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1. ファニーとアレクサンデル
この人は、だいたい90分くらいのカッチリした世界を構成してくれるところが好きだったんで、この長さにはいささか戸惑った。そしてカッチリしてない。なんかその長さの中にひたる喜びを味わえたが、もひとつ作品のツボを私が捉え切れなかったんじゃないか、という気分も残った。でもなかなか再見する気力が湧かないまま現在に至っている、長いから。画面は洗練されているけど、話はなんかゴツゴツしており、いえ、それがいいんです。これがベルイマンとして提示できる人生肯定の形なんだろう。カールの悩みも主教の孤独も、ツルツルになるまで溶かしてはいない、こういったそれぞれの苦しみをそれぞれが受け持ちながら、でもそういう溶けきれないものがゴツゴツ浮かんだり沈んだりしているからこそ人の世界を肯定できる、って感じ。そういうゴツゴツしたものを必要以上にオーバーに拡大させない、けれど無視してしまうのもいけない、ということ。今までの作品でこれに一番近いのは案外『魔笛』かもしれない。自分のシナリオでないあのオペラにあった「ゆとりのようなもの」は、ベルイマンを考える上で大事なものらしい。この映画観たときの想い出では、3部と4部の間の休憩でトイレに走ったところ、便器が二つしかなくて長~い行列ができていたこと。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-01 09:55:37)
2. フロストバイト
《ネタバレ》 北極圏の吸血鬼は、極夜期になると日の出が一ト月来ないので、安心して遊び続けられる。もっともスウェーデン製吸血鬼って特徴はそこのところだけで、あとは別段新味はなく、寒さも特別感じなかった(吸血鬼役の俳優が、ベルイマン映画の常連だったグンナール・ビョルンストランドに、顔やしゃべり方が似てたのも、スウェーデン味と言えばスウェーデン味)。医学生サイドと病院サイドで話は進み、血を吸われ合って吸血鬼が広がる前に、吸血鬼を維持する錠剤(そういうのが出てくるの)で広がってしまうってとこが現代か。吸血鬼が疫病の隠喩なら、現代は麻薬や不良製剤のほうが怖いわけだ。吸血鬼になった若者たちが家の前に並んで立っていて、警察が近づくといっせいに体が傾くとこが気に入った。最後まで軽いノリの赤毛娘ベガも印象に残る。[DVD(字幕)] 6点(2008-06-24 12:14:53)
3. 冬の光
とにかく渋い、冷たい金属の手ざわり。孤独な人間が手を伸ばすのに、それが何かに触れるとおびえて引っ込めてしまう、といういつものベルイマンの世界。見た日の日記には、せりふが書き抜かれていた。「あなた(神)は私を強く生まれさせて下さったけれど、私の力を使わせて下さらない。人生に意義を下さるなら、私はあなたの忠実なしもべになります」「私(トマス)は私だけの神を信じた。私を特に愛してくれる神を」「たとえ神が存在しないでも、それが何だ。人生は説明がつく」。神のテーマが前面に出されるとちょっと辛いのだが、それだけでなく「孤独と他人のわずらわしさとのせめぎあい」って方向に普遍化されるとこが、この人の映画がキリスト教圏以外の世界でも意味を持って見られる理由だろう。[映画館(字幕)] 7点(2008-04-01 12:18:54)
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