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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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41.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 後半の種明かしのとこ、同じ構図で反復されるのが映画ならではの楽しみ。原作は読んでないけど、映画向きでないようでいて、かえってこれ映画向きの話だった。大きな仕掛けをくらませるために、小さな仕掛けをバレやすいように据えてあるのが憎く、少なくとも私は引っかかった。仕掛けとは、ただアッと驚かせるだけでは駄目で、ネタが分かった瞬間に「あ、なるほどね」と、いちいちの伏線が思い出され納得できるように仕掛けておいてもらいたいもの、これはそうなってた(ああ教科書ね、ああ広辞林ね、うんうんオニギリ買うとこね…)。また別方向の伏線として、鳥葬の話が終盤でイキるとこも見てて嬉しい。本屋襲撃のとき歌い続ける「風に吹かれて」にグッときた。復讐の歌というより追悼の歌であって、そしてもちろん相棒を導いてくれた神の歌でもある、照れくさくならないように時間計測の歌という名目が付いてるのもいい。大塚寧々の役割りがちょっと中途半端だったような。[DVD(邦画)] 7点(2009-01-25 12:10:58)(良:1票)

42.  蟻の兵隊 《ネタバレ》 ドキュメンタリーでいいのは、予定調和をカメラが裏切っていくところ。元日本兵の奥村さんが中国を訪問し、初年兵教育の最終試験として初めて人を殺した場所を訪れた後で、生き残った中国人の家族と対面するシーンがある。おそらくカメラは、謝罪と赦しのようなところを撮れればいいと思っていたのだろう。ところが奥村さんは、そのとき国民党軍と八路軍との間で妥協があったのではないか、ということを厳しく問い詰めだす。奥村さんの中に急に皇軍がよみがえったような感じ。もちろん司令官に裏切られ一部隊ごと中国側に傭兵として渡されたことへの恨み・悔しさ・死んだ戦友への義務などのもろもろが芯にあるのだが、彼の主張の根に感じられるのは、我々は皇軍として戦ったということを確認したい、という念願なのだ。あそこで奥村さんという個人が、兵士の経歴ごと・60年という歳月ごとまざまざと立ち上がり、彼の悔しさがひしひしと迫った。枯れるとか諦観とかの対極で深く怒っている老人像が、こちらのステレオタイプを砕いていく。ドキュメンタリー映画を見て良かったと思う瞬間だ。そしてこの司令官の卑劣さ・上部ほど無責任になり生き残る体質が、軍隊の本質なんだなあと思う。終わりの方、靖国で小野田さんとやりあう場は、いささかこしらえ過ぎかとも思ったが、どちらも残留者でありながら、小野田さんは中野学校出のエリート中のエリート、奥村さんは赤紙で引っ張られた一兵士、という違いが出た。皇軍教育を叩き込まれた小野田さんがあの戦争を自信を持って肯定するのに対し、奥村さんは「私は戦争を知らないかもしれない」という境地に至る。この境地が大事だ。元自衛隊の田母神某と小野田さんてそっくりに見えるんだけど、軍のエリートって同じ単線的な思考をして同じ顔になるものなのか、彼らには「私は知らないかもしれない」という謙虚な・しかし思考の始まりには必須な境地は訪れっこないだろう。[DVD(邦画)] 8点(2009-01-20 12:23:38)(良:1票)

43.  暗黒街の美女 これが清順初のワイド画面作品だそうだ。題名の“美女”というのは、ほかに出ないところをみると白木マリのことらしい。ときどき人物が奇妙な姿勢をとるのが、この監督らしさ。うずくまるとか、木にしがみつくとか。部屋の中央に張られた幕をペーパーナイフで切り裂き、そのまましゃがむ。こういった部屋の分割ってのも好みらしく、ラストのほうでは二部屋を見渡すカットあり。一方で芦田伸介、一方で高品格と白木マリ。あの幕は風呂場のガラスにも通じていくか。腕に“クラブ”や“スペード”のいれずみをして“ダイヤ”を奪い合うという洒落。[映画館(邦画)] 6点(2008-11-06 12:09:23)

