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1. 奇跡(1955)
《ネタバレ》 ほとんど室内劇として進んできて、常に窓は室内から外に向いていたのに、医者の車を見送るシーンで、カメラは窓の外から父と三男を捉える。なにか今までと違う緊張が生まれたところで、室内にヨハネスが歩いてきて不吉なことを言う。壁を這っていく車の光。するとドアから、ミゲルが現われインゲの死を告げる。ここからラストまでは、ずっと石のように硬質な時間が続き、この充実した手応えは滅多に味わえるものではなかった。葬儀の場、人々はより確かな自分の立ち位置を求めるかのように、ゆっくり室内を経巡る。隠されたルールに基づいているかのような、確固とした移動。中央に動かないインゲが、最も安定した姿勢で横たわっている。人々の移動の果てに、ヨハネスと幼子の導きによって奇跡が訪れ、インゲとミゲルが支えあって立つ。一人で横たわっている姿勢ほど安定はしていないが、二人の生者としての安定した姿。キリスト者でない私が、この後段で心を震わされた理由をなんとか言葉にしようとすると、こんなことになるだろうか。この映画、初めて観たときは、ヨハネスの言葉に捉われ過ぎ、キリスト教に無知な者だからキチンと味わえなかった、と思わされてしまった。まして1930年代のデンマークの田舎における宗派対立なんか、理解できるはずもないし。でもこれは、愛と死と聖なるものをめぐる普遍性を持った映画だったのであり、この後段の、時間が石と化したあの固さを体験すれば、特定の宗教と関係なく、「味わえた」と言ってもいいのではないか、という気になっている。[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-01-02 14:55:35)(良:1票)
2. 奇跡の海
《ネタバレ》 タイトルも手持ちのカメラで撮る徹底ぶり。このドキュメンタリータッチが、ラストの感動を嘘っぽくさせないのに成功してたのだろうが、長時間手持ちでやられると生理的につらく、船酔い状態になるのは何か考えてほしい。この人の初期の映画では珍しく催眠術が出てこない。でも主人公ベスが、この世とこの世ならぬとことの境界にいるような人で、神との対話を一人で繰り返しているのなぞ、一種の催眠術であろう。神を中継して人を愛する、ってのが向こうの考え方なんだろうなあ、一番こっちには分かりにくいところ。愛の証を見せなければならない相手としての神。そして試練という考え方。夫の懇願によって為されるふしだらの判断は神まかせになる、生け贄という考え方にも通じていく。フロイド学派ならなんか説明してしまいそうだけど、あちらの神の話になると、根本のところの分からなさばかりが際立ってしまう、とりわけデンマークの映画では。章の境にはいる絵葉書カットが実に美しいが、こういう美には溺れない映画にしようとした監督なのであった。[映画館(字幕)] 7点(2009-05-19 12:17:24)
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