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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
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21.  ベン・ハー(1925) 《ネタバレ》 この作品は、以前にビデオで見ました。スペクタクルシーンだけをあげれば、他のレビュアーさん達のおっしゃる通り、1959年版をはるかにしのいでいると思います。戦車競走シーンは言うに及ばず、海戦シーンにしても、1959年版では、一部、ミニチュアを使っていたのに対し、全て実物大を使っていました。また、磔にされるイエス・キリストを大群衆で救おうとするシーンも1959年版には無い大がかりな場面だと思います。  しかし、以下の二つのことで、引っかかったことがあります。  一つ目は、ドラマ性、特にベン・ハーとメッサラの関係についてです。1959年版では、冒頭の再会シーンで、二人が子供の頃、どれほど熱い友情で結ばれていたのかが表現されています。しかしこの1925年版では、ベン・ハーが最初に声をかけたとき、メッサラは迷惑そうな表情を浮かべます。あくまで「昔の知り合い」という程度です。戦車競走で敗れた後も「財産を没収された」と字幕で説明が出るに留まっていました。自分にとって、1959年版は二人の関係が核になっていたと思っていただけに違和感を覚えました。  二つ目は、宗教色についてです。このことによって、ただでさえ1959年版がレビュアーさんたちの間で意見が分かれているのに、この1925年版はより一層、強いと感じました。サイレント映画だから仕方がないのかもしれませんが、聖書からのエピソードを再現した場面では、どの箇所からの映像化なのか、本のページのような体裁でタイトルが出てきます。これでは一層、見た人の間で意見が分かれるように思いました。  おそらく、1959年版を製作するにあたり、ウィリアム・ワイラー監督をはじめとする当時のスタッフの皆さんは「1925年版はドラマ性が弱かったので力を入れよう/宗教色が強い場面は控えめにしよう」というように考えながら脚色したのではないか…と私は推察しています。  さて、採点ですが、上記の引っかかった面はあるとはいえ、映画の創生期にこれだけの大作を完成できたのは、まさに「奇跡」のように思えて仕方ありません。この作品があればこその1959年版だと思われます。1959年版と共に敬意を表して10点を献上します。 [ビデオ(字幕)] 10点(2015-02-21 16:23:27)《改行有》

22.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 この映画と出会ったのは、私が中学生のとき、TV放映時でした。当時は、史劇ならではの大がかりなシーンは勿論ですが、それ以上に、ドラマ部分が印象に残りました。  数年後、大学の視聴覚室にあったビデオ(当時、まだビデオは珍しく、HiFi音声の鮮明さに感激したものです)で再見し、この思いは、さらに明確になりました。何よりもインパクトがあったのが「約束通り、帰ってきたぞ/嘘じゃなかったんだな」と再会を喜び合う冒頭のベン・ハーとメッサラの場面でした。短いシーンですが、どれほど熱い友情で結ばれていたのか、きっと子供時代だけでも1本の映画になるのでは…と想像できるぐらい、二人の演技が素晴らしいと感じたのです。その後の二人の悲しい結末を知っていただけに、あまりに切なく、このシーンから涙ぐんでしまいました。勿論、二人の演技を引き出したウィリアム・ワイラー監督の技量、映像を引き立たせるカメラ・照明、そしてミクロス・ローザの格調高い音楽…と、スタッフの熱意が結実していればこそだと思いました。以後の場面も、同じことが言えるかと思います。また、主人公を演じているチャールトン・ヘストンは、私にとって、それまでは大柄でワイルドな印象が強かったのですが、この作品では、繊細な感情をもにじみ出るように表現していると思いました。映画評論家の水野晴郎さんの言葉だったと思いますが、まさに「全身で演技している」と感じたのです。そしてイエス・キリストの描き方も「これが、欧米の人達が子供の頃から親しんできたキリストのイメージなんだろうな」と感じ「人々の憎しみを洗い流す不思議な力があったのだろう。ベン・ハーも救われてほしい」と自然に思い、クライマックスまで感情移入できました。  その後、映画館で何度かリバイバル上映され、そのたびに見ました。大画面での感動はいつも変わりません。そのため、このレビューでの「鑑賞環境」は「映画館」とさせていただきます。  さて、採点ですが、全盛期のハリウッド映画を代表する作品である一方、どうしても宗教色が強いので、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、意見が分かれるところです。私にとっては、ドラマ部分の力により、宗教色を超えて感情移入が出来たという意味で「奇跡の映画」です。ワイラー監督をはじめとする当時の製作に携わった全ての皆さんへの敬意をこめて10点を献上します。 [映画館(字幕)] 10点(2015-02-21 16:21:34)《改行有》

23.  スター・トレックVI/未知の世界 《ネタバレ》 米ソの冷戦終結という世相を背景に、クリンゴン帝国との和解をテーマにした、初期レギュラーによる映画版の最終作。 映画館で見たとき、途中の展開は「アメリカ開拓時代の、白人とネイティブアメリカンの人々との対立と和解をテーマにしたお話で、似たようなものがあったような…」とは思いましたが、「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」というスタートレックの原点を堅持しながら、3作目であっけなく亡くなってしまったカークの息子・マーカスについて取り上げ、クリンゴンとのわだかまりを解いていく方向へと活かしていくなど、それまでの映画シリーズの展開を上手に締め括ってくれたな!と感激しました。公開当時、スタートレックの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏は亡くなられていましたが、映画の中で、その追悼の意も明記されており、きっとこの作品を天国で喜んで観ていてくれただろうと思いました。私自身、社会人になっており、映画版の1作目を初めて見た高校時代からの歳月を振り返り、映画版の節目と人生の節目を重なり合わせて感無量になりました。  敢えて言うなら、①スポックが目にかけていたヴァレリスは、2・3・4作目に登場したサービック(バルカン人とロミュラン人のハーフ)であれば、一層、彼女の行動が意味深になったのでは…ということ、②音楽が全編にわたって重々しく、できればジェリー・ゴールドスミス氏(1・5作目担当)か、ジェームズ・ホーナー氏(2・3作目担当)であれば、よりいいかな…とは思いました。ただし、個人的な好みの問題であって「あの映画のままで良い」という方々も多いでしょうから、評価からすれば些末的な要素かと思います。  さて、採点ですが、初期レギュラーによる映画版の締め括りに相応しい作品として、10点を献上いたします。[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:50:12)《改行有》

24.  故郷への長い道/スター・トレック4 《ネタバレ》 3作目のレビューにも明記しましたが、当時、2作目・3作目は、ファンには好評でも、それ以外の観客からは低い評価を受けていました。こうした【身内受け】的な面を打開すべく作られたのが当作品でした。狙いは的中し、ファン以外の観客からも幅広い支持を受けて大ヒットを記録しました。 さて、日本で、この映画に好意的になれるかは、テーマを【反・捕鯨】と捉えるか【自然保護がテーマであって、たまたま対象が鯨である】と捉えるかにかかっているのではないか…と思います。私は後者として映画館で観ました。そして、未来人であるキャラクター達が、現代のアメリカに来て、習慣の違いで笑わせるという【タイムスリップ】ものの要素をふんだんに盛り込み、役者さん達もとても楽しそうに演技していたのが印象的でした。また、もともとスタートレックは、TVシリーズの製作動機に「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」という面があり、その意味で、この映画もスタートレックらしい、原点に立ち戻った作品と言えるのではないか…と思っています。 さて、採点ですが、ある種、【番外編】的な作品ではあるものの、ファンだけに留まらない、作品としての多様性を示唆してくれたことに敬意を表し、10点を献上させていただきます。[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:45:02)《改行有》

