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【製作国 : 中国 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  双旗鎮刀客 中国映画いくら元気がいいからって、娯楽映画の分野では20世紀中には世界に追いつけまい、と思ってたら、本作でやられた。1991年。中国映画が娯楽に手を出すとしたら香港映画の流れが合流する形かと想像してたんだけど、また西安電影から来た。ここが新中国映画すべての発祥地のようだ。香港のように脂ぎってなく乾いている。音楽が馬具の音や足音と絡んで面白い効果。悪党に苦しめられる砂漠の町、青年と娘じゃなくて少年と少女が軸になり、昔話的な伝説性が高まる。直射日光のはっきりした影、テーブルの端に座っている娘と机上の鶏、悪漢どもが砂丘の上に立ったときボスだけ馬を横に向けている、などこれ見よがしでない程度にキザ。援助に駆けつけるかと思わせていた人物がとんだ食わせ者という設定は、深読みすれば天安門事件の傷と通じ合いそう。[映画館(字幕)] 8点(2012-12-22 09:46:52)

2.  紅夢 普通シンメトリーの構図ってのは、ここぞというところでバンと置くと効くので、あんまり使いすぎちゃいけないものなんだけど、この作品はそれがテーマだからね。シンメトリーの安定した重苦しさ、人を発狂させるほどの、整然とした堅苦しさ。シンメトリーの息苦しさをここまで徹底して追求した映画も珍しい。あとは音の響き。作者によって選択された音しか響かない。それも幽界に響くような雰囲気で、嫉妬によって残響を与えられ心にエコーを掛けられているというか、灯篭を消す竹吹きのブボッという音も腹に響く。遠くから聞こえる第三夫人の歌声、若主人の笛。きっちりした画面に選ばれた音のみがキラッキラッと閃く感じが実にスリリング。昔の中国映画だったら、もっと目覚めたヒロインが反抗する設定になったんだろうが、もうそうはならない、プロレタリアートの部屋にまでレッドランタンは侵入してしまっているのだ。画面に現われているのは「八方ふさがり」の嫉妬渦巻く世界なのだけど、ネチネチという感じはあまりなく、荒涼の風が「八方吹き抜け」ていたのではないか。白・黒・赤の物狂いの世界が魅力的。[映画館(字幕)] 8点(2012-10-13 09:56:42)

3.  子供たちの王様 固定カメラを通して時間を置いた風景の変化をしばしば描く。堂々とした感覚。遠景は自然描写というより地形描写。ときに墨絵のような美しさもある。近い光景では、窓や戸の四角い枠を据えて、そこに外側にいる主人公のタバコの煙や、下から起こる煙を捉える。遠景の霧と近景の煙。あるいはラストの牛の気配の高まり。牛は夜の戸外に不意に現われたりし、授業を受けられない牛飼いの子どもへの負い目へとつながっていたか。牛のイメージが近景と遠景をつないでいたようでもある。あの牛飼いの子どもと、字引を写すワン・フー君とが対比されて感じられた。貧しい環境下で自分なりの字引を作っていくワン君は、普通の物語の中でなら間違いなく「立派な少年」なのだが、この作品ではその外にさらに文字を学ぶ機会すら与えられていない少年を置き、さらに一段遠くから状況を眺めているよう。より多くの文字を覚え、手製の字引を厚くすることが学習だろうか、という疑問の提示? これは文革下の雰囲気を知ることができるいい映画だが、同時にその中にいた者たちの隠語に彩られていて、なかなかストレートには通じにくくなっている。仲間でハヤす「お寺の和尚がどんな話をした?」なんてのは、部外者には分からない。牛に小便を飲ませる話とどうも関係があるらしいのだが、先生が記した牛の下に水の字の意味は? 同じ体験をした者にとっては、深く沁み入ってくるのだろうが、あまりあからさまにはまだ語れない・語りたくない、といったためらいも感じられるのだ。その「もってまわった」ところに文革の傷の深さがある気がした。「上学(学校へ行く)」の作文のシーンがいい。教科書や字引を写すより、まず知ってる言葉で語っている伸びやかさ。けっきょく青年の敗北が描かれたのか、それとも彼の熱意がこれから野焼きの火のように広がっていくと言っているのか。言いたいことよりも、描かれた映像に圧倒される作品だ。『黄色い大地』と『大閲兵』は、まず中国映画差の一編として公開されたが、この作品からちゃんとロードショーされたと記憶している。[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-07-06 10:05:25)

