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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  鍵泥棒のメソッド 《ネタバレ》 この人の映画に登場するのは、どこか気が弱くてその結果優しい人が多く、その気の弱さのせいもあるのか、瞬発的に思い切った行動にでられるバネもある。気の弱さのせいで自殺を企んだものの、うまくいかず、それならもうすべてを放擲してもいいのに、風呂屋でそばの客が転べば半ば無意識に鍵泥棒になっている。そして根の優しさのせいで、手に入れた金で借金の精算をして回っている。お詫びのビデオを録画している。ここらへんに納得できるか出来ないかが分かれ目だろうが、私は納得できて楽しめた。「まったく違う人生」を人は俳優のように演じ替えられる、ってのが基本モチーフの映画だろう。だから後半やくざに凄むあたり、前半の気の弱さから飛躍しすぎかとも思えるのだが、「まったく違う人生」モチーフを思い出して、これもありか、と妥協できる。ドラマとしても、やくざを納得させきれない展開にして、配慮。過去の作品と比べて、後半の流れがギクシャクしたのは否めないが、新作を楽しみ待ちする監督ではあり続ける。香川の部屋の偽造身分証明カードの一つ一つを、じっくり手に取って眺めたかった。[DVD(邦画)] 8点(2014-02-25 09:24:49)

2.  咬みつきたい このころ緒形拳は出すぎだったんだけど、こういう軽めのもけっこう選んでたな(『グッバイ・ママ』に続いて)。途方に暮れる役どころ。決断を回避して、当惑して、真正面の遠くを見ているような。自分の居場所を失った仕事人間という設定なの。その困惑ぶりが、やっぱりうまい。吸血鬼なのよ。ファザコンの安田成美とのコンビで、当然のように娘と父の関係も重なる。焼き場で喪服の女が謎めいた接近をしてくる、っていいんだよな。人の生き血を飲むなんてそんな非人道的な、と言ってたのが、ちょっと酸っぱい、とか飲み比べをするようになる。こういうホラーコメディを夏に企画していた時期もあったんだっけ、東宝。というか金子監督は日本では貴重なライトコメディの線を歩んでいた。こういう路線が大きな流れになってたら、邦画界ももっとバラエティ豊かになったのに。[映画館(邦画)] 8点(2013-07-25 09:13:49)

3.  監督失格 主要記録媒体がフィルムからビデオに移ったことで、事件や事故が記録されやすくなったことに加え、プライベートな場が公に開かれ出した。フィルムも最初は金持ちのプライベートな場に入っていったが、手軽さがぜんぜん違う。本作はフィルムの作家では作られなかった。由美香さんの死の通報を受けてやってきた警察はビデオが回っていたことで疑ったが、それはそうだろう。前半の平野勝之監督の手法・というかいつもカメラを回している姿勢を知らなかったら、おかしいと思う。それが自然になるほど、ビデオカメラが日常的になりつつあったから、この記録は採れたのだ。かつて羽仁進は教室の自然な記録を採るために、子どもたちがカメラの存在に慣れるまで空回ししていた。いまビデオカメラがその状態になりつつある。個人的な場にカメラがあっても構えなくなった(平野さん太ったんじゃないですか、とエレベーターの中で挨拶するママ)。そしてプライベートな部屋に入っていく。恐ろしいほどの臨場感。腐臭が立ち込め、飢えたペット犬がはしゃぐ廊下、その奥の部屋の暗がり、かつてフィルムが秘境を収めたように、ビデオも現代の秘境を覗きかけるのだ。北海道への旅で、彼女が映した夕焼けと月の広々とした映像の対極のような、狭い暗がり。あの旅はあくまで平野の旅であって彼女はテントの中でも化粧をやめなかった。男女が相手に合わせようとすること、それでも合わないこと、それを無理に合わせようとすること。映像には現われなかったが、タケウマで日本一周をやっている人の危なっかしい歩みが想像の中に浮かんでくる。まったく人生とは、タケウマで日本を一周するようなものだ。彼女は人生の広さの中で脚をもつれさせ、数年後、狭い部屋に倒れ込んだのではないのか。[DVD(邦画)] 8点(2013-07-14 09:31:59)