25.  スター・トレック(1979) 《ネタバレ》 この映画は、私が中学の夏に「スターウォーズ・帝国の逆襲」と同時期に公開されました。当時のキネマ旬報では「スターウォーズとは一線を画した本格的なSF映画」という趣旨で特集が組まれました。しかし私はTVシリーズを知らなかったので、映画館には足を運びませんでした。その後、テレビ朝日でシリーズの再放送が始まり、すっかり夢中になりました。  こうして高校生になり、某名画座で、ようやく観られました。バトルで解決するのではなく、議論を通じ【論理と感情/機械と人間】を対比させながら、明るい未来と人間性を示唆する展開は、スタートレックの初心者だった私にとって、まさにスタートレックらしさと感じました。また、製作時間の制約のためにドラマ部分とのバランスが悪いと言われていた特撮場面も、悪い印象は受けませんでした。むしろ、エンタープライズの美しさは勿論、ヴィジャーの張る磁界や本体の外観は、映画館のスクリーンでは非常に広大・巨大感があり、食い入るように見つめたものです。見終わったときは、スターウォーズとは異なる満足感に包まれました。  その後しばらくして、日曜日にテレビの地上波で放送されたときには、翌日「特撮もいいけど、それ以上に内容も素晴らしく、まさにSFらしい映画だった」と我がクラスでは大評判になりました。上記のアンドレ・タカシさんがおっしゃっている通り、短くカットされて小気味よいテンポになっていたこと、吹替えの台詞が字幕よりも丁寧だったことで、全体にわかりやすくなっていた(もちろん、短縮に無理があって唐突に場面が飛ぶ箇所も一部ありましたが・・・)のが、プラスになったように思います。特に、小型宇宙船でエンタープライズ号へ近づいていく台詞なしの数分間の場面は、劇場版ではBGMを流しているものの「ファンや、ジェリー・ゴールドスミスの音楽が好きな者以外には退屈ではないか」と世間での評判は、この冒頭の部分から意見が分かれていたものです。一方、このTV吹替え版では【恒星日誌】という体裁で場面設定に関する解説ナレーションを被せていました。劇場版よりも観やすく上手い演出だと思いました。  ただし、その後、日本でのビデオソフトとして普及したものは、1983年に米国で放送されたテレビ放映版でした。映画公開時にカットしていた場面を復活させたのには感心しましたが・・・私には、ただでさえ劇場版は長くて賛否両論があるのに、前後のつながりが不自然で却ってくどくなっている印象を受けました。「あくまでも模索版であり、これが映画版のスタートレックと思われるのは、マイナスではないか。これなら自分が高校時代に放送された日本のTV吹替え版のほうが、よほど良いのではないか」と釈然としない思いをしたものです。  幸い、2001年に、ロバート・ワイズ監督の再監修による【ディレクターズ・エディション】として真の完成を遂げました。この完成版を見ると…副音声等による当時の苦労話の情報と相まって「スタートレックの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏の思いと、ワイズ監督の堅実さが見事に結実した作品」だとあらためて思いました。ただし、以後の映画シリーズと見比べると【ロッデンベリー氏&ワイズ監督の考えていたスタートレックらしさ】と【多くのファンの求めていたもの】には違いがあることも否めないと思われます。  さて採点ですが、商業・娯楽映画という制約がありながらも、正統派のSF映画としての作風を貫き通した、今は亡きロッデンベリー氏とワイズ監督、そして、この作品に携わったスタッフの皆さんに敬意を表し、10点を献上します。  *以前は入力に字数制限がかかって、やむなくカットしていた文面があったのですが、アンドレ・タカシさんのレビューを拝見し、更新・復活させていただきました。[DVD(字幕)] 10点(2015-01-11 19:24:25)(良:2票) 《改行有》

26.  シンバッド七回目の航海 《ネタバレ》  私が小学校の低学年のとき、リバイバル公開されたディズニー映画の「バンビ」を母に連れられて見に行った際、ちょうどこの作品のリバイバル公開の予告編が流れました。そのときの衝撃は今でも忘れられません。サイクロプスの「目」には、それまで慣れ親しんできたウルトラ怪獣には感じられなかった「意志=しっかりと人間を見つめている」が感じられましたし、人間が投げた槍がサイクロプスに突き刺さるなど、幼い私にも「どうやって撮ったんだろう?」と技術の高さが十分に伝わってきました。残念ながら、当時の私は字幕を読む自信がなく「洋画は怖いもの」という先入観もあり、親に映画館へ連れて行けとはねだらずに「いつか見てみたい」と願い続けていました。  それから10年後、某名画座でシンドバッドシリーズ全作品を見ることができ、ようやく夢が叶いました。上映順は、①黄金の航海、②当作品、③虎の目大冒険、でした。個人的には黄金の航海も好きで、その旨、レビューにも投稿していますが、やはり当作品が最高だと思いました。巨大なモンスターとの絡みや、緻密なチャンバラシーンなど、その後のハリーハウゼン氏のカラー作品の出発点・雛形と言ってもいいと思います。その魅力については、他の皆さんが語ってくれているので、私がここに詳しく描く必要はないと思いますが、必ずしも恵まれた予算ではなかっと聞いていますので、それも驚きです。バーナー・ドハーマンによる音楽も、よーく聞くと予算を裏打ちしてか、必ずしも大編成のオーケストラではないようですが【オープニングやバグダッドの場面での曲は華やか、サイクロプスなどの場面では重厚で力強く】というように多彩であって【低予算の音楽】という印象は全く受けず、映像を一層、際立たせていると思います。ハーマンと言えば、ヒッチコック作品などサスペンス映画が有名ですが、本によっては、当作品をハーマンの代表作の一つに挙げている場合もあり、個人的には「なるほどな」と思います。  なお、その後、DVD収録版で見直してみると、画像の鮮明さが裏目に出て?、背景の実写に対し、人形の合成が十分に溶け込まずにやや浮いているようなカットもあるな…とは思いました。しかし、それまで誰も成しえなかった「カラーフィルムによる実写と人形との合成」にチャレンジし、一定の成果を挙げたわけですから、些末的なものかな…と思われます。  数多くのフィルムメーカーに多大な影響を与えたファンタジー映画の古典として、10点を献上するに相応しい作品だと思います。  平成29(2017)年8月12日(土)追記:【カラーフィルムによる実写と人形(モデルアニメーション)との合成】による最初の特撮映画作品は、当作品より2年早く公開された【原始怪獣ドラゴドン(1956年)-製作会社・特撮担当は全く別】だと、最近、気づきました。知識が曖昧なまま投稿してしまい、今さらではあるのですが失礼いたしました。ただし、モデルアニメによる恐竜の登場シーンは短く、クオリティーも残念ながら低いと言わざるを得ません。したがって【それまで誰も成し得なかった】は不正確でしたが【一定の成果を挙げた】という意味では、当作品に軍配が上がるように思われます。  そして最後に…これは余計なお節介、或いは、年配者による上から目線の物言いかもしれませんが…豊富な予算に裏付けられたCGを使った作品が当たり前になっている若いレビュアーさん達には、可能なら、上述の【ドラゴドン】をはじめとする当時のトリック映画の数々を観てから、当作品をご覧になることをお勧めします。如何にハリーハウゼン作品の映像のクオリティーが高いかがおわかりいただけることでしょう。[DVD(字幕)] 10点(2014-12-12 22:54:53)《改行有》

27.  タイタンの戦い(1981) 《ネタバレ》 この作品は、私が中学生のときにロードショー公開されました。当時、配給会社は「スターウォーズをはじめとするコンピューターを使った特撮と対極にある、手作り特撮作品を作り続けてきたハリーハウゼンの集大成」と銘打って宣伝していたものです。残念ながら、往年のハリーハウゼン作品を見続けてきた人達からは「シンドバッド7回目の航海やアルゴ探検隊の大冒険のようなパワーが感じられない。ハリーハウゼンも老いたり」と、世間の評判はあまり良くありませんでした。しかし個人的には、①自分がギリシャ神話で一番大好きなペルセウスの冒険の映画化であること、②初めて映画館で見たハリーハウゼン作品であること、の2点から、特別な思い入れのある作品です。しかも、大画面で見たためでしょうか、コマ撮り特有のカクカクした動きが全く感じられず「こんなに動きが滑らかなのか!動きも緻密で、皆、本当に生きているみたいだ!」と感動しました。当作品最大の見せ場であるメデューサのシーンも、暗い映画館と相まって自分自身、逃げ場がないように感じ、ジワジワと近づいてくる演出に感情移入できました。また、フクロウのブーボーのコミカルな動きに対しては、その都度、劇場内から笑いが起こりました。ブーボーは「シリアスなストーリー展開の中、息抜き・ホッとさせる」という作り手の狙い通りのキャラクターとして活躍したのです。私にとって、一堂に会したお客が皆で楽しむという、映画館ならではの貴重な体験にもなりました。 そして現在…家でDVDを見るぶんには、当時の映画館のような体験はできませんが、新たな発見もありました。それは、画像処理についてです。公開当時、最後のクラーケンのシーンは、夕方であることを強調するためか、俳優さん達を撮影したカットも含めて、画面全体にオレンジ色の画像処理を施していました。そのため、他の色彩がつぶれ気味で、オレンジ一色の平板な画像の印象を受けました。この画像処理は、数年後にTV放映されたときも同様でした(録画もしてあり、確認済みです)。しかしDVD版は、この画像処理をしておらず、本来の色彩が蘇っていました。「ああ、やはり、こんなに綺麗だったんだな!」と安堵しました。 …と、かなり長々と書いてしまいましたが、採点については、今は亡きハリーハウゼン氏の最後の作品としての敬意と、個人的な思い出を加味し、思いきって10点を献上したいと思います。 平成28(2016)年8月30日(火)追記:テレビ東京で8/30(火)の昼に放送されたので、録画してみました。すると、約30年前の吹き替え音声はそのままで、映像はDVDと同様に画像処理をしていない色鮮やかなものに差し替えられていました。差し替えたスタッフさんの緻密な作業には恐れ入りました。こうなると、オレンジ色の画像処理を施した劇場公開版の映像はレア…ということはないでしょうが、当時のTV録画と見比べながら、これまでの年月に思いを巡らせました。年配者の呟きということでご勘弁を…。[DVD(字幕)] 10点(2014-12-12 22:31:28)(良:1票) 《改行有》

