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プロフィール
コメント数 115
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから8年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
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41.  恐竜グワンジ 《ネタバレ》  この映画の存在は、ハリーハウゼン作品を意識した小学生の頃から知っていました。しかし解説本では「師匠であるウィリス・オブライエンの原案を映画化した/プロットはキングコングの焼き直し/ヒットせずハリーハウゼンは落胆した」と簡単に触れられる程度で、シンドバッド・シリーズなどのファンタジー作品に比べ、地味に扱われていました。そのため、観たいとは思わず月日が流れました。  その後、20代になり、我が家でもビデオプレーヤーを購入しました。隣町のビデオレンタル店にあったので観てみると「こんなに良く出来た作品だったとは!」と嬉しい発見に満ちていました。特に感激した点は、以下の3つです。  一つ目は、恐竜のシーンが後半に集中しているぶん、じっくりとダイナメーションを堪能できたことです。特に【グワンジが早朝に登場し、がけ崩れで気絶するまでの場面】は約10分、【見世物にされるが逃げ出し、最後を迎えるまでの場面】は約13分ほどもあり、大変、観ごたえがありました。  二つ目は、軽快さです。アクションに乗馬を活用しているためか、スピーディーな印象を受けました。BGMも映像を引き立てるように明朗・快活だと思いました。どこかで聞いたことがある音楽だな…と感じましたが、音楽担当のジェローム・モロスは「大いなる西部:1958年」も手掛けたと、後で知り、納得しました。  三つ目は、視覚的なスケールが大きいことです。投げ縄でグワンジを捕獲しようとする場面、大量のエキストラを使った街や大聖堂の場面など、大がかりな場面が多いと思いました。また、馬を使っている分、単に役者さんだけでモンスターを想定し演技・撮影している他のハリーハウゼン作品より手間がかかったのでは…と想像したりもしました。  より細かい魅力は、他のレビュアーさん達が書いて下さっているので繰り返しませんが、それにしてもレビュー数が少なすぎるな…と思います。確かに「最初から最後まで飽きさせない絶妙な面白さ」といった内容ではありません。しかし40分間、待てば、エオヒプスを捕獲しようとするコミカルな場面に始まり、谷の絶景と恐竜の登場…と次々と見せ場が続きます。良く言えば、後半に向け少しずつ盛り上るオーソドックスな展開だと思います。発表されて50年近く経ちますが、時代設定が昔(19~20世紀の変わりめ)であるぶん、良い意味で昔っぽい・味のある【恐竜映画の古典】として、もっと多くの人達に受け入れてもらえたらな…と思います。  さて、採点ですが、他の(下の3名の)レビュアーさん達と同様、10点を献上します。私にとっては【埋もれた名作】であり、もっと再評価されていい作品だと思います。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-09-20 21:14:38)《改行有》

42.  SF巨大生物の島 《ネタバレ》  この映画との出会いは、私がまだ幼かった頃、親戚の人達が家に集まっているときにTV放映されているのを観たのが最初です。叔父達は「面白いよ」と言ってくれましたが、ウルトラ怪獣に熱中していた自分にとっては「本物のカニ・鳥・蜂を合成しているだけじゃな…スーパーヒーローも出ないし…」と引き込まれることはありませんでした。そして、とうとう【巨大蜂が、登場人物のいる巣穴にフタをしてしまう】という場面で、眠ってしまいました。  その後、ハリーハウゼン作品だとわかり「あれが人形のコマ撮りだったとは!」と驚き、いつか、もう一度、観たいと思い続けました。  大人になり、レンタルビデオでようやく再見しました。コマ撮りの素晴らしさは勿論ですが、バーナード・ハーマンの音楽にも感心しました。低音のきいた迫力あるテーマ曲に始まり、巨大カニの場面は力強く、巨大鳥の場面はコミカルに、巨大蜂の場面は弦で羽音を表現し…とバラエティーに富んでいると思いました。内容的にも、60年代から70年代に多く作られたこの手の【秘境冒険もの】としては、良く出来ているんじゃないかなと思いました。主要登場人物が誰も死なないことにも安心したのですが、それならいっそ、ネモ船長だって死なせなくても良かったのでは?と思ったりしました。そうした小さな不満は若干ありましたが、全体としては見応えがあり、幼い頃の記憶と気持ち良くつながって「観て良かった」と思いました。  さて、採点ですが…一般的には【男の子向けのファミリー冒険映画の佳作】であって、6~7点といったところでしょうか。ただ、私の場合、幼い頃に本物と思ったコマ撮り特撮のインパクトを加えて8点を献上させていただきます。[ビデオ(字幕)] 8点(2015-09-20 18:49:41)《改行有》