4.  風の又三郎(1940) 賢治ものってとかく解釈が加わって矮小化しちゃうのが多いんだけど、これはそれが少なかった。家畜や森の生きものたちの効果がよかったのかな。カタツムリやフクロウのほかにも教室の中にカエルや鶏、病床にもチャボがはいってきて、外のものが自然に内へ内へと流れ込んでくる。これ賢治のユートピアですな。そして風。映画にとって風ってのは重要なモチーフのようで、舞台ではざわざわ揺らぎだす瞬間の緊張ってのは出せないもんな。風についてやり込める「それからそれから」のシーンで、一つ一つその映像を入れるユーモア。風車の仕掛けのアニメーションが出たのには驚いたが、あんがい科学者賢治の精神を受け継いだ手法かもしれない。大泉滉がかわいかったのにはびっくり。[映画館(邦画)] 8点(2012-12-03 10:14:38)

5.  川の底からこんにちは 《ネタバレ》 ずいぶん笑ったけど、「しょうがない」と無気力だったサワコさんが「あたし頑張る」になる話の展開に対してではなかったな。「え」とか「あ」とか、ささいな「言いよどみ」を含む場の笑いに反応してたみたい。「え」と言うときは、相手の言ってることに同意はしていない、と言うかかなり反発を感じているのに、でも反発しても「しょうがない」から、「え」と言って「同意はしてないよ」ということだけ控え目に表明し、あとはビール飲むだけで、なし崩しに受け入れていってしまう。そこらへんが、分かる分かるって感じで、笑ってしまうんだろう。そうやって生きてきたサワコさん。旦那が出てって一寸の虫の五分の魂が爆発したのか大演説をし(「あ、青春の勢いで駆け落ちした女です!」)、でもそのあとですぐ「偉そうに言ってすいません」と謝るところでまた笑う。そのヤル気のアイデアが社歌の変更ってのが、また馬鹿にしててよろしい。社歌が「中の下」たちの革命歌に変わっただけで、ヤル気が満ち、しじみパックが売れてしまう。サワコさんを挟むように、おばちゃん連中と子どものカヨコちゃんが登場する。どちらも批判者のように登場し理解者に変わっていく。カヨコちゃんが椅子に後ろ向きに座って、背もたれの隙間から脚を出してるスケッチがいい。ラスト、帰ってきた旦那に親父の骨を投げつけると、後ろに控えていた「新しいお母さん」の喪服姿のおばちゃんたちが、「ああ社長の骨…」とソワソワするとこも笑った。撒いた糞尿は大きなスイカを実らせたが、撒いた骨はお母さんたちを呼び寄せたのだ。[DVD(邦画)] 8点(2012-01-26 10:28:17)(良:1票)

6.  家族ゲーム あえて焦点を絞りきらない作品という気がした。何か滑稽でいながら不気味なものが描かれているんだけど、それがはっきりしない曖昧なままくっきりと(!)提示されてる感じ。くっきりと提示された曖昧さ、ってつまり「夕暮れを完全に把握しました」っていうようなこと。曖昧さは周囲に充満しているんだけど、それを焦点を絞らないまま明晰に描ききった労作。それは思春期の曖昧さでもあり、家族というものの曖昧さでもある。映画は登場人物の人物像を結ばない。いわゆる「人間が描けてる映画」にはしていない。登場人物は人と関わることでのみ描かれ、ぼそぼそとした会話と行動だけが手掛かりだ。その会話を含むリズム感が抜群で、二度目に殴られても鼻血が出ないあたり、先生のガールフレンド美人ですか? と尋ねられてゆっくりハンカチを取り出すあたり、おかしい。これを最初に観た当時は想像することも出来ないことだったが、ラストのヘリコプターの音、サリンを撒いてるオウム真理教を今回はふと思った。カーラジオで事件が起こってないか確かめたり、そういうことにつながってもおかしくないような不穏の気配は、曖昧な夕暮れのようにひしひしと迫っていたのだ。それにしても監督が亡くなっても、もう夭折と言われないだけの時がたってしまっていたのだなあ。その間に松田優作の若死、伊丹十三の自殺、と不幸もあった。戸川純より健全そうだった妹さんの自殺もあった。ちょっとだけ顔見せた清水健太郎の逮捕は何度もあったなあ。[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-01-14 10:06:55)(良:1票)