28.  猿人ジョー・ヤング 《ネタバレ》  私は最初のリメイク版キングコング(1976年)を小学生のときに映画館で見ました。そのとき「少数の理解者の声は全く届かずに惨殺されてしまう」というコングの結末が悲しくて仕方ありませんでした。その後も、コングと似た作品をテレビで幾つか見ましたが、いずれも結末は同じようなものでした。  こうして十数年後、たまたまレーザーディスク(懐かしいですね!)を試聴する機会があり、この作品を見てみました。それまでに蓄積した悲しみが全て洗い流されるような救われる思いで一杯になりました。たとえ作り話・理想論であっても、このような作品は必要だと思いました。  ジャンルとしてはファミリー映画なのでしょうが、公開当時は「キングコングの再来」と宣伝され、怪獣映画を期待した観客の評判はよろしくなかったようです。しかし、おそらく、アメリカではテレビで放映されるようになって、子供たちから愛されたのではないでしょうか。「パパ、ママ、どうしてジョーは、撃ち殺されることになったの?。ライターの火でジョーを苛めていたオジサンがライオンに襲われたとき、ジョーはオジサンを助けていたよ。ジョーは優しいよ。悪いのはあのオジサン達じゃないの?」「「ジョー、早く逃げて!」「おまわりさん、撃たないで!」「頑張れ、ジョー!」といった当時のアメリカの子供達がテレビの前で熱中する姿が目に浮かびます。その積み重ねが、1998年のリメイク「マイティ・ジョー」につながったのではないか…と推察しています。  なお、良心の塊のような当作品ですが、残念ながら、今となっては当時の社会世相による限界が垣間見える場面もあります。それは、成長したジョーが初めて登場するシーンにおける【現地で雇ったアフリカ人スタッフは、ジョーを見ておっかなビックリ逃げていく一方、カウボーイ達は捕獲しようと近づいていく】という場面です。こうした「白人は勇敢で、黒人・有色人種は臆病」といったステレオタイプの描写は、当時のアメリカ映画に散見していたようですが…社会心理学者から「差別意識を助長する」と言われるようになったようです。勿論、映画全体を否定する要素ではありませんが、リメイク版では、このような描写はなく「映画は時代を映す鏡」であると、つくづく思います。    さて、採点ですが…もともとハリーハウゼン作品への興味から見たのですが、私にとっては、特撮作品の域を超えた位置づけの映画になりました。現在、家にあるのはビデオ収録版ですが、時々見返しては元気をもらっています。ウィリス・H・オブライエン氏やハリーハウゼン氏をはじめとする、当時、製作に携わった皆さんへの敬意を込めて10点を献上いたします。  *平成30(2018)年12月24日(月) 追記: マイティ・ジョー(1998年)に投稿したのを機に、改行や、大勢には影響しない範囲で若干の文面を加えて修正しました。[ビデオ(字幕)] 10点(2014-12-12 22:20:57)《改行有》

29.  燃えよドラゴン 《ネタバレ》  志穂美悦子さん主演の【女必殺拳シリーズ】を観て、その製作のきっかけにもなったブルース・リーさん主演の映画を、これまで観てこなかったのは誠意がないと思い、BDをレンタル。【ドラゴン怒りの鉄拳:1972年】の次に鑑賞しました。  ブルース・リーさんのアクション自体は素晴らしかったです。【怒りの鉄拳】にも明記しましたが、某漫画からのフレーズをかりると…技の切れ・流れ・速さ、どれをとっても非のうちどころがありません!。  一方、【劇映画】としては…私にとって【怒りの鉄拳】の【個人的なインパクト】があまりにも強すぎたこともあり、【ハリウッドで無難につくられたアクション映画】という印象に留まりました。  とはいえ、最初に日本で【怒りの…】を公開しようとしても、受け入れられなかっただろうことは想像に難くありません。【燃えよ…】だったからこその大ヒットであり、その後の【空手ブーム】、そして【怒りの…】も無事に公開、さらに【女必殺拳シリーズ】へ…と、つながったのだと思われます。その意味で【歴史的な意義】には、計り知れないものがある作品であることは間違いないでしょう。  さて、採点ですが…ブルース・リーさんのアクションと歴史的な意義を踏まえると10点にしたいところですが…先に観た【怒りの鉄拳:9点を献上】のほうが、個人的に心に響いてしまった(というか、心に突き刺さった)もので…かといって8点以下というのも釈然としません。そこで【怒りの…】と同じ9点とさせていただきます。  それにしても、【個人的な事情】とはいえ、昭和に生きていながらリアルタイムで当作品を観られず、当時、熱狂できなかったのは、ちょっと寂しいですが…今回、観ることが出来て良かったです。 *【ドラゴン怒りの鉄拳:1972年】は、別途、レビューを投稿しております。[ブルーレイ(字幕)] 9点(2021-01-17 12:45:48)(良:1票) 《改行有》

30.  レイダース/失われたアーク《聖櫃》 《ネタバレ》  当作品が、10/28(土)に地上波放送されたのを機に投稿します。  日本での劇場公開当時、私は中学生でしたが、私の周囲では、オールスターキャストが売り物の【キャノンボール:同じく1981年】という映画が話題でした。これは私の中学だけでなく全国規模だったようで、実際、当時の日本では【レイダース~】よりもヒットしました。  当作品がポピュラーになったのは、私が高校生になった1984年に【インディ・ジョーンズ魔宮の伝説】が大ヒットしてからだと思います。その興行収入は【レイダース~】を遥かに凌いでいました。この【魔宮の伝説】の影響力は絶大で、その証拠に【レイダース~】が初めて地上波放送された1985年の吹き替え版において、マリオンが主人公に対して初めて発した名前は、原版の「インディアナ・ジョーンズ」ではなく「インディー・ジョーンズ」でした(因みに、今回の地上波放送では「インディアナ・ジョーンズ」と言っていました)。  以下、私の推測ですが…確かに当作品の日本公開当時、「ジョーズ(1975年)や未知との遭遇(1977年)のスピルバーグと、スターウォーズ(1977年)のルーカスが手を組んだ」と話題になりました。しかし、あくまで洋画ファンの間での限定的な話題に留まっていたように思います。幸い、翌1982年にスピルバーグ監督のE.T.が日本中で大ヒットをし、さらに翌1983年にスター・ウォーズが地上波放送され、スピルバーグとルーカスの名前が、洋画ファン以外の一般にも広く知れ渡ったところに、1984年の【魔宮の伝説】の日本公開…と、つながっていったのかも…と思ったりしています。  さて、当作品の魅力は、他のレビュアーさん達がおっしゃってくれているので、私が書くまでもないと思いますが…ただ、私の中で【ナチス・ドイツ】とは、小学高学年で親に連れられて行った【アンネの日記展】のインパクトにより【恐ろしくも生々しい現実】であり続けています。そのため初見から現在に至るまで【ワクワクドキドキの冒険活劇の敵役】には落とし込めません。それに「場合によっては、日本軍が敵役になったかもしれず、そうしたら日本未公開だったかも…」とも思ってしまいます。このように、変に【第二次大戦】が頭をよぎってしまい、映画の世界に没入しきれないのが、歯がゆいです…。  さて、採点ですが…本当は10点にしたいのですが、上記の歯がゆさを反映し9点とさせていただきます。なお、現在、日本では「ナチスって何ですか?」とおっしゃる若者の皆さんが増えているとか…ある意味、いい時代なのかもしれませんが、あくまで噂の類であれば…と願っております。[映画館(字幕)] 9点(2017-11-01 21:38:25)(良:1票) 《改行有》