4.  黄色い大地(1984) 冒頭、八路軍兵士が一人で小さく心細そうに現われてくるだけで、「あれ? これは今までの前向きの共産主義者とは違うぞ」と驚かされ、それと重なってくる荒々しい民俗音楽で、なにか新しい中国映画・というより国籍とは関係ない「映画」を観てるんだ、という気になった。過去の悲惨を扱って現在の矛盾から目をそらしてる、と言う批判も出来るかもしれないが、それよりも一本の映画としての完成度にまず驚くべきだろう。照明はスクリーンで観られるギリギリぐらいにまで落とし、ふいごの音や室外の家畜の声が際立つ。目を凝らし耳を澄まさないと捉えられないような世界を築いていく。この時間が粒だって清水のように流れていく感じは、最良の映画だけが持てる幸福な感覚だ。その自然界と結びついたような時間の中に不意に登場人物の民謡が飛び込んでくる刺激、ここに「大きな自然と小さな人間」という彼らの生活が直接に表現されている(特に弟が歌いだす瞬間)。政治的メッセージよりも、人間が生活していることへの新鮮な驚きとそれへの畏敬がベースになっている。突然中国映画の新展開を見せてくれた忘れ難いフィルム。[映画館(字幕)] 8点(2011-07-24 10:17:41)(良:1票)

5.  北京好日 《ネタバレ》 前半ネオレアレズモ、後半落語の「笠碁」。いい映画だ。愛すべき気難し屋が活写されていく。所在無さを綴っていく前半から楽しいが、本題は京劇趣味の老人たちに公園で出くわしてから。最初からしゃしゃり出はしない。一歩離れてて、しかしアドバイスを乞われると嬉々として、いちいちコワイロやったりする。で劇団結成。遅刻したら歌わせない、などの規律を定め、愛すべきファシストとして君臨する。みんなはただ歌うのが楽しみなのだが、「芸術家」として統制したがる。風刺や皮肉があるのではない。ただオカシミとして捉えている。老人だと我を張ってもどこか社会に通じてないせいか深刻にならず、遊戯の気分で喧嘩が出来る。お祭りの公演。審査の発表を省略してシュンとした帰り道につながる妙。メイクのまま夜道を歩かせている。ここらへんのブツブツが絡んでいくあたり、混乱の盛り上げ方がとてもうまい。あっちでもこっちでも湧き返ってくるおかしみ。歌うのが楽しいのと世話するのが楽しいのと、なんかこの喧嘩のほうがお祭りみたいで、テーマは「老人の生きがい」なんていうと大袈裟になってしまうな、「人生の手ごたえ」と言ったらいいか、人生ってのはこういうふうにいいもんだ、と思わされた。苦みも陰りもない。中国映画には珍しい澄明感がある。死んだ奥さんの写真は若かった。長い一人暮らしだったんだな。[映画館(字幕)] 8点(2011-05-03 12:21:01)