43.  コレクター(1965) 《ネタバレ》  私が高校生の頃、日曜洋画劇場で放映され、解説の淀川長治さんが絶賛していたのを覚えています。当時の主人公の吹き替えは、沢田研二さんが担っていました。その後は、ビデオ(字幕)で観て現在に至ります。  実は、この「コレクター」について、私は3つのバージョンにふれました。一つ目は当映画、二つ目は舞台劇(現在も舞台を中心に活躍中の、日本人の某実力派俳優さんが演じていました)、三つ目が原作小説です。  原作小説は、主人公と女子画学生の日誌が交互に紹介される形で展開します。画学生の日誌は、一応、恋愛要素を加えているので女性的な面はありますが、基本的には、当時のイギリスの社会批評のような内容になっています。クライマックスも映画とは異なっています。  一方、映画と舞台劇は、クライマックスを含めた内容や構成がよく似ていました。果たして、【小説を舞台劇にしたものを、ワイラー監督が映画化したのか】、【映画を基に舞台劇にしたのか】は、私にはわかりませんが…。  さて、私にとって、この類の映画としては、唯一、観ることのできる作品です。ワイラー監督は、それまでの作品同様、一定の礼節を備えた心理劇に仕上げ、テレンス・スタンプとサマンサ・エッガーの演技を見事に引き出していると思います。モーリス・ジャールによる、管楽器を主体にした音楽も独特のもので、あまりサスペンスタッチでないこと(と私は感じましたが、サスペンスらしい音楽だと思ったレビュアーの皆さん、スイマセン…)も、私には観やすい一因かもしれません。  ただ、この映画を観た当時「このようなことは、現実にはあり得ない」と考え、【特殊な状況下での二人芝居】として割り切りっていたからこそ、観ることが出来ていました。昨今の世相では、非常に現実味を帯びてしまっており、複雑な気持ちになります…。  さて、採点ですが、ワイラー監督の晩年の傑作として10点を献上します。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-24 21:57:46)《改行有》

44.  嵐ケ丘(1939) 《ネタバレ》  この映画を見たのは、中学生の頃。もともと、テレビ放映されたローマの休日(1953年)に感激し、ウィリアム・ワイラー監督の名が、私の中に強く刻み付けられていました。そして、ワイラー監督が亡くなった後の追悼上映として当作品がリバイバルされ、単身、映画館へ足を運んだのでした。まだガキだった当時の私には【真に愛しているのはヒースクリフなのに、隣人の上流階級の子息・エドガーと結婚してしまうキャシーの心情】は理解し難いものでした。しかし、単なるメロドラマを越えた格調高さは、理解できました。上映が終わり、館内が明るくなったとき、若いカップルのお姉さんが大泣きして、お兄さんが優しくなだめていたのを、今でも覚えています。  大人になり、ビデオであらためて再見したときには、キャシーの心情を理解できるようになり、マール・オベロンのきめ細やかな演技と、それを引き出したワイラー監督をはじめとするスタッフの技量にあらためて感心させられました。エンディングでは、映画館でお見かけしたお姉さん同様、泣けました…。  これとは別に、原作小説を読む機会があったのですが、映画と内容が異なっているのに驚きました。私はそれまで「小説の映画化なら、如何に原作に忠実か」を価値基準にしていましたが、以後「脚色によって独立した作品として完成しているなら、この限りではない」と考えを修正するきっかけにもなった映画でもあります。今でも私にとって「嵐ケ丘」とは、アルフレッド・ニューマンの甘いBGMと共に思い出される、このワイラー版です。  さて、採点ですが…今では「この映画の撮影で渡米していたローレンス・オリビエを追って来たビビアン・リーが、風と共に去りぬ(1939年)のスカーレット・オハラ役に抜擢されることになった」というように、映画史の文脈で抜粋される程度です。しかし、私にとっては、思い出深いメロドラマの古典です。ワイラー監督への敬意を込め10点を献上します。[映画館(字幕)] 10点(2015-08-24 21:11:31)《改行有》