44.  あんにょんキムチ 21歳にして韓国の血に目覚めた監督、「だからそれが何なのよ」と言う妹、「ま、韓国って、暗いやな」とつぶやく父親、この三者のズレのおかしさ。ナレーションを妹にさせたのが正解で、自身を対象化し、映画をキチキチに息苦しくさせなかった。一世の祖父像が、伯母などへのインタビューを通して、複雑になっていくところがドキュメンタリーとしての面白さ。墓には日本名前を刻まさせ、正月の儀式は断固韓国風、とその複雑さが一世が生きてきたナマナマしさのあかしなのだろう。死に目に眠くて会いに行かなかった監督に「哲明のバカヤロー」と言って死んでいった祖父、その記憶が映画の原点。おそらくかつての差別がひどかった頃だったらもっと輪郭のキリリとした社会に向けたドキュメンタリーになっただろうが、現代では自分の心の違和感に向かっていく。その分、ドキュメンタリーとしての切実さは薄れた。なんで旅行の時もうちの一族はわざわざキムチを持参するんだ? というような、内向きのボンヤリした違和感を軸にした新しいドキュメンタリー。「あんたキムチ撮ってんの?」と親戚のオバサンに呆れられても、カメラをキムチに向けていく。[映画館(邦画)] 6点(2008-10-21 12:12:04)

45.  アカシアの道 母と娘の激しい物語というと、ベルイマンの『秋のソナタ』などいろいろ思い浮かぶが、どうも和解に至るというより、どうやって感情に折り合いをつけたか、って物語になっているような。女同士って難しいらしい。主人公の子ども時代、トイピアノで遊んでいると、隣の部屋で習字の添削をしていた教師の母(渡辺美佐子・好演)が、ちょっと来なさい、と呼んで、襖の向こうからパチンという平手打ちの音が聞こえてくる、なんて、見せないことでかえって迫ってくる演出。ボケの症状がある種のサスペンスとなって描かれる。掃除機をかけている母の姿、しかし動いていくと、コードが入っていないのが見えてくる、なんてあたり。子どものとき、母に手をつないでほしかった娘(夏川結衣)が、今ボケた母の手をつなぐラストでホロッとした。[映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 10:10:23)

46.  赤い橋の下のぬるい水 もう今村昌平が好むようなドロドロの土俗なんてなくて、過疎化が進む死んだような地方しかない。しかしそれでも、隅田川と対比すれば、まだ「ぬるい」程度の希望はあるってことか。東京の哲学書に対して、こちらには神のお告げのおみくじがある。海と立山が見える。ぬるい水は、川から海へと流れ出て、魚が群れる。まだ何かとつながっている。ここが隅田川と違うとこ。波消しブロックには虹も掛かる。エネルギッシュだった監督も、晩年になると(比較的)淡々とした世界を描くようになるのは、そういう世界が見えてくるのか、単に気力の問題なのか。高齢になると、監督ってロングの画面が多くなる気がする。[映画館(邦画)] 6点(2008-07-17 10:59:11)

47.  OUT(2002) じっと働く賃仕事の主婦と、バカラで遊ぶ亭主。ケとハレの対比で始まり、しかしバラバラ殺人という最も非日常的なものが主婦の世界の方に入り込んでくるおかしさ。そこにはちょっとした爽快感もある。女たちの“したたか・しっかり”と“おろおろ”が交替し続けるのもユーモアを生んでいた。でも考えてみればこういう世界は日本映画の得意としたところで、市川崑は女たちの悪だくみを好んで描いたし、今村昌平の重喜劇だってこういうのだった。だからこれ、すごく日本映画の本道をいっているんだ。[映画館(邦画)] 6点(2008-06-04 12:18:09)

48.  暗黒街の対決 《ネタバレ》 これを見た日の日記を以下に再現する。『岡本喜八のリズムになりきってます。シーンの冒頭のカットでいつもハッとさせる。パッと踊り子に照明が当たったり、あるいはシーンの終わりを射撃場の“ダブル”で締めたり、キビキビしてる。それでいて殺し屋にコーラスさせる(やっちゃえやっちゃえ)なんてユーモアも忘れていない。ミッキー・カーチスが怪しげなライト浴びてギャーッと言うところまで。悪玉中丸忠雄が、あっさり手錠かけられちゃうなんてユーモアもなかなか。三船敏郎は、ちょっと「用心棒」を先取りしたような役柄で。』射撃場のダブルってのが何だったのかまったく思い出せないが、ミッキー・カーチスがギャーッと叫ぶってとこを再見したい気持ちが、いま激しく高まっている。[映画館(邦画)] 7点(2008-01-07 12:20:28)