6.  人生は琴の弦のように これはまず「地形」の映画である。盲目の主人公が見ることの出来ない遠景から、足もとの斜面に至るまで、作者の慎重な選択が感じられる。監督はかつてテレビのインタビューで、パゾリーニが好きだと言っていたが、その影響もあるかもしれない。しかし黄河のほとりのうどん屋シーンの不思議な緊張感はオリジナルなものだ。怒涛渦巻く背景を生かした地形の中で、セリフの少ないドラマが演じられる。地形が観客に与えるインパクトは強烈で、非日常の世界に・それも東洋的な光沢を持った神話の世界に一気に連れ去ってしまう。シートウが恋人の顔を地形になぞらえて手で探っていくシーンがある。盲人が視線の代わりに手でもって恋人の顔の上を放浪し、触覚が視線になって未知に向かい合ったわけだ。またこれは「音楽」を巡る映画である。『黄色い大地』からすでに、彼の映画では音楽が重要な役割りを演じてきたが、本作で前面に押し出された。人々に和をもたらす彼の琴、最後は自分のために弾き切ろうとする。が、主人公は芸術に裏切られる。人のためでも自分のためでもなく、芸術はそれ自身のために存在するという無慈悲さが剥き出しになる。芸術に魅せられるとはどういうことなのか。それでも音を掻き鳴らさないではいられない人間の可憐さのようなものが感じられても来るのだ。さらにこれは「放浪と定着」の映画でもある。村人は二人の盲人を神として歓迎するが、定着は許さない。おそらく定住したらただの乞食になってしまうのだろう。民俗学的なテーマでもあろうが、芸術=非日常のありように関する問題でもある。大きな争乱を一気に鎮めてしまう力は偉大であると同時に恐ろしくもある。そのようなものには居座ってもらっては困る、時々訪れて去っていくのが一番いい。芸術とはそういうきわどい存在なのだろう。謎のようなうどん屋の女将の歌に「誰だって自分の家にはいたくない」というリフレインがあった。女=妻というものがそもそも定住の象徴なのに、その女が放浪へ導く歌を暗示している。彼女はけっこう重要な存在で、芸術に関わってしまった人間の皮肉な運命そのものを操っているミューズなのだろうか。ああ、なんかとても多層的に観られる映画であった。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-20 12:27:19)

7.  さらば、わが愛/覇王別姫 最初のうちは、監督初めての失敗作かと思った。向いてないことをやってんじゃないか、とか。でも中華人民共和国成立以後の部分はピリピリと締まってて、振り返ってみてやはり傑作の部類に入る作品だろうと思った。惨憺たる中国の近代史。その惨憺たるさまを惨憺たるままに描いて、一片の希望だに見せず、ひたすら滅亡の歌を奏でていく 。京劇の滅びに、古代の覇王の滅び、さらに現代における人が人らしく生きる環境の滅びを重ねて、崇高でさえある。主人公の人生は少年時代の訓練から陰惨さを反復する。強制的に男であることを忘れさせられ、錯覚の中に生きていくことを強いられる。競って愛国者を演ずることになる20世紀中国の群衆と、女形を演じ続ける彼との対称。陰惨である。その陰惨は文革の人民裁判にまで持続していく。この監督にそもそも悲劇志向があるのか、それとも中国の伝統なのか。陰惨だけれども極彩色の壮麗な悲劇に仕上がった。[映画館(字幕)] 8点(2011-04-11 09:57:08)《改行有》

8.  あの子を探して 《ネタバレ》 不機嫌な女の子って好き。女の子ったって代用教員なんだけど。不機嫌ではあっても不貞腐れているわけではなく、まっすぐゆえの仏頂面。とにかく彼女には生徒を一人も減らさない、という明確な目的がある。「…とか」といったイマドキの日本の若いモンの曖昧さが一切ない。逃げた生徒を捕まえるとなると、その目的だけに集中する。街にまで追いかけ、墨汁を薄めて尋ね人のビラをたくさん作る。目的の達成のためにあの手この手を使う。テレビ放送まで使う。局長さんがものわかりが良すぎるのが、この映画の唯一の欠点だが、ま、仕方がない。ずっと仏頂面だった彼女がブラウン管の中で泣き、自分を探している人物の存在を知ってホエクーも泣きだす、という名場面が、それがないと成り立たなかったのだから。[映画館(字幕)] 8点(2008-09-15 12:13:12)