45.  噂の二人 《ネタバレ》  子供の自己保身のためについた小さな嘘が、堅実に生きてきた二人の人生を破壊してしまう…世間の風評・決めつけの恐ろしさをテーマにした傑作。これが、この映画を見たときの私の感想でした。  しかし、その後、オードリー・ヘップバーンの自伝(彼女が書いたものではなく、別の人物が、資料や取材に基づいて書いたもの)を読む機会がありました。その中で、この作品は公開当時のアメリカで「同性愛がテーマなのに、中途半端な描写に終始した駄作」といった否定的な評価をされたと知りました。これに対し私は「この映画自体が“同性愛をテーマにしたものでなければならない”という当時の世間の風評・決めつけによって、おとしめられてしまったのではないだろうか…」と思いました。また、これも後で知りましたが、映画の原作である戯曲「子供の時間」の作者リリアン・ヘルマンも「同性愛をテーマにしたものではない」と言っていたそうです。それなのに…  映画の中で、確かにマーサは「世間が言うように、実は…」というようなことを言っています。しかし、私から見れば、人生を狂わされた後の状況下、「そういえば、私は…かもしれない…いや、きっとそうだったのだ、そうに違いない。私が、友人の人生をダメにしてしまったのだ」という内省的で生真面目な思考により、自分を追い込んでしまった言動のように思っています。もし、子供の嘘が【同性愛】でなく、例えば【窃盗】の疑いを抱かせるものであっても、きっとマーサなら「私は、実際に盗みをしていなくても、人のものを羨ましく、盗みたいという気持ちを、心の片隅で常に抱いてきた。だから、世間が言うように、私は窃盗犯として疑われても仕方なかったのだ。私の根っからの心の罪が、噂を招き、友人の人生をダメにしてしまったのだ」と自分を追い込み、映画と同じような結末を迎えていたのではないか…と思われます。  当作品が酷評された後、「これなら文句ないだろう!」とでも言わんばかりにワイラー監督がリベンジするように作り上げたのが、コレクター(1965年)なのかな?…と私は思っています。あくまでも個人的な推測ですが…。  さて、採点ですが、私にとって、世間の風評・決めつけの恐ろしさを、二重の意味(映画自体のテーマ/公開当時のアメリカでの評価)で考えさせられた名作として10点を献上します。[ビデオ(字幕)] 10点(2015-08-24 20:25:37)《改行有》

46.  ローマの休日 《ネタバレ》  この映画を見たのは、中学生の頃、TV放映時でした。親の代理として不本意に“いい子”を演じなければならず閉塞感で一杯だったお姫様が、念願の自由を満喫することで、最後には王族としての自分を自覚し、成長していく…王女を特ダネのネタとしか考えていなかった新聞記者も、いつしか彼女への愛おしさからヒューマニズムに目覚め、最高のプレゼントを残してくれます。恋愛という意味では切ない結末でしたが、人間にとって大切なものは何かを、思春期だった私に再確認させてくれた映画でした。私は感激して、翌日、クラスメートや部活動仲間に話をしたのですが…共感してくれる人は皆無でした。一様に「昔の映画=劣ったもの」というレッテルを張り付け、観てもいないのに「そんな古い映画のどこがいいの?」とまで言われました。白黒映画であることも、このレッテルを助長していました。「何でも新しいものほど優れている」という電化製品の類と同じような価値観を、映画にも当てはめることに対して私は疑問を感じ「きっとこの作品は、これからも時代を越え、愛されるはずだ」と陰ながら思ったものでした。  あれから30年以上が経ちました。他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、(もちろん、万人受けする作品はこの世に無いとしても)、私の陰ながらの思いは間違っていなかったとわかり、安堵しています。以前ほど地上波で放送されなくなったのは残念ですが、ビデオ(DVD・ブルーレイディスク)の普及により、若い世代の人達にも気軽に、この作品が観てもらえるようになったことを幸せに思います。採点は、文句なく、10点を献上します。[地上波(吹替)] 10点(2015-08-24 04:03:38)(良:1票) 《改行有》