7.  カンゾー先生 《ネタバレ》 少数意見だと思うが、私は晩年の今村作品の中ではこれが一番好きなの。60年代のこの人の気分が感じられて。カンゾー先生、和尚、モルヒネ医らの怪しい男集団に、初期の彼の作品の猥雑感が思い出されてくる。学究の徒となり中央で認められる成功話になりかけるところで、ニガみが湧き出してくる構成。せがれが生体解剖やってやせんかというためらい、顕微鏡探し回っててバアちゃんを死なせてしまう失敗、その葬式で聞こえてくる東京の拍手、ここらへん最後まで迷う医者なのである。周囲の連中も、なにやら道を踏み外していく。その踏み外させる元凶としての肝臓炎=戦争に焦点が絞られていく。そしてラストが『神々の深き欲望』を思い出させる舟に漂う男女。そりゃ最盛期のバイタリティーには及ばないものの、これ『復讐するは…』以後では、一番今村らしい作品になったんじゃないか。[映画館(邦画)] 8点(2008-12-28 12:17:36)

8.  戒厳令(1973) これ私が初めて見た吉田喜重作品だった。とにかくその構図の美しさに見とれた。どうも一番最初に見た本作の印象が強く、今回再見してみたが、やはり喜重映画で一番好きな作品だと思う。凝った画面はときに薄っぺらになったりするものだが、この人の場合、凝視しすぎて構図が美的に固まったような感じで、装飾性は感じられない。本質がみっちり詰まって黒光りしているような重苦しさがあり、それが北一輝の「持ちこたえることによる革命」の重さと釣り合っている。硬い質感の喜重世界と、どちらかというと柔らかい質感の場面で味を見せる別役実の脚本とが、ここ1973年において奇跡的に融合した。「エロス+虐殺」も傑作だとは思うが、現代篇のことさらトンがってみせてるようなところが今見るといささか恥ずかしいのに対し、こちらは時代に集中することで純度の高さを保った。[DVD(邦画)] 8点(2007-12-25 12:20:22)

9.  隠し剣 鬼の爪 「それはご命令でがんすか」というセリフが三度繰り返され、最後は封建思想を抜け出たときの冗談めいた言葉になっていて、そのうつろいが山田さんの思想の表明なんだろう。この監督はいつも終わりの着地の地点がダラダラし緩くなってしまうものだったが、今回はサッと引いていていい。高島礼子が訪れてくるところも、意外に凄味があって見直した。底に流れているのは砲術の時代の侍の気分。なんじゃあれは、と昔気質の人には言われている。[DVD(邦画)] 7点(2014-02-16 09:39:18)

10.   退屈している逗留客のいる温泉宿の風景、っていかにも井伏鱒二が設定しそうな場であり、また清水宏が膨らましたくなりそうな設定。いちおう怠惰な妾暮らしから勤労に目覚めていく、という時局にも合った話の体裁にもなっているけど(新婚さんなら何日逗留できる、というような決まりが当時あったことが分かる)、おもに斎藤達雄と日守新一の漫才を見て楽しんでいた思いがする。最初、横移動で主要な部屋の位置関係を知らせる動きは、戦後の『小原庄助さん』に近い。けっきょく時局とは関係なく、清水宏の世界が穏やかに流れていっただけなのだ。[DVD(邦画)] 7点(2014-01-17 12:52:20)

11.  かもめ食堂 カウリスマキタッチを意識的に模倣してるってのもあるだろが、案外光線の具合とか壁の質感とか、「フィンランドではこれが普段」という部分もあるのではないか。さっぱりした何もない壁の味わい。窓の外にただ立っているもたいまさこなんか、半分フィンランドの質感が浸透していたみたい。この三人丁寧に喋り合うのがいい。仲間うちの雰囲気に浸らない、いつかは別れるかもしれないという心構えがある。世界の終わりが来ても丁寧に喋って欲しい。料理や調理を眺めるたのしみ、ってのはあれは何なんだろう。この映画ではけっこう重要な役割りを持っていた。ヘンなオジサンから猫を預かったので帰れなくなってしまったんです、がいい。[DVD(邦画)] 7点(2013-10-27 09:48:30)

12.  伽倻子のために グイグイ横向きに力が加わる作品ではなく、静かにゆっくり沈澱していく下向きの力がかかった映画。物語を語るというより、主人公の記憶があちこちから湧いてくる感じ。さして重要ではないかもしれない幼稚園のバザーのシーンも、記憶を通過した懐かしさがあるのでキラリと光る。地べたに置かれたものの影、不意に鳴り響くオルガン。そして水漏れ調査のシーン。静けさと響きと。ずっと向こうの道が左手に折れてるあたりの板塀がテラッと光ってる。行く末は明るいなんて象徴じゃなく、どちらかと言うと侘しさがあって、暗闇に置かれた金屏風のよう。あれが利いてて、なんとも切ない。全体に白くなろう白くなろうという意志が感じられ、タイトルからそうだった。記憶がなかった時間を懐かしんでいるのか、憧れているのか。白い霧、白い朝鮮服。この白の反対がドローンとした夕陽。別に朝鮮と日本じゃないけど。[映画館(邦画)] 7点(2013-09-01 09:18:23)