9.  鬼が来た! 話が歴史から寓話へ半分溶け出しているようなところが面白い。戦争について考えると、どうしてもそうなるのかもしれない。一般人にとって戦争はとりあえず「迷惑」なんだな。でも迷惑のレベルでなんとかやり過ごそうとしても、何かのきっかけでたちまち狂気の渦に巻き込まれ、迷惑どころではない事態に雪崩れ込んでしまうことがある。傍観者で居続けようとしても向こうから積極的に関わってくる戦争というものの怖さを、新たに見せてもらった気がする。最近の映画はロングショット主体で芸術性を出すのが多いなかで、久しぶりにアップを多用し、それでも安っぽくならない映画だった。こそこそした感じも出てるし。[映画館(字幕)] 8点(2008-06-18 12:18:38)

10.  大閲兵 《ネタバレ》 軍隊の訓練を群像ドラマで描く。閲兵式の96歩のために一万歩歩き通す訓練、でもその馬鹿馬鹿しさで軍隊を告発したわけでもない。それが無益であればあるほど、成し遂げたときに、奉仕する「忠」の心はより純化されていくという考えもあるからだ。3時間直立する訓練なんてのもそうで、馬鹿げているほどある種の陶酔も湧いてくる。人間が集団でいるだけで魔力が備わってくる。ナチにはまったく共感を覚えないにもかかわらず、リーフェンシュタールの「意志の勝利」で人々の行進を繰り返し見せられると、なんかしらん湧きあがる高揚を意識した記憶がある。この映画、作成段階で当局の干渉もあったそうで、作者の意図をあれこれ忖度しながら見なければならなかった。しかし逃げた新兵が麦刈りする農民たちに出会うところでは、文句なしに感動した。生産する労働と生きることと幸福とが、イデオロギーに染まる以前の段階で合致している世界、その世界が逆に、軍隊というものの異様さを鮮やかに照らし出した。当局はここをこそカットさせなければならなかったのだ。[映画館(字幕)] 8点(2008-02-18 12:29:34)

11.  孔雀 我が家の風景 《ネタバレ》 こういうすばらしい映画を見ると、あれはどういう意味だろう、と考えるより、ただただシーンを思い返していたくなる。日常にうんざりしている娘が屋上で寝転がっている目に飛び込んでくる、落下傘部隊の優雅な降下訓練。アコーディオンに合わせて朝鮮の踊りを鏡の前で踊る、どうも家庭的に不幸らしいおじさん。知的障害がある息子が見初めた娘がどれか知ろうと、道で一人一人この娘? この娘? と指さして確認する母…、ととめどがない。ばらばらに散り、また一緒になる兄妹たち、そこには再会の喜びはなく、過ぎ去ってしまった時間の取り返しようのなさを悔やむ娘の涙だけがある。だけど、その過ぎ去った時間はこんなにも豊かだった、と映画を見た者なら分かっている。孔雀は誰も見ていないところで羽根を広げていたのだ。[DVD(字幕)] 8点(2007-10-09 12:16:17)(良:1票)

12.  心の香り 《ネタバレ》 『冬冬の夏休み』を思い出させるイデオロギー色のない(政治的な意味に限らず)中国映画。ストーリーよりも、状況として・風景としてシミジミさせる映画もあの国で生まれるようになったんだなあ、という感慨があった。老人と子どもの世間から遠ざかった環境での暮らし、けっこう町っぽいけど、川のほうへ行けば田園という境のような環境。どうせ父親に悪口を吹き込まれてるんだろう、というお祖父さんと、最初からおっかない孫。隣りの娘とで京劇とバレーが対比される(柵越しにメイキャップするシーン)。またその配置は、男二人の暮らしに、それぞれ女性の相談相手がいることになる。蓮おばさんの仏像を割ってしまうことが彼女の死につながり、その葬式費用がきっかけとなって、老人と孫とが京劇において和解する段取り。風景のみのフェイドイン・フェイドアウトのカットがいい。スン・チョウ孫周監督。[映画館(字幕)] 7点(2012-01-20 10:19:52)

