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【製作国 : ドイツ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順12
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21.  ミカエル 《ネタバレ》 室内劇、フィクス主体の端正な画面である上、役者の動作も抑制的でスタティックであり、その画面の美的な求心力と緊張感は尋常でない。 ドイツ表現主義的な画面としては、画家の養子ミカエル(ヴァルター・シュレザーク)が師のスケッチを勝手に持ち出すシーンに拡大投影される竜の黒い影程度に慎ましいが、室内の調度品や美術品、宗教的意匠の数々のみならず、繊細なライティングに浮かび上がる女性たちのショットの輝きは息を呑むほどの素晴らしさである。 そしてその静的な画面ゆえ、女性が小さな溜め息をつく肩や画家(ベンヤミン・クリステンセン)の表情筋の微細な動き、絵筆を折る手の抑えたアクション、そして画面に張り巡らされた各々の視線の微妙な変化が、映画的事件ともいうべき強度を孕む。 特に、ミカエルが恩師を手伝う場面で突出する視線の劇が白眉である。 青年とも、女性モデル(ノラ・グレゴール!)とも、切り返しショットによって視線が結びあう事のない画家は、どうしても彼女の目を描くことが描くことが出来ず、ミカエルに代わりに絵筆を持たせる。 彼女の視線のショットである、アイリスで縁取られたフォーカスの中心が巨匠画家からミカエルのほうへ移動し焦点化され、そして二人の見詰めあう目のクロースアップがカットバックによって繋ぎあわされる。 ショットによる視線の結びつきが示す、心理的関係の劇的かつ決定的な変化がここにある。 かつてミカエルに見ることを諭した画家は、彼に看取られることなく生涯を終えていく。 その臨終の言葉、そしてラストショットの夫人の残酷な美しさも印象的だ。 [DVD(字幕)] 9点(2012-02-28 17:45:36)《改行有》

22.  ドラゴン・タトゥーの女 音入れの工夫が際立っている。 映画は男女それぞれのシーンが交互に展開していくが、次のシーンからの音を前のシーンの最後に挿入する、いわゆるズリ上げが随所でシーン間の浸透とアクセントの効果を挙げており、長丁場のドラマをスムーズに繋いだ秘訣の一つだろう。 そして心臓の鼓動のような、環境雑音のような微妙な音響の活用。レイプシーンに重なる廊下の掃除機の不協和音、あるいは過剰なまでに悲痛な絶叫が前面に出ることで、画面に不穏の様相が与えられていく。 拷問シーンにかかる挿入曲「オリノコ・フロウ」によって不気味さを増す対位的な効果、静寂の丘に響き渡るライフルの銃声のインパクトなども絶妙だ。 オープニングとは対比的な叙情性に富んだ静かなエンディングのサウンドトラックがヒロインの切ない姿に被り、一際耳に沁みる。 一方では、写真フィルムの流れやルーニー・マーラの手際の良い仕事ぶりを表すハイテンポのカッティングが説話のリズムを創り出し、無機質な邸宅内の廊下を歩くダニエル・クレイグと資料室の書架の間を歩くルーニー・マーラの一体化された構図のクロスカッティングは静かな緊迫感を醸し出す。 サウンドのズリ上げ・ズリ下げだけでなく、構図的連続を擬したシーン転換の技巧も、交互に語られる二人のシーン間のモンタージュを滑らかにし、二人の関係性を映画的に強調する効果まで挙げており秀逸だ。 それら精密に設計された編集による緩急もまた音楽的と云える。 [映画館(字幕)] 7点(2012-02-24 18:34:54)《改行有》