13.  風の谷のナウシカ 腐海を焼き払うのではなく、共存していく。怯えずに大きな自然体系の中に組み込まれよ。以後、ずっと続く監督のモチーフが大きく語られた最初の長編。風の谷より腐海のほうが美しいのは、その底で生まれつつある新世界が清浄な冷たさを持ってるからなんだろう。ただストーリーがちょっとごちゃごちゃし、もっとスッキリ語ればいいのにと思った感想は、以後の監督作品で少なかれ続くことになる。腐海の生物たちの動きが素晴らしく、オームの触角に包まれる動きは、まあ泣けた。巨神兵は最初は余計じゃないかと心配してたが、ドロドロに崩れ続けていく凄味が圧倒的で、近代科学の化身そのものだったなあ。もうちょっとユーモアがあっても良かったんじゃないか。(オールディスのSFの古典「地球の長い午後」を読むと、しばしばイメージが重なる)[映画館(邦画)] 7点(2013-04-03 10:00:11)

14.  カルメン故郷に帰る 皮相な社会風刺になりかねないところを、主人公の明るさが救っている。「新しいもの」に飛びついて分かったふりをする当時の世相を笑いつつ、その新しいものも切り捨てない。木下さん、ストリップがはやる風潮を愉快には思ってなさそうだが、少なくとも青年を盲目にする戦争よりはいい、と自分の中であれこれ計量しているよう。軸はストリップと佐野周二の歌という当時の文化状況の対比、あれ木下忠司お得意のマイナー調で(たとえば『喜びも悲しみも幾歳月』のテーマ、お~いら岬の~灯台守りは~)、「青葉の笛」とか「水師営の会見」とか短調唱歌で育った世代の「いい歌」なんだな。この陰々滅々ぶりは皮肉な効果を狙ったんじゃなく、あれが当時の「芸術的で真面目ないい歌」だと思って聞くべきなんだろう、「軽薄な」ストリップの対比として。そういう構想で作られつつも、映像としては青空の下の若い娘たちの輝きが圧倒してしまうところが映画の面白さだ。そっくり時代の記録として残った(そうか、盲目の青年だけが彼女らの肢体を見られないわけで、だから陰々滅々な歌の作曲者なのか?)。喜劇としては、三好栄子の怪演が記憶に残る『純情す』のほうがキレが良かったと思うが、この牧歌劇のほのぼの(とりわけ娘が裸で踊るお父さんの苦衷とそれへの周囲の慰め)も味わいあります。[CS・衛星(邦画)] 7点(2013-01-02 09:36:50)

15.  蒲田行進曲 田舎へ帰ったときの駅での歓迎、階段のブラスバンドと橋のバトンガールが良かった。こういう大袈裟な馬鹿馬鹿しさが本筋だと思うんだけど、映画は笑いだか本気だか分からない部分が多くて困ってしまう。ヤスが階段を這い登っていくところなど、音楽のタッチからいくとマジでやってるんじゃないか、とも思えてしまう。そういう変に詠嘆調が混じるところがキズ。小夏が前面に出たぶん、男二人の奇妙な関係が分かりづらくなってしまったよう。階段落ちの前日ヤスが暴れるのは、もっと銀ちゃんの影が濃くさしているはずなんだけど、それが出てなかった。それまでのヤスと連続してくれない。小夏が前に出て良くなったところは、銀ちゃんがよりを戻そうと誘うシーンの哀切さね。あそこはホロッとさせる。未練たっぷりなのにシャレねばならぬ男の背中。[映画館(邦画)] 7点(2012-08-24 09:51:34)