13.  冬休みの情景 《ネタバレ》 中国映画はかくも文化大革命から遠く離れたとこまで来たのか。前向き・力こぶ・希望・明朗といった文革時代の表象は、その後の文革批判の映画でも現われていて、いつも底にはそういった傾向があったように思う。でもこれはどこにも力こぶのない映画だ。退屈しきった日常、手応えの感じられない社会、都市部の若者の世界的テーマが、中国の、しかも内モンゴル自治区から生まれてくるとは。ジャームッシュやカウリスマキにも通じるミニシアター系の脱力ドラマ(コメディと言ってもいいんだけど、言い切るのは若干ためらわれ)。上海でなく内モンゴルでこういう映画が生まれるまでに、世界は均一化してるってことか。シークエンスとシークエンスの間に入るかったるいスキャットも含め、ひたすら脱力している。そして(毛糸をほぐして帽子をこしらえた恋人の)親は離婚しようとしてるし、友人とは些細なことで絶交しようとしている。それもいたって淡々とで、一日たてば消えてしまいそうないさかい。子どもは大きくなったら孤児になろうと言うし、かつて文革で団結を叫んでいた中国人民は、今は解散したくてたまらないようだ。解散の日までの日常をぼそぼそとしのいでいる感じ。登場人物が笑顔を見せたのはたぶんテレビを見ていた老人とオバサンが顔を見合わせたとき一回だけで、そのオバサンもなにがあったのか怒って帰っていった。人はどこも別れる準備をしている。町中に響いている音は何なんだろう。旧正月の花火? どこぞの砕石場? それすら空のうつろさを確認しているように感じられる。退屈しきった休暇が終わり学校が始まって、初めて力こぶが感じられる熱血教師が出てきたと思ったら、教室を間違えてて去っていった。休暇ボケだったのだ。「社会に役立つ人になるには?」という問いの前で脱力し続ける学生らの背後で、初めてビートの効いた音楽が鳴ってエンディング。これがどの程度内発的に作られた映画なのかは監督の別の作品を目にするまでは疑問符をつけておきたいが、町の死に切ったたたずまい(とりわけ怒声なしで淡々とカツアゲされる空き地)や白菜売り場の光景など忘れられそうにない。監督リー・ホンチー李紅旗。[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-11-02 10:10:44)

14.  秋菊の物語 今まで家に閉じこもっていた田舎の普通の主婦が、訴訟を起こしたことで世界の手応えを知って生き生きする話。村落共同体のなかでナアナアで済ませていたことから、自己の確立を打ち立てる、という前向きなストーリー、とまずとれる。でも別に、互いの顔を識別し合っていられた村の中に、国家の法の論理が侵入してきて共同体内の「いい感じ」が次第に壊れていく物語、ともとれる。裁判中毒になった主婦によって村が破壊されていく。おそらくこの映画の面白さは、その二面が描かれていることにあるわけで、近代が入り込んできた村社会の問題は、現代にまで続いているんだろう(高速鉄道の事故でも、もう中国人はナアナアでは黙っていなくなった)。村の共同体の拘束からの自由と、その外側に広がって待ち構えているもっと大きなものの気配。最初は「一言謝ってほしい」だったものが、だんだんと拡大していく展開に、どことなく民話の味わいがある。巡査が自分で買った土産を持って収めようとするのがおかしい。[映画館(字幕)] 7点(2011-09-24 10:01:26)

