ・エッガーの演技を見事に引き出していると思います。モーリス・ジャールによる、管楽器を主体にした音楽も独特のもので、あまりサスペンスタッチでないこと(と私は感じましたが、サスペンスらしい音楽だと思ったレビュアーの皆さん、スイマセン…)も、私には観やすい一因かもしれません。  ただ、この映画を観た当時「このようなことは、現実にはあり得ない」と考え、【特殊な状況下での二人芝居】として割り切りっていたからこそ、観ることが出来ていました。昨今の世相では、非常に現実味を帯びてしまっており、複雑な気持ちになります…。  さて、採点ですが、ワイラー監督の晩年の傑作として10点を献上します。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-23 22:26:45)《改行有》

37.  噂の二人 《ネタバレ》  子供の自己保身のためについた小さな嘘が、堅実に生きてきた二人の人生を破壊してしまう…世間の風評・決めつけの恐ろしさをテーマにした傑作。これが、この映画を見たときの私の感想でした。  しかし、その後、オードリー・ヘップバーンの自伝(彼女が書いたものではなく、別の人物が、資料や取材に基づいて書いたもの)を読む機会がありました。その中で、この作品は公開当時のアメリカで「同性愛がテーマなのに、中途半端な描写に終始した駄作」といった否定的な評価をされたと知りました。これに対し私は「この映画自体が“同性愛をテーマにしたものでなければならない”という当時の世間の風評・決めつけによって、おとしめられてしまったのではないだろうか…」と思いました。また、これも後で知りましたが、映画の原作である戯曲「子供の時間」の作者リリアン・ヘルマンも「同性愛をテーマにしたものではない」と言っていたそうです。それなのに…  映画の中で、確かにマーサは「世間が言うように、実は…」というようなことを言っています。しかし、私から見れば、人生を狂わされた後の状況下、「そういえば、私は…かもしれない…いや、きっとそうだったのだ、そうに違いない。私が、友人の人生をダメにしてしまったのだ」という内省的で生真面目な思考により、自分を追い込んでしまった言動のように思っています。もし、子供の嘘が【同性愛】でなく、例えば【窃盗】の疑いを抱かせるものであっても、きっとマーサなら「私は、実際に盗みをしていなくても、人のものを羨ましく、盗みたいという気持ちを、心の片隅で常に抱いてきた。だから、世間が言うように、私は窃盗犯として疑われても仕方なかったのだ。私の根っからの心の罪が、噂を招き、友人の人生をダメにしてしまったのだ」と自分を追い込み、映画と同じような結末を迎えていたのではないか…と思われます。  当作品が酷評された後、「これなら文句ないだろう!」とでも言わんばかりにワイラー監督がリベンジするように作り上げたのが、コレクター(1965年)なのかな?…と私は思っています。あくまでも個人的な推測ですが…。  さて、採点ですが、私にとって、世間の風評・決めつけの恐ろしさを、二重の意味(映画自体のテーマ/公開当時のアメリカでの評価)で考えさせられた名作として10点を献上します。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-23 22:20:56)《改行有》

38.  女相続人 《ネタバレ》  映画の冒頭で、主人公・キャサリンは 叔母のラビニアと、料理について堂々と自分の考えを述べ、機知に富んだ会話をしています。決して気弱なわけではないことがわかります。しかし、人見知りが強いのか、父親や、身内以外の、特に若い男性にはオドオドとして良い面を見せることが出来ません。父親も、根底では「心優しい娘」と思っているのに、亡くなった妻と比較して否定的な態度をとり続けてしまう…そして娘を守るつもりで、つい言ってしまった一言によって、取り返しがつかくなってしまう…こうした父娘関係が、ズシリと残りました。  キャサリンを演じたオリビア・デ・ハビランドは、私にとって、風と共に去りぬ(1939年)のメラニー役の印象が強く、そのため、父親と決裂した後の、父娘の態度が逆転した演技は見事だと思いました。しかし、その後、かなり勝気な女優さんだったことを知り、実は、前半の大人しい人柄こそ演技であって、後半は“地”を出しただけかも…と思ったりしています。  ワイラー監督の演出については、階段もそうですが、扉の使い方も上手だな…と思いました。特に、恋人(と思っていた)・モリスから捨てられたことがわかり取り乱したキャサリンを、階段による俯瞰ショットで捉え、扉を閉じて区切りとする抑制的な演出は、最近の直情的で生々しい感情描写が主流のアメリカ映画とは一線を画すものだと思われます。  暗闇の階段を昇っていくラストシーンのその後は、色々な解釈があるでしょう。個人的には、明るい曲調のBGMと相まって、キャサリンには、それまでのしがらみを断ち切り幸せな人生を送ってほしいと願いました。しかし、たとえそうだとしても、それは当時の時代だから成立するものだろうとも思いました。つまり、現在の世相では、キャサリンに愛想をつかされたモリスは、自らを恥じて退散するどころか、きっと逆恨みして家に侵入し彼女を殺めてしまうだろうな…ということです。まだ人と人とが、礼節と誇りをしっかりと持ち合わせていた頃のお話かな…とも思います。  さて、採点ですが、広く人間性について考えさせえてくれる名作であり、ドロドロしている内容であるにもかかわらず、最後まで品格を失わずにグイグイと引き込むワイラー監督の技量に敬意を示し、10点を献上します。[地上波(字幕)] 10点(2015-08-23 22:16:03)《改行有》

