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41. 孔雀 我が家の風景
《ネタバレ》 こういうすばらしい映画を見ると、あれはどういう意味だろう、と考えるより、ただただシーンを思い返していたくなる。日常にうんざりしている娘が屋上で寝転がっている目に飛び込んでくる、落下傘部隊の優雅な降下訓練。アコーディオンに合わせて朝鮮の踊りを鏡の前で踊る、どうも家庭的に不幸らしいおじさん。知的障害がある息子が見初めた娘がどれか知ろうと、道で一人一人この娘? この娘? と指さして確認する母…、ととめどがない。ばらばらに散り、また一緒になる兄妹たち、そこには再会の喜びはなく、過ぎ去ってしまった時間の取り返しようのなさを悔やむ娘の涙だけがある。だけど、その過ぎ去った時間はこんなにも豊かだった、と映画を見た者なら分かっている。孔雀は誰も見ていないところで羽根を広げていたのだ。[DVD(字幕)] 8点(2007-10-09 12:16:17)(良:1票)
42. 胡同のひまわり
もう我慢できぬと家から出てこうとするせがれに、父親が「今日からずっと私はおまえから離れない」と宣言するのがすさまじい。明治の自然主義文学も鬱陶しいお父さんを描いたけど、でもあれは家の重さがその背後にあって、せがれの抵抗にも悲壮味があった。こっちのお父さんはフートンの長屋住まい、重厚な背景がなくて、せがれの父親見る目には哀愁が混ざっちゃう。文革で奪われた夢をせがれに託すその一途さ・まっすぐな頑固さが、少なくとも当事者でない観客には悪くないのだ。地震のときに消えた子猫が、二十数年後、開発で壊されていくフートンの瓦礫の上を歩いてた成猫につながっているのか。フートンを守っていた精霊のようでもあり…。[DVD(字幕)] 6点(2007-08-09 11:16:33)(良:1票)
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