15.  支那の夜 [前後篇] 古い劇映画は当時の記録映画としての意味も持ち、その意味でこれは「あの時代の日本人の自分勝手なエエカッコシイの精神」を知るに優れていた。兄的な立場、我慢している立場、そして教育者という立場。そのままあの戦争の大義に重なる。「白人に支配されているアジアを、アジアのなかの兄さんである日本が、もう我慢できずに解放してやるのだ」。現実にある抗日運動に対しては、一応上海で日本人が傍若無人に威張っていることは認めざるを得ない、そこにある現実だから。それは認めてそういう「一部の不届きな日本人」に説教する。でこちらにひとつ負い目を負わせておいてから、李香蘭の方には「抗日運動は目隠しされた愛国心」だと言えば、これを観ている日本の観客はその二つで釣り合いを取ってしまう。全然レベルの違うものを釣り合わせて、納得させる。李香蘭の崩れた旧家と、日本の兵士の戦死。そういったゴマカシの釣り合わせの果てに「だからこそ手をつながなければならないのよ」となってしまう。そしてそれを情緒のレベルで許してしまう日本人のいい加減さ。ひどい話であるが、そのひどさを平気で生んだ当時の日本人の精神が、この映画にはしっかり記録されていて貴重。[映画館(邦画)] 7点(2011-06-04 09:56:35)

16.  青い凧 《ネタバレ》 凧というのは、中国人にとって自由の象徴なのだろうか、このころのチェン・カイコーの作品にも、よく使われてた。笑顔笑顔の結婚式で始まるが、ジワジワと嫌な感じが迫ってくる。行進や集会や。けっきょく何人か「右派」を作り上げねば「整風運動」に反したことになってしまう空気。トイレに立ったすきにやられてしまう怖さ(PTAの役員選挙でもそういうことがあるそうだが、怖さが違う)。どこかいじめの構造ともつながってますな。そして家族を覆い出す病い。眼疾、旦那の胃病、次もふらつき、三番目も心臓病。直接の危害の前に、病いとして敗北していく人々。その中でだんだん成長していく子ども。校長をつるし上げるので生き生きとなる少年が描かれる。ここらへん、もしかすると継父も母も裏切って「正しい紅衛兵」となっていく結末を夢想してしまった。中国映画の文革反省ものって、被害者の視点が多かったでしょ。あの鉦や太鼓鳴らして、生き生きとした自分を手に入れた連中の側の物語ってのも欲しかった。日本の戦後の反戦映画も、庶民はみな被害者づらして、あの当時ハチマキ締めて生き生きしてた部分が、主体として描かれることが少ない。その視点からの点検がないと、愚行は何度でも繰り返されるんじゃないかと思ってて、中国も同じだなあ、と感じてたもんで、ちょっと期待しちゃった。でもなかなか描けないんだよね、そういうカタストロフは。カタストロフじゃないと、受け取られてしまう心配があるからか。ま、文革反省ものの定番的な展開になったが、定番を確定するのも大事なことだ。三番目のお父さんなんか、いい役だった。冷たそうでいて、最後に思いやりを見せる。そのぶん母親のキャラクターは、いまいち明確さに欠けた。お正月、花火と提灯の中でかくれんぼするあたりのリリシズム。[映画館(字幕)] 7点(2011-02-04 10:26:14)

17.  哀戀花火 ちょっとの火も危険と靴を履き替えさせられる花火工場、なるほど、ここぐらいメロドラマの舞台にふさわしいスリリングなところはあるまい。女主人は視線をそらして絵描きに話しかける。愛の火花が散っては危険だからだ。でも番頭との間には摩擦熱も生まれつつ、あぶないあぶない。恋愛映画はスリリングなのである。恋の発生の危険が現実の発火の危険と重ねられる舞台設定が秀逸。しばしばメロドラマが戦争を舞台にするのも、危険が満ちているからだろう。でも無粋な爆弾工場より花火工場のほうがロマンチックである。ちょっと役者(とりわけ男のほう)が物足りなかったか。黄河の両岸からの花火合戦よりも、そのあとの煙のたゆたいが美しかった。[映画館(字幕)] 7点(2010-06-30 11:57:25)