39.  嵐ケ丘(1939) 《ネタバレ》  この映画を見たのは、中学生の頃。もともと、テレビ放映されたローマの休日(1953年)に感激し、ウィリアム・ワイラー監督の名が、私の中に強く刻み付けられていました。そして、ワイラー監督が亡くなった後の追悼上映として当作品がリバイバルされ、単身、映画館へ足を運んだのでした。まだガキだった当時の私には【真に愛しているのはヒースクリフなのに、隣人の上流階級の子息・エドガーと結婚してしまうキャシーの心情】は理解し難いものでした。しかし、単なるメロドラマを越えた格調高さは、理解できました。上映が終わり、館内が明るくなったとき、若いカップルのお姉さんが大泣きして、お兄さんが優しくなだめていたのを、今でも覚えています。  大人になり、ビデオであらためて再見したときには、キャシーの心情を理解できるようになり、マール・オベロンのきめ細やかな演技と、それを引き出したワイラー監督をはじめとするスタッフの技量にあらためて感心させられました。エンディングでは、映画館でお見かけしたお姉さん同様、泣けました…。  これとは別に、原作小説を読む機会があったのですが、映画と内容が異なっているのに驚きました。私はそれまで「小説の映画化なら、如何に原作に忠実か」を価値基準にしていましたが、以後「脚色によって独立した作品として完成しているなら、この限りではない」と考えを修正するきっかけにもなった映画でもあります。今でも私にとって「嵐ケ丘」とは、アルフレッド・ニューマンの甘いBGMと共に思い出される、このワイラー版です。  さて、採点ですが…今では「この映画の撮影で渡米していたローレンス・オリビエを追って来たビビアン・リーが、風と共に去りぬ(1939年)のスカーレット・オハラ役に抜擢されることになった」というように、映画史の文脈で抜粋される程度です。しかし、私にとっては、思い出深いメロドラマの古典です。ワイラー監督への敬意を込め10点を献上します。[映画館(字幕)] 10点(2015-08-23 21:50:25)《改行有》

40.  ローマの休日 《ネタバレ》  この映画を見たのは、中学生の頃、TV放映時でした。親の代理として不本意に“いい子”を演じなければならず閉塞感で一杯だったお姫様が、念願の自由を満喫することで、最後には王族としての自分を自覚し、成長していく…王女を特ダネのネタとしか考えていなかった新聞記者も、いつしか彼女への愛おしさからヒューマニズムに目覚め、最高のプレゼントを残してくれます。恋愛という意味では切ない結末でしたが、人間にとって大切なものは何かを、思春期だった私に再確認させてくれた映画でした。私は感激して、翌日、クラスメートや部活動仲間に話をしたのですが…共感してくれる人は皆無でした。一様に「昔の映画=劣ったもの」というレッテルを張り付け、観てもいないのに「そんな古い映画のどこがいいの?」とまで言われました。白黒映画であることも、このレッテルを助長していました。「何でも新しいものほど優れている」という電化製品の類と同じような価値観を、映画にも当てはめることに対して私は疑問を感じ「きっとこの作品は、これからも時代を越え、愛されるはずだ」と陰ながら思ったものでした。  あれから30年以上が経ちました。他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、(もちろん、万人受けする作品はこの世に無いとしても)、私の陰ながらの思いは間違っていなかったとわかり、安堵しています。以前ほど地上波で放送されなくなったのは残念ですが、ビデオ(DVD・ブルーレイディスク)の普及により、若い世代の人達にも気軽に、この作品が観てもらえるようになったことを幸せに思います。採点は、文句なく、10点を献上します。[地上波(吹替)] 10点(2015-08-23 21:41:35)(良:1票) 《改行有》

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