16.  家族(1970) これはスタインベック/フォードの『怒りの葡萄』をはっきり意識した作品だと思う。とりわけ孫が上野で肉まんをもらったときのじいさんの反応のあたり。注目すべきは、あちらが最初から大不況下の物語だったのに対し、こちらは一応万博景気で沸いている日本を背景にしていること。その「好況下」と言われている真ん中で、しかも同時代に、このオデュッセイを描いた。けっきょく日本の戦後の好景気と言っても、その恩恵を受けたのは山陽線・東海道線沿いだけの話で、九州で失業した一家は、そこを跳び越えて北海道まで渡らなければならなかったわけだ。その北海道の酪農業の未来も、現在の私たちは知ってしまっている。車窓の風景が雄弁。東京までの工業活気と、東北本線になってからの農村風景。それは日本の美しい田園がかろうじて残っている風景でもあるわけだが、そういう「ディスカバリージャパン」的風景とは、つまり「取り残された」風景でもあったわけだ。西と東がくっきり分断されていることを車窓風景が語っていた。一家が到着したときのドアのとこでの虚脱した顔が重なる場が、本作で最も気合いが入っているカットだろう。ただその後がいけない。じいさんを死なせたことも含め、北海道の部分がせっかくドキュメンタリー的に積み上げてきたこれまでの成果を受け継いでくれてない。アタマだけで作られたような、薄ら声の労働讃歌に聞こえてしまう。こう描くのが実際の開拓労働者への礼儀だと思ってしまうところが、「東京のインテリ」の限界なのではないか、とつい意地悪く思ってしまう。[CS・衛星(邦画)] 7点(2012-03-27 10:22:09)(良:1票)

17.  限りなき前進 《ネタバレ》 たしかにこのフィルムの改変はひどいもので、肝心の狂っていくとこを切っちゃって、無理にハッピーエンドにし、単に上映時間を短くし回転率を上げようとしたのか、とにかく残念至極であります。おそらくあの夢の長さがバネになってるわけだから、ネッチリ狂っていったんだろう(欠落部分の字幕化を頑強に拒んでいた脚色の八木保太郎の死後、フィルムセンターでは字幕による経過の解説を加えた。恣意的な読み取りが入っては困るという脚色者の気持ちも分かるが、観客としてはやはりないよりは助かる。欄外の脚注と思えばいい)。前半の明朗スケッチは原案小津お得意のもので、これに陰りを加えるくらいなら自分で監督できただろうが、もの狂いにまで至るとなると松竹のニンではない、と日活に任せたのだろうか。子どもたちの会話、デパートの放送を使ったやり合いのギャグなど快調。でもそこに「金勘定」が忍んでくる。冒頭の轟夕起子の登場からして「日当95銭」なんだけど、明かりの下で、小杉勇が妻の滝花久子と数字をあげて余生の経済設計を立ててるあたりから、ジワジワとくるものがある。成瀬巳喜男も金勘定の好きな監督だったが、あっちは生活感を出す金勘定。こっちは勘定していくほど、実生活がもろく見えてくる金勘定。娘を嫁に出さねば…、息子へ約束したカメラ、家の費用の割り増し、などなど、これらすべて後の夢のシーンに取り込まれていく。ちょっと不気味なのは、帰ってきた娘に「雨が降ってきたのか」と聞くシーン。狂いの予兆なのか、娘がキラキラする服を着てたのか、そのあとで娘は弟に水鉄砲を浴びて(画面には出ないが)実際に服に水がつく設定になってる。まるで小杉が予見していたようで、そこらへんでも何か不気味なものがゆっくりこの家庭を覆ってきつつある雰囲気が出た。で、定年制の導入によるショック。辞令をもらった幻想。会社で重役の椅子に座るなどという欠落シーンは、きっと幻想シーンや出勤シーンなんかが生きてたんだろうなあ。几帳面に机の上を磨いてハンコを取り出すシーンがあったの。[映画館(邦画)] 7点(2012-03-12 09:54:41)

18.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 この人の映画ではしばしば水没願望みたいのが感じられてたが、とうとうたっぷり水没した。後半のおもちゃの船での航海部分が素晴らしい。太古の海に浸された静けさ、道路の上を古代魚が遊泳し、繋留されていた漁船がアドバルーンのように上がっている。過去の海ではあるが、未来の人類が消えた世界の予想図(理想図?)のようにも見えてくる。人々もパニックになってるわけではなく、水没を嬉々として受け入れているようで、祝祭的気分さえうかがえる。ここはホント、うっとりと観た。おもちゃの船の出航のところも、ロウソクに点火しようとし、つかなかったかともう一度マッチを擦ろうとすると小さな火が育っていく、なんて丁寧な演出。水に対抗するその火のかそけさが伝わってくる。あと粘度の高い水のヌルヌル感というかドロドロ感も、この人の繰り返されるモチーフで、それが凝って水の魚になってるあの感触もいい。とにかくたっぷり水を描ききった作品で、その点に関して満足した。噛み砕きづらい話の大枠についてはおいおい考えるとし、波の上を走るポニョに「信貴山縁起絵巻」の護法童子をちょっと思ったことを、取っ掛かりとして記憶しておこう。[DVD(邦画)] 7点(2009-12-05 11:53:40)(良:1票)