49.  天草四郎時貞 佐藤慶は、横からの光で陰影が出てこそ生きる顔。白黒映画向き。いっぽう大川橋蔵は、こうこうとしたライトの下でこそ映える顔。カラー映画向き。この白黒映画は、主演俳優にとっても監督にとってもつらい組み合わせだったんじゃないか。でもまったくつまらないかというと、そうでもなく、革命論としてああだこうだ思考している部分は濃い。ラストで「日本の夜と霧」を小さくしたようなディスカッションシーンがある。みんなの心が一つの意志で固まり同じ目的に進むというような、革命の機が熟するとき、ってのは永遠に来ないのではないか、という問題が提示される。分裂と離反を繰り返してこそ革新的であり続けられるのだとしたら、革新的であることが革命を向こうへ向こうへと押しやっているのではないか、というパラドックスがある。急進派と慎重派を両極とした幅広い団結は可能か、そのような団結に意義はあるのか、といった問題にもなってくる。そういう面倒くさいことは映画でなく本でやってくれ、という意見もあろうが(おそらく大川橋蔵もそう思っただろうが)、60年代とはこういう時代だったのだ。「日本の夜と霧」から「白昼の通り魔」へとつながる革命崩壊三部作とでも呼ぼうか。[映画館(邦画)] 6点(2008-01-05 12:23:39)

50.  愛の讃歌 《ネタバレ》 伴淳が女のもとへ、ほかの用事にかこつけながら出かけようとし、それを周囲がからかう場なぞ「寅」で何度も見ることになるシーン。「今日も待ち人来たらずか」のせりふは、やがてタコ社長によって反復される。実質の主人公である有島一郎の、想いを秘めながらひたすら倍賞へ尽くす姿は、そのままインテリの寅さんのようでもあるし、また寅シリーズによく登場する口下手なインテリそのものでもある。これ、寅が始まる2年前の作品。人生で後悔したくない、後悔させたくない、という互いの想いが、ややこしく絡み合ってしまう恋人たちの物語。その背景となる瀬戸内海の島は、若者を閉じ込める拘束場所だが、ユートピアにもなっている。おそらく現実の地方暮らしだったら、娘が父なし子を出産したらこう温かくは見守られず、どろりとした非難の眼差しも少なからず向けられるだろう。そうしていたたまれず大阪に逃げていくという話になる。でもこの映画では地元の人々に祝福されての出発へと話を展開させることで、故郷というものが無垢のままに保存された。そうである世界から、そうであってほしい世界をひねり出していくのが、山田洋次の基本姿勢と言えるかも知れない。[DVD(邦画)] 7点(2008-01-03 12:18:43)

51.  暁の脱走 《ネタバレ》 日本兵における“マジメ”がいかに異常なものであったかが、よく分かる。上官の足にヨーチンを塗り息を吹きかける主人公。その滅私奉公ぶり、ひたすら忠義を尽くすことの、マゾヒズムといってもいいような喜びすらが感じられる。よそから見ればビョーキだが、男だけの組織のなかではそれが安定したシステムを形作る基本単位の“マジメ”なのだ。これに対するのが山口淑子の春美、彼女こそ男を不幸にする元凶なのだけど、彼女は滅私の対極、“個人”が“私”のなかに満ちあふれ輝いている。敗戦直後の男性観・女性観の典型がここに見られ、しかしこれは典型として今でもある程度有効なのじゃないだろうか。疲れきって兵隊たちが帰ってくる場から、酒保でのツーツーレロレロでのはしゃぎぶりへのダイナミックな揺れぐあいなどに、脚本黒澤明のリズムが感じられた。ラストのゲートを突破するハラハラも彼の好んだモチーフだし、若山セツ子が聞く軽音楽(ポルカ?)の効果などにもやはり黒澤を思ってしまう。もしかすると谷口監督の個性かもしれないのに、ごめんなさい。[映画館(邦画)] 7点(2008-01-01 12:26:57)

52.  あなたと私の合言葉 さようなら、今日は 《ネタバレ》 これ監督名伏せて部分だけ見せられたら、増村保造と思ったかもしれない。乾いたタッチ・早口のテンポ、といった崑の特徴と思うもののうち、いくらかは大映に移籍後、この社のトーンに影響されて発展したものもあるのではないか。でも笑いの取りかたのしゃれてるところは崑ならでは。若尾文子の代理で結婚を断わりに行った京マチ子が、菅原謙二にホレてしまうのを無表情で演じ続けるあたり。菅原のとこの仏頂面の女事務員倉田マユミの使い方。菅原・船越英二・川口浩の三人が飲み屋で隣り合わせるおかしみ(船越はひたすらついてない役で笑わせる)、などなど。小津的ホームドラマではあるが、昭和30年代半ば、車社会へ向かう日本の、働く女性の面も具体的に提示されている。おせっかいな母をやらせると三好栄子の右に出るものはなく、新人田宮二郎は廊下で立ち話をしていた。[映画館(邦画)] 7点(2007-12-23 12:20:29)

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