31.  地球へ2千万マイル 《ネタバレ》  押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。なお、日本未公開になった理由は、私も知らないのですが「ひょっとして…」と思うところはあるので、そのあたりもチラチラっと書いておきます。  イーマについては、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り素晴らしく、ハリーハウゼン氏の愛情がたっぷりと注ぎ込まれているキャラクターだと思います。そして「シンバッド七回目の航海(1958年)のサイクロプスの声は、イーマからの流用だったんだ!。巨大化し、川から濡れた身体で現れるイーマは、タイタンの戦い(1981年)のクラーケンと似ているような…。ひょっとすると、ハリーハウゼン氏は、大好きなイーマを再登場させたくてクラーケンをデザインしたのではないかな」とも思ったりしました。  また、象との格闘も見応えがあると思ったのですが…ただし、当作品が発表された前年・昭和31(1956)年の日本では、某動物園で、象にまつわる事故がありました。そのため、当時、日本での象に対する眼差しが微妙・ナーバスな時期であったかもしれず、そのため当作品も未公開になったのかも…と思ったりもしました。  …と、ここまでは肯定的な意見をお伝えしましたが、実は、私には【引っかかる面】があります。それは当時の社会世相に関連したものであり、脚本上の問題であって、ハリーハウゼン氏のせいではないことを、あらかじめ、お断りしておきます。  【引っかかる面】とは、アメリカのカウボ-イに憧れるペペ少年の描き方です。第二次大戦でアメリカは連合国軍として、日本やイタリアに勝利しました。それだけが要因ではないにしても当作品の公開時、ドルは依然として強く、アメリカの人々にとっては僅かな金額(ドル)でも、イタリアの【リラ】や日本の【円】に換算すると大金になる時代でした。獣医・レオナルド先生にペペがイーマの卵を売るやりとりは【無邪気な子供の小遣い稼ぎ】という程度で気になりませんでしたが…軍人・マッキントッシュ少将とペペとのやりとりからは【敗戦国の少年達は、優れた我が国に憧れを持っている。その少年にご褒美としてのお金を施し、憧れの思いを満たしてあげることは、大変、良いことなのだ】とでもいうようなニュアンスを、私は感じてしまったのです。そして「もし当作品の舞台が日本で、少年が日本人だったら、この場面を見て、当時の日本の観客は、いい気持ちはしなかっただろう」と思うのです。これが未公開になった最大の理由かも…と思ったりしています。ましてや、イタリアの人達は、この場面を見てどう思ったのでしょうか?…もちろん映画の本筋というわけではないし、当時の脚本家や監督にも悪意は無かったでしょうから、私の考え過ぎだとは思いますが…ハリーハウゼン作品に限らず【現代劇】という括りの過去の作品には、こうした当時の世相で引っかかってしまうことが、私にはときどきあります。  その点、その後のシンドバッドシリーズなど【神話・ファンタジー系の作品】は、こうした面を感じなくて済み、時代を越えて愛される普遍性を獲得していると思います。ハリーハウゼン氏が【現代劇】から路線変更してくれて、ありがたく思っています。  さて採点ですが…イーマ自体は素晴らしく10点を献上したいのですが、上述の通り、社会世相絡みで私には看過できないものがあります。同じモノクロ作品の原子怪獣現わる(1953年)に7点をつけたので、それよりも面白いという意味でプラス1点、そして些末的な面に引っかかってしまう自分の小ささを自戒してプラス1点、計9点を献上します。[ビデオ(字幕)] 9点(2017-08-12 21:42:43)(良:1票) 《改行有》

32.  スター・トレック3/ミスター・スポックを探せ! 《ネタバレ》  この映画も、1作目・2作目に続き、映画館で見ました。2作目は、もともとTVのスペシャルムービーとしての企画を、途中から映画公開へと変更したそうで、1作目のカットを使い回したり、音楽(オーケストレーション)のスケールがこじんまりしていたりと、当初の企画の名残りが垣間見える印象を受けました。一方、当作品は佳作レベルながら、音楽に奥行きがありスケール感がありました。また、宇宙艦隊のドッグは、映画1作目のヴィジャーのようにじっくり見せなくても、巨大感は十分、伝わってきました。「1作目当時に比べて、特撮の見せ方も随分変わったな…」と思ったものでした。  さて、映画自体への感想ですが…映画館で見たときはその日の最後の上映時間であり、たまたまファンの皆さんが集っていたのでしょうか、各キャラクターが活躍する見せ場など、ファンサービスの場面のたびに、映画館内は好意的な笑いに包まれました。スポックも復活して私も安堵しました。しかも、最後に登場するバルカン星の女性祭司は、ヒッチコック作品・レベッカ(1940年)で、ヒロインをジワリジワリと追い詰めていく家政婦長・ダンバース夫人を熱演した名女優ジュディス・アンダーソンさんでした!。アンダーソンさんであることは、映画を見終わってから知りましたが、ご健在ぶりをとても嬉しく思ったものです。  ただし、当時、私の周囲(高校)では以下のような感想もありました。「惑星のセットがテレビっぽくて、如何にもスタートレックらしかったよ」…これが誉め言葉でないことはおわかりいただけるかと思います。このように、当時から、この映画シリーズは、2作目以降、ファンには好評でも、それ以外の観客からは低い評価を受けていた面があり、米国でも同様だったようです。こうした【身内受け】的な面を打開すべく作られたのが4作目(1986年)だったわけです。 さて、採点ですが、ファンの皆さんには申し訳ありませんが、【身内受け】的な面を差し引き、9点とさせていただきます。 平成30(2018)年10月8日(月)追記:↑の【Tolbieさん】のレビューを拝読してみて、ロードショー公開当時に私の耳に入った別の感想を思い出しました。それは…「エンタープライズは廃艦で、新鋭艦のエクセルシオールが登場するという設定は、さらば宇宙戦艦ヤマトでの【ヤマトは廃艦-新鋭艦のアンドロメダが登場】という設定と似ている。それに、キャラを死なせてファンの涙を誘っておきながら、都合良く生き返らせるし…。スタートレックとは、まさにヤマトのアメリカ版だ」というものです。この感想も、決して誉め言葉ではなく“当時低評価だったヤマトシリーズの二番煎じ”という意味合いでした。私は「スタートレックの誕生は1966年で、ヤマトより先なんだけど…」と反論したものの「確かに映画版の2・3作は、何かしらヤマトの影響を受けているのかも。○作とは言わないまでも…」と否定しきれず、つい、スタートレックシリーズに危機感を抱いていましたっけ…あれから30年以上。危機感は一時的なものに終わり良かったです。遠い昔のお話です。[DVD(字幕)] 9点(2015-01-11 19:42:39)(良:2票) 《改行有》