47.  女相続人 《ネタバレ》  映画の冒頭で、主人公・キャサリンは 叔母のラビニアと、料理について堂々と自分の考えを述べ、機知に富んだ会話をしています。決して気弱なわけではないことがわかります。しかし、人見知りが強いのか、父親や、身内以外の、特に若い男性にはオドオドとして良い面を見せることが出来ません。父親も、根底では「心優しい娘」と思っているのに、亡くなった妻と比較して否定的な態度をとり続けてしまう…そして娘を守るつもりで、つい言ってしまった一言によって、取り返しがつかくなってしまう…こうした父娘関係が、ズシリと残りました。  キャサリンを演じたオリビア・デ・ハビランドは、私にとって、風と共に去りぬ(1939年)のメラニー役の印象が強く、そのため、父親と決裂した後の、父娘の態度が逆転した演技は見事だと思いました。しかし、その後、かなり勝気な女優さんだったことを知り、実は、前半の大人しい人柄こそ演技であって、後半は“地”を出しただけかも…と思ったりしています。  ワイラー監督の演出については、階段もそうですが、扉の使い方も上手だな…と思いました。特に、恋人(と思っていた)・モリスから捨てられたことがわかり取り乱したキャサリンを、階段による俯瞰ショットで捉え、扉を閉じて区切りとする抑制的な演出は、最近の直情的で生々しい感情描写が主流のアメリカ映画とは一線を画すものだと思われます。  暗闇の階段を昇っていくラストシーンのその後は、色々な解釈があるでしょう。個人的には、明るい曲調のBGMと相まって、キャサリンには、それまでのしがらみを断ち切り幸せな人生を送ってほしいと願いました。しかし、たとえそうだとしても、それは当時の時代だから成立するものだろうとも思いました。つまり、現在の世相では、キャサリンに愛想をつかされたモリスは、自らを恥じて退散するどころか、きっと逆恨みして家に侵入し彼女を殺めてしまうだろうな…ということです。まだ人と人とが、礼節と誇りをしっかりと持ち合わせていた頃のお話かな…とも思います。  さて、採点ですが、広く人間性について考えさせえてくれる名作であり、ドロドロしている内容であるにもかかわらず、最後まで品格を失わずにグイグイと引き込むワイラー監督の技量に敬意を示し、10点を献上します。[地上波(字幕)] 10点(2015-08-23 22:16:03)《改行有》

48.  ドラゴンハート 《ネタバレ》  家族向けファンタジー映画の佳作…これが一般的な評価だと思います。しかし私にとっては、人生を変えてくれた映画です。  出会いは偶然でした。たまたま買物帰りに、某映画館の入口にあったテレビで予告編が流れていました。手強いドラゴンに対し、主人公は「倒せるのはあなたしかいない」とヒロインから励まされ、戦いを挑む…という構成になっていました。暇つぶしに…と軽い気持ちで単身、映画館に入ったのです。上映が始まってすぐ、予告編は【編集によるマジック】であり、全く違う内容だと気づきました。しかし逆に感動しました。何故なら【理想を打ち砕かれ、自暴自棄になってニヤけたり、吐き捨てるような言動に走る主人公の姿】と【仕事の理想を見失ってひねくれていた自分】、そして【ドレイコとの出会いにより、再起する主人公の姿】と【理解ある上司との出会いにより、立ち直った自分】とが、重なって見えたからです。コミカルな演出でつなぎながら、締める場面はしっかり締める構成にも好感が持てました。上映後、近くの席にいた若者達も「怪獣への興味で見に来たが“映画”としてよく出来ていた」と言っていました。感じ入ったものは違っていたでしょうが、感動を分かち合えたように思いました。  それから1年後…たまたまレンタルビデオで見ていると、実家から電話がかかってきました。お見合いを受けるか否かを確認する電話でした。電話の途中でちょうど【アーサー王の姿が浮かび上がった柱の前で、主人公が騎士の掟を誓い直す場面】に差しかかりました。私は「会うだけあってみよう。それが人としての誠意ではないか」と思い、主人公が誓うのと同時に、見合いを受けると伝えたのです。すると、柱の向こうから『よく言ったな!』と祝福するように、ドレイコが私をも見つめるように現れたように感じました。  さて、見合いの結果ですが、これも運命の出会いと言いましょうか、話がとんとん拍子に進み、結婚し、現在があります。あれから20年近くが経ちました。最近、春休み用にTV放映されたので録画して観ました。我が子には「この映画が無ければ、お前は生まれていなかったんだよ」と伝えました…と、まあ、嘘のような本当のお話です。  さて、採点ですが、一般的には良くて6~7点といったところでしょう。しかし当時の感動や不思議な巡り合わせの感覚をそのままに「鑑賞環境」は「映画館」とし10点を献上します。[映画館(字幕)] 10点(2015-04-16 21:42:31)(良:1票) 《改行有》