23.  未完成交響楽(1933) アバンタイトルの風景画が粋にドラマへの導入を果たす。 ヴァイオリンを愛おしそうになでる手、ガラスに映る主人公のシルエットと、窓口を介したシューベルト(ハンス・ヤーライ)と質屋の娘(ルイーゼ・ウルリッヒ)の出会いのカットバックがまず素晴らしい。 質屋のチャイムの音色はさりげなく反復対比され、主人公の心情表現として響き、その窓口で娘が客を応対する声音の対比も、彼女のときめきを伝える。 あるいは彫刻の破砕音が凶兆を仄めかすなど、歌曲・楽曲だけでなく、風物を含めた様々な音響の活用にもトーキー初期の意欲が漲っている。 一方、天秤やメトロノームといった小道具の活用や、縦横無尽の巧みな移動ショットの充実ぶりも眼を瞠る。 小津のトーキー第一作『一人息子』の劇中にも借用された、マルタ・エゲルトが走る麦畑の横移動ショットがやはり際立って見事だ。 『一人息子』の日守新一は横で居眠りする飯田蝶子に目をやりながら、スクリーン上の主人公の姿に身につまされたのかも知れない。 [ビデオ(字幕)] 8点(2011-11-12 17:00:43)《改行有》

24.  怪人マブゼ博士(1933) ドイツ公開バージョン。 怪しげな工場内を移動していくファーストショットと、そこに響く重い振動音からして尋常でない緊張感が画面を充たしている。 その序盤シーンをはじめ、窓やドアといった装置がその開閉だけでもサスペンス演出としてバラエティ豊かに機能しており、米独通じての空間・装置活用の傑出ぶりを見せ付ける。 多重露光によって浮かび上がるマブゼ博士(ルドルフ・クライン=ロッゲ)の禍々しい幻影と、その憑依表現の見事さ。 全篇にわたって画面に退廃的ムードを漂わせる煙草の紫煙。水流と火炎と投光機のライトによるスペクタクル。ヘッドライトに照らされる路面や木々の流れが素晴らしい、夜のカーチェイスのスピード感覚と、屋内・屋外含めて画面の装飾は凝りに凝っている。 「閉じたドア・カーテン」が仄めかす背後空間と、実体なき音声による煽動、そして暗く見通しの悪い夜の一本道を猛進する縦構図の疾走アクションに、時代の空気を読みたくもなる。 [DVD(字幕)] 9点(2011-08-21 14:42:07)《改行有》

25.  ブンミおじさんの森 大雑把に三部に分けられる構成には侯孝賢の『百年恋歌』のような趣がある。 熱帯林の緑の濃淡と、湿潤の感覚。裸電球の下で食卓を囲むショットとフレームへの人の出入り。エピローグのPOPミュージックなど等、、。 小さな滝と水流の幽玄性、中国茶の入ったガラスコップに木漏れ日を美しく反射させる採光などは実に繊細だ。寝室の蚊帳は幾度も画面に淡く美しい紗をかける。 水と小魚の鍾乳洞のイメージなどは母胎のメタファーそのままだが、まずもって具体の画面として吸引力がある。 冒頭から豊かに響く生命の気配の濃密さ。静かな地鳴りのような音響へと変わり、それが途切れた瞬間に引き立つ静寂、その音響が緊張を孕みながらも心地よい。 あるいは足を患うジェンの不自由な足取り、水牛、犬、精霊の佇まいもまた静かな緊張感を終始漲らせる。 赤い目を光らせる「猿の精霊」の造型はどこか宮崎駿の描く神人の影響などもおぼろげに感じさせる。 暗い洞穴の中で輝く、星のような鉱石の光。その美しいイメージはまさに『天空の城ラピュタ』の一場面の優れた実写化だ。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-18 23:01:37)《改行有》

26.  台北の朝、僕は恋をする 《ネタバレ》 夜の車道を縦移動で捉えるドライヴ感や、鮮やかな色彩感覚、椅子に拉致された男女のシチュエーションなどは、師の『カップルズ』へのオマージュといったところか。 ネオンを反射する濡れた街路の艶。夜市の賑わいや、地下鉄駅構内での追っかけのゲリラ撮影的な臨場感覚がいい。 カイ(ジャック・ヤオ)のトラブルに巻き込まれながら、次第に彼をリードしていくスージー(アンバー・クォ)。互いに淡い恋情を意識し始めながら、それを決して表出させないナイーヴな男女像を演じる二者が共に瑞々しい。 追われる側から、スクーターを駆って追う側へと転じるショット繋ぎの鮮やかさ。男を後部座席に乗せて運転する彼女がみせる凛々しい表情は本作の忘れ難いショットの一つだ。 彼を見送った後、一人朝方の部屋に戻り、逆光の窓辺でコップの水を飲む彼女の寂しげなシルエット。その引き気味の1ショットの情感もどことなくエドワード・ヤンの趣を淡く漂わす。 そしてエピローグの横移動がいい。自分を呼ぶ声に、流れる書架の合間から覗くアンバー・クォの固い横顔に次第に微笑が差していく。爽やかな再会のエンディングも『カップルズ』的だ。 [映画館(字幕)] 8点(2011-04-02 22:24:08)《改行有》