33.  スター・トレック2/カーンの逆襲 《ネタバレ》  この映画は、製作総指揮が、TVシリーズの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏から、手際よくこなすヒットメーカーのハーヴ・ベネット氏に交代しました。既に「本来のスタートレックらしさを取り戻した作品」として、ファンから不動の評価を得ています。しかし「以下のような話もあり得たかも…」と個人的に思っているので、お伝えしておきます。  私が一番、引っかかっているのは、TVエピソードの結末を壊している点です。TVエピソードの原題は「Space Seed=宇宙の種」と言います。カーンはラストで、惑星セテイ・アルファ・Ⅴへの追放を前に「私は星を手に入れることを望んでいた。立派な帝国を築いてみせる」と誇り高く宣言して去っていきました。カークとスポックはカーン達の入植を「宇宙の種」に見立て「今日、蒔いた種が、どんな実を結ぶことになるか、いずれ訪問しよう」という明るい未来への展望をもって幕を閉じました。したがって当映画も「優性人間達のその後の動向を再調査するため、惑星を訪れた」という設定でも十分、話は成立したのでは…と思われます。それなのに、映画では「隣の惑星が爆発して不毛の土地になってしまった」だったのです。蒔いた種を根こそぎにしたように私は感じてしまったのです。  こうした変更は、製作の実権がベネット氏に変わったことが一因かな…と思ったりしています。もしロッデンベリー氏なら【カーンは、当時の屈辱をカークに吐露し衝突しながらも、惑星に訪れた危機に対し協働で乗り越え…】といった和解へつながるコンセプトの物語にしたのでは…と思ったりしています。  ただし、製作当時は、ソ連との冷戦を背景に、レーガン大統領により「強いアメリカ」が標榜され、映画界にも少なからず反映されていた時期でした。そのためか?最初のレギュラー陣による映画版(1~6作目)のうち「アーミー色が強い作品」とも言われています。したがって、仮に上記のようなコンセプト案があったとしても、当時は作り難かったのかもしれません。こうしたコンセプトの映画は、冷戦終結を背景にしたスタートレックⅥ(1991年)で実現することになります。まさに「映画は時代を映す鏡」と思われます。  さて、採点ですが…私自身、スポックが亡くなる場面に涙したものの、上記の【引っかかっている部分】を差し引き、ファンの皆さんには申し訳ありませんが、9点とさせていただきます。 令和3(2021)年6月13日(日)追記:↑の【鱗歌さん】のレビューを拝読してみて、公開当時の映画館での思い出が甦りました。それは、寄生生物が耳から出てくるシーンに場内がザワつき、映画が終わった後も「あの虫が気持ち悪かったね」という感想が飛び交ったことです。【鱗歌さん】のおっしゃる『小技も(というかむしろ小技の方が)効いてます』は、まさに言い得て妙だと感じました。なお、当時、スタートレックといえば、TVシリーズのTOSと映画版1作目のみの時代。場内の「気持ち悪い」を耳にして、当時の私は内心『そもそも、TVのSpace Seedの設定を壊している感じがするだけでも腑に落ちないのに…スタートレックは、気持ち悪さを売りにする作品ではなかったはずなんだけど…こういう路線変更って嫌だな…』と寂しく思ったものでした。当時を思い出して何だか減点したくなってきましたが…とりあえず9点のままにしておきます。 *追記を機に、改行や段落が不自然だったので修正してあります[映画館(字幕)] 9点(2015-01-11 19:40:49)(良:2票) 《改行有》

34.  光る眼 《ネタバレ》  今から約4年前の2018年3月31日(土)の深夜(厳密には4月1日(日)の早朝)、たまたま早起きし、テレビ東京をつけたら放送していたのが当作品でした。オリジナル版(1960年)は、少年時代に読んだSF雑誌で、存在だけは知っていましたが、リメイクされているとは知りませんでした。しかも観始めたのは、マーク・ハミルさんが演じる人物(ジョージ牧師)が子ども達によって命を落とす場面で…ということで中途半端さは否めませんでした。   そこで「まずオリジナル版を観てから、あらためてこのリメイク版を観てみよう」と思ったら…当時、オリジナル版はレンタル店で取り寄せ不能になっており、市販もされておらず(廃盤と確認)、諦めていました。  幸い、最近になって取り寄せ再開を知り、リメイク版のDVDもレンタルして鑑賞。しかも6月13日(月)の昼過ぎに再びテレビ東京でリメイク版が放送されるとわかり、録画して再鑑賞。  こうして、リメイクだけでもDVD字幕版・DVD吹替え版・テレビ東京吹替え版の3種類を観る結果に。三者三様に日本語訳が違うだけでなく、二つの吹替え版は声の配役に加えて演出のニュアンスも異なっており、興味深かったです。  このように紆余曲折を経て、やっと投稿させていただきます。  元々オリジナル版が好きということもあり、それほど悪い印象は受けませんでした。  感心したのは、オリジナル版の物語の骨骼は変えずに、脚色やオリジナルエピードを追加した点です。また【心に築いた“レンガの壁”による主人公と子ども達との攻防】などオリジナル版を尊重しながら再現している場面も散見し、好感が持てました。  それに、ごく一部を除き【グチャグチャ・ドロドロと形容されるようなグロテスクな場面】が無いこともオリジナル版と共通しており、こうした場面が苦手な私には観やすかったです。  ただし【眼の発光】の演出には違和感がありました。  オリジナル版の場合、光り方は淡々としていて【静かな不気味さ】とでもいう雰囲気がありました。一方、当作品の場合、パワーを強調しようとしたのか?、光り方や効果音が派手で、どことなく軽い印象を受けたのです。  これは、ひょっとするとカーペンター監督なりの【子ども達の正体に関する解釈】が関係するのかもしれません。  オリジナル版では、子ども達が何者だったのか判明しないまま幕を閉じます。一方、当作品では、死産の赤ん坊の標本を通じて【宇宙から来たエイリアン】が正体だと示唆しています。それで眼の光は【超能力光線】としてパワフルに演出したのかもしれません。  しかし、赤ん坊の姿かたちは、良く言えばわかりやすいのですが…悪く言えばステレオタイプ化された宇宙人のフォルムそのもの。目の肥えた観客さんなら「安易だ」「同じカーペンター監督の【遊星からの物体X:1982年】のように、不定形にすればよかったのに」「オリジナル版は、正体が不明だったからこそ、観る者の想像力をかき立ててプラスだったと思うのに…何でもハッキリさせれば良いというものではない」など、不評要素の一つになってしまったのかも…と思ったりしました。  ただし、カーペンター監督の脚色は【感情の大切さ】をオリジナル版以上に強調し「異種族との関係は、支配‐被支配か、それとも共生か」という内容にも踏み込んでいます。これらは日本でも、ファミリー向けのヒーローものなら【王道】と呼べるものでは…と思われます。  そのため、もし「もう自分達はお子様じゃない。怖い映画も観てみたい」と思うようになった少年・少女向けに【わかりやすくて描写がソフトな、ホラー映画の入門編】として作ったのなら…眼の光や赤ん坊の標本は十分、不気味と思われます。ましてや黒焦げの亡骸にはドキッとするでしょう。ラストに対しても「理解し合ってハッピーエンドになると思ったのに」「それじゃあファミリー映画だよ。お子様向けじゃないからこそ、こういう最後でいいのさ」といった意見を交わし合う…といったこともあり得るのでは…と想像したりしました。  なお、監督の製作意図は未確認です。もし一般向けに作ったのなら…ちょっと…ね…。  さて、採点ですが…ホラー映画ファンの皆さんで、特に上述の【遊星からの物体X】に感激した方々には、期待外れこの上ないかと…ただし、推測通り【入門編】だとしら、まずまずの出来だと思います。クリストファー・リーブさんがお元気だったときの最後の主演映画ということもあり、大甘ですが、オリジナル版同様、8点とさせていただきます。因みに鑑賞環境は、当作品との出会いともなった【地上波(吹替)】ということで…  *オリジナル版である【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】は、別途、レビューを投稿しています。[地上波(吹替)] 8点(2022-06-19 17:54:32)《改行有》