49.  スター・ウォーズ 《ネタバレ》  この映画は、日本での公開前から「往年のハリウッド映画(西洋活劇・西部劇など)のワクワクさせる理屈抜きの面白さを、SFの設定で復活させた作品として、アメリカで社会現象と呼ばれるほど大ヒットしている」と話題になっていました。  私は当時、小学校の高学年でした。私はそれまで、テレビでよく放送されていた1950年代・60年代のハリウッド映画の名作に親しみを持っていたため、冒頭のフルオーケストラのテーマ曲を聴いたときから「かつての名作の雰囲気を復活させてくれている!」と感激しました。特殊撮影もそれまでの映像と一線を画すものであり、すっかりはまってしまいました。そして何度も映画館へ足を運んだものです。  しかし日本での公開当時(1978年)、邦画には強力なライバルがいました。それは「さらば宇宙戦艦ヤマト」です。男性客だけでなく10代の女性客の支持も集めてヒットしていました。そして私の周りは圧倒的にヤマト派でした。ある映画館では、この二つの作品を同時上映していたので見に行きましたが、やはりヤマトに好意的な観客が多かったのです。今でこそ、映画・漫画を問わず、スターウォーズのように現実の地球に囚われない架空の世界を舞台にしたファンタジーは当たり前ですが、当時の人達には理解し難かったようです。象徴的なのが、タトウィーンの二つの太陽が沈んでいく場面です。「これって何?地球じゃないの?」といった戸惑う声が客席から聞こえたものです。結局、当時の私の周りでは、ヤマトは賛美され、スターウォーズはこき下ろされました。内心「何で両方とも面白いね、というように考えられないんだろう?」と複雑な気持ちですごしたものです。  私と同様に公開当時に観たレビュアーさん達のコメントを拝見すると、私の体験はあくまでローカル的なものだったようです。この作品の魅力については、タイムリーに見た他のレビュアーさん達が、余すところなく伝えて下さっているので、私がここであらためて書く必要はないかな…と思いますが、時代を越えて当時の喜びを分かち合えて嬉しい限りです。  さて、採点ですが…、今の若い人達には「普通の映画」という印象に留まる場合もあるようですが、若い人達が面白いと感じる娯楽映画の原点こそ、スターウォーズなのだと思います。その歴史的な意義を踏まえ、10点を献上いたします。 [映画館(字幕)] 10点(2015-02-23 21:52:02)(良:2票) 《改行有》

