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【製作国 : 中国 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1
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1.  冬休みの情景 《ネタバレ》 中国映画はかくも文化大革命から遠く離れたとこまで来たのか。前向き・力こぶ・希望・明朗といった文革時代の表象は、その後の文革批判の映画でも現われていて、いつも底にはそういった傾向があったように思う。でもこれはどこにも力こぶのない映画だ。退屈しきった日常、手応えの感じられない社会、都市部の若者の世界的テーマが、中国の、しかも内モンゴル自治区から生まれてくるとは。ジャームッシュやカウリスマキにも通じるミニシアター系の脱力ドラマ(コメディと言ってもいいんだけど、言い切るのは若干ためらわれ)。上海でなく内モンゴルでこういう映画が生まれるまでに、世界は均一化してるってことか。シークエンスとシークエンスの間に入るかったるいスキャットも含め、ひたすら脱力している。そして(毛糸をほぐして帽子をこしらえた恋人の)親は離婚しようとしてるし、友人とは些細なことで絶交しようとしている。それもいたって淡々とで、一日たてば消えてしまいそうないさかい。子どもは大きくなったら孤児になろうと言うし、かつて文革で団結を叫んでいた中国人民は、今は解散したくてたまらないようだ。解散の日までの日常をぼそぼそとしのいでいる感じ。登場人物が笑顔を見せたのはたぶんテレビを見ていた老人とオバサンが顔を見合わせたとき一回だけで、そのオバサンもなにがあったのか怒って帰っていった。人はどこも別れる準備をしている。町中に響いている音は何なんだろう。旧正月の花火? どこぞの砕石場? それすら空のうつろさを確認しているように感じられる。退屈しきった休暇が終わり学校が始まって、初めて力こぶが感じられる熱血教師が出てきたと思ったら、教室を間違えてて去っていった。休暇ボケだったのだ。「社会に役立つ人になるには?」という問いの前で脱力し続ける学生らの背後で、初めてビートの効いた音楽が鳴ってエンディング。これがどの程度内発的に作られた映画なのかは監督の別の作品を目にするまでは疑問符をつけておきたいが、町の死に切ったたたずまい(とりわけ怒声なしで淡々とカツアゲされる空き地)や白菜売り場の光景など忘れられそうにない。監督リー・ホンチー李紅旗。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-11-02 10:10:44)

2.  胡同の理髪師 《ネタバレ》 最初のうちは図式的な新旧の対比に抵抗を感じた。下の世代の描写の俗っぽさ(たとえば老人を引き取った嫁など)が陳腐すぎた。今では人民服がオーダーになる、っていうのは感慨深かったけど。おそらくこの映画の眼目はそういった時代の変化よりも、粛々と死の準備を進めていく老人像のほうだったんだろう。これがいい。見る前は、人々が集う人情床屋ものかと思っていたら、顧客はもうみんな集うだけの元気のない老人たちで、こっちも老人の理髪師が一人一人訪問して回っている。そしてこの胡同自体が解体の危機にさらされている。町全部が死の準備に入っている。その中で老人は遺影を撮っておき、自分の略歴をテープレコーダーに録音する。彼はいつも櫛を携帯して時間があると髪を整えている。理髪師として最期にみっともない髪をしていてはいけないという決意のようなもの、それがこの町全体にも感じられるのだ。しばしば挿入される町の風景は、絵葉書のような情緒タップリの美しさで、映画でそういう美しさを見せられると時間が止まってしまうようで普段はあんまり歓迎しないんだけど、これでは町全体がもう棺桶に片足を突っ込んでいて、回顧される世界に入ってしまっているのだから、絵葉書の美しさが似合うのだ。そしてこれは町の遺影写真でもあろう。『胡同のひまわり』でも猫が滅びる町の象徴として登場してたけど、実際にここには多いのかな。[DVD(字幕)] 7点(2009-05-01 12:11:01)

3.  プラットホーム おそらく二度目により感動するたぐいの映画だろう、と日記に記しているが、まだ二度目は果たしていない。青春の自由と自由ゆえの頼りなさみたいなものが、あわあわと描かれていた。炭坑で働く人々の描写が向こうでは当局のチェックにあったとか聞いたけど、社会問題を提示するというより、青年たちがこれから出て行かねばならぬ社会の苛酷さにおびえためらう要素として置かれていたよう。汽車のモチーフが全編を貫いた。汽車を見たことのない彼らが、バスの中で警笛を真似て始まり、最後は村に戻って家庭にはいった一人の部屋でケトルが警笛のように鳴って終わる。その部屋からは、若いときにタムロしていた城門が見えている。日本にもあるサークル青春ものの中国拡大版だ。日本の青春ものの過剰ななれなれしさがない。外から聞こえてくる町の音、半野喜弘のヴァイオリンとチェロの音楽が、断片的に入る。[映画館(字幕)] 7点(2008-07-04 11:22:36)

4.  胡同のひまわり もう我慢できぬと家から出てこうとするせがれに、父親が「今日からずっと私はおまえから離れない」と宣言するのがすさまじい。明治の自然主義文学も鬱陶しいお父さんを描いたけど、でもあれは家の重さがその背後にあって、せがれの抵抗にも悲壮味があった。こっちのお父さんはフートンの長屋住まい、重厚な背景がなくて、せがれの父親見る目には哀愁が混ざっちゃう。文革で奪われた夢をせがれに託すその一途さ・まっすぐな頑固さが、少なくとも当事者でない観客には悪くないのだ。地震のときに消えた子猫が、二十数年後、開発で壊されていくフートンの瓦礫の上を歩いてた成猫につながっているのか。フートンを守っていた精霊のようでもあり…。[DVD(字幕)] 6点(2007-08-09 11:16:33)(良:1票)

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