35.  デューン/砂の惑星(1984) 《ネタバレ》  当作品は、私にとって【日本テレビ放送版:昭和63(1988)年6月10日、金曜ロードショーにて】に馴染みがあります。以下、“日テレ版”と呼称し、その吹替えでの言葉を引用して書かせていただきます。  実は、日本で劇場公開された昭和60(1985)年当時、私は事前にSF雑誌を読んで「設定が複雑でわかり難そう」と敬遠してしまったのです。  約3年後、日テレ版を鑑賞。当時は我が家にもビデオレコーダーがあったので、録画もしました。すると「初めて観る視聴者に配慮してくれている」と感心しました。  まず、映画評論家の水野晴郎さんが、皇帝・アトレイデス家・ハルコーネン家の関係を、イラストで説明してくれた上でスタート。  本編では、イルーラン姫が語り手となって展開しますが、TV放送用として、台詞の無い場面に姫のナレーションを追加した箇所がありました(録画を観直した際、二か国語の主音声・副音声を聞き比べて確認しました)。一例として、ナビゲーター達一行が皇帝に会いに来た場面での「当時、宇宙空間の輸送を全て司っていたスペースギルドの力は、皇帝をも凌ぐものがありました。突然のギルドの訪問に宮廷は緊張していました」が挙げられます。  さらに【TVでの映画放送の慣例】として、各キャラクターが最初に登場するとき【ポール・アトレイデス - カイル・マクラクラン】というように【役名 - 役者名】のテロップが出るのも、人物を把握する上でプラスだと思いました。  このように、ごく大雑把ながら、設定などを理解できたおかげで【無念の死を遂げた父の仇討ちという、定石に則った物語】として楽しめました。  あれから30余年…当サイトで、当作品及びヴィルヌーヴ版のレビューを拝読するうちに、頭の中で当作品のテーマ曲が巡るようになり、かきたてられるように押し入れへ…埋もれていたビデオを発掘できました。  こうして日テレ版を再見。しかも勢いでDVD(劇場公開版)もレンタルして観比べたところ、やはり、わかりやすかったです。  特に放送用にカットしたドラマ部分(正味10分+α)は、大勢に影響がない箇所ばかりでした。日テレ版を作成したスタッフさん達に、あらためて敬意を表します。  敢えて言うなら、30余年前に観たときも感じましたが…フェイドとラバンの最初の登場シーンにおける「ハルコーネン男爵の甥にして後継者のフェイドは、冷酷無比な性格で権謀術数を好む若者でした。クイザッツ・ハデラックを善の超人とするなら、フェイドこそまさに悪の超人。ポール・アトレイデスの宿命のライバルです」という“追加ナレーション”は、その後の展開と照し合せると、残念ながら的外れかと…。  以下、作品自体にもう少し言及すると…  まず、ブライアン・イーノ氏によるテーマ曲は、シンプルなメロディーの繰返しで印象深く、私は好きです。おかげで上記のようにビデオも発掘できましたし…(笑)。  クラシカルな味わいのある美術も独特で、特にハルコーネン男爵の描写に象徴される“グチャッ、ジュルジュルッ”と形容できそうな演出は、観る人によって好みが分かれそうです。  しかしグロテスクな演出ばかりでなく、ポール達が皇帝軍に勝利したとき【妹のアリアが酔いしれるような表情を浮かべる姿】は、ごく一瞬の映像ですが、リンチ監督の美的センスが光っていたと思います(この映像については、他のレビュアーさんも言及して下さっています)。  なお、スティルスーツが黒なのは、砂漠を背景にしたとき、人物が映えるよう意図したのかもしれませんが…“水分の濾過装置と熱交換システム”が備わっているはずもなく、砂漠のロケでは、灼熱の太陽光を吸収し、役者さん達は大変だったと思います。実際、日テレ版では水野晴郎さんも「連日40度という暑さ続きで(中略)皆さん、バタバタバタバタ倒れてしまったんだそうですね」と解説しています。そのため私は「たとえ失敗作と評されようとも、とにかく完成できたことは、過酷なロケの苦労が報われたと言えるのでは…」と考えたいです。  さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は地上波(吹替)とさせていただきます。「日テレ版がポピュラーになり得たなら、日本ではもっと親しまれていたかも」と思いつつ、①確かに劇場公開版はわかり難い、②独白やナレーションなど言葉での説明が多く、特に後半は急ぎ足で、全体的に総集編的…という【2つの点】は、私も否定しません。  しかし個人的には「膨大な情報量の原作でありながら、よくぞ、公開にまでこぎつけた」「当作品があればこそ、TVドラマ版(2000・03年)、ひいてはヴィルヌーヴ版へとつながったのでは…」と思うのです。そのため、上記【2つの点】のみを差引き、大甘とは思いますが8点を献上させて下さい。[地上波(吹替)] 8点(2021-12-04 19:55:46)(良:1票) 《改行有》

36.  ドクター・モローの島 《ネタバレ》  私にとって当作品と出会いは、公開前に夕刊に大きく掲載された広告です。正確な文面は忘れましたが【ラストが売り】と強調していました。怖い映画が苦手な少年だった私は、劇場に足を運ばず…その後、他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、毎年のようにTV放映されたので、恐々とチャンネルを切替えながら、何回か、というより何年か(笑)に分けて鑑賞。ラストは、私が想像していた血みどろで暴力的な場面ではなく「なるほど…」と冷静に受けとめることが出来ましたが、その後、ジワ~と響いてきて…確かに強烈な場面として心に残りました。  それだけに、皆さんのレビューの拝読を機に、別途、調べてみて「ラストは、日本公開のバッドエンド版とアメリカ公開のハッピーエンド版の2種類あり、DVDにはアメリカ公開版しか収録されていない」と知り、衝撃を受けました。「あのラストあっての作品でしょうよ!ハッピーなんて全てをぶち壊す改悪であって、ある意味バッドエンドじゃないの?この目で確かめねば…」と勢いづき、レンタル店でDVDを取り寄せ、鑑賞した次第です。さて、結果は…  まず、全体の印象について。もともと少年時代に感じていて今回の再見であらためて思ったのは「異形のクリーチャーが登場するので、一応は“恐怖・ホラー映画”なのだろうけど…むしろ、当時のSF映画で主流だった“警告もの”に該当する作品では…」ということです。↓の【アンドレ・タカシさん】がおっしゃっている【警鐘を鳴らしている映画】とほぼ同じ意味合いかな…と思われます。  年配のレビュアーさん達ならご存知と思いますが、スターウォーズ(1977年)の公開以前の1960年代後半から70年代のSF映画は、猿の惑星(1968年)やウエストワールド(1973年)のように『科学の進歩は、一歩、間違えば、このような恐ろしい状況を招きかねない』といったメッセージ性のある“警告もの”が主流でした。当作品に随所に見られる【不安を醸し出す演出】は、それらの作品群に通ずるものであって【ドキッと悲鳴をあげそうになる恐怖・ホラー映画の演出】とは、質が異なる印象を受けたのです。  また、バート・ランカスターさん演じるモロ―博士も、怪奇じみた不気味な人物ではなく、知的で落着いた人物として登場します。研究の目的は「遺伝子を人間が操作する…その利点を考えたまえ。病から解放され…その可能性は無限だ」と、字面(字幕)だけを見ると、他の科学者の方々でも言いそうな内容です。それだけに、倫理を度外視して知的好奇心を最優先する展開の“普通でなさ”が際立ち、これは【SF的な怖さ】だと感じました。そして、博士が好奇心(実験)を優先するあまり、"彼ら"に課していた掟を自ら破ってしまい、自滅する結末には【一歩、間違えた科学が辿る末路】としての説得力を感じました。  今回の再見を機に調べてみると、1970年代は【生命倫理学】が提唱され話題になっていたと知りました。H.G.ウェルズが原作小説を発表した19世紀末とは違った意味で、当作品の製作はタイムリーだったのかもしれません。【真摯なメッセージ性のある作品】と判断したからこそ、バート・ランカスターさんも出演されたのでは…と思ったりもしました。  次に、猛獣と“彼ら”とのアクションについて。他のレビュアーさん達もおっしゃる通り、素晴らしいですね。少年時代の感想は「皆、死んでしまった…掟を語っていたリーダーも…」という悲しみが主でしたが、今回の再見では「CGが無い中、ドン・テイラー監督を始めとする作り手の皆さんの、入念な打合せとチームワークがあればこそ成功したシーンでは!」と感じ入りました。  最後に、ラストについて。主人公・アンドリューは喜んでいるものの、ヒロイン・マリアの表情は明るくなかったので【ぶち壊し】というほどの印象は受けませんでした。  むしろ、マリアの目や口は腫れぼったいような異様な様相で…ひょっとすると 【アンドリューは元に戻ったが、実はマリアも“元”に戻り始めている暗示】と言えなくもありません。だとしたら「ハッピーエンド版も作れ」という上役の指示に対する、ドン・テイラー監督なりの『本当はバッドなんだ。誰か気づいてくれ』という抵抗だった…のかもしれません。  いずれにせよ、バッドエンド版の復刻を願ってやみません。  さて、採点ですが…現在では“彼ら”の特殊メイクが、ヴィジュアル的にネックになってしまうようですが、それさえ割りきれば【生命科学における倫理/苦痛や罰だけで押さえつける秩序の危うさ】という、いまだに今日的な問題を投げかける作品だと思います。バッドエンド版を念頭に、当サイトの採点基準である【見た後、率直に面白かったぁ…って言える作品】として8点を献上します。[DVD(字幕)] 8点(2021-06-12 17:27:19)《改行有》