18.  エグザイル/絆 《ネタバレ》 冒頭、男たちが黙って適度に配置されていくあたりが、もうこの監督の味。ドンパチよりも、そこに至る静けさの緊張が楽しい。レストランの場もそうだが、ここでは冒頭と違って広さが別の趣向となる。ヤミ医者のとこでのドンパチは滑稽味を加え、その後の悲痛と対照させている。金塊強奪の場に遭遇してのドンパチでは、ただ直立して撃つスタイル、ここも狭いヤミ医者の場の次ということで広さが対比される。繰り返されるドンパチでもいろいろ変化を持たせているわけだ。ここで絶対にドンパチが起こるぞ、と最初に映った段階で見ている者に確信させる吹き抜けのあるホテルで、ちゃんとラストでドンパチになる。ここも実際のドンパチより、その開始を告げる空缶のキックパスがいいわけで、『ザ・ミッション/非情の掟』の紙屑を思い出さずにはいられない。男たちの連帯。これをやるのならその前のちょっとクサい酒びんを渡しあうシーンは必要なかった。香港の密度と比べてマカオはいくぶん空気が拡散的で、話も中盤まとまりがほどけかけたような気がする。そのかわりポルトガルを経由してか中南米的なトーンが入ったのは、新味。ストーリーもややヒロイック度が過ぎてしまったようで、微妙に湿度が高めだ。[DVD(字幕)] 7点(2009-09-05 11:55:46)(良:1票)

19.  太陽の少年 年上の女性への憧れを軸にした、少年の成長ものの定番みたいな映画だが、エピソードの一つ一つがみずみずしい。望遠鏡で覗き、また反対側からも覗いてみたりして、世界が近づいたり遠のいたりする。世界との距離感の不安定な思春期。屋根の上をさすらうシーンも印象的だった。これの興味の一つは中国の文化大革命時代の悪童ものというところで、大人にとって悪い時代ほど子どもにとっては自由だったりする。世の中を批評する暇も惜しむほど、悪ガキどもはいそがしかったのだ。リービ英雄の小説「北京越境記」に文革の“黄金時代”を懐かしむ若夫婦が出てきて、子どもにとっては上の世代を罵倒できたりして“ハレ”の気分で過ごせる祭りの日々だったんだなあ、と思ったものだが、でもこの映画のガキどもは、エリート軍人の子どもということで、日本の“太陽族”にも通じる「いい気なもの」って感じもちょっとある。つまりあの時代の中国の子どもと言っても、みんながみんな毛沢東語録持って興奮して紅衛兵やってたわけではなく、その興奮の隙間で純粋にグレていられた恵まれた子どもたちもいたということだ。 [映画館(字幕)] 7点(2009-05-07 12:05:56)《改行有》

20.  胡同の理髪師 《ネタバレ》 最初のうちは図式的な新旧の対比に抵抗を感じた。下の世代の描写の俗っぽさ(たとえば老人を引き取った嫁など)が陳腐すぎた。今では人民服がオーダーになる、っていうのは感慨深かったけど。おそらくこの映画の眼目はそういった時代の変化よりも、粛々と死の準備を進めていく老人像のほうだったんだろう。これがいい。見る前は、人々が集う人情床屋ものかと思っていたら、顧客はもうみんな集うだけの元気のない老人たちで、こっちも老人の理髪師が一人一人訪問して回っている。そしてこの胡同自体が解体の危機にさらされている。町全部が死の準備に入っている。その中で老人は遺影を撮っておき、自分の略歴をテープレコーダーに録音する。彼はいつも櫛を携帯して時間があると髪を整えている。理髪師として最期にみっともない髪をしていてはいけないという決意のようなもの、それがこの町全体にも感じられるのだ。しばしば挿入される町の風景は、絵葉書のような情緒タップリの美しさで、映画でそういう美しさを見せられると時間が止まってしまうようで普段はあんまり歓迎しないんだけど、これでは町全体がもう棺桶に片足を突っ込んでいて、回顧される世界に入ってしまっているのだから、絵葉書の美しさが似合うのだ。そしてこれは町の遺影写真でもあろう。『胡同のひまわり』でも猫が滅びる町の象徴として登場してたけど、実際にここには多いのかな。[DVD(字幕)] 7点(2009-05-01 12:11:01)

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