50.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 この映画と出会ったのは、私が中学生のとき、TV放映時でした。当時は、史劇ならではの大がかりなシーンは勿論ですが、それ以上に、ドラマ部分が印象に残りました。  数年後、大学の視聴覚室にあったビデオ(当時、まだビデオは珍しく、HiFi音声の鮮明さに感激したものです)で再見し、この思いは、さらに明確になりました。何よりもインパクトがあったのが「約束通り、帰ってきたぞ/嘘じゃなかったんだな」と再会を喜び合う冒頭のベン・ハーとメッサラの場面でした。短いシーンですが、どれほど熱い友情で結ばれていたのか、きっと子供時代だけでも1本の映画になるのでは…と想像できるぐらい、二人の演技が素晴らしいと感じたのです。その後の二人の悲しい結末を知っていただけに、あまりに切なく、このシーンから涙ぐんでしまいました。勿論、二人の演技を引き出したウィリアム・ワイラー監督の技量、映像を引き立たせるカメラ・照明、そしてミクロス・ローザの格調高い音楽…と、スタッフの熱意が結実していればこそだと思いました。以後の場面も、同じことが言えるかと思います。また、主人公を演じているチャールトン・ヘストンは、私にとって、それまでは大柄でワイルドな印象が強かったのですが、この作品では、繊細な感情をもにじみ出るように表現していると思いました。映画評論家の水野晴郎さんの言葉だったと思いますが、まさに「全身で演技している」と感じたのです。そしてイエス・キリストの描き方も「これが、欧米の人達が子供の頃から親しんできたキリストのイメージなんだろうな」と感じ「人々の憎しみを洗い流す不思議な力があったのだろう。ベン・ハーも救われてほしい」と自然に思い、クライマックスまで感情移入できました。  その後、映画館で何度かリバイバル上映され、そのたびに見ました。大画面での感動はいつも変わりません。そのため、このレビューでの「鑑賞環境」は「映画館」とさせていただきます。  さて、採点ですが、全盛期のハリウッド映画を代表する作品である一方、どうしても宗教色が強いので、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、意見が分かれるところです。私にとっては、ドラマ部分の力により、宗教色を超えて感情移入が出来たという意味で「奇跡の映画」です。ワイラー監督をはじめとする当時の製作に携わった全ての皆さんへの敬意をこめて10点を献上します。 [映画館(字幕)] 10点(2015-02-22 08:25:54)《改行有》

51.  ベン・ハー(1925) 《ネタバレ》 この作品は、以前にビデオで見ました。スペクタクルシーンだけをあげれば、他のレビュアーさん達のおっしゃる通り、1959年版をはるかにしのいでいると思います。戦車競走シーンは言うに及ばず、海戦シーンにしても、1959年版では、一部、ミニチュアを使っていたのに対し、全て実物大を使っていました。また、磔にされるイエス・キリストを大群衆で救おうとするシーンも1959年版には無い大がかりな場面だと思います。  しかし、以下の二つのことで、引っかかったことがあります。  一つ目は、ドラマ性、特にベン・ハーとメッサラの関係についてです。1959年版では、冒頭の再会シーンで、二人が子供の頃、どれほど熱い友情で結ばれていたのかが表現されています。しかしこの1925年版では、ベン・ハーが最初に声をかけたとき、メッサラは迷惑そうな表情を浮かべます。あくまで「昔の知り合い」という程度です。戦車競走で敗れた後も「財産を没収された」と字幕で説明が出るに留まっていました。自分にとって、1959年版は二人の関係が核になっていたと思っていただけに違和感を覚えました。  二つ目は、宗教色についてです。このことによって、ただでさえ1959年版がレビュアーさんたちの間で意見が分かれているのに、この1925年版はより一層、強いと感じました。サイレント映画だから仕方がないのかもしれませんが、聖書からのエピソードを再現した場面では、どの箇所からの映像化なのか、本のページのような体裁でタイトルが出てきます。これでは一層、見た人の間で意見が分かれるように思いました。  おそらく、1959年版を製作するにあたり、ウィリアム・ワイラー監督をはじめとする当時のスタッフの皆さんは「1925年版はドラマ性が弱かったので力を入れよう/宗教色が強い場面は控えめにしよう」というように考えながら脚色したのではないか…と私は推察しています。  さて、採点ですが、上記の引っかかった面はあるとはいえ、映画の創生期にこれだけの大作を完成できたのは、まさに「奇跡」のように思えて仕方ありません。この作品があればこその1959年版だと思われます。1959年版と共に敬意を表して10点を献上します。 [ビデオ(字幕)] 10点(2015-02-21 16:26:58)《改行有》