27.  戦場でワルツを 「曖昧な記憶をたどる」ドラマと、「くっきりはっきり」細部まで鮮明なタッチのアニメーションは違和感、大である。主題と形式が噛み合っているように見えない。シンプルに黒くつぶした人物の影が記憶の暗部を仄めかすのは了解するが、描画の細密さが逆にイメージの広がりも損なっているように思う。輪郭をぼかしたノルシュテイン風のタッチこそこの映画にはふさわしいのではないだろうか。動画が抑制的である上、技法的必然性が感じられないこともあって、総じてアニメーションとしての印象度は薄い。結果的に実写のインパクトを強調するための便宜的な引き立て役として機能してしまうのだから、尚更だ。 [映画館(字幕)] 5点(2010-02-08 19:32:33)《改行有》

28.  暗い日曜日 『シンドラーのリスト』(1993)のネガともとれる痛烈な批評性。場面省略を駆使した、特にクライマックスにかけてのドラマの緩急制御と幕引きの鮮やかさ。同一構図・同一移動の反復が生み出すズレによって豊かに意味を広げる撮影技法の見事さ。(観客が気付かぬくらい慎ましく微妙な移動撮影によってドラマ効果をあげる手腕など実に巧妙である。) また、ネックレス・自転車・小瓶・ブルーの髪飾りなど、ドラマの伏線としての豊かな小道具類は人物描写とも的確に連携しており、全体として非常に完成度が高い。充実した細部とともに、画面は見どころに溢れている。とりわけ中盤に訪れる、自転車を扱ぐヒロインの場面から岸辺の場面にかけての高揚感が素晴らしい。回想の序盤から娼婦的なニュアンスで何度も強調されていたヒロイン(エリカ・マロジャーン)の豊かな胸と表情の意味が、ここではっきりと切り替わり聖性を帯びる。岸辺に寝そべり、子供のように縮こまる男たちを両腕に抱く姿はまさに聖母としての彼女を強く印象づけ、浅薄な男女のドラマを越えていく。 ラストのレストランで、オフ空間から彼女の澄んだ歌声を響かせる演出もまた心憎い。[DVD(字幕)] 10点(2010-01-27 22:56:14)《改行有》

29.  倫敦から来た男 映画冒頭の、雨に濡れて反射する波止場の路地の美しさが印象深い。『ヴェルクマイスターハーモニー』でも俯瞰位置から下降して奥への縦移動であったり、長い横移動から被写体への回り込みであったりと、そのショットの長さ以上に複数の移動を組み合わせた時空間提示の冷徹かつ複雑精妙な様が映画に不穏で不気味な印象を与えていたが、そのテクニックは本作のノワール・スタイルにも見事に合致している。ここでは強風の叩きつける岸壁の道を歩く三人を前進移動で追い復路を後退移動で捉えるという、前作での凸凹石畳以上に難易度の高いロケーションでの移動撮影も展開され圧巻である。また制御室の窓の内外を縦横無尽に行き来するトリッキーなカメラ転換や、BGMと思われた音楽が画面内での演奏であることを判明させるカメラ移動などは、観客の意表を衝く演出でもあり全く飽きさせない。船の両岸を交互に移動し人物を正確無比な構図とタイミングで捉える長廻しなどは、前作同様に予定調和の印象を持たせなくもないが、女優の涙までコントロールしてしまう技量はやはり驚異だ。[映画館(字幕)] 8点(2009-12-14 21:37:41)

