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1. シテール島への船出
花売りの老人が幻影であれは実際の父親なんだという見方と、花売りの老人を主人公にして作った映画だという見方と、二通り出来て、そのどちらにも収まりきらない曖昧さに、慎重に宙吊りにされている映画。冒頭のプラネタリウムからして、嘘の宇宙と捉えるか、本物の宇宙を縮小したものと捉えるかで分かれちゃうわけだし。老人の32年後の挫折を、こんなに美しく歌っていいのだろうか、もっとトツトツと語るべきなんじゃないか、という気もし、それはこの映画の構造を「逃げ」ととるか「絶妙な仕掛け」ととるかという判断にもよる。難しいところだなあ。この構造によって、後半旧港のシーンが浮わつかなかったというメリットはあった。映画としての緊張度は断然前半のほうが優れていたが、港の不思議な寓話性は、そのままリアリズムの話で続けられたらちょっとシラけただろう。最初からオハナシかもしれない、という用意がしてあることでスンナリ入れたけれど、これは考えようによってはズルイと言えなくもないわけで、うーん、難しいなあ。けっきょく現実からも理想からも裏切られ、彼が得たのはあの長方形の国だった、という厳しい突き放しを、こんなに美しく描いてしまう監督って。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-13 10:02:30)(良:1票)
2. 審判(1963)
《ネタバレ》 やたら広い空間と狭い通路の対比。空間と言うより空虚ですか。会社のオフィスが圧巻。仕事が終わり、みなが帰っていくシーン。ここは天井が高く、Kの部屋は反対にやたら低い。それに法廷のシーンの人々、あれ上の方まで全部本物だったんだろうな。そしてそれらをつなぐ無数の迷路や階段。子どもたちのざわめきの中を追われるように逃げていく。ま具体的な映像世界ということで仕方ないんだけど、もっと「手応えのなさ」みたいなものが、カフカでは欲しい。「世間」はハッキリと逃走を誘うように迫害してくるのではなく、柔らかく微笑みながら次第に身動きできなくしてくるものなのではないか。ラストをダイナマイトにしたのは、現代では直接ナイフで刺してもくれない原爆の時代だということなのかな。煙がちょっとそんな感じだった。ロミー・シュナイダーが鏡とガラスが交互になっている向こう側を駆け抜ける。ここらへんの顔のアップでのセリフのやりとりは緊迫。全体にあおるカメラ、だから天井がいつも抑圧してくる。[映画館(字幕)] 7点(2010-11-07 10:55:19)
3. ジンジャーとフレッド
前作で、あれ、この監督も「枯淡の境地」に入っちゃうのか、とちょっと心配させられたが、また馬鹿騒ぎの世界に帰ってきた。そりゃ『サテリコン』や『ローマ』みたいにはいきませんけど、グツグツ煮立ってる鍋みたいな感じは、やっぱり独自のもの。そして喧騒と静寂の対比がやはりポイントなの。静かなホテルの前に音楽が流れ出し、オカマが腰振って、向こうのビルのネオンが点滅しだし、『青春群像』って感じの若者たちが体を揺すって歩いてゆき、ネオンが水溜りに映り、オートバイが走ってきて…、なんてあたり。テレビ局の廊下、変なのばっかし歩いていてごった返している。とふと改修工事中のトイレみたいなところに入って、ガラーンとした白、二人っきりになると急によそよそしいような…、このシーンなんか実にいい。あるいは衆人環視のステージの上で、不意にプライベートな空間が生まれてしまう皮肉。雑駁な喧騒の中に、急に親密な静寂がポコッと生まれる。と観てるこっちもその静寂の側に加担して、永遠に停電が続けばいい、と思っちゃう。テレビ批判としては別に鋭くないのも、監督本人がこういうゴチャゴチャの世界が嫌いじゃないからだろう。芸人の哀感もの、ってことでは、初期の作品に戻ってみた感じもある。けっこう残酷な話なのに優しさを感じさせ、静寂の中に静かに閉じていく。[映画館(字幕)] 8点(2010-10-26 10:02:50)
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