52.  ブラックホール(1979) 《ネタバレ》 この映画は、ロードショー公開当時、映画館で見ました。映画が始まるまでの間、周りの席からは「ブラックホールというのはね…」と一緒に来ていた相手に対し科学的な説明をしている声が聞こえていたものです。さて、上映が始まり、ジョン・バリーによるテーマ曲は素晴らしく、期待が膨らみましたが…ふたを開けてみると「大人向けの科学映画という体裁で宣伝しながら、実は子供向けのアドベンチャーもの」でした。中学生だった私は割り切って楽しめましたが、上記の科学的な説明をしていた観客からは口々に不平不満の声があがったのは言うまでもありません…。  後で知りましたが、この作品は、ウォルト・ディズニー亡き後、どん底にあった当時のディズニープロダクションが、新機軸を見出そうと試行錯誤していた頃の作品だったようです。現在のディズニー映画では考えられませんが、このような「生みの苦しみ」で喘いでいた時期を乗り越えての現在の隆盛があるのだという意味で、ディズニー映画史上、一見の価値があるかな?…と思われます。[映画館(字幕)] 5点(2015-02-08 10:13:12)《改行有》

53.  ドラゴンスレイヤー 《ネタバレ》 この作品は、ウォルト・ディズニー亡き後、どん底にあった当時のディズニープロダクションが、新機軸を見出そうと試行錯誤していた実験作の一つと言えるかもしれません。そうした映画の一つ・ブラックホール(1979年)が「大人向けの科学映画という体裁で宣伝しながら、実は子供向けのアドベンチャーもの」だったのに対し、当作品は「題材は家族向けのファンタジーでありながら、大人向けを志向した作品」と言えるかと思います。  「大人向け」としての脚本上の工夫は「定石(お約束)破り」だったようです。ザッと挙げると「定石では救われるはずのお姫様は、無残な死を遂げる」「定石ではドラゴンを倒すはずの特製の槍は、あえなく折れてしまう」「定石では英雄になるはずの少年は、ドラゴンを倒さない」「我が身を犠牲にしてドラゴンを倒した魔法使いは、定石では人々から感謝されるはずなのに、主人公とヒロイン以外からは誰からも存在を認められない」…とこんな感じです。  おそらく知的な面白さを好む人達からは評価されたでしょうが、少数派だったようです。同じ年に公開された、まさに定石通りに展開する「タイタンの戦い」に対して興行的に惨敗を喫し、結局、日本では未公開になりました。 ご存知の方もおいででしょうが、TVシリーズの水戸黄門は、かつて石坂浩二さんを主役にしたとき、定石の打破を試みました。一部の視聴者からは歓迎されたものの、結局は大半の声に応えて本来のお約束番組に戻りました。「展開や結末は薄々わかっているのに、否、わかっているからこそ安心して感情移入し、めでたし、めでたし…と精神の安定を得る」という面が人間にはあると思います。現在のディズニー映画の隆盛は、まさにこのツボを心得ているからこそだと思われます。 ドラゴン自体は、当時、ハリーハウゼンのストップ・モーションでは難しかった素早い動きを実現し、一見の価値があると思います。その技術は「ゴー・モーションシステム」と呼称されました。そしてアカデミー視覚効果賞にノミネートされ(受賞したのは、レイダース・失われたアーク)、ジュラシックパーク(1993年)のCGの恐竜が登場するまで使われました。 以上、娯楽映画の在り方を考える上での意義と、ゴー・モーションによるドラゴンの技術的な意義を鑑み、5点を献上します。音楽評価は、ベテランの作曲者アレックス・ノースに敬意を表し10点を献上します。[地上波(字幕)] 5点(2015-02-08 10:07:15)《改行有》