30.  イングロリアス・バスターズ テーブル上の一点を浮き上がらせる不自然なスポットライト(第一章の屋内場面や第四章の地下酒場の場面)、背後からのライトで俳優の輪郭線をまばゆく浮き上がらせるアクセントの利いた画面(第五章のメラニー・ロランの化粧場面など)は、撮影ロバート・リチャードソンの真骨頂。真上からの俯瞰を組み合わせたドラマティックな移動撮影や、しかるべき見せ場において抜群の効果を発揮するクロースアップの仰角ショットなど、変化に富んだアングルと構図も映画のエモーションを増幅する。映画館の踊り場、梯子、床下、地下酒場、映画内映画の鐘楼など、垂直構造を活かした舞台設計の巧さゆえである。各ショット自体の素晴らしさもさることながら、主に4箇所で用いられるスローモーションの効果、地下酒場における銃撃戦の細かいカット割りといった編集の緩急も見事だ。 役者でいうなら、やはりクリストフ・ヴァルツが圧巻である。限定空間かつ椅子に座っての演技が主ながら、表情と手の所作のみで優れて活劇的な画面を作り出している。演劇における転調のタイミング・音楽的なエロキューションがとても素晴らしい。[映画館(字幕)] 9点(2009-12-13 13:02:54)《改行有》

31.  月世界の女 犯罪映画として始まり、科学映画へ、そして最終的にはメロドラマへと落ち着いていく奇想天外さ。設定として前半のほとんどが夜の市街、後半が月世界となり、必然的に全体としてやや暗めで硬質の画調で統一されている。月砂漠のセットでは、さらに光源や光量を相当工夫して月面の冷ややかなムードを醸す。その中で一際印象的な場面。地球を飛び出したロケットの窓から、搭乗員たちが太陽を望むシークエンスがとりわけ美しい。地球の背後から太陽が昇りはじめ、大きな光輪を作る。悪役的人物、恋敵、密航少年を含め老若男女を網羅した6名がともに太陽の直射光を享受しながら陶然とそれに見惚れている。フリッツ・ラング作品としては異質な場面のようにも思えるが、後の様々なSF映画にも登場する「光への賛歌」とも呼べる感動的なシーンがここにもあった。[DVD(字幕)] 8点(2009-01-04 22:27:04)

32.  戦場のピアニスト 《ネタバレ》 映画の中では、主として「迫害する側」は「Germans」と呼称されている。 つまり一般的ドイツ人を指す。ポーランド・ユダヤからすれば、恐怖の対象はナチズムに同化していた「ドイツ国民の大半」及び非ユダヤ系ポーランド人であり、つまり被迫害体験者たる主人公らにとっては「ナチス」も「国防軍」も同じ穴のムジナということだ。 終盤で灰緑のコートを着た主人公が「ドイツ人」として憎悪されポーランド兵に誤射されそうになるのをみれば一目瞭然だろう。 「ナチス=悪」、「国防軍=良識的軍隊」といった安易な二分法は大戦後の東西冷戦構造の中で西側がドイツを取り込み、再軍備する必要上から生まれた認識であり、「ナチス」のみをスケープゴートとすることで旧ドイツ国防軍を免罪し名誉回復させる、いわゆる「冷戦トリック」というべきものだ。 当時のいわゆる西側プロパガンダ映画の数々がこの認識を補強するために機能している。この単純な二元化の危険性は、個々の人間を無視し、組織・集団で人間を括り、その罪を集団責任化してしまうことにある。それは映画にあっては、個々の人間を観ないことを意味する。 本作の中で、ドイツ軍将校は「国防軍」だったから主人公を助けた訳ではない。帰属する組織に関わらず、ウィルム・ホーゼンフェルト大尉個人の良識に基づき、助けたのである。 実体験者たる原作者も、監督も当然そのように「人間」を描いている。 フィクションであれ、ドキュメンタリーであれ、画面の細部に浮かび上がる真実の断片は疎かに出来ない。[映画館(字幕)] 7点(2008-02-10 15:33:35)《改行有》

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