19.  歌舞伎役者 片岡仁左衛門 期待したのは映像による具体的な芸談だった。もちろんそういうシーンもある。『四谷怪談』の髪すきの場で大事なのはお岩よりも宅悦の方なのだそうで、その宅悦の“いい驚き方”と“悪い驚き方”を実演してくれるところなど面白い。しかしそういう興味だけだったとしたら、カメラの動きがおかしい。演出の指導をしている場面では、それでどう演技が変わったのかを比較しなければならない筈だ。でもカメラはほとんど指導している仁左衛門ばかりを捉えている。羽田澄子が興味を持ったのは芸ではなく、仁左衛門の人物を凝視することで見えてくるものの方だった。つまり滅びゆく上方歌舞伎ではなく、滅びゆく上方人そのものだったのではないか。仁左衛門は戦後滅びかけていた上方歌舞伎を何とか復興した人である。しかし上方歌舞伎は復興したのだろうか。映画の中で何度も彼の愚痴が聞かれた。今では下座音楽も、大阪公演の時は東京から連れていくのだそうだ。研究生たちへの教育風景でも、どうしても公卿の雅びなイントネーションが出来ないことに眉をしかめる。なぜ上方歌舞伎は衰えたのか。戦後日本全国が東京化したことと無縁ではあるまい。この映画に感じるのは、最後の上方人である仁左衛門をまず記録しておかねば、という衝動である。彼のまわりに漂っている上方人としての風韻をこそカメラは捉えようとしたのであり、その試みは成功している。仁左衛門は家族だけでお茶屋遊びをする時でもキチンとネクタイをしめている。それでいてこの室内には外界を遮断した内輪だけで閉じているやや淫靡で濃密な気配も漂う。このキチンとした感覚とネットリした感覚との併存に、関東人である私などは上方的なものを感じた。芯のところに気難しさが感じられるのだけど、けっして声を荒立てない姿勢。千年の間じっくりと漉し続けられた文化が一人の人間の形となって現われている。大げさに言えば羽田はそのような千年分の記録を撮る意気込みで、カメラを回したのではないだろうか。それともう一つ、老いの問題がある。目が見えなくなりつつある老役者としての被写体。『新口村』の舞台、目隠しをして息子と対面する場面がそのまま、盲目の師と息子の弟子という現実に重なって見えてくる。彼の「老いると芸がリアルになる」という言葉、実感としてはよく分からないのだが、この場など、こういうもんかなあ、と微かにつかめた気にもなったのだ。[5部作版での鑑賞][映画館(邦画)] 7点(2009-09-28 12:19:29)

20.  風の中の子供 《ネタバレ》 勉強していた三平が母親のほうをうかがい、するとディゾルブで消え、外からターザンのおたけびが聞こえてくる。金太の言ったことで漠然とした不安が漂い、家の前をお巡りさんが通過する。弁当を曲げないようにお父さんのところへ届ける。飛び上がって帽子かけの帽子をとる…。子どものスケッチのひとつひとつが生き生きしている。これは監督の技術でもあるが、当時の松竹という会社のトーンでもあったのだろう。刑事を自分の家に導いてしまう三平。世界に対して不安・警戒が広がる。留守番しているとき雨戸を締め切ってしまう。兄弟でのオリンピック水泳中継。で三平は坂本武おじさんのところへ。残った善太がひとりでかくれんぼをしている半ば幻想シーンが凄い。もういいか~い、もういいよ~、の声が家の中にうつろに響き、一方三平もカッパの池のさざなみを見つめている。説明抜きで、兄弟の心情が伝わってくる。おじさんちから帰ってきて、働こうと思っても、小さな子どもには大きな犬の世話は出来ない。自分が子どもであることの悔しさ。子どもの心のスケッチ集として、パラパラめくってはちょっと見入る感じの作品になっている。ロケではしばしば道の中央にカメラを据え、シンメトリーを作る。アップは使わない。ひと夏の物語は、入道雲のように堂々としている。[映画館(邦画)] 7点(2009-07-09 12:03:58)(良:1票)

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