54.  スター・トレックVI/未知の世界 《ネタバレ》 米ソの冷戦終結という世相を背景に、クリンゴン帝国との和解をテーマにした、初期レギュラーによる映画版の最終作。 映画館で見たとき、途中の展開は「アメリカ開拓時代の、白人とネイティブアメリカンの人々との対立と和解をテーマにしたお話で、似たようなものがあったような…」とは思いましたが、「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」というスタートレックの原点を堅持しながら、3作目であっけなく亡くなってしまったカークの息子・マーカスについて取り上げ、クリンゴンとのわだかまりを解いていく方向へと活かしていくなど、それまでの映画シリーズの展開を上手に締め括ってくれたな!と感激しました。公開当時、スタートレックの生みの親であるジーン・ロッデンベリー氏は亡くなられていましたが、映画の中で、その追悼の意も明記されており、きっとこの作品を天国で喜んで観ていてくれただろうと思いました。私自身、社会人になっており、映画版の1作目を初めて見た高校時代からの歳月を振り返り、映画版の節目と人生の節目を重なり合わせて感無量になりました。  敢えて言うなら、①スポックが目にかけていたヴァレリスは、2・3・4作目に登場したサービック(バルカン人とロミュラン人のハーフ)であれば、一層、彼女の行動が意味深になったのでは…ということ、②音楽が全編にわたって重々しく、できればジェリー・ゴールドスミス氏(1・5作目担当)か、ジェームズ・ホーナー氏(2・3作目担当)であれば、よりいいかな…とは思いました。ただし、個人的な好みの問題であって「あの映画のままで良い」という方々も多いでしょうから、評価からすれば些末的な要素かと思います。  さて、採点ですが、初期レギュラーによる映画版の締め括りに相応しい作品として、10点を献上いたします。[DVD(字幕)] 10点(2015-01-12 16:11:56)《改行有》

55.  故郷への長い道/スター・トレック4 《ネタバレ》 3作目のレビューにも明記しましたが、当時、2作目・3作目は、ファンには好評でも、それ以外の観客からは低い評価を受けていました。こうした【身内受け】的な面を打開すべく作られたのが当作品でした。狙いは的中し、ファン以外の観客からも幅広い支持を受けて大ヒットを記録しました。 さて、日本で、この映画に好意的になれるかは、テーマを【反・捕鯨】と捉えるか【自然保護がテーマであって、たまたま対象が鯨である】と捉えるかにかかっているのではないか…と思います。私は後者として映画館で観ました。そして、未来人であるキャラクター達が、現代のアメリカに来て、習慣の違いで笑わせるという【タイムスリップ】ものの要素をふんだんに盛り込み、役者さん達もとても楽しそうに演技していたのが印象的でした。また、もともとスタートレックは、TVシリーズの製作動機に「SFという設定で、現代社会の問題を提起する」という面があり、その意味で、この映画もスタートレックらしい、原点に立ち戻った作品と言えるのではないか…と思っています。 さて、採点ですが、ある種、【番外編】的な作品ではあるものの、ファンだけに留まらない、作品としての多様性を示唆してくれたことに敬意を表し、10点を献上させていただきます。[DVD(字幕)] 10点(2015-01-12 16:05:12)《改行有》

56.  シンドバッド虎の目大冒険 《ネタバレ》 この作品は、コマ撮りのキャラクター達との「戦い」よりも「人間との共演・交流・協力」を重視しているようです。ヒヒになったカシム王子と一角の原始人が、その象徴ではないかと思います。その意味で、かつての猿人ジョー・ヤング(1949年)に通じるものを感じました。それだけにミナトンは、魔女達との情緒的な交流が一切ないだけでなく、こき使われただけでお払い箱にされてしまい、皆さん同様「そりゃあ、ないんじゃないの?!」と寂しく思いました。このようなわけで「コマ撮りのキャラクター=人間の敵=戦い」という図式に飽きた人にはお勧めかもしれませんが…見る人をかなり限定してしまうことは否めないと思います。 なお、個人的には一角の原始人には生き残ってほしかったです。「もしも…」がありうるなら【カシム王子が無事に戴冠式を終えたちょうどその頃、原始人は、サーベルタイガーの毛皮で暖を取り、ミナトンの槍を使って上手に狩りをして、雪の大地でも無事に逞しく生きていきましたとさ。めでたし、めでたし…】とホノボノとしたエピローグを想像したりしています。 さて採点についてですが、ハリーハウゼンのシンバッドシリーズ三部作のうち「7回目の航海」を10点と考え、3番目の出来かな、と思うので8点にしましたが…一般的な評価から見るとかなり甘めであることをお伝えしておきます。[DVD(字幕)] 8点(2014-12-15 21:14:51)《改行有》

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