37.  スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け 《ネタバレ》  遠い遠い昔…米ソの冷戦やベトナム戦争などを背景に「どんなに頑張っても、我々に明るい未来はない」とでも言わんばかりの厭世的な雰囲気の作品が映画界で支配的だった1970年代のアメリカで…当時「子供じみている」と敬遠されていた、往年のハリウッド映画のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、それまでとは一線を画す特殊撮影と共に復活させ、大ヒットした冒険活劇映画…それが1977年に公開されたスターウォーズでした。  当時、小学生だった私は、TVで放送されていた1950~60年代のハリウッド映画の名作に親しみを持っていたため、感激しました。また、当時の字幕の【理力】という言葉も印象に残りました。後年、そのものずばり【フォース】と表記されるようになりましたが、個人的には【理力】という訳語に当時の翻訳の苦労が偲ばれ、今でも親しみを持っています。  あれから40年以上。観る人それぞれの【スターウォーズ観】が生まれ、現在に至っているようです。そんな中、この【スカイウォーカーの夜明け】がTV放送されたので鑑賞。一応、一連の映画シリーズは観てきたものの、私はこれまで1作目(エピソードⅣ)しか投稿していませんでした。今回は【最後の作品】ということで投稿します。  当作品についていえば、レイ役のデイジー・リドリーさんを始めとする役者さん達、J・J・エイブラムス監督らスタッフさん達の「これで最後だ。しっかりと締め括ろう!」という熱い思いは、十分、伝わってきました。そして1作目(エピソードⅣ)に出演したマーク・ハミルさん、ハリソン・フォードさん、今は亡きキャリー・フィッシャーさん、ウェッジ役のデニス・ローソンさん、全シリーズ出演のC-3PO役アンソニー・ダニエルズさん、お疲れ様でした。*2作目(エピソードⅤ)からだけどビリー・ディー・ウィリアムズさんも…  ただ、私は元々【新三部作】には引っかかるものが…それは「自分は未読だけど、“レジェンズ”として別扱いになってしまった小説(ルーク及び、レイアとソロの子供達 - ベン・スカイウォーカー、ジェイセン・ソロ、ジェイナ・ソロ、アナキン・ソロが活躍する物語)を映画化する選択肢は無かったのか?」ということです。そして同じ監督とスタッフさん達によるシリーズとして製作・公開すれば、作風が一貫して完成度が高く、それこそ焼き直し呼ばわりされることも無かったのでは…と思うのです。↓の【puta-pp】さんも、この小説の映画化とはおっしゃっていないものの【最初から同じ監督・スタッフでシリーズを製作することによるメリット】について言及されています。  もっとも「小説の映画化なんて、今さら言ってどうするの?」という方々が大半でしょう。実際、小説は情報量が膨大過ぎて、映画化は難しいかもしれませんし…。  しかし、ウォルト・ディズニー・スタジオ(以下、ディズニーと表記します)が【新三部作】に着手したのが興行上の理由なら…私は「ほとぼりが冷めた頃、新シリーズを立ち上げるのでは」と思っていました。  結局、最近の巷の情報では「これまでのシリーズは“スカイウォーカー・サーガ”として完結した。今後、新たなシリーズを予定している」らしいですね。この新作予定に対しては「嘘だ…」と「知ってたよ…」に反応が分かれそう…否、後者が多いかな…。  パルパティーンが合法的に銀河共和国を銀河帝国へとシフトして勢力を拡大したのと同様に、ディズニーは、合法的にルーカスフィルムや20世紀FOXを傘下に収めることで“スターウォーズ・ブランド”を手中に収め、勢力を拡大していくのでしょうか…。  実は、私が少年時代のディズニー映画は【ウォルト氏の亡き後の低迷期】で、陰ながら応援していました。リトルマーメイド(1989年)を機に不死鳥の如く息を吹き返して感動したのですが、現在の拡大路線には抵抗感があります。勿論、ディズニー側には経営上の切実な理由があるのでしょうが…いつか、勢いが落ち着いてバランスがもたらされたとき、それこそ、その歩みが【ディズニー・サーガ】と呼称されるものになるかもしれません。  いずれにせよ、今後の新シリーズが惨憺たる終焉を迎えないよう「理力と共にあれ」と願いたいです。かつて、日本でスターウォーズと人気を二分し「もうヤマトに会えない」と観客の涙を誘った【さらば宇宙戦艦ヤマト:1978年】が、興行上の理由で設定をくつがえし続編を作り続けた結果、世間から冷笑されて幕を閉じた二の舞にならないように…。*後年、ヤマトは【2199】で名誉を回復しました  さて、採点ですが…ディズニーの思惑がどうであれ、前1・2作で多くの批判(私の文面もそうですね…)を浴びながらも、最後までやり遂げた【現場の方々への敬意】を込めて8点を献上します。[地上波(吹替)] 8点(2021-03-07 11:11:00)《改行有》

38.  クォ・ヴァディス(1951) 《ネタバレ》  2020年7月以降、当作品の投稿が続いたため、かつて観たことのある私も、デイスクをレンタルして再鑑賞の上、投稿しました。  当作品の鑑賞は、今回で3回目です。  1回目は高校生のとき、TVの深夜放送(吹替え版)でした。スパルタカス(1960年)も同時期に深夜放送し、両作品に出演していた俳優・ピーター・ユスティノフさんの吹替えも同じ人(後で確認しましたが、田中明夫さん)でした。当時はビデオレコーダーが無くタイムリーに観ましたが、スパルタカスと同様、最後まで引き込まれました。  題材は【皇帝ネロによるキリスト教徒迫害】でしたが、印象深かったのは、前述のピーター・ユスティノフさんが演じるネロの人物像でした。「僕ってすごいでしょ!天才だよね!」といった【幼児さんにありがちな“万能感”を抱いたままの未成熟な人物】のように描かれており…自分の考えた新たな街づくりを実現させるために市街を焼き払い、竪琴で自画自賛の歌をうたいながら、燃える街並みを、宮殿から高みの見物をする…その姿にゾッとしました。このような言わば【大人になり損ねたガキ】になった【経緯】は描かれていなかったものの「どうしてこんなガキを皇帝にしておくのか!」と高校生なりに憤ったものです(当時の私は授業で日本史を選択。世界史を選択した方々なら【経緯】は常識?)。  2回目は、社会人になり、レンタルビデオで鑑賞。このときは【ローマ市街の大火/ペテロの逆さ十字架/ガルバ将軍の軍団の行進】の場面のBGMに、後年の【ベン・ハー:1959年/キング・オブ・キングス:1961年】と似たメロディーが使われていると気付きました。私は当時『音楽担当のミクロス・ローザは、この作品からMGMの歴史劇大作に携わるようになり…その際、物語が展開した時代や現地の音楽を、調査・研究して作曲に臨んだ』と知っていたため「これが、ローザの歴史劇キャリアの原点だったんだ」と実感できました。    そして3回目は【今回】なわけですが…もともと2回目の鑑賞時から念頭にあり、今回、一層、強くなった思いがあります。それは「皇帝ネロの人物像にしろ、街を焼き払ったか否かにしろ、後世の研究では見解が違ってきており、当作品は“一解釈”にすぎないものの…いずれにせよ、キリスト教徒の【迫害】、というより【虐殺】を扱った物語であることに変わりがない。当作品が公開された1951年は、第2次世界大戦が終わってまだ6年足らず。原作の小説が書かれたのは19世紀末で、世界大戦が念頭にあろうはずはないが、当時の観客さん達は【キリスト教徒の虐殺】を【ナチスによるユダヤ人の虐殺】と少なからず重ね合わせながら観たのではないだろうか…」ということです。  当然、当時の観客さん達は【虐殺シーン】に“リアルな映像によるカタルシス”を望んだわけではないでしょう。特に【円形闘技場で、互いに身を寄せ合いながら祈るように歌い、その後、次々と命を奪われていく場面】では「強制収容所の人達も、きっと、このように祈りながら亡くなっていったに違いない…でも、このような悲しく恐ろしい時代は、きっと終わる…」と、客席で祈りながら観ていたのでは…と思わずにはいられません。【虐殺】の映像表現が“控えめ”というか【節度】のあるものになっているのは【当時の映画界の表現規制/技術的な限界】だけが理由では無いのでは…と思われます。  このように映像表現に【節度】があるため、若い世代の人達にお勧めするには不安があります。「もっと血みどろの迫害シーンを期待したのに…/猛獣に食い殺されるシーンにガッカリ。もっとリアルに首根っこを…」といった感想が並びそうで、私にはそのほうが、この映画以上に恐ろしい気がします。たとえ【映像しての迫力】という意味合いだとしても…。もしご覧になるなら、最低限【公開当時の時代背景】を念頭に…。もっとも、ディスクの特典映像では、私が推察したことへの直接的な言及は無く、他に色々な背景・状況があったようですけど…。また、当サイトのレビュアーさん達なら、上記のような感想は、お持ちにならないとは思いますが…  現在のアメリカ映画界はリメイク流行りですが、【迫力ある映像】が安易に【過激な残酷描写】に陥らないよう、もしリメイクする場合は慎重に…。  さて、採点ですが…【虐殺】を扱っているので、好きな作品には位置づけられませんが、熱演した役者さん達や、作り手の皆さんの労苦を察すると低得点にも…ということで、当サイトの採点基準である「出来としては良い」に則り、8点を献上します。  そして最後に…【〇〇教徒/〇〇人】といった括りに留まらず、現在の国際的な世相が【排他的】になってきている今日、【虐殺】で命を奪われる人達が現れないように…と願ってやみません。[ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-08-30 15:52:33)(良:1票) 《改行有》

39.  大空港 《ネタバレ》  空港を舞台に、様々な人々の人間模様が交錯する【グランドホテル形式の映画】。パニック要素は、娯楽色を高めるためにラスト近くに添えられたエッセンスにすぎません。  しかし、その後のパニック映画ブームに加え、後続の【エアポートシリーズ】自体がパニックものに特化した作品群になってしまったため【パニック映画の先駆け・元祖】と認識されていることが、当作品にとっても観る側にとっても悲劇だと思います。私自身、初見(TV放映)時は【パニック映画の元祖】だとばかり思っていたので「前置きが長い。なかなか本題(パニック)に入らない」とヤキモキで一杯になり、とても疲弊しました。  一方、【グランドホテル形式の映画】という視点で観直すと、印象は全く違います。【パニック映画】という視点だと“単なる前置き”と映る場面も、それ自体が見せ場であり、味わい深いものに様変わりするはずです。  私の場合、【予期せぬ出来事:1963年】のリバイバル上映を観た上で再鑑賞できたことが、大きな救いになりました。こちらも空港を舞台にした【グランドホテル形式の映画】ですが、パニック要素は皆無です。当時、劇場に観に来た人達も、そもそもそのような要素に期待しておらず「こういうものなんだ」と、ある種、素直に観入っていました。この作品を観た上で【大空港】を観直すと、如何に娯楽色に富んだ面白い作品かを理解できると思います。私の場合、初見時のヤキモキと疲弊感が一掃され、スカッとしました。  ただ、再見時のレンタルDVDの宣伝文句は「満員の旅客機内で緊急事態発生!極限下の空港に錯綜する人生模様」というもの。【空港に錯綜する人生模様】はその通りですが、前半部の【満員の旅客機内で緊急事態発生!極限下の】は違いますって!爆弾が爆発してパニック映画の様相になるのはラストの30分間だけですから…。販売促進のためとはいえ、このような文面では、結果としては、当作品にはマイナスにしかならないように思うんですけどね…  さて、採点ですが…上述の通り【パニック映画】としての初見時は0点でしたが【グランドホテル形式の映画】としてなら8点です。アルフレッド・ニューマンの遺作ともなった軽快なテーマ曲と共に、これからも私の記憶の中に心地良く残る作品となりました。  そして最後に…今後、当作品をご覧になる方々には、私のように「パニック映画だと思ったのに、なにこれ…」という悲劇を、どうか繰り返されませんように…と願っています。 *備考:【予期せぬ出来事:1963年】については、別途、レビューを投稿しております[DVD(字幕)] 8点(2020-05-30 17:03:55)《改行有》

40.  マイティ・ジョー 《ネタバレ》  私はオリジナル版・猿人ジョー・ヤング(1949年)で、以下の趣旨のレビューを投稿していました。「理解者の声が届かずに惨殺される1976年版のキングコング及びその類似作品を観て蓄積されていた悲しみが、当作品を観て洗い流された。作り話・理想論でも、このような作品は必要だと思う。ファミリー映画なのに、公開当時は怪獣映画を期待した観客の評判はよろしくなかったようだが、アメリカではTV放映されるようになって子供達から愛され、1998年のリメイク版につながったのでは…と推察しています」    そして、このリメイク版が公開されて今年で20年経ったと気づいたので投稿します。以下、3つに項目立ててお伝えします。  一つ目は、日本での公開時(1999年春)のポスターやチラシについて。主流は【ジョーが車の前で立ち往生する写真】を使ったもの。私は「オリジナル版と同様に誤解され、また評判が悪くなるのでは…」と心配したものです。それが的中してか?私が映画館へ足を運ぶ前に公開が終わってしまいました。他のチラシには【ジョーの手と、人間の手が優しく触れ合うイラストのアップに『ほんの少し大きいだけだった…』というキャッチコピーが重なる】というものもあり「オリジナル版のハートを良く表現している」と思ったのですが…  二つ目は、レンタルDVDで観たときの感想です。それまでに【予備知識】を仕入れて観賞しました(今回、投稿のため再見しましたが、感想は当時と変わりません)。  率直な印象は、良心的なリメイクで【ゴリラが置かれた状況:密猟と自然保護】をモチーフに上手に脚色していると思いました。また、オリジナル版でジョーとジルが友達になるきっかけ(物々交換ですが…)になった【大きな懐中電灯】が、重要なコミュニケーションツールになっているのにも感心しました。さらに、オリジナル版でジルを演じたテリー・ムーアさんと、特撮担当のレイ・ハリーハウゼン氏がカメオ出演するシーンも心憎い配慮だと思いました。因みに、ロン・アンダーウッド監督は、子供の頃にオリジナル版を夢中で観たそうで、それがプラスになったのかもしれません。  さらに感慨深かったのは、ジョーのスーツ及びメカニカル担当がリック・ベイカー氏だったことです。ベイカー氏は、1976年版のキングコングで、表情豊かなコングを実現したのに、成果は【実物大のメカニカル担当】のカルロ・ランバルディ氏と混同されました。当時のハリーハウゼン氏も「ぬいぐるみなんて安易」と否定的でした。その点、当作品ではベイカー氏の技量が如何なく発揮され、しかも特撮現場にハリーハウゼン氏が訪れて賛辞を贈ったそうです。1976年版のコング以来、約20年を経てベイカー氏とハリーハウゼン氏が和解した作品にもなったのでは…と思ったわけです。  三つ目は、懸念事項について。二つあります。一つは「予備知識が無いと低評価かな…」ということ。元々、オリジナル版は【キングコングの姉妹作品】とも呼ばれ、コングのオマージュのような場面が散見しています。その最たるものが【火事の中、ジョーが子供を救うシーン】であり、当作品でも再現されていますが…【予備知識】が無いと“コングの真似”と誤解されても、やむを得ないでしょう。  もう一つは【子供を救うシーン】の直前、ジルがグレッグに喋った「ジョーが、シュトラッサーを殺したわ」の一言です。確かにジョーはシュトラッサーを投げ飛ばしましたが、死因は【激突死】ではありません。【遊園地の電源】の真上のワイヤーに引っかかり→【密猟の代償でもあるプロテクターを着用した右手】ではワイヤーを掴み切れず→電源に落ちることによる【感電死】です。まさに因果応報。ジルもジョーも“親の仇をとったぞ!”とは異なる、繊細な表情を浮かべた映像になっています。そのため、私は上記の一言に「映像(演出)とチグハグな感じ。むしろ『シュトラッサーは死んだけど、ジョーが殺したわけじゃないわ』じゃないの?」と違和感がありました。【私刑】を支持しているとも受け取られかねないこの場面は【ファミリー映画】として残念です。シュトラッサーの相棒・ガースにさえ「人殺しは、もうごめんだ」と言わしめていたはずなのに…。  さて、採点ですが…上記【二つの懸念事項】から1点ずつを差し引き8点とさせていただきますが…それにしても公開されて20年。ジル役のシャーリーズ・セロンさんは今や大女優。一方、グレッグ役のビル・パクストン氏、ハリーハウゼン氏、音楽担当のジェームズ・ホーナー氏は亡くなり、クリーチャーもCGが主流に…しかしゴリラは絶滅の危機から脱していません。「ゴリラが絶滅しそうだった?信じられない」という時代が来たときこそ、当作品は、真の意味で過去の作品になるのかな…と思っています。[DVD(字幕)] 8点(2018-12-24 17:25:41)(良:1票